島根の夫婦松―平和公園
平和公園の北端(相生橋から平和公園に入ってすぐの左側)、「平和の時計塔」の北側に、「島根の夫婦松」があります。黒松(向かって左)と赤松(向かって右)が対になって植えられています。
向かって左側手前に建つ「島根の夫婦松」と書かれた標柱の右側面には「昭和三十八年七月二日」、左側面には「発足十周年記念」、裏面には「在広島根県人会」の文字が刻まれています。
この標柱を読むと、「島根の夫婦松」は、在広島根県人会によって「昭和38年(1963年)7月2日」に県人会の発足10周年を記念して植樹されたことがわかります。私も「在広島根県人会」に入っていますので、興味が湧いてきました。
広島で全国男子駅伝が始まったことを契機に各都道県の県人会が、沢山発足しましたが、これによると島根県人会の発足は、昭和28年(1953年)ということになりますので、全国の在広県人会組織でも、非常に早い時期に発足したことがわかります。
その大きな理由は、広島県は、隣県であるため島根から多くの人が働きに出ていたということだと思います。島根県広島事務所から提供していただいた「県人会史」には、発足当時の「こぼれ話」にはこう書かれています。
「終戦後ようやく落ち着いてきたころ、島根県出身者で集まろうではないかという声が出て、島根県出身者が勤めていると思われる会社、中電や広島電鉄とかに呼びかけ県人会が発足しました。ですから、最初はバスや電車の車掌さんが多くいらっしゃいました。」
この「こぼれ話」を読んで思い出すことがありました。私が、広島に来た頃(1970年代の初め)は、島根県出身者の多くが、島根県の西部石見地方の人だったこと、特に広島電鉄には、石見の出身者が多かったことを。
広島電鉄は、いまでは島根出身者の比率は少なくなったようですが、中国電力は、いまも島根出身者が多くおられるように感じています。
余談が長くなりました。本論に入ります。
「島根の夫婦松」の前には、標柱のほかに植樹された松の由来を書いた「石板」が設置されています。
これによれば、黒松は「隠岐102」、赤松は「能義101号」の名前が付けられ、島根県で接木によって育てられた木を移植し植樹されたことがわかります。石板の最後には「島根県の天然林から選抜した精英樹である」と記されています。この2本の木を選定したのは当時の島根県知事田部長右衛門さんだったことも記されています。
ところで、石板には黒松は「樹齢50年」、赤松は「樹齢45年」と書かれています。いつの時期を基準した樹齢かははっきりしません。「県人会史」によれば、標柱が建立されたのは「昭和47年(1972年)7月10日」には、板で作られて説明版が設置されたようです。
木製の説明版は、「県人会史」に掲載された写真をコピーしましたので、その内容をはっきりと読み取ることはできませんので、推測するしかありませんが、仮に現在の石板と同じ内容だとすると、「昭和47年」当時の樹齢ということになります。
仮にそうだとすると、すでにその時から50年以上経過していることになるのですが、それにしては、何故か他の松と比べるとあまりにも細すぎるように思われます。
改めて、現在の石板がいつ設置されたのか調べてみたいと思いますが、いずれにしても記載された樹齢からしても、細すぎるといえます。
しかし、近づいて松の幹の根元を見ると、何となくその疑問への回答が浮かんできます。その理由や植栽当時の様子をもう少し知りたいと思って調べた結果は、次回紹介することにします。
いのちとうとし
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