「明田弘司と、基町」写真展のつづき
「明田弘司と、基町」写真展の入り口で、参加者名簿に名前を書いていると、すぐ横で高齢の女性が、受付のスタッフに「今日は新しい情報をもってきたよ」と話されていました。
話を聞いているとこの女性は、近所の方にいろいろ聞きながら、かつての基町の情報を寄せられているようです。その情報は、付箋紙に書き込まれ、真ん中に広げられた地図に貼り付けられるようで、すでに何枚も付箋紙がついています。
女性の方は、「また来るよ」と言ってすぐに写真展の会場を後にされたので、細かな情報を知ることはできませんでした。
写真は、「1、高層アパート」「2、戦後復興期の基町と暮らし」「3、文化を育む」「4、昔を知り、未来へつなぐ」の4つのパートで構成されています。
「2、戦後復興期の基町と暮らし」では、私が電電公社に働いていたころ目にした木造住宅街やお好み焼き屋の写真があります。
会場の真ん中の机に貼られた地図は「基町地区古地図」です。受け付けていただいた資料には「基町の懐かしい時代をご存じですか?昭和28年~昭和30年頃の基町地区古地図に、お店やよく遊びに行ったところなど、懐かしい思い出や場所を書き込んで、当時の様子を教えてください。書き込みが難しい方は、スタッフが聞き取りをします。」と書かれています。
この主催者の思いにこたえて、ここを訪れた人たちの情報によって、古地図に新たな情報が加えられていたのです。
私が写真を見ている時にも、新たな情報提供者が現れました。
田坂さん(68歳)です。田坂さんは、古い基町の様子が映った5枚の写真を持参しておられ、スタッフに写真の説明をされています。
私も許可を得て、その様子を写真に撮りました。
その中には、この会場となっている市営住宅を隣の高層アパートから写したもの(一番下)もあります。
田坂さんは、聴覚障害があるようで、写真と共にその写真の説明を書いたメモを持参されていました。重なった写真の一番下の「カラー写真は、故人となられたお父さんが映されたもの。3枚は、自分が映したもの。昭和30年代前半 年齢?(学校まだ) 兄の自転車 ボクの家です。」と書かれています。
持参した写真の説明が終わると、今度は筆談で近所の説明です。二本の石柱を描きながら「自宅の近くには、大きな門(かつての陸軍病院の門と思われる)があった」という情報が提供されました。その情報がスタッフによって付箋紙に書きこまれ貼り付けられます。自宅近くに「菅野書店があった」ことも付け加えられました。
田坂さんが前回訪れられた時の情報でしょうか、地図の左端の「田坂」の表示のところに「私の実家です」と書かれた付箋が貼ってありました。
私が会場にいたのは、わずかな時間でしたが、その間にもお二人からの新たな情報が提供され、地図の付箋紙が増えていきました。
何とも不思議な思いを感じた写真展見学でした。
この写真展は、17日(日)まで午後1時から午後5時まで開催されていますので、ぜひ訪れてみてください。ただし月曜日、火曜日は休場となっています。
こんな企画を主催した「基町プロジェクト」のことが、もう少し知りたくなりましたので改めて訪ねてみたいと思います。
いのちとうとし
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