ベトナムの歴史(その12-1)
レ・ロイとグエン・チャイによる抗明闘争の歴史的意義
前号(その11)で1427年にレ・ロイ(黎利)が中国の明に滅ぼされた胡王朝の官吏だったグエン・チャイ(阮廌)を参謀役に、20年間にわたる明との戦いに勝ったことを紹介しました。植民地兵として狩り出されたベトナム兵を加え圧倒的な明軍に苦戦を強いられながらも次第に盛り返していきます。そこには何よりも絶えず民衆を大切にする姿勢と、敵軍兵士の被害にも配慮しながら「敵の城を征服するよりも心を征服したほうが良い」というグエン・チャイの崇高な「救国の戦い」の理念がありました。その姿勢が民衆の圧倒的な支持だけでなく、明軍に組み込まれたベトナム地方軍の寝返りやレ・ロイ軍への参加を促したのです。
解放戦争を闘うベトナムの人々
人民に依拠して抗明闘争を闘い抜いたその思想と経験が、その後の抗仏闘争(1946~1954年)とベトナム戦争(1955~1975年)の勝利に生かされ、1976年の悲願の民族統一につながっていきます。
「明を平らげ天下に告げる書」
レ・ロイ軍の決定的優位な戦局になった1426年、明軍はレ・ロイ軍に和議と安全な撤退の保障を申し入れます。孤立した明軍を徹底的に討ち取り、過酷な植民地支配と数多の犠牲の仇を討つことを主張する将軍もいました。しかし、グエン・チャイは「復讐したいのは世の常だが、相手が降伏したのに殺すのは良くない」とレ・ロイに進言し、道路や橋を修復し、500隻の船、沿道に食糧を用意し8万6千人の明軍を送り返したと伝えられています。
1428年、レ・ロイは陳朝の流れを汲む陳嵩(チャン・カオ)を安南国王に据えますが、チャン・カオは何の功績もなく王に就いたことを恥じて逃亡してしまいます。こうして1428年4月にレ・ロイによる前期黎朝が建てられ、グエン・チャイは内務大臣に就任、「明を平らげたことを天下に告げる書」として『ビン・ゴ・ダイ・カオ』(平呉大誥)という詩を著します。
(2022年6月20日、あかたつ)
【編集者】あかたつさんから届いた「ベトナムの歴史その12」は少し長めの原稿でしたので、二回に分けて掲載することにしました。つづきは、22日に掲載します。
オーストリア・ウィーンで、明日から開催される「核兵器禁止条約第1回締約国会議」に原水禁国民会議から秋葉さんが参加されています。その様子は、ヒロシマの心を世界にに報告されています。
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