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2021年12月 4日 (土)

金輪島訪問記

11月21日から3日間、東京在住の竹内良男さんが企画した「ヒロシマ講座in広島」の3つのフィールドワークが行われました。私は、全部に参加しましたが、今日は、最終日に実施され「金輪島 慰霊碑参拝と島内戦跡めぐり」の様子を報告します。

金輪島には、以前から一度訪れたいとずっと思っていたのですが、ようやく思いがかなったフィールドワークです。

今回の参加者は、広島だけでなく東京・埼玉・大阪などから17名。午前9時10分、広島市営桟橋発の金輪島行きに乗船です。広島市営桟橋を利用するのは初めてです。

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休日でしたが、金輪島に働きに行く人たちと一緒です。船は、プリンスホテルを経由して15分ほどで、金輪島に着きました。

船を下りるとそこは、工場の敷地です。事前に了解を得ての島めぐりです。

金輪島は、戦前は、宇品にあった日本陸軍運輸部の金輪島工場として操業し、太平洋戦争末期には旧陸軍船舶司令部野戦船舶本廠の一部がありました。戦後、造船施設が民間に払い下げられ、金輪島ドックとして親しまれていましたが、現在は新来島宇品どっくが船舶の修理の工場として操業しています。最盛期には約1400人いた従業員も現在は250人ほどになっているようです。

島に着くと、北部の開拓地跡を訪ねた後、金輪島トンネルを通って島の西側に立つ慰霊碑に参拝しました。

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この島には、戦争中、暁第6140部隊が駐屯し、動員学徒などが作業をしていました。原爆直後には、500人の被災者がこの島に運ばれ、その多くが亡くなっていき、遺体は、ここで火葬され埋葬されましたが、ほとんどの遺骨がこの地に眠ったままです。しかし長い間慰霊碑はありませんでした。その後、この島で父を亡くした田辺博介さん、芳郎さんのご兄弟の2年がかりの努力によって1998年(平成10年)8月2日に慰霊碑が建立されました。

その後毎年、慰霊祭が行われてきましたが、参列者は年々減り続けているそうで、慰霊祭そのものの存続が危惧されています。

また、この碑は、民有地を借受けて建っていますので、今後どう継承すのかも大きな課題になっています。

島の西側には、軍用桟橋や弾薬庫跡などがありますが、道が整備されておらず、残念ながら近づくことはできませんでした。慰霊碑の西側の小山の上には、高さ10メートル以上ある高い碑が見えますが、何度も訪れている竹内さんも何の碑だかわからないということです。竹内さんが作った資料では「謎(?)の碑」として紹介されています。

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この碑のすぐ向こう側の海は、宇品を出港した船の航路となっていますから、戦前に「外地に出征する兵士」を見送る意味を持っていたのではないかと、勝手に想像し、眺めていました。

トンネルを引き返し、島の東側に戻りました。移動しながら山すそを見ると、いくつもの防空壕の跡が目に付きます。

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面白いことに、いくつも立っている看板には、なぜか「防空壕」ではなく「ほらあな」と紹介されています。

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当時を偲ぶことができるものは、だんだん少なくなっているようですが、敷石に大理石が使われている金輪神社や、

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送電用に使われた鉄塔などを目にすることができます。

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また島のあちこちに、貴重な水をためるための貯水池が残っていますが、昭和62年(1987年)に金輪島に広島市水道が供給開始されましたので、それ以降貯水池の水が使われることはなくなりました。

東京からの参加者の帰りの時間もあり、今回は13時30分発の船で金輪島を後にしましたが、もう一度ゆっくりと訪ねたいと思った金輪島訪問でした。

いのちとうとし

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