「広島ブログ」

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2022年1月

2022年1月12日 (水)

エネルギー蓄積のため、ブログの更新をしばらく休止します。

今年に入り、再び新型コロナの感染が拡大しています。特に広島県では、急拡大しており、まん延防止等重点措置の適用地域となり、私たちの運動も多くの行事や活動が、中止や延期を余儀なくさせられてます。

2019年3月に広島県原水禁のブログとして再開して以来、今日まで休みなくブログを更新してきましたが、こんな状況ですので、思い切って今日から今月末(31日)まで、このブログを休止することにしました。

この休止中に、昨日のイライザさんの「核廃絶のこれから(3)」の最後の部分で提起された「これから一月くらいをかけて、じっくり考えてみたらと思うのですが」ということを私なりに考えてみたいと思います。

このブログ「新・ヒロシマの心を世界に」へアクセスしていただいている皆さんに突然のお知らせになりますが、エネルギー蓄積し2月1日からの再開を目指して努力してまいりますので、どうかご理解をいただきますようお願い申し上げます。

編集者 いのちとうとし

2022年1月11日 (火)

核廃絶運動のこれから (3) ―――Wish Listを作ってみよう!―――

核廃絶運動のこれから (3)

―――Wish Listを作ってみよう!―――

 

被団協の未来を考えることから、平和運動・核廃絶運動が転換期にあり、こうした運動の支え手・推進リーダーだった労働組合の未来も必ずしも明るくはない、という現状を確認しました。

それではどうすれば良いのかを考えたいのですが、私が一人で考えると、高齢化のせいもありかなり狭い範囲で答を探すことになってしまいそうです。それでもこれまでの経験値もありますので、全く無意味だということにはならないのですが、もっと多くの皆さんのお知恵を拝借することで、希望に満ちた展望を描けるかもしれません。

そのために、これからの平和運動や労働組合運動、その他、政治を変革する運動がどうなれば良いのかを、具体的な比喩として考えてみて下さい。「こんな平和運動になれば良いな」とか「こんな労働組合なら、私も参加したい」というような前向きの気持になれる運動の姿を、描いて見て下さい。それを合わせて、新年の「Wish List」、「願い事のリスト」あるいは「夢のリスト」として今後を考える上での出発点にできればと思います。

 この試みは、停滞気味ではあるけれどもわたくしたちの社会が民主的で活力に満ち、健全であり続けるためには必要不可欠な市民運動や労働組合運動が新たなエネルギーを得るために行いますので、一種の「思考実験」です。そこから、現在の運動の担い手の皆さんが創造的なヒントを引き出して下さることを期待しています。

 創造性の元になるのは、しばしば意外な組み合わせです。ユーモアの源もそんなところにあるのですが、荒唐無稽な比喩で、平和運動の理想的な一面を表現することで新たな材料が見付かるかもしれません。

 と、抽象的な御託を並べているだけではイメージが湧かないかもしれません。比喩の力の豊かさのヒントになるかどうかまでは自信がありませんが、一つ実例を挙げて、どのような思考実験を目指しているのか、説明しておきましょう。

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《レストラン・マリオと平和運動》

広島の皆さんなら、「マリオ」と聞いて、ゲームのマリオだけではなく、イタリアンの名店の方のマリオが頭に浮かぶはずです。最初の喫茶店が開店してからもう半世紀も続いている上級のイタリア料理店ですが、先日、久し振りに多くのお客さんで賑わっているマリオで食事をして、このレストラン・チェーンが広島にあることで、私自身の生活がいかに豊かになっていたのかを痛感しました。

 そこで、「牽強付会」になりますが、「マリオのような平和運動」という比喩で何が表現できるのかを考えてみました。

 マリオの強みは、イタリアンの高級路線を提示しながら、トップ層の人たちだけの独占にならないような料理とサービスを提供し続けてきたことです。極端なことを言えば、この40年間、マリオの料理とサービスは完璧だったと言っても良いくらいです。

 レストランと平和運動とは、全く性質の違う存在です。それを敢て同一視することで、今までは見えなかった平和運動の姿が浮かび上がるかもしれません。そのために発するべき問の例としては、次のようなものが考えられます。

 平和運動では食事やサービスの代りに何を提供しているのでしょうか。「お客さん」は誰を指すのでしょうか。そのお客さんは、お金の代りに何を平和運動にもたらすのでしょうか。レストランの人気が高まり、多くの支店を開くことは何に相当するのでしょうか。メインの料理だけでなく、デザート専門の店が人気を呼ぶことは、平和運動にすれば何に当るのでしょうか。

 平和運動の目的は、例えば核兵器の廃絶ですから、社会を動かさなくてはなりません。レストランという存在は直接、社会を動かすという役割を担っていませんが、それは、レストランにおいては何に置き換えられるのでしょうか。

 こうして、想像力は膨らんで行くのですが、これをお読みの皆さんにも御自分にとって身近な何かと平和運動とを比較して、平和運動の未来を創るための何らかの閃きを感じて頂ければと願っています。これから一月くらいを掛けて、じっくり考えてみたらどうかと思うのですが、如何でしょうか。

 [2022111日 イライザ]

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2022年1月10日 (月)

22年、原発回帰の音が聞こえる

今年初めての担当となりました。本年もどうぞよろしくお願いします。

 1月4日の新聞に原水爆禁止長崎県民会議副議長の矢嶋良一さんが、昨年末に亡くなられたことが報じられていました。このブログの1月4日版に、「いのちとうとし」さんが詳しく書いておられます。

 矢嶋さんは僕にとっては「兄貴」のような存在でした。ブレない強い意志の中でも、とても優しくたくさんのことを教えてもらいました。よき先輩が亡くなられるのは本当に寂しく、残された者としては不安になるものです。

 さて22年、世界中でも日本国内でも「原発回帰」の音が聞こえてくるような感じです。正しくは原発回帰と、それを止める声との攻防が強まったということでしょうか。

 世界的な動きとしては欧州連合(EU)の欧州委員会が、原子力と天然ガスを脱炭素に貢献するエネルギーと位置づける方針を発表し、1月中にも公表するという動きです。原子力は温室効果ガスを出さない「持続可能」なものだと分類したのです。専門用語では「EUタクソノミー(分類)」というのですが、原子力をグリーンリストに含めたのです。

 原子力依存度が高いフランスやフィンランド、そして現状が石炭火力の割合が高い(約7割)のポーランドが、この方針を強く主張しています。一方では、すでに脱原子力を決めているドイツやフィンランドは反対しています。欧州議会でも、緑の党を中心にした脱原子力勢力の強い反発も起こっています。

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フランス中部の原発(2021.11.10日本経済新聞より)

世界的にもFoEI(Friends of the Earth International)の呼びかけで、1月11日に欧州委員会に対し“「持続可能」でも「グリーン」でもない原発をEUタクソノミーに含めるべきではない”との要請書を提出することになりました。今日1月10日の締め切りで賛同を求める呼びかけが行われています。このEUの動きは、決して遠い外国の話しではありません。日本の原発推進勢力も「悪乗り」「便乗」の動きは起こっています。要請書への賛同は以下のURLで簡単にできます。

https://forms.gle/QimtiLDJymx3d3Kc8

 また米国では、これまで遠ざかっていた高速炉開発の動きが持ち上がり、その開発協力を日本原子力研究開発機構や三菱重工業に求めていることが分かりました。近いうちに日米で覚書を交わすということも明らかになりました。

 日本国内では、どちらかというと脱原発派だった河野太郎さんが自民党総裁選挙で敗れ、大臣や自民党役員が原子力推進派で埋められたことが大きいと思います。

私は電力会社の本音というのが、いまだに確信を持って判断できないのですが、東京、北海道、東北、日本原電、そして中国電力にしても再稼働の動きを強めようとしています。そして40年の運転ルールが覆されようとしていることです。

 24基(1742.3万kW)の原発廃炉が決まりましたが。これらの廃炉から出てくる廃炉解体廃棄物の国内での処理処分のめどが立たない中、廃炉原発の大型の解体物である蒸気発生器、給水加熱器、燃料の輸送貯蔵用キャスクの処理を海外で行おうとする新たな動きも注目です。

米国のテネシー州オークリッジ近くにあるベアクリークの処理施設は、これまでずさんな操業で廃棄物処理が行われたために、世界で最も汚染された地域の一つとされているところですが、そこで日本の原発廃棄物を処理しようとしているのです。もちろん周辺には住民が住んでいて、健康被害も報告されているのです。かつて広島原爆のウランが濃縮されたところでもあります。原爆という核を作った場所が、日本の核によって被害を受けようとしている、こんなことが許されるのでしょうか。

 私たちの中国地方も、島根原発2号機の再稼働に向けた動きが急です。

今年も皆さんに読んでいただけるように、頑張って書いていきたいと思います。

木原省治

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2022年1月 9日 (日)

ドイツからの便りーその2 「ドイツの核兵器禁止条約締約国会議への参加」

今日は、「ドイツ新政権が核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバー参加する」についての私の質問に対する福本さんの答えを原文のまま掲載します。


Q.1 連立協定に盛り込まれたのは、どの党の影響が一番有ったのでしょうか。それと、協定では、どのように記載されているのでしょうか。

協定には、連合体(NATOのことですね)と調整して、オブザーバーとして条約の意図を積極的に追っていく、とあります。

3党共同でその方向で連立協議をしたということですが、特に緑の党、自民党にその意向が強かったと思っています。交渉中に、緑の党のトリティン元環境大臣(その時、国会議員団の外交責任者でした)に、新政権成立後は、自民党のラムスドルフ外交担当に、外国人記者協会との会見で小生が直接質問して聞いています。

Q.2  このことについての、国民の受け止めはどんな感じでしょうか。

ドイツメディアはまったく報道していません。市民も知りませんし、まったく関心ありません。

Q.3 「今後、NATO内で要請して承諾を得ることを考えているようです。」とありますが、承諾を得られない可能性はあるとお考えですか。もし承諾が得られなかった場合には、オブザーバー参加しないということになるのでしょうか。

時間かけて、納得してもらうように交渉すると理解しています。

Q.4  それから、確認ですが、MATOに配備されている核兵器は150個、ドイツにはそのうちの数十個が配備されていると思っていますが、間違いないでしょうか。

ドイツには、ブュヒェル空軍基地に20前後あるはずです。これは、ドイツ空軍の基地です。正確な数値は公表されていません。これは、戦場で使う戦術的核兵器だけです。

それからトリティン氏は、核兵器の使用はロシアの国境まで、つまりNATO加盟国域内に限定したいといっていました。ただそれは、連立協定には記載されていません。

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2021年1月26日付沖縄タイムス

Q.5  もう一つ、広島の市民運動で話題になったことですが、「ドイツは、最近配備されている核兵器を運搬するための戦闘機の近代化を進めている」ということです。ここからは、私の疑問ですが、そもそもNATOに配備されている核兵器は、アメリカが保有する物であり、仮に運搬、使用するということであれば、アメリカが決定する事であり、アメリカの戦闘機もしくはロケットで発射されることになると思っています。ドイツ空軍の近代化がもし進められているとしたら、この核兵器配備とは別で、ドイツの兵器が古くなったための措置だと思うのですが、もし何か情報があれば教えてください。

核兵器のほうは、すでに米国が近代化しました。戦闘機は現在、欧州で開発されたトルナド戦闘機が配備されています。それを米国のF19に切り替えるための納入契約が前政権でまとまっています。

この核兵器はドイツ軍がNATO軍として使用します。ドイツ(西ドイツ)は、シュミット元首相がブラント政権下で国防大臣になった時に、西ドイツが核兵器を使用できない限り、西ドイツの主権がなくなるとして、ドイツ空軍がNATO軍として使用することを主張して、米国を押し切ったとされます。

ドイツは、正確には西ドイツですが、NATOに加盟する時に、憲法に相当する基本法を改正して、ドイツの防衛は集団防衛を基本とすることが記載されています。さらに戦争兵器管理法において、ドイツは核兵器の製造、保管、使用はできないが、連合の枠内(つまり、NATOの加盟国)としては、核兵器を製造、保管、使用することができることになっています。

ただドイツ外務省と国防省は、ドイツはNATOの核抑止力政策の一環で核兵器を保管しており、ドイツがNATOの一員として核兵器を製造すること、使用することは考えられないとしています。

この点はドイツでも、知らない人の方が多いですが。

最後のこんなことが付け加えられていました。

そうですね、今回のオブザーバー問題ですが、外国人記者会でも核兵器禁止条約の問題を取り上げるのは小生くらいです。日本の記者がきていても、誰も核兵器禁止条約の問題は質問しません。


福本さん、貴重の情報提供ありがとうございました。

いのちとうとし

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2022年1月 8日 (土)

2022.1月のブルーベリー農園その1

安芸の郷は4日までが休みなので、3日まで家にじっとしていて、4日に安芸区の自宅から東広島市豊栄町にあるブルーベリー園での農作業に一人で行った。作業中は足の裏が冷えるので、つま先にホッカイロを貼る。竹の伐採、ブルーベリーの剪定をして帰る。ブルーベリーの剪定で、人差し指をちょこっと切ってしまった。枝を切る時、鋸を下から上に枝を切り上げたら枝を持っていた左の人差し指に鋸があたって軍手が破れ血がにじむ。手にあたりそうなのは予想できたのだがつい横着してやるとこうなる。バンドエイドを指にまいて剪定を続ける。今日も農園は静か。

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14日(火)

いい天気だが、3段あるブルーベリー畑では日陰になる法面にちょっとだけ雪が残っている。

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里山のブルーベリー園の上の方は木々の陰になるのでここにも雪が残っている。

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手始めに始めた作業は里山にはびこる竹の伐採。やっているうち体が温まる。杉や桧の木立の間に竹が生えている。そのためブルーベリーの周囲も陽が入る量が少なくなるので、ちょっとでも光を増やしたい。

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適当な長さに切って枝も払ってその場に堆積させる。1時間ほど作業してからブルーベリーの剪定に移行。

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ブルーベリー畑の法面にあるネムノキは葉がすっかり落ちて木の姿がぽっかり見える。向かいの法面はススキがのび放題。3月には野焼きで一気にさっぱりする。

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冬至も過ぎて少しづつ日が長くなるが、4時半も過ぎると剪定作業中残した枝を見上げると空も暗くなりかけ、天に伸びた枝が黒々と浮かび上がって、

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見飽きない。先っちょが2.3.4本位に枝分かれしているのが所どころにある。それを見つけて1本だけにする。

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5時位になると雲が薄い茜色に染まるが広々とした夕暮れの空も、見飽きない。

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車に乗って帰る前、家の屋根越しの散らしたような雲と群青色に変わる空の景色をパチリ。

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八重咲のツバキの蕾。色づきに早い遅いがあって季節の動きが見て取れる。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

 

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2022年1月 7日 (金)

ドイツからの便り―その1

このブログに何度かドイツ事情を届けていただいたベルリン在住の福本まさおさんから、14日に新年のあいさつメールが届きました。ドイツのコロナ状況が書かれていますので、本人の了解を得て、紹介します。

 


あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

メールありがとうございました。小生元気ですが、ここにきて周辺に感染者が何人か出ています。3回目のワクチン接種も終わり、副反応もありませんでした。

ドイツではまだ、オミクロンの影響はフランスほど大きくないですが、デルタ株の影響で、いろいろ制限があります。感染者はまだ5桁台ですし、死者は毎日3桁ですかね。

ベルリンでは、ワクチン2回接種したか、回復者でないと、お店に入れません。スーパー、薬局は別ですが。コンサートなども、それに加えて24時間以内にした抗原検査による陰性証明を見せないと、入れてくれません。

これから、オミクロン株が広がってくると思いますが、どうなるかですね。3回目のワクチン接種率は40%くらいに増え、政府は今月中にさらに、3000万人接種させたいといっています。ただ、2回ワクチン接種した割合がまだ72%くらいにしか増えていないので、これからワクチン接種を義務つけることで国会で議論がはじまります。議員立法となる見込みです。

なおドイツの世界的権威のウイルス学者は、オミクロン株は、コロナウイルスがインフルエンザのように、ウイルスと一緒に生きていけるようになる兆しを示しているのではないかとも発言しています。ただ現在、ファイザーワクチンを開発したドイツのバイオンテックが、オミクロン株用の新しいワクチンを開発していますが、それが認可されたら、4回目の接種が必要になるだろうともいっています。

日本でも報道されているかもしれませんが、ドイツの新政権は、核兵器禁止条約締約国会議でオブザーバーになると連立協定に盛り込んでいます。そのために今後、NATO内で調整して承諾を得ることを考えているようです。ノルウェーもオブザーバーになる意向ですね。

そうですね。ドイツにくるのはまったく簡単ですが、日本に帰える時のほうが俄然たいへんで、現在ドイツからだと、日本に入国後すぐに6日の強制隔離、全体で2週間の隔離が必要で、空港から自宅まで公共交通も使ってはなりません。

こういう状況ですが、健康で、よいお年をお迎えください。

ふくもと


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日テレ・2021年12月22日放送

 このメールで、ドイツではすでに3回目のワクチン接種を40%の人が受けていることがわかります。2回接種を受けた人は、日本では78.4%(官邸情報1月5日)ですから、ドイツよりやや高いようですが、3回目はまだ0.5%の人(医療関係者)にとどまっていますから、ドイツよりずいぶんと遅れていることがわかります。

福本さんのメールの最後の「そうですね」以下の内容は、「コロナ過ではドイツを訪問が実現するのは、かなり時間がかかりますね」という私のことばに答えてくれたものです。

ところで、このメールを読んで、私が興味を持ったのは、後段に書かれている「ドイツ新政権の核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバー参加する」の情報です。このニュースは、日本でも報道されましたので知ってはいましたが、もう少し詳しい情報が知りたいと折り返しいくつかの問いのメールを送りました。丁寧な回答(2回の修正を含め)が届きましたので、その内容を9日に紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2022年1月 6日 (木)

核廃絶運動のこれから (2) ―――転換期を迎えているのではないか?―――

核廃絶運動のこれから (2)

―――転換期を迎えているのではないか?―――

 

前回は、被団協の未来を考えてみました。これまで被団協が果してきた掛け替えのない役割は、これからも誰かがどのような方法になろうと継続して果す存在が必要であることを説明しました。同時に、被爆者の集まりである被団協は、今後会員数が減る組織であることを視野に入れなくてはならないと現実的な対策はできないことも指摘しました。

 となると、一つの可能性は、核廃絶運動や平和運動の一部としての被団協としての今後を考えることなのですが、昨年のお正月には「新たな決意で核のない世界を目指そう」と題して、6回のシリーズでこれからの運動の一つの可能性を示しました。再度お読み頂ければ幸いです。一回目のURLは、ここをクリックして下さい。

そこでもう一つの問題を考えざるを得ないのです。それは、核廃絶運動そのものが解決しなくてはならない大きな課題のあることです。この点については、このブログで2019年の7月から10月にかけて、8回のシリーズとして取り上げました。中でも、2019821日にアップした5回目では、核廃絶運動の直面する課題を整理しておきました。

ここに、要点だけを再掲します。

 

     (A)日本の平和運動は、国際的運動だった。 

別の言い方をすると、日本政府を説得し政府の方針を変えさせるという種類の運動ではなかった、と言って良いでしょう。

 

     (B)国際的な貢献にしても、日本の運動が自ら目標を掲げて世界の同志に呼び掛けた結果として国際的な目標の達成につながったのではなかった。

ここで注意が必要です。「だから日本の平和運動は駄目なのだ」といった、評価の問題に摩り替えないで下さい。そんなことは言っていません。国際的な市民運動の全体像を見ると、それぞれの地域や歴史等の複雑な要素が絡み合って、役割分担が決ります。日本の役割分担には、このような目標設定や、計画立案が入っていなかったという事実を虚心坦懐に見詰めることが自分たちの力を知る上で大切だという点に留意して頂きたいのです。

 

 (C)原発についての考え方の違いが、運動も野党も分裂させている。

もう56年前 (注 2019年の記事ですので注意して下さい。) になってしまいましたが、当時の原水禁運動が分裂した原因の一つがこの点でした。そのしこりは、今でも続いていますし、参議院選挙でも明らかになったことの一つは、野党共闘の障害の一つがこの点なのです。

 

2019年の問題提起ではこの後、原点に戻ることの大切さと、そこを出発点にした「王道」を歩むという筋道を描いたのですが、今回は現実がもっと厳しいという指摘を挿入します。

 それは、核廃絶運動・平和運動の中で、リーダー的役割を果してきた労働組合の組織率が下降傾向であることです。厚生労働省による次のグラフを見て頂ければ一目瞭然です。

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厚労省ホームページから

国際的な成果から考えてみると、世界的に圧倒的多数の国々、市民社会、医師や弁護士等の専門家、その他多くの良識ある市民や団体が力を合わせることで、核兵器禁止条約は成立しました。その次の段階として核保有国や各依存国に批准をさせるという大きな仕事が残っています。

 日本に限って考えると、日本政府に批准させる責任は私たち日本国民にあります。そのために、我が国の核廃絶運動・平和運動が新たな力を結集して事に当たらなくなくてはならないのですが、被団協のメンバー減少に象徴されるように、運動の牽引役をすべき組織の力には陰りが見えています。

 一つには、労働組合の組織率に代表される運動の衰退です。敢えて「衰退」という言葉を使うことで危機感を表現しているのですが、今までのような力が発揮できない場面が増えているのではないでしょうか。その労働組合の組織率はかつては、35%もの組織率だったにもかかわらず近年では、20%を切っています。

 同時に世界に打って出ることを得意としてきた平和運動が、日本政府を直接動かし、核禁条約を批准させるという、国内政治そのものに関わる仕事を始めるとなると、運動そのものの方向転換も必要になりますので、時間が掛かるかもしれません。

 お正月早々、マイナス思考に陥ってしまって残念だとお考えの方も多いかも知れません。しかし、ジャンプをするためには一度膝を曲げなくてはならないように、新たなエネルギーを得るためには、何歩か下がったところからの客観的かつ冷静な現状分析から始めることが必要です。それが、夢を見続けるのか、現実を変える行動を計画するのかの違いだと思います。

 ではどうすれば良いのか? ぜひ、皆さんに考えて頂きたいのです。

 [202216日 イライザ]

 

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2022年1月 5日 (水)

ヒロシマとベトナム(その30)

‘2022 “Chúc Tết in ひがしひろしま

“Chúc Tết”(チュック テェット)、ベトナム語で「明けまして、おめでとうございます」、新年のご挨拶です。皆さんはどの様に正月を過ごされましたか。私は古希の誕生日を迎えた元旦はバイト勤務でしたが、2日からは市内に住む娘夫婦と孫二人、家族6名が久々に賑やかに過ごしました。

ところで正月の祝い方は国によって様々異なっていますが、ベトナムは旧暦で祝います。今年の旧正月(Tết)の元旦は2月1日(火)です。中国も旧暦で祝う「春節」、韓国では「구정」(ソルラル)、インドネシアでは「イムレック」と言われています。他にも旧暦で祝う国は台湾、シンガポール、モンゴルなどがあります。

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カンボジアの「水かけ祭り」

ちょっと変わったものでは、一年に3回も新年を祝う国があります。タイやカンボジア、ラオス、ミャンマーなどでは新暦で1月1日に新年を祝い、2月に旧正月を祝い、そして4月にそれぞれの国の新年を祝います。いずれの国も元旦を迎える前の数日間かけて、一年で最も大切なイベントである「水かけ祭り」が行われます。本来は“仏像のお清めや家族のお清め”をするものだったそうですが、近年では水をかけ合って“一年の垢を浄め、邪気を流す”という「水かけ祭り」になったそうです。

回を重ねてきた「テトを祝う会」

私たちHVPF(一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会)は、2009年から「テトを祝う会」を開催しています。当時、東広島にはベトナム籍市民が174名暮らしていました。その約3分の1の60名弱が広島大学の留学生、約100名が技能実習生、残りが家族滞在。一年で最も大切な祭日、「Tết(旧正月)」を家族や友人と一緒に祝うことができず、東広島で過ごしている“ベトナムの人たちと一緒に「テト」をお祝いしよう”と始めたのが「テトを祝う会」です。以来、回を重ね2019年まで毎年開催し、年々規模・内容とも発展してきました。ところが、一昨年と昨年、「コロナ禍」のため開催できませんでした。

特に一昨年(2020年)は200名近くの技能実習生と日本人市民100名余りの約300名の参加申込を集約し、ベトナム料理の食材から看板や飾り付け用品などイベント諸機材の購入、プログラムの印刷まで終えた1月末段階での中止は大きな痛手でした。昨年(2021年)はコロナ感染拡大「第3波」のために中止。痛手は財政的なものに留まりません。約半年前から市民団体や学生・ボランティア、技能実習生や留学生を交えた企画準備員会を重ね、技能実習生受入事業所への訪問、FMラジオ生出演や市広報、地元紙での広報。会場準備から受付、司会・進行やブース運営と企画・準備・運営まで多くの人に関わっていただき、新たな人との出会いや事業所とのつながりが築かれてきました。このサイクルが途絶してしまった損失は計り知れません。

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2011年の「第3会テトを祝う会」

何よりも「コロナ禍」の下、様々な困難や課題を抱えながらも「テトを祝う会」を楽しみに待ってくれているベトナムの人たちの思いに応えられないことは、国際交流団体として本当に深刻です。

 3年ぶり、市内3地域で開催

そこで今年は、 ①1カ所・大規模開催のリスクを分散し、②地域でのベトナム交流の機会をつくり、③「“ベトナムがく”しみん講座」や「ベト味教室」などの開催につなぎ、④会員とサポーター拡大の展望を広げるとの方針のもと、安芸津町(2月6日)、黒瀬町(2月20日)、八本松町(2月27日)の3地域で開催することにしました。

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「テトを祝う会」を始めた2009年に174名だったベトナム人は、2021年11月末時点1,434名へと8倍強と激増しました。その殆どを技能実習生が占めています。ブラックな勤務労働条件や後を絶たない人権問題、国際水準に満たない前近代的な入管行政、脆弱な行政サービスのアウトリーチ等など、技能実習生が置かれている環境は課題山積です。それらに対する理解と解決への支援、さらには同じ地域で暮らす隣人としての関係醸成に少しでもつながればと準備を進めています。お問合せはakatau@d4.dion.ne.jpまで。

(2022年1月5日、あかたつ)

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2022年1月 4日 (火)

「矢嶋良一さん急逝」―長崎から届いた訃報

「毎月9日に平和祈念像前で核廃絶を訴える『反核9の日座り込み』の提唱者で、県原水禁副会長の矢嶋良一さん(80)が昨年末に亡くなり、参加者から悼む声が相次いだ。 座り込みのきっかけは、197810月の原子力船「むつ」の佐世保入港への抗議。県労評(現・県平和運動センター)組織局長だった矢嶋さんの呼びかけで翌年3月に開始。82年のむつ出港後は、長崎原爆の日の89日にちなんで毎月9日の座り込みに変わった。川野さん(下原水禁国民会議共同議長:金子注)は『彼を追うように私も活動し、座り込みではいつも隣同士だった。一緒に頑張っていこうと思いながら座り込んできた。かけがえのない人を失い、本当に残念だ』と話した。」

元日に長崎市の平和公園で実施された核兵器の廃絶と平和な世界の実現を求める「正月座り込み」の様子を伝える朝日新聞記事の一部です。

矢嶋良一さんの訃報を私が知ったのは、大晦日の午後1時に長崎県議会議員坂本浩さんから届いたショートメールでした。坂本さんは、矢嶋さんの後を受け長崎県原水禁事務局長を務めていた長い友人です。ただ、気づいたのは、翌日の午前10時。

広島では、矢嶋良一さんといわれて思い浮かべるのは、数年前から高校生平和大使派遣委員会の共同代表として活躍されている姿だと思います。

ただ私と矢嶋さんの間には、原水禁運動を通じて1980年代からの長い交流があります。

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矢嶋さんが、長崎県原水禁の事務局長を兼務する当時の長崎県労評の事務局長に就任されたのが1983年。私が、広島県原水禁の事務局を手伝うようになったのが、1982年からですから、広島、長崎の関係で原水禁大会など何度も相談することがあったのです。

その中でも特に印象に残っているは、在朝被爆者問題を取り組むことを目的に1992年5月に派遣された原水禁訪朝団の一員として同行したことです。矢嶋さんは、団の事務局長、私が事務局次長でした。

この訪朝で矢嶋さんは、長崎市内で被爆したる朴文淑(パク・ムンシュク)さんと出会います。朴さんは、1歳10カ月の時被爆。その場で、矢嶋さんは、朝鮮民主主義人民共和国側に「長崎への訪問」を打診し、その年の夏の原水禁大会の代表団の一員として朴さんの長崎訪問が実現します。

8月7日に長崎入りした朴さんは、11日まで長崎原爆病院へ入院し、監査・治療を受けるとともに、長崎市に「被爆者健康手帳の交付」を申請。異例ともいえる速さで10日には、「被爆者健康手帳」が交付されました。早期に交付が実現したのは、5月に帰国して後の矢嶋さんの大変な努力があったからです。

朴さんは、在朝被爆者で被爆者健康手帳の交付第一号であると同時に、今もなお朝鮮被爆者協会のただ一人の手帳取得者です。

矢嶋さんは、「これまで在朝被爆者の存在を放置してきた日本政府に対し、態度変更を迫る突破口となる可能性を秘めており、そういう意味では極めて重要で意義ある手帳取得となった」と、当時評価をしましたが、その思いは実らず、残念ながら在朝被爆者問題は、全く前進していません。

矢嶋さんは、10年間長崎県原水禁の事務局長を務めた後、一時期労金に仕事の場を移されましたが、退職後再び被爆者運動、原水禁運動の第一線に復帰。2007年からは、長崎県原水禁副会長として活躍されてきました。

昨年12月18日に広島で行われた「第24代高校生平和大使結団式」でお会いしたのが矢嶋さんと話した最後になりましたが、その時、こんな約束をしました。「年明けの1月16日に原水禁国民会議の元議長岩松繁俊さんの偲ぶ会をするので、広島の代表として参加してください。色々と話したいこともあるので、ぜひ一泊する予定で来てください。」しかし、この約束はもう実現することはありません。

私の手元には、矢嶋さんが、長崎県労評事務局長時代に機関紙「長崎県評」に連載された「事務局長コラム」を軸に10年間の闘いの足跡をまとめた「『労働』、『平和』こそ私の原点」(被爆69周年の8月9日に出版)があります。

この本には、核兵器保有国に「長崎の鐘」を贈る運動など、矢嶋さんが提唱した多くの運動の歩みが書かれています。矢嶋さんの足跡をたどり、長崎の運動に学ぶため、読み直し始めているところです。

いのちとうとし

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2022年1月 3日 (月)

高校生が描いたヒロシマ「原爆の絵画展」

広島市立基町高校の創造表現コースの生徒たちが14年前より毎年、原爆被害の実相を後世に伝えるため被爆体験証言者とともに取り組んできた「原爆の絵」の絵画展が、広島国際会議場地下2階ダリアで、12月21日から1月7日(1月3日までは休館)までの会期で開催されています。

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私は、休館に入る前の昨年12月28日に会場を訪れました。年末ぎりぎりということもあったのでしょう、入場者は私一人でした。

今回の展示では、昨年(2021年)7月に完成した19点を含む約60点が展示されていました。以前に見た作品も多くありましたが、力作ぞろいです。

被爆証言を語り続け近年死去された被爆者の証言をもとにした絵が、最初の方に並んでいます。一昨年10月に88歳で死去された児玉光男さん、昨年4月に84歳で亡くなられた岡田恵美子さんです。これまでの「原爆の絵画展」で何度も展示された作品ですが、お二人の思いが伝わる作品です。

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児玉光男さん「プールサイドの惨劇」 岡田恵美子さん「炎の中で助けを求める女の子」

新作19点の中には、私が何度も証言を聞いた切明千枝子さんの証言を聞いた作品が、4点並んでいます。最初の一枚のタイトルは「出征兵士の見送りと別れ」です。

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証言活動の中で、必ず厳しい戦争批判の証言をおこなう切明さんの証言絵らしい作品です。

「出征兵士を見送るため手作りの国旗をもって宇品港に行った時の情景です。兵士を見送っている時、突然誰かに頭を触られた。驚いて頭を上げると、目の前に軍服を着た叔父がいた。その後叔父と二度と会うことはなかった。」という説明文がついています。

次の3点は、被爆体験が題材となっています。最初は「被爆した負傷者が逃げ込んだ旧陸軍被服支廠」です。

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「全身火傷で学校に戻ってくる下級生たち」「物理学室で被爆女生徒を手当てする様子」と題した作品2点が続きます。

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この2作品は、いずれも暗い雰囲気に仕上がっています。被爆した下級生への思いが伝わります。

会場ではビデオが上映されています。私が見た時はちょうど、切明さんが作品の前で制作当時の様子を話している映像が流れていました。

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他にも、私がよく知っている人たちの証言作品が並んでいます。清水宏士さん、箕牧智之さん。

最後の方には、新聞記事などをまとめたパネルが展示されていますが、その一枚に、昨年7月5日に行われた「原爆の絵完成披露会」の報告があります。「今年は2年生11名、3年生7名の計18名が制作に取り組み、新たに19点の原爆の絵が完成しました。生徒たちは、証言の方との関わりを経て感じた戦争の悲惨さや、平和への思いを受け継ぐことの大切さを語りました。終戦から76年がたつ今、原爆投下を過去の出来事として扱うのではなく、こうした取り組みで語りつぐことの必要性を改めて感じた。」と記されています。

間違いなくこの活動は、後輩へと継承されると思います。

この「原爆の絵画展」は、明日4日に再開され7日まで開催されていますので、一人でも多くの人に見に行ってほしいと思います。

いのちとうとし

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2022年1月 2日 (日)

2022年元日の平和公園

午前10時過ぎ、近年元日の恒例となった平和公園散策に行ってきました。

気温は、まだ3℃余りしかありませんでしたが、薄雲もとれ青空の良い日和になりました。

資料館南側の駐輪場に自転車を置いて、最初の目に入ったのは、地球平和監視時計です。

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広島への原爆投下からの日数は、27907日、最後の核実験からの日数は、397日と表示されています。最後の核実験から397日ですから、1年以上核実験のない日が続いていることになります。昨年1月18日のブログ「アメリカの『臨界前核実験』に強く抗議する」には、前回のリセット前の日数は「704」ですから、「397日」はまだまだです。もっともっとこの日数が、増え続ける世界にしなければと、強く思います。

この数字は、1年以上核実験が行われていないことを示していますが、臨界前核実験の場合は、しばらくたってから発表されることが多いため、前回のアメリカの臨界前核実験は2020年の11月に実施されましたが、抗議の座り込みは、昨年(2021年)の1月18日に実施しています。「核兵器禁止条約」が発効し、核実験も違法となった今、同条約を批准していない核保有国も、法を遵守し、あらゆる核実験を実施しないよう強く求めたいと思います。

原爆資料館への入館者が後を絶ちません。昨年に比べると明らかに旅行者が増えているのが実感します。

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平和公園を案内するピースボランティアの人たちの姿も目に付きます。

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知人の姿を見かけましたので、話を聞きました。「今日は、6人ほどが来ています。今日から、ようやく館内の案内もできるようになりました。」と少しうれしそうに話しされたのが印象的でした。

元日からご苦労様です。

原爆資料館を出て、慰霊碑移動します。

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黙祷をしながら、今年一年の決意を固めました。

慰霊碑前の花入れには、きれいな菊がびっしりと供えられています。取材中のマスコミの人に教えていただいたのですが、この菊は、NPO法人「HSP国際ボランティア」のメンバーが、毎年元日の朝、訪れる人の献花用にと提供された花のようです。例年1000本が用意されるようですが、今年は500本だったようです。

次に、供養塔に移動しました。平和公園を訪れた時には、必ず足を向ける場所です。

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残念ながら、私がいる間に、ここを訪れる人の姿を見ることはできませんでした。元日ということで、遠くからの旅行者の姿が多かったように思いますので仕方ないことかもしれませんが。少し複雑な気持ちになりました。

しばらく佇んだ後、原爆ドーム対岸の元安川河畔に移動しました。この頃には、上空に少しあった雲もなくなり青空が広がり、原爆ドームに冬の強い日差しがあたっています。

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原爆ドームの写真を撮って、元日の平和公園散策を終わりました。

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原爆資料館南側の駐輪場に移動しようと慰霊碑前を通ると、先ほどよりも参拝する人の姿が多くなっていました。

今年こそは、多くの人がここを訪れることができるようになり、「核兵器廃絶」への誓いを新たにしてほしいと願いながら、平和公園を後にしました。

いのちとうとし

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2022年1月 1日 (土)

核廃絶運動のこれから (1) ―――被団協の果してきた役割―――

核廃絶運動のこれから (1)

―――被団協の果してきた役割―――

 

明けまして、おめでとうございます。新年ですので、私たちの目標である核兵器の廃絶のために、今後どのような取り組みをすべきなのかについて、改めて、と言うことは初心に戻って考えたいと思います。

 昨年1226日には、坪井直さんの遺志を継ぐことをテーマに、「情理を尽くす」ためには「理」に力を入れた手段が必要だと論じました。特に「広島・長崎講座」という具体的な提案をしたのですが、今回は、スコープを広げつつ、同時に核廃絶運動が直面している問題を整理した上で、新たな視点から考えたいと思います。

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《被団協が果してきた役割》

坪井さんが亡くなられて、私たちに改めて突き付けられた冷厳な事実は、人間は誰でもいつかは死ぬ存在だということです。日頃はあまり意図的には考えないことですし、坪井さんのように長寿で、日常的にも人一倍お元気で活動的な方を目の当たりにしていると、人間が死ぬ存在であることを忘れがちになります。

 でも、坪井さんが亡くなられた結果として、被団協の会員は確実に一人減ったのです。そして、被団協が原爆による被爆をした方々の組織である以上、その会員数が増えることはありません。これから何年先のことかは分りませんが、今のままでは、被団協の会員はやがてゼロになるのです。

 その結果として、私たちが心配しなくてはならないことがいくつかあります。被爆者の皆さん個人個人の果してこられた役割としても大切なのですが、今回は「被団協」という組織の問題として考えてみましょう。

 一つには、被爆の実相と被爆者のメッセージを後世に伝えるという仕事は、被団協の主要な使命の一つなのですが、それについては、前回「広島・長崎講座」の勧めという形で問題提起をしておきました。

 二つ目は、私たちが社会・世界を考えるときに、基準とすべき考え方を示し続けてくれた一つの「定点」がなくなってしまうことです。被爆体験という人類初のそして未曽有の歴史の生き証人として、日常レベルで世界の平和を「感じ」、「生きてきた」人たちが、今という時をどう見ているのかは、私たちにとって掛け替えのない基準点だったのです。被団協が仮に消滅してしまったとして、この役割はだれがどのように果して行くべきなのでしょうか。

 三つめは、被団協そして被爆者が「核抑止力」であり続けたことをどう継承して行けば良いのかという問題です。1999年の平和宣言では、被爆者の残した三つの大きな足跡の二つ目として、三度目の核兵器使用を阻止したことを挙げています。つまり、被爆者そして被団協は、「核抑止力」を持っていたのです。その被団協がなくなるということは、核抑止力も同時になくなってしまうことを意味します。となると、核兵器の使われる可能性が大きくなるのです。それは、そのまま人類滅亡を意味することになりかねません。

 仮に被団協が消滅したとして、それは単に一つの組織がなくなるだけではなく、私たちの住む社会、そして世界の存亡そのものにかかわる大きな問題なのです。それに対して私たちに何ができるのか、どうすれば良いのかを私たちの問題として考えなくてはならないのです。「被団協という組織の問題だから、組織の外の人間が関わるべきではない」という理屈で、済ませてはいけない問題なのです。

 消滅しつつある被団協を救うためにはこれまでも様々な試みが提案され、中には実行されたものもあります。例えば、被爆二世の団体と一緒になって活動を継続するようにする、というアイデアがあります。あるいは、原水禁や原水協という団体と一緒になって核廃絶運動の面での継続を図るといった考え方もあったようです。

 それぞれ、メリットもデメリットもありますし、その他のアイデアがあるかもしれません。仮に、他の団体と合併するというアイデアを検討するとして、そこにはもう一つ、平和運動、特に核廃絶運動が直面している大きな問題が浮上してきます。次回はそれを見て行きましょう。

  [202211日 イライザ]

 

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