「広島ブログ」

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2022年3月

2022年3月31日 (木)

「アスナロ」の木が植え替えられました―被爆者の森

今月16日のブログ「再び枯れた「アスナロ」の木―被爆者の森: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介した被爆者の森の「アスナロ」(石川県)の植栽が終わりました。

先日、京都のシダレザクラの咲き具合を見ようと被爆者の森と訪れたところ、枯れ死していた石川県の「アスナロ」が、植え替えられていました。

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昨年の植え替え時とほぼ同じ大きさの木です。

広島市に「いつ植え替えが完了したのか」と問い合わせたところ、「今月18日に実施しました」と教えていただいた後、担当者から「枯れ死した原因は、はっきりしませんが、今年は定期的に現場を訪れて、水やりなどの手入れを行い、何とか枯れ死しないように努力しようと思っています」との話も聞きました。

広島市の努力が実って、今年こそ無事に根付いて成長してほしいものだと思います。

もう1本、気になっていた木があります。16日に紹介した北海道のライラックです。

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この木も昨年3月に植栽された木で、今月初めには、全ての葉が落ちて幹だけでしたので、きちんと芽吹くかなと心配していたのですが、きれいな若葉が何枚も出ていますので、根付いたことが確認できまし。一安心です。写真ではちょっと見えにくいのですが、枝の最上部には、花芽と思える黒い部分が見えますので、もうすぐ花をつけると思います。近くでバスを待っておられる方から、「きれいな紫色の花が咲きますよ」と教えていただきました。花が咲いた時期にもう一度訪れたいと思います。

車道を挟んで反対側に京都のシダレザクラが植えられていますが、ほぼ7分咲きぐらいです。

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先日紹介した普門寺のシダレザクラよりも濃いピンク色です。

これからも時々、被爆者の森を訪れ、木々の成長ぶりを見たいと思います。

いのちとうとし

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2022年3月30日 (水)

原爆被爆二世国家賠償請求裁判第15回公判

昨日広島地裁で、被爆二世裁判の第15回公判が開かれました。

2017年2月17日に原告22名(現在28名)が広島地裁に、そして2月22日には原告25名(現在は26名)が長崎地裁に集団で提訴して、すでに5年が経過しました。

広島では、昨年12月7日に行われた公判において、被爆二世運動と行政の対応についての証人尋問と原告4名の本人尋問が行われました。

長崎では、本年2月28日には放射線の遺伝的影響に関する専門家の証人尋問が行われました。

今回の公判では、原告団、被告国の双方から提出された準備書面や証拠書類が確認された後、裁判長からいよいよ最終段階を迎えた本裁判の今後の進行について発言があり、次の日程が確認されました。

原告、被告双方の最終準備書面は、7月13日までに提出し、最終弁論期日は、7月27日午後1時30分から開廷することになりました。

原告弁護団からは「最終弁論にあたっては、原告1名の意見陳述を行いたい」旨発言があり、裁判長が検討することになり、第15回公判は10分足らずで終了しました。

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その後弁護士会館に移動し、報告集会が開催されました。最初に在間弁護団長から次回の裁判日程が確認された後「原告の意見陳述は実現するはずだ」との発言がありました。

今回は、2月28日に行われた長崎地裁での振津かつみさんの「放射線の遺伝的影響に関する証言」が、広島地裁では実施されない(長崎地裁での証言を広島でも採用する)ため、広島の原告団のため、当日使われたパワーポイントをもとに向山弁護士から、解説がありました。振津さんの証言は、何度も弁護団会議が行われ、修正に修正を重ねて作られたものです。

多忙の中、寝食を忘れてといってもよい程考察に考察を重ねて努力していただいた振津かつみさんには、私も何度かZOOMによる弁護団会議に参加していましたので、本当に頭が下がる思いです。

なお、ほぼ同時進行で審理が行われてきた長崎地裁では最終準備書面を7月1 1日までに提出し,7月19日に弁論が終結することになっています。

いのちとうとし

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2022年3月29日 (火)

今年も見事に咲いた「普門寺のシダレザクラ」

わが家から歩いて5分ほどのところに、毛利元就ゆかりのお寺曹洞宗普門寺があります。境内には、大きなシダレザクラがあり、毎年多くの人を楽しませてくれます。

今年もまた、満開の時期を迎え、多くの人が訪れています。

前の道路をよく通るので、その度に「少しは咲いたかな」と境内に入って様子を見てきました。

数輪の花びらを見つけたのが、3月17日でした。

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「今日、一人で開花宣言をしました。」ちょうど掃除をしておられたお寺の奥さんのことばです。

3月21日には、いつも閉じられている山門が開いています。通常は、横の通用口から出入をしますが、毎年開花が進むと参観者のために山門が開かれます。

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中に入ると、ずいぶん花が多くなっています。

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満開までには、もう少し時間がかかりそうです。

そして好天に恵まれた27日の日曜日には、ついに満開になりました。

午前10頃山門の前に立つと、多くの人が訪れ、カメラ、スマホをかまえています。

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境内に入ると満開の花が目に入ります。青空をバックに一枚とりました。

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いつも早い時期に花が開く、本堂(2階)からの眺めです。

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街中とは思えない一枚が撮れました。

もうしばらく楽しめそうです。

いのちとうとし

<追記>被爆遺構展示館の入館者数ですが、正確にはオープン日の26日は403人、私が訪れた27日は、1,025人の入館があったそうです。

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2022年3月28日 (月)

被爆遺構展示館―平和公園

地下に埋もれた旧中島地区の痕跡を伝えるため作られた「被爆遺構展示館」(以下「展示館」)が、26日にオープンしました。私もオープン2日目となる昨日、初めて「展示館」の内部に入りました。

この展示館の案内板は、いまのところ資料館の北側出口に小さな看板が掲示されているだけです。

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展示館は、鉄骨平屋の約80平方メートルのグレーの建物です。

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建物の外壁には、「展示館」の表示が全くありません。「これでは何の建物かわからないな」と疑問に思ったのですが、あとで広島市の担当者から教えていただいたのは「この建物デザインなどは、丹下健三事務所と文化庁の了解を得なければならず、建物の壁面に名称を掲示することは、認めて貰えなかったのです。あと導入路などを整備しますので、その時、外に掲示板をつくる予定です。外壁も丹下事務所の指示によってつくりました」ということでした。

展示されている被爆遺構は、約3.2メートル四方ですから、発掘調査時を知っているものからすると、ずいぶん小さいなという感じでした。

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被爆遺構の上部に設けられた大型スクリーで、遺構の解説や被爆前の街の様子などが映し出されています。上映時間は、2分半とのことで、コンパクトにまとめられていると思います。周囲の壁面にも被爆前の暮らしぶりがわかる写真などが展示され、遺構だけでは不十分な当時の街の様子が、理解できるように工夫されています。

たまたまですが、私が「展示館」を出て広島市の職員と話している時、立憲民主党の泉代表が入ってこられました。地元の議員の姿が見えなかった(しかもマスク姿)ものですから、ちょっと半信半疑だったのですが、随行者に確認すると間違いありませんでした。

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泉代表に「前から知っておられたのですか」と問いかけると、「資料館を出たところに小さな看板で『被爆遺構展示館』の案内が目に付きましたので、見学することにしました」とのことでした。

開館日の26日には、雨が降り続いていましたが400人の入館があったそうです。

まだまだ改善すべき点はあると思いますが、被爆した現場をその場所で見ることができる「展示館」の意味は大きいと思います。

ピースボランティアの人たちが積極的に案内されているようですが、一人でも多くの人が入館するように、案内方法などぜひ工夫してほしと思います。

広島のみなさんにもぜひ訪れてほしい「被爆遺構展示館」です。

いのちとうとし

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2022年3月27日 (日)

企画展「似島と金輪島」に行きました。

かつての軍都廣島で大きな役割を果たした二つの島、似島と金輪島の歴史をたどる企画展「似島と金輪島―軍用港を支えた二つの島」が、広島市郷土資料館で開催されています。

ずっと気になっていましたので、一昨日行ってきました。「開催されています」といっても最終日は、今日27日ですので、何とか間に合ったという感じです。

会場には、3~4人の参観者の姿がありました。

この企画展は、当初昨年の12月に2カ月間の予定で開催されましたが、コロナの感染拡大で今年に入り休館となっていました。

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郷土資料館の係の説明では、「1月に行こうと思っていたのに」との声もあり、急きょ3月8日から27日までの日程で「再展示」されることになりました。

入口の看板に「再展示」と書かれていた理由がわかりました。

当たり前のことですが、会場は撮影禁止ですので、会場に置かれたパンフレットの大きな項目だけを紹介します。

1、日清戦争と似島

2、日露戦争と似島

3、第一次世界大戦と似島

4、終戦までの似島

5、金輪島の近代

ここで紹介しておきたのは、似島に検疫所が開設された経緯です。パンフレットからの引用です。

「明治27年(1894年)7月より始まった日清戦争は、翌年2月ごろには戦局の大勢が決し、日本は戦勝ムードに湧いていた。一方で、今後朝鮮半島などからの大量の軍隊の帰還が想定される中で、最も懸念されていた課題の一つが伝染病の流行であった。」

「具体的に検疫を行う検疫所の開設地は似島、彦島(山口)桜島(大阪)の3カ所が選ばれ、似島は6月1日の開所が決定、わずか2カ月の工期で、これまでにない大規模な施設を整備した。似島が選ばれたのは、大型の船舶の停泊に適していたことによる。」

ここには書かれていませんが、企画展のサブタイトルにあるように「軍用港」宇品の出入り口にあったことが、大きな理由だったように思います。

広島郷土資料館は、かつての「宇品陸軍糧秣支廠」の被爆建物を活用して作られたものです。本館以外に北側の公園部分に当時の施設の一部が遺されています。

これまで何度もここを訪れたのですが、その場所まで足を運んだことがありませんでしたので、今回はこの遺構を見てきました。

その遺構は、食肉処理場の煙突の基礎です。

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爆心地から3,040mの距離です。元宇品陸軍糧秣支廠跡が郷土資料館と公園として整備されたときには、この煙突の基礎もよく見えていたようですが、周囲の樹木が大きくなり、説明版が付けられている東側からは、全体を見ることができません。資料館の人から教えていただいた西側に廻って見ると、何とかその全体像を見ることができました。

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2003年に開催された企画展の時に作成された冊子「近代の『兵食』と宇品陸軍糧秣支廠」には、昭和58年(1983年)に写された「旧宇品糧秣支廠」の上空写真が掲載されています。

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真ん中左側に黒い大きな煙突が映っています。遺構は、その煙突の基礎部分です。全体を見ても当時の「宇品糧秣支廠」の大きさがわかります。現地の説明版には、この写真は付けられていません。

樹木ももちろん大切ですが、この被爆遺構がもっと目に付きやすくなればと思いながら現場を後にしました。

いのちとうとし

【追記】昨日、「ギャラリーたむら」の田村さんから「このブログを見たからと言って、版画の購入希望があった」との嬉しい連絡がありました。ありがとうございます。

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2022年3月25日 (金)

わが家でも花が次々と咲いています。

桜の開花便りが、次々と発表されています。

わが家にも沢山の植木鉢がありますが、きれいな花が咲いていますので、今日はその紹介です。

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デンマークカクタス

いつもはもう少し早い時期に咲いていたような気がしますが、昨年末に蕾を付け、なかなか咲かないので、今年はだめかなと思っていたら、ようやく3月に入って咲き始めました。

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デンドロビウム

3鉢ありますが、咲いているのは2鉢です。あと一鉢も、大きなつぼみを付けていますので、間もなく咲くと思います。

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パフィオ

2鉢のうち1鉢だけ花を付けましたが、立派に咲きました。

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カトレア

難しい花と聞いていますが、昨年に続き今年も2株とも花を咲かせてくれました。

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胡蝶蘭

一鉢に3株入っています。まだ全部咲ききっていませんが、今年は1本の茎に10個以上の蕾がついています。まだ数鉢ありますが、花芽が伸びていますので、楽しみです。

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アザレア

少し花は少ないようですが、今年も花を咲かせてくれました。

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ブルーベリー

1本だけでは、実を付けないと聞いていましたので、2本買ったのですが、1本は枯れてしまいました。実を付けないとあきらめていましたが、昨年は5個ぐらいの実が付きました。今年は、沢山の花をつけてくれましたので、実がいくつなるのか、楽しみです。

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クリスマスローズ

年明けに花を咲かせました。花のように見えるのはがく弁だそうですが、少し色が変わりましたが、まだ元気でしたので写しました。この鉢は、沢山の花をつけてくれました。

もともとわが家の鉢の多くは、ある花屋から、花の咲き終わった鉢を極安で購入したものです。

ですから、全部の鉢が一年以上わが家で過ごし、花をつけてくれたものばかりです。何鉢も枯らしてしまいましたが、こうして一年を無事に過ごし、少し形は悪くなっていても花を咲かせてくれるとうれしいものです。

いのちとうとし

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2022年3月24日 (木)

友人が始めた「ウクライナ人道支援チャリティー版画販売」

「今般のウクライナにおける人道危機の発生により多くの尊い命が犠牲となっています。この状態を知るにつけ私たちにも何か出来る事はないかと考え作家笠井正博さんご協力のもと、今回ウクライナ支援チャリティー版画販売を行い、その売上げを全額寄付することにしました。

尚、この売上は一般社団法人ピースボート災害支援センターを通じウクライナ人道支援にお届けいたします。」

私の40年来の友人で、私がしょっちゅう足を運ぶ「ギャラリーたむら」のオーナー田村宗忠さんが始めた「ウクライナ人道支援チャリティー版画販売」の前書きです。

ロシアのプーチンによるウクライナへの軍事侵略が開始されて以来、私がギャラリーたむらを訪れる度に話題になるのは、犠牲となった市民、避難を余儀なくされ親子離ればなれとなって隣国へ避難せざるを得ない家族、破壊される街など戦争被害を受けるウクライナ市民のことでした。

そんな中先日、田村さんから、「相談があるので時間が合ったら店に来てくれませんか」との電話が入りました。

相談は、「ウクライナの人に何とか支援をしたいと思っていたが、私ができるのは、手持ちの版画を売って、全額を寄付することだと思いついたので、どういうふうにやったら良いだろうか」ということでした。

私も少しだけ知恵を出して、21日から「ウクライナ人道支援チャリティー版画販売」がスタートしました。

チャリティーの要領は次のとおりです。


販売する作品は、「花びらたち」とタイトルのついたシルクスクリーンで作成された版画100枚。

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作者:笠井正博

サクラの花びらをえがいた綺麗な作品です。

サイズは、14×14cm

シート 1枚 ¥2,000.-(税込み)

売上金は、全額、現地で支援活動をしている「一般社団法人ピースボート災害支援センター」を通じて、ウクライナの人道支援に使われます。

店頭販売を基本としますが、送付を希望する人には、送料¥370-を負担していただければ、送付も可能です。

― お問合せ・販売 ―

広島市中区三川町10-17 ホンジョウビル2F

ギャラリーたむら 

TEL 082-241-7739

FAX 082-240-7371

E⁻mail  gallery-tamura@tuba.ocn.ne.jp

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作品には、笠井正博さんの「ウクライナを憂う」というメッセージが付けられています。

一人でも多くの人が、友人田村さんの思いに共感していただければ嬉しいです。

私たち夫婦は、すぐに協力しました。

いのちとうとし

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2022年3月23日 (水)

三原の3月「19の日行動」

三原の藤本講治さんから、以三原での「19の日行動」の報告が写真と共に届きましたので、全文紹介します。


戦争をさせない三原市民行動の定例「19日行動」は、319日(土)1330分から三原駅前に18人が参加して、「戦争NO!」「STOP THE WAR」などのプラカードを掲げて街宣活動を行いました。

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街頭では、6人がマイクをもってロシア軍による軍事侵攻や原発攻撃、核兵器による威嚇に対して抗議の意思を示し、「軍事対軍事の対決」ではなく憲法9条を生かした平和外交の努力が必要であると訴えました。

1945年生まれの岡﨑敏彦さんは、①戦争とは殺すか殺されるか。戦争は兵隊と兵隊がやるだけではない。小さい子どもからお年寄りまで無差別に攻撃される。これが戦争の実態である。ウクライナの状況を見ているといつ戦時中の状況がやってくるかもしれない。決して遠い国の戦禍の話しではない。

②今、憲法を変えようとする動きがある中、ロシアの軍事侵攻がきっかけになって憲法改正の動きが加速することに危惧している。先の世界大戦で悲惨な体験の反省から、もう二度と戦争はしてはいけない。人を大切にし、平和に生きる権利を世界で唯一、声高らかに謳ったのが日本国憲法です。大変すばらしいことである。

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③憲法前文には「絶対平和の国づくりを行う」と書いてある。被爆地広島出身の岸田首相には、憲法の精神をしっかり発揮してもらいたい。戦争を一日も早く止めて、世界平和が実現できるよう力を発揮していただきたい。それをやるかやらないかは私たちが日々しっかりと総理大臣の言動を監視し、いけないことはNO!と言うことが必要だと思う。

④最後に「良い戦争はありません。悪い平和もありません。私たちは、戦争と平和を考え、安心して暮らせる日本の国づくりのためにがんばり合いたいと思います」とスピーチを行ないました。

私たちは、先のアジア・太平洋戦争で多くの人命を失いました。その無謀な戦争の反省から「もう二度と戦争はしない」と誓いました。戦後76年間、日本は戦争をしないで平和を守ってきました。武力では平和を守られません。戦争をしないという私たちの決意である憲法9条を守り、憲法改悪を許さない運動を進めていかなければなりません。私たちが今できることは、地域や職場から戦争反対の声を上げていくことです。戦争をさせない三原市民行動は、これからも毎月の「19日行動」を継続していきます。


 

藤本さんありがとうございました。行動を継続しておれている三原のみなさんに敬意を表します。

いのちとうとし

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2022年3月22日 (火)

府中地区の3月の「19日行動」

府中の小川敏男さんから、「雨と突風の中での行動でした。」のメールに添付されて、府中地区の3月の「19日行動」の様子が、写真と共に以下の文章が届きましたので、今日はそれを紹介します。


府中地区の「3月の安保法制に反対する19日行動」は、19日(土)の午後3時30分から上下町Aコープ前で、午後5時からは府中天満屋前で行いました。

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上下町Aコープ前

安保法制に反対する府中市民の会の今月の行動は、ロシアのウクライナ侵略戦争反対。事あるごとに危機を煽る政治家を許さない。核を持ち込み米軍と共有するなどとんでもない。核も戦争もない平和な世界が一番を街頭から訴えました!

2月24日ロシアがウクライナへ侵攻し、プーチン大統領の核兵器使用発言に抗議して2月26日に抗議の行動を取り組んできました。

二度と広島、長崎を繰り返さないために核兵器はぜったいに使用させないことが必要です。

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ところが日本では危機感を煽って安倍元首相は日本も米軍と核兵器を共有することが必要であると言っています。この人は首相になる前にも小型核兵器所有論を主張していました。安倍元首相には二度と広島、長崎を繰り返さないという考えはないようです。

世界で唯一の被爆国である日本こそロシアの核兵器使用に反対するとともに安倍元首相の核兵器共有発言に反対しましょう。

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府中天満屋前

上下町Aコープ前は9名、府中天満屋前は9名が参加しました。

――――――――――――――――――――

小川さんありがとうございました。

そして府中のみなさん、雨の中での行動ご苦労様でした。一緒に声を上げ続けましょう。

いのちとうとし

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2022年3月21日 (月)

「写真展1976‐1978基町」に行きました。

旧日銀広島支店で「写真展1976‐1978基町」が、開催されています。

先日の散歩時に開場前に展示された「ポスター」を見て、気になっていましたので、一昨日妻と一緒に、訪れました。

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気になっていたのは、「1976‐1978基町」というタイトルです。1970年代の初めに松江から広島に転勤となり、最初に働いた場所には、現在のリーガロイヤルホテルやクレドビルが建っていますが、当時は中国通信局などの電電公社の建物が何棟もたっていました。

ポスターの下側の写真は、本川側から東に向かって映した写真と思われます。私が働いていた建物が、上部が途中で切れている左上隅の建物です。

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ポスターからコピーした写真

当時電電公社の建物群の北側、現在のひろしま美術館や広島市中央図書館が建っている場所には、平屋建ての市営住宅がびっしりと並んでいました。道路に面した位置には喫茶店や飲み屋さんがずらっと並んでいたこと、住宅街の中に時々利用した美味しいラーメン屋さんがあったことを思い出します。

写真展の「1976‐1978」は、かつて「相生通り」(商工会議所の西側から空鞘橋を経て三篠橋付近までの本川左岸)と呼ばれ、1000個ほどの住宅が密集して立ち並んでいた通称「原爆スラム」と呼ばれていた住宅が完全に撤去された時期のことです。

すでに基町一帯の市営住宅群は撤去が終わり、そこに住んでいた人たちはその北側に建てられた基町・白島の高層アパートに移住していたと思います。その高層アパートは、ポスターの上側の写真の奥にはっきりと写っています。

1960年代から1970年代にかけ、全国の大学・短大・高校写真部の集まりである全日本学生写真連盟が結成され、全国各地で様々なテーマをもとに写真撮影が行われたようです。

その一つとして1976年から1978年にかけ、「基町を記録する会」を立ち上げ、約2年間で約150人が参加し、何度となく広島を訪れて撮影された写真です。

これらの写真群をアーカイブするために2017年に発足した「一般社団法人もう一つの写真記録(AAJPS)」の一チーム「基町チーム」が主催して、この写真展が開催されています。

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作品の写真撮影は禁止となっていますので、許可を得て会場風景の写真を撮らせていただきました。

会期は、今月28日までです。ぜひ見に行ってほしい展覧会です。

いのちとうとし

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2022年3月20日 (日)

島根の夫婦松-平和公園(その4)

「島根の夫婦松」の話は、昨日で終わりにする予定でしたが、広島市から情報提供がありましたので、その内容を紹介します。

昨日、ブログをつくるとき、広島市のホームページを開いたところ、すでに紹介したように、「島根の夫婦松」の情報は、修正・更新が終わっていました。

そのため、私が最初にQRコードで検索した更新前の情報を正確に書くことができませんでした。

ところが、その後広島市に「更新前の情報があれば、提供していただけませんか」とメールで問い合わせたところ、情報の提供を受けることができましたので、今日は、「島根の夫婦松」についての更新前、後の情報を正確に書きたいと思います。

まず更新前です。


寄付年

 昭和38年(1963年)7月2日

寄付の経緯

 在広島根県人会の発足10周年を記念して贈られた夫婦松です。

 寄付当初、記念館北西に植樹されていましたが公園の再整備に伴い現在の場所に移植しました。

 クロマツ(隠岐102)は昭和34年4月に島根県隠岐郡西ノ島町別府の親木から穂木を取り接木をしたもの、アカマツ(能義101)は昭和32 年3月に島根県能義郡伯太町東母里の親木から穂木を取り接木をしたものです。


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平和公園寄付樹木MAP

 

更新後です。


寄付年

昭和38年(1963年)11月6日

寄付の経緯

 昭和38年7月2日に総会が開催され、県人会発足10周年事業として平和記念公園に記念植樹が計画されました。そのと、島根県知事田部長右衛門氏より「島根の夫婦松」島根の目を泊まるとして寄贈され、同年11月6日に植樹されました。

寄付当初、記念館(現:広島市平和記念資料館東館)北西に植樹されていましたが、公園の再整備に伴い現在の場所に移植されました。

寄付当初は、記念館(現:広島平和記念資料館東館)北側に植樹されていましたが公園の再整備に伴い現在の場所に移植しました。

クロマツ(隠岐102)は昭和344月に島根県隠岐郡西ノ島町別府の親木から穂木を取り接木をしたもの、アカマツ(能義101)は昭和32 3月に島根県能義郡伯太町東母里の親木から穂木を取り接木をしたものです。


比較すると、「寄付年」が更新され、「寄付の経緯」もかなり詳しくなったことがわかります。

ところで、私は、もう一つ「「現在ホームページに登録されている寄付樹木の本数は何本ですか」を問い合わせていました。

その問いには、次のような回答がありました。

「平和記念公園の寄付樹木(記念植樹も含む)について、現在ホームページで公開させていただいているものは、326本(標識は55基)ございます。

標識は55基ですが、ソメイヨシノなど100本以上植樹されている木もあり、合計で326本となっております。」

昨日紹介した「平和公園の寄付樹木」のホームページの前書きには、最後に次のように書かれています。

「なお、ここで紹介する寄付の経緯などについては、本市に現存する資料のほか、当時の記録や記憶をお持ちの市民の方々のご協力をいただきながら取りまとめたものであり、取りまとめができたものから紹介します。

今後も情報の整理ができたものから順次紹介していきますので、平和記念公園の寄付樹木に関する情報がありました提供をお願いします。」

散歩の途中で見つけた「島根の夫婦松」でしたが、「平和公園の寄付樹木」のホームページの更新に寄与することになりました。

きっと現在公開されている326本以外にも平和公園には「寄付樹木」があるはずです。市民の協力で登録が進み、登録済の樹木についても、より豊かな情報になればと思います。

いのちとうとし

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2022年3月19日 (土)

島根の夫婦松-平和公園(その3)

平和公園の樹木を見ていると時々、下の写真のようなプレート付けられていることに気づきます。

このプレートには、「語りつぐ平和の緑」と書かれ、その右端に少し小さめの文字で「国内外からの寄付樹木」と書かれていますので、このプレートが付けられた樹木が、国内外からの寄付樹木であることを示しています。

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そのプレートをよく見ると、左下には、QRコードがあり、「寄付の経緯はこちらから」と書かれています。

私も、スマホからQRコードを読み込んでみました。

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「①島根県人会によって昭和38年7月2日に植樹された②寄付当初、記念館北西に植樹されていましたが公園の再整備に伴い現在の場所に移植した。」という情報が目に入ります。

帰宅後、改めて広島市のホームページを検索してみると、「平和公園の寄付樹木」(平和記念公園の寄付樹木 - 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 (hiroshima.lg.jp)を見つけることができました。その前書きはこうなっています。

「平和公園の緑豊かな樹木は、原爆による被害からの復興の象徴の一つですが、これらの樹木には国内外から寄付されたものが多数あります。平和公園の整備にあたって、昭和29年(1954年)に、当時の広島市長から全国に市長に樹木の寄付を呼び掛けたことがきっかけとなり、その後、国内外から多くの樹木が寄せられた経緯があります。

こうした寄付樹木には、寄付していただいた方々や、これを育ててきた先人の方々の強い思いや願いが込められており、復興と平和の象徴として大切に守っていく必要があります。

寄付樹木の経緯を多くの方々に知っていただき、未来に伝えていくため、このページをご活用ください。」

そして、「寄付樹木一覧」が続きます。その中の「B-4、B-5」に「島根の夫婦松」の情報が記載されています。QRコードから得られる情報です。

さら「寄付樹木位置図」と「説明版などのデザイン(高校生との共同作業)」など重要な情報が記載されていますが、今回は省略しまし。

最初にQRコードから得た情報には、「当初、記念館の北西に植えられた、その後公園の再整備に伴い現在の場所に移植されたこと」が書かれていましたので、次のことを広島市の緑政課に問い合わせました。

「①記念館北西とは、現在のどの建物か②現在地に移植されたのは、いつなのか」の二つです。

数日後回答がありました。「記念館は、現在の平和記念資料館の東館のこと、島根の夫婦松(アカマツ、クロマツ)が、現在の場所に移植されたのは、昭和61年ごろという記録が残っていました。」

昨日紹介した「県人会史」に最初の植樹した場所がどこかは書かれていなかったのですが、「資料館東館のすぐ近く」だったことが確認できました。昨日紹介した「植樹」の写真

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を改めてよく見ると、それらしい場所のように見えてきます。

そして現在の場所に移植されたのが、「昭和61年頃」だったことも確認できました。

昨日このブログで紹介したように「植樹日」が正確ではありませんので、島根県広島事務所の了解を得て、これまでに得た情報を広島市に提供しました。

その結果、「平和記念公園の寄付樹木」の情報が、大幅に修正、増量されて、当初「年度末までに更新します」と言われていたのですが、すでに新しい情報が提供されていました。

もう一つ確認できたことがあります。最初に島根県広島事務所から提供された「島根の夫婦松」の情報の中に「平成2年6月29日」という日付があったことを思い出し、改めて電話で問い合わせたところ、この日付は、石でつくられた「説明板」が設置された日だということも判明しました。この「説明版」が「いつ板から石になったのか」も気になっていたことの一つでしたが、この疑問も解明することができました。

当初は、簡単な「島根の夫婦松」を簡単に紹介するつもりでしたが、思いもしない様々な情報を得ることになりました。

いのちとうと

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2022年3月18日 (金)

島根の夫婦松-平和公園(その2)

昨日のつづきです。

まず、なぜこの2本の松の幹が細いのかを考えてみました。

木の幹の一番下を見ると、その理由がわかるような気がします。

説明版によれば、赤松は「昭和32年3月」に、黒松は「昭和34年4月」に接木されています。昨日紹介したように平和公園に植樹されたのは「昭和38年」ですので、接木後4~6年ほど経過して、島根から広島に移植されたことになります。

黒松は、見分けにくいのですが、赤松は、接木されたと思われる痕跡が、はっきりと残っています。接木される原木を親木と言ってよいのかわかりませんが、根元の部分は、黒松だったことがわかります。

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接木されたと思われる部分をさらによく見ると、赤松の部分は、元の松の幹よりほんの少し大きくなっているだけです。これ以上太くなるのは、難しいように思えます。

一方黒松は、何故か親木よりもさらに細いままです。

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どういう理由かは、わかりませんが、接木された樹木の場合は、親木よりは、なかなか大きくならないのかなと勝手に想像しています。もちろんこの場所の土壌の問題などもあるとは思いますが。

いつかきちんと専門家の意見を聞いてみたいと思います。

調べていくうちに、さらに疑問になったのは、本当の「植樹日はいつか?」ということです。

昨日紹介したように現地に建っている標柱には「昭和38年7月2日」と書かれていますから、当然その日が植樹日と思っていました。

ところが、島根県広島事務所から送っていただいた「県人会史」には、「昭和38年11月6日 島根県知事田部長右衛門氏寄贈『島根の夫婦松』平和公園に植樹」と書かれていたのです。

ここからの2枚の写真は、会報からのコピーですので、写りは悪いですが、様子は分かると思いますので、島根県広島事務所の了解を得て、掲載しました。

植樹の様子です。

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見難いのですが、参加者の服装は、間違いなく夏ではなく秋の服装ですから、正確な植樹日は、「昭和38年11月6日」というのが正しいということがわかります。ではなぜ現在の標柱に「7月2日」の日付があるかということになります。

実は、「県人会史」によれば、「昭和38年7月2日」の項には、次のような記載があります。

「昭和38年度総会開催。県人会発足10周年記念事業として、会旗の作成、広島市内中学校に島根県史を寄贈、郷土の図書館に各種図書を寄贈、平和公園に記念植樹を計画」

標柱(石柱:説明版は木)は、昭和47年7月10日に建てられたことが「県人会史」に記載されています。その時に「県人会発足10周年記念事業として植樹されたもの」ということで、「昭和38年7月2日」の日付が刻まれたものと思われます。

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島根県広島事務所に日付の問題を再度問い合わせたのですが、「ずいぶん古い話なので、確かめることはできません」とのことで、確認をとることはできませんでした。

「県人会史」から転載ですので、元号をそのまま使いました。

このことを調べていて気になったのは、広島市がホームページに掲載している「平和公園の寄付樹木」リストのことです。ここでも新しい情報を得ることができましたので、次回紹介します。

いのちとうとし

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2022年3月17日 (木)

島根の夫婦松―平和公園

平和公園の北端(相生橋から平和公園に入ってすぐの左側)、「平和の時計塔」の北側に、「島根の夫婦松」があります。黒松(向かって左)と赤松(向かって右)が対になって植えられています。

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向かって左側手前に建つ「島根の夫婦松」と書かれた標柱の右側面には「昭和三十八年七月二日」、左側面には「発足十周年記念」、裏面には「在広島根県人会」の文字が刻まれています。

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この標柱を読むと、「島根の夫婦松」は、在広島根県人会によって「昭和38年(1963年)7月2日」に県人会の発足10周年を記念して植樹されたことがわかります。私も「在広島根県人会」に入っていますので、興味が湧いてきました。

広島で全国男子駅伝が始まったことを契機に各都道県の県人会が、沢山発足しましたが、これによると島根県人会の発足は、昭和28年(1953年)ということになりますので、全国の在広県人会組織でも、非常に早い時期に発足したことがわかります。

その大きな理由は、広島県は、隣県であるため島根から多くの人が働きに出ていたということだと思います。島根県広島事務所から提供していただいた「県人会史」には、発足当時の「こぼれ話」にはこう書かれています。

「終戦後ようやく落ち着いてきたころ、島根県出身者で集まろうではないかという声が出て、島根県出身者が勤めていると思われる会社、中電や広島電鉄とかに呼びかけ県人会が発足しました。ですから、最初はバスや電車の車掌さんが多くいらっしゃいました。」

この「こぼれ話」を読んで思い出すことがありました。私が、広島に来た頃(1970年代の初め)は、島根県出身者の多くが、島根県の西部石見地方の人だったこと、特に広島電鉄には、石見の出身者が多かったことを。

広島電鉄は、いまでは島根出身者の比率は少なくなったようですが、中国電力は、いまも島根出身者が多くおられるように感じています。

余談が長くなりました。本論に入ります。

「島根の夫婦松」の前には、標柱のほかに植樹された松の由来を書いた「石板」が設置されています。

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これによれば、黒松は「隠岐102」、赤松は「能義101号」の名前が付けられ、島根県で接木によって育てられた木を移植し植樹されたことがわかります。石板の最後には「島根県の天然林から選抜した精英樹である」と記されています。この2本の木を選定したのは当時の島根県知事田部長右衛門さんだったことも記されています。

ところで、石板には黒松は「樹齢50年」、赤松は「樹齢45年」と書かれています。いつの時期を基準した樹齢かははっきりしません。「県人会史」によれば、標柱が建立されたのは「昭和47年(1972年)7月10日」には、板で作られて説明版が設置されたようです。

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木製の説明版は、「県人会史」に掲載された写真をコピーしましたので、その内容をはっきりと読み取ることはできませんので、推測するしかありませんが、仮に現在の石板と同じ内容だとすると、「昭和47年」当時の樹齢ということになります。

仮にそうだとすると、すでにその時から50年以上経過していることになるのですが、それにしては、何故か他の松と比べるとあまりにも細すぎるように思われます。

改めて、現在の石板がいつ設置されたのか調べてみたいと思いますが、いずれにしても記載された樹齢からしても、細すぎるといえます。

しかし、近づいて松の幹の根元を見ると、何となくその疑問への回答が浮かんできます。その理由や植栽当時の様子をもう少し知りたいと思って調べた結果は、次回紹介することにします。

いのちとうとし

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2022年3月16日 (水)

再び枯れた「アスナロ」の木―被爆者の森

今日は、一昨日(13日)の「サクラの花が咲きました?―被爆者の森」で少し触れた、「『被爆者の森』で昨年植栽された3本の木の1本が枯れた」ことを紹介します。

昨年3月14日のブログ「被爆者の森」の植栽と樹名板の取付け: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で、「3本に樹木が新たに植栽されました。」ことを紹介しましたが、そのうちの1本、石川県のアスナロの木が、再び枯れてしまいました。

Photo_20220315181701  葉が全て茶色になっていましたので,枯れてしまったのではと思ったのですが、一応帰宅してネットで「アスナロ」について調べてみました。「常緑樹」の木となっていましたので、間違いなく枯れているようです。

すぐに昨年の植栽を担当した広島市中区維持管理課に連絡を入れました。「こちらでも現場に行って調べてみます」との返事があり、すぐに「残念ですが、枯れていますね。今年度中に、植え替えができるように手配します」との連絡が入りました。

昨年の植栽に使われた木は、5~6年もので樹高も1.7メートルぐらいありましたので、きちんと育ってくれると思っていたのですが、残念です。なぜ枯れたのか、原因は、はっきりしないようです。確か昨年の植樹の時、業者さんが「アスナロはなかなか育ちにくいのですよ」と言われていたことを思い出します。

昨年同時に植栽された「北海道のライラック(エゾマツの代木)」は、少し枝が折れたり、幹の一部にテープが巻かれたりしていますが、何とか育っているようです。もともと1メートルぐらいの成木でしたので、ほとんど大きさは変わっていません。

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残念ながら、昨年取り付けられた樹名板は、どこに行ったのか近くで見ることができませんでした。

もう1本の「高知県のシラカシ」は、植栽時3.5メートルほどの成木でしたので、元気な姿を見せていました。

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石川県のアスナロが植栽された後、もう一度訪ねてみようと思いますが、春が近づいていますので、京都府のシダレザクラなどが、きれいな花をつける季節になります。

散歩コースとしてもってこいの平和大通りですので、何度か足を運んでみたいと思います。

いのちとうとし

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2022年3月15日 (火)

原子力発電からの撤退を求め、中国電力に申し入れ

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ実行委員会」の呼びかけ人山田延廣さんなど4名が、昨日午前11時半に中国電力本社を訪れ、11日の集会で確認した「島根原発再稼働及び上関原発建設を中止し、原子力発電からの撤退を求る」申入れを行いました。

この申し入れに対し中国電力は、従来の主張「安定的電力供給のためには、原子力発電は必要」などを繰り返すのみで、残念ながら、私たちの望む回答を得ることはできませんでした。

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申入れ書の全文を掲載します。


2022年314

中国電力株式会社

代表取締役社長 清水 希茂 様

フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会実行委員会

島根原発再稼働及び上関原発建設を中止し、原子力発電からの撤退を求めます

 日頃から、電力供給のためご尽力されていますことに敬意を表します。

東京電力福島第一原発事故が発生してから11年が経過しますが、同原発での、廃炉作業は全くめどが立っておらず、廃炉行程表も再三改定せざるを得ない状況から、如何に廃炉作業が困難であるかが明白になっています。また、「ALPS処理汚染水」の海洋放出や除染土の再利用を打ちだすなどにより、地元の漁業者はもとより多くの国民の不満や不安を招いています。

福島で起きている現実は、原発がいったん重大事故を起こせば、働く人や多くの住民を被曝の危険にさらすだけでなく、住家を奪い故郷を追われるという深刻な事態を招くことを明らかにしています。そしてこの11年間で改めて明らかになったことは、原発事故は一企業が責任を持って処理できるものでないことです。

今貴社に求められていることは、この「フクシマ」の実態をふまえ原子力発電から撤退することです。それにもかかわらず、貴社は島根原発2号機を再稼働しようとしています。とりわけ、事故が発生した際の避難計画はあまりにずさんであり、実効性に乏しく、再稼働ありきの計画と言わざるを得ません。私たちは今、新たに新型コロナウィルス感染という事態を経験していますが、「3密」を避けながらの避難など、「コロナ対策と事故からの避難」を同時に対応することがいかに難しいかは、昨年の訓練でも明らかになっています。

原発をなくし安心して暮らせることを切望する住民の願いを踏みにじる再稼働は、断じて容認することはできません。

原子力規制委員会も認めているように「原発に絶対の安全」はありません。事故を防ぐためには、原子力発電所を稼働させないこと以外にはありません。すべての原発が停止した状態においても、電力供給は十分にまかなえています。

しかも上関原発計画は、計画が明らかになって以来40年の長きにわたり地域に混乱をもたらしてきました。福島原発事故を見れば一目瞭然のように、豊かな瀬戸内の海を放射能で汚染させるような愚かな選択をすべきではありません。恵みの海を守り続けてきた山口の人々に、貴社がやるべきことは上関原発建設を中止し、一日も早く安心できる暮らしを保障することです。

福島原発事故から11年。私たちは3月11日、被爆地ヒロシマにおいて「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」を行い、改めて原発のない社会の実現をめざして取り組む決意をしました。それは「核と人類は共存できない」という放射能の恐ろしさを知るヒロシマの責務でもあります。

東京電力福島第原発事故が発生して11年目を迎えた今日、集会参加者の総意として、貴社に次のことを要求します。

1.島根原発2号機の再稼働を断念するとともに、3号機を運転しないこと。

2.上関原発の建設計画を白紙撤回すること。

以上


「島根原発再稼働」をめぐる情勢は、11日の集会で島根の代表から詳しく説明がされたように「避難計画など様々な問題がある」にもかかわらず、島根、鳥取の地元自治体が、住民の声を充分に聞くこともなく条件を付けながらですが、「再稼働を容認する」姿勢を示しています。

しかし、危険な原発の再稼働を絶対に認めるわけにはいきません。フクシマを忘れず、今後も粘り強く「島根原発再稼働中止」を求める行動を続ける決意を新たにした、昨日も申し入れ行動でした。

いのちとうとし

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2022年3月14日 (月)

サクラの花が咲きました?―被爆者の森

「サクラが咲きました」と言っても、ソメイヨシノではありません。

一昨日、平和大通りにある「被爆者の森」で昨年植栽された3本の樹木の成長ぶりを見ようと訪れたところ、一本の桜の木の花芽がピンク色になっていました。

最近暖かい日が続いていますので、何輪かは咲いているのではないかと、昨日改めて訪ねてみました。

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よく目を凝らすと、やはり何輪か開花していました。

一昨日気付いていたのですが、この木は、サクラはサクラでも、私たちが慣れ親しんでいるソメイヨシノではありません。

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山形県原爆被害者の会から送られた「山形県の県木サクランボ」です。調べてみるとソメイヨシノなどよりは少し早く咲くようです。

まだ咲き始めたばかりですので、しばらく咲いていると思います。北側のゾーンの北側車道沿いにありますので、ぜひ訪ねてほしいと思います。

その後、沖縄原爆被害者協議会からは「県木の『リュウキュウマツ』の代木カンヒザクラ」があることを思い出し、南側ゾーンへ移動しました。

南側ゾーンの一番東側に「カンヒザクラ」は植わっています。

濃いピンク色の花びらです。こちらはほぼ満開と言ってよい状況です。

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この他に梅も何本か咲いていました。

被爆者の森には、京都のシダレザクラもあります。こちらはまだまだ蕾が硬く、開花時期はもう少し先になりそうです。かなり大きな木に成長していますので、満開時には沢山の花を付け多くの人の目を楽しませてくれます。中央車道沿いにありますので、このシダレザクラはよく目に付くと思います。

ところで、ここを訪れた最初の目的であった「昨年植栽された3本の木」ですが、残念ながらうち1本が枯れていました。

この様子は、次回報告します。

いのちとうとし

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2022年3月13日 (日)

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」開催-その2

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」は、最後に下記の集会アピールが採択されました。そして参加者全員が原爆ドームを背にして手にしたプラスターを高く掲げ「フクシマを忘れない!」「さようなら原発」のシュプレヒコールを行いました。集会の参加者は、200人でした。

また、集会の途中で福島への支援と集会費用をつくるためのカンパ呼びかけられ、夕闇のなかでの集計となりましたが、計66,700余円が集まったことが報告されました。このカンパの中には、たまたま会場を通り、私が預った奈良県の家族の2000円も含まれています。

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なお、今年はデモ行進を中止しましたので、3月14日に代表者によって中国電力に「1、島根原発2号機の再稼働を断念するとともに、3号機を運転しないこと。2、上関原発の建設計画を白紙撤回すること」を求める申し入れ行動を行うことにしています。

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3.11ヒロシマからのアピール 

「『フクシマ』は終わっていない。復興ばかりが取り沙汰されて11年目を迎えるが、被災者は見えなくされ、被害はなお続き深刻化している。福島の声を聞いて欲しい! 隠された現実に、目を向けて欲しい!切に、そう願っている。」と、エッセイストの渡辺一枝さんは訴えています。

 福島原発事故から11年目を迎える現在もなお、約8万人以上が避難生活を余儀なくされるにもかかわらず、日本政府は福島県内外の被災者は3万5千人弱とし、避難者の実態を把握しようとしていません。そればかりか、東京の公務員住宅に避難していた避難者に対して福島県から住宅補助を打ち切られたばかりか、退去を求める裁判に訴えて追出しにかかっています。町内全てが「帰還困難区域」に指定されていた双葉町や大熊町では、全地域の除染が行われないままに「準備宿泊」が始まるなど、被曝線量の高い地域への帰還が推し進められています。

今年2月には、事故当時6歳から16歳で事故後に甲状腺がんと診断された6人が、「自分たちがなぜこのような病気になってしまったのかを明らかにしたい」という思いから、東電を相手取って損害賠償で訴訟を起こしました。福島県の健康調査などでは、原発事故との因果関係は認められないとしていますが、原発を推進してきた日本政府と東電がなすべきことはもはや明らかです。

 福島第一原発の廃炉作業は11年経った今もまったく進捗していません。日本政府は、2021年4月に、全国や地元の多くの漁協関係者からの反対の声や隣国の批判の声を無視して、ALPS汚染水の海洋放出を決定してしまいました。

島根では、島根原発2号機の再稼働をめぐって住民が意思を反映させようと住民投票条例の制定に取り組まれましたが、地元自治体は住民の声に背を向け、条例制定を拒否して、再稼働承認に向かっています。

昨年11月、地球の気候変動に対する第26回の締約国会議が英国のグラスゴーで開かれ2050年、温室ガス排出ゼロの目標が共有されました。この会合に岸田首相が参加して日本の脱炭素の政策を披瀝しましたが「化石賞」の汚名をかぶせられました。石炭火力の温存や原発の推進の転換こそ求められています。福島原発事故は日本で起こったことを真摯に反省し、地球の温暖化という危機世界共通の課題に対して真摯な対応が求められます。

現在、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対して、ロシアの人々をはじめ世界中から反戦の声があがっています。ロシア軍により原発等核施設が攻撃され、核兵器の使用を公然と発言し、威嚇していることに対し、被爆地ヒロシマから強く抗議します。

 福島原発事故を風化させないためにも、福島に寄り添い、福島の現状を学ぶとともに、原発の再稼働・新規建設に反対し、原発をなくし、自然エネルギーへの転換を求めます。

2022年3月11日 

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」参加者一同


ロシアのウクライナへの軍事侵略の中で、原子力発電所への攻撃、占拠が行われ事態へと発展しる中で開催された今年の「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」は、今まで以上に「原子力発電所がいかに危険なものか」を考えさせられる集会となりました。

いのちとうとし

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2022年3月12日 (土)

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」開催-その1

東京電力福島原発事故から11年目を迎えた昨日、午後6時から30分間原爆ドーム前で「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」が開催されました。この集会は、事故が起こった翌年の3月11日に、同じ核被害を受けた広島が、福島の被害者への連帯の思いを表し、被害者の救済とすべての原発の廃炉を求める行動として始まり、それ以降毎年3月11日を中心に実施されてきました。

今年もコロナ過のため、「フクシマを忘れない」広島の思いと脱原発社会実現に向けての決意を表すため、短時間での集会を実施し、デモ行進は中止しました。

この集会は、呼びかけ人方式で実施されていますが、今年の呼びかけ人は、昨年と同じ秋葉忠利さん(前広島市長)、岡田和樹さん(有機農家)、森瀧春子さん(市民運動家)、山田延廣さん(弁護士)、そして昨年亡くなられた坪井直さんに代わり被爆者の箕牧智之さんの5人の呼びかけで開催されました。

集会は、頼信直枝広教組委員長の司会で始まり、まず東日本大震災で犠牲となられて人たちへの黙祷をささげました。続いて呼びかけ人を代表して山田延廣さんがあいさつ。

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次は福島からの訴えですが、今年もコロナ過で福島からの参加が出来ませんでしたので、「福島県いわき市/これ以上海を汚すな!市民会議」共同代表織田千代さんから寄せられたメッセージが紹介されました。その一部を紹介します。

「さまざまな努力をして、少しずつ本格的な操業に戻ろうとしていた2021年4月13日、汚染水の海洋放出の政府決定がありました。地元の漁業者だけではなく全漁連からも農林業の方からも、福島県自治体の7割以上からも反対、『慎重な判断を』の声が上がり、1年間で45万筆を超える市民の反対署名がたくさん上がる、そんな中での突然の決定でした。それは、原発事故直後から人々の命や健康を守るために続いてきた、本当にさまざまな苦労、暮らしをなんとか支えようとしてきた多くの人々の思いを打ちのめし、踏み躙るような決定でした。 原発事故の影響はこのような原発サイト内ばかりではなく、生活のあらゆるところに及んでいます。国の『復興加速化方針』に逆行する、避難、放射能汚染、被曝は、NGワードとして人々の目や耳から遠ざけられています。絶対安全だと言われていた原発が事故を起こした後は、『放射能被爆安全神話』が巧妙に流布されています。」

さらに、いまも続く福島の現状の告発が続きます。

「原発事故後11年目を迎えようとする現在、その事故の影響についての詳しい情報は、日に日に減らされつつあると感じます。福島県では、事故当時18歳以下だった人の中に小児甲状腺がんと診断された方が300人近くにも上りました。事故前には、100万人に1人か2人とされたものです。先日、実際に患者となった若者のうち6名が、勇気を出して訴訟を起こし、その深刻な苦しみを語っていました。そんな現状の中で甲状腺検査の縮小が言われたり、子どもたちの教育の場では海洋に流されるトリチウムは安全とする副読本の配布が行われるなど、私たち市民の思いを逆撫でするような、政策が行われています。

 原発事故の後、もうこんなに多くの人々を苦しめる原発は、日本からも世界からもなくなるだろうと私は本気で考えていました。事故を経験した大人が、心を一つにして、努力することが大人の責任だと思って来ました。しかし今、そんな思いと逆行する政策がどんどん進められているようです。放射能への恐れ、とは別にこの政府と東電への不信感が、わたしたちを苦しめていると感じます。・・・・・  あれから、11年も経とうとしていますが、どんなことが起きても日々の暮らしは続き、日常を守る努力は必要になるという事をつくづく思います。  海の景色は、事故前と変わらず、ゆったりと私たちのそばにあります。そして今も、いつも通り親たちは子どもを安全に守り育てたいと願い、人々は少しでも健康に、無事に日常を暮らしたいと考えて生きています。それは、世界中どの場所にいる人たちにも共通の 思いだと思います。」

「フクシマを忘れない!」そのことを改めて思い起こさせられるメッセージでした。

次のアピールは、フォーラム「平和・人権・環境」しまね事務局長武部昭浩さんから「島根原発再稼働阻止」が訴えられました。多くの市民の「住民投票を求める」署名が無視され、原発再稼働への道が進んでいます。島根原発で発電される電力の最も多くを消費する広島からも「島根原発再稼働NO」の声をさらに上げなければなりません。

そして最後にアピールが採択されましたが、少し長くなりましたので、アピール全文は、明日紹介します。

いのちとうとし

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2022年3月10日 (木)

オリヅルタワービル前「被爆石プレート」修復完了

3月6日と8日に紹介した「オリヅルタワービル前の『被爆石プレート』の修復が完了した」ことの連絡が、8日の夕方広島市役所からありました。

実は、前日の7日にこの場所を通った時、ちょうど「被爆石プレート」が埋め込まれている位置に、グリーンのコーンが置かれていました。

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「被爆石プレート」が全て隠れている状態でしたので目視することはできませんでしたが、「修復が終わったかな」と想像していましたので、市役所からのメールを見て、「やっぱり」と思いました。

市役所から送っていただいた写真2枚です。

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この場所は、オリヅルタワービルのテラスの横になります。

明日11日は、原爆ドーム前で「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」が開催されますので、原爆ドーム前の横断歩道を渡って会場に入る前、交差点東南角を少し南に寄り道をして「旧広島市役所の被爆石を使った縁石」を見てほしいと思います。

いのちとうとし

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2022年3月 9日 (水)

ロシアのウクライナ軍事侵略に抗議する原爆ドーム前キャンドルアピール

昨夕、原爆ドーム前でHANWA(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)が主催した「プーチン・ロシアのウクライナ侵略抗議のキャンドルアピール」が行われました。

午後4時から準備されたキャンドルに午後6時前から火がともされました。

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描かれたキャンドル文字は、「NO WAR!  NO NUKES!」の英文字に加えロシア語の「HET BOЙHE!」(ニエット ワイニェ 意味は: "No" for the war。)です。

キャンドル約1300個でつくられた文字が浮かび上がりました。

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上2枚の写真は中奥岳生さん撮影

当初、最初に写真撮影を行うことになっていましたが、薄暮ということで、スピーチから始まりました。

最初に森滝春子さんから、今回の行動の趣旨説明。

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その後被爆者代表3名(箕牧智之さん、佐久間邦彦さん、田中聡さん)、若者代表2名(吉本絢さん、頼金郁美さん)のアピールが行われ、最後にHANWAの足立修一代表が、下記の声明文を読み上げて、キャンドルアピールは終了しました。


ロシア軍の軍事行動の即時中止を求め、核兵器の威嚇・使用に絶対に反対します。

原発への攻撃・占拠を直ちにやめよ。

 プーチン大統領は、ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻を2月24日に開始しました。多くの一般市民がこれにより、被害を受け苦しんでいます。避難民も大量に発生し、150万人もの人々が周辺国に避難しています。プーチン大統領の行ったロシア軍の行為は、国際関係における武力による威嚇又は武力の行使を禁じている国連憲章(第2条第4項)への明確な違反であり、侵略と評価されるべきものです。私たちは、ロシア軍の軍事行動の即時中止を求めます。

 さらに、プーチン大統領は、自国が核兵器の保有国であることに言及し、2月27日には核抑止部隊を高度の警戒態勢に置きました。これはロシアによる核兵器の使用の威嚇といえる行為であり、私たち被爆地のヒロシマの市民は強く抗議します。

 このほかにも、ロシア軍は、ウクライナの原子力発電所や国立物理技術研究所の敷地内の核物質を扱う施設を攻撃したと報じられていますが、これらは「核テロ」と評価できるものであり、強く非難されるべきです。

 他の誰にも2度と原爆の苦しみを体験させてはならないと訴える被爆者と核兵器の廃絶を求める市民の声が、今こそ求められています。

 私たちは、ウクライナで不当な砲撃に逃げまどいながらも「プーチンの侵略許さない!」の声を上げている民衆や、プーチン強権の弾圧に抗して「戦争反対」に立ち上がっているロシアの民衆に連帯し、人類を戦争・核に破滅させないため広島・原爆ドーム前からキャンドル1300本に灯をともし<NO WAR  NO NUKES! HET BOЙHE!>世界に発信しました。

 核戦争の危機がプーチンの侵略を機に高まっている状況を利用し、日本の政界で画策され始めた「核」共有論は、核の保有と使用が憲法に違反しないと強弁する危険極まりない動きです。

 私たち被爆地のヒロシマの市民は、世界を破滅に導く戦争と核兵器の使用に絶対に反対します。


私は、森瀧さんのスピーチが始まったところで帰途につきましたので、残念ながらそれぞれのアピール内容を紹介することができませんが、全体の雰囲気を伝えるため、集会スケジュールを紹介しました。

この他、4日に紹介した「3の日行動」や、5日、6日には、三原、呉、県北などでも市民の抗議行動が実施されています。

いのちとうとし

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2022年3月 8日 (火)

2006年(平成18年)頃の歩道整備で、被爆石の縁石を設置

今日は、6日の「旧広島市役所被爆石を使った縁石」のつづきです。

私の「①この被爆石が縁石として使われるようになった経緯②設置された時期」を広島市に問い合わせたところ、「現場確認を行うので、回答に時間を要すると思われるので、少し時間をください」との返信後、一週間後に市役所中区建設部維持管理課から次のような回答がありました。

まず回答の必要部分をそのまま転載します。

「1点目、この被爆石が縁石として使われるようになった経緯について 『当該道路の歩道は、大手町第一公園の説明板にもあるとおり、被爆以前の街並みがわかるように整備しております。その一環として、縁石の一部に被爆石が使われております。

2点目、設置された時期について 『当該道路の歩道は平成18年ごろに整備が完了しています。』

3点目、オリヅルタワービル前のプレートについて 『復旧に向けて準備を進めております。令和4年(筆者注 2022年)3月中旬ごろには復旧が完了する見込みです。』」

「縁石の一部に被爆石を使う」ことが、だれのアイディアだったかまでは、解明できませんでしたが、この回答で、私の疑問のほとんどは解消されました。

「大手町第一公園」に説明板がある(回答メールには写真が添付されていた)ということですので、改めて現地を訪れてみました。

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確かに、説明板があります(街灯用電柱のすぐ左)が、植え込みの中にありますので、これでは気付かなかったのも当然のように思いました。

この説明板の手前にある歩道の街灯の柱の右側(写真の右端)に「被爆石を使った縁石」がありますが、真後ろにある説明版があることに気づく人は少ないのではないかと思います。

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近づいてよく見ると、メインの説明は「この道路の歩道は、被爆以前の町並みがわかるように整備しました。」です。さらによく見ると地図の下に小さな文字で「歩道と車道の間に設置しているブロックの一部には、広島市役所旧庁舎の被爆石を使用しています。」と書かれています。しかし、文字はあまりにも小さすぎるように感じます。

この説明版に表示されている「被爆石の縁石」は、この場所(大手町第一公園)のみで、他にも7カ所あることは、書かれていません。

貴重な被爆石が、こんな風に活用されていることを知ることができましたが、もう少しわかりやすい表示の仕方はないものかと考えさせられました。

そして、サッカースタジアム建設予定地の地下遺構から発掘された「被爆石」も保存されておれば、こんな活用方法もあったのではと、改めて思いました。

いのちとうとし

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2022年3月 6日 (日)

旧広島市役所被爆石を使った縁石

何度も歩いた道ですが、先日散歩中に初めて気づいたものがあります。

車道と歩道の間に作られた縁石に旧広島市役所の被爆石が使われていました。その場所は、元安川左岸の緑地帯の東側で南北に走る道路の歩道の車道とを区切る縁石です。

その一カ所「広島の宿相生」前の縁石です。

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最初に気がついたのはもっと南側ですが、他にもないかと、気を付けて見て歩くと、相生通から平和大橋東詰めまでの間に、8カ所ありました。うち4カ所は、相生通から元安橋東詰めまでの約180mの間にでは、4カ所ありますので、気を付けて歩くとすぐに見つかります。

一番北側は、オリヅルタワービル前、南に下って先に紹介した「広島の宿相生」前、西向寺前、そして4カ所目が元安橋東詰め交差点の東北角・ファーストレジデンス紙屋町横です。

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西向寺前は、これまで西向寺を何度も訪れていましたが、ずっと気づかずにいました。

縁石は、4枚の被爆石で形成されています。

元安橋東詰めから平和大通りまでにも、4枚ありますが、こちらは約450mありますので、飛び飛びの感じです。こちら側で見つけやすいのは、大手町第一公園前の被爆石縁石です。

被爆縁石の歩道上に、旧広島市役所の被爆石が使われていることを記したプレートが、取り付けられています。

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同じ形で少し大きさは違いますが、平和大通りには「平和の道」のプレートが付けられていますが、これは歩道の真ん中に設置されていますので、だれでも気づくことができます。

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しかし、「被爆石の縁石」を示すプレートは、少し小さく道路の端に取り付けられていますので、気を付けないと見過ごしてしまいます。

一つずつ「被爆石の縁石」を見ていくと、一カ所だけプレートがなくなっている箇所がありました。一番北側のオリヅルタワービル前です。プレートの部分が、アスファルトで埋められています。

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8か所の被爆石を使った縁石を見つけた後で気になったのは、「この通りの縁石にどういう経緯で『旧広島市役所被爆石』が、使われたのか」「いつ頃にこの工事が行われたのか」「欠損したオリヅルタワー前のプレートは、いつ修復されるのだろうか」ということです。

この疑問を解決したいと思い、この道路を管理する広島市役所中区維持管理課に問い合わせのメールを入れました。

数日後丁寧な回答が返ってきました。その内容は次回報告します。

いのちとうとし

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2022年3月 4日 (金)

ロシアの軍事侵略、プーチンの「核兵器利用」発言に抗議する「3の日行動」

「戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、昨日、午後5時半から本通電停まで、昨年10月3日以来の「3の日行動」を行いました。

新型コロナ対応の「まん延防止等重点措置」が継続していることから、2月24日に開催された同実行委員会世話人会議では、「3月の『3の日行動』は中止」することにしていました。しかし、その直後に始まったロシアプーチン大統領による「ウクライナへの軍事侵略」、そしてその後のプーチンの「核兵器使用を公然とほのめかす発言を行い脅しをかける」発言を行いました。ウクライナへの軍事侵略はもちろん、「核兵器使用」発言も絶対に許すことはできません。「戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」も「軍事侵略の即時停止」を求めるとともに「プーチンの「核兵器使用発言」への抗議の意思を示すため急きょ今月の「3の日行動」を実施しすることになりました。

広島県内は、「まん延防止等重点措置」が継続していますので、昨日の「3の日行動」は、参加者が各自の思いを書き込んだ「プラスター」を持参し、スタンディングを中心に30分間のアピール行動となりました。

メインの横断幕には、「ウクライナに平和を!プーチンは侵略やめよ!米・ロは核戦争するな!ロシア・米国に憲法9条を!」のアピールが書かれています。

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午後5時半前には、それぞれが作ったプラスターを手にした参加者が、現地に集合。

各自のプラスターには、横断幕のアピール以外に「#戦争反対ロシア軍は直ちに撤退を」「子どもを巻き込む戦争に正義なんてない!」「だれの子どももころさせない」など思いのこもったアピールの文字が書かれていました。

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広島県平和運動センター、広島県原水禁も具体的な動員要請は行いませんでしたが「各団体・労働組合で判断いただき参加可能な人で訴えを書いたプラカードを持参して参加してください。」と呼びかけました。

緊急の決定でしたが、呼びかけに応え市民の参加も多数あり、全体の参加者は60人となりました。

いのちとうとし

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2022年3月 1日 (火)

プーチン大統領の「核兵器使用」発言に抗議

1か月半余り休止していましたが、今日3月1日から不定期ですか、このブログを再開することにしました。当面、編集者いのちとうとしの原稿のみの掲載となります。

その再開第1回目が、まさかこのような内容になるとは思いもしませんでした。

ロシア・プーチン大統領によるウクライナ侵攻です。絶対に許すことのできない暴挙です。この軍事侵攻に強く抗議します。

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さらにプーチン大統領は、「核兵器の使用も辞さない構え」を示唆しました。このプーチン発言に対し、広島県原水禁は、昨日抗議文を在日ロシア大使館を通じて送付しました。

少し長くなりますが、以下にその全文を掲載します。

 

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抗議文

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ロシア大統領ウラジミール・プーチン殿

――核兵器の使用は国際法違反、そして人類全体の否定です――

 

今回の世界的危機に際しての貴殿の発言が、報道されています。

 テレビ演説で「外部からの邪魔を試みようとする者は誰であれ、そうすれば歴史上で類を見ないほど大きな結果に直面するだろう」と語り、核兵器の使用も辞さない構えを再び示唆した。

核を使用するという脅しをかけることは、明確に国際法違反です。1996年の国際司法裁判所の勧告的意見でも、次のように述べられています。

以上のことから、核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の規則、特に国際人道法上の原則・規則に一般的には違反するであろう。しかし、国際法の現状や裁判所が確認した事実に照らすと、国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況(extreme circumstance of self-defence)における、核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて裁判所は最終的な結論を下すことができない。

 例外規定としの「自衛の極端な状況」に当てはまらないことは、貴殿も含めて誰にとっても明らかですから、「国際法違反」は疑う余地がありません。

 それ以上に、核兵器禁止条約では、「核を使うぞと脅すこと」は禁止されています。さらに13日の、「核戦争を防ぎ軍拡競争を避けることについての核保有5か国首脳による共同声明」では、わざわざ「5か国は、それぞれの国の保有する核兵器が相手国に対して、また他のどの国に対しても向けられていないことを再確認した」とまで言っているのですから、貴殿ならびにロシアは自らの言葉を守らなくてはなりません。

しかし、貴殿だけが非難に値する訳ではありません。イギリスのメイ首相は、2016年、議会で他国に対して核を使うと明言したように、米英仏という核保有国も核の使用には躊躇していないのです。

 スコットランド国民党のジョージ・ケレバン議員の質問、「メイ首相は自ら、10万人の罪のない男女や子どもの命を奪う核兵器の使用を許可する覚悟があるのか」に対して、メイ首相は、まず、躊躇することもなく「Yes」と言ったのです。

 核保有国がこのように、核兵器の使用に「前向き」なのは、核兵器が使われたとき、どのように事態か起こるのかについての無知が原因だからだとしか考えられません。

 しかし、広島・長崎の被爆者そして市民は、自らの経験としてその悲惨さそして非人道性を知っています。だからこそ私たちは、どのような理由であれ、核兵器を人間に対して、あるいは地球上で使ってはならないことを言い続けてきました。

 そして、「万一」貴殿が核兵器を使ったとすると、その結果起きる「生き地獄」は、インターネットとドローンを通じて世界の人々が目の当たりにすることになります。

 それは、数十億の人々が広島・長崎で実際に起きた生き地獄を、大きな画面で長時間にわたって見続けることを意味します。その人々がどのような反応を示すのか、少しでも想像力が残っているのなら考えてみて下さい。

 録画され編集された映像と人々の阿鼻叫喚は、未来永劫に「貴殿」のしたこと、「ロシア」のしたこととして永遠に語り続けられます。

 貴殿の言葉「歴史上で類を見ないほど大きな結果」として、貴殿ならびにロシアが未来永劫、人類全体から蔑まれ、厭われ、共存したくない存在としての烙印を押されることになるはずです。

 広島・長崎を知っている私たちは、ロシアがそのような存在になることを望んではいません。それ以上に、一人たりとも広島・長崎の被爆者と同じ思いをすることになってはいけことを声に大にして叫びます。

 核兵器の使用はしない、人類の一員としての最低限の責任を果すと、直ちに言明して下さい。

 「こんな思いは誰にもさせてはならない」と叫び続けなくなった多くの被爆者、そして今も、その思いを叫び続けている被爆者とともに、貴殿の決断を待っています。

 

原水爆禁止広島県協議会

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いのちとうとし

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