「写真展1976‐1978基町」に行きました。
旧日銀広島支店で「写真展1976‐1978基町」が、開催されています。
先日の散歩時に開場前に展示された「ポスター」を見て、気になっていましたので、一昨日妻と一緒に、訪れました。
気になっていたのは、「1976‐1978基町」というタイトルです。1970年代の初めに松江から広島に転勤となり、最初に働いた場所には、現在のリーガロイヤルホテルやクレドビルが建っていますが、当時は中国通信局などの電電公社の建物が何棟もたっていました。
ポスターの下側の写真は、本川側から東に向かって映した写真と思われます。私が働いていた建物が、上部が途中で切れている左上隅の建物です。
ポスターからコピーした写真
当時電電公社の建物群の北側、現在のひろしま美術館や広島市中央図書館が建っている場所には、平屋建ての市営住宅がびっしりと並んでいました。道路に面した位置には喫茶店や飲み屋さんがずらっと並んでいたこと、住宅街の中に時々利用した美味しいラーメン屋さんがあったことを思い出します。
写真展の「1976‐1978」は、かつて「相生通り」(商工会議所の西側から空鞘橋を経て三篠橋付近までの本川左岸)と呼ばれ、1000個ほどの住宅が密集して立ち並んでいた通称「原爆スラム」と呼ばれていた住宅が完全に撤去された時期のことです。
すでに基町一帯の市営住宅群は撤去が終わり、そこに住んでいた人たちはその北側に建てられた基町・白島の高層アパートに移住していたと思います。その高層アパートは、ポスターの上側の写真の奥にはっきりと写っています。
1960年代から1970年代にかけ、全国の大学・短大・高校写真部の集まりである全日本学生写真連盟が結成され、全国各地で様々なテーマをもとに写真撮影が行われたようです。
その一つとして1976年から1978年にかけ、「基町を記録する会」を立ち上げ、約2年間で約150人が参加し、何度となく広島を訪れて撮影された写真です。
これらの写真群をアーカイブするために2017年に発足した「一般社団法人もう一つの写真記録(AAJPS)」の一チーム「基町チーム」が主催して、この写真展が開催されています。
作品の写真撮影は禁止となっていますので、許可を得て会場風景の写真を撮らせていただきました。
会期は、今月28日までです。ぜひ見に行ってほしい展覧会です。
いのちとうとし
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