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2022年3月27日 (日)

企画展「似島と金輪島」に行きました。

かつての軍都廣島で大きな役割を果たした二つの島、似島と金輪島の歴史をたどる企画展「似島と金輪島―軍用港を支えた二つの島」が、広島市郷土資料館で開催されています。

ずっと気になっていましたので、一昨日行ってきました。「開催されています」といっても最終日は、今日27日ですので、何とか間に合ったという感じです。

会場には、3~4人の参観者の姿がありました。

この企画展は、当初昨年の12月に2カ月間の予定で開催されましたが、コロナの感染拡大で今年に入り休館となっていました。

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郷土資料館の係の説明では、「1月に行こうと思っていたのに」との声もあり、急きょ3月8日から27日までの日程で「再展示」されることになりました。

入口の看板に「再展示」と書かれていた理由がわかりました。

当たり前のことですが、会場は撮影禁止ですので、会場に置かれたパンフレットの大きな項目だけを紹介します。

1、日清戦争と似島

2、日露戦争と似島

3、第一次世界大戦と似島

4、終戦までの似島

5、金輪島の近代

ここで紹介しておきたのは、似島に検疫所が開設された経緯です。パンフレットからの引用です。

「明治27年(1894年)7月より始まった日清戦争は、翌年2月ごろには戦局の大勢が決し、日本は戦勝ムードに湧いていた。一方で、今後朝鮮半島などからの大量の軍隊の帰還が想定される中で、最も懸念されていた課題の一つが伝染病の流行であった。」

「具体的に検疫を行う検疫所の開設地は似島、彦島(山口)桜島(大阪)の3カ所が選ばれ、似島は6月1日の開所が決定、わずか2カ月の工期で、これまでにない大規模な施設を整備した。似島が選ばれたのは、大型の船舶の停泊に適していたことによる。」

ここには書かれていませんが、企画展のサブタイトルにあるように「軍用港」宇品の出入り口にあったことが、大きな理由だったように思います。

広島郷土資料館は、かつての「宇品陸軍糧秣支廠」の被爆建物を活用して作られたものです。本館以外に北側の公園部分に当時の施設の一部が遺されています。

これまで何度もここを訪れたのですが、その場所まで足を運んだことがありませんでしたので、今回はこの遺構を見てきました。

その遺構は、食肉処理場の煙突の基礎です。

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爆心地から3,040mの距離です。元宇品陸軍糧秣支廠跡が郷土資料館と公園として整備されたときには、この煙突の基礎もよく見えていたようですが、周囲の樹木が大きくなり、説明版が付けられている東側からは、全体を見ることができません。資料館の人から教えていただいた西側に廻って見ると、何とかその全体像を見ることができました。

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2003年に開催された企画展の時に作成された冊子「近代の『兵食』と宇品陸軍糧秣支廠」には、昭和58年(1983年)に写された「旧宇品糧秣支廠」の上空写真が掲載されています。

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真ん中左側に黒い大きな煙突が映っています。遺構は、その煙突の基礎部分です。全体を見ても当時の「宇品糧秣支廠」の大きさがわかります。現地の説明版には、この写真は付けられていません。

樹木ももちろん大切ですが、この被爆遺構がもっと目に付きやすくなればと思いながら現場を後にしました。

いのちとうとし

【追記】昨日、「ギャラリーたむら」の田村さんから「このブログを見たからと言って、版画の購入希望があった」との嬉しい連絡がありました。ありがとうございます。

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