「広島ブログ」

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2022年5月

2022年5月31日 (火)

2022.5月のブルーベリー農園その4

キジの鳴く声に加わってホトトギスが鳴きだした。「目に青葉 山ホトトギス 初ガツオ」名の通り今がその季節。農園の周囲ではホトトギスは高い木の上を移動しながら鳴く。里山のブルーベリー園の西側でブルーベリーの剪定を続けているがそこにでもかなり近くでさえずる声がする。わりと低い声なので余韻をもってやさしく森やブルーベリー畑に響く。初めてホトトギスの鳴き声を聞いたのはもう50年以上前。吾妻山から御陵山を縦走して熊野神社に降りる手前の下りの谷あいで聞いた。さえずる声が「特許許可局」と言っているように聞こえたのを思い出す。果物ではイチゴ、ブイブイがおいしくなる。早生のブルーベリーの収穫はあと1ケ月先。

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528日(土)

農園の小さな畑でとれたスナップエンドウとソラマメ。ゆでたりいためたりして晩のおかずにした。

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初夏の花木ハコネウツギ

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ハコネウツギに覆いかぶさるようにして咲くのはエゴノキの無数の白い花

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529日(日)

里山の農園のブルーベリー畑のある小高い丘から。青葉、青空、集落

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その丘の林の中に咲くシライトソウ。今年はちょっと多く咲いている

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農園の庭の花壇のブイブイの実が赤くなった

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庭の池のトノサマガエル。雨が少ないので池の水も少ない。それにしても蛇が来ないためか随分のんびりしている

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ブルーベリー畑の電気柵の電線にとまるトンボ(名前知らず)

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ブルーベリー畑の晩生(ラビットアイ系)のブルーベリーの実(パウダーブルーという品種)

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お昼前、近くに住む親戚の女性が

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イチゴをどっさり持ってきて頂いた。手をかけるのは草を取るくらいで育った野性味たっぷりの小ぶりな実。しばらくおしゃべりして別れた。

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530日(月)

前夜に砂糖を入れて煮詰めたイチゴのジャム。朝になって冷ましたジャムはヨーグルトに入れて頂いた。お陰でしばらく初夏の味が楽しめる

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年5月30日 (月)

「小森龍邦さんを偲ぶ会」に参列しました。

昨年2月26日に88歳の生涯を閉じられた部落解放同盟広島県連合会顧問の小森龍邦さんを偲ぶ会が、大野真人連合広島会長、佐古正明部落解放広島県共闘会議議長、岡田英治部落解放同盟広島県連合会委員長など12名の呼びかけで昨日午後1時から府中市文化センター大ホールで開催されました。

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小森さんの経歴は、あまりにも多岐にわたりますので、私の力量では書ききることができません。そこで「小森龍邦さんを偲ぶ会」の案内状に記載された経歴をそのまま紹介されていただきます。

「小森さんは県青年連合会会長、府中市議(3期)、部落解放同盟広島県連合会委員長(25年)、同中央本部書記長(11年)、衆議院議員(2期)、新社会党中央本部委員長などを歴任し、また文筆家として知られ、著書は『差別と疎外からの解放』『人間・阿部正弘とその政治』『業・宿業観の再生』『親鸞思想に魅せられて』など60冊を超えています。

1969年の県連再建を主導して以来、多くの部落大衆を組織し、常に運動の指導的役割を果たしてきました。また、数々の差別行政、差別事件と激しく闘うとともに第19回県連大会(1972年)で打ち出した『社会的立場の自覚的認識』=被差別部落民の主体の確立を一貫して訴えつづけました。

さらに、宗教界の差別事件を追及するなかで仏教が持つ内省(徹底して自己を見つめる)や宇宙観にも関心を寄せ、運動の実践と理論を重厚なものにしてきました。

政治家としては、1993年11月の小選挙区制導入の『政治改革法案』に対し、『少数者の声が国政に届かなくなる』として衆議院本会議で青票(反対票)を投じました。

晩年は『仏説観無量寿経』の『是旃陀羅』の差別性を東西本願寺に改めて提起し、『善処』するよう求めていきました。まさにその生涯は部落差別の撤廃に全てを捧げたものでした。」

この偲ぶ会は、昨年5月、今年2月に予定されましたが、コロナ拡大のためやむなく中止となり、ようやく昨日実施されました。

偲ぶ会は、全員で黙祷した後、呼びかけ人代表の岡田英治さんのあいさつ。最も身近に小森さんと接してこられた岡田さんのあいさつは、心うつ内容でした。その後、写真で構成された映像が上映され、ありし日の小森さんの姿を偲びました。そして組坂繁之部落解放同盟中央本部委員長など5名が、「小森さんを偲んで」それぞれの立場で小森さんから学んだことを紹介されました。多くの参列者があり、改めて小森さんの業績を偲び運動を継承することを誓い合い、最後の参列者全員が献花をして「小森龍邦さんを偲ぶ会」は終了しました。私も参列し指名献花をさせていただきました。

いのちとうとし

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2022年5月29日 (日)

「第33回ヒロシマの旅」

毎年、各都県で「反核平和の火リレー」を実施している平和友好祭実行委員会が主催する「ヒロシマの旅」が、昨日と今日の二日間広島市内で実施されています。

昨日は、午後5時からアステールプラザで開会集会が実施されました。私も広島県原水禁を代表して参加した、激励のあいさつを行いました。広島県平和運動センター佐古正明議長も参加されました。

この「ヒロシマの旅」の主目的は、各地で実施する「反核平和の火リレー」で走り継ぐ「平和の火」を平和公園の原爆慰霊碑の後ろで、世界の核兵器が亡くなるまで燃え続ける「平和の灯」から採火し、各地に持ち帰ることです。

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もちろん「平和の火」を採火するだけでなく、「ヒロシマの旅」と名称がついているように、原水禁運動の原点である「被爆の実相」を学ぶことも重要な課題となっており、多くの時間が割かれています。

この「ヒロシマの旅」は、これまで2泊3日の日程で開催されていましたが、コロナの感染が拡大して以降、ここ3年間1泊2日の日程で開催されています。しかも、一昨年、昨年と2年間、秋の開催となっていましたが、今年は、実行委員会の努力もあり、「反核平和の火リレー」がスタートする前の5月開催が実現しました。今年の参加者は、コロナ過ですが、スタッフや県内を含め12道県54名です。

今年の日程は、次のとおりです。

一日目(午後1時半受付開始)

・被爆電車に乗り二人の被爆体験を聞く

・平和記念資料館の見学

・開会集会後、反核映画「ヒロシマ・母たちの祈り」鑑賞

・講演「大久野島で起ったこと」講師:山内正之さん

  2泊3日の時は、大久野島訪問も実施されていた

二日目

・被爆証言を聞く 講師:平野貞男さん(広島県被団協)

・碑めぐり

・採火式

・集約集会(12時30分に全日程終了)

タイトなスケジュールですが、毎年、参加者はメモを取りながら熱心に参加する姿が印象的です。

昨日の開催集会には、「核兵器禁止条約」の第1回締約国会議が開催される今年、一方ではロシアのウクライナへの軍事侵略で、プーチンの「核使用発言」により、世界は核危機を迎えました。さらに、日本国内でも「核共有」発言が公然と行われるなで、かつてない核状況の中で、「反核平和の火リレー」が、実施されることになりますので、この「ヒロシマの旅」で持ち帰った「平和の火」が、各地の市民の反核の思いに火をともしてくれることを願わずにいられません。

今年は、幸いにして二日間とも天候に恵まれ、有意義な「平和の旅」となったようです。

いのちとうとし

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2022年5月28日 (土)

広島県原爆被害者団体協議会2022年度総会に参加

広島県原爆被害者団体協議会(「県被団協」)の2022年度総会が、昨日(27日)午前10時より平和ビル5階会議室で開催されました。県被団協の総会が、対面式で開催されるのは3年ぶりです。

前田耕一郎事務局長の司会で始まった総会は、冒頭、昨年10月に亡くなられた坪井直前理事長をはじめ原爆で犠牲となった人たちに黙とうをささげました。そして箕牧智之理事長が、「ロシアのウクライナ侵攻から3カ月、毎日尊いいのちが奪われている。」さらに今月14日に来広したEUミシェル大統領が「世界の指導者が被爆地を訪問すべきだ」と呼びかけたことを紹介するとともに「今日は、核兵器禁止条約が発効して458日。日本政府は禁止条約を早期に批准すべきだ」とあいさつ。

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続いて、来賓のあいさつですが、今年はコロナ過ということもあり広島市長代理、連合広島、県生協連、そして原水禁代表の私の4人のみが出席し、あいさつを行いました。

あいさつ後、来賓は退席し、議案提案、質疑が行われました。

当日配布された総会議案の一部を紹介します。

経過報告の核兵器禁止条約に日本政府が参加するようを求める署名活動の中では「広島県原水禁の仲介でこの署名に原水禁国民会議の協力を得られて全国から多くの署名が寄せられました。」ことが記載されています。

また2022年度活動方針では、前書きで「私たちは自らの体験の上に立って核が絶対悪であること、核兵器は廃絶されるべきであることを訴え続けてきました。私たちは命ある限り、核兵器の廃絶を声高く訴え、実現を求めていきたいと思います。そして核兵器は戦争、争いごとの中で使用されるものであることから戦争、争いごとへの反対を訴えていきます。

そのため、県被団協として、さらには広島県原水禁など友好団体と協力して、機会あるごとに反戦、反核、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻反対の行動を行い、声を上げていきます。」と、ここでも広島県原水禁との共闘が明記されています。

また活動方針で目立つのは、被爆者が高齢化し年々少なくなっていく現状の中で、被爆二世・三世の役割が強調されていることです。総会出席者も年々人数が減るとともに二世の出席者が増えていますから、この方針も当然のことといえます。

具体的には次の二項目が新たの方針として明記されています。①被爆した親を身近で見守ってきた被爆二世・三世会員による被爆体験の継承・講話の実施②懸案であった二世・三世会員からの会費納入。

すでに各地区の被爆者団体では、実質的に二世が中心となって運営されている実態が多くなっています。県被団協の運動と組織の継承のためには、絶対に必要なことだと思いますので、今年度この方針が具体化されていくことが期待されます。

広島県原水禁として、今後も広島県被団協との連携の重要性を改めて認識した県被団協総会でした。

いのちとうとし

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2022年5月27日 (金)

冊子「丸木位里の足跡を訪ねる」

新聞報道で紹介され、入手したいと思っていた冊子「丸木位里の足跡を訪ねる」をようやく手にすることができました。

この冊子は、広島大学と地域が連携し、地域社会が直面する課題の解決や地域の活性化をめざす「地域元気応援プロジェクト」の一環として作成されたものです。表紙を含めて16ページの小冊子ですが、豊富な内容で構成されています。

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よく知られているように丸木位里さんは、丸木俊さんと共同制作した「原爆の図」の作者ですが、現在の広島市安佐北区安佐町飯室(当時は安佐郡飯室村)の出身です。丸木位里さんのことは、「原爆の図」の作者というだけでなく、森瀧市郎先生も同じ年1901年の生れだということが特に印象に残っています。丸木さんは、6月20日生れ、森瀧先生は、4月28日生れです。没年もほぼ同じ、森瀧先生が1994年1月25日、丸木さんは一年長生きで1995年10月19日です。

「丸木位里の足跡を訪ねる」には、飯室地域に残る作品の紹介と共に丸木位里さんにまつわるこの地域の話が紹介されています。

丸木位里さんが、飯室の出身だということは、以前から知っていましたし、飯室の複数のお寺に襖絵などの作品があることも知っていましたが、これまで一度も訪ねたことはりませんでした。

これらのお寺の前を通る国道191号線は、何度も何度も通った道ですが。

この冊子の最初のページには、見開きで「位里さんと故郷のつながりを示す場所」が地図になっています。

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作品リストには、飯室小学校(石碑)、恵比寿神社(門柱)、浄國寺(襖絵)、養専寺(襖絵),正念寺(襖絵)、安佐公民館(額)、安佐区民文化センター(襖絵、額)の名前が並んでいます。これを見ると、何ともこの地に足を運ぶ制作活動をされた丸木位里さんの郷里への強い思いが伝わってきます。

この冊子では、それぞれの作品の紹介とともに、そのゆかりも紹介されていますが、執筆編集者は、広島大学教育学部造形芸術系コース有志ですので、水墨画特有の技術的なことも書かれていますので、現地を訪れるときに持参すれば、良い解説書になると思います。

この中で、私が直接目にしたのは安佐北区民文化センターのふすま絵でだけですので、この冊子を手に、丸木位里さん足跡を訪ねてみたいと思います。

いのちとうとし

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2022年5月26日 (木)

「米海軍無人偵察機トライトンの飛行中止」を求め、要請書提出

岩国基地の機能強化が進み騒音被害も大きくなっている中で、「岩国基地の拡張・強化に反対する広島県住民の会」は、24日午後中国支局防衛局を訪れ、「米海軍無人偵察機トライトンの飛行中止」など3項目の下記の要請書を提出しました。前書きに、現在の岩国基地を取り巻く状況も記されていますので、全文紹介します。

私も、同会から参加を求められ同席しました。


要請書

 5月12日、中国四国防衛局から岩国市と山口県に「米海軍無人偵察機トライトンをグアムアンダーセン基地から約5か月岩国基地に配備する」と説明したと報道されました。岩国基地の機能強化につながる配備の撤回を強く求めます。なし崩し的な運用は約5か月にとどまらず、今後も継続する可能性があります。ジェット戦闘機に比べ小型で騒音が小さいからと言って、無人機が広島県上空を飛行することは容認できず、配備撤回を求めます。

 岩国基地は埋め立てによって基地が拡大し、専用港湾も整備され着実に機能強化されています。洋上基地船ミゲルキースの昨年秋からの3度の寄港や強襲揚陸艦など相次いで寄港しています。くわえて、空軍戦闘機なども訓練のため飛来するなど、米軍アジア戦略の拠点として、なし崩し的に機能強化されることに強い怒りを感じます。

 また、427日、岩国市と大竹市に「岩国基地の騒音助成エリアの見直しを行う」と説明しましたが、滑走路の沖合移設後の空母艦載機の移駐や外来機の飛来、機種の変更によって、広島県の調査でも大きく騒音が増えています。さらに、複数機による飛行や市街地での飛行など単発的に大きな爆音もあり、W値だけではなく総合的に判断し、縮小を前提とした見直しは行うべきではありません。

これらのことから、下記の通り要請します。

1.米海軍無人偵察機トライトンの飛来中止を求めます。

2.住民の暮らしの安全と安心を守り、貴重な資産を守るため生活区域や世界遺産等の上空を飛行させないこと。

3.区域の見直しの名目で騒音エリアの縮小をしないこと。


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要請に対する主なやり取りとその感想を、当日の参加者のメモで紹介します。

1.米海軍無人偵察機トライトンの飛来中止を求めます。

(回答)周辺の安全保障環境が厳しさを増しているので情報収集の体制強化は重要である。安全運用に万全を期す。

Q:恒常的配備につながるのではないか?⇒A:米軍が決める

2.略

3.区域の見直しの名目で騒音エリアの縮小をしないこと。

(回答)見直しは全国的に進めていく。岩国は1992年に指定。その後沖合移設、移駐完了などあり、実態に即したものに見直すために調査をする。

Q:調査にあたって、艦載機が帰還している期間、離れている期間等でW値はかなり違うことは明らかだが…、どうする?

Q:調査開始は?

(回答)調査2022-2023年の予定。それから見直しが始まる。調査についても、またその後の進め方についても未定。

感想:

・次々と新たな事態が発生する。強化が今までにない速度で進められていることを実感する。

・曖昧、お決まりの回答ばかりであった。

最後に、特に騒音調査について次のことを要望し終了しました。

①環境省が基準を決めているというが、これは基地問題であるという視点を持つべき。

②今後、調査法などについて改めて要請行動を行う。

今回の要望書提出では、「コロナ禍」を理由に面談時間が30分間と大幅に縮小されました。市民の声を聴く時間が、どんどんと縮小され、おざなりな対応になっていくように感じました。

いのちとうとし

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2022年5月25日 (水)

島根県議会は再稼働を許して良いのか

 明日、5月26日島根県議会は島根原発2号機の「再稼働」を認めることを決めるようです。まさに「できレース」「茶番」、どんな事態が起ころうと再稼働を認めるという原発推進議員の姿勢は、情けない限りです。

松江市出身の衆議院議員である細田博之さん、衆議院議長でもあるのですが、この人は島根原発再稼働に大きな力を発揮しています。議長の歳費(給料)について「たった100万円」と言ってみたり、自らの政治団体への寄付金の記載漏れを「うっかり」と軽く発言してみたり、週刊誌に「セクハラ疑惑」を書かれたり、化けの皮が剥ぎ取られたにも関わらず開き直る態度、このレベルの人だとは思っていましたが、それに対して知らんぷりをして、彼を許す島根県の政治家に腹が立ちます。

一方、再稼働をめざしている中国電力、「人の噂も七十五日」というのがありますが、その七十五日が過ぎないにも関わらず出てくるこの会社の不始末、こちらも情けない限りです。

顧客の個人データを廃棄したという事件、島根原発で働く作業員の身分証明書の期限を書き換えて原発内に入ったという事件、昨年には原子力規制委員会から借りていた書類をシュレッターにかけて無くしたという事件、その度に繰り返す「再発防止に全力をつくす」という言葉、それでも再稼働を認める県民の代表といわれる議員たち、これまた情けない限りです。

長い間、僕は中国電力を視てきましたが、こういう事件を繰り返すこと、これは簡単に戻せない体質のような気がします。人間は体質改善するということで、いろいろなサブリが売られていますが、中電の場合はもっと基本的なDNAだと思います。また同様の事件を繰り返すのは間違いないでしょうね。間違いを起こしても、会社の上層部から本気の反省が感じられないのも、この会社の体質です。

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島根県庁(写真の真後ろの方向約9キロに島根原発がある)

県議会が再稼働を認めれば、丸山達也島根県知事が「総合的に判断して…」と言って再稼働を容認することを表明することになるのでしょうか。この「総合的」という言葉、島根県の担当者から何度聞いたことでしょうか。本気で総合的を考えたら、今の状況からは決して再稼働の容認にはならないと思うのですが。

再稼働への段階は、知事同意の後は中国電力からの原子力規制委員会への「工事認可申請書」提出、その後は「保安規定」の提出という段階になります。中国電力より早く県知事合意が出た宮城県の東北電力女川原発は、その後に起こった硫化水素漏れ事件などで、再稼働の目途はたっていません。

26日の島根県議会では議会傍聴、再稼働同意がされたら抗議集会も計画されています。広島県からも駆けつけることになっています。

 木原省治

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2022年5月24日 (火)

「水辺の吹奏楽フェスティバル」―3年ぶりの開催

21日(土)の午前11時過ぎ、本川町の靴の修理屋「靴専科」に行こう平和公園内を歩いていると元安川の方から吹奏楽の演奏の音が耳に届きました。

「何をやっているかな」と音の聞こえる元安橋方面に移動すると、原爆ドーム前の対岸に設けられた「元安川親水テラス」で、水の都ひろしま推進協議会が主催する「第18回水辺の吹奏楽フェスティバル」が開催されていました。

このフェスティバルは、11時からのスタートですので、私たちが耳にしたのは、最初の出演者・県立安古市高等学校吹奏楽部の演奏でした。渡されたプログラム表によれば、スタート曲は「それ行けカープ!」だったようですが、私たちが気付いたのは、3曲目の「DEEP PUPPLE MEDLEY」でした。この曲も最後の部分で、近くに行ってしばらくすると演奏が終わりました。

プログラム表では、次の演奏まで、15分以上ありましたので、この場を後にし、「靴専科」へと移動しました。修理の依頼を終えて、相生橋を渡っていると再び吹奏楽の音が聞こえてきます。2番目の演奏校広島市立己斐中学校吹奏楽部です。少し時間もありましたので、正面から演奏を聞こうと「元安親水テラス」の対岸に移動しました。

こちら側では、多くの人が演奏に聞き入っています。かなりの人が、スマホで演奏風景を動画撮影中ですので、出演者の関係者だと思われます。

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私たちも、少し足を止めて演奏に聞き入りました。

プログラムを手渡されたときに説明を受けたのですが、一昨年、昨年と2年間コロナ対策で中止となったため、「第18回水辺の吹奏楽フェスティバル」は、3年ぶりの開催となったそうです。

コロナ禍、色々と制約があり演奏会もままならない状況だったと思いますが、3年ぶりにようやく開催され、本当によかったと思います。もし今年も延期になっておれば、この場での演奏を一度も体験することなく、卒業しなければならなかった子どもがいたことになるのですから。

プログラムによれば高校、中学13の吹奏楽部が持ち時間20分で、演奏することになっていましたので、終わるのは、午後4時35分と長時間の演奏会ですが、平和公園を訪れた人への思いがけないプレゼントになったと思います。

私たちは、己斐中学校の演奏が終わった時点で、会場を後にしましたが、少し暑いぐらいの天候に恵まれて、良いフェスティバルになったと思います。

いのちとうとし

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2022年5月23日 (月)

2022.5月のブルーベリー農園その3

雨が少なく晴天、曇天が続く中、東広島市豊栄町のブルーベリー園に安芸区の自宅からブルーベリーの剪定や草刈りの作業をするために通う。ブルーベリーは開花から結実に移って実が少しずつ大きくなっている。早生のブルーベリーは毎年6月下旬に初収穫をしているのであと1ケ月あまり。安芸の郷の建物の第2森の工房AMAの屋上では早生と中生のブルーベリーを栽培しているが、もう色づき始めていて、月末には初収穫を迎える。その建物の中にあるCafeさくらでフレッシュブルーベリーの生ジュースがお目見えするのも近い。

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514日(土)

庭の池の周りにトンボがきた。

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515日(日)

農園の周囲の花から

①道路沿いのブルーベリー畑の法面に植えているオオタニウツギ

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②沢山の小さな花を咲かせる。

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③アザミ

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④バイカイカリソウ

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⑤ブタナ

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⑥ジャーマンアイリスとブルーベリー農園(521日)

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⑦ジャーマンアイリス(521日)

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⑧521日になるとエビネもしぼんでいる。オオタニウツギの花も21日にはもうない。農園の周囲の花のうつろいは足早い。

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521日(土)

田植えから約3週間。緑の藻が生える中伸びていく早苗。山影が田の水に映る。

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ソラマメの初収穫。待ち切れず袋の中を覗く。ブルーベリーの剪定や草刈り作業の合間にトマトやナスなどの夏野菜の苗を植えた。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年5月22日 (日)

5月の「19日行動」-三原、府中

三原の藤本講治さん、府中の小川敏男さんから、それぞれの地区の「19日行動」の報告が、写真とともに届きました。

三原地区

5月19日、木曜日、17時30分から三原駅前で16人が参加して街頭行動を実施しました。

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6人の弁士は、「日本国憲法発効75年」(5月3日)、「沖縄本土復帰50年」(5月15日)を迎えた節目の街宣活動として、今、ロシアによるウクライナ侵略戦争が起こる中、憲法9条改悪や敵基地攻撃能力の保有、非核三原則(持たず、つくらず、持ち込ませず)の見直しなど「戦争する国づくり」の大合唱が起こっていることに対して警鐘を鳴らし、不戦を誓い合った平和憲法を守ることの重要性を訴えました。

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高木武子さんは、➀私たち戦争をさせない三原市民行動は、6年にわたり平和憲法を守る運動を継続して行なっています。日本は75年間、戦争を経験していません。私たちは、今後も平和な社会が続くよう行動を行っています。市民のみなさんからも私たちの行動ひと月に一回ですが、「よく頑張っているね。なかなか駅前に立つことはできないけど一緒に応援します。戦争はダメです。」という市民の方々の声をいただいています。私たちの運動の成果が大きくは表れていないかもしれませんが、「戦争は絶対やったらいけない。戦争は人を殺し、殺されるということを先の大戦で経験したではないですか。」という市民からの声を聞いています。②ロシア・ウクライナ侵攻問題、私たちが暮らしている地球上でいつ戦争が起こるかもわからない事例であります。悲惨で残酷な弱い立場の子どもや女性が戦争の中で大変な状況になっています。日本ではロシアのウクライナ軍事侵攻を利用して、戦争放棄を謳った憲法9条を改悪して戦争する国にしていこうとする政治勢力が台頭してきています。「市民のみなさん、平和や私たちの暮らし、政治に関心を持ち、再び日本が戦争への道を歩まないように行動していきましょう。」とスピーチしました。

 藤本講治

府中地区

安保法制に反対する府中民の会で19日行動を取り組みました。

15時30分から上下町のAコープ前、17時から府中天満屋前で行い、

参加者いずれも10人でした。

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今日も、安保法制に反対する府中市民の会でスタンディングとリレートーク。

上下はいつもたくさんの人が車窓から手を振ってくれるのですが、なんとなく少なく、いつも無反応の車が多い府中天満屋前で高校生や中学生が手を振ってくれました。

戦争は民と民の殺し合いです。命令を下す人間は戦後ものうのうと生き続ける。

平和を求める人は差別と迫害を受け最後には命を奪われます。

私はこのことを絶対に忘れません。

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リレートークでは、ロシアのウクライナ侵略への非難、沖縄を差別し続ける日本政府への抗議、敵基地攻撃能力を反撃能力と言い換えて先制攻撃ができるようにしようという与党への抗議、「ドローンでものづくりの町」復活を狙う府中市に軍事産業化への懸念と確かな歯止めの必要性、核共有という幻想の実態、憲法9条を守り生かす政治、南西諸島への自衛隊基地配備の急増、などが語られました。

小川敏男

【編集後記】府中の原稿は、石岡真由海さんのフェースブックの内容を本人の了解を得て、小川さんが送ってくれたものです。

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2022年5月21日 (土)

核兵器禁止条約について考える ――東京と沖縄で集会が開かれます――

核兵器禁止条約について考える

――東京と沖縄で集会が開かれます――

 

緊急なテーマですので、憲法98条についての論考はお休みにします。

 520日は東京で、舩後靖彦参議院議員の呼び掛けで、核兵器禁止条約を考える会が開かれます。その呼び掛け文です。

 ************************************************************************

20225月吉日

国会議員各位

れいわ新選組 参議院議員

舩後 靖彦

 

「核兵器禁止条約を考える集会」ご臨席のお願い

 先生方におかれましては、政務、公務におかれてのご活躍に心より敬意を表します。また、今後とも私たちに対し大所、高所よりのご指導を賜れればありがたく存じます。

さて、この度「核兵器禁止条約を考える集会」を開催する運びになりました。ゲストスピーカーに秋葉忠利さん(元広島市長)、喜納昌吉さん(音楽家・元参議院議員)をお迎えして、我が国の核兵器禁止条約の批准について議論が深まればと考えております。

ご多忙のところ誠に恐縮ではございますが、ぜひご臨席を賜ればありがたく存じます。ご検討のほどよろしくお願い申し上げます。

 

 日 時    5月20日(金) 15時~17時(終了予定)

場 所    衆議院第2議員会館B18会議室

  

「核兵器禁止条約を考える集会」次第

 

15:00 開会の挨拶 (参議院議員 舩後靖彦)

15:05    基調講演 (秋葉忠利様)

15:35 基調講演 (喜納昌吉様)

16:05 意見交換

16:30 閉会

 ******************************************************************

 そして、521日には、沖縄で、喜納昌吉さんの呼び掛けで、「戦争と核のない世界へ」というテーマのシンポジウムが開かれます。

  Photo_20220520132501

そのどちらにも参加させて頂きますが、私の発言はこれまで、このブログ、そして姉妹ブログの「春風夏雨」、そしてChange.orgでの署名運動で皆さんにお伝えしてきたことです。

加えて、琉球日報が鳩山友紀夫さんと私の論考を掲載してくれましたので、それも是非お読み頂きたいと思います。

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核「共有」とか、「敵基地攻撃能力」とか、「憲法改正」では未来の見えないことが、少しでも広まることを期待しています。

 [2022/5/21 イライザ]

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2022年5月20日 (金)

ベトナムの歴史(その11)

前号から半年

  前号(その10)で1000年に及ぶ中国支配を脱した938年以降もたびたび中国の侵略を受け、独立国として険しい国家建設を強いられたベトナムの歴史を紹介しました。ときは13世紀後半の陳王朝、日本では鎌倉時代、モンゴル帝国が二度にわたって襲来した元寇のあった時代です。同じ頃、ベトナムに侵攻したモンゴル軍は「白藤江の戦い」で陳王朝のチャン・フン・ダオに指揮されたベトナム軍に壊滅的な敗北を受けます。結果、フビライ・ハーンは日本を襲うための艦船と将兵を失い三度目の日本侵攻が不可能になったことから、「日本を救ったチャン・フン・ダオ」と紹介しました。

5ヶ月経た再開ですが、思い出していただけましたでしょうか?

再び始まった中国支配

前号で紹介した1288年の「白藤江(バクダン川)の戦い」でモンゴル軍に勝利しベトナムの独立を守った陳王朝は、その後、朝廷内部の権力闘争で衰退します。一方、長年の敵だった元も衰え、遂に1367年に朱元璋(しゅげんしょう)に滅ぼされ、中国は明朝(13681644年)の時代に入ります。1400年に陳朝が紛争で滅び季犛(ホー・クイ・リ)が胡王朝を起すと、ベトナム併合を意図していた明朝の永楽帝は1406年に陳朝復興を口実に20万もの大軍を派遣し、翌1407年に胡王朝を滅ぼします。

明朝はこの地域を安南(あんなん)と呼び、布政司などの地方官を置いて直接統治を始めます。938年以来、470年ぶりにベトナム北部は再び中国に直接支配され、1427年までの20年間続くことになります。「第4次北属期」と呼ばれている時代です。

その中国支配はどのようなものだったのでしょうか。小倉貞男著『物語ヴェトナムの歴史』から紹介しましょう。「明が支配した地域はまるで兵営になったような感じ」、「きびしい明の命令・指示ルート」ができ「そむく者は徹底的に弾圧」、「水田、桑田の土地税、人頭税などの租税を重くした」うえに「塩田をつくり塩税を徴収」、「塩の専売・独占を行った」。「16歳から60歳まですべての者が軍役に服し、賦役に駆り出され民衆は苦しんだ」。「収穫されたものはすべて明本国に送られた」と、厳しい支配体制のもと徹底した搾取と収奪が行われてたことが覗えます。また、「ベトナム人の民族服を着用することを禁じ、すべて中国風の衣服、髪型を強要」、「熟練した手工業職人、知識人数千人を明に連行」、「ヴェトナムの本はすべて焼くか、本国へ送った」・・・・など、「北俗に従わしむ」と「ヴェトナムのあらゆる文化を破壊することを狙った」と書かれています。

レ・ロイ黎利)とグエン・チャイ(

しかし、30年間に3回もモンゴル軍の侵攻を跳ね返した経験と気概、独立国家建設への思いはことのほか強く、明の暴政をもってしても人々の怒りと抵抗の炎を抑えることはできません。

1416年、レ・ロイ(黎利)と18人の同志がタインホア省ランソンで、「明の支配を打ち破る血盟の誓い」を立て、1418年に蜂起します。指導者・レ・ロイは官僚でも貴族でもない31歳の地方の土豪です。参謀役は胡王朝の監察官だったグエン・チャイ(阮廌)38歳。彼は明の侵攻で逮捕・監禁され、釈放後の10年間は各地をさまよい、明の圧政に苦しむ民衆を見てきた人です。

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タインホア省に立つレ・ロイ像

10年間にわたる長い戦いを経た1427年に明軍の守るハノイを総攻撃し打ち破ります。そして1428年の和議で明は直接統治から撤退、レ・ロイ(黎利)はハノイで即位して都の名をトンキン(東京)と改め、黎朝(前期:14281527年、後期:15321789年)をたて、国号を大越とします。中国明朝はレ・ロイを安南国王に封じるという形式を取り、朝貢貿易を続けることを条件に、実質的な独立を認めたのです。

ベトナムの歴史の大部分はこうした中国封建王朝との戦いであり、撃退したレ・ロイは民族にとって大英雄なのです。ハノイの観光スポットに「ホアンキエム湖(湖還劍)」という湖があります。漢字読みの通り「剣を還した湖」という意味で、明軍の支配を破り独立を回復させたレ・ロイが神様から授かった「神剣」を使いの大亀に還した湖と伝えられています。1968年には体重250kgの大亀が発見され、「民話と現実をつなぐ巨大亀」として剥製が湖上の玉山祠(ぎょくさんじ)に展示されています。是非、一度訪れてみてください。

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1968年、湖で捕獲された伝説の巨大亀のはく製

最もベトナムで愛されているグエン・チャイ

 「レ・ロイはベトナム史上で最も輝いている英雄の一人ですが、彼と手を携えて戦ったグエン・チャイは、戦略家、思想家、詩人、外交家、歴史学者、地理学者、音楽学者・・・・多彩という以上に、あらゆる分野に精通する傑出した人物で、最もベトナム人から愛されている人間である。」と小倉貞男さんは書いています。

 次号でこの抗明闘争の歴史的意義、そしてグエン・チャイの辿った生涯について紹介します。

(2022年5月20日、あかたつ)

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2022年5月19日 (木)

廃棄物として処分された大量の被爆石

昨年実施されたサッカースタジアム予定地の発掘調査で、貴重な旧陸軍の施設跡が出土し、その保存を求めて活動したことは、このブログでも何度か紹介しました。

全体の保存を求める要望に対し、広島市は「一部切り取り保存をする」方針を発表しました。そして今年に入り、その遺構が基町の子どもプール横にある「馬蹄碑」周辺に整備する計画を明らかにし、市民意見を求めました。

「一部保存」しか実現しないことが明らかになった時期、私が広島市の担当者に「「撤去される敷石などの被爆石は、どうなるのですか」と問うたところ、「廃棄物として処分します」との回答でした。

この回答にびっくりした私は、「貴重な被爆石ですよ。平和教材やさまざまな活用方法があると思うので、ぜひ保存して活用する方法を考えてください」と再三にわたり強く要望し、話し合いの場をつくるよう求めてきました。

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その話し合いが、ようやく今月16日に実現しました。

そこに提示された広島市の資料は次のとおりです。


旧軍施設被爆遺構・切り取り石畳片の活用に関する資料

石畳の総数          約800枚

現地にそのまま保存される石畳 約350枚

切り取った3個所の遺構の石畳 約 40枚

予備的に保管している石畳   約 20枚 

広島市の担当者からは、「予備的に保管している石畳の活用方法に何かアイディアがあれば意見を出してください」との提起です。

少し意見交換をしましたが、私にはこの資料を見た最初から、解明しなければならない疑問がありました。私たちが話し合おうとしている「被爆石」として活用できるのは、「予備的に保管されている約20枚」だけなのです。

そもそも「予備的の保管している石畳」とはどういう意味かです。話し合いの冒頭、広島市が「活用方法として何か提案があれば、示してほしい」といった石畳は、たったの20枚だけでした。さらにやり取りで明らかになったのは、この20枚も被爆石として活用するのではなく「①サッカースタジアム予定地に作るモニュメントに1ないし2枚を使う。②切り取り保存する意向の整備の再石畳が壊れた時の予備のため」を目的としての保管していることでした。

モニュメントの構想もまだ決まっていませんし、遺構整備も進んでいませんから、この20枚のうち、何枚が実際に被爆石として活用できるのか、はっきりしていないのですから、そもそも「活用方法」について、現時点で話し合う余地など全くなかったのです。

さらに最も根本的な問題は、資料には、約800枚あった石畳のうち約410枚しか、その使途が明らかにされていないことです。資料では明示されていない残りの約390枚は、どうなったのかということです。そのことを訊ねると「すべて廃棄物として処分しました」との回答です。

約390枚の被爆石が、その貴重さも活用方法も充分に検討されないまま「ゴミ」として処分されてしまったのです。大切なことなので繰り返し確認しました。「広島市は、被爆石と知りながら390枚を処分したのですね」「そうです。」と答え、さらにちんぷんかんぷんの「記録保存することになっていますから、記録はきちんと保存しています」の発言が繰り返されたのです。記録保存は、あくまでも「遺構」としての記録が残るだけです。どんなに立派な記録が残ったとしても「被爆石」そのものを破棄すれば「被爆石」としての価値は無くなってしまうことが理解できないのでしょうか。私は、何度か「スポーツ文化祭担当だけなく平和推進の担当者も交えて十分に協議して下さい」と繰り返し求めてきましたのですが。

これでは話し合いを続ける意味がありません。最後に「広島市は、貴重な被爆石を390枚も廃棄処分した事実だけは、今日の話し合いで確認します」と述べて話し合いの場は終了しました。

昨年早く時期から「遺構としての保存は難しくても、撤去される石畳は、被爆石として貴重なものなので、活用の道を探ってほしい」と問題提起したものとして、この結末にはただただ愕然とするというか怒りを覚えるばかりでした。

かつて本庁舎の建て替えをする時、旧庁舎の被爆石を保管し活用してきた広島市が、おなじ「被爆石」をなぜこんなにも簡単にゴミとして処分してしまったのか、広島市の被爆問題に対する姿勢が厳しく問われると思うのは、私だけでしょうか。

いのちとうとし

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2022年5月18日 (水)

平野薫作《傘》

ヱビデンギャラリーの「どこかで?ゲンビ」第3弾として展示されている平野薫さんの《傘》の紹介です。

平野さんは、古着や布製の小物などを糸の一本一本にまで分解し、それらを展示空間の中に再構成するインスタレーション(ある特定の空間や室内屋外などにオブジェや装置を置いて空間を構成し、場所や空間全体を作品として体験させる芸術)を制作する作家です。

今回のモチーフは、傘です。傘をもともとの素材である糸の状態に解き、結び直して再構成されています。

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作品解説によれば、県内の色々な場所から忘れ物の傘を譲り受け、それらを解き、作品したものです。今は5本の傘で構成されています。吉和、石内北、大塚東、西白島、比治山の地名が読み取れます。

私が会う約束をしている5月末には、加計の傘が加わりますので、最終的には6本の傘が並ぶことになります。

傘の骨組みに解かれてつなぎ合わされた布が、垂れ下がっています。糸状にまで細くなっていますので、どれだけの時間がかかるのか?想像するだけでも大変だなと思いました。

日中は道路に面したガラスに周りの景色が映るため、スマホで撮影しようとしても作品が綺麗に写りません。日没後3時間は、照明が付くということでしたので、夜再び訪れ写したのが、下の写真です。

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全体の様子を感ずることができるように写すことができました。

百聞は一見に如かず、会期は、9月25日までですので、ぜひ訪れてほしいと思います。

ヱビデンギャラリーに現代美術館の「どこかで?ゲンビ」が展示されるのは、今回が第3弾ですが、ここには以前から現代美術作家の作品が展示されていました。

現代美術作家の作品は、どうしても紹介する場所が限られている中で、こうした展示スペースを提供されている持ち主のヱビス電材社に拍手を送りたいと思います。

いのちとうとし

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2022年5月17日 (火)

復帰50年5・15沖縄平和行進

5月13日(金)~15日(日)の3日間、「復帰50年5・15沖縄平和行進」が3年ぶりに開催され、広島県から14名、全国から1000人を超える人が参加しました。

 初日の13日は「5・15沖縄平和行進全国結団式」が那覇文化芸術劇場なはーとで行われました。主催者を代表して仲宗根哲共同代表より「コロナ禍で3年ぶりに平和行進の開催となりました。復帰50年の節目の年に是非とも平和行進を実施したいとの思いで慎重に検討した結果、感染拡大防止を図る観点から行進規模を大幅に縮小しての開催としました。」「復帰しても何も変わらない基地の島沖縄の現状がある。復帰50年の思いをはせながら沖縄の問題を全国の問題と共有して行動していただきたい。」とあいさつされました。続いて、藤本泰成さん(平和・人権・環境フォーラム代表)より「この間、沖縄ではアメリカ軍により市民が特に子どもや女性の尊厳がないがしろにされてきました。復帰50年を契機にして引き続き基地も戦争もない世界の実現に向けて取り組みを進めましょう」と連帯のあいさつがありました。

 基調講演は、「復帰50年と平和運動の課題」と題して前泊博盛沖縄国際大学教授より「沖縄返還50年を迎え、今後は周年が忘れられ、今年50年が最後になるかもしれない。覚悟をもって半世紀=反省期を検証しなければならない。」と提起された後「復帰運動の変遷、核抜き本土並み・基地のない平和な沖縄など復帰に託した沖縄の願いの現状」など問題提起されました。

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 二日目は、朝から雨天の中、1000人を超える参加者で「5・15沖縄平和行進」を行いました。感染拡大防止のため休憩や昼食を取りやめ、宜野湾市民会館中庭から八重島公園までの約9キロを午前中に行進しました。途中、右翼団体による妨害行為やヘイトスピーチが繰り返されましたが。行進団は整然と当初の目的を達成するため行進しました。

最終日の15日は、「5・15平和とくらしを守る県民大会」が初日と同じ会場の那覇文化芸術劇場なはーとで開催されました。

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決意表明する藤本講治さん

冒頭上原邦夫共同代表が「復帰50年経過した今も国民主権・平和主義・基本的人権の尊重の日本国憲法の三原則がないがしろにされている沖縄。50年前の不退転の思いに立ち返り運動を進めていきましょう」とあいさつ。

 次に連帯あいさつ、玉城デニー沖縄県知事のメッセージ、平和行進団の報告、来賓のあいさつが行われ、その後4県(北海道・東京・長崎・広島)及び学者の5人より「沖縄と全国を結ぶ決意表明」が行われました。

広島県からは藤本講治憲法を守る広島県民会議事務局長が「基地もない・核もない・戦争もない平和な社会に向けて沖縄と連携して取り組みを進めます」そして「ネバーギブアップ」と力強く発信しました。

 最後に、基地のない、平和な日本、戦争のない世界をつくるため力を尽くすことを誓う大会宣言を全体で確認し、「団結ガンバロー」で終了しました。

 3日間ともあいにくの雨天となりましたが、「観光地沖縄」と同居する基地問題は、復帰50年を迎えても沖縄は今も何も変わらないばかりか「アメとムチ」の国の政策によって沖縄の市民が分断されてきていることを改めて知ると同時に、有事における「基地の島沖縄」について考えさせられました。

「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」の被爆地ヒロシマの思いを沖縄と連帯して核兵器も基地も戦争もない世界に向けて取り組んで行きます。

高橋克浩

【編集後記】沖縄復帰50周年平和行進の報告を平和運動センター事務局長の高橋克浩さんから寄せていただきました。

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2022年5月16日 (月)

「5・15 沖縄『復帰』50年を考えるヒロシマ集会-アメリカ世(ゆ)は終わったのか」

沖縄が本土に復帰して50周年となる昨日広島でも、沖縄で「記念式典」開催された午後2時に合わせ広島弁護士会館で「広島と沖縄をむすぶドゥシグヮー」主催の「5・15 沖縄『復帰』50年を考えるヒロシマ集会-アメリカ世は終わったのか」が、開催されました。

会の名前の「ドゥシグヮー」とは、沖縄のことばで「志を共にする友だち」の意味だそうです。

参加を呼びかけるチラシの呼びかけには次のように書かれています。

515日、沖縄は復帰から50年を迎えます。

沖縄は、沖縄戦では『本土防衛』のために『捨て石』にされ、日本の独立と引き換えに27年間米軍占領下に置かれて、性暴力や数々の危険にさらされてきました。

復帰にあたっては、『戦争否定、平和優先』『平和憲法下の人権の回復』を望みましたが、願いは叶えられず、今も70.3%の米軍基地(50年前58.7%è現在70.3%に増強)が存在し、事件・事故・暴力は続いています。

普天間基地の危険除去というSACOSpecial Action Committee On Okinawa)合意は放置されたまま、県民の7割が反対し、軟弱地盤のため『建設不可能』といわれる辺野古新基地建設を強行しています。

さらに、南部戦跡の遺骨の埋まった土砂を埋立てに使う動きがあることに、遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんが抗議の声をあげ、全国でも反対の声があがりました。広島市でも市議会に請願書を提出し、317日『沖縄戦戦没者の遺骨等を含む土砂を採取しないことなどを求める意見書』が採択されました。

しかし、政府は台湾有事をあおり、琉球弧の島々を軍事要塞化し、島々を戦場にみたてた実戦訓練が行われています。再び沖縄を『捨て石』にしようとしているのです。

岩国基地も、米軍艦載機移駐などで極東最大級の基地となり、広島市周辺でも低空飛行・爆音被害が多数報告されています。

軍備で平和は守れません!

今こそ平和憲法・憲法9条を活かすべきです!」

この数日間、マスコミも連日沖縄問題を報道していますが、「基地負担の軽減を求める沖縄の声に本当に答えるものとなっているのか」と感じざるを得ない内容だったように思います。

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集会では、沖縄県人会顧問の中村盛博さんなど4人から、お話がありました。

中村さんは、三線を手に「5.15に広島で集会をするのは初めてのこと。50年前、私の周辺の沖縄では、お祝いのムードは全くなかった。」と話し始め、アメリカだけでなく大和にも支配された歴史を振り返りながら、「復帰した後も本土の人々が沖縄のことを考えることはほとんどなかった。本土の人たちが、沖縄のことを考え始めたのは、1995年に起きた沖縄少女暴行事件、そして教科書の改悪の問題が起きたころから。」「『沖縄を返せ』の歌は、当初アメリカに対してだったが、いまは日本政府に対して歌っている。」考えさせられる話でした。

南部土砂問題を考える会嶋田智恵美さんの「広島市議会での『遺骨土砂を使わせない意見書』採択の取り組み」の報告は、初めて具体的なことを聞く機会になりました。何時か意見書の全文を紹介したいと思います。

最後のスピーカー足立修一弁護士は、「岩国基地問題から考える日米地位協定」のテーマでの問題提起がありました。岩国基地から拡大したコロナの感染問題を紹介しながら、「日米地位協定の見直しが絶対必要だ」との訴えでした。最近急激に機能拡大が進み、騒音問題が深刻となっている岩国基地問題を考えることで、沖縄問題をより身近な問題として受け止めることが重要だと感じました。

集会には、約70人の参加がありました。

沖縄では、広島からも参加し14日、15日と「基地のない平和な島」を求める「平和行進」が、3年ぶりに実施されました。

いのちとうとし

【編集後記】今日予定していました平野薫さんの作品紹介は、明日以降に変更しました。

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2022年5月15日 (日)

2022.5月のブルーベリー農園その2

5月も中旬になると初夏の気配もしてきて、ウノハナ系のハコネウツギやオオタニウツギなどの花木が花を咲かせる兆しが見えてくる。安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー園に週末に通っているが、晩生の(ラビットアイ系3段ある畑、2か所ある里山のブルーベリーの剪定はほぼ終わった。あとは約80本ある早生(北部ハイブッシュ系)の剪定のみとなっている。農園の周囲は田植えの季節なのでこの時期しか見れない水を張った田んぼの風景が美しい。

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58日(日)

小高い場所にある小さな畑からはブルーベリー畑が見渡せる。その畑に種から育てたキヌサヤエンドウとスナップエンドウの収穫と草取りを行う。肥料なし、消毒なしでも夕食で楽しむことができる量がとれている。

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となりの畝のソラマメ。実が少しずつ大きくなっている。

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 同じ畑に咲くジャーマンアイリス。この花はバッサリ切って持ち帰り玄関に飾った。畑になじんだのか株数が増えている。

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里山の西側の早生のブルーベリーの剪定の剪定を続ける。

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510日(火)

福富町の道の駅「湖畔の里ふくとみ」に安芸の郷の商品を納品しているので、ブルーベリーの苗木、ジャム、ソースの補充を行った。その足で農園に行く。農園についたら花壇に咲いたアヤメ迎えてくれる。

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すぐそばの田んぼで田植えの真っ最中。

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里山の里道の草刈りや、

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早生のブルーベリーの剪定を続ける。シンククイムシの被害にあった枝を切り詰めると大きな穴になっていた。殺虫剤を注入したあと枝で栓をした。

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庭のムラサキカタバミが満開

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年5月14日 (土)

えっ この名前は?

中区中町の平和大通りに面して建つ「エビデンビル」の1階で、「傘」のタイトルがついて「どこかで?ゲンビ平野薫」展が開催されています。広島現代美術館(愛称:ゲンビ)が来年3月までの休館中に実施している「サテライト展示」の一つです。

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この「エビデンビル」の1階では、定期的に若い作家の現代美術品が展示されています。私もよく前を通りますので、いつも楽しみにみていますが、特別に作家のことを気にしたことはありませんでした。

しかし、今回の作家名「平野薫」を見て、「どこかで聞いたことがある名前だな」と気になりました。平野さんの経歴が掲示されていましたので、読んでみました。

やはりそうだ。平野薫さんは、私がかかわっていたドイツ・ポツダム市にある「ヒロシマ・ナガサキ広場」の記念碑をつくるときに聞き、気にしていた平野さんでした。

1945年7月にポツダム市で行われた「ポツダム会談」に出席したアメリカのトルーマン大統領が宿泊したといわれる建物(現在もトルーマンハウスとして残っている)のすぐ前にある小さな公園に「ヒロシマ広場」と名前が付けられたのは、2005年のことです。その「ヒロシマ広場」に記念碑をつくろうとドイツ国内で募金活動が始まったのが2007年でした。

それに協力するため日本でも支援組織が作られ、募金が始まったのですが、ある事情で私がその組織を引き継ぐことになり、私のかかわりが始まりました。

記念碑の設計を任されたのがドイツやノルウェーで活躍されていた石刻家の藤原信(まこと)さんでした。ある時、ベルリンに留学している学生たちに記念碑の話をした藤原さんに「どうしていつもヒロシマなんですか」と指摘したのが、平野薫さんでした。平野さんは、長崎県出身で広島市立大学からドイツに留学中でした。

この一声が、この広場の名前を「ヒロシマ広場」から「ヒロシマ・ナガサキ広場」へと改称させることにつながったのです。広場に記念碑がつくられたのは2010年7月25日ですが、名称が変わったのは、少し遅れて2011年12月でした。

この平野さんの一言から、広場の名称が変わっただけでなく、記念碑に「広島と長崎の被爆石」が並んで据えられることになりました。

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右が広島(広電の路面電車の敷石)、左が長崎(山王神社の境内)の被爆石

この経緯もいつか、このブログで紹介したいと思います。

そんな経緯が私には強烈な印象として残っていましたので、エビデンビルのサテライト展示で「平野薫」さんの名前を見た時「えっ この名前は」と思ったのです。

「私が思っている平野さんに間違いないのか、当人だったらぜひ一度あって話してみたい」と思い、現代美術館に問い合わせませました。しばらくして現代美術館から連絡がありました。平野さんは、現在安芸太田町に住み、活躍されているということでしたが、私が思っている平野さんに間違いありませんでした。

平野さんからも「そんな人とならぜひ会いたい」との返事があったということでしたので、展示の一部を変えるため5月末にエビデンビルに来ることになっているとのことで、その時お会いすることにしました。名前は知っていたのですが、会うのは初めてですので、どんな話になるのか、いまから楽しみです。

平野さんの作品を紹介しなければなりませんが、少し長くなりましたので、のブログに書きたいと思います。

いのちとうとし

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2022年5月13日 (金)

「あれは何ですか」―被爆遺構展示館

「『あれは何ですか』と問われることがあるのですが、説明できなくて困っているのです。ご存知ないですか?」

5月9日の「連休最終日の平和公園: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介した「被爆遺構展示館」を訪れた時、ガイドの方から問われたことです。

遺構の右奥隅に白いものが見えます。

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赤枠の部分

 建築解体現場などで廃棄物を入れるために使われるビニール袋の端切れのように見えますが、私もはっきりしたことが答えられませんでしたので、「市の担当者に聞かれたらどうですか」と返事をして、その時は終わりました。

このガイドさん、来館者に積極的に解説をされていましたので、ずっと気になっていたようです。

私も少し気になっていましたので、昨日広島市平和推進課を訪ね、聞いてきました。「連休最終日に『被爆遺構展示館』を訪ねた時、ガイドさんからこれは何でしょうかと問われたのですが、ここには何か連絡が入っていますか?」と訊ねたところ、「いや、何も聞いていないのですが、これは遺構上部の土を切り取った時、周囲の土がくずれないようにするため置いた土のう用のビニール袋です」との答えでした。

一応、なぞは解決しましたが、ガイドをされている人から市の担当者への連絡はなかったこともわかりました。市の話では、「被爆遺構展示館」のガイドは、シルバー人材センターから派遣していただいた人が担っているということでした。数人が担当し、午前午後、ローテーションを組んでおられるとのことです。

私が訪ねた時もそうですが、ガイドの人は、毎日の入館者数をチェックし、市に報告することになっているようです。と言っても、正の字を書きながら設置された報告用紙に午前、午後に分けて人数だけ備え付けの用紙に記入する方式ですが。

広島市からの説明によれば、この連休中は、「被爆遺構展示館」に訪れる人を増やすため、市の担当者も休日出勤し交代で現場に立ち案内をされたそうですが、ガイドから「あれは何ですか」の問い合わせは、全くなかったことになります。

「ガイドの人によく説明してあげてください」とお願いして平和推進課を後にしましたが、ガイドのみなさんが、より良い説明ができるように、こうした問題が発生した時の対処方法をきちんとしておくことが大切だと感じました。

いのちとうとし

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2022年5月12日 (木)

「ヒロシマ、顔」写真展に行ってきました。

昨日午後、中区八丁堀のギャラリーGで開催されていた「1945年8月6日。あの日まで。あの日から。『ヒロシマ、顔』写真展」に行ってきました。

この写真展は、ANT-Hirosimaが、2020年から被爆者の人生を写真冊子や映像で記録するプロジェクトの一環として開催されたものです。

会場には、写真家の石河(いしこ)真理さんが撮った10人の写真が並んでいます。

会場内の写真は、撮影禁止ですので紹介することはできませんが、会場の外からは撮影OKということでしたので、入り口付近から撮影しました。

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遠めですが、一番右側に昨年4月に亡くなられて被爆者の岡田恵美子さんの写真を見ることができます。10人の中には、私もよく知っている被爆者の顔もあります。みんな少し笑顔の写真です。写真手前に写っている看板の「ヒロシマ、顔」の文字は、

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中国新聞で一昨日最終回を迎えた「生きる」の被爆者で書道家森下弘さんが書かれたものです。森下弘さんも10人のうちの一人です。

会場には、石河さんのメッセージが掲示されていましたので紹介します。

「ヒロシマの顔」に寄せて

ある日、小学校の図書館に

辛いことがあった子どもが一人でやってきて

本棚にある‟ヒロシマ、顔“の一冊を手にする

そして 優しい顔に出会い 直接話しかけられるように

その言葉が聞こえてくる

そんな伝え方があったらいいなと思っていました

なるべく直接出会い 子どもたちにはなしかけてもらいたい

その大切な出会いのお手伝いになるのが写真だと思いました

撮影の時に感じたものが そのままこの一冊に乗り 伝わっていけばいいなと

小さな子どもたちにこの声が聞こえたら。

広島で育ち‟伝える“という言葉を追い続けてきました。

‟伝える“はいつも私の心の中で形を変えながら問いかけています。

お一人お一人の放つ暖かさが伝わることは

人間の尊さが伝わることだと心から信じています。

撮影の時 みなさまがそれぞれ先立たれた方々の声を伝えようと

大切なことを伝えようとカメラのレンズを見つめてくださいました。

 

石河さんの写真撮影と共に若い人たちが、被爆者のはなしを聴き取り写真冊子や映像となって残されていくことになります。会場では、すでに映像化が終わった岡田恵美子さんと李鍾根さんのビデオが流れていました。

会場の都合で、会期は3日間でしたが、多くの人が訪れられてようです。私が会場にいる間にも次々と人が訪れていました。9月には、少し会期を長くして袋町の市民交流プラザで写真展が開催される予定だそうです。今回見逃した人には、ぜひその機会に訪れてほしいと思った写真展でした。

いのちとうとし

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2022年5月11日 (水)

憲法98条「最高法規」を読み直す ――『数学書として憲法を読む』の補足です――

憲法98条「最高法規」を読み直す

――『数学書として憲法を読む』の補足です――

 

三年前、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』という変った名前の本を法政大学出版局から上梓しました。時間的にも限りがあり、憲法全ての条文を詳細に検証することはできませんでしたので、その後も条文毎に少しずつ読み直す作業を続けています。

Photo_20220511084401   

今回から、98条の「最高法規」についての「発見」を報告しておきましょう。

まず、お浚いです。『数学書として憲法を読む』では、憲法をあたかも数学の公理のように考えた上で、そこからどのような結論が論理的に帰結されるのかを考えたのですが、その読み方そのものについて、九つのルールを設定しました。語呂の良さも考えて、「九大律」と呼びました。再度、掲げておきましょう。

[正文律] 対象とする日本国憲法の正文は日本語とする。

②[素読律] 書かれていることを字義通り素直に読む。これがすべての出発点である。どこで何が定義、あるいは規定されているのか、定義・規定の内容はもちろんだが、その順序に意味のある場合にはそれも尊重する。

③[一意律] 一つの単語、フレーズは、憲法の中では同じ意味を持つと仮定する。

④[公理律] 憲法を「公理」の集合として扱う。

⑤[論理律] 憲法解釈は論理的に行う。法律やそれに準ずるものは、公理からの論理的帰結であると位置付け、論理的に考えて憲法と整合性があるかどうかの判断をする。

⑥[無矛盾律] 条文間には矛盾がないという前提で読み、解釈を行う。

⑦[矛盾解消律] とは言っても現実問題として、憲法内には文言上、一見、矛盾している記述が存在する。条文間の矛盾や使われている概念間の矛盾について、出来るだけ無理のないしかも説得力のある、もちろん「論理的」で憲法の趣旨が生きるような解釈を探し、出来れば「矛盾」を解消する。最低限、「矛盾度」が低くなるように読む。

⑧[自己完結律] 憲法は、基本的には自己完結的な文書であると仮定する。つまり、書かれていないことには依存しない。立法趣旨等も条文に掲げられていないものは無視する。さらに書かれていることにはすべて意味があると仮定する。

⑨[常識律] 定義されていない言葉や概念が使われている場合は、日本語の常識で解釈する。それもできるだけ自然な解釈による。

 

そして本文中で特に強調したのが、99条の憲法遵守義務でした。紙数には限りがあるのですから当然なのですが、書きたいこと、伝えたいことの全てを一冊の書物に詰め込むことはかなり難しい仕事です。その結果、98条の重要性については十分に書き切れなかったことを反省しています。遅まきながら、憲法を「最高法規」として認めている98条を読み直してみましょう。まず条文です。

 

98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 

結論部分をまとめておくと、この9つの「律」のうちの半分くらいは、98条からの論理的帰結なのです。まさにこの条文の奥深さなのですが、その出発点は、「改竄禁止律」と名付けたルールです。それは九大律の依って立つ土台といった感じのルールなのですが、説明のためには、かなりのスペースが必要ですので、次回に回します。

 [2022/5/11 イライザ]

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2022年5月10日 (火)

「お得」とは、普通「安い」ことだと思うが

 物の値段の上昇が続いていますね。食べ放題で600円だった行きつけのうどん店も650円に、文房具屋で購入する茶封筒も値上がりしました。電気料金もしかりです。

6年前の2016年4月から、家庭向けの電力が自由化され、中国電力(中電)もこの時から、新たな料金メニューをスタートしました。この年の1月に開催された中電主催の「電力システム改革説明会」の資料を見ると「ぐっとずっと。エネルギア」と銘打って、新しい料金メニュー、サービスのコンセプトを宣伝し、こちらに移るように呼びかけています。

全面自由化により、新電力会社が全国で作られました。石油会社、ガス会社、通信会社、住宅会社などが新電力として参入しました。「わが社の電気は再生可能エネルギーによる発電です」というのもありましたが、ほとんどは「今より安くなる」というのが宣伝文句でした。

このことを考える上での前提の話しをしておきます。同じ中電で電気を購入することにしても、これまで通りでの方法で継続している場合と、新たに打ち出した新プランによるものに移る場合があります。簡単にいえば同じ中電の中での、旧電力契約を継続するか、新電力との契約にするかということです。中電の魂胆は、他の新電力が「安さ」を売りに営業活動をしている中で、お客の中電離れを抑えようとするのが狙いでした。

だが新電力との契約の盲点は、発電燃料費の上昇や卸し電力料金、電力市場での日に日に、また1日の中でも常に動いている「卸し電力」料金が上がると、安いとしていた新電力会社の電気料金を上げざるを得ないという事態になったのです。

さあここからが本題ですが、16年4月から中電が始めた新たな料金メニュー、それによると、『「中国電力は約束します」として、「ぐっと」おトクな料金と、「ぐっと」便利なサービスをご提供することを』と書いています。料金プランも「スマートコース」、「シンプルコース」、「ナイトホリデーコース」、「電化Styleコース」とお客の生活パターンに合わせて、新たな料金メニューを売り出したのです。

共通しているのは、従来の一般的な契約である「従量電灯A」に比べて安くなるというものです。そしてポイントを提供して、貯まったポイントは地元のスーパーで使えるとか、特産品や日用雑貨に交換できるというのが、魅力だったようです。

関東地方に住んでいる人も中電と契約できるというメニューも作って、広島のマツダスタジアムで開催されるプロ野球の観戦に、東京から広島までの新幹線交通費の片道分と、観戦チケットも出すというものでした。

また前提の話しになるのですが、従来の方法での電力契約も燃料価格が上昇すれば、「原燃料費調整制度」という仕組みで、電気代金が上がってきます。実際に上がりました。しかし、こちらの方は上げてもよい上限価格に達したために、これ以上は上げてはならない値段になったのです。しかし新電力としての「ぐっとずっと。エネルギア」プランの方は、燃料価格の変動を料金に反映が続くために、「お得」といってた方が高くなったのです。

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中国新聞 2022年4月28日

 報道によると、『月260㌗時を使う家庭の場合、自由料金の「ぐっとずっと。」プランスマートコースは8247円と5月から80円高くなる。規制料金の従量電灯Aは8029円と変わらないため、218円の差ができた』ということでした。

この傾向は、今年3月から始まりました。もちろん従量電灯A契約も、原燃料費調整制度で月々上がってきましたが、電気料金が逆転したのです。

世界的な燃料価格の上昇に加え、ウクライナ問題、それに極端な円安で燃料価格が上がっているのは事実です。しかし新料金プランを打ち出した時、中電は「約束します」とまで大見えをしたのです。

そういえば最近、「ぐっとずっと。」の宣伝を、あまり見なくなったような気がしています。

中電に働いている人にこのことを話したら、「お得イクオール安いことではない。僕はポイントでたこ焼きセットをもらいました」言ってました。さぞかし美味しいたこ焼きが出来たことでしょうね。

この4月に中電販売事業本部が作成した「ぐっとずっと。エネルギア」の宣伝パンフの表紙タイトルは「いい感じの未来、いっしょに。」です。次期中電社長は、販売事業本部長の瀧本夏彦(たきもと なつひこ)さんが就任することになっています。お手並み拝見です。

木原省治

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2022年5月 9日 (月)

連休最終日の平和公園

ゴールデンウイークに最終日となった昨日(と言っても5日までしか連休が無かった人も多いと思いますが)、「今日の人出は❓」と平和公園を訪れました。平和公園の資料館前に着いたのは、午前10時半過ぎでしたが、人影はまばらです。

連休の初日29日、人と会うため午後2時過ぎ平和公園を訪れたのですが、その時は雨が降っていたため、人の姿はほとんど見ることがありませんでした。しかし、レストハウスでの話し合いを終えて外に出た午後4時過ぎには、資料館東館入口は、資料館の真ん中ほどまで伸びた人の列があり、連休が始まったのだと実感しました。

昨日は、受付前にも、全く行列はできておらず、ちょっと拍子抜けの感がしました。

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すぐに入館が可能でしたので、東館1階企画展示室で開催されている企画展「原爆と医療」(ここは自由に入ることができる)を観ることにしました。

入場券売り場の人に訊ねると「6日までは、コロナ禍以前のような多くの人が入館されました」とのことでしたので、私が見た29日の風景より多くの人の行列が6日までは続いていたようです。

企画展は、戦時下の広島の医療状況と救護活動、原爆投下により壊滅的打撃を受けた医療現場、市内の医師の91%が罹災し全く予定された救護活動ができなかったこと、それでも懸命な救護活動が行われたこと、直後の様々な調査活動の様子などが、貴重な資料や写真と共に展示されています。この企画展は、9月12日まで開催されています。

一回り終えて出口で目に付いたのが、デジタル掲示板です。

20220508_110649

15秒前後で表示内容が変わりますが、その一枚に「被爆遺構展示館」の紹介がありました。何時から始まったのかはわかりあせんが、このフロアーには、2か所あります。何とか連携するようになったなとちょっと安心しました。

資料館を出ると「被爆遺構展示館」に行きました。入り口には、初めて目にする立て看板があります。

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入口で消毒し、中に入りましたが、入館者はいません。しかし、私が館内にいた10分ほどの間に、2組3人の入館者がありました。

私の関心事は、「ここをどれだけの人が訪れたのだろう」ということですので、館内の案内をする人に入館状況を訊ねました。毎日の入館者をカウントしメモが取られているようですので、お願いしその資料を見せていただきました。資料があった5月1日から7日までの合計が、2,804人ですので、1日平均約400人です。この期間中、資料館を訪れた人はずいぶん多かったと思いますので、まだまだここを訪れる人は少ないなというのが実感です。

ちなみに昨日は、私が訪れた時までの入館者は、26人でした。

入館者を増やすための工夫がもっともっと必要だということを改めて感じました。

「被爆遺構展示館」を出て、慰霊碑前に移動しました。

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ここでも人影はまばらで、落ち着いた雰囲気でした。

連休最終日の昨日は、修学旅行生の姿もなく、ゆっくりと資料館を見学し平和公園の散策ができるいつもの風景を取り戻していました。

原爆ドーム方面には行かずに、ここで帰宅しました。

いのちとうとし

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2022年5月 8日 (日)

2022.5月のブルーベリー農園その1

ゴールデンウイークに入った。標高約400mの所にある東広島市豊栄町のブルーベリー園の安芸区の自宅からこのウイークも日帰りで通った。5日には帰る時に農園の近くの道路を横切るオスのキジと出会った。車をゆっくりゆっくり走らせて畑に移動する様子を眺めた。

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51日(日)

農園の近くの畑に咲くキンポウゲ

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農園の周辺の田んぼ

53日(火)水が張られた

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55日(木)稲が植えられた

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友人2人が来園。ブルーベリーの剪定した枝を燃やす作業をお願いした。熾火で焼き芋をつくりおいしく頂く。お陰で枝は9割がた片付いた

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55日(木)

以下はとても長い間使わなかった一眼レフのカメラで撮影した農園の景色

①マムシグサ

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②隣り合った場所のアザミ。蕾の頭がうっすら紫色に染まる

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③日陰に咲くエビネ

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④オドリコソウ

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⑤ブルーベリー畑。杉林の右手の里山にもブルーベリー園がある

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⑥その里山のブルーベリー園で早生(北部ハイブッシュ系)の剪定を続ける

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⑦早生のブルーベリー。殆ど落花し結実している

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年5月 7日 (土)

奇妙なゲートの向き―フラワーフェステバル

第45回フラワーフェステバルのメインの行事は、5日で終了しました。今年も、コロナ対策で、従来とは大きく様変わりした内容になったようです。

その企画の一つとして、平和大通りの白神社前から中央通りまでの北側の緑地帯に色とりどりの花やオブジェで彩った「フラワーロード」と銘うった散策コースが作られています。

この「フラワーロード」の東西の入り口には、それを示すゲートが設けられています。

「奇妙なゲートの向き」というのは、そのフラワーロードの西側の入り口(白神社前)に設けられたゲートのことです。

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少し遠めですが、よく見るとゲートの西側の一番上には、何も書かれていません。

東側に廻り、NHKビル方面を見ると、アーチの上部に「フラワーロード」と書かれています。の

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連休前に、このゲートを取り付ける作業をしている時から、なんか変だなと思いながら眺めていましたが、本番までには、向きがきちんとするだろうと思っていました。

しかし、本番に入ってもそのままです。

ゲートのすぐ東側にあるANAホテル前の愛宕池にも花のオブジェが置かれていますので、フラワーロードは、ここからスタートすることは間違いありません。

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東側の出発点となる中央通り側のゲートはどうなっているだろうと見に行きました。

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こちらは、間違いなく入口となる東側に「フラワーロード」と書かれているのがはっきりと見えます。ゲートの後ろ側には、展示物も見えていますので、このゲートがフラワーロードの入り口であることを示しています。

やはり、西側のゲートは、どう見ても反対向きに立っているとしか思えません。

何故こんなことが起こったのか?ちょっと不思議な光景です。

フラワーフェステバル実行委員会のホームページによれば、このフラワーロードは、2日から15日まで実施されることになっていますが、今もそのままです。

「不思議」というより、なぜこんなことになってしまったのだろう?どうして直さないのだろう?とつい余計な心配をする光景です。

いのちとうとし

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2022年5月 6日 (金)

「中国新聞創刊之地」碑

昨日5月5日は、明治25(1892)年に創刊された中国新聞が130周年の節目を迎えた日でした。

昨日の中国新聞は、本紙だけでなく、8面で構成された別刷りの特別号でその歴史を紹介しています。その中で、私が気になったのは別刷り1面に掲載されていた「明治31(1898)年、『中國』大手町本社時代の社員」とキャプションが付された写真です。それはよく見ると明治31(1898)年当時の「中國新聞社」と看板がかかった社屋をバックにして並ぶ社員が映った写真です。

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中国新聞の前身である「中國」と題された日刊紙が創刊されて5年後の写真ですから、創刊時と同じ場所だと思います。このキャプションで一番関心を持ったのは「大手町本社」の文字です。

このキャプションを読みながら「そうだったのか」と思い出したことがあります。

わが家からバスセンター方面に行くとき通る県民文化センター前の通りの中区大手町2丁目にある「タイムズレンタカー大手町」の敷地に「中国新聞創刊之地」碑があり、いつも不思議に思いながら通り過ぎていました。

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私の記憶の中には、中国新聞社と言えば、被爆した現在の中区胡町(現在の三越広島店)に建っている社屋のイメージしかなかったからです。

今日の新聞でようやく謎が解けました。最初に中国新聞社の社屋があったのは、この大手町だったのです。社屋の前の通りは、江戸時代以来の当時のメイン通りでした。社屋があったと場所だと私がずっと思っていた中区胡町に移転したのは、1926年5月19日のようです。この年は、大正から昭和に元号が変わった年です。この年の12月25日に元号が昭和に開眼されていますので、中国新聞の社屋移転は、大正時代に行われたことになります。

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改めてこの碑を見ると「明治二十五年五月五日 中国新聞創刊之地」と130年前の昨日の日付が刻まれています。裏側を見ても、これ以外の文字は刻まれていませんので、いつ設置されたかは不明です。「中國」から「中国新聞」に紙名が変わったのは、5000号を機に1908(明治41)年6月21日からだそうです。
明治25年(1892年)は、日清戦争が開始された明治27年(1894年)のわずか2年前のことです。軍都廣島の発展と共に中国新聞も発行部数を伸ばしたことが想像されますが、被爆地の新聞社となった戦後は、被爆者問題や反核・平和のために大きな役割を果たしています。

時々、頭をかしげたくなる記事を目にすることもありますが、中国新聞が、これからも被爆地広島の新聞としての役割を果たし続けてほしいと願っています。

いのちとうとし

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2022年5月 5日 (木)

ヒロシマとベトナム(その31)

2シリーズの寄稿を再開します

1月5日付けの(その30)からお休みしていました「ヒロシマとベトナム」、4ヶ月ぶりの再開です。毎月5日に寄稿させていただき、もう一つのシリーズ「ベトナムの歴史」も毎月20日に寄稿させていただきますので、改めてよろしくお願い致します。

来年(2023年)、私が専務理事を務める広島ベトナム平和友好協会(HVPF)は「設立15周年」を迎えます。折りしも、2023年は1973921日にパリで日本とベトナム民主共和国(当時の北ベトナム)との間で外交関係樹立の交換公文が調印されて50周年、「日本ベトナム国交樹立50周年」という記念すべき年に当たります。HVPFでは本年度と来年度、2つの周年記念事業を企画し準備を進めています。

そこで、この間の活動を振り返りながら、「ヒロシマとベトナム」について考えて見たいと思います。

HVPFの名称に込めた思い

先ず、20096月の協会設立にあたり、広島ベトナム平和友好協会(Hiroshima VietNam Peace and Friendship Association(略称HVPF)という名称に込めた思いを紹介します。二国間交流団体の名称として平和友好という冠を付けるのは稀(まれ)です。そこには20世紀の戦争被害を象徴するヒロシマ(原子爆弾)とベトナム(枯葉剤爆弾)の体験、「核も化学兵器もNO!」という共通する願いに立った、いわば「ヒロシマの心」に立脚した市民レベルの二国間交流を進める組織という意を込めました。シンボルマークは、 地球をイメージ、上部に平和を象徴する慰霊碑の埴輪型屋根、下部にそれを支えるヒロシマとベトナムを配置しました。 

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同時に、ヒロシマがかつて軍都廣島としてアジア侵略の出撃拠点であったことや、5年に及ぶ日本軍のベトナム進駐時に犯した過ちを決して忘れることなく、真に市民レベルでの相互理解と互恵的関係を築くことによって、「アジアおよび世界の恒久平和創造に寄与する」ことを目的に設立しました。

旧国境線のまちクアンチとの交流

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ヒエンルオン橋・上が旧、下が新

設立前年の2008年は「日本ベトナム国交樹立35周年」でした。行政・議会・商工会議所・広島大学をはじめ学術機関などに呼び掛け、グエン・フー・ビン駐日ベトナム特命全権大使を迎えての「記念講演会&交歓会」を開催しました。駐日ベトナム大使が広島県を訪れたのはこの時が初めてでした。

そして、フービン大使に「私たちが継続して交流するとすればどこをお勧めですか」とお尋ねし、始まったのが旧南北国境線(17度線)のまち、ベトナム戦争が最も激しく戦われたクアンチ省との交流です。協会の設立に先立つ20094月に16名の平和友好訪問団(第一次)を派遣して以来、今日まで交流が続いています。

この春、ヒロシマ平和創造基金の「国際交流奨励賞」を受賞しました。

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ヒロシマで活動する国際交流団体として、とても光栄に思うと同時に、今日的な情勢下で果たすべき役割はますます増している胸に刻んでいます。

次回から「HVPF教育支援プログラム」の一環として実施しているクアンチ省の少数民族の子どもたちに対する奨学支援について、幾度かに分けて報告します。

(2022年5月5日、あかたつ

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2022年5月 4日 (水)

今年も「5・3ヒロシマ憲法集会」が開催されました。

憲法記念日の昨日、広島弁護士会館で午前10時から「2022平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会」が開催されました。

コロナ禍の今年も、大きな会場での開催は困難と判断し、広島弁護士会館を主会場に、福山、三次、呉、尾道、三原など6カ所にオンライン会場を設け、出来るだけ多くの人に参加していただく努力をしました。

集会は、戦争させないヒロシマ千人委員会の岡本直美さんの司会でスタート。最初に主催者を代表して戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会共同代表山田延廣弁護士があいさつ。

すぐに講演に移りました。今回の講師は、市民連合@新潟共同代表・新潟国際情報大学教授の佐々木寛(ささき・ひろし)さんでした。

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「今、憲法の平和主義、反核運動が一番の危機を迎えています。」から始まった、佐々木さんの講演は、昨年秋の衆議院選挙で、6選挙区中4選挙区で野党が勝利した新潟での市民連合の取り組みを紹介。そしてし、これから目指すべき社会は「脱原発社会 中央集権・地域分断社会⇒地域分散・ネットワーク社会(自治)」だということを強調され、7月に予定される参議院選挙に向けて、私たちがどう取り組むのかの問題提起がされました。講演の中では、憲法の前文を引用して話されたことが印象的でした。

最後に、下記の集会アピールを全員で確認し憲法集を終了しました。


2022年5・3ヒロシマ憲法集会決議

プーチン・ロシア軍のウクライナ侵略により多くの市民が犠牲になっています。子ども、お年寄り、女性、障がい者たちに向けて砲弾やミサイルが撃ちこまれ、残虐非道な行為や虐殺も伝えられています。核戦争の危機が現実化しているなか、私たちは世界の市民と連帯して、即時停戦と一刻も早い平和の回復を訴えます。

 この惨事に便乗した改憲論が高まっています。改憲派は様々なメディアを使って、憲法九条に対する一斉攻撃を始め、軍事力の拡大を正当化しています。安倍晋三元首相や維新の会などは「台湾海峡の危機」をあおり、「核シェアリング」の議論を持ち出して、「非核三原則」の放棄をもくろんでいます。防衛のために「敵基地攻撃能力」を持とうという主張は、相手国の中枢への攻撃にまでエスカレートしています。

 しかし、いまこそ日本国憲法が指し示す平和構築の道に思いをはせるべきです。憲法前文は冒頭で宣言しています。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。

 日本国憲法は、日本が今のロシアのような侵略国であったアジア・太平洋戦争の反省の上に制定されたものです。その根幹である九条をなきものにしようとする改憲派の主張は、再び日本を戦争できる国、侵略する国にしてしまおうというとんでもない策動です。私たちは過去の悲惨な歴史に学ばない改憲の動きに断固反対します。

 改憲派は野党共闘の協働にくさびを打ち込み、維新の会を急先鋒に仕立てて7月の参院選で、改憲発議要件の3分の2議席を獲得しようと全力をあげています。これを許せば次の参院選まで大きな国政選挙がないという「黄金の3年間」に改憲発議と国民投票に進んでいく恐れが濃厚です。

 きょうのヒロシマ憲法集会で私たちは、広範な市民が参加する市民選挙を実践し、野党共闘候補を勝利させている新潟の取り組みを学びました。広島でも集会テーマである「憲法を活かす私たちの選択 市民がつくる新しい社会」の運動をつくっていきましょう。まずは7月参議院選挙において改憲発議をさせない議席を獲得するために奮闘しましょう。ウクライナに平和を回復するために声を上げましょう。核戦争を絶対に起こさせないために世界の市民と連帯して行動しましょう。戦争の原因である貧困、格差や差別のない社会を市民の力でつくっていきましょう。子や孫たちに戦争の危険のない地球を手渡しましょう。

 2022年5月3日

平和といのちと人権を! 5・3ヒロシマ憲法集会参加者一同


広島弁護士会館には、当初予定していた人数を大幅に上回り260人の参加がありました。

いのちとうとし

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2022年5月 3日 (火)

憲法施行75年-今やるべきことは?

今日5月3日、1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本憲法は75歳を迎えます。

憲法記念日の今日は、様々な集会や行動が予定されています。私が直接関係するものは、憲法を守る県民会議の中国新聞への意見広告掲載、午前10時から弁護士会館を主会場としオンラインを併用した「2022平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会」が、開催されます。この集会の様子は、明日紹介します。

5月3日を中心に毎年、「憲法問題」を中心にした世論調査の結果が、報道されます。昨日の中国新聞は、1面、2面、3面を使って共同通信が行った世論調査の結果を報道しています。1面の大見出しは、「9条改正 賛否が拮抗」です。

「9条改正」については、中味を見ると「改正をする必要がある」:50%、「改正する必要はない」:48%となったと報じています。

2月24日にロシア・プーチン大統領による「ウクライナへの軍事侵略」が発生して以降、「平和憲法で国が守れるのか」という声が強まっているかの報道もありましたが、国民は冷静に受け止めていることが、この世論調査の結果では明らかになっています。ただマスコミの世論調査では、これまでもそれぞれの報道機関によって、その結果には大きな開きがありますので、1紙の世論調査結果だけで論じることは、無理がありますが、一つの結果としては尊重されるべきだと思います。

こうした世論調査の結果を見ながら思うことは、国会の動きです。

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衆議院憲法審査会

国会に憲法調査会が設置され始動したのは、2000年1月です。それから、22年が経過しました。憲法調査会が、憲法審査会に改組されたには、2007年(平成19年)8月ですから、約15年が経過したことになります。

私も一時期、衆議院憲法調査会の委員としてこの論議に直接参加してきたことがありますが、いまもなおぬぐい去りがたい思いがあります。それは、憲法改正を求める人たちは、「憲法と現実がかい離しているのだから、憲法改正が必要だ」という主張を繰り返します。しかし、「憲法と現実が乖離しているとしたらなぜそうなったのか」についての論議が全く深まっていないことです。

その最も象徴的な事例が、「憲法9条」と現実の乖離です。例えば、安倍政権による「集団的自衛権」の憲法解釈の変更もそれを端的に示す事例だと思います。

そして「かい離」だけを声高に強調するのではなく、「憲法」が、この75年間に果たしてきた役割こそきちんと評価されるべきです。残念ながら、憲法調査会発足以来、国会はその役割を果たしてはいません。

憲法記念日を迎えた今日、私は改めてこのことを問いたいと思います。戦後憲法が果たしてきた役割と「なぜ憲法と現実のかい離が起きてしまったのか」をきちんとした総括がなければ、仮に憲法を改正したとしても政府や多党による一方的な憲法解釈によって、憲法が捻じ曲げられていく危険性は、排除できないのではないでしょうか。

国会議員は、憲法改正を求める前に、そのことをこそ真剣に論議してほしいと強く思います。

いのちとうとし

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2022年5月 2日 (月)

サクランボの実が熟しました―被爆者の森

最近、テレビ報道で「サクランボの実が熟しました」というニュースを目にしましたので、3月14日の「サクラの花が咲きました?―被爆者の森: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介した被爆者の森の「サクランボ」の木を見に行ってきました。

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真っ赤に熟したたくさんの実をつけています。

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食べ頃です。

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すぐそばで4人の男の子がボール遊びをしていましたので、少し話を聞きました。

「このサクランボ食べたことがある?」

「下の方の実をいくつか食べたよ。美味しかったよ。木のてっぺんの実は、カラスが食べるよ」

木の周りには、実がいくつも落ちていましたので、棒きれで叩き落して食べたようです。ちゃんと食べられることがわかりました。私も一つとって食べようかなと思いましたが、残念ながら手の届く枝には、見当たりませんでした。

「ここは、被爆者の森というけど、知っていた?」

「へぇー、初めて聞いたよ」

「全国の被爆者の人たちが、自分が住んでいる県の木を送ってくれて、作られたんだ。このサクランボの木は、サクランボが県木の山形県から贈られたんだよ」

「そうなんだ」

近所に住む子どもたちだと思うのですが、「被爆者の森」のことは全く知りませんでした。残念ながら「被爆者の森」の認知度は、低いようです。

「被爆者の森」をもっと知ってもらう良い方法はないか、改めて考えさせられました。

いのちとうとし

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2022年5月 1日 (日)

皆様、有難う御座います ――Change.org署名が10万を超えました――

皆様、有難う御座います

――Change.org署名が10万を超えました――

 

ブログ名が紛らわしくて申し訳ありませんが、「春風夏雨」 (「新」が付かない「ヒロシマの心を世界に」の副題です) の方では報告してきた内容を、今回まとめてお知らせすることにしました。

まず、Change.orgでの署名運動は31日に始めました。その経緯については、ここをクリックして、お読み下さい。署名がまだの方には、署名もお願いします。

36日の昼過ぎには署名数が5万を超えましたので、準備をして、312日にプーチン大統領と岸田総理大臣に書簡を送りました

その前にChange.orgと協力して作成したビデオも、この日にリンクを貼っておきましたので、御覧下さい。

そして、いよいよ、昨日、10万を超えました。

皆様、有難う御座います。皆様の御賛同のお陰です。今日までには、既に「106千」を超えました。

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106,034」という数字を御確認下さい。私たち、一人一人の存在は「一(いち)」ですが、同じ気持ちを共有して、同じ目的のために一人一人が一つの行動を取ることで、その結果が10万という大きな数字になるという事実がハッキリ分りました。これを、20万にすることも可能ですし、ここからまた別の行動につなげて戦争を止めさせること、犠牲者の冥福を祈り遺族の悲しみに寄り添うこと、避難民を支援すること、そして今回のように侵略戦争が再び起らないような世界実現のために知恵を集めること等、多くのことが可能になります。

私は、10万の皆様の意思を代表して、再度プーチン大統領と岸田総理大臣にこのキャンペーンの趣旨を認めた書簡を出します。また、その他の核兵器保有国の首脳にも同趣旨の書簡を出し、協力を要請します。

そして、次の段階の行動への準備も始めます。6月末の核兵器禁止条約締約国会議、8月の核不拡散条約再検討会議という二つの重要な国際会議の場を生かして、皆様から頂いた署名の趣旨を各国の代表や国際機関、市民団体等、多くの皆さんに伝え広げたいと考えています。

さらに、現在進行中の戦争でロシアが核兵器を使わないと宣言するというだけでなく、今後の世界の動きの中で、どの国も核兵器は使わないと宣言するように働き掛けたいと考えています。核保有国が「核兵器の先制不使用」(No First Use—略してNFU) 宣言をするということです。

第一歩としては、核兵器禁止条約締約国会議と核不拡散条約再検討会議に参加する各国の代表はじめ多くの皆さんに、私たちのメッセージを伝えるためのビデオを作成して、現地で配布したいと考えています。もちろん、YouTubeにもアップします。

その他の活動について、皆様からの御提案をお待ちしています。

 [2022/5/1 イライザ]

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