被爆クスノキの並木
22本の被爆クスノキの並木が続いている場所があります。中区千田町3丁目にある千田公園の東側です。
北端から見た様子です。
並木の途中から北側を見たい様子です。
爆心地から2,030mの距離です。
被爆時に、ここには広島工業専門学校がありました。
被爆当時の広島工業専門学校の建物配置図です。
「広島原爆戦災誌」より
被爆クスノキは、右側の道路沿いの校庭に植えられていたものと思われます。
戦後は、1949年に広島工業専門学校と広島市立工業専門学校が、広島大学に併合され、広島大学工学部となりました。
1982年に広島大学工学部が、この地から東広島に移転したため、千田公園の名称だけでなく「広大工学部跡地」とも呼ばれています。
現在は、健康づくりセンター・健康科学館や中区スポーツセンターがありますが、その東側の道路沿いに被爆クスノキの並木が続いています。
健康づくりセンターの前庭には、ここに広島工業専門学校や広島大学工学部があったことを記したモニュメント「広島高等工業学校・広島大学工学部創立75周年記念碑」が広島大学工学部同窓会によって建立されています。
台座には、最後まで残っていた正門付近の石垣の被爆した石を集めて作られたものです。
1988年に広大工学部跡地は、千田公園として整備が始まりますので、その時期に建立されたことがうかがえます。
22本もの被爆クスノキの並木が、今も元気な姿を見せていますので、一度訪れてみる価値があると思います。
広島市の「被爆樹木リスト」でも、「多数の並木が被爆したまま残されているのはここだけです」と紹介されています。
いのちとうとし
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