旧広島市役所被爆石を使った縁石
何度も歩いた道ですが、先日散歩中に初めて気づいたものがあります。
車道と歩道の間に作られた縁石に旧広島市役所の被爆石が使われていました。その場所は、元安川左岸の緑地帯の東側で南北に走る道路の歩道の車道とを区切る縁石です。
その一カ所「広島の宿相生」前の縁石です。
最初に気がついたのはもっと南側ですが、他にもないかと、気を付けて見て歩くと、相生通から平和大橋東詰めまでの間に、8カ所ありました。うち4カ所は、相生通から元安橋東詰めまでの約180mの間にでは、4カ所ありますので、気を付けて歩くとすぐに見つかります。
一番北側は、オリヅルタワービル前、南に下って先に紹介した「広島の宿相生」前、西向寺前、そして4カ所目が元安橋東詰め交差点の東北角・ファーストレジデンス紙屋町横です。
西向寺前は、これまで西向寺を何度も訪れていましたが、ずっと気づかずにいました。
縁石は、4枚の被爆石で形成されています。
元安橋東詰めから平和大通りまでにも、4枚ありますが、こちらは約450mありますので、飛び飛びの感じです。こちら側で見つけやすいのは、大手町第一公園前の被爆石縁石です。
被爆縁石の歩道上に、旧広島市役所の被爆石が使われていることを記したプレートが、取り付けられています。
同じ形で少し大きさは違いますが、平和大通りには「平和の道」のプレートが付けられていますが、これは歩道の真ん中に設置されていますので、だれでも気づくことができます。
しかし、「被爆石の縁石」を示すプレートは、少し小さく道路の端に取り付けられていますので、気を付けないと見過ごしてしまいます。
一つずつ「被爆石の縁石」を見ていくと、一カ所だけプレートがなくなっている箇所がありました。一番北側のオリヅルタワービル前です。プレートの部分が、アスファルトで埋められています。
8か所の被爆石を使った縁石を見つけた後で気になったのは、「この通りの縁石にどういう経緯で『旧広島市役所被爆石』が、使われたのか」「いつ頃にこの工事が行われたのか」「欠損したオリヅルタワー前のプレートは、いつ修復されるのだろうか」ということです。
この疑問を解決したいと思い、この道路を管理する広島市役所中区維持管理課に問い合わせのメールを入れました。
数日後丁寧な回答が返ってきました。その内容は次回報告します。
いのちとうとし
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