2006年(平成18年)頃の歩道整備で、被爆石の縁石を設置
今日は、6日の「旧広島市役所被爆石を使った縁石」のつづきです。
私の「①この被爆石が縁石として使われるようになった経緯②設置された時期」を広島市に問い合わせたところ、「現場確認を行うので、回答に時間を要すると思われるので、少し時間をください」との返信後、一週間後に市役所中区建設部維持管理課から次のような回答がありました。
まず回答の必要部分をそのまま転載します。
「1点目、この被爆石が縁石として使われるようになった経緯について 『当該道路の歩道は、大手町第一公園の説明板にもあるとおり、被爆以前の街並みがわかるように整備しております。その一環として、縁石の一部に被爆石が使われております。
2点目、設置された時期について 『当該道路の歩道は平成18年ごろに整備が完了しています。』
3点目、オリヅルタワービル前のプレートについて 『復旧に向けて準備を進めております。令和4年(筆者注 2022年)3月中旬ごろには復旧が完了する見込みです。』」
「縁石の一部に被爆石を使う」ことが、だれのアイディアだったかまでは、解明できませんでしたが、この回答で、私の疑問のほとんどは解消されました。
「大手町第一公園」に説明板がある(回答メールには写真が添付されていた)ということですので、改めて現地を訪れてみました。
確かに、説明板があります(街灯用電柱のすぐ左)が、植え込みの中にありますので、これでは気付かなかったのも当然のように思いました。
この説明板の手前にある歩道の街灯の柱の右側(写真の右端)に「被爆石を使った縁石」がありますが、真後ろにある説明版があることに気づく人は少ないのではないかと思います。
近づいてよく見ると、メインの説明は「この道路の歩道は、被爆以前の町並みがわかるように整備しました。」です。さらによく見ると地図の下に小さな文字で「歩道と車道の間に設置しているブロックの一部には、広島市役所旧庁舎の被爆石を使用しています。」と書かれています。しかし、文字はあまりにも小さすぎるように感じます。
この説明版に表示されている「被爆石の縁石」は、この場所(大手町第一公園)のみで、他にも7カ所あることは、書かれていません。
貴重な被爆石が、こんな風に活用されていることを知ることができましたが、もう少しわかりやすい表示の仕方はないものかと考えさせられました。
そして、サッカースタジアム建設予定地の地下遺構から発掘された「被爆石」も保存されておれば、こんな活用方法もあったのではと、改めて思いました。
いのちとうとし
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