「明田弘司と、基町」写真展に行ってきました。
4月4日の中国新聞で紹介された「明田弘司さんの写真展」に行ってきました。
明田弘司(あけだ・こうし)さんは、1947年から半世紀以上の間、広島の戦後を撮り続けた写真家です。
その明田さんが遺した写真の中から、基町地区の写真約20点が展示されています。
新聞記事では、「写真展会場は、基町市営アパート内」と書かれているのみでしたので、基町ショッピングセンターの中だろうと勝手に思い込み、最初にその場所を訪ねたのですが、どこにもそれらしき会場が見当たりません。しかし、その一角にチラシが貼付されていました。その中に会場が記されています。
この地図を頼りにようやく会場にたどり着きました。基町地区で最初の頃に建てられた4階建ての市営住宅の1階です。
この写真展の主催者は、広島市立大学と広島市中区役所による「基町プロジェクト」ですが、写真家明田弘司さんが遺した4万7千枚を超える写真資料を整理・活用する活動をしている明田フォトプロジェクトの協力を得て、開催が実現したものです。
展示する写真の選定は、基町地区に住んでいる人やかつて住んでいた人たちと大学生が一緒に集まって、ありし日の基町を振り返りながら、作業が進められてようです。
基町に関する写真展は、3月21日の「写真展1976‐1978基町」に行きました。: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介しましたが、その写真展は主に本川沿いに広がっていた通称「相生通」が中心でしたが、今回の写真展は、私の記憶にある基町地区の市営住宅街が写った写真が展示されていることに興味を持ち、どうしても行って見たいと思い足を運びました。
会場は、壁に選ばれた写真が並んでいます。フロアーの真ん中に机が置かれ、基町の1950年だと思われる住宅地図が、貼り付けてあります。
よく見ると沢山の付箋紙がついています。ここを訪れた人たちから寄せられた情報に基づいて、増えていったようです。
私もそんなお一人に出会いました。その時の様子は明日紹介します。
いのちとうとし
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