ベトナムの歴史(その12-2)
グエン・チャイ、非業の死
内務大臣に就いたグエン・チャイは明に統治された20年間に疲弊した経済と社会の立て直しに努めます。中央集権国家体制が整えられていくうちに王朝は急速に官僚主義の弊害に陥ります。レ・ロイ王は官僚の讒言によって「ランソンの誓い」(明の支配を打ち破る血盟の誓い)をたて、ともに闘った盟友たちを次々に処刑します。
グエン・チャイの肖像画
1433年、グエン・チャイは幼い王、第2代皇帝レ・タイ・トン(黎大宗)に黎朝の礎を築くための帝王学を教えるなど力を尽くしますが、同じ年にレ・ロイ初代皇帝がなくなります。その後、目立ちはじめた官僚の横暴や腐敗と闘いますが、怨みを買い、幼王の教育係を退きます。その後再び内務大臣に就きますが、レー・タイ・トン王がグエン・チャイの家を訪問した直後、急死したことを口実に、グエン・チャイを疎ましく思っていた官僚たちから王謀殺の嫌疑をかけられます。そして1442年9月19日、グエン・チャイは、「罪三族に及ぶ」として300人を超える一族の人々ともども斬首されるという、非業の最期をとげました。
しかし、黎朝第5代皇帝レ・タイン・トン(黎聖宗)によって名誉は回復され、ハノイをはじめ全国各地に「グエン・チャイ通り」が作られています。
ざっくり、この頃の日本と世界
明による支配(第4期北属期)からグエン・チャイが活躍した時代は、日本では室町時代です。
下表にざっくりと年表をまとめました。
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黎朝は前期(1428~1527年)・後期(1533~1788年)の360年間に及びます。日本では室町時代から江戸時代(幕藩体制)の揺らぎが見え始めた18世紀末頃に当たります。
次号から幾度かに分けて、この時代を見て行きたいと思います。
(2022年6月22日、あかたつ)
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