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2022年6月

2022年6月30日 (木)

2022.6月のブルーベリー農園その4

東広島市豊栄町の農園は標高約400m。安芸区矢野の安芸の郷のある場所より季節の進み具合が少し遅れる。25日、グミがヒヨドリに食べられてなくなっていた。25日にブルーベリーの剪定が終わった。28日に梅雨があけた。雨が降らない。28日に農園の近くの農事法人シバザクラの会に給食用の米を取りに行った時の職員の声→「豊栄は大きな川がないのでため池が多い。ため池の水も底が見えるようになっている」。ネムノキの花が咲きだす。ホトトギスの鳴き声はもう聞こえない。

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625日(土)

農園の花壇の茱萸(グミ、ブイブイともいう)の実が1個を残してすっかりなくなっていた。20日にはたくさん実っていたがヒヨドリに見つけられたので一気についばんだのだろう。

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里山にある早生のブルーベリー(80本あまり)の剪定が終了。ブルーベリーの実は色づいているがまだちょっと早い。(写真はスパルタンという品種)

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庭のガクアジサイは花芽がなかなか出なかったが、梅雨に入ってあちこちから花芽が出てきた。2輪ほど青い花びらがのぞいた。

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農園の帰り道の田んぼ。稲は植えた場所の縦筋はまだ見えるが青く大きくなった。雨が降らないので田んぼの中の水が少ない。

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626日(日)

農園や山の青葉と空の色合いが真夏ではない少しだけ涼しそうな初夏の終わりを思わせる。

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ヤブカンゾウの蕾も出てきた。

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628日(火)

農園の池にとまるコシアキトンボ

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早生のブルーベリーの摘み取りと、畑の防草シートを列の真ん中に寄せて刈り払い機が使えるようにする下ごしらえを行う。

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ブルーベリーの実を安芸の郷に約5キロ納品した。小さな箱の中のブルーベリーは大粒のダローとスパルタンという品種。スイーツの表看板になる

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畑の水路の法面のネムノキ

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手のひら状に広がる葉の上に花がのっかかる。それにしてもマメ科の木は成長が早い。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年6月29日 (水)

ウィーンで大活躍した高校生平和大使

オーストリア・ウィーンで開催された核兵器禁止条約第1回締約国会議に原水禁国民会議が派遣した代表団の中に、二人の高校生平和大使がいました。第24代高校生平和大使の大内由紀子さん(広島)と神浦はるさん(長崎)です。

二人に対する期待や現地での活動ぶりは、出発前からマスコミで大きく報道されてきました。また帰国後の、報告記者会見の様子も報道されました。

原水禁国民会議共同議長で締約国会議に一緒の参加された藤本泰成さんから「高校生平和大使はすごい。自分たちで、積極的に話しかけていく姿にびっくりしました」との感想を聞いています。

第1回締約国会議には、広島県原水禁の秋葉忠利代表委員も参加されましたが、その秋葉さんが、様々な活動を終えた高校生平和大使二人に現地でインタビューされた映像が、高校生平和大使、ウィーンで大活躍 - YouTubeで見ることができます。

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約4分余りの映像ですが、現地での活動を終えてすぐの感想ですから、率直な思いが、伝わってきます。

高校生平和大使の現地での活躍の様子は、#高校生一万人署名活動 - YouTubeで見ることができます。タイトルは「2022TPNWウィーン派遣高校生平和大使」で、Part1からPart5まで、日毎の活動が紹介されています。藤本泰成さんが驚かれた活躍ぶりを知ることができると思います。

いのちとうとし

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2022年6月28日 (火)

戦争になって犠牲になるのは―大田昌秀さんのこと

中国新聞の月曜日に1面全部を使って掲載される「平和」特集は、いつも心して読む記事の一つです。

数回前から始まった「森田裕美この一冊」のコーナーは「今回はどんな本が紹介されるだろうか」と最近では特に期待して待つ記事です。

昨日紹介された一冊は、元沖縄県知事で社民党の参議院議員だった大田昌秀著「沖縄鉄血勤皇隊」でした。そこに書かれているのは本の紹介というより大田昌秀さんがなぜこの本を出版されたのかが主に書かれています。

この記事を読みながら思い出したことがあります。一時期、同じ党所属の国会議員として様々な場で太田さんの話を直接聞き、意見を交換する機会があり、学んだことです。

そんな場で大田さんが繰り返し強調されたことがあります。それは私の戦争に対する考え方を方向付ける内容でした。

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少し長くなりますが、1996年4月2日の沖縄県・名桜大学入学式における公園に加筆され、同年9月に発刊された「沖縄は訴える」からの引用です。この部分のタイトルは「平和・共生・自立 現代の戦争と平和」となっています。

「次に、わが県民に来るべき21世紀に向けて志向すべき点について述べたいと思います。まず平和についてであります。

(中略)核戦争の恐ろしさ、おぞましさは、今さら私が申し上げる必要もないのですが、今日の戦争の性格についてその一端を具体的に考えてみたいと思います。

第一次世界大戦の時の死者は、軍人が95%を占め、民間人の犠牲者はわずか5%でした。ところが、第二次世界大戦での犠牲者は、軍人が52%に対し、民間人は48%に増えています。では、太平洋戦争ではどうだったかと言いますと、日本本土では軍人の犠牲者が23%、民間人の死者が77%となっています。それが戦後の朝鮮戦争では、軍人の犠牲者は、15%、民間人の死者は85%です。さらにベトナム戦争では、軍人の犠牲者はわずかに5%なのに比べ、民間人の犠牲者は、実に95%におよんでいます。」

ここからが重要です。

「このような結果を見ると、軍事力でもって一般国民の生命、財産を守ることは、本当に可能だろうか、と反問せずにはおられません。よく国防とは、軍隊による国民の生命、財産の確保が第一の任務といわれますが、ひとたび戦争がはじまると、守護の対象となるはずの民間人が犠牲にならずにすむかと言うと非常に疑問です。真っ先に傷つくのはお年寄りや子ども、さらに身体の不自由な人とか、心を病んでいる人のように弱い立場の人たちであります。なぜかと言いますと、戦争で一番大事にされるのは、敵を殺傷する戦闘能力に優れた軍人たちだからです。身体が不自由で射撃もできない人たちが邪魔者扱いされるのは、ほとんど自明のことであります。

ですから、戦争は国を守るためとか、国民の生命、財産を守るためにするといわれるのですが、実際の結果は明らかにその逆となっているケースが少なくないのです。したがって、ひとたび戦争にでもなったらもはや取り返しがつかないことは、広島、長崎の例を想起するまでもありません。国民の存亡どころか人類の生存自体が危機に瀕することは、容易に予測できることではないでしょうか。したがって、戦争することによって、いったい誰から誰をどのように守るかという問題は、平和の問題を考える場合に真剣に考慮する必要があります。」

沖縄戦で、沖縄師範学校在学中に学徒召集をされ、九死に一生得た大田昌秀さんの自らの体験から得て哲学です。現代の戦争の本質をついています。

「軍備拡大」「核保有」を主張する政治家にこそ考えてほしいお太田昌秀さんの提言です。

いのちとうとし

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2022年6月27日 (月)

県道71号線昨年の大雨土砂災害現場を再び訪れて

「昨年の水害で崩落した道路などでむき出しとなった土砂が流れ出し農作業にも影響が出ているので、見に来ませんか」と誘われて、昨年9月14日の恵下廃棄物処分場建設と大雨土砂災害: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)の現場に行ってきました。

現場と言っても、道路などが崩落し、土がむき出しになっている場所は、ようやく今月から重機が入って作業が始まったようですので、直接見ることはできませんでしたが、友人が撮った写真から今だ、ほとんど手が付かず、雨の度に真砂土が流れ出ていることがわかります。

昨年私が撮った崩落現場の写真です。

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 今月友人が撮って写真です。

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真ん中が大きくえぐられ、水の通り道となっているのがわかります。何の措置もされていませんから、雨が降るたびに大量の土砂が下流に流れているようです。

下流では、その砂が、川底にたまっています。ここからは現場を見ました。

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 これでも川底をさらって土砂を何度か取り除いたそうですが、凹凸のあった川底は、土砂で埋まり平になっています。

その少し上流の堰から、用水路に水を引いていますが、堰もほとんど土砂で埋まっていますので、少し上流から導水管を設け、何とか水が確保されています。

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黒い導水管の左側に用水路の取り入れ口があります。

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田んぼに水を引くための用水路の底にも土砂がたまっています。手前には、土砂がありませんが、白っぽくなっているところからは、土砂が底にたまっています。田んぼに土砂が流れ込まないように何度か、川底をさらったそうですが、しばらくするとこのように土砂がたまるそうです。

崩落現場では、大量の土砂が手つかずのままで何の対策も打てていませんから、しばらくこの状態が続くと思われます。土砂が用水路にたまっているだけでなく、田んぼにまで流れ込むようになると稲そのもののできにも大きな影響を与えることになると思います。

全体として、今回の崩落の原因を究明し対策を建てることが重要ですが、急がれるのはむき出しになり、雨が降るたび、雨だけでなく自然に地中から湧いて出る水に押し流され、下流へ流れる土砂対策が急がれることを実感しました。住民のみなさんからすでに要望書も出ているようですから、住民の声をよく聞き、対処してほしいものです。

恵下廃棄物処分場建設の影響があったのではないかと言われている昨年の山崩れですので、廃棄物運搬方法の抜本的な見直しなどが求められているように思います。

いのちとうとし

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2022年6月26日 (日)

折られてしまった被爆者の森のライラック―つづき

18日の無残にもおられてしまった被爆者の森のライラック: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)のつづきです。

中国新聞が、「『被爆者の森』木折れる」の見出しで、6月22日の25面で取り上げてくれました。

この記事の中で、取材に答えた広島市中区維持管理課は、「故意に折られたかどうか分からないため、警察への届けは出していない」と言ったと伝えています。

確かに、折られる現場を見ていないのですから、「故意に折られたかどうかわからない」との答えは、ある意味その通りかもしれません。

しかし、昨年3月の植栽時に立ち会い、その後何度か被爆者の森を訪れてこの木を見てきた私には、「なぜ?」という疑問が湧きます。

まず昨年3月10日の植栽時の写真です。

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翌々日の3月12日には、樹木名鈑が取り付けられました。

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ライラックの花が咲いていた今年4月11日の写真です。

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この3枚を見比べてみると三つの変化があることがわかります。

その一つは、植栽時には、樹木を固定させる竹の支柱が付けられましたが、今年4月の写真では、その支柱用の竹がなくなっています。二つ目は、昨年3月12日に取り付けられ樹木名鈑が、無くなっています。そして三つ目です。これが重要ですが、植栽時には、根元のすぐ上から両方に枝が伸びていますが、今年4月の写真では、竹の支柱に支えられていなかった方の枝が、失われているのがわかります。残っている枝が竹に支えられていた枝だとわかるのは、枝を竹に結ぶために着けられた棕櫚が残っているからです。

私が、今月17日に見つけた折られて放置されていたライラックの木にも、この棕櫚が残っていましたので、北海道のライラックの枝だということが確認できました。

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これらの写真からは、このライラックの木は、これ以前にも悪戯(支柱の竹がない、樹名板が無くなっている、一本の枝が折られている)をされていたことになります。

こうしたことから考えると、明らかに今回も人為的に根元から折られたと考えるのが妥当だと思うからです。

今月17日に私が折られた枝を発見した時には、場所を間違えていたため折られた根元部分を見つけることができなかったのですが、その後広島市から「根元が残っていますよ」と教えていただき、再び現場を訪れました。

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折られた痕跡がはっきりと残っています。さらに、根元のすぐそばには葉をつけた小さな枝が散らばっています。

 

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私が見つけた折られていた枝は、ここから約30m西側に放置されていました。元の場所と枝が放置されていた場所の間には、大きな樹木がありますから、直接に見ることはできません。

折っている現場を見なければ、「故意かどうかわからない」と言えるかもしれませんが、こうした事象をきちんと検証すれば、仮に故意でなかったとしても被爆者の森の木が人為的に折られてしまったことは間違いありません。以前から、悪戯されていたのですから。

今後こうしたことが起こらないようにするためにも、警察に被害届を出すことも必要なことではないかと思います。

そのことを広島市に問い合わせていますので、回答があれば、紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2022年6月25日 (土)

スマートメーターが取り付けられました

6月9日、わが家の積算電力計がスマートメーターに取り替わりました。スマートとは「賢い」という意味です。16年4月から電力小売りが全面的に自由化され、新電力契約に変更した世帯は、スマートメーターにすることが前提条件でした。

しかし新電力と契約をしなくても、中国電力(正式には中国電力ネットワーク)は、23年までに全面的にスマートメーターに取り替える計画で実施していました。

あいにく作業の日は、用事がありその様子を見ることが出来ませんでしたが、30分以内で終わったようです。

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スマートメーターになると、電力検針員さんが検針に来ることが無くなります。30分ごとに920メガヘルツという電波を使って、携帯電話と同様の方法で、電力の使用状況が自動的に中国電力に連絡されることになります。

ほとんどの人が携帯電話を使用している時代ですから、この920メガヘルツの高周波電波を嫌う人は少ないとは思いますが、先行的にスマートメーターを導入した国々では社会問題になっています。スマートメーターを取り付けたことにより、頭痛・耳鳴り・不眠という電磁波過敏症という症状が起こることはあります。

その対策はと尋ねられることがありましたが、スマートメーターに用もなく近づかないこと、どうしても嫌なら電磁波吸収シートでメーターを覆うことでしょうか。

スマートメーターになると、30分毎に電力使用量が連絡されていますので、その原理を使って、介護事業に参入しているのがあります。たぶん関西電力だったと思いますが、一人暮らしの親などの電力使用状況を、遠くに住む子どもらのスマホにダウンロードして、電力の使用状況から親などの状態の見守りをするという原理です。

また、HEMS(ヘムス)という装置を取り付けて、電力使用量の見える化で節電に役立つという宣伝も行われています。

HEMSとは「ホーム、エネルギー、マネージメント、システム」の略です。

検針員として仕事をしていた人は、スマートメーターの導入によって仕事を失うことになりました。何年か前に株主総会で、その人たちの仕事の確保を質問したことがあります。その時の中国電力の回答は、営業活動に従事してもらい解雇することはないと答弁しましたが、その後の話しでは「希望退職」を募ったと聞いています。

都市ガス事業もスマートメーター化が準備され、大手の東京ガス・大阪ガスなどでは実証試験を行っているようです。広島ガスでは2030年実施を目標に、準備をしているとのことでした。また最後の公共事業といわれている水道事業も、広島市は23年度中にはスマートメーターを導入するとの報道がありました。これって良いことなのでしょうかね。

木原省治

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2022年6月24日 (金)

参議院選挙二日目のポスター掲示場

現在のように定数2議席を争う選挙となって最も多い10人が立候補届けを出した今回の参議院選挙。選挙戦二日目の昨日昼過ぎ、わが家から最も近い中区役所前に設置されたポスター掲示場に何枚のポスターが貼られているのか見に出かけました。

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未掲示の候補者も多く、6人のポスターが貼られているだけでした。残りの4人のポスターは何時頃になったら揃うのだろうと思いながら、県庁前に移動しました。

県庁前には、毎回選挙の度に大きな啓発看板が設置されています。

今回の参議院選挙では、元広島カープの黒田英樹さんが起用されたことで、設置前から話題となっていました。

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キャッチコピーは「その選択が明日を決める」です。県選管によれば3年前の参議院選挙の投票率は、過去2番目に低い44.67%。特に20代以下では、3割にも届いていないそうです。

テレビCMでは、黒田さんが「‟観戦“ではなく‟参戦”する勇気を持とう」と呼びかけていますが、若い人の関心を持ってもらい、投票に行ってほしいという県選挙管理委員会の思いが込められているようです。

選挙での投票行為は、政治参加への第一歩。若い人だけでなく投票に行ってほしいと思うのは、選挙管理員会だけではありません。

県庁前から別の道をとって帰宅途中、大手町2丁目のポスター掲示場が目に入りました。この掲示場には、8人のポスターが貼られています。

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一番右の下側のポスターに目が行きます。NHK党のポスターです。「私の当選は無理です。しかし」の文字が目に入ります。「えっ、なんのこと?」

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その下段に小さな文字で「あなたの1票で約250円と選挙区と比例区の2票で約500円」改行してだいぶ大きめの文字で「の政党助成金がNHK党に交付されます。」と書かれています。

政党要件を満たせば、これぐらいの額が交付されることになるでしょうから、マーよしとしましょう。ところが、その下には、近づかなければ読めないような字の大きさで「このお金を使いNHK被害者(例えば、NHKから裁判された人の裁判費用や受信料の全額肩代わりなど)を救済しています」と書かれています。ゴシック部分だけ、何故か文字が大きくなっています。

こんなのありかと目を疑う内容ですが、さて有権者の選択は?

いのちとうとし

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2022年6月23日 (木)

2022.6月のブルーベリー農園その3

東広島市豊栄町で21年前から松枯れした山と、休耕田からの転作でブルーベリーを植えて以来、栽培のために週末農業で安芸区の自宅から通っている。そして収穫されたブルーベリーは安芸の郷と提携して毎年夏の期間に納品している。いまでいう農家と社会福祉法人の農福連携を続けていることになる。618日の農園では空の半分が青空で半分が雲に覆われている。そして、遠くの方で雷の音がごろごろと聞こえる。ホトトギスの鳴き声も混じる。そろそろ早生のブルーベリーの実の収穫も始まった。ブルーベリーの早生の剪定があと数本残っているが、農園の草刈にも追われている。

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618日(土)

農園につくと家の池にショウブが満開になっている。

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雑用がいろいろあって農園には3時前についたが、取り急ぎ畑の一部に早生のブルーベリーを育てているので防鳥ネットを張る作業をした。あらかじめ柱や支持線の整備をしていたので順調にネットを張れた。

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防鳥ネットを張った場所の法面に夏の花、ルドベキアが一輪咲いていた。

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ネットの中のブルーベリーはまだ数粒しか色づいていない。ダローという品種で大きいのは10円玉くらいになっている。

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先週防鳥ネットを張った里山の早生のブルーベリー園に入ってちょっとだけ摘み取りをした。2キロ弱あり、自家消費でいただくことに。

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619日(日)

この日も雑用がいろいろあって朝早く農園に行き、昼前には農作業を終わって帰宅。帰る道の農家の畑に咲くタチアオイ。見上げる位置なのでぱっと目に飛び込んでくる。

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620日(月)

農園に行く途中の高屋町造賀のナスビ畑。無人の野菜売り場のそばにあるので買うときいつもこの畑を見物する。プロが作るので早く大きくなるし、支柱もしっかり整備されている。

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ブルーベリー畑の草が伸びに伸びている。7月下旬から摘み取りで多くの人が来るので畑の草刈りを行う。

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防草シートを列の真ん中に寄せてから草を刈る。お盆までもつか?

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農園の小さな畑に行く里道の法面にホタルブクロが12株ある。白い色なのでよく目立つ。

縁側で一休みしていると、ヒヨドリが2羽花壇の茱萸(グミ、ブイブイともいう)実を食べに来た。すこし甘味が増したので、次に来たときはもう実がなくなっているかも知れない。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年6月22日 (水)

ベトナムの歴史(その12-2)

グエン・チャイ、非業の死

内務大臣に就いたグエン・チャイは明に統治された20年間に疲弊した経済と社会の立て直しに努めます。中央集権国家体制が整えられていくうちに王朝は急速に官僚主義の弊害に陥ります。レ・ロイ王は官僚の讒言によって「ランソンの誓い」(明の支配を打ち破る血盟の誓い)をたて、ともに闘った盟友たちを次々に処刑します。

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グエン・チャイの肖像画

1433年、グエン・チャイは幼い王、第2代皇帝レ・タイ・トン(黎大宗)に黎朝の礎を築くための帝王学を教えるなど力を尽くしますが、同じ年にレ・ロイ初代皇帝がなくなります。その後、目立ちはじめた官僚の横暴や腐敗と闘いますが、怨みを買い、幼王の教育係を退きます。その後再び内務大臣に就きますが、レー・タイ・トン王がグエン・チャイの家を訪問した直後、急死したことを口実に、グエン・チャイを疎ましく思っていた官僚たちから王謀殺の嫌疑をかけられます。そして1442年9月19日、グエン・チャイは、「罪三族に及ぶ」として300人を超える一族の人々ともども斬首されるという、非業の最期をとげました。

 しかし、黎朝第5代皇帝レ・タイン・トン(黎聖宗)によって名誉は回復され、ハノイをはじめ全国各地に「グエン・チャイ通り」が作られています。

ざっくり、この頃の日本と世界

明による支配(第4期北属期)からグエン・チャイが活躍した時代は、日本では室町時代です。

下表にざっくりと年表をまとめました。


 

ベトナム

日本

ヨーロッパ

1225年

陳朝     中国は宋から元

1192年 源頼朝、鎌倉幕府を開く

1147年 第2十字軍遠征

1348年

陳朝、「北属南進」(チャンパ国を侵攻)

1333年 鎌倉幕府滅ぶ

1338年 足利尊氏征夷大将軍(室町幕府)

1338年 英仏「100年戦争」始まる

1400年

陳朝が滅び胡朝が興る

1392年 南北朝統一

1369年 ティムール帝国起こる

1406年

明の侵攻始まる

1404年 日明貿易始まる(足利義満)

1402年 アンゴラの戦い

1407年

胡朝滅亡(第4次北属)

 

 

1416年

レ・ロイ、グエン・チャイなどが抗明闘争に起ち上がる

1416年 足利利持に対する上杉禅秀の乱

1419年 ドイツでフス戦争

1427年

1428年

明軍敗退

前期黎朝始まる

1427年 近江で「正長の土一揆」始まる、

1428年 京・奈良・伊勢・播磨・丹波に拡大

1429年 ジャヌダルク、オルレアン包囲破る

1433年

初代黎朝皇帝レ・ロイの死

1438年 「永享の乱」(上杉)

 

1442年

グエン・チャイ、第2代皇帝暗殺嫌疑で一族とともに斬首

1441年 「嘉吉の乱」第6代将軍・足利義教謀殺される

1453年 東ローマ帝国滅亡

1460

5代皇帝レ・タン・トン(黎聖宗)即位、ベトナム中興の祖、グエン・チャイ名誉回復

1467年 応仁の乱(~1477年)~1615年「大坂夏の陣」までの約150年間戦国時代

1492年 コロンブス、新大陸発見

黎朝は前期(14281527年)・後期(15331788年)の360年間に及びます。日本では室町時代から江戸時代(幕藩体制)の揺らぎが見え始めた18世紀末頃に当たります。

次号から幾度かに分けて、この時代を見て行きたいと思います。

(2022年6月22日、あかたつ)

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2022年6月21日 (火)

6月の三原地区、府中地区の「19日行動」

今月も三原地区・府中地区の「19日行動」の様子が、藤本講治さんと小川敏男さんから届きました。

三原地区

参議院選挙の公示日を前にした619日(日)、午後530分から三原駅前に19人が参加して定例「19日行動」を取り組みました。

司会者からロシア・プーチン政権のウクライナへの軍事侵攻という事態を受け、710日投開票で実施される参院選は、「戦争する国づくりに突き進むのか。だれもが平和で安心して暮らせる社会をめざすのか。今後の日本の進路が問われる重要な選挙である。」と冒頭訴えて、5人の弁士(政平智春さん・中西一夫さん・岡崎敏彦さん・高木武子さん・冨中豊彦さん)がリレートークを行いました。

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①岸田自公政権について、ロシアの侵略戦争に乗じて、「憲法9条改悪」「防衛費2倍増額」「敵基地攻撃能力保有」「核兵器共有」などを声高に主張している。また、自民党改憲草案(天皇の元首化、国防軍・戦力を持つ、為政者が決めた利益を中心にして自由と権利を制限する等)は、日本国憲法の三原則(基本的人権の尊重・絶対平和主義・主権在民)と真っ向から否定するものである。②核政策について、621日から23日にかけてオーストラリア・ウィーンに開催される核兵器禁止条約第1回締約国会議に被爆地広島県選出の岸田首相は、被爆者の切実な願いである核廃絶に背を向け日本は参加しないと表明したこと、平和国家への道に逆行する行為である。③私たちの憲法観について、今、世論調査で言われているのは憲法改正がにわかにトップにおどり出ようとしている。日本の憲法は、77年前のあの忌まわしい戦争体験の中から二度と戦争はしてはならない。人間らしく平和で安心して暮らせる国に作っていこうという考え方のもとで世界にはない憲法を日本は作ってきたことを改めて再確認し、世界の宝と言われる憲法9条をしっかり守っていくことが今、求められている。④私たちと政治について、再び戦争への道を歩もうとしている現政権に対して、私たちはNO!を突きつけようではないか。戦争は殺し殺されるものである。私たちの生活は政治によって動かされることを考えていこう。私たちが選んだ政治家・政党が政治を行う。良くも悪くも私たちの代表である。そのことをしっかり考えて選挙に臨んでいこう。⑤経済政策について、物価が値上がりしたにもかかわらず年金は下がっている。労働者の賃金は上がらない。一方で財界の貯蓄は、過去最高の500兆円になろうとしている。こうした不平等な問題に政治がメスを入れなくして国民の理解は得られない。このことを確認して私たちの側に立つ政治家・政党の議席を増やしていくことが重要である。

などを訴え、改憲勢力に3分の2議席を許さないという声を街頭からあげていきました。

藤本講治

府中地区

安保法制に反対する府中市民の会は、19日(日)の午後330分から上下町のAコープ前と、5時から天満屋府中店前で、30分間スタンディングとリレートークを行いました。参加者はどちらも10名でした。

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上下町Aコープ前

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府中天満屋前

スタンディングでは、「敵基地攻撃能力は憲法違反!平和外交を」「防衛費倍増より賃金引上げを!」「平和のため選挙に行こう!」と新しく3本の横断幕を作成しました。

リレートークでは、みなさん、自民党の安全保障調査会が政府に提言した①専守防衛の変更、具体的には「敵基地攻撃能力」という名称を「反撃能力」にして、今の憲法では専守防衛しかできませんが先制攻撃が出来る変更、②防衛費の制限をGDP比(国内総生産比)1%であったものを5年以内に倍の2%に引き上げる変更、③外国に武器を輸出して防衛産業の利益を拡大するため、武器輸出の制限を取り払う変更、について多くの人が発言しました。

特に、防衛費の引き上げ額は5兆円で今までのと合わせて約11兆円となり、周りの国に脅威を与えることになる。それよりは食料や電気・ガスの値上がりで苦しむ国民の生活に使われるべきだという発言内容が多かったです。

日曜日ということもあって車の中から手を振ってくださる方が多かったです。

小川敏男

【編集後記】明日から、参議院選挙がスタートします。二地区の訴えが実るように、それぞれの持ち場で頑張りたいと思います。

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2022年6月20日 (月)

ベトナムの歴史(その12-1)

レ・ロイとグエン・チャイによる抗明闘争の歴史的意義

  前号(その11)で1427年にレ・ロイ黎利が中国の明に滅ぼされた胡王朝の官吏だったグエン・チャイ)を参謀役に、20年間にわたる明との戦いに勝ったことを紹介しました。植民地兵として狩り出されたベトナム兵を加え圧倒的な明軍に苦戦を強いられながらも次第に盛り返していきます。そこには何よりも絶えず民衆を大切にする姿勢と、敵軍兵士の被害にも配慮しながら「敵の城を征服するよりも心を征服したほうが良い」というグエン・チャイの崇高な「救国の戦い」の理念がありました。その姿勢が民衆の圧倒的な支持だけでなく、明軍に組み込まれたベトナム地方軍の寝返りやレ・ロイ軍への参加を促したのです。

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解放戦争を闘うベトナムの人々

人民に依拠して抗明闘争を闘い抜いたその思想と経験が、その後の抗仏闘争(1946~1954年)とベトナム戦争(1955~1975年)の勝利に生かされ、1976年の悲願の民族統一につながっていきます。

「明を平らげ天下に告げる書」

レ・ロイ軍の決定的優位な戦局になった1426年、明軍はレ・ロイ軍に和議と安全な撤退の保障を申し入れます。孤立した明軍を徹底的に討ち取り、過酷な植民地支配と数多の犠牲の仇を討つことを主張する将軍もいました。しかし、グエン・チャイは「復讐したいのは世の常だが、相手が降伏したのに殺すのは良くない」とレ・ロイに進言し、道路や橋を修復し、500隻の船、沿道に食糧を用意し8万6千人の明軍を送り返したと伝えられています。

1428年、レ・ロイは陳朝の流れを汲む陳嵩(チャン・カオ)を安南国王に据えますが、チャン・カオは何の功績もなく王に就いたことを恥じて逃亡してしまいます。こうして1428年4月にレ・ロイによる前期黎朝が建てられ、グエン・チャイは内務大臣に就任、「明を平らげたことを天下に告げる書」として『ビン・ゴ・ダイ・カオ』(平呉大誥)という詩を著します。

(2022年6月20日、あかたつ)

【編集者】あかたつさんから届いた「ベトナムの歴史その12」は少し長めの原稿でしたので、二回に分けて掲載することにしました。つづきは、22日に掲載します。

オーストリア・ウィーンで、明日から開催される「核兵器禁止条約第1回締約国会議」に原水禁国民会議から秋葉さんが参加されています。その様子は、ヒロシマの心を世界にに報告されています。

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2022年6月19日 (日)

広島平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会、最後の要望書を提出して活動を終了

広島市が、2017年に「平和公園内の旧中島地区の被爆遺構の展示」を決めて以降、より良い遺構展示となるよう市民の意見を反映させたいとして同年4月に発足した「広島平和記念公園被爆遺構保存を促進する会」(以下「促進する会」)は、昨日午後2時から原爆資料館メモリアルホールで、総会を開催しました。

総会に先立ち、かねての懸案であった鈴木康之先生(広島県立大学教授)の記念講演「被爆遺構展示館の意義と課題」を聞きました。

その後総会が行われ、事務局を担ってきた多賀俊介世話人代表から、これまでの経過の報告と今後の会の進め方「広島市に最後の要望書を提出し、促進する会は今日で解散する」が提案され、全体で確認し総会を終了しました。参加者は、40人でした。

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ここ2年余り、コロナ感染のため、会員全体で討論する場を持つことはできませんでしたが、7人で構成する世話人の会議は、この間52回開催し、その都度提言や要望をまとめ、広島市と協議を重ねてきました。残念ながら、展示されることになった遺構が、あまりにも小さいことや住んでいた人の特定など、課題は残りましたが、一定の役割を果たしたと思います。以下に総会で確認された、広島市長あての要望書を掲載します。


旧中島地区被爆遺構展示整備事業への取組に対する要望書

 貴職におかれましては、平和行政、とりわけ核兵器廃絶実現のために、日夜ご尽力されていますことに心から敬意を表します。また、常日頃から提唱されている「迎える平和」に繋がる平和記念公園における旧中島地区被爆遺構の展示整備事業にも取り組まれてこられたことに感謝申し上げます。

 さて、本年3月26日に「被爆遺構展示館」が正式オープンしました。初めての被爆遺構保存・展示事業として市民の期待は高く、当会は2017年の設立時より、良い物になるよう繰り返し市に提言を重ねてきました。しかし、多くの課題が残されました。今後は、この課題の解決にしっかり取り組んでこそ、この「被爆遺構展示館」建設の意義が高まると考え、以下要望いたします。

1、当会が当初から求めてきた「被爆遺構展示館」の場所にあたる所の元住民の特定については、市もその必要性は感じていると伺ってきています。特定について引続き努力し経過を随時明らかにして下さい。そのためにも、当会が提供した資料をきちんと評価し活用するようにして下さい。

2、被爆遺構展示館」開館から約3か月が経過していますが、来館者が多いとは言えない状況であると思います。歴史的に初めてのこの施設の評価をいっそう高めるためにも市民の声を引続聞き、来館者が増える努力を続けてください。そのためにはこの施設を所管する平和推進課が、平和記念資料館など他の近隣施設と所管を超えて連携を深める努力を積極的に行って下さい。

3、当施設の整備に関わった考古学専門の懇談会委員から、今後の永続的な施設管理体制の構築が重要であるとの指摘があります。これまで他の施設で、完成したもののその後の管理体制が不十分なため貴重な遺産が損なわれた例が多くあるとのことです。これから世界中の方が、また次世代の方が来館されることを念頭に、しっかりした施設管理体制を作って下さい。

多くの人たちが訪れ、少しでも被爆の実相に触れることのできる「被爆遺構展示館」となるよう広島市のさらなら努力が求められています。


広島県原水禁は、この問題には資料館下の発掘で被爆遺構が確認されてすぐに、広島市長に保存を求めてきました。その経緯があり、私も「促進する会」に参加し、世話人の一人として活動してきました。

 いのちとうとし

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2022年6月18日 (土)

無残にもおられてしまった被爆者の森のライラック

今年3月に植え直された石川県のアスナロの木が、無事に成長しているだろうかと、久しぶりに平和大通りの被爆者の森を訪ねました。

アスナロの木は、元気な姿で、緑の葉を繁らせています。

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無事に成長していて良かったなと思いながら、昨年の3月に植樹された北海道のライラックの木がどんな様子か見に移動しました。

ライラックの木が植えられていた場所に移動しました。このあたりだと思っていた場所にライラックの木を見つけることができません。自転車に乗って移動していましたので、見逃したのかなと思い、自転車をとめて周りをもう一度探しました。

目に飛び込んだのは、無残な姿で横たわるライラックの木です。

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まさかと思いましたが、木を支えるための支柱にライラックを結びつけるために取り付けられた棕櫚がきちんと残っていますから、間違いなくライラックの木です。

根元から折れて、放り投げられています。

写真では少し見にくいのですが、一番上の方にやや萎れていますが、葉が残っています。まだ緑色を残していますので、折れてからそんなに日数はたっていないと思われます。

根元部分が残っていないか丁寧に周囲を見ましたが、かけらも残っていません。

被爆者の森の木であることを示す表示板も見当たりませんでした。

なぜ折れたのか、原因は想像するしかありませんが、自転車などでぶつかって折れたようには見えませんので、誰かのいたずらとしか考えようがありません。

4月13日のこのブログライラックの花が咲きました―被爆者の森: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介したように、昨年3月に植樹され、元気に育ちきれいな花を咲かせていただけに、非常に残念です。

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すぐに広島市中区維持管理課に連絡を入れました。植樹の時期を過ぎていますので、2023年3月までは新しい木を植えることはできませんが、しっかりと植え直してほしいと思います。そして他の樹木と比べると小さな木でしたので、木を保護するため、柵などを設けるなど何か対策が必要な気がします。

いのちとうとし

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2022年6月17日 (金)

被爆77周年原水禁世界大会広島県実行委員会を結成

被爆77周年原水禁世界大会広島大会を成功させるための広島県実行委員会の結成総会が、昨日午後6時より、自治労会館で開催されました。

原水禁世界大会は、被爆75周年、被爆76周年の2年間にわたり、コロナ感染拡大の影響で、オンライン集会を余儀なくされてきましたが、今年は従来通りの対面方式により開催するという方針で、準備が進められてきました。

少し遅くなったのですが、昨日「被爆77周年原水禁世界大会広島県実行委員会」が無事結成され8月4日から6日まで開催される広島での大会を成功させることを誓い合いました。

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総会では、まず今年の大会の意義を次のように確認しました。

「被爆77周年にあたって、2021年1月、核兵器禁止条約が発効され2022年6月には第1回の締約国会議が開催され、世界は核兵器廃絶に向けて一歩を踏み出すはずでしたが、本年2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻によって核兵器保有国による侵略、そして核兵器を含む大量破壊兵器の使用を威嚇の材料にするなど、世界の人々の思いとは逆行する新たな核兵器拡散のきっかけとなることが危惧されます。

わたしたちは、改めて核兵器廃絶・脱原発・平和と民主主義を守る取組みについて発信し、ともに学び合い、『核も戦争もない平和な21世紀を!』めざして、活動を強化していきます。」

確認された広島大会の主な日程は、次のとおりです。

8月4日(木)

15時40分資料館前出発 折鶴平和行進

17時から18時30分  開会総会 グリーンアリーナ

8月5日(金)

 9時30分から12時30分 6分科会 県民文化センターほか

 フィールドワーク ・大久野島バスツアー

          ・西松安野中国人強制連行・被爆の歴史ツアー

14時から16時30分 4つのひろば

8月6日(土)

9時30分から10時15分 閉会総会 県民文化センター

 10時30分から12時30分 国際シンポジウム 県民文化センター

 

世界大会前段として取り組まれる平和行進も従来通り実施することが確認されました。

東部コース 7月27日岡山から引き継ぎ

西部コース 8月1日山口から引き継ぎ

北部コース 7月30日庄原出発

いずれも8月3日午前中に平和公園慰霊碑前に到着します。

この他、大会の詳細は、逐次このブログでも紹介します。

実行委員会結成総会の冒頭、広島県で選出された第25代高校生平和大使

・荒川 彩良(あらかわ さら)県立広島国泰寺高等学校 3

・岡本 依純(おかもと いずみ)県立広島高等学校 2

・西川 繭可(にしかわ まゆか)広島大学附属福山高等学校 1年(学校の都合で欠席)

の決意表明がありました。

いのちとうとし

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2022年6月16日 (木)

道路距離表示の不思議

国道54号線は、広島市中区大手町4丁目7番(市役所前交差点)から松江市雑賀町(相生町交差点)までの171.2kmです。ただ、島根県松江市宍道町の宍道交差点から東は、国道9号線と重複していますので、実質延長距離は、154kmです。これらの数字は、国土交通省中国地方整備局国道事務所に電話で問い合わせて教えていただいたことです。

国道事務所に電話をしたのはちょっとしたきっかけがあったからです。

国道54号線の起点となっている市役所前交差点の北西角のJAビルの前の歩道上で、こんな道路距離表示を目にしました。

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この黄色の道路距離表示の上段の小さな数字が、キロを表し、真ん中の大きな数字は、100メートルを表しています。

気になるのは、上段の「-1」です。スタート地点を表す距離表示のはずなのに、なぜかマイナスの距離表示になっています。

気になったので、電車通りをずっと北上して100メートルごとに設置された距離表示板を探していきました。少し行くと上段のマイナスの数字は、1から0に代わりましたが、依然として「―」の表示が付いたままです。

マイナス0.3キロの表示から、表示板の形がスマートな形に変わりました。

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一番上に国道54号線を示すマークが表示され、地名も書かれています。上段の数字の右横にキロを示すKの文字が書かれています。

マイナス表示の最後の一枚です。

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シャレオの地下街を通り抜けてそごう前に出ました。

バスセンターの降車場からの下りエスカレターの出口でようやく「ー」表示のない距表示示板に出会います。

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国道事務所に電話で問い合わせたのは、「なぜ、『-』距離表示板があるのか?」でした。

その答えは、次のとおりです。

「54号線が一級国道となった昭和40年(1965ねん)頃の起点は、紙屋町の交差点だったので、ここが起点となって距離表示されていました。昭和43年(1968年)に市役所前交差点まで延長されたのですが、ここを起点にした距離表示にすると、全部の距離表示板を作り変えなければならないので、紙屋町から市役所前交差点までは、マイナス表示で距離を示すことになりました。」

これで何となく納得です。

ところで市役所前交差点の西南角の歩道にも距離表示板があります。

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これは、国道2号線の距離表示板です。この表示板、よく見るとちょっと面白い表示だということに気づきます。100メートルを表す中段の数字は、1から9までの1桁だけですが、「1.1」と、2桁の表示になっています。その理由は336キロ100メートルの地点が、ちょうど市役所前交差点の真ん中になるため、そこに表示板を取り付けることができませんので、少し西側に移動した場所に設置したため、正確な距離数を表示するため、2桁になったのです。他ではほとんど目にすることのない珍しい表示だと思います。

大阪北区の梅田交差点から北九州市門司区の老松公園前交差点までの国道2号線は、延長672.3kmのようですので、広島市役所前交差点は、ちょうど中間点になります。

調べながら、ちょっと不思議な気持ちになりました。

いのちとうとし

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2022年6月15日 (水)

2022.6月のブルーベリー農園その2

初夏、麦秋、そして夏至は621日。ブルーベリー農園の周囲では出会いがしらバタバタ飛んでいくオスのキジに驚かされ、耳にはホトトギス、目にはところどころに麦畑の茶色が青葉に交じって人目をひいていて、空はどんよりした天気で、漂う香りはほとんど感じられないという様子。6月も身体に違和感はなく(腰が苦ることを除いて)農園のある東広島市豊栄町に安芸区の自宅から車で週末農業に通っている。そして、早生のブルーベリーが色づき始めてきたので里山のブルーベリー園の一部に防鳥ネットを張った。暑かった。

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68日(水)ため池にさくコウホネの黄色い花

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611日(土)農園の花壇のジャーマンアイリスの中に咲いたのは花ショウブ。池のショウブも花穂が出てきた。

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畑のブルーベリーの実。晩生なので色づくのはまだ50日くらい先。名前はティフブルー。

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里山のブルーベリー園の周辺に一株シモツケを植えている。枯れないですこしずつ大きくなっている。

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612日(日)昼ご飯を食べてから農園近くの麦畑を見に行く。ここだけは麦秋の景色。手前の畑の右に交じってピンクの色の部分はイヌタデの花。向こうの集落がメイン通り。

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反対方向の左の山すそがブルーベリー農園あたり。小麦の供給不足から世界的に値上がりが著しい。農家は少なくなるばかりでも作れる畑はこの国でもあるのだが、ないのは食料の自給力向上の農業政策。それより稲や麦の実る風景はほっとした安心感を与えてくれる。

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防鳥ネットを張る。場所は早生のブルーベリーを植えている里山西側の林のそば。前日に柱や支持線の調整を行い、昼を挟んで午前と午後に作業を行う。

① ネットを里道に沿って幅と山側谷側の方向を確認して

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② 柱にネットをのせてから、先を丸くした突き棒で支持線に沿って押していく。

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③ ネットを張った後は裾から鳥が入らないように竹と敷いて、柱のところでネットを麻の紐でくくる。あとはネットの破れを直して完成。

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④ 防鳥ネットの中の熟れ始めたブルーベリー。本格的に色づくのは6月末あたり。

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1本だけ庭の花壇に実るのはこの地方でいうぶいぶい。全国的にはグミ(茱萸)。例年になくたくさんなっているので摘み取って持ち帰り夕食でつまむのだが、私だけ朝食でヨーグルトに入れて食べてみた。種は邪魔だが特有の渋みがちょっとだけ緩和されていた。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年6月14日 (火)

G7サミットで核保有国と非核保有国との橋渡し?

最近の「G7サミット広島開催」のローカルニュースの中で、気になることを耳にしました。

G7サミットには、核兵器保有国が3カ国、非保有国が3カ国(日本を除いての意味だと思うが)参加する。岸田首相は、常々『日本政府は、核兵器保有国と非核兵器保有国の橋渡しをする』と言っているので、このG7サミットでそのことを実現してほしい」

私の聞き間違いであればよいのですが。これを聞きながら、ちょっと待ってくださいと言いたくなりました。それは、現在のG7サミットの参加国の核兵器状況を見ると、単純に核兵器保有国、非核兵器保有国と割り切ることはできない現実があるからです。

確かにG7サミット出席国で、核保有国とされているのは、アメリカ、イギリス、フランスの3カ国だけです。

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しかし、最近の日本国内の「核共有」発言でも例示国として紹介されていますが、ドイツは核保有国ではありませんが、2009年11月現在(今もそのままこの政策は継続していると思います)、同じG7の国イタリア、そしてベルギー、オランダ、トルコなどと共にNATO加盟国としてアメリカの核兵器を受け入れている国です。

まさに核共有(ニュークリア・シェアリング)国です。もちろん、配備されているのはそれぞれの国にある米軍基地ですが。

これは、NPT条約(核拡散防止条約)に違反することは明確ですが、とりあえず今日はそのことはおくことにします。

問題は、こうしたドイツやイタリアを「日本政府が橋渡し役をするための非核兵器保有国」として考えてよいのかということです。私の考えは、当然NOです。

日本政府の言う「核保有国と非核保有国の橋渡し」の対象となる非核兵器保有国は、核の傘や核抑止論に頼っていない国々のことでなければならないはずです。それらの国々こそ、核兵器禁止条約の成立に努力し、国連での同条約採択に賛成し、そして進んだ国では署名・批准を行い、真に核兵器の廃絶を願い、活動をしているからです。

来年のG7サミット広島開催が決まり、被爆地出身の岸田首相を「よいしょ」するあまり、この国際社会の現実に目をつむった報道があってはなりません。

私は、G7サミットに賛同しているわけではありません。しかし、広島で開催するのであれば、核保有国の首脳のみならず、核兵器禁止条約への署名批准を拒否している他の出席国3カ国の首脳も同様に広島の原爆被害の実相にしっかりと向き合うような日程が組まれるべきです。多くの広島市民が期待しているのは、そうしたことが目に見えるG7サミットの広島開催だと思います。

そのことを繰り返し情報発信する事こそが、広島のマスコミの役割だと思っています。

いのちとうとし

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2022年6月13日 (月)

高校生平和大使のフィールドワーク

昨日12日は、第25代高校生平和大使の広島での活動の二日目で、午前中いっぱいをかけて平和公園のフィールドワークと原爆資料館見学で研修を深めました。

どんなフィールドワークになるかちょっと興味を持ちましたので、私も集合時間の午前8時30分に資料館前に行きました。

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この日の行動予定が改めて確認され、全員で原爆死没者慰霊碑前に移動します。

原爆死没者慰霊碑前では、全員で黙とうをした後、一人ひとりが献花をしました。

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そして、原爆死没者慰霊碑前での集合写真撮影。

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いよいよ5班に分かれてのフィールドワークの開始です。私は、広島の高校生平和大使経験者が案内役を務めるC班に同行することにしました。

まず訪れたのは、原爆供養塔です。

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続いて、原爆ドーム対岸に立ち原爆ドームの解説です。

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相生橋を渡って、原爆ドームまで移動。その後、動員学徒慰霊塔を訪れました。なぜ、ここなのかちょっと疑問を感じました。

元安橋を渡って、原爆の子の像へ移動し、佐々木禎子さんの話など由来の説明。みんなが鐘を撞きました。

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次は、中島本町の復元地図と平和の観音像。私も、復元地図がどうやって作られたのかを少し説明しました。次は、韓国人原爆犠牲者慰霊碑ですが、別の班がいたため、慈仙寺跡の墓石を見学しました。

そして、フィールドワークの最後となる「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」です。

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10時35分、フィールドワークは終了です。

1時間半近くの時間でしたが、もう少し工夫があってもよかったかなと感想を持ったフィールドワークでした。

その後全班が、再び原爆資料館入口に集まり、高校生平和大使は、資料館に入り資料館を見学しました。全体がタイトな日程ですので、この資料館の見学も約1時間余り。少し時間が足りなかったのではと思われます。

資料館見学の後、まとめが行われ解散しました。

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二日間の広島滞在。もう少し時間があればと思うのですが、全国から集まるのですからどうしても時間の制約を受けます。この短い時間の中で、どんなことを学んだのか、そしてそれがこれからの高校生平和大使の活動にどう生かされるのか、今後の活躍を期待したいと思います。

いのちとうとし

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2022年6月12日 (日)

第25代高校生平和大使の結団式

全国で選ばれた第25代高校生平和大使の結団式が、昨日午後1時30分から広島の自治労会館で行われました。

結団式には、今年全国1道1都2府13県(北海道、岩手、福島、東京、神奈川、新潟、静岡、京都、大阪、兵庫、奈良、広島、福岡、佐賀、熊本、大分、長崎)で選出された31人の高校生平和大使とそれを支えるサポーターのみなさんが集まりました。公募に応じた高校生は、全国で約600人でした。6月に結団式が行われるのは、3年ぶりのことです。この結団式から、その年の高校生平和大使の活動が始まりますが、昨年は、ようやく12月になって実施されました。

第24代高校生平和大使の高橋菜乃果さん(広島)の司会で始まった今年の結団式は、最初に高校生平和大使派遣委員会共同代表の小早川健さんが、広島での選考会の模様などを紹介しながら開会のあいさつ。続いて来賓5人のあいさつ。私も広島県原水禁を代表したあいさつをしました。

これであいさつは終わり、続いて、被爆者で元原爆資料館館長の原田浩さんから「被爆の実相を伝える」と題した記念講演。原田さんには、昨年も講演をしていただきました。

原田さんの講演が終わると、休憩をはさんで高校生平和大使派遣委員会共同代表在間秀和さんから一人ひとりに「高校生平和大使認証状」が手渡され、正式に第25代高校生平和大使が誕生しました。

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その後、一人ひとりが決意を表明。一人2分の持ち時間ですが、それぞれの思いがこもった決意が表明されました。今年は、ウクライナ問題を多くの高校生が取り上げたことが特徴的でした。その後、共同代表に平野伸人さんが、これまでの経験を交えて高校生平和大使が果たすべき役割をレクチャー。平野さんは、高校生平和大使の育ての親ともいえる人です。その後、6月21日から23日にオーストリア・ウィーンで開催される「核兵器禁止条約第1回締約国会議」に参加する第24代高校生平和大使・近畿大学付属広島高校福山高3年の大内由紀子さんが、決意を表明しました。

最後に閉会あいさつがあり、結団式を終了しました。

2日目となる今日は、朝から平和公園を中心にフィールドワークを行い、正午過ぎに解散することになっています。

1998年5月、核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドとパキスタンが相次いで核実験を強行し、被爆地の市民は核拡散に危機感を募らせ、「長崎平和大集会」に参加する約50の平和団体が、被爆地広島・長崎の声を世界に伝えるために未来を担う若者を国連に派遣したことが、高校生平和大使のスタートです。現在のように長崎県以外でも高校生平和大使が選ばれるようになったのは、2005年以降で、少しづつ全国に広がり現在の17都道府県に広がりました。

この1998年と1999年の2回は、ニューヨーク国連本部への派遣でしたが、2000年第3代高校生平和大使から、軍縮会議が開かれるスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問し、高校生一万人署名活動で集めた署名を届けています。高校生平和大使のホームページによれば、「1万人」という数字は、当初は、高校生だけの署名を集めることを考え、当時の長崎の高校生に人数は、1万人ぐらいだろうということで、「高校生1万人署名」となったそうです。現在では、長崎だけでなく、高校生平和大使のいるすべての都道府県で実施されています。

毎年夏休みの時期に行われていた国連欧州本部への訪問は、この2年間コロナの影響で、実施できませんでしたが、現在のところ今年は、3年ぶりに実施されることなっています。

いのちとうとし

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2022年6月11日 (土)

広島県の2022年第25代高校生平和大使

第25代となる今年の広島県の高校生平和大使は、県立国泰寺高校3年の荒川彩良(さら)さん、県立広島高校2年の岡本衣純(いずみ)さん、広島大付属福山高校1年の西川繭可(まゆか)さんの3人が選ばれました。

広島県では、4月14日に公募での参加呼びかけを開始し、締切日の5月6日までに、49人の応募(うち3名は、選考会に欠席)がありました。その後6月4日の選考会を経て、この3名が今年の高校生平和大使に選ばれ、6月8日広島市役所で記者会見を行いました。

6月4日に行われた選考会では、行事予定への参加の可能性や平和大使に応募した動機など3項目にわたる事前の調査表への回答や一人2分間のスピーチによる第1次選考で14人が選ばれ、その後面接が行われて、3人が選考されました。

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左から荒川さん、岡本さん、西川さん

 事前の調査表にはそれぞれの熱い思いが書かれていますが、その中で今回選ばれた西川繭可さんの応募動機の一部を紹介します。

「小学校5年生の平和学習で、語り部の方から戦争体験や被爆体験を聞く機会がありました。私よりももっと小さいころの体験を今でも涙を流しておられる姿に、私が戦争を恐れるより何とかして思いを受け継がなければ、未来を変えるために行動しなければいけないという気持ちが芽生えました。その時、私と同じ小学校の先輩が、高校生平和大使になったおられることを教えてもらいました。〝微力だけど無力じゃない“と訴え続ける平和大使の活動に、これなら私にもできるのではないかと確信し、5年越しの思いで応募しました。」

こんな強い思いを持っている西川さんですから、必ず高校生平和大使として、がんばってくれるものと思います。もちろん他の二人にも同じ期待をしていますが。

選ばれた西川さんと岡本さんは、被爆4世ですが、今回の応募者の中には、その他にも被爆3世が5人、4世が7人いました。

高校生平和大使の歴史や今年の活動などについては、今日午後から広島で行われる全国の代表の結団式の報告で紹介したいと思いますが、今年は長崎市で初めて高校生平和大使が誕生してから、25周年にあたります。

ですから高校生平和大使の活動は、1998年に始まりましたが、広島県の代表が初めて選ばれたのは、2005年第8代高校生平和大使からです。広島県の最初の高校生平和大使は、当時三原東高校の3年だった西迫駿さんでした。第8代高校生平和大使としては、神奈川県の高校生も選ばれており、翌年からは長崎県以外からも高校生平和大使が誕生しましたが、広島県からは、しばらくの間途絶えていましたが、2011年(第14代)になって、可部高校3年の下岡美都穂さんが選ばれて、ようやく復活し、現在に続いています。

これまでの広島県の高校生平和大使は、独自の行動と共に私たち原水禁運動の様々な活動にも参加し、大きな役割を果たしてきました。若い高校生の原水禁運動への参加は、私たち原水禁の活動にとっても大きな力となっていますので、第25代に選ばれた3人の高校生平和大使も、様々な場で活躍してくれるものと期待しています。

いのちとうとし

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2022年6月10日 (金)

電力会社、自治体の共通な体質

6月2日、島根県の丸山達也知事が県議会の場で島根原発2号機の再稼働に同意を表明しました。原発への武力攻撃、避難、使用済み核燃料問題など山積みの問題の解決策が無い状況の中でです。

 午前10時から始まった議会、丸山知事は45分間にわたって同意に至った理由を説明しました。

 「不安のない生活をするには原発はないほうがよく、なくしていくべきだと私も思います。一方で、必要な電力は供給される必要がある。現状では原発が一定の役割を担う必要があると考えます」「県民の皆さんに不安や心配が残るものであり、苦渋の判断です」と述べました。

 「原発はないほうがよい」「苦渋の判断」とまで語るのなら、なんで「(再稼働は)認めない」といえないのでしょうか。『県民の健康と安心』に責任を持つ県のトップとしては、巧妙な責任回避だと思います。

 島根原発のことを「原子力発電所」ではなく「政治力発電所」と表した、鎌田慧さんが書かれた『日本の原発地帯』という本があります。僕も『原発スキャンダル』という本でそのことを書きましたが、政治に翻ろうされ建設が行われ、B型(沸騰水型)原発の再稼働トップを政治的な策略の中で行われようとしていることを感じます。

 それも7月に実施される参議院選挙より以前に、自治体としての手続きを終わらせておき、選挙の争点になることを避けたいというミエミエの思惑が感じられます。これでは世論が、原発への信頼を持つはずがないでしょう。

 いっぽう5月31日、札幌地方裁判所は北海道電力泊(とまり)原発の運転を差し止めるという判決を出しました。この判決について、原子力規制委員会の審査が実施中で、その判断が行われていないのにという疑問をいう人もいます。

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 考えて欲しいのは、原発を建設し運転をしたいのは、あくまでも北海道電力という事業者です。北電は泊原発が原子力規制委員会の審査中という言い訳で、いたずらに裁判を長引かせ規制委の審査にも非協力で、事業者としての体質というか資質に無責任さを感じていました。「規制の虜(とりこ)」という言葉がありますが、特に福島第一原発事故までは電力会社には、規制の仕事をする行政機関を馬鹿にする体質が強くありました。

 泊原発については原子力規制委員会も審査の中で、原発の直下に活断層があるとか、津波対策が不十分だとか、火山の危険性など問題点の指摘は行いますが、「廃炉にしなさい」というような判断を出さないという無責任体質もあります。

 あの大戦について、「総括しない」「反省しない」「責任取らない」という「3ない主義」がいわれ、最近の時世では「今だけ」「金だけ」「自分だけ」という「3だけ主義」もいわれています。

国も原子力規制委員会も自治体も電力会社も、「3ない主義」「3だけ主義」がまん延しているのではないでしょうか。

木原省治

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2022年6月 9日 (木)

シンポジウム「クルド」その2

7日に紹介した「シンポジウム『クルド』」のつづきで、パネルディスカッションを通じて知ったことです。

トルコに住むクルド人のセルダン・ジャーナンさんとイルファン・アクタンさんは、この春京都大学のプロジェクトの活動に招かれて来日し、埼玉県の蕨市、川口市を中心とする日本のクルド・コミュニティで、フィールドワークを行っています。

この二人が、広島を訪れることになったのは、イラクのフセイン体制下で、クルド人の街ハラブジャが毒ガスの攻撃を受けた悲劇を原爆の悲劇に重ね合わせて広島を訪問したいという二人の強い希望があったからだったようです。「だったよう」というあいまいな言い方をするのは、最初の趣旨説明を聞いていないからです。

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パネルディスカッションは、東さんの「セルダンさんの歌は、胸に突き刺さるものでした。音楽は、国境があってもそれを乗り越えて、自分の中に入ってくる。禁じられた言語、禁じられた歌、しかし今日の演奏を聞いて歌の持つ力が強いことを改めて感じました。そして、クルドの人たちが、広島を思ってくれていることを今日はじめて私たちは、知ることになった」という話から始まり、途中で再びセルダンさんの歌声が入りながら、音楽の持つ力についての対話が進みました。残念ながら、少し難しくてメモを取ることができませんでした。最後の会場からの「広島に来られて朝鮮学校を訪問されたそうですが、その感想は?」との問いに答えたイルファンさんの話が強く印象に残っていますので、私がメモできた限りで紹介します。

「埼玉の在日クルド人のことを調べるために来たのですが、その中で在日朝鮮人のことを知りました。それはトルコのクルドと同じだと感じたからです。自分たちの言語が自由に語れない、文化を奪われることは大変なことです。

市民は、政府の言いなりになり、手段として使われないようにしなければなりません。トルコでも、トルコ人がクルド人のことで声をあげていたら、こうならなかったのではないか。今、日本人が在日朝鮮人のことで声を上げれば、在日朝鮮人が疎外された思いをすることはないはず。国家は、強大だがそれを築いているのは、私たち市民。国家を獣にするか優しいものにするかは、私たちの手にかかっている。

埼玉県の蕨を中心に日本に住むクルド人は、2000人、しかし政治の差別的な政策の下に置かれている。30年も暮らしているのに、居住権はおろか、就労するビザすら取得できない。『いるけど居ない』ということ。それは決して運命ではない。クルド人は自分ではかえられない。変えることができるのはあなたたちです。世界はどこにでも住む権利があります。日本に住むクルド人の仕事は、ほとんど解体の仕事。それは日本人がかかわらない危険な仕事です。しかし、権利は与えられていません。声を挙げなければならない。政府だけの問題だといえるのか?それは許されるのか?ぜひ周りの人にクルドのことを話してください。他人の苦しみに想像力を働かせることです。」

クルド人は、100年前に国が分割され、特にトルコでは、言葉も歌も文化も奪われている(現在は、法律では禁止されていませんが、実質的に、禁止されたと同じ状況)のです。

セルダンさんが希望することは、「トルコでクルド語が話せて、クルド語で歌えること」です。

クルド人がトルコで自分たちの国をつくりたいと運動していることは知っていましたが、言葉も歌も文化も奪われていることや日本にも2000人ものクルド人が住んでいることなど、ほとんど知らないことでした。

クルド人の民族音楽を聞きたいと思って参加したシンポジウムでしたが、クルド問題を考えさせられただけでなく、私たちの運動のあり方、市民社会のありようを学ぶ貴重な場となりました。

いのちとうとし

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2022年6月 8日 (水)

2022.6月のブルーベリー農園その1

気温が高くなってきた。安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園に週末に通っているが、5月は福富町の「湖畔の里福富」で安芸の郷がブルーベリーの苗木の販売をしているが、5月は一年中で一番よく売れる季節なので毎週立ち寄って苗木の補充も行いながら農作業を続ける。ブルーベリーの実が色づいた木が1本あった。初物を数粒頂く。

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62日(木)

ブルーベリー剪定の最後の追い込みなので一日休みを取って農園へ。早朝出発して朝7時前についた。

朝の農園周辺の風景から

① 田んぼ

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② 農園に着いたらキジと出会う。車の中からそっと撮影

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③ 里山東側の農園から眺め。薄く朝もやがかかっている。ホトトギスの鳴き声が響く。

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④ そのそばの木立の中のサンショ。実が少しずつ大きくなってきた。

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一人、昼ごはんの支度。農園の畑のスナップ、キヌサヤエンドウ豆をもいでくる。餅入りのうどんにするので新玉ねぎも入れて、みそ仕立てで食べたが、野菜が畑にあればとりあえずのおかずのきっかけになると納得。

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64日(土)農園の花壇から

① フランネルソウ。毎年顔を出してくれる。

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② バラ。親指と人差し指を丸めたくらいの大きさの花。ミミエデンという品種。

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③ 庭に咲いたユッカの花。大きい。随分久しぶりに咲いた。

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畑から。ソラマメを収穫。ついでに周辺の草取り。

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里山の西側のブルーベリー園から。品種名は不明だが早生のブルーベリーが1本だけもう色づいている。おいしかった。

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同じ場所の剪定をつづける。枝が倒れないように竹を立てて支柱にして、麻の紐でくくったりと時間がかかっている。でも来年はこの作業が少なくなるので楽になるはずだ。あと110本ほどでおしまい。

5日の日曜日は雨なので農園には行かなかった。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年6月 7日 (火)

シンポジウム「クルド」

4日(土)の午後4時から「シンポジウム・クルド」が、南区の広島市留学生会館で開かれました。

友人からの情報で知った私は、このプログラムの中の「演奏と歌」に興味を持ち、参加することにしました。

午後5時前まで、別の予定が入っていましたが、プログラムでは、午後4時15分から映画が上映され、演奏と歌は午後5時30分からとなっていましたので、この時間には間に合うと会場に行きました。会場に着いたのは、午後5時過ぎだったのですが、すでに演奏と歌は、始まっていました。後でわかったことですが、せっかくの機会なので、演奏と歌を充分に聞いてほしいということで、映画の上映は中止となり、最初から演奏と歌が行われたようです。

私が会場に入ってから演奏された曲は、「労働の歌」「嫁とりの歌」そして曲の名前の紹介はありませんでしたが、「楽しい歌で締めくくります」と紹介された3曲でした。

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演奏に使われた楽器は、クルド人の民族楽器3弦の楽器タンブールと胴の部分が少し丸く大きくなったバーラマです。

演奏者は、セルダン・ジャーナンさん。セルダンさんは、クルド各地をめぐり、クルド民謡・音楽を収集してきた研修者であり、民族音楽の専門家です。

私は、珍しいクルド人の歌が聞けるという安易な気持ちで参加したのですが、とんでもない勘違いをしていました。歌と演奏の後で行われたパネルディスカッションで、そのことを思い知らさることになりました。

クルド人は、約3千万人の民族ですが、その人々が住む地・国を意味するクルディスタンは、現在国家としては存在しません。1923年に結ばれた条約によって、クルド人の住む地域は、トルコ、イラク、イラン、シリアの四カ国に分割されています。

特にトルコで暮らすクルド人は、同化政策のもと、クルド人のアイディンティティが、否定され、長らく母語のクルド語もクルド音楽も禁じられてきました。

その中で、クルド語を語り伝えてきたのがデングベジュ(吟遊詩人)と呼ばれる人たちです。セダルさんが、収集し演奏し歌った歌は、このデングベジュと呼ばれる人たちによって、語り継がれたものですが、その伝えられたそれぞれの歌には、クルド人の歴史や物語があるのです。デングベジュの人たちが語り伝えることによって、クルド語そのものも伝えられてきたことになります。

セルダンさんが歌うクルド語の歌の背景には、そんな歴史があったのです。

私が聞いたわずか3曲の間(約15分)のセルダンさんの語りの中で、それを知ることができました。すでに45分間ぐらいの演奏が終わっていましたので、その間にはもっと貴重な話があったと思われます。

演奏が終わり休憩の後、広島在住の音楽評論家東琢磨さんの進行で、セルダンさんと、一緒に来日したというか、クルド人ジャーナリストのイルファン・アクタンさんの3人によるパネルディスカッションが行われました。そこで学んだことは、9日のブログで紹介します。

いのちとうとし

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2022年6月 6日 (月)

ヒロシマとベトナム(その32-2)

サポーターから奨学生に送られたメッセージを紹介します。

◇「初めまして、今年社会人になった娘のいる主婦です。娘はあなたより少し年上ですね。同じような年ごろの子どもを持つ親として、少しでも貴女(男)の学校生活が実り豊かなものになるように日本から祈っています。頑張れ!!そして、もっと上を目指してください」(56歳主婦)。

◇「世界の子どもたちの助けになりたい。これが以前からの私の夢です。高校1年と小学3年生がいます。子育ての最中で大変ですが、あと一人子ども(貴女・貴男)がいることを励みに働きます」(41歳・パート主婦)。

◇「人工透析を32年間続けながら2人の子どもを育ててきました。ベトナムは長い戦争時代を経て、現在めざましい発展を遂げ、私たちが育った少年時代によく似ています。平和で豊かな国になるよう頑張ってください。微力ですが協力させていただきます。」(66歳・男性)。

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オンライン授与式(2021年12月8日)

多方面で活躍している卒業生

毎年、直接子どもたちに奨学金を届けていますが、この2年間は「コロナ禍」のため訪問できていません。一昨年に続き昨年もオンライン授与式でした。フン校長のあいさつ要旨を紹介します。


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広島ベトナム平和友好協会から奨学金が授与され、喜びに満ちあふれています。少数民族の生徒たちの故郷は、クアンチ省でも特に貧困地域で、広島ベトナム平和友好協会からの贈り物は経済面だけでなく、心の支えになっています。

皆様方が与えてくれた愛情は、生徒たちや私たち教員のモチベーションを高め、学業で素晴らしい結果を達成するための努力に繋がっています。

奨学金を頂いた生徒たちは省内の文化優秀生・全科目優秀生・努力賞など、良い成績を修めています。特に奨学金を頂いている3年生は大学、短期大学に100%合格しています。また3年生の3名は技能実習生、留学生として日本へ行くことになっています。

大学や短期大学を卒業した生徒たちは、各地でエンジニア・医者・教師・技術者・薬剤師・労働者など、様々な職業で活躍し、故郷で少数民族村の建設に携わったり、村の役人になった者もいます。

 教職員、生徒・保護者を代表し、皆様方の継続的なご支援に感謝申し上げます。(2021年12月8日) 

子どもたちの“夢と希望”を叶え、可能性の扉を

9月に入学予定の「第14期奨学生」を支援していただくサポーターを募集しています。

ご理解いただきご協力くだされば幸いです。

◆支援先 クアンチ省少数民族寄宿高等学校

◆支援期間 2022年9月~2025年8月(3カ年)

◆支援金額 年間18,000円(月1,500円×12ヶ月)×3カ年=54,000円

◆お問合せ先 〒739-0024 東広島市西条町御薗宇6912

 一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会(HVPF) 担当:赤木達男(専務理事)

(電話)082-423-7235  (FAX)082-423-8060

(E-Mail)akatatu@d4.dion.ne.jp

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山畑で働く少数民族

次号(7月5日)では奨学生の故郷、少数民族村の暮らしを紹介します。

(2022年6月6日、あかたつ)

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2022年6月 5日 (日)

ヒロシマとベトナム(その32-1)

少数民族の子どもたちへの奨学支援

クアンチ省の少数民族寄宿高等学校に学ぶ子どもたちに奨学支援を始めて14年目、現在、今夏入学予定の「第14期奨学生」を支援していただく「第14期サポーター」、20名を募集しています。支援金額は、月1,500円(一日当たり50円)=年間18,000円の奨学金を2025年の卒業までの3カ年(合計54,000円)支援していただくもので、基本、年単位で振り込んでいただいています。

これまで260名の子どもたちを支援し200名が卒業。現在、第11期(3学年)・第12期(2学年)・第13期(1学年)の60名が勉学に励んでいます。下のグラフは少し古いですが2018年までに卒業した140名の進路です。

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卒業生の進路

大学進学が69名と最も多く57.1%、政府機関で働くための専門学校や人民公安短期大学などを含む専門学校が10名で7.1%。就職が同じく10名、韓国で働く1名を除きホーチミンなど南部地域で就職しています。大学進学の殆どが国立および公立が占めているのは、学力優秀かつ学習態度や生活態度が良いにもかかわらず、経済的困窮のため高等学校に進学できない子どもたちが選ばれていますから、みな優秀です。ちなみに奨学生は少数民族の村役場が推薦し、クアンチ省の教育訓練局(日本の県教育委員会に当たる)が決定します。

その基準は、1)成績が優秀、2)家庭の理解、3)品行方正、4)クラスや学校に好影響をもたらす子どもとされています。いくら成績が良く品行方正であっても、貧困に喘ぎ子どもを貴重な労働力とせざるを得ないのが少数民族の暮らしです。ですから、家庭の理解がなければ寄宿高等学校に入れません。

暖かいサポーターに支えられ14年

奨学生とサポーターが期毎に「サポート縁組」を結びます。これまで(第1期~第13期)の260名を支援していただいたのは235名。内訳は男性141名、女性82名、法人・団体12名です。

〔260名の奨学生に対しサポーター235名? ・・・・・〕  そう、充足していません。

不足分は基金を充当しながら何とか継続していますが、「コロナ禍」の影響もあり、サポーター登録が定数に達せず課題になっています。

下表とグラフはサポーターの地域分布です。県内14市町に加え島根県や遠く長野県からも寄せていただいています。サポーターのほぼ半数は広島ベトナム平和友好協会(HVPF)が事務所を置く東広島市と2番目の広島市を加え7割です。

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サポーターの平均年齢は62.8歳、年金生活者が61%とほぼ3分の2を占め、働いている人が32%、自営・法人関係が7%です。

明日は、サポーターから小学生へのメッセージを紹介します。

(2022年6月5日、あかたつ)

【編集者】「ヒロシマとベトナム32」は、あかたつさんの了解を得て、明日つづきを掲載します。

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2022年6月 4日 (土)

6月の「3の日行動」

戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会は、昨日(3日)午後5時30分から1時間、本通電停前で6月の「3の日行動」を実施しました。5月の「憲法記念日の集会」を実施したため、街頭でのアピール行動は、2カ月ぶりです。

今月のメインテーマは、「市民の命を救え ウクライナに平和を」「軍事費拡大に反対 憲法9条を守ろう」です。

訴える主なテーマは、

  • 軍事費拡大に反対しよう!
  • ウクライナ侵略戦争をやめさせよう!
  • 核の傘ではなく核兵器禁止条約の早期批准を!
  • 敵基地攻撃能力論に反対しよう!
  • 憲法9条を守り平和外交に徹しよう!

でした。

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藤元事務局長の司会で始まったアピール行動は、6人の弁士が、それぞれのテーマに沿いながら、力強く訴えました。

主なテーマに加え、小野綾子さん(国際環境NGO350Japan中四国ネットワーク・オーガナイザー)が、「反原発と脱炭素社会構築の必要性について」のテーマでスピーチ。小野さんは初めての参加です。またアイ女性会議の貴田月美さんが、国民がほとんど知らないままに成立し、6月1日から一部施行されることになった「重要施設周辺及び国境離島等における土地の利用状況の調査及び利用の規制に関する法律」(略して「重要土地規制法」と呼ばれる)の問題点を指摘し、今後この法律の廃止を求めて県議会や広島市議会に請願を行う予定であることが報告されました。

私も「核兵器の廃絶」をテーマに、プーチンの「核使用発言」をめぐる世界や国内の政治の動き、特に「核共有」発言を批判し、「核兵器の脅威から逃れる道は、核なき世界をつくるしかない」ことを訴えました。特に今月は、核兵器禁止条約が発効(2021年1月)してから2回も延期を余儀なくされてきた第1回締約国会議が、ようやく6月21日から3日間開催され、本格的な協議が開始されますので、そのことに触れながら「世界の多くが核なき社会」を望んでいることを強調しました。「核兵器のない世界は自分のライフワークだ」と言いながら、核抑止論にすがり続ける岸田首相に期待することは出来ませんが、第1回締約国会議、そして8月に予定されるNPT再検討会議が、少しでも前進することを期待せずにはおられません。

昨日の参加者は、50名。来月3日は、参議院選挙期間中となりますので、「3の日行動」は、実施しないことにしています。

いのちとうとし

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2022年6月 3日 (金)

島根県知事の「島根原発2号機再稼働同意表明」に強く抗議する

丸山達也島根県知事は、昨日の島根県議会本会議において「島根原発2号機の再稼働の同意する」との最終判断を表明しました。

これまで、私たち中国5県の平和フォーラム・原水禁は、地元島根の「フォーラム平和・人権・環境しまね」を中心に、島根原発2号機を再稼働させないために、昨年12月末の松江市での総決起集会に始まり、1~2月の全国署名と取り組んできました。

さらにフォーラム平和・人権・環境しまねは、その署名をもとに3月には、島根県や中国電力に要請行動を行い、そして島根県議会が「再稼働同意」を決議した5月26日には、島根県庁前で緊急抗議集会などを行ってきました。

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丸山達也島根県知事(島根県ホームページより)

昨日の丸山島根県知事の「再稼働同意表明」は、こうした私たちの強い要望を全く無視したもので、絶対に容認できません。

そこで、中国5県の平和フォーラム・原水禁は、下記の抗議声明を出し、「同意の撤回」を求めて運動を強化することを確認しました。


島根原発2号機再稼働における丸山達也島根県知事の同意表明に強く抗議する

 

6月2日、丸山達也島根県知事は島根県議会本会議において、「島根原発2号機の再稼働に同意する」との最終判断を表明した。それは私たちの思いや民意を無視する暴挙に他ならず、断じて許されるものではない。

島根原発は、全国にある原発の中で唯一県庁所在地にあり、避難計画策定が必要となる30km圏内には約46万人が住んでいる。このことはかねてから、「事故発生時に、住民を安全に計画どおり避難させることができるのか」が問題視されてきた。立地/周辺自治体では、大規模な事故を想定した広域避難計画が策定されているが、それは机上の空論に過ぎず、事故が起きた際、私たちの生命と財産を守ってくれる保証は何もない。避難のための交通手段・避難場所の確保はもとより、5万人を超える「避難行動要支援者」のサポート体制、新型コロナウイルス対策等々、その実効性には大きな疑問が残る。これらの課題を放置したままの再稼働など、絶対にあり得ない。住民の生命と財産を守るのは自治体の責務であり、当然のことだ。知事は県民の安全・安心を最優先すべきであり、再稼働ありきの判断は許されない。

世界ではおりしも、今年2月に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻により、歴史上初の原発立地地域での戦争が勃発する事態となった。原発がひとたび武力攻撃されれば、大規模な放射能被害は避けられない。チェルノブイリ原発事故を経験したウクライナ、福島第一原発事故を経験した日本は、その影響の重大性を、身をもって知っている。このような重大なリスクを抱えているにもかかわらず、軽々に再稼働判断が進められようとしていることに、私たちは憤りを禁じ得ない。

今や、実効性ある避難計画なしに、2号機再稼働が見切り発車されようとしている。

そこには、中国電力の企業倫理も、自治体として住民の生きる権利を守る意志も、責任感も見られない。原発再稼働を「いのち」よりも優先しようとする姿勢は、断じて許されるものではない。

私たちは、このたびの知事の判断に断固抗議し、同意撤回を強く求める。

そして私たちは、住民の命を守り、脱原発・脱炭素社会を求めて、運動を強化していく。


抗議文で触れているように、「事故発生時の避難計画」は極めて不十分であり、決して住民の生命と財産を守るものではありません。また、県外では最も多くの避難民の受け入れ先となっている広島県の各自治体での受け入れ計画も未だ不十分なままであり、広島県民にとっても決して他人事ではありません。今後も「島根原発2号機の再稼働をさせない」ための取り組みを強めなければなりません。

いのちとうとし

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2022年6月 2日 (木)

ウクライナの国旗の色?

平和公園を訪れる修学旅行生が多きなったことに比例するように各慰霊碑に献納されている折鶴の数も、増えたように思われます。

借りていた本の返却のため中区図書館(アステールプラザ)を訪れた帰り道、少し遠回りをして平和大通りまで足を延ばしました。平和大橋西詰の南側にある広島市立高女原爆慰霊碑のもうけられた折鶴献納台にも多くの折鶴が掛けられていました。

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いつもは、そんなに折鶴をじっくり見ることはないのですが、その中で、目を引く折鶴の束があります。青と黄色の紙でおられています。

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一緒の歩いていた妻が、「ウクライナのことを思って作ったもののような気がする」といいます。確かに今までには見なかった折鶴の色のような気がします。きっとロシアの軍事侵略の犠牲になったウクライナの子どもたちを追悼し、平和への願いが込められて折られたように思います。

振り返って平和公園の方を見ると、白い花をつけた大きな夾竹桃が目に入ります。横断歩道を渡って近づいてみました。

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夾竹桃は、6月から9月ごろにかけ赤やピンク、白色の花を咲かせますが、この場所は日当たりが良いからでしょうか、満開に近い状態でびっしりと花を咲かせています。夾竹桃の花が咲くと、夏が来たことを実感します。

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夾竹桃は、原爆が投下された後、「75年間は草木も生えない」と言われた焦土にいち早く咲き、広島の人々に希望と勇気を与えてくれた花だといわれており、広島市の「市の花」に指定されています。

広島市のホームページによれば、1973年(昭和48年)10月3日に新聞に応募用紙を折り込むなどして同月の27日まで公募し、10月29日に集計した結果、最多得票を得た夾竹桃が「市の花」に選定されました。同時にクスノキが「市の木」に選ばれ、同年11月3日に制定記念式が、中区基町中央公園で行われています。

8月6日の頃には、夾竹桃の花の真っ盛りの時期となります。

いのちとうとし

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2022年6月 1日 (水)

紙屋町シャレオ古本まつり

第26回紙屋町シャレオ古本まつりが、紙屋町の地下街シャレオ中央広場で、5月30日から明日6月2日まで開催されています。

今年は、1月に続いて2度目の開催ですが、今回は4日間とこれまでで最も短い会期となっています。出店舗数もいつもよりやや少なく、9店舗の参加です。

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私は、雨が降っていましたが、初日の30日のオープン時(10時)に行ってきました。

私がめざすのは、郷土史関係のコーナーです。9店舗のうち3店舗が、このコーナーを設けています。郷土史といっても様々ですが、私が探すのは、原爆関係と軍都廣島に関するものです。学校史などにも被爆時のことや復興期のことが書かれていますので、それらが目に付くと一冊一冊、ザーッと目を通します。古い絵ハガキも、積まれていますので、一枚一枚丁寧にみていきます。

古い資料や冊子は、当然のことですが、一点ものです。今回見逃すと、次はいつ巡り合えるかわかりません(というか、再び手にすることはまれ)ので、気を付けて棚を追っていきます。戦前の資料や被爆直後に発行されたものは、少し値が高いなと思っても、見つけた時にすぐ購入するのが鉄則です。

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店舗が少ないのでフロアーに余裕があります

1時間あまり時間をかけて、ゆっくりと探して歩きましたが、残念ながら今回は、買っておかなければと思うものを見つけることはできませんでした。

最近は、だんだんとそうした本を見つけることが少なくなっています。1月の時に購入したのは、昭和9年(1934年)11月1日に廣島懸が発行した「明治二十七・八年戦役 廣島大本營誌」の1冊だけでした。日清戦争時広島に置かれた大本営に関する本は、2冊ほど既に入手していますが、広島県という公的機関が発行した資料は初めて目にするものでしたので、躊躇なく購入しました。

郷土史コーナーを設けている店の一つ、アカディミー書店は、よく訪れる店ですが、他の2店舗は、遠くにあるため店を訪れることができませんので、「古本まつり」には、時々アッと思うような本を出品していることがありますので、いつも楽しみにしている店です。

「古本まつり」には、映画のポスター、乗り物関係のコーナーなど専門分野に特化した品物を出店するお店や文庫本コーナー、300円・500円均一コーナーなどもありますので、一度出かけてみるのも楽しいと思います。

郷土史コーナーや専門書などは、1冊ものが多くほとんど補充がありませんが、その他の棚は毎日新しい本が補充されていますので、何度足を運んでも新しい発見があると思います。

私も会期中にもう一度行って見ようと思っています。

いのちとうとし

【編集者】毎月1の付く日(1日、11日、21日)は、イライザさんの原稿を掲載していましたが、イライザさんが参議院選挙に立候補することになり多忙となりましたので、当分の間このブログの原稿は、中止することになりました。イライザさんは、ヒロシマの心を世界にを毎日更新されていますので、ぜひそちらをお読みください。

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