ヒロシマとベトナム(その29-3)
アメリカと枯葉剤裁判
前々月10月5日の「その29-1」でベトナムの枯葉剤被害者がアメリカの裁判所に提訴した訴訟すべてが棄却・却下されていることを紹介し、前月11月5日の「その29-2」で、「外国人がアメリカの裁判所に提訴できるのは、国際法や国際条約への違反や不法行為があった場合に限られている」ことを紹介しました。
アメリカの裁判制度がどの様なものかはよく分かりませんが、猛毒ダイオキシンを含んだ枯葉剤を繰り返し浴びたベトナムの人々が、60年経た今日なおる深刻な被害を受け続けていることは紛れのない事実です。
これも前号で紹介しましたが、1971年秋にアメリカ国立衛生研究所のコートニーらのネズミを使った実験で、米軍が「枯葉作戦」に使った「枯葉剤(2・4・5T)が催奇形性をもたらす」との報告でも証明されたように、枯葉剤が原因であることは明らかです。
にもかかわらず、アメリカは当事者の主張を聞き、枯葉剤と被害の因果関係を審理することも、枯葉剤散布が国際法や国際条約に違反しているかについての審理することなく訴訟そのものを拒み続けています。
化学兵器が登場した第一次世界大戦
化学兵器に関する国際法を見て行きたいと思います。
化学兵器が戦場で本格的に使用されたのは第一次世界大戦です。1915年4月、ドイツ軍の塩素ガス弾で一日に5千人ものイギリス軍やフランス軍など連合国軍兵士が死亡したといわれています。翌1916年2月にはフランス軍が塩素よりも毒性の強いホスゲンをドイツ軍塹壕に打ち込むなど、凄惨で残酷な戦いが繰り広げられました。本を読まれた方や映画をご覧になった方もいるかと思いますが、この戦いを描いたのがレマルクの「西部戦線異状なし」です。
第一次世界大戦は他にも航空機や戦車、潜水艦などの大量破壊兵器が出現し、兵士だけでなく一般市民を含む大量無差別の殺戮と破壊がもたらされ、戦争の残虐さと被害の大きさが一変しました。
第2次世界大戦は、人類史上初めて核兵器が使用され、地球と人類そのものを危機に陥らせた「核時代」に突入しました。
核も化学兵器もNO! それは人類共通の生存のための普遍的な課題です。
(第一次世界大戦:毒ガス防護マスク姿のドイツ兵)
(ベトナム戦争:猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤をまく米軍機)
長期間かつ大量に使用された化学兵器・枯葉剤
化学兵器禁止に関する国際法は1899年の「ハーグ宣言」で、有毒ガスの使用が禁止されたのが初めてです。しかし、砲弾に詰めて撃ち込むことなどが禁止されておらず、第一次世界大戦でドイツ軍が用いたボンベ放射、フランス軍のガス砲弾の使用につながります。その後、ドイツ軍の敗北に伴う1919年の講和条約(ヴェルサイユ条約)に、ドイツの化学兵器保有禁止が盛り込まれ、1925年の「ジュネーブ議定書」(窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書)に続きます。
しかし、その後も日本を含む(注1)各国の開発・保有が続き、ベトナム戦争では1961年~1971年までの10年わたって反復的に枯葉剤が使用されます。アメリカの「枯葉作戦」は、史上類を見ない長期間かつ大量に使用された化学兵器の唯一の実例です。
(注1)竹原市の大久野島で旧陸軍が毒ガス兵器を生産し、中国大陸で使用した。満州を拠点に731部隊が細菌戦に使う生物兵器を研究・開発し、中国人捕虜などへの人体実験や実戦使用も行われていた。社民党の山内正晃広島市議(安佐北区)のご両親が、「毒ガス島歴史研究所」で長く活動されています。機会があれば是非、訪ねてみてください。
(2021年12月5日、あかたつ)
【編集者】このつづきは、7日に掲載します。
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