「最高法規」の意味 (4) ----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---
「最高法規」の意味 (4)
----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---
憲法が「最高の法規」であることを規定している98条を改めて読むことが、このミニシリーズの目的ですが。そのための準備を2回行い、前回はいくつかの「定理」を導きました。
それらの「定理」のお浚いをする前に、再度98条を読んでおきましょう。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
《「最高法規」から導かれる「定理」》
意外だったのは、「数学書として憲法を読む」上で採用したいくつかの大切なルールが、98条を出発点として、証明できることでした。「証明」は前回のブログを読んで頂くことにして、内容をリストしておきましょう。
[正文定理 (九大律の①正文律)] 「憲法」として読む対象は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された(日本語の)日本国憲法である。
[自己完結定理(九大律の8番目である自己完結律)] 憲法を読むに当り、(普通の言葉を使えば)その解釈のために、他の法律や文書を根拠にしてはいけない。
[改竄禁止定理(憲法に関しての改竄禁止律)] 憲法を読むに当り、その字句を改竄することは禁止されている。また、字句は変えずに、字句の意味を変えることは禁止されている。さらに、字句から論理的に導かれる結論も字句同様に、改竄されてはならない。
[系1 (九大律の③一意律)] 憲法内に現れる同一の字句は、同じ意味を持つ。
[系2 (九大律の②素読律)] 憲法を読むに当って、一つ一つの字句は素直に字義通り読
これまでは問題がなかったのですが、今回は、98条と96条の間には大きな矛盾があることを取り上げます。
[改憲不可定理] 憲法を改正することは許されない。
[証明] 改竄禁止定理の証明と同じ。つまり、改憲後の憲法を「憲法ダッシュ」と呼ぶと、それは元の憲法に反する内容が盛り込まれていることになり、効力を持たない。Q.E.D.
ちょっと困った状況なのですが、96条には改憲の手続きが規定されていますので、憲法では改憲が想定されています。にもかかわらず、改憲は禁止されているという矛盾が生じたのですから、矛盾解消のための何らかの「解釈」が必要になります。
三省堂『大辞林』から
《矛盾は存在しない》
その解釈の深さを示している好例になるのですが、96条が答を与えてくれています。それは次の96条の第2項です。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
「証明」の中で、「憲法ダッシュ」と呼んだ文書は、「憲法と一体をなすものとして」扱うという説明が付いているのですから、別の文書や法律として元の憲法に反するかどうかの判定をしなくても良いということなのです。Q.E.D.
実は、96条の「憲法と一体をなすものとして」という一節が何故そこに加えられているのか長い間謎だったのですが、これで氷解しました。98条と96条を合わせて読むことで現れる意味の深さに、改めて脱帽しています。
制定当時、国会で上記の矛盾についての議論が行われたのかどうかについて未調査ですが、憲法の草案 (日本語の草案です。念のため) を作成した人は、この矛盾に気付いていて、その矛盾を解消するために第2項で「憲法と一体を成すもの」という見方を示したのだとしか考えられません。となると、「正文定理」、「改竄禁止定理」の「系1」と「系2」と合わせて、一つの定理として再掲するに足る十分な理由になります。
しかも、この定理は、先に述べたように98条を根拠としての定理でもありますので、別のルートからの独立した証明があることになります。
[正文律・論理律・素読律・一意律の定理] 九大律の内、①の「正文律」、②の「素読律」、③の「一意律」、そして⑤の論理律は、96条第2項から導かれる憲法の読み方である。
[証明] 既に指摘したように、96条2項には、「論理的意図」があるとしか読めないのである。つまり、98条の「最高法規」が、論理的には改憲を禁止しているという結論に至ることを理解した上で、改憲を可能にするという意図を持って書き込まれたとしか考えられない。この前提なくして96条の2項を読むと、その意味を理解できないことがその証拠である。それほどの論理的注意深さで書かれている憲法を読み正確に理解するためには、徹底的に論理性を重んじて良くなくてはならない。そのためには、「素読律」で強調した素直な読み方をしなくてはならない上に、「一意律」で示した「改竄禁止律」も守らなくてはならない。対象が日本語の憲法であることは前述のように当然であり、98条からの帰結でもある。Q.E.D.
以上、憲法が「最高法規」であるという規定から出発すると、それは憲法の読み方の基本を示していることにもなりました。このような結論に至るとは、ほとんどの皆さんは想定もしていなかったのではないかと思います。これほど深い結果に到達することになったのですから、もう一つ付け加えておくと、98条は「数学書として憲法を読む」必然性を示していると言っても良いのではないでしょうか。
[2021年12月21日 イライザ]
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