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2022年5月 5日 (木)

ヒロシマとベトナム(その31)

2シリーズの寄稿を再開します

1月5日付けの(その30)からお休みしていました「ヒロシマとベトナム」、4ヶ月ぶりの再開です。毎月5日に寄稿させていただき、もう一つのシリーズ「ベトナムの歴史」も毎月20日に寄稿させていただきますので、改めてよろしくお願い致します。

来年(2023年)、私が専務理事を務める広島ベトナム平和友好協会(HVPF)は「設立15周年」を迎えます。折りしも、2023年は1973921日にパリで日本とベトナム民主共和国(当時の北ベトナム)との間で外交関係樹立の交換公文が調印されて50周年、「日本ベトナム国交樹立50周年」という記念すべき年に当たります。HVPFでは本年度と来年度、2つの周年記念事業を企画し準備を進めています。

そこで、この間の活動を振り返りながら、「ヒロシマとベトナム」について考えて見たいと思います。

HVPFの名称に込めた思い

先ず、20096月の協会設立にあたり、広島ベトナム平和友好協会(Hiroshima VietNam Peace and Friendship Association(略称HVPF)という名称に込めた思いを紹介します。二国間交流団体の名称として平和友好という冠を付けるのは稀(まれ)です。そこには20世紀の戦争被害を象徴するヒロシマ(原子爆弾)とベトナム(枯葉剤爆弾)の体験、「核も化学兵器もNO!」という共通する願いに立った、いわば「ヒロシマの心」に立脚した市民レベルの二国間交流を進める組織という意を込めました。シンボルマークは、 地球をイメージ、上部に平和を象徴する慰霊碑の埴輪型屋根、下部にそれを支えるヒロシマとベトナムを配置しました。 

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同時に、ヒロシマがかつて軍都廣島としてアジア侵略の出撃拠点であったことや、5年に及ぶ日本軍のベトナム進駐時に犯した過ちを決して忘れることなく、真に市民レベルでの相互理解と互恵的関係を築くことによって、「アジアおよび世界の恒久平和創造に寄与する」ことを目的に設立しました。

旧国境線のまちクアンチとの交流

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ヒエンルオン橋・上が旧、下が新

設立前年の2008年は「日本ベトナム国交樹立35周年」でした。行政・議会・商工会議所・広島大学をはじめ学術機関などに呼び掛け、グエン・フー・ビン駐日ベトナム特命全権大使を迎えての「記念講演会&交歓会」を開催しました。駐日ベトナム大使が広島県を訪れたのはこの時が初めてでした。

そして、フービン大使に「私たちが継続して交流するとすればどこをお勧めですか」とお尋ねし、始まったのが旧南北国境線(17度線)のまち、ベトナム戦争が最も激しく戦われたクアンチ省との交流です。協会の設立に先立つ20094月に16名の平和友好訪問団(第一次)を派遣して以来、今日まで交流が続いています。

この春、ヒロシマ平和創造基金の「国際交流奨励賞」を受賞しました。

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ヒロシマで活動する国際交流団体として、とても光栄に思うと同時に、今日的な情勢下で果たすべき役割はますます増している胸に刻んでいます。

次回から「HVPF教育支援プログラム」の一環として実施しているクアンチ省の少数民族の子どもたちに対する奨学支援について、幾度かに分けて報告します。

(2022年5月5日、あかたつ

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