ベトナムの歴史(その11)
前号から半年
前号(その10)で1000年に及ぶ中国支配を脱した938年以降もたびたび中国の侵略を受け、独立国として険しい国家建設を強いられたベトナムの歴史を紹介しました。ときは13世紀後半の陳王朝、日本では鎌倉時代、モンゴル帝国が二度にわたって襲来した元寇のあった時代です。同じ頃、ベトナムに侵攻したモンゴル軍は「白藤江の戦い」で陳王朝のチャン・フン・ダオに指揮されたベトナム軍に壊滅的な敗北を受けます。結果、フビライ・ハーンは日本を襲うための艦船と将兵を失い三度目の日本侵攻が不可能になったことから、「日本を救ったチャン・フン・ダオ」と紹介しました。
5ヶ月経た再開ですが、思い出していただけましたでしょうか?
再び始まった中国支配
前号で紹介した1288年の「白藤江(バクダン川)の戦い」でモンゴル軍に勝利しベトナムの独立を守った陳王朝は、その後、朝廷内部の権力闘争で衰退します。一方、長年の敵だった元も衰え、遂に1367年に朱元璋(しゅげんしょう)に滅ぼされ、中国は明朝(1368~1644年)の時代に入ります。1400年に陳朝が紛争で滅び胡季犛(ホー・クイ・リ)が胡王朝を起すと、ベトナム併合を意図していた明朝の永楽帝は1406年に陳朝復興を口実に20万もの大軍を派遣し、翌1407年に胡王朝を滅ぼします。
明朝はこの地域を安南(あんなん)と呼び、布政司などの地方官を置いて直接統治を始めます。938年以来、470年ぶりにベトナム北部は再び中国に直接支配され、1427年までの20年間続くことになります。「第4次北属期」と呼ばれている時代です。
その中国支配はどのようなものだったのでしょうか。小倉貞男著『物語ヴェトナムの歴史』から紹介しましょう。「明が支配した地域はまるで兵営になったような感じ」、「きびしい明の命令・指示ルート」ができ「そむく者は徹底的に弾圧」、「水田、桑田の土地税、人頭税などの租税を重くした」うえに「塩田をつくり塩税を徴収」、「塩の専売・独占を行った」。「16歳から60歳まですべての者が軍役に服し、賦役に駆り出され民衆は苦しんだ」。「収穫されたものはすべて明本国に送られた」と、厳しい支配体制のもと徹底した搾取と収奪が行われてたことが覗えます。また、「ベトナム人の民族服を着用することを禁じ、すべて中国風の衣服、髪型を強要」、「熟練した手工業職人、知識人数千人を明に連行」、「ヴェトナムの本はすべて焼くか、本国へ送った」・・・・など、「北俗に従わしむ」と「ヴェトナムのあらゆる文化を破壊することを狙った」と書かれています。
レ・ロイ(黎利)とグエン・チャイ(阮廌)
しかし、30年間に3回もモンゴル軍の侵攻を跳ね返した経験と気概、独立国家建設への思いはことのほか強く、明の暴政をもってしても人々の怒りと抵抗の炎を抑えることはできません。
1416年、レ・ロイ(黎利)と18人の同志がタインホア省ランソンで、「明の支配を打ち破る血盟の誓い」を立て、1418年に蜂起します。指導者・レ・ロイは官僚でも貴族でもない31歳の地方の土豪です。参謀役は胡王朝の監察官だったグエン・チャイ(阮廌)38歳。彼は明の侵攻で逮捕・監禁され、釈放後の10年間は各地をさまよい、明の圧政に苦しむ民衆を見てきた人です。
タインホア省に立つレ・ロイ像
10年間にわたる長い戦いを経た1427年に明軍の守るハノイを総攻撃し打ち破ります。そして1428年の和議で明は直接統治から撤退、レ・ロイ(黎利)はハノイで即位して都の名をトンキン(東京)と改め、黎朝(前期:1428~1527年、後期:1532~1789年)をたて、国号を大越とします。中国明朝はレ・ロイを安南国王に封じるという形式を取り、朝貢貿易を続けることを条件に、実質的な独立を認めたのです。
ベトナムの歴史の大部分はこうした中国封建王朝との戦いであり、撃退したレ・ロイは民族にとって大英雄なのです。ハノイの観光スポットに「ホアンキエム湖(湖還劍)」という湖があります。漢字読みの通り「剣を還した湖」という意味で、明軍の支配を破り独立を回復させたレ・ロイが神様から授かった「神剣」を使いの大亀に還した湖と伝えられています。1968年には体重250kgの大亀が発見され、「民話と現実をつなぐ巨大亀」として剥製が湖上の玉山祠(ぎょくさんじ)に展示されています。是非、一度訪れてみてください。
1968年、湖で捕獲された伝説の巨大亀のはく製
最もベトナムで愛されているグエン・チャイ
「レ・ロイはベトナム史上で最も輝いている英雄の一人ですが、彼と手を携えて戦ったグエン・チャイは、戦略家、思想家、詩人、外交家、歴史学者、地理学者、音楽学者・・・・多彩という以上に、あらゆる分野に精通する傑出した人物で、最もベトナム人から愛されている人間である。」と小倉貞男さんは書いています。
次号でこの抗明闘争の歴史的意義、そしてグエン・チャイの辿った生涯について紹介します。
(2022年5月20日、あかたつ)
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