「小森龍邦さんを偲ぶ会」に参列しました。
昨年2月26日に88歳の生涯を閉じられた部落解放同盟広島県連合会顧問の小森龍邦さんを偲ぶ会が、大野真人連合広島会長、佐古正明部落解放広島県共闘会議議長、岡田英治部落解放同盟広島県連合会委員長など12名の呼びかけで昨日午後1時から府中市文化センター大ホールで開催されました。
小森さんの経歴は、あまりにも多岐にわたりますので、私の力量では書ききることができません。そこで「小森龍邦さんを偲ぶ会」の案内状に記載された経歴をそのまま紹介されていただきます。
「小森さんは県青年連合会会長、府中市議(3期)、部落解放同盟広島県連合会委員長(25年)、同中央本部書記長(11年)、衆議院議員(2期)、新社会党中央本部委員長などを歴任し、また文筆家として知られ、著書は『差別と疎外からの解放』『人間・阿部正弘とその政治』『業・宿業観の再生』『親鸞思想に魅せられて』など60冊を超えています。
1969年の県連再建を主導して以来、多くの部落大衆を組織し、常に運動の指導的役割を果たしてきました。また、数々の差別行政、差別事件と激しく闘うとともに第19回県連大会(1972年)で打ち出した『社会的立場の自覚的認識』=被差別部落民の主体の確立を一貫して訴えつづけました。
さらに、宗教界の差別事件を追及するなかで仏教が持つ内省(徹底して自己を見つめる)や宇宙観にも関心を寄せ、運動の実践と理論を重厚なものにしてきました。
政治家としては、1993年11月の小選挙区制導入の『政治改革法案』に対し、『少数者の声が国政に届かなくなる』として衆議院本会議で青票(反対票)を投じました。
晩年は『仏説観無量寿経』の『是旃陀羅』の差別性を東西本願寺に改めて提起し、『善処』するよう求めていきました。まさにその生涯は部落差別の撤廃に全てを捧げたものでした。」
この偲ぶ会は、昨年5月、今年2月に予定されましたが、コロナ拡大のためやむなく中止となり、ようやく昨日実施されました。
偲ぶ会は、全員で黙祷した後、呼びかけ人代表の岡田英治さんのあいさつ。最も身近に小森さんと接してこられた岡田さんのあいさつは、心うつ内容でした。その後、写真で構成された映像が上映され、ありし日の小森さんの姿を偲びました。そして組坂繁之部落解放同盟中央本部委員長など5名が、「小森さんを偲んで」それぞれの立場で小森さんから学んだことを紹介されました。多くの参列者があり、改めて小森さんの業績を偲び運動を継承することを誓い合い、最後の参列者全員が献花をして「小森龍邦さんを偲ぶ会」は終了しました。私も参列し指名献花をさせていただきました。
いのちとうとし
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