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2022年5月14日 (土)

えっ この名前は?

中区中町の平和大通りに面して建つ「エビデンビル」の1階で、「傘」のタイトルがついて「どこかで?ゲンビ平野薫」展が開催されています。広島現代美術館(愛称:ゲンビ)が来年3月までの休館中に実施している「サテライト展示」の一つです。

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この「エビデンビル」の1階では、定期的に若い作家の現代美術品が展示されています。私もよく前を通りますので、いつも楽しみにみていますが、特別に作家のことを気にしたことはありませんでした。

しかし、今回の作家名「平野薫」を見て、「どこかで聞いたことがある名前だな」と気になりました。平野さんの経歴が掲示されていましたので、読んでみました。

やはりそうだ。平野薫さんは、私がかかわっていたドイツ・ポツダム市にある「ヒロシマ・ナガサキ広場」の記念碑をつくるときに聞き、気にしていた平野さんでした。

1945年7月にポツダム市で行われた「ポツダム会談」に出席したアメリカのトルーマン大統領が宿泊したといわれる建物(現在もトルーマンハウスとして残っている)のすぐ前にある小さな公園に「ヒロシマ広場」と名前が付けられたのは、2005年のことです。その「ヒロシマ広場」に記念碑をつくろうとドイツ国内で募金活動が始まったのが2007年でした。

それに協力するため日本でも支援組織が作られ、募金が始まったのですが、ある事情で私がその組織を引き継ぐことになり、私のかかわりが始まりました。

記念碑の設計を任されたのがドイツやノルウェーで活躍されていた石刻家の藤原信(まこと)さんでした。ある時、ベルリンに留学している学生たちに記念碑の話をした藤原さんに「どうしていつもヒロシマなんですか」と指摘したのが、平野薫さんでした。平野さんは、長崎県出身で広島市立大学からドイツに留学中でした。

この一声が、この広場の名前を「ヒロシマ広場」から「ヒロシマ・ナガサキ広場」へと改称させることにつながったのです。広場に記念碑がつくられたのは2010年7月25日ですが、名称が変わったのは、少し遅れて2011年12月でした。

この平野さんの一言から、広場の名称が変わっただけでなく、記念碑に「広島と長崎の被爆石」が並んで据えられることになりました。

Photo_20220513100001  

右が広島(広電の路面電車の敷石)、左が長崎(山王神社の境内)の被爆石

この経緯もいつか、このブログで紹介したいと思います。

そんな経緯が私には強烈な印象として残っていましたので、エビデンビルのサテライト展示で「平野薫」さんの名前を見た時「えっ この名前は」と思ったのです。

「私が思っている平野さんに間違いないのか、当人だったらぜひ一度あって話してみたい」と思い、現代美術館に問い合わせませました。しばらくして現代美術館から連絡がありました。平野さんは、現在安芸太田町に住み、活躍されているということでしたが、私が思っている平野さんに間違いありませんでした。

平野さんからも「そんな人とならぜひ会いたい」との返事があったということでしたので、展示の一部を変えるため5月末にエビデンビルに来ることになっているとのことで、その時お会いすることにしました。名前は知っていたのですが、会うのは初めてですので、どんな話になるのか、いまから楽しみです。

平野さんの作品を紹介しなければなりませんが、少し長くなりましたので、のブログに書きたいと思います。

いのちとうとし

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