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2022年1月 4日 (火)

「矢嶋良一さん急逝」―長崎から届いた訃報

「毎月9日に平和祈念像前で核廃絶を訴える『反核9の日座り込み』の提唱者で、県原水禁副会長の矢嶋良一さん(80)が昨年末に亡くなり、参加者から悼む声が相次いだ。 座り込みのきっかけは、197810月の原子力船「むつ」の佐世保入港への抗議。県労評(現・県平和運動センター)組織局長だった矢嶋さんの呼びかけで翌年3月に開始。82年のむつ出港後は、長崎原爆の日の89日にちなんで毎月9日の座り込みに変わった。川野さん(下原水禁国民会議共同議長:金子注)は『彼を追うように私も活動し、座り込みではいつも隣同士だった。一緒に頑張っていこうと思いながら座り込んできた。かけがえのない人を失い、本当に残念だ』と話した。」

元日に長崎市の平和公園で実施された核兵器の廃絶と平和な世界の実現を求める「正月座り込み」の様子を伝える朝日新聞記事の一部です。

矢嶋良一さんの訃報を私が知ったのは、大晦日の午後1時に長崎県議会議員坂本浩さんから届いたショートメールでした。坂本さんは、矢嶋さんの後を受け長崎県原水禁事務局長を務めていた長い友人です。ただ、気づいたのは、翌日の午前10時。

広島では、矢嶋良一さんといわれて思い浮かべるのは、数年前から高校生平和大使派遣委員会の共同代表として活躍されている姿だと思います。

ただ私と矢嶋さんの間には、原水禁運動を通じて1980年代からの長い交流があります。

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矢嶋さんが、長崎県原水禁の事務局長を兼務する当時の長崎県労評の事務局長に就任されたのが1983年。私が、広島県原水禁の事務局を手伝うようになったのが、1982年からですから、広島、長崎の関係で原水禁大会など何度も相談することがあったのです。

その中でも特に印象に残っているは、在朝被爆者問題を取り組むことを目的に1992年5月に派遣された原水禁訪朝団の一員として同行したことです。矢嶋さんは、団の事務局長、私が事務局次長でした。

この訪朝で矢嶋さんは、長崎市内で被爆したる朴文淑(パク・ムンシュク)さんと出会います。朴さんは、1歳10カ月の時被爆。その場で、矢嶋さんは、朝鮮民主主義人民共和国側に「長崎への訪問」を打診し、その年の夏の原水禁大会の代表団の一員として朴さんの長崎訪問が実現します。

8月7日に長崎入りした朴さんは、11日まで長崎原爆病院へ入院し、監査・治療を受けるとともに、長崎市に「被爆者健康手帳の交付」を申請。異例ともいえる速さで10日には、「被爆者健康手帳」が交付されました。早期に交付が実現したのは、5月に帰国して後の矢嶋さんの大変な努力があったからです。

朴さんは、在朝被爆者で被爆者健康手帳の交付第一号であると同時に、今もなお朝鮮被爆者協会のただ一人の手帳取得者です。

矢嶋さんは、「これまで在朝被爆者の存在を放置してきた日本政府に対し、態度変更を迫る突破口となる可能性を秘めており、そういう意味では極めて重要で意義ある手帳取得となった」と、当時評価をしましたが、その思いは実らず、残念ながら在朝被爆者問題は、全く前進していません。

矢嶋さんは、10年間長崎県原水禁の事務局長を務めた後、一時期労金に仕事の場を移されましたが、退職後再び被爆者運動、原水禁運動の第一線に復帰。2007年からは、長崎県原水禁副会長として活躍されてきました。

昨年12月18日に広島で行われた「第24代高校生平和大使結団式」でお会いしたのが矢嶋さんと話した最後になりましたが、その時、こんな約束をしました。「年明けの1月16日に原水禁国民会議の元議長岩松繁俊さんの偲ぶ会をするので、広島の代表として参加してください。色々と話したいこともあるので、ぜひ一泊する予定で来てください。」しかし、この約束はもう実現することはありません。

私の手元には、矢嶋さんが、長崎県労評事務局長時代に機関紙「長崎県評」に連載された「事務局長コラム」を軸に10年間の闘いの足跡をまとめた「『労働』、『平和』こそ私の原点」(被爆69周年の8月9日に出版)があります。

この本には、核兵器保有国に「長崎の鐘」を贈る運動など、矢嶋さんが提唱した多くの運動の歩みが書かれています。矢嶋さんの足跡をたどり、長崎の運動に学ぶため、読み直し始めているところです。

いのちとうとし

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コメント

矢嶋さんは、僕にも優しく付き合ってくださいました。多くのことを教えてもらいました。とても寂しいですし、不安感でいっぱいです。

木原さん
コメントありがとうございます。
木原さんのコメントを読み、改めて大切な人を失ったという思いを強く持ちます。
長崎、といえば矢嶋さんでしたからね。
いま引き継がれている長崎の様々な活動のほとんどは、矢嶋さんの時代にスタートをしたといっても過言ではないように思います。
私も何とも言えない気持ちですが、矢嶋さんに教えていただいたことをこれからの運動に活かしていくことで、答えるしかないなと思っています。合掌

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