「広島ブログ」

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2021年12月

2021年12月31日 (金)

2021.12月のブルーベリー農園その4

東広島市豊栄町のブルーベリー園ではどうしても12月には雪が降る。今年は少し遅くて26日に少し降った。26日は道路の雪がなくなる昼前に安芸区の自宅を出発して1時過ぎに農園に行った。農作業も剪定がメインになってきたので交通事故やケガに気を使いながらゆっくり目のテンポで進めていった。

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225日(土)

夜から雪になりそうな気配。小さな畑に植えているキヌサヤエンドウとソラマメにもみ殻を敷いてやる。

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風が強いので夕方の雲の流れも細長くて動きが早い。

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1226日(日)

昨夜から朝方にかけて雪が降ってブルーベリー農園の畑も雪一色。

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12月の日差しはそんなに強くないので剪定作業中も目がちかちかすることはない。

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ブルーベリーの木の剪定ではとにかく上に向かって元気よくて太めの枝を残していく。残した一つ一つの枝にだいたい10個くらいの花芽がついている。

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庭のシデコブシの花芽はもふもふ。

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午後着いた時には屋根の雪どけの水はぽたぽた落ちていたが、3時過ぎにはつららに変わっていた。4時前には作業を切り上げて帰った。

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1229日(水)

農園の家の周囲の掃除をしているとロープにカマキリの巣が出来ていた。ブルーベリーにとっては益虫なのでこのままにしておく。

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農園の里山にある墓に参り、近くにあるため池を見回る。薄く氷が張っていた。

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帰り道。ヨメナ(野菊)の花が終わって綿帽子になって、種がびっしり。

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庭の紅白のナンテン。庭のあちこちあるので遠慮しないで1m位の長さに切って持ち帰り、縁起物でもあるし、正月が近いので玄関のカメにどっさり生けた。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年12月30日 (木)

奇妙な広島市の「核兵器禁止条約」の紹介

12月5日に開催された「世界人権宣言73周年記念集会」で「核兵器禁止条約の発効をめぐる世界と日本の動き」と題した講演依頼を受けて準備をしていた時のことです。

「核兵器禁止条約」を分かりやすく紹介したいと思い、その情報を得るためネットでいろいろと検索をしました。そこでヒットしたひとつに、広島市のホームページに掲載された「核兵器禁止条約」の概要 - 広島市公式ホームページ (hiroshima.lg.jp)がありました。

そこには、「1 概要、2 条約の主な特徴、3 今後の流れ、4 課題など」の4項目について簡単な解説が書かれています。そして「『核兵器禁止条約』の早期締結を求める署名活動に御協力してください!」という呼びかけ文と署名用紙へのリンクがはられて、この「『核兵器禁止条約』の概要」は終わっています。

私が、今日のタイトルに書いた「奇妙な」と感じたのは「2 条約の主な特徴」に記載された内容を見た時です。

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「条約の主な特徴」として、次の4項目が記載されています。全文紹介します。

2 条約の主な特徴

(1)被爆者に言及(前文)

 条約は、被爆者(ヒバクシャ)の苦しみと被害に触れ、人道の諸原則の推進のために、核兵器廃絶に向けて被爆者などが行ってきた努力にも言及しています。

(2)核兵器の開発、実験、使用、使用の威嚇などを禁止(第1条)

 条約は、核兵器の開発、実験、製造、取得、保有、貯蔵、移譲、使用、使用の威嚇などの活動を、いかなる場合にも禁止しています。

(3)核保有国の加盟についても規定(第4条)

 条約は、定められた期限までに国際機関の検証を受けて核兵器を廃棄する義務を果たすことを前提に、核保有国も条約に加盟できると規定しています。

(4)条約について話し合う会議を開催(第8条)

条約は、その運用などについて話し合う締約国会議や再検討会議の開催について定めており、いずれの会議にも、条約に加盟していない国やNGOなどをオブザーバーとして招請するとしています。

この後に「条約全文について」として「国連ホームページで条約全文がご覧いただけます」として、「国連:核兵器禁止条約ホームページ(英語)<外部リンク>」が紹介されています。

このリンク先として英語の条約が紹介されている(実際にリンクをたどって確認してはいませんが)ことも奇妙といえば奇妙ですが、私がもっと「奇妙な」と感じたのは、核実験被害者の救済について規定した「第6条 被害者に対する援助及び環境の回復」が、紹介されていないことです。

私は、「『核兵器禁止条約』には、二つの大きな柱がある」と思っています。その第一は、核兵器が非人道兵器として禁止されたことです。二つは、あまり強調されていませんが、これまでの度重なる核実験(2000回以上)によって核被害を受けたヒバクシャの救済(残念ながらウラン開発から始まる全ての核被害者ではないが)が、条約に明記されたことです。

「被爆者の救済」と「核兵器廃絶」は、1955年に開催された第1回原水爆禁止世界大会の「宣言文」で高らかにうたって以来、私たちの運動の両輪となってきました。

ですから「核兵器禁止条約」の二つの柱に関する条文は、どちらも欠かすことのできないはずだと私は考えています。

ですから、広島市のホームページの「条約の主な特徴」に「核実験被害者の救済」が全く触れられていないことに「奇妙な」違和感を感ずるのです。

「核兵器禁止条約」の成立に広島、長崎の被爆者が大きな役割を果たしましたことは間違いありませんが、それと同じほどにマーシャル諸島共和国をはじめとした核実験被害者の告発がこの流れを推進したことをきちんと評価しなければならないと思っています。

年が明ければすぐに「核兵器禁止条約」が発効して1周年を迎えます。そして3月には第1回締約国会議が予定されています。松井広島市長は、その締約国会議への参加を表明しているようですが、その広島市に対し「もっと核実験被害者にも目を向けてほしい」と求めるのは、間違いでしょうか。

今日は、私が担当する今年最後のブログですが、広島市への苦言を呈することの多かったこの一年を象徴するような内容で終えることにします。

いのちとうとし

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2021年12月29日 (水)

2021年の年末に思う

あっという間に年末です。年々1年経つのが早くなります。思い出すのが大学の講義でのある先生の「人生はレコードのようだ」ということば。つまり、人生の初め頃は針がレコードの外側をぐるりぐるりと回るので1周(1年)が長い、人生が進むにつれてレコードの内側に入っていくのでどんどん1周が短くなると。確かに最近は友だちと話をしていても、「つい、この前」が20年前、30年前のことだったりします。そんな、自分にとっては「つい、この前」だけど結構前の、初任校での話です。

初任校で1年生を担任してたとき、平和学習の中で、ある子が「その頃の子どもは、今のわたしたちみたいに、先生から戦争はいけないよって教えてもらわなかったん?」と言いました。私は「その頃は、戦争に行ってお国のために戦えと教えてたんよ」と話しながら、ぞくっとしました。そうしないと罰せられる世の中であっても、自分は本当に戦争反対と言えるのか?「昔」の話と思っていたことが今の自分に地続きであることに気づき、身が震えたのです。弾に当たって死ぬのも怖いけれど、個が大きな力に押しつぶされ絡めとられることが本当に怖いと思いました。

4校目に勤務していたとき、平和集会の最後のあいさつで校長が「平和のためにはルールを守ることが大切」と言いました。そうですか?当時のルールは「敵を殺せ」「お国のために死んでこい」と教えることでした。だからこそ、決められたことに思考停止で従うのでは無く、真実を見抜くこと、声に出すこと、声を出せない時代をつくらないことが、平和を築く上で必要なのです。

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30年前の、私に問うた子どもの顔と自分の身震いを、ずっと忘れずにいたいと思っています。

 

よりのぶ

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2021年12月28日 (火)

島根原発2号機再稼働阻止!平和フォーラム総決起集会

中国ブロック平和フォーラム・原水禁とフォーラム「平和・人権・環境」しまねの両団体が主催する「島根原発2号機再稼働阻止!平和フォーラム総決起集会」が、25日(土曜日)午後1時30分から松江市のJR松江駅前にある松江テルサのテルサホールで開催されました。

総決起集会は、平和フォーラムしまねの松永副代表の司会でスタート。主催者あいさつは、最初に平和フォーラムしまねの内田智己代表が「島根原発2号機の再稼働は予断を許さない状況にある。12月の松江市議会は、賛成派の意見書のみを採択し、反対派の意見書は無視。松江市長は、市民の意見を尊重するといってきたので、来年早々にも『賛成』の意思を示すのではないかと危惧している。賛成派は、環境に優しく地球温暖化対策になるといっているが、核廃棄物の放射能汚染を考えれば、本当にそうなのかと疑問が湧くのは当然のこと。福島事故から10年、再稼働ありきの姿勢が強まっているが、何としても島根原発2号機の再稼働を阻止しなければならない。その思いで、今日の集会を呼びかけた。原発のない社会をつくっていくために、力を合わせて頑張ろう」と呼びかけました。続いて中国ブロック平和フォーラム・原水禁を代表した井上事務局長が「島根原発再稼働は、中国ブロック全体の問題。その阻止のため、中国ブロックも全力をあげて取り組む」と決意を表明。

次に、平和フォーラムしまねの武部事務局長が、島根原発をめぐる情勢、平和フォーラムしまねの取り組みを報告。武部事務局長は、島根原子力発電所の概要を説明した後、今年9月1日から30日にかけ、自治労島根県本部と一緒のとりくんだ島根原発から30キロ圏内の6市(米子市、境港市、安来市、松江市、雲南市、出雲市)の住民1万人を対象とした意識調査の結果(3,480人が回答)を報告しました。

22の設問で調査が実施されましたが、いくつか特徴的な回答が紹介されました。

①原子力発電を安全とは思わない 6割 ②30キロ圏自治体の了解を得るべきだ 80.5% ③避難計画を知っていますか 52% ④避難計画は、不充分 61.6%(計画を知っている人のうち) などです。

さらに、事故が起きた時避難する人の中で、「自主避難ができない人が5万2千人。この人数は、国内の原発事故避難計画でも最大となっている」ことも明らかにし、住民の中に根強い「島根原発再稼働反対」の声があることが報告されました。

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続いて、原水禁国民会議の北村智之事務局長が「全国の原発再稼働をめぐる情勢」について講演。北村事務局長が特に強調したことは「原子力規制委員会の安全審査に合格した原発は、現在17基あるが、現在までに実際の再稼働したのは10基だけ。再稼働には地元の合意が必要なため、7基は地元合意が得られず、いまだ再稼働出来ていない。いったん再稼働すると止めるのは容易ではない。立地自治体の同意を出させない取り組みがまずは必要だ」と地元の運動の大切さでした。

その後、中国ブロック4県の代表が、それぞれの立場から、再稼働阻止に向けた決意を表明。鳥取県は、「原発事故が起これば、西風の強い山陰では、米子、境港に放射能で汚染されることになる。地元と同じ思いで強く反対の行動を進める」、岡山、広島両県からは「避難住民の受け入れ自治体では、コロナ対策を考えた具体的な計画は、全くできていない。避難計画は、机上の空論」と指摘、山口県は「上関原発建設恵作阻止のために全力をあげている」ことを紹介し、連携して闘う決意の表明が行われました。

最後に、「2号機の再稼働阻止、脱原発の住民世論をさらに高める動きを加速させていく。その一つとして、関係自治体及び電力会社に対し、2号機の再稼働の判断をしないよう求めるための署名の取り組みを早急に進めていく。」ことなどを盛り込んだ集会宣言を採択し、全員で団結ガンバローを行い集会を終えました。

集会は、150人の参加がありました。広島からは、5名が参加し、共に「島根原発2号機再稼働阻止」に取り組む決意を固めました。

なお、署名活動は、緊急の事態(島根県は、地元合意に向けたまだ賛否の具体的な意思は示していない)ですので、2月中に第1次集約を行う目標で年明けから取り組むことになりました。

いのちとうとし

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2021年12月27日 (月)

2022年度憲法を守る広島県民会議総会

 憲法を守る広島県民会議の2022年度総会が、12月22日午後6時から自治労会館で開催されました。

総会は、高橋克浩事務局次長の開催あいさつで始まり、松田育典さん(JR西労)を議長に選出し、議事が進行しました。主催者あいさつは、佐古正明代表委員。

佐古代表委員は、「日本国憲法の三原則『平和主義・国民主権・基本的人権の尊重』が、安倍政権の誕生で無視されてきた。2016年の参議院選挙で改憲勢力が、3分の2になったが、具体的な動きにはならなかった。それは、平和フォーラムなどを中心とした改憲反対の動きがあったから。先の衆議院選挙では、改憲勢力が前進した。その結果を受け、自民党は、それまでの『改憲推進本部』の名称を『改憲実現本部』と改めた。改憲項目はいろいろといっているが、本丸は9条の改憲。これに対抗するためには、私たちの運動が大事だ。そして何より、いま政治によって生きる権利が侵されている。改憲を言う前にこの問題を解決することが大事ではないか。その運動をしっかりと作り上げて、改憲の動きを阻止しなければならない。」と訴えました。

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続いて藤本講治事務局長が、2021年度の活動報告、2022年度の活動方針(案)を提案。活動方針では、「従来取り組んできた『5.3意見広告』『5.3ヒロシマ憲法集会』などをより幅広く取り組むとともに2014年5月に発足した『戦争をさせないヒロシマ千人委員会』の活動を強め、各地区で街頭アピール行動(「3の日行動」「19日行動」)などの活動を強化すること」が確認されました。当面する具体的取り組みとしては、来年の2月11日に内田雅敏さん(弁護士・戦争をさせない千人委員会事務局長)を講師に招き「紀元節復活反対!平和・民主主義・人権を守る2・11ヒロシマ集会」を開催することを決めました。

その後会計関係の議案が提案され承認の後、2022年度役員の選出が行われました。その結果、山田延廣さん(弁護士)、檀上正光さん(社民党)、佐古正明さん(平和運動センター)の3人が引き続き代表委員の任を務めることになりました。

最後に代表委員の檀上正光さんが、閉会のあいさつを行い総会は終了しました。

引き続いて、「『憲法改正』はどこへ進むか―総選挙の結果と今後の運動について―」と題して、山田延廣弁護士から、問題提起が行われました。

山田さんは、「衆議院選挙の結果」を分析し、特に「争点は、社会民主主義:新自由主義のはずであったにもかかわらず、それを争点化できず、『自民党と維新が改革政党』:『立憲政党は憲法を守れだけの古い政党』という構図をつくられてしまった。」と指摘。

そして「今後改憲の動きが強まるが、本当に今国民が求めているものは改憲なのか。人々が求めているのは身近な生活問題①憲法に沿った指示を②防衛費よりも福祉や生活やコロナ対策。改憲阻止の運動は、こうした課題にきちんと取り組めるかどうかにかかっている。」とし、最後に「参議院選挙が改憲勢力との争いの天王山となる。そのためにも参院選での統一候補の必要性を再確認することが大切である」と訴え、講演が終わりました。

衆議院選挙後、岸田首相は、憲法改正に向けた動きを強めるだけでなく、特に外交安保問題では「辺野古基地移設の推進、敵基地攻撃能力論の展開、宇宙サイバー技術、防衛費予算の1%枠突破、「思いやり予算」の「同盟強靭化予算」に変更」など危険な動きを強めています。

護憲運動にとって、まさに正念場の年を迎えようとしています。そういう時期だからこそ、もう一度「日本国憲法が戦後政治の中で果たした役割、その先駆的な意味を再確認する」学習が求められていると感じた「憲法を守る広島県民会議」の総会でした。

いのととうとし

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2021年12月26日 (日)

坪井直さんの遺志を継ぐために ―――広島・長崎講座のすすめ―――

坪井直さんの遺志を継ぐために

―――広島・長崎講座のすすめ―――

 

いのちとうとしさんが、24日の本ブログで報告されているように、被爆者運動のリーダーとして長年にわたって頑張ってこられた故坪井直さんのお別れの会が22日に開催されました。

 いのちとうとしさんが報告の最後に書かれている言葉、「改めて遺志を受け継ぎたいと決意した坪井先生とのお別れ会でした。」は、参加者の多くが感じていたことなのではないでしょうか。

 次に、「遺志を受け継ぐ」ために何をすれば良いのかを考えてみましょう。いろいろな考え方がありますが、もう少し具体的に、三つの目標として整理しておきましょう。

 ① 被爆の実相を伝え続ける。

 ② 被爆者のメッセージを伝え続ける。

 ③ 核兵器の廃絶を実現する。

 この三つを合わせて、「被爆体験を伝える」とまとめる場合もありますが、多くの人がこちらを選んでいるようです。被爆者の場合には、御自分の被爆体験を話し、自らの体験から湧き出てきた核兵器廃絶への強い決意と、そのための活動などを大切なメッセージとして伝えることになります。

 被爆者の話を直接聞く側は大きなインパクト共にメッセージを受け取るのですが、被爆者の高齢化とともに、話のできる被爆者の数は毎年減ってきています。かつては、音声だけを録音して残しておく努力がされましたし、ビデオの時代には、自らの被爆体験を話す被爆者のビデオが貴重な遺産として保管されています。

 最近では、被爆体験継承者事業として、被爆者ではない人たちが、被爆者の体験を直接被爆者から聞いた上で、さらに様々な学習を積み重ね、「伝承者」として被爆体験を伝える役割を果しています。現在では100人以上の人たちが伝承者として日常的な活動を続けています。とても大切な事業であり、より多くの皆さんに参加して貰いたいと願っています。

その他にも、小説や詩、絵画や音楽、写真や映画等様々な芸術的手段を用いて被爆体験を後世に残す努力が続けられてきました。こうした努力の結果、被爆体験と被爆者のメッセージが感動とともに受け止められ核兵器廃絶への意思を生んできました。また核廃絶を実現するための多くの具体的な努力が積み重ねられてきた結果、核兵器禁止条約が成立しました。

 もう一点大切なのは、広島・長崎以降、核兵器が使われてこなかったのは、被爆者の力だということです。1999年の平和宣言でも述べましたが、被爆者はこのように、核兵器の使用を阻止する「抑止力」を持っているのです。

 坪井さんの遺志、多くの被爆者の遺志を実現するためには、これまでの努力を継続することは勿論ですが、それだけで十分なのでしょうか。坪井さんというリーダー亡き後の今、私たちは、やがては被爆者亡き後の世界においてどのような努力をすべきなのかを考える必要があるのではないでしょうか。

 「被爆者亡き後の世界」は長く続きます。(核兵器が人類を滅ぼさないという前提ですが――) 何世紀か何十世紀という長期にわたって、被爆体験を語り継ぐということはどんなことを指しているのでしょうか。人類史を振り返って、そんなことが行われてきた実例を参考にして、提案をしておきます。

 《広島・長崎講座のすすめ》

芸術的手段を使って被爆体験を伝えたり、ビデオや伝承者の力で被爆体験を未来に残したりするのは、「アナログ」的な努力です。それに加えて、「ディジタル」的な努力による伝承も取り入れるべきなのではないでしょうか。その候補の一つが、世界の大学で「広島・長崎講座」を開設することです。

 このような講座の内容としては、(1)被爆の実相と、「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」という被爆者のメッセージの意味を学術的に整理・体系化して、(2)普遍性のある学問として、世界の大学で若い世代に伝える、ということが大切です。

 このような内容の大学レベルの努力が大切なのは、(A)被爆体験の「ディジタル化」によって、劣化しない伝達ができることと、(B)ホロコーストと同じレベルの理解が進むことを挙げておきましょう。

 ここで「ディジタル化」で表しているのは、ダビングで劣化しない、つまり、ユークリッド幾何学のように、世代を超えて同じ内容が伝わることです。ディジタル化の他に、例えば理論化、形式化、論理化、学問化、専門化、モデル化、数値化、思想化、科学化といった言葉でも良いのですが、何世紀という時を超えて伝えるためには、その準備が必要なのです。

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次に、「ホロコーストと同じレベル」の意味を説明しておきましょう。現在の世界で、「安全保障のために、我が国はナチス並みの強制収容所が必要だ」という国はありません。しかし、「安全保障のために、我が国は広島・長崎より強力な核兵器が必要」と言っている国は、核を保有している9か国もあるのです。これは、世界的に広島と長崎の体験が十分に理解されていない、一つの結果だとも考えられます。つまり、被爆の実相、被爆者のメッセージが、知的にも情緒的にもホロコーストと同じレベルで共有さていないからなのです。

 このような講座を開設している大学は、国内で50を超えていますし、海外でも20以上あります。今後も、より多くの大学に参加して貰い、質的にもホロコースト学を凌駕するレベルにまで成長して欲しいものです。

 [20211226日 イライザ]

 

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2021年12月25日 (土)

いつまでも忘却してはならないこと

 第6次エネルギー基本計画の結論にしても、COP26に対する政府の発言にしても、この国の政治指導者の劣化度があらためて示された21年だったように思うのです。責任を問われるような政策の転換はしないというのが「尺度」だから、選挙をやっても投票率が上がることは期待できないでしょう。

12月8日は、日本が真珠湾攻撃を行って80年という節目の日ということで、マスコミは様々な特集を行っていました。いつも考えるのは、なんで日本はあの戦争を始めたのかということです。対中国侵略の行き詰まりからということなら、なんでアジアの小さな国々に侵攻したのかというのが、きちんと解らないのです。

友人が「総括しない、反省しない、責任取らないという、この国の『3ない主義』が問題」と話していました。それがなんで戦争したのかということが、解らないことに繋がってきます。総括し、反省し、責任をしっかりしなければ、また「戦争をする国」になるのではなかろうかと思うのです。

同じことは福島第一原発事故にも言えると思います。事故後、様ざまな形の事故調査委員会が設置されましたが、きちんとした報告書が出されたわけでもなく、報告書が国会の場で議論されたということも聞きません。福島第一原発事故から10年、原発事故はなにも解決されていないのに、再稼働も、新増設も、核燃料サイクルもということは許されないのです。

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現在の東京電力福島第一原子力発電所(CNNニュースより)

戦後のラジオドラマで、菊田一夫原作の「君の名は」というのがありました。その最初に語られた言葉は「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」です。このドラマは悲恋のものですが、災害にしても事故にしても当事者は一生忘れられないことでしょうが、当事者でなくても忘却してはならないことはたくさんあると思うのです。「20世紀に犯した世界の3つの愚行」というタイトルで、どこかに原稿を書いたことがありますが「アウシュビッツ、原子爆弾投下、チェルノブイリ」と書きました。

時は21世紀になりましたが、同じようなことが世界中で起こっています。アウシュビッツに似ているのは香港やミャンマー、アフガニスタンなどで起こっていること。原子爆弾投下では原爆の投下は無いにしても、核兵器所有は憲法に違反しないとする日本、対中国封じ込め政策に協力し核兵器の先制不使用に反対し、敵基地攻撃を正当かするこの国、イラン核合意の緊張。そしてチェルノブイリでは福島第一原発事故です。

テレビに加えインターネットが普及した情報社会にあって、人の記憶や想像力はむしろ退化しているのでは無かろうか。これは国家やマスコミによる巧妙な罠なのでしょうか。

22年は新年早々、ニューヨークの国連本部でNPT(核拡散防止条約)再検討会議が開催され、また核兵器禁止条約の第1回締約国会議が3月22日~24日までオーストリアのウイーンで開催されます。翌23年には、日本でG7サミットが予定されています。岸田文雄総理の地元ということで、広島市での開催が有力視されていますが、世界中の指導者に本気の「ヒロシマの心」を発信しようと思うのなら、核兵器禁止条約批准や先制不使用に反対しないこと、プルトニウム政策からの撤退などをしっかり伝えることではないでしょうか。

年賀状の一文に、「勇気とは立ち上がり。発言すること。また同時に、着席し、耳を傾けることも勇気である」と書きました。これは英国首相だったウィンストン・チャーチルの言葉です。僕はどちらかといえば多弁な方だから、22年はおとなしく寡黙な男になろうと思っています。そういえば岸田総理大臣の就任最初の挨拶は「特技は人の話をしっかり聞くこと」だったようですね。

今年の「新・ヒロシマの心を世界に」の私の担当は、これで終わります。読んでいただきありがとうございました。

木原省治

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2021年12月24日 (金)

故坪井直さんのお別れ会と府中地区の19日行動

坪井先生とのお別れ会

10月24日に96歳の生涯を終えられた「故坪井直広島県原爆被害者談協議会前理事長お別れ会」が、県被団協の主催で一昨日22日、広島平和記念資料館メモリアルホールで行われました。

午後2時から始まったお別れ会には、県内だけでなく東京や中国他県から約400人が参列し、ありし日の坪井さんをそれぞれの思い出の中で偲び、志を受け継ぐ決意を新たにしました。

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佐藤奈保子さんの司会で始まった会は、最初に坪井さんや原爆で犠牲となった多くの人たちへ追悼の思いを込めて全員で黙とう。続いて、主催者である県被団協箕牧智之理事長が「『他の誰にもこんな思いをさせてはならない』との信念のもとに、国の内外に核兵器廃絶と恒久平和の大切さを訴えてこられました。あの七十六年前の悲惨な出来事は二十歳の坪井さんの脳裏に焼け付いておられました。自らの体験を通した坪井さんの証言を聞くとき、核兵器の悲惨さが胸に突き刺さってきました。」とお別れのことば。

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続いて、日本被団協の木戸季市事務局長が、「人類史上初めての残虐極まりない原子爆弾の非人道性を告発し、再び繰り返してはならないことを世界に訴えてこられました。今日の会は坪井さんとのお別れの会ですが、核兵器も戦争もない世の実現に向けて生きることを誓い合う会でもあります。」と追悼のことばを述べました。

お二人のあいさつに続き、ありし日の坪井さんの活躍ぶりを紹介するDVDが上映され、参加者それぞれが、坪井さんとの出会いや思い出を振り返ることになりました。

県被団協植田雅軌副理事長からのお礼のごあいさつの後、湯崎英彦広島県知事、松井一実広島市長などの指名献花、続いて参加者全員が笑顔の坪井さんの遺影に向き合い、お別れの献花を行い会は閉会となりました。

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当日配布されたパンフレットには、「生者必滅とはいえ、なすべきことをやろう。盛者必衰。世は常に同じではない。核のない世界を共に実現させたい。ネバー・ギブ・アップ!人間至る処に青山あり・・・」(今年の県被団協新聞に寄せられた「新年のごあいさつ」)が印刷されていました。

私も、1991年に始めて坪井先生にお会いして以来、「てっちゃん、てっちゃん」と親しく声をかけていただいた日々だったことを思い起こし、改めて遺志を受け継ぎたいと決意した坪井先生とのお別れ会でした。

いのちとうとし

 

府中地区19日行動

今日は19日、安保法制に反対する府中市民の会恒例のまちかどツアーは、1530分から上下町Aコープ前と1630分から府中天満屋店前で、それぞれ30分間リレートークとスタンディングを行った。参加者はどちらも10人でした。

日曜日の夕方、平日の仕事帰りとは違う買い物や行楽帰りらしき多くの人々が車窓から手を振ってくれ、若い人たちがバイクに乗りながら大声で「頑張れ〜!」と声援をくれた。師走らしい澄んだ寒空の下だったが、こんな反応が返ってくるから嬉しい。冬至間近、手にはロウソクの灯りをともした。

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GDP1%を超える防衛費、しかも補正予算であることの異常さ」「森友問題は終わらない。国の認諾で事実が解明されないままでは賠償金を支出することに納税者は納得いかない」「まだ生まれていないから戦争当時のことは知らないと不勉強を恥じない維新議員に呆れる。生存者から体験を聞いていくらでも勉強できる。自分は子どもの頃にクラスメイトにひどいことをしてしまい今だに謝れておらず悔やんでいる。歴史修正主義をどんなに強行してもあったことをなかったことには絶対にできない、歴史を学びきちんと向き合うべきだ」「昨日広島市で行われた第24代高校生平和大使団結式に希望を感じる。大人こそこれらの高校生学ぶべきだ」「中国によるウィグル族への人権侵害は以前から存在していたのに、自国の都合で急に批判を始めた米国に追従する現政権。その自民党政権は自国の法と人権を無視している」「この活動を始めて6年。なかなか希望通りにならない政治に対して自分たちも反省し活動を前へ進めなければならない」「九条を壊す改憲をやめさせ、平和を守らなければならない」など、弁士は多くの問題提起をしながら、安保法制が違憲であることを始め様々な政治課題が自分たちの暮らしに直結していることを熱く訴えた。毎回参加者が学び合う場にもなっている。来年もコツコツと活動を続けていく。

石岡真由海

【編集後記】石岡真由海さんから「府中の12月19日行動」の様子が、その日に送られてきていましたが、編集の都合により今日の掲載となりました。お詫びします。文章は、原文のままです。

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2021年12月23日 (木)

2021.12月のブルーベリー農園その3

18日の土曜日は前夜からの雪が東広島市豊栄町の農園あたりにも降ったようだし、それに午前中に用もあったので家でおとなしくしていた。19日に農園に行きブルーベリーの剪定作業を行った。ブルーベリーの葉は随分落ちていた。野鳥の鳴き声も聞こえずカエルは土中に潜んでいて農園はひたすら静か。

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1219日(日)

午後に農園つき里山のブルーベリー園を見回る。少し雪が残っていた。

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野菜やジャーマンアイリスを植えている畑にプラポットで芽出ししておいたソラマメを植えた。

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その畑のそばに植えてあるバラは蕾を付けて開花寸前だったが寒さでかじかんでしまった。多分開くことはないだろう。

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3段あるブルーベリー畑の真ん中の段の剪定に取りかかる。夏に実のなった枝をカットする軽い剪定と

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古くなって成長の悪くなった太い枝を探してバッサリ鋸で切っていく剪定の2通りの方法で進めていく。

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太い枝を切る際には椅子や短い脚立を使って行う。椅子に腰かけて体の負担を和らげて、樹形を見上げながらどの枝を切るか見定めたりして進める。

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切った枝を置く場所にも太い枝が積み上げられていく。

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それぞれの枝の先端に最後の一葉がついている木もある。

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安芸の郷の事業所、森の工房みみずくの掲示板には利用者の作った羽子板の作品がずらりと展示されている。

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一人一つの羽子板の配置、色遣いは当たり前だがそれぞれ異なっている。もうすぐお正月。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年12月22日 (水)

ベトナムの歴史(その10-2)

日本を救ったチャン・フン・ダオ

三回目の侵攻は1287年です。その話しに進む前に、日本との関わりを見てみましょう。すでに皆さんがお気付きの通り「元寇」です。下の「モンゴル帝国の領土図」と「モンゴル帝国のベトナムと日本侵攻年表」をご覧ください。フビライ・ハンがミャンマー(当時バーモ)、大越(ベトナム陳朝)、占城(チャンパ)、クメール帝国(現在のカンボジア)へと南進侵攻するとともに、朝鮮半島と杭州経由で日本へ、そしてベトナム、ジャワへと侵攻を繰り返していることが分かります。同じ時代にベトナムと日本は共通の敵、モンゴルの侵略軍と戦っていたのです。

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(「モンゴル帝国の最大領域」 出典:ウィキペデア)

それを年表に表したのが下の「モンゴル帝国のベトナムと日本侵攻年表」です。

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日本への第一次襲来は1274年10月(文永11年)。クドゥン元帥が率いる蒙古・漢軍、高麗軍の軍船1000艘、水夫を含む4万人のモンゴル軍が対馬、壱岐、肥前沿岸を経て博多に襲来しました。その夜、船に戻ったところ「神風」(台風)に見舞われて撤退したと伝えられている「文永の役」です。

第二次襲来は1281年(弘安4年)5月。元・高麗軍・旧南宋軍・モンゴル軍が軍船4400艘、水夫を含め56万人余が同じく対馬、壱岐を経て長門と博多に襲来。日本軍の奮戦と暴風雨に会い撤退した「弘安の役」です。

フビライは翌1282年には早くも第三次日本侵攻計画を立て、軍船建造と水夫募集を始めます。ところが、中国江南地方の活発な海賊活動に手を焼き計画変更を余儀なくされ、続く1283年、84年と日本侵攻計画を建てますが、ベトナム陳朝との戦況が思わしくなく、1285年にベトナム征服を優先させ第二次ベトナム侵攻を行います。しかし、先に見たようにモンゴル軍は敗退します。

二度目の歴史的な戦い「白藤江の戦い」

その後、1287年に第三次ベトナム侵攻を企てますが、1288年の「白藤江(バクダン川)の戦い」でチャン・フン・ダオに壊滅的な敗北を帰し、結果、日本侵攻用に建造した艦船と兵士を失ってしまいます。

 チャン・フン・ダオが「白藤江の戦い」で壊滅的な打撃をモンゴル軍に与えたことで、三度目の日本侵攻が不可能になったのです。その意味で、チェン・フン・ダオはベトナムを救った英雄であると同時に日本を救った盟友でもあると言えます。

しかしその後も日本侵攻を諦められないフビライ・ハンは4年後の1292年、高麗に戦艦建造を命じますが、相次ぐ建造により高麗には木材はなく、幾度も徴兵される高麗人の高まる厭戦気分などで建造できる状況になかったといわれています。

そうしたことから日本侵攻ができないなか、陳朝にモンゴル帝国・元朝皇帝に拝謁を求め、病気を理由に断られたことから第四次ベトナム侵攻を準備します。ところが、1294年にフビライ・ハンが死去したため中止され、高麗での戦艦建造も停止、幾度も持ち上がった第三次日本侵攻計画も中止になりました。

次号(120日)では、チャン・フン・ダオがモンゴル軍を撃退した「白藤江(バクダン川)の戦い」を紹介したいと思います。“エ!「白藤江の戦い」?” という方もおられると思います。7月号(その5)で938年に呉権が中国南漢軍を破り、「中国1000年の軛(くびき)」を断ち切った 「白藤江(バクダン川)の戦い」を紹介しましたが、その歴史的な場所で、再び日本とベトナムにかかわる歴史的な戦いが展開されたのです。

次回を楽しみにしてください。

(2021年12月22日、あかたつ)

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2021年12月21日 (火)

「最高法規」の意味 (4) ----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---

「最高法規」の意味 (4)

----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---

 

憲法が「最高の法規」であることを規定している98条を改めて読むことが、このミニシリーズの目的ですが。そのための準備を2回行い、前回はいくつかの「定理」を導きました。

それらの「定理」のお浚いをする前に、再度98条を読んでおきましょう。

 

98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 

《「最高法規」から導かれる「定理」》

意外だったのは、「数学書として憲法を読む」上で採用したいくつかの大切なルールが、98条を出発点として、証明できることでした。「証明」は前回のブログを読んで頂くことにして、内容をリストしておきましょう。

 

[正文定理 (九大律の①正文律)] 「憲法」として読む対象は、1946113日に公布され、194753日に施行された(日本語の)日本国憲法である。

 

[自己完結定理(九大律の8番目である自己完結律)] 憲法を読むに当り、(普通の言葉を使えば)その解釈のために、他の法律や文書を根拠にしてはいけない。

  

[改竄禁止定理(憲法に関しての改竄禁止律)] 憲法を読むに当り、その字句を改竄することは禁止されている。また、字句は変えずに、字句の意味を変えることは禁止されている。さらに、字句から論理的に導かれる結論も字句同様に、改竄されてはならない。

 

[系1 (九大律の③一意律)] 憲法内に現れる同一の字句は、同じ意味を持つ。

 

[系2 (九大律の②素読律)] 憲法を読むに当って、一つ一つの字句は素直に字義通り読

 

これまでは問題がなかったのですが、今回は、98条と96条の間には大きな矛盾があることを取り上げます。

 

 [改憲不可定理] 憲法を改正することは許されない。

 

[証明] 改竄禁止定理の証明と同じ。つまり、改憲後の憲法を「憲法ダッシュ」と呼ぶと、それは元の憲法に反する内容が盛り込まれていることになり、効力を持たない。Q.E.D.

 ちょっと困った状況なのですが、96条には改憲の手続きが規定されていますので、憲法では改憲が想定されています。にもかかわらず、改憲は禁止されているという矛盾が生じたのですから、矛盾解消のための何らかの「解釈」が必要になります。

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三省堂『大辞林』から

 

《矛盾は存在しない》

その解釈の深さを示している好例になるのですが、96条が答を与えてくれています。それは次の96条の第2項です。

 

2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 

「証明」の中で、「憲法ダッシュ」と呼んだ文書は、「憲法と一体をなすものとして」扱うという説明が付いているのですから、別の文書や法律として元の憲法に反するかどうかの判定をしなくても良いということなのです。Q.E.D.

実は、96条の「憲法と一体をなすものとして」という一節が何故そこに加えられているのか長い間謎だったのですが、これで氷解しました。98条と96条を合わせて読むことで現れる意味の深さに、改めて脱帽しています。

制定当時、国会で上記の矛盾についての議論が行われたのかどうかについて未調査ですが、憲法の草案 (日本語の草案です。念のため) を作成した人は、この矛盾に気付いていて、その矛盾を解消するために第2項で「憲法と一体を成すもの」という見方を示したのだとしか考えられません。となると、「正文定理」、「改竄禁止定理」の「系1」と「系2」と合わせて、一つの定理として再掲するに足る十分な理由になります。

しかも、この定理は、先に述べたように98条を根拠としての定理でもありますので、別のルートからの独立した証明があることになります。

 

[正文律・論理律・素読律・一意律の定理] 九大律の内、①の「正文律」、②の「素読律」、③の「一意律」、そして⑤の論理律は、96条第2項から導かれる憲法の読み方である。

 

 [証明] 既に指摘したように、962項には、「論理的意図」があるとしか読めないのである。つまり、98条の「最高法規」が、論理的には改憲を禁止しているという結論に至ることを理解した上で、改憲を可能にするという意図を持って書き込まれたとしか考えられない。この前提なくして96条の2項を読むと、その意味を理解できないことがその証拠である。それほどの論理的注意深さで書かれている憲法を読み正確に理解するためには、徹底的に論理性を重んじて良くなくてはならない。そのためには、「素読律」で強調した素直な読み方をしなくてはならない上に、「一意律」で示した「改竄禁止律」も守らなくてはならない。対象が日本語の憲法であることは前述のように当然であり、98条からの帰結でもある。Q.E.D.

 

以上、憲法が「最高法規」であるという規定から出発すると、それは憲法の読み方の基本を示していることにもなりました。このような結論に至るとは、ほとんどの皆さんは想定もしていなかったのではないかと思います。これほど深い結果に到達することになったのですから、もう一つ付け加えておくと、98条は「数学書として憲法を読む」必然性を示していると言っても良いのではないでしょうか。

 [20211221日 イライザ]

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2021年12月20日 (月)

ベトナムの歴史(その10-1)

険しい中央集権国家づくりの途

前号(1120日)で、938年に1000年に及ぶ中国支配を脱したベトナムが、李(リ)朝により1010年にタンロン(現在のハノイ)に遷都し、ようやく中央集権体制に基づく本格的な国づくりが始まったことを紹介しました。

しかし、中央集権体制といっても平野部には権威は浸透していても高地や山地の民族には及ばず、権力の衰えと共に各地で反乱続きました。李朝最期の李恵宗(リ・フエ・トン)帝は暗愚で国力を急激に衰退させ、「盗賊天下に横行し、人民の困苦甚だし」といわれた1225年に陳守度(チャン・トゥ・ド)によって滅びます。

李朝に代わった陳(チャン)朝は1400年まで175年続きます。日本では鎌倉時代から室町時代、中国ではモンゴル帝国・元から明の時代です。

“またもや中国の支配下に・・・・”

この陳朝時代、《またもや中国の支配下に入るか》という窮地に追い込まれます。日本の歴史に大いに関わりを持つこの大事件、モンゴル帝国・元の侵攻です。李朝時代にも幾度も宋の侵攻を受けますが、辛うじて防ぎ独立を保っていました。陳朝に入ると宋を滅ぼした元(モンゴル)の侵攻を三度にわたり受けます。一度目の侵攻は1258年、モンゴル帝国の第4代皇帝モンケ・ハンに攻められ、一旦は3年に一度の朝貢を呑まされますが、たびたび反旗を翻します。

二度目の侵攻は第5代皇帝フビライ・ハンが1285年に、ベトナム中部のチャンパ王国遠征に出兵協力を求めてきたことを拒否したことに端を発しました。この時も、首都タンロンは陥落し、首都一帯が空っぽになるほどの被害を受けました。しかし、元軍は激しい暑さに加えベトナム軍のゲリラ戦法に苦しみ、食糧も調達できず撤退を余儀なくされます。

この時、皇族で武将の陳国峻(チャン・フン・ダオ)が僅か5万人の兵力で、撤退する50万もの元軍を散々に破り、首都を奪還し独立を守り抜きます。元軍は半数の損害を受け、5万人の捕虜を出します。翌1286年、陳朝は5万人の捕虜一兵たりと殺さず中国に帰国させています。

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(13世紀当時の中国、東南アジア 出典:ウィキペティア)

ベトナム人気質が窺える二つの逸話

この時の戦いには今もベトナムの人たちに語り継がれている逸話があります。余りにも強力な元軍の猛攻撃に抵抗できず投降者が続出する中で、陳平仲(チャン・ビン・チョン)将軍が奮戦しますが捕らえられてしまいます。元軍は陳朝軍の情報をチョン将軍から得るために「卿は北国の王たらんと欲しないか」と、中国で一国を与えると交換条件を出します。これに対し「予は北国の王たらんより、むしろ南国の悪鬼たらんことを欲す。捕らえられた予の運命は汝の掌にある。汝の意のままになすべし。問答はもはや無用なり」と答え、斬首されます。

チャン・ビン・チョン将軍はベトナムにおける愛国者の象徴として、首都ハノイやホーチミン市、クアンニン省ハロンなどの通りの名前になっています。

もう一つ、元軍を追撃撃破したチャン・フン・ダオの話しです。

敗戦に次ぐ敗戦に心を痛めた第3代皇帝・陳仁宗(チャン・ニャン・トン)帝が言います。「敵は優勢である。これに抵抗するのはいたずらに国民に不幸をもたらすだけではないか。戦禍を免れるために降伏しようと思う」と。これに対しチャン・フン・ダオは、「陛下の仰せはもとより人道の合するところであります。ただ、降伏するのであれば、降伏に先立って私の首を刎ねていだきたい。私がいる限りわが国は絶対に滅びることはありません」と答えました。この言葉に、陳仁宗帝はモンゴル軍と戦い続けることを決意したと言われています。

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(ホーチミン市メリン広場に建つチャン・ブン・ダオ像)

状況によっては耐え難い不当な要求にも一旦は応じながら不屈の戦いを続けるというしたたかさ。怒りにまかせた対応をすることなく、無用の争いのもととなる怨讐を避ける温情的な対処。この故事にしたたかさと粘り強いベトナム人気質、深謀遠慮さが窺われます。少々の困難には団結して忍従でき、民族としての誇りを傷つけられた時には毅然と立ち向かう勇気を持った民族性。これがフランスの植民地支配との戦いに勝利し、その後、世界最強の軍隊といわれたアメリカ軍を破った要因なのかと、つくづく思います。

(2021年12月20日、あかたつ)

【編集者】あかたつさんから届いた「ベトナムの歴史(その10)」を編集者の判断で2回に分割しました。後半は、22日に掲載します。

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2021年12月19日 (日)

第24代高校生平和大使結団式、研修会

2021年第24代高校生平和大使の結団式が、18日午後1時30分から広島市東区のセンチュリーホテルが開催されました。

第24代平和大使に選ばれたのは、全国19の都道府県で34名です。今年は、新たに愛知、宮崎、沖縄からも選ばれました。

今年もコロナ禍で全国各地での選考会を開くことができず、全国すべての高校生平和大使が決定し、発表されたのは7月9日でした。例年であれば、すでに結団式を終えている時期(毎年6月に実施)です。

高校生平和大使の活動の中心となっている8月に実施していたスイスの国連欧州本部訪問も、コロナ禍で海外派遣が困難となり昨年に続き断念することになりました。

そして当初8月に予定されていた結団式も延期が続き、ようやく昨日実施されることになりました。

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昨日の結団式には、高校生平和大使(35人中32人が参加)、高校生平和大使経験者、サポータなどが参加して行われました。

結団式会は、第23代高校生平和大使の梶原百恵さんの司会でスタート。最初に高校生和平和大使派遣委員会共同代表の小早川健さんがあいさつ。続いて来賓(連合広島、県原水禁、県平和運動センター。自治労県本部)のあいさつ。開会行事はここで終了し、研修会がスタートしました。

研修の最初は、昨年に引き続き、被爆者で元原爆資料館館長の原田浩さんが「被爆の実相を伝える」と題して記念講演。

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「悲惨な実態は、決して繰り返してはならない。そのためにもトータルで被爆の実相を伝えることが大切」と提起。講演を受けて岩手県の髙嶋莉真さんが「しっかりと地元に帰って伝えたいと思います」とお礼の言葉。次は、第18代高校生平和大使井上つぐみさんが、「被爆体験継承者をめざして」と題して、自らが高校生平和大使の経験を継続するために今取り組んでいる「伝承者をめざしての活動や学んだこと」を講演。最後に「・全国に仲間がいるという強み―一人で立ち止まらずに周りに相談・活動ができるということに感謝・この経験を今後の人生設計に活かして・加害の面にも目を向けて(スイスでの体験から学んだこと)」のメッセージを送って井上さんの話は締めくくられました。

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次に、派遣委員会共同代表の平野伸人さんが「高校生平和大使の歴史的意義と役割」と題してこれまでの高校生平和大使の歴史を紹介。

この中で平野さんから、今年は国連欧州本部に行くことはできなかったが、広島選出で被爆三世の佐々木梨央さん(広島国泰寺高校3年生)のオンラインメッセージを送ってことが紹介されました。

その後各県ごとに登壇し一人ひとりが、高校生平和大使に応募した思いや、それぞれの地域での活動の様子をアピール。応募したきっかけは、長崎に修学旅行に行ったこと、高校生平和大使の話を聞いたことなど様々でしたが、戦争とりわけ加害の問題に触れた話が多かったことが特徴的だったように思います。

今年の高校生平和大使は、選ばれて以降、それぞれの住む地域で街頭署名活動などを取り組んでいますので、その経験を活かした決意の表明が行われました。

一日目の研修は午後6時に終了しました。

二日目の今日は、8時45分に資料館前に集合し、平和公園を中心にしたフィールドワークを行い、研修を深めることになっています。このフィールドワークの案内は、以前は被爆二世のみなさんが行ってきましたが、今年は広島の1万名署名活動実行委員会のメンバーが担うことになりました。今日の日のため、何度か実地の碑めぐりを行い、紹介する内容も意見を出し合って準備したそうですので、きっと良いフィールドワークとなると思います。

今年の原水禁世界大会では、福島、広島、長崎で行われた各分科会で、高校生平和大使経験者が、様々な報告や問題提起を行ったことが、大会総括でも高く評価されました。

第24代高校生平和大使のみなさんも、原水禁運動の担い手、継承者となってくれることを期待せずにはいられません。

いのちとうとし

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2021年12月18日 (土)

憲法判断を拒否した広島地裁判決―安保法制違憲訴訟

「集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制は憲法違反」として、同法による自衛隊の出動差し止めと一人当たり10万円の損害賠償を求め、2016年9月に提訴した「安保法制違憲訴訟」の判決が、12月8日に広島地裁でありました。

森實将人裁判長が出した判決は、私たちの差止請求を却下し、国家賠償請求を棄却するというものでした。予想されたことですが、安全保障法制が違憲か合憲かの判断は、全く示されませんでした。

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この判決の要旨と問題点を理解していただくため、同日に発表した「原告団・弁護団共同声明」の主要部分を紹介します。

「立法府・行政府が憲法違反の安全法制を容認する以上、原告は司法権を有する裁判所に違憲立法審査権の行使を求めるほかありませんでした。

しかし、裁判所は、憲法判断することなく、原告指摘の行為には、処分性が認められないとして差止め訴訟を却下するとともに、原告らの平和的生存権は、具体的な権利として認められない、人格権侵害は社会通念上受忍すべき限度は超えてはいない、安保法制は実質的な改憲とはいえず、憲法改正決定権の侵害には認められないとして国賠請求を棄却しました。

広島地裁は、本件で違憲立法審査権を行使する必要はないとして憲法判断を回避しましたが、全国の訴訟でも同様です。裁判所は、明文の規定がないにもかかわらず、安保法制の憲法判断を避け続けています。

しかし、このような裁判所の態度は、国民にとって利益になるものとは思えません。違憲の立法をしたとしても裁判所から何も追及されない、憲法自体が軽んじられることになります。そのような状況は、権力分立という近代政治システムが破綻したといわざるを得ません。

裁判所はこのように思っているかもしれません。実際に市民に戦争被害が出るか被害が出る直前になってから訴えてください、と。しかし、戦争が始まってからでは遅すぎるのです。戦争状態になってから、裁判所が、政情に忖度することなく『違憲だから政府は戦争行為を中止するように』と判決することなどできるでしょうか。私たちは安保法制が想定した事態に陥る前に、裁判所が違憲判断することで、政治に立憲主義を取り戻すべきなのです。」

私も、この裁判では、「原告の意見陳述」をする機会がありました。そこで私が一番強く訴えたのは「憲法裁判所を持たないわが国では、憲法の違憲判断ができるのは、違憲立法審査権を持つ裁判所だけです。今回の訴訟では、必ずこの違憲立法審査権を行使して、明確な憲法判断がされることを強く求めます。」ということでした。

しかし、広島地裁の判決は、裁判所が行使できる違憲立法審査権をまたしても自ら放棄するものとなりました。

判決では、「生命身体が侵害されるおそれが具体的に生じているとはいえない」としていますが、国民の生命身体に具体的被害が生じてからでは遅いのです。

安保法制成立後、明らかに自衛隊の軍備は増強され、多国間の訓練内容は変質しています。自国防衛どころかアジア・太平洋地域ならどこでも同盟国と共に共同軍事行動が可能な体制作りが進んでいます。日本が他国の戦争に巻き込まれる危険性が限りなく高まっているということでもあります。

現に、違憲の安保法制を成立させた張本人である安倍元首相の12月1日の「台湾有事は日本の有事、すなわち日米同盟の有事」と発言しました。集団的自衛権を認めた安全保障法制が、いかに危険なものかこの一言でも明らかです

奇しくも判決日となった12月8日は、日本軍がマレー半島に上陸し、真珠湾の米軍への攻撃を開始し、アジア太平洋戦争に突入して80周年の節目の日でした。

「再び戦争への道」を歩むことがないように、当然のことですが原告団は、「当たり前の判断を求め」控訴し、闘い続けることを決意しています。

いのちとうとし

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2021年12月17日 (金)

日朝友好広島県民の会2021年度総会と横間洋海さんを偲ぶ会

12月14日午後6時から広島留学生会館で「日朝友好広島県民の会2021年度総会」が開催されました。

昨年は、コロナの影響で書面決議になりましたが、今年は2年ぶりに会場を使っての総会となりました。森崎賢司幹事(広島県教職員組合)の司会で始まった総会は、相談役の私が開会のあいさつをした後、高橋克浩事務局長から、「活動報告」「活動保身」「会計報告」「予算案」と次期役員体制が提案されました。

「活動報告」では、朝鮮学園の裁判闘争の経過、並びに75周年を迎えた朝鮮学園の記念行事への参加などの取り組みが報告されました。

「運動方針」では、取り組みの柱として次の4点を確認しました。

①日朝国交正常化の実現をめざし,朝鮮民主主義人民共和国に対する全ての制裁措置を直ちに解除し,対話再開のための道を開くよう,全国の運動に結集し日本政府に対する働きかけを強化します。

②朝鮮学園への「高校無償化」「幼保無償化」の適用,補助金再開を勝ち取るため,支援行動の参加,情宣活動,署名運動等をつうじて、政府・文科省,広島県・広島市に対する取り組みを強化します。

③広島朝鮮初中高級学校における民族教育諸活動を財政面から支援できるよう,「民族教育連帯基金」(別称「広島朝鮮学園支援県民基金」)の協力呼びかけ、チャリティーコンサートなどのカンパ行動に引き続き取り組みます。

④在日朝鮮人に対するあらゆる差別・偏見を許さず,在日朝鮮人の民主的民族諸権利を擁護するための取り組みを継続・強化します。

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質疑では、村上敏幹事から「裁判には負けたが、闘い続ける意思をはっきりと示すため『広島無償化裁判報告集』の発行を準備している」との発言があり、その後全ての提案が、満場一致の拍手で承認されました。最後に代表委員の足立弁護士から「朝鮮学校は、GHQのつぶそうという攻撃を乗り越えで今も継続している。高校無償化、幼保無主化の差別を日朝国交回復運動の中で克服していかなければならない。これが終わりではない。みんなと一緒に努力していきたい」との閉会あいさつが行われ、総会は終了しました。

その後、11月8日に行われた「創立75周年チャリティーコンサート」で集まったカンパ金134万1千円が、藤本講治相談役から朝鮮学園に手渡されました。ご協力いただいた皆さんに改めて感謝します。

総会終了が、4月27日に逝去された「横間洋海代表委員を偲ぶ会」が行われました。

横間洋海さんは、2008年の「日朝友好広島県民の会」の発足に尽力され、事務局長、代表委員を務め、広島県の日朝友好運動の中心的役割を果たして来られました。

「横間洋海さんを偲ぶ会」は、「日朝友好広島県民の会」の川原克彦幹事(広島県高等学校教職員組合)の司会で始まり、最初に全員での黙祷。

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横間さんの経歴が紹介された後、朝鮮学園パクスノ理事長、民族教育の未来を考える・ネットワーク広島村上敏さんのお二人がお別れのことば。二人が共通して話されたのは、横間さんの民族教育へのたゆまぬ献身的な行動(民即教育権の保障、助成金の取り組み、JR定期券割引差別解消への取り組み、高体連加盟問題への取り組みなどなど)の数々でした。参加者一同、改めて横間さんの功績の大きさを知るとともに、その遺志を引き継ぐ決意を固めました。

続いて佐藤奈保子事務局次長から朝鮮民主主義人民共和国などから届いた弔電が紹介されました。そして全参加者による献花が行われ、「横間洋海さんを偲ぶ会」が閉会となりました。

いのちとうとし

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2021年12月16日 (木)

「最高法規」の意味 (3) ----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---

「最高法規」の意味 (3)

----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---

 

前々回と前回は、一昨年に上梓した『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』で採用した九つのルール、「九大律」をお浚いして、その読み方で98条を読む積りであることを確認しました。さらにそれをもう少し丁寧かつ詳しく説明した「改竄禁止律」を導入しました。

 いよいよ98条を読む準備が完了しましたので、本題に入りましょう。その前に、再度98条です。

 

98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守する

ことを必要とする。

 

《「最高法規」から導かれる「定理」》

憲法98条について見逃し易いのは、「最高法規」としての縛りが掛かる対象は、「法律、命令、詔勅」だけではなく、「国務に関するその他の行為の全部又は一部」も含まれるという点です。森友・加計・桜等に関わる多くの問題、特に安部夫妻を守るための文書の改竄が実は憲法違反だという認識も重要です。

 ただし、ここでは憲法とその読み方に的を絞りましょう。98条から導かれる結論を「定理」と呼んだ上で、その証明も付けておきます。

 

 [正文定理 (九大律の①正文律)] 「憲法」として読む対象は、1946113日に公布され、194753日に施行された(日本語の)日本国憲法である。

 [証明] 日本語の憲法が対象であることはわざわざ断るまでもないのだが、問題は、憲法解釈に当って、英文で書かれた憲法が憲法解釈を左右するといった主張が行われてきたことだ。念のため98条を根拠として日本語が正文である理由を述べておく。仮に、憲法の英文訳を「憲法」として読むことにすると、英文と日本語の二つの「憲法」が存在することになる。しかし、日本語の方が「最高法規」であり、それとは違う内容を持つもう一つの憲法があるとすると、それは、元の憲法に反するものになり、効力は持たないからだ。Q.E.D.

 一つ注意しておくべきなのは、日本語の憲法と英語訳の憲法とは違う存在だという点です。片方が日本語、そしてもう一つは英語ですので、この二つが違うものであることに異論はないでしょう。さらに「反する」の広義の意味は、「異なる」なのです。(新潮国語辞典、集英社国語辞典等)

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 [自己完結定理(九大律の8番目である自己完結律)] 憲法を読むに当り、(普通の言葉を使えば)その解釈のために、他の法律や文書を根拠にしてはいけない。

 [証明] 98条の規定している「最高法規」とは、我が国を縛っている法体系の中で、憲法による縛りが他の縛りより優先されることを意味する。その解釈に、仮に文書Aという根拠を持ち出すと、その文書Aの力が憲法より優先されるという事実を認めなくてはならない。となると、それは憲法が「最高法規」であるという98条に反する。Q.E.D.

 

 [改竄禁止定理(憲法に関しての改竄禁止律)] 憲法を読むに当り、その字句を改竄することは禁止されている。また、字句は変えずに、字句の意味を変えることは禁止されている。さらに、字句から論理的に導かれる結論も字句同様に、改竄されてはならない。

 [証明] 憲法内の字句が改竄されたとしよう。すると、憲法そのものと、憲法の一部が違う、「憲法ダッシュ」という二つの文書が存在することになる。「一部が違う」ということは、「憲法ダッシュ」が元々の憲法に「反する」存在であることを意味する。従って、「憲法ダッシュ」は効力を持たない。Q.E.D.

[系1 (九大律の③一意律)] 憲法内に現れる同一の字句は、同じ意味を持つ。

[系2 (九大律の②素読律)] 憲法を読むに当って、一つ一つの字句は素直に字義通り読まなくてはならない。

[証明] これまでの説明で十分だと思いますので、省略します。

これまでは問題がなかったのですが、次回は、98条と96条の間には大きな矛盾があることを取り上げます。それまでに皆さんにもどんな矛盾なのか考えて頂ければと思います。

  

[20211216日 イライザ]

 

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2021年12月15日 (水)

2021.12月のブルーベリー農園その2

東広島市豊栄町の妻の実家のブルーベリー園は最初に植えたのが2000年の秋で場所は里山。翌年には休耕田に植えたので20年を超えたことになる。ほぼ毎週末に安芸区から農園に通っている。ブルーベリーの木は植えればだんだん大きくなるので技術が必要なのは剪定になるが、これは数をこなしながらコツを掴んでいく。12月の作業は剪定がメインになるので単調な日々がつづく。変わる初冬の景色が気休めになる。

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1211日(土)

畑のブルーベリーの木の剪定を続ける。今は今年実のついた枝をカットしていく。

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小さいブルーベリーの木の下にはびこるこの草は、1年中茂って次第に大きくなるので根元から掘り上げて除去するのだが、時間がかかる。

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ブルーベリー畑から見上げる午後5時の夕景。

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1212日(日)

昨日に続いてブルーベリーの木の剪定と

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小さい木の手入れを続ける。手入れの一つが硫黄の粉を湯飲み茶わんに半分位を木の周囲にまいて酸性の強い土壌にしてやるとブルーベリーの育ちが良くなる。この後ピートモスとモミガラ、油粕を一握りまいて春からの成長を待つ。今日で小さい木の手入れが終わった。

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ずっと地面とにらめっこしながら作業をしているとブルーベリーの落葉もそれなりに初冬の眺めに見えてくる。

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農園の周囲の花らしい花はこのサザンカだけ。

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晩生(ラビットアイ系)のブルーベリーの花芽。ウッダードという品種。この品種は花芽がたくさんつくタイプ。

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農園で剪定した太い枝は安芸の郷に提供している。それを森の工房みみずくで作るのはサンタクロース。安芸の郷の事業所内にあるCafeさくらで販売している。

 20211215

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

 

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2021年12月14日 (火)

広島城下町歴史学習散策会(第2,3回)

広島城下町歴史学習散策会の第2回、第3回の報告です。

11月28日に開催された第2回「白島編」は、参加できない予定でしたが、被爆二世交流会の日程を変更し、参加しました。

白島編

「白島編」は、広島城の北側、白島地域です。スタートは、広島中央公民館のすぐ西隣、広島城の堀に太田川の水を引き入れるため作られた「羽子板堀」からスタートです。堀の形が羽子板の形をしているため羽子板堀と名付けられました。現在の城北どおり三篠橋東詰め(下図左上)付近です。

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城北通りの南側に緩いU字形でつくられたのが北堀です。現在の基町高校、白島小学校は、その上に立っています。

次に訪れたのは、広島裁判所付近です。裁判所の敷地の北側には、土塁が残っています。「内堀と中堀をつないで堀が作られましたが、その堀を掘るときの出た土が盛られてできた土塁です。」との説明です。

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この土塁跡には、大きな被爆クスノキが植わっています。以前、被爆樹木めぐりの時、ガイドから「この土塁は、軍の弾薬庫の周りに作られたものです」と説明を受けていましたので、明治以降に作られたものと理解していました、しかし、今回の説明の方が納得できるなと思いました。広島城築城時の土塁を利用する形で弾薬庫が作られたというふうに考える方が、自然な気がします。

つづいて江戸期の遺構ではありませんが、広島拘置所に移動しました。拘置所の周囲を囲む塀には、江戸時代の町や人々の活躍の様子が壁画として描かれています。

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1986年、広島城築城400年事業の一つとして企画され、被爆画家の入野忠芳さんの手によって作成されました。当時、コンクリート造りの凸凹の壁に画くため、大変苦労されたと聞いています。その後、色が薄くなったため、20周年目となる2006年から5年間かけて、水野さんによって修復作業が行われ、現在は美しくよみがえっています。

この後、周囲をまわりながら、最終地の縮景園裏の京橋川河畔に移動しました。「ここは、水の便が良かったからでしょう、江戸時代には三軒の紺屋さんがありました。ですから、三軒紺屋跡と呼ばれています。」

説明は続きます。「よく見てください。対岸が、こちら側より低くなっているのがわかりますか。広島は、何度も洪水が発生しましたの。その洪水時に、お城のある城下側に水があふれないようにするため、対岸(大須賀側)が3尺低くしてあったようです。」

ここにも城下を守るための工夫があったようですが、大須賀村と呼ばれていた対岸は、たまったものではなかったと思います。第2回「白島編」はここで終わりました。

幟町編

第3回の「幟町編」は、現在の八丁堀、鉄砲町、幟町方面ですが、この地域はこれまでに何度か話を聞いたことがありますので、少し関心が低かったように思います。

特にこの地域で印象に残ったのは、現在の福屋の西側からバス通り沿いに北に家庭裁判所まで直線で伸びていた八丁堀です。堀の長さが南北8丁(約109メートル)あったため、「八丁堀」と呼ばれ、現在の地名にもなっています。

裁判所の東側に建つ「広島法務合同庁舎」前での説明です。

「この法務合同庁舎の建物、バス通りよりやや西側に立っていますよね。バス通りの西側から建物までの、いま緑地になっている場所が、当時の八丁堀の跡です。南側を見てください。八丁堀の跡に建っている建物は、低く同じ高さになっていますよね。そのすぐ西隣の建物が高くなっているのがわかると思います。」(写真では、道路の右側の並び)

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そう言われてみれば、そのように見えます。

この後、福屋方面に移動するのですが、元八丁堀跡と思われる場所とその西側には、どの場所でも揃ったように建物の境界(新しくたったと思われるビルにはいくつか例外がありますが)となっています。

最近の新しい建築技術では、土地の軟弱も克服できるようになったようですが、これほどはっきりと建物の境界があることを認識したのは、初めてです。京口門公園の東西の幅が、当時の八丁堀の幅のようですから、あの場に立つと堀の大きさも実感できます。

3回の「広島城下町歴史学習散策会」でも、また新しいことを知ることができました。

余談ですが、今回初めて広島市が発行する「高齢者いきいき活動ポイント手帳」を活用しました。

いのちとうとし

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2021年12月13日 (月)

本当に怖いのは・・・

先日、新型コロナウイルス感染症の対策や対応、社会の反応について、小児科の先生のお話を聞く機会がありました。ウイルスやワクチンについて、様々な情報があふれる中、何を信じて判断すればいいのかわからなくなっています。その中で先生が言われたのは、「当事者の話を聞く」ことの大切さです。

想像してみてください。もし、自分が感染したら、あなたはそのことを話せますか?

正直、私はためらってしまいます。新型コロナウイルス感染者だけの話ではありません。被爆者が、在日朝鮮人・韓国人が、障害者が、被差別部落出身者が、元ハンセン病患者が、福島県出身者が、性的マイノリティが・・・自らの体験や自身について語ることを阻むもの、躊躇させるものは「差別」です。

今、マスクをせずに街を歩くと、周りの視線が気になります。逆にマスクをしていない人を見ると、「あっ」と思ってしまう自分がいます。大多数と同じ行動をとらない人、例えばマスクをしないとか、ワクチンを打たない人に対する同調圧力です。私は、フランク・パヴロフの「茶色の朝」(2003年大月書店)を思い出しました。おかしいと思っていながらも、徐々に茶色以外の存在が認められなくなるお話です。

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情報がコントロールされ、不安が同調圧力を生み、そこに入らない人、入れない人を排除し、差別する、命を奪う。この構造はコロナ禍で始まったことではありません。もちろん、命を危険にさらす感染症ですから、慎重な対応が必要なのは当然です。しかし、この情報は本当なのか、今ある情報が全てなのか、本当にこの方法でいいのか等、冷静に判断することも同時に求められていると思います。怖いのは、新型コロナウイルスよりも、今の社会状況なのかもしれません。

藤原

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2021年12月12日 (日)

『ドン・キホーテ』が語る「歴史」とは、

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……歴史家たる者、正確を旨とし、真実に忠実でなければならない。あくまで客観的で、利害、愛憎、恐怖、いずれによっても筆を曲げてはならないからである。なんといっても歴史は真実の母、時の好敵手、行為の記録、過去の証人、現在にとっての手本にして警告、未来へ向けての戒めなのだ。……(『セルバンテス全集第2巻 ドン・キホーテ』〔前篇〕、第九章p,111、水声社)

「ドン・キホーテ」は有名だ。ミゲル・デ・セルバンテスの『才知豊かなる郷士 ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』を読んでなくても、とにかく「ドン・キホーテ」は知ってるだろう。

2002年、ノルウェーのブッククラブ(ノーベル研究所)が、54ヵ国の100人の著名人に「歴史上、もっとも素晴らしい文学作品」10篇の推薦を依頼し、その集計結果で、一番の文学作品として選ばれたのが『ドン・キホーテ』だそうだ。

ミゲル・デ・セルバンテスによって1605年に生まれたあの『ドン・キホーテ』で、著者が歴史について語る場面がある。歴史は、真実の母であり、時の好敵手で、行為の記録、過去の証人で、現在にとっての手本にして警告であり、未来へ向けての戒めであると。

歴史というのは墨塗りで消そうとして消されるものではない。都合が悪いといって改ざんをしても、「真実の母たる歴史」はその改ざんした行為までも記録し、過去の証人となり、現在への警告になる。それこそが、未来に向けての「過ちは繰返しませぬ」という戒めになる。

※エスパーニャ語では‹歴史›も‹物語›も同じhistoriaであり、人によって語られるもの‘という意味だそうです。

 

李 昇勲

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2021年12月11日 (土)

「最高法規」の意味 (2) ----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---

「最高法規」の意味 (2)

----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---

 

前回は、一昨年に上梓した『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』で採用した九つのルール、「九大律」をお浚いして、その読み方で98条を読む積りであることを確認しました。

 98条を再度、掲げておきます。

 98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 この条文の奥深さを伝えなくてはならないと考えた理由の一つに、「改竄禁止律」と名付けたルールがあります。九大律の依って立つ土台といった感じのルールなのですが、雑誌『現代の理論』2022年冬号でこのルールを取り上げました。そこでは大人しく「置換禁止律」という名称を選んだのですが、安倍政権・菅政権での権力者たちの傲岸不遜振りを忘れないためにも、今回は何が起きたのかを正確に想起させる「改竄禁止律」と呼ぶことにします。

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《改竄禁止律》

「文字通りに」文書を読む上で、最低限守らなくてはならない規則を、誰であっても反対できないであろう基礎的なところから始めて箇条書きにして整理しておきます。

  • 数学では、何を読むのかという対象を定めることが重要です。憲法で言えば、ここで対象にしているのは、日本国憲法です。それは、国会の議を経て、1946113日に公布、194753日に施行された、我が国の最高法規を指します。物理的には、どの六法全書にも記されている、日本語によって書かれた文書です。
  • 憲法を「論理的に読む」上ではもちろん、どのような文書を読む上でも「素直に読む」のであればどうしても譲れないのは、条文中の個々の文字や句をそのまま読むことです。数学の等式で考えると分り易いので、一つの例を示します。[1+1=2]という式の中で、[1]を勝手に[3]と変えて読んではいけないのです。そんなことをすれば、等式は成り立たなくなってしまいます。当り前のことですので、これはどなたにも認めて貰えるはずです。つまり、憲法中の特定の字句は憲法という存在の必要不可欠な構成要素であり、それを物理的に変更することは許されないのです。たとえば、「国民」という字句を「臣民」という字句に訂正することは当然、許されないのです。これを、「改竄禁止律」と呼びます。
  • 次に取り上げるのは、字句そのものは変えずに、その意味を変える読み方です。字句の意味を変えるということは、「論理的」には、その字句を変えることと同じだからです。たとえば11条で使われている「永久の権利」の「永久」の意味を、「長期にわたって」という意味なのだ、と変えてしまうことは許されないのです。それでは書かれている言葉とは意味が違ってしまうからです。
  • 加えて、字句の意味から論理的に導かれる結論も同じように変更は許されません。結論はそのまま受け入れなくてはならないのです。つまり、論理的帰結を勝手に変更することも「改竄」と見做すのです。その理由も数式で説明しておきましょう。②の等式[1+1 = 2]の両辺に、[3]を足しましょう。すると等式は[3+1+1 = 3+2]になります。これもそのまま受け入れなくてはならないのです。

大切なのは、これらの「改竄」を許すことは、憲法を「尊重する」という99条の規定に反しているという事実ですし、かつ憲法が「最高法規」であるという98条にも反します。証明は次回に回しますが、皆さんも考えてみて下さい。

 [20211211日 イライザ]

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2021年12月10日 (金)

総合的に判断するもっとも有効的な手段

島根原発2号機が原子力規制委員会の審査に「合格」して、原発から30キロ圏内自治体の「同意」手続きに進んでいます。しかし30キロ圏内すべての自治体の「同意」を得るものではありません。

 何度もこのブログでも書いていることですが、島根原発の30キロ圏内には、島根県では松江・出雲・安来・雲南の4市と、鳥取県では境港・米子の2市があります。原発そのものがある松江と島根県は立地自治体と言われ、それ以外は周辺自治体と区分けして言われています。

 福島第一原発事故で経験したように事故による放射能の影響は、30キロ圏内で収まった訳ではなく、手元に在る「福島第一原発事故の放射能汚染地図」を見ると原発から300キロの静岡県くらいまで影響を与えています。しかし福島事故後、原発から30キロ内だけをUPZ(緊急時防護措置を準備する区域)と定め、原発事故時を想定した避難計画を策定しなければならないことになりました。

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 島根原発2号機の再稼働について、周辺自治体から「我われからも事前了解を得るように」との強い要望が出されていますが、中国電力も立地自治体の松江市や島根県も頑固に反対しています。

 この問題で何度も島根県庁の担当部署と話しをする機会を持ちましたが、頑なに自分らだけで判断するという姿勢です。要するに「独り占めしたい」という態度なのです。「立地自治体はリッチ(金持ち)になるのだ」という姿勢なのです。

 島根県の見解、正確を期すためにきちんと書きます。「国から、安全性や再稼働の必要性、住民の避難対策等について十分に説明を受けた上で、県議会をはじめ、住民の方々も参加する安全対策協議会、原子力専門家である原子力安全顧問、関係自治体などの意見をよく聴き、総合的に判断していく考えです」というのが一貫したものです。

「総合的に判断していく」という言葉に下線を引きましたが、最も適切な総合的な判断の方法は、住民投票を実施して判断することではないでしょうか。

 現在(12月10日現在)、米子・境港・松江の3市で「島根原発2号機の再稼働についての判断をする場合、住民投票を実施することで判断すること」を定める条例制定の直接投票を求める署名活動が行われています。有権者の50分の1で議会に請求できるもので、署名活動も1か月間と決められています。3市とも必要署名数に達したと地元の新聞は報じていました。

 住民投票を行わない傾向の強いこの国の「民主主義」のあり様、遅れているように思うのです。なんでもかんでも住民投票を行うこと、とは私も云いません。しかし原発の再稼働という大きな関心事ですから、丁寧な方法で市民の考えを聞き、避難先にもなる鳥取・岡山・広島などの避難者受け入れ体制もしっかりと検証・確認することではないでしょうか。

 米子・境港市の署名の締め切りは、今月19日です。続いて松江市と続き、来年1月からは出雲市でも開始されるとのことです。

木原省治

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2021年12月 9日 (木)

原爆ドーム世界遺産登録25周年記念集会と12.8不戦の誓いヒロシマ集会

原爆ドーム世界遺産登録25周年記念集会

25年前の12月7日、ユネスコ世界遺産委員会は「原爆ドーム」の世界遺産登録を決定しました。

翌年から毎年12月7日には、原爆ドーム前で「原爆ドーム世界遺産登録記念集会」が開催されてきました。

25周年の節目となる今年も「核兵器廃絶広島平和連絡会議」が主催し、記念集会が開催されました。20周年となった2016年には、記念のシンポジウムも開催されましたが、今年はコロナ禍ということで、記念集会のみとなりました。

午後6時から始まった集会は、最初に10月24日に亡くなられた坪井直前広島県被団協理事長のありし日を偲んで黙祷をしました。坪井さんは、「原爆ドーム世界遺産登録を求める署名活動」には、広島県被団協の事務局次長、事務局長として深く関ってこられました。次に連合広島の大野真人会長(今年11月に就任)が主催者あいさつ。続いて連合広島から「原爆ドーム保存事業基金」への寄付金100万円が松井一実広島市長に贈呈されました。これを受け、松井市長のあいさつ。気になったのは、あいさつの中で「核兵器禁止条約」に全く触れられなかったことです。

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後は例年のとおり、献花、献水、そして連合広島女性委員会亀井美砂子委員長が集会アピールを提案と続きました。集会アピールの一部です。

「原子爆弾の恐ろしさ、愚かさを後世に伝えるために、この『原爆ドーム』のユネスコ世界遺産登録に向けて、多くの市民や県民が一体となって、4年の歳月をかけて署名活動などの運動を取り組んだ。その熱い情熱の結集である、164万を超える請願署名が政府を動かし、世界遺産登録委員会の決定を手繰り寄せることになった。・・・こうした中、核兵器の開発や製造、保有、使用を全面的に禁ずる核兵器禁止条約の批准国・地域が、発効条件となっている50に達し、本年1月22日に条約が、発効された。しかしながら、日本は『日米同盟のもとで核兵器を保有する米国の抑止力を維持することが必要』として批准していない。こうした状況だからこそ、ヒロシマの果たす役割は重い。私たちは、『原爆ドーム』世界遺産登録の意義を再確認し、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けて運動を強化していかなければならない。・・・」

最後に広島県被団協箕牧智之理事長が、「被爆者がいなくなっても核兵器の怖さ悲惨さを訴え続けてくれる」と原爆ドームの役割を訴える閉会のあいさつを行いました。その後、参加者(81人)が献花をし、流れ解散となりました。

 

12.8不戦の誓いヒロシマ集会

毎年12月8日に「憲法を守る広島県民会議、広島県平和運動センター、8の日平和行動ヒロシマ女の会」など5団体の主催で開催している「戦争への道を許さない!12.8不戦の誓いヒロシマ集会」が、今年は弁護士会館で開催されました。

主催者を代表して山田延廣弁護士による開催あいさつの後、石岡修(元広島県教職員組合委員長)さんの「12.8開戦から80年―教え子を再び戦場に送らないために」と題した記念講演が行われました。

石岡さんは、広教組の平和教育の歴史の中で、大きな役割を果たしたのが被爆教職員だったことを紹介しながら、平和の危機を乗り切るためには「憲法9条を中心に置くこと」の大切さを強調し、最後に坪井直さんの「私たちは仲間をつくり、粘り強く闘い続けなければなりません。感情的な強力からの平和は崩れやすく、冷静な人間の英知から真の平和が保持されます。」の言葉が紹介されました。

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そして、集会アピールを採択した。閉会あいさつを行うこととなった私は次のように訴えました。「真珠湾攻撃から80周年の節目の年、マスコミもいつもと違う報道を行っています。しかし、と私は言いたのです。あの戦争は、真珠湾攻撃からだけ始まったのではありません。その前に長い中国での戦争行為がありました。また80年前の今日は、マレー半島への上陸作戦が実施されました。その中心部隊は、この広島の第5師団だったことが語られることはありません。日清戦争以来の軍都廣島は、侵略戦争の拠点だったのです。

サッカースタジアム予定地の地下から、かつての軍事施設が発掘されました。しかし、広島市は、その価値を検討することもなく、取り壊しを決定しました。このことは、広島が、被爆地であると同時に軍都、侵略戦争の拠点であった歴史を消し去ることでもあります。私たちひとり一人がこの事実にきちんと向き合うことが、今進む戦争への道を止めることにつながると思います。」

そのことを痛切に感ずる今年の「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」でした。

いのちとうとし

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2021年12月 8日 (水)

2021年12月のブルーベリー農園その1

週末農業でブルーベリーの栽培を東広島市豊栄町で続けている。12月初めの作業はブルーベリーの枝の軽い剪定や小さい木の手入れを続けている。3日には友人の援農があり剪定してたまったブルーベリーの枝を野焼きしてもらったり、剪定を手伝って頂いたりした。夏の摘み取りシーズン以外に農園に来ることはないので、12月の真っ赤に紅葉したブルーベリーの中に入っての剪定作業も初めてなので「友達に見せたい」とスマホを取り出して撮影して送信したりして作業も軽快な様子だった。

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123日(金)

里山のブルーベリー園。杉林の下あたりで紅葉しているのがブルーベリー。煙は左の向こう側でブルーベリーの枝を野焼きしているため。

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ブルーベリー畑から。風向きが変わって横にもくもく流れる。援農にきた友人2人が剪定したブルーベリーの枝を燃やしてくれている。

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午後からは、ブルーベリーの軽い剪定を手伝う。長く援農に来ていただいているが剪定は初めての作業なので最初に見本を示してから、独り立ち。こわごわから、数をこなして馴れていくに従い、パチンパチンと鋏のいい音がしていく。

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ベテランは短い脚立を使ってカットしていく。

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125日(日)

里山の早生のブルーベリーは殆どの木が落葉し、寒々とした景色に変わっている。

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この日は一人で作業。3段あるブルーベリー畑の真ん中の畑で小さい木の手入れを行う。根が伸びやすいようにと期待して、根元に硫黄の粉、ピートモス、もみ殻をまいていった。まだ残りがたくさんあるので来週末も続ける。

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ブルーベリーの紅葉を背景に

① 、ムラサキシキブの実

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②、菜の花

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③、とても小さい2つだけのカキの実

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④、絹サヤエンドウの芽

2021年128

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年12月 7日 (火)

ヒロシマとベトナム(その29-4)

枯葉剤を念頭にした「化学兵器禁止条約」

1969年にウ・タント国連事務総長が「化学・細菌兵器とその使用の影響」と題する『報告書』を提出し、これを契機に化学兵器・生物兵器の全面禁止についての議論が国連軍縮委員会で行われることになりました。途中経過は省きますが、国際情勢の変化にともなう紆余曲折と長い膠着期間もありましたが、約20年の歳月を経て1992年11月30日の「国連第47総会」において、「化学兵器禁止条約」(化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約)が採択され、1997年4月29日発効し今日に至っています。

ここで今一度、前号11月5日の「その29-2」を思い起こしてください。1969年6月、サイゴンの新聞『ティン・サン』が「枯葉作戦で出産異常激増」を報じ、その秋にアメリカ国立衛生研究所のネズミを使った実験で催奇形性が報告され、そして12月にはアメリカ科学振興協会理事会が「枯葉剤使用即時中止決議」を行っています。

「化学兵器禁止条約」の端緒となったウ・タント国連事務総長の「化学・細菌兵器とその使用の影響」報告は、1969年9月、まさにこの時期に出されているのです。「化学兵器禁止条約」の議論は、米軍の枯葉剤を念頭においていたといって過言ではないと思います。

余談になりますが、ビルマ(現ミャンマー)出身のウ・タント事務総長は、ベトナム戦争時に少年期から青年期を過ごした私の記憶に残っている数少ない国連指導者の一人です。

「化学兵器禁止条約」前文で明確に枯葉剤の使用を禁止

 1997年に発効した「化学兵器禁止条約」は193カ国が批准しています。もちろんアメリカも日本もです。

第1条(目的)で、「いかなる場合にも化学兵器の開発、生産、取得、貯蔵・保管、直接的間接的な委譲の禁止」、「使用の禁止」、「使用のための準備活動の禁止」、「他者への禁止事項の活動援助・奨励・勧誘の禁止」を求めています。そして、既に存在する化学兵器や生産施設の10年以内の廃棄と遺された化学兵器の回収・処分を使用国に義務づけています。

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(2016年:初めてヒロシマを訪れたグエン・ドクさん)

ところが、これまでも繰り返し述べているように、アメリカ政府は被害者に対する謝罪も補償も放棄したままです。その論拠とされているのが、「化学兵器禁止条約」上、明確に枯葉剤が化学兵器と定義されていないことをもって、「化学兵器ではない」と主張しているのです。

しかし、前文には「戦争の方法としての除草剤の使用の禁止が関連する協定及び国際法の原則において定められていることを認識し、化学の分野における成果は人類の利益のためにのみ使用されるべきである」と、明確に枯葉剤を化学兵器と断じ、禁じています。本文に枯葉剤の記述がないことをもって「化学兵器ではない」とすることは欺瞞、言い逃れ以外なにものでもありません。

古希の抱負

初めての枯葉剤がベトナムにまかれ60年の今夏、被爆県ヒロシマで初めての「エージェントオレンジDay」を取り組みました。来年以降も継続します。

その来年は1992年に「化学兵器禁止条約」が採択されて30周年にあたります。

私ごとですが、1月1日の誕生日、古希を迎えます。

核兵器 & 化学兵器の廃絶!  “ヒロシマとベトナム”へのこだわり

平和を基調に 日本とベトナムの相互理解に基づく 互恵的な友好関係を築くために

来年も引き続き、ボチボチと頑張ります。

(2021年12月7日、あかたつ)

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2021年12月 6日 (月)

「最高法規」の意味 (1) ----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---

「最高法規」の意味 (1)

----憲法の持つ深みと矛盾が共存しています---

 

一昨年に上梓した『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』では、九つのルールを決めて、そのルールに従って憲法を読んでみました。語呂の良さを優先してこれらのルールを「九大律」と呼びました。改めて、9つのルールを掲げておきましょう。

  • [正文律] 対象とする日本国憲法の正文は日本語とする。
  • [素読律] 書かれていることを字義通り素直に読む。これがすべての出発点である。どこで何が定義、あるいは規定されているのか、定義・規定の内容はもちろんだが、その順序に意味のある場合にはそれも尊重する。
  • [一意律] 一つの単語、フレーズは、憲法の中では同じ意味を持つと仮定する。
  • [公理律] 憲法を「公理」の集合として扱う。
  • [論理律] 憲法解釈は論理的に行う。法律やそれに準ずるものは、公理からの論理的帰結であると位置付け、論理的に考えて憲法と整合性があるかどうかの判断をする。
  • [無矛盾律] 条文間には矛盾がないという前提で読み、解釈を行う。
  • [矛盾解消律] とは言っても現実問題として、憲法内には文言上、一見、矛盾している記述が存在する。条文間の矛盾や使われている概念間の矛盾について、出来るだけ無理のないしかも説得力のある、もちろん「論理的」で憲法の趣旨が生きるような解釈を探し、出来れば「矛盾」を解消する。最低限、「矛盾度」が低くなるように読む。
  • [自己完結律] 憲法は、基本的には自己完結的な文書であると仮定する。つまり、書かれていないことには依存しない。立法趣旨等も条文に掲げられていないものは無視する。さらに書かれていることにはすべて意味があると仮定する。
  • [常識律] 定義されていない言葉や概念が使われている場合は、日本語の常識で解釈する。それもできるだけ自然な解釈による。

 そして本文中で特に強調したのが、99条の憲法遵守義務でした。紙数には限りがあるのですから当然なのですが、書きたいこと、伝えたいことの全てを一冊の書物に詰め込むことはかなり難しい仕事です。その結果、98条の重要性については十分に書き切れなかったことを反省しています。遅まきながら、憲法を「最高法規」として認めている98条を読み直してみましょう。まず条文です。

 

98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 

この条文の奥深さを伝えなくてはならないと考えた理由の一つに、「改竄禁止律」と名付けたルールがあるのですが、それは九大律の依って立つ土台といった感じのルールです。説明のためには、かなりのスペースが必要ですので、次回に回します。

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[2021126日 イライザ]

 

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2021年12月 5日 (日)

ヒロシマとベトナム(その29-3)

アメリカと枯葉剤裁判

前々月10月5日の「その29-1」でベトナムの枯葉剤被害者がアメリカの裁判所に提訴した訴訟すべてが棄却・却下されていることを紹介し、前月11月5日の「その29-2」で、「外国人がアメリカの裁判所に提訴できるのは、国際法や国際条約への違反や不法行為があった場合に限られている」ことを紹介しました。

アメリカの裁判制度がどの様なものかはよく分かりませんが、猛毒ダイオキシンを含んだ枯葉剤を繰り返し浴びたベトナムの人々が、60年経た今日なおる深刻な被害を受け続けていることは紛れのない事実です。

これも前号で紹介しましたが、1971年秋にアメリカ国立衛生研究所のコートニーらのネズミを使った実験で、米軍が「枯葉作戦」に使った「枯葉剤(2・45T)が催奇形性をもたらす」との報告でも証明されたように、枯葉剤が原因であることは明らかです。

にもかかわらず、アメリカは当事者の主張を聞き、枯葉剤と被害の因果関係を審理することも、枯葉剤散布が国際法や国際条約に違反しているかについての審理することなく訴訟そのものを拒み続けています。

化学兵器が登場した第一次世界大戦

化学兵器に関する国際法を見て行きたいと思います。

化学兵器が戦場で本格的に使用されたのは第一次世界大戦です。1915年4月、ドイツ軍の塩素ガス弾で一日に5千人ものイギリス軍やフランス軍など連合国軍兵士が死亡したといわれています。翌1916年2月にはフランス軍が塩素よりも毒性の強いホスゲンをドイツ軍塹壕に打ち込むなど、凄惨で残酷な戦いが繰り広げられました。本を読まれた方や映画をご覧になった方もいるかと思いますが、この戦いを描いたのがレマルクの「西部戦線異状なし」です。

第一次世界大戦は他にも航空機や戦車、潜水艦などの大量破壊兵器が出現し、兵士だけでなく一般市民を含む大量無差別の殺戮と破壊がもたらされ、戦争の残虐さと被害の大きさが一変しました。

第2次世界大戦は、人類史上初めて核兵器が使用され、地球と人類そのものを危機に陥らせた「核時代」に突入しました。

核も化学兵器もNO! それは人類共通の生存のための普遍的な課題です。

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(第一次世界大戦:毒ガス防護マスク姿のドイツ兵)
 Photo_20211203172601  (ベトナム戦争:猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤をまく米軍機)    

長期間かつ大量に使用された化学兵器・枯葉剤

化学兵器禁止に関する国際法は1899年の「ハーグ宣言」で、有毒ガスの使用が禁止されたのが初めてです。しかし、砲弾に詰めて撃ち込むことなどが禁止されておらず、第一次世界大戦でドイツ軍が用いたボンベ放射、フランス軍のガス砲弾の使用につながります。その後、ドイツ軍の敗北に伴う1919年の講和条約(ヴェルサイユ条約)に、ドイツの化学兵器保有禁止が盛り込まれ、1925年の「ジュネーブ議定書」(窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書)に続きます。

しかし、その後も日本を含む(注1)各国の開発・保有が続き、ベトナム戦争では1961年~1971年までの10年わたって反復的に枯葉剤が使用されます。アメリカの「枯葉作戦」は、史上類を見ない長期間かつ大量に使用された化学兵器の唯一の実例です。

(注1)竹原市の大久野島で旧陸軍が毒ガス兵器を生産し、中国大陸で使用した。満州を拠点に731部隊が細菌戦に使う生物兵器を研究・開発し、中国人捕虜などへの人体実験や実戦使用も行われていた。社民党の山内正晃広島市議(安佐北区)のご両親が、「毒ガス島歴史研究所」で長く活動されています。機会があれば是非、訪ねてみてください。

(2021年12月5日、あかたつ)

【編集者】このつづきは、7日に掲載します。

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2021年12月 4日 (土)

金輪島訪問記

11月21日から3日間、東京在住の竹内良男さんが企画した「ヒロシマ講座in広島」の3つのフィールドワークが行われました。私は、全部に参加しましたが、今日は、最終日に実施され「金輪島 慰霊碑参拝と島内戦跡めぐり」の様子を報告します。

金輪島には、以前から一度訪れたいとずっと思っていたのですが、ようやく思いがかなったフィールドワークです。

今回の参加者は、広島だけでなく東京・埼玉・大阪などから17名。午前9時10分、広島市営桟橋発の金輪島行きに乗船です。広島市営桟橋を利用するのは初めてです。

20211123_090753

休日でしたが、金輪島に働きに行く人たちと一緒です。船は、プリンスホテルを経由して15分ほどで、金輪島に着きました。

船を下りるとそこは、工場の敷地です。事前に了解を得ての島めぐりです。

金輪島は、戦前は、宇品にあった日本陸軍運輸部の金輪島工場として操業し、太平洋戦争末期には旧陸軍船舶司令部野戦船舶本廠の一部がありました。戦後、造船施設が民間に払い下げられ、金輪島ドックとして親しまれていましたが、現在は新来島宇品どっくが船舶の修理の工場として操業しています。最盛期には約1400人いた従業員も現在は250人ほどになっているようです。

島に着くと、北部の開拓地跡を訪ねた後、金輪島トンネルを通って島の西側に立つ慰霊碑に参拝しました。

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この島には、戦争中、暁第6140部隊が駐屯し、動員学徒などが作業をしていました。原爆直後には、500人の被災者がこの島に運ばれ、その多くが亡くなっていき、遺体は、ここで火葬され埋葬されましたが、ほとんどの遺骨がこの地に眠ったままです。しかし長い間慰霊碑はありませんでした。その後、この島で父を亡くした田辺博介さん、芳郎さんのご兄弟の2年がかりの努力によって1998年(平成10年)8月2日に慰霊碑が建立されました。

その後毎年、慰霊祭が行われてきましたが、参列者は年々減り続けているそうで、慰霊祭そのものの存続が危惧されています。

また、この碑は、民有地を借受けて建っていますので、今後どう継承すのかも大きな課題になっています。

島の西側には、軍用桟橋や弾薬庫跡などがありますが、道が整備されておらず、残念ながら近づくことはできませんでした。慰霊碑の西側の小山の上には、高さ10メートル以上ある高い碑が見えますが、何度も訪れている竹内さんも何の碑だかわからないということです。竹内さんが作った資料では「謎(?)の碑」として紹介されています。

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この碑のすぐ向こう側の海は、宇品を出港した船の航路となっていますから、戦前に「外地に出征する兵士」を見送る意味を持っていたのではないかと、勝手に想像し、眺めていました。

トンネルを引き返し、島の東側に戻りました。移動しながら山すそを見ると、いくつもの防空壕の跡が目に付きます。

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面白いことに、いくつも立っている看板には、なぜか「防空壕」ではなく「ほらあな」と紹介されています。

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当時を偲ぶことができるものは、だんだん少なくなっているようですが、敷石に大理石が使われている金輪神社や、

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送電用に使われた鉄塔などを目にすることができます。

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また島のあちこちに、貴重な水をためるための貯水池が残っていますが、昭和62年(1987年)に金輪島に広島市水道が供給開始されましたので、それ以降貯水池の水が使われることはなくなりました。

東京からの参加者の帰りの時間もあり、今回は13時30分発の船で金輪島を後にしましたが、もう一度ゆっくりと訪ねたいと思った金輪島訪問でした。

いのちとうとし

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2021年12月 3日 (金)

広島市「職員の服務に関する宣誓書」-その4

11月29日の「広島市『職員の服務に関する宣誓書』-その3」の最後に紹介した広島市への再質問に対する回答が広島市人事課長名で返ってきましたので、その内容と回答を正確を期すため質問と共に全文紹介します。

質問①「昭和54年に市議会の議決を経て施行されたもの」と書かれていますが、この条例は、昭和2971日に最初施行され、その後修正されたものが、昭和54101日から施行されたと思いますが、この昭和54年には、どこが修正されたのでしょうか。

【回答】

職員の服務の宣誓に関する条例について、昭和54年に改正された内容は次のとおりです。

 第1条中「の規定に基づき、職員」を「(同法第9条第12項及び地方公営企業法(昭和27年法律第292号)第7条の211項において準用する場合を含む。)の規定に基づき、職員(人事委員会の委員及び地方公営企業の管理者を含む。以下同じ。)」に改める。

 第2条中「、任命権者」の右に「(人事委員会の委員の場合にあつては、市長とする。以下同じ。)」を加え、「別記様式による」を「任命権者が定める様式の」に改める。

 第4条中「給与」の右に「又は報酬」を加え、「あと」を「後」に改める。

 別記様式を削る。

質問②昭和54年の修正は、「任命権者が定める様式の宣誓書」としただけで、その様式は、示さないことにされたのでしょうか。

【回答】

①の改正のとおりです。

質問③去る927日の総務委員会での説明では、「昭和58年に宣誓書を改めた」とされていますが、この時は、何の手続きもないままに、市長の裁量のみで、宣誓書が改められたのでしょうか。

【回答】

①のとおり、昭和54年に同条例が「任命権者が定める様式」と改正されたことに伴い、宣誓書を改める際に条例改正の手続きが不要となったことから、昭和58年に宣誓書を改める際は議会の議決を得ておりません。

質問④他のほとんどの自治体では、この条例の中に「宣誓書の様式」が、明示されています。私が調べた19の政令都市(広島市を除く)の「職員の服務の宣誓に関する条例」では、17の政令市で、条例に宣誓書の様式が明示され、残りの2政令市は、広島市と同じように「任命権者が定める様式の宣誓書」となっており、様式が明示されていませんが、ただこの2都市は、それに関する規則、指定が設けられ、そこに宣誓書の様式が明示されています。

広島市は、規則や規定がないようですので、そうした条例を含め法的な形で、「宣誓書の様式」が明示されていないように思います。そのため、市民は、市職員の宣誓内容を知ることができません。

この点について、どうお考えでしょうか。

【回答】

ご指摘のとおり、本市では宣誓書の様式を規則等に設けていないものの、「広島市職員の人材育成基本方針」に同内容を設けており、当該基本方針は本市ホームページ上に掲載しております。

  広島市ホームページ(総合トップページ)>組織でさがす>企画総務局>企画総務局人事部人事課>広島市職員の人材育成基本方針

  ※ 「広島市職員の人材育成基本方針」2ページに宣誓書の内容を記載しております。

これが回答の全てですが、読んでいくと「なぜ」の疑問が広がります。

①の回答によれば、昭和54年(1979年)の条例改正で、「条例」で「別記様式よる」として定められていた宣誓書が、「任命権者が定める様式の」と改正され、「宣誓書」を条例の別記として明示することが廃止されたのです。

この条例改正があったため、③の回答にあるように、昭和58年(1983年)の宣誓書の改正では、議会の議決など公的な手続きは行わずに、宣誓書から「憲法尊重擁護義務」の宣誓部分を削除されたことがはっきりしました。

つまり私が、前回の「その3」で指摘した「市長の裁量によって自由に宣誓書の内容を変えることができることになる」という危惧が、実際に実行されていたのです。

条令の条文からいえば、「市長の裁量のみによって宣誓書を改めた」ことは、条例違反はしていないといえますが、問題は繰り返すようですが「市長の裁量のみ」で自由に改正できる条例で良いのかということです。

極論すれば昭和54年(1979年)の条例改正は、そのために行われたということができます。

④の回答では、「広島市職員の人材育成基本方針」の検索の仕方まで教えていただきましたが、「広島市は『宣誓書の様式』を規則などで定めていない」というのですから、なおさらです。

広島市の回答では、一応の経緯と現状は理解できましたが「①なぜ昭和54年(1979年)の改正で、『別記様式』を条例から削除することになったのか。議会ではど問題にならなかったのか②昭和58年(1983年)の宣誓書改正でなぜ『憲法尊重擁護』の宣誓が削除されたのか」の疑問を解消することはできません。

人事課への質問では、これ以上の回答は得られないと思いますので、この疑問を解消するため「公文書の開示請求」を行うことにします。

少し時間がかかりますので、情報開示があった時、改めて報告したいと思います。

いのちとうとし

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2021年12月 2日 (木)

音楽が好きになる理由は何でしょうか? ----音楽のセンスの良さ?楽器が弾けるから?音楽理論の理解?それとも?---

音楽が好きになる理由は何でしょうか?

----音楽のセンスの良さ?楽器が弾けるから?音楽理論の理解?それとも?---

 

音楽の好きな人は多いようです。その証拠にテレビのドラマだけではなく、ニュース番組でも音楽がないと、何となく白けてしまいます。アニメの音楽はそれだけでベストセラーになったりしています。

 

 では何故、音楽が好きになるのかということを考えて見ましょう。音楽通を自認している人なら、「自分には音楽のセンスがあるから」ということを自然に感じているでしょうし、それが理由だと思っていても不思議ではありません。あるいは、楽器の弾ける人は、楽器を通しての音楽との関係が深いことを日常的に感じているでしょうから、それが理由だと考えるかもしれません。あるいは音楽理論に精通している人なら、理論的な理解の深さが自分の音楽理解の基礎になっていると考えるかもしれません。

 

「好きになる」を「心に響く」と言い換えると、音楽が心に響くためには何が必要なのか、という問と「音楽が好きになる理由は何か」という問とは、ほぼ同じ意味を持つのではないかと思います。それについて、大阪学院大学の谷口高士教授は次のような説明をしています。

 

 音楽を 「心に響かせる」ためには何が必要なのか。楽曲が持つ感情成分や作品の 完成度(それを実現させる作曲や演奏の表現力)はもちろんだが,受け止める人にとって大切なのはそれを見極める力,作品の内包する意味を理解する力である。それはすなわち音楽の認知的枠組みの洗練であり,また,新たなものを受け入れていく柔軟さである。これらは必ずしも音楽の専門教育で身に付くことではなく,日常生活の中で触れる様々な刺激に対して敏感であること,多くの曲に深く接することが必要だろう。そのためには,音楽の受容の在り方を左右する鑑賞態度も重要である。また,感情体験や出来事の記憶と音楽との結びつきによって,音楽は独立して存在するものではなく,人生と深く関わるものとなる。従って,音楽を聴いたり演奏したりする行為やそのための準備そのものを楽しむこともまた,この結びつきを深める 。

 

専門的かつ深遠な真理のような気がしますが、でも子どもの頃からの経験に照らすと、ラジオで良く流れていた歌が好きだったとか、車で両親の好きだった曲を何度も聞いたというようなことがきっかけなのかもしれません。

 

 実はその通りだということを、音楽好きの息子が教えてくれました。つまり、何度も何度も同じ曲を聞いていれば、その曲が好きになる、という因果関係は多くの実験によって確認されているというのです。何かに接触する回数が多くなるとその「何か」に好意を抱くようになる、という因果関係を「単純接触効果」というのだそうです。

 

 この研究結果は1960年代後半にザイアンス(Zajonc, R.B.)によって示され、その後も研究が続いているとのことです。

 

 その「何か」は音楽に止まらず、味や図形、写真や漢字等々、ほぼ全てのものが対象になるとのことです。

 

 最近ではあまり見られなくなったのかも知れませんが、職場を毎日のように訪れる「おばちゃん」のようなイメージの人が職場の皆と仲良くなって、次々と生命保険の契約を取って行くという話が良くありました。これなど、単純接触効果の典型例なのかもしれません。

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白戸家のお父さんをイメージにしたフリーWi-Fiのサイン

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Train_interior_of_Toyama_Chiho_Railway_10030_series_05.jpg

naosuke ii, CC BY 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons

 

コマーシャルでは、ソフトバンクの「白戸家」のお父さんの姿に最初は違和感を持っていても、いつの間にか定番として受け入れてしまっていること等ももう一つの例かも知れません。

  [2021年12月2日 イライザ]

 

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2021年12月 1日 (水)

被爆76周年原水爆禁止世界大会第3回広島県実行委員会を開催

被爆76周年原水禁世界大会の現地実行委員会として総括を行うための第3回広島実行委員会が、昨日開催されました。

今年の原水禁世界大会は、全面オンライン開催とならざるを得なかった昨年の大会の経験を活かし、「規模を縮小してでも対面形式で開催する」ことを確認し、現地実行委員会としての準備を進めてきました。しかし、全国でコロナの感染者が拡大し、広島県内において感染者が急増し、医療体制もひっ迫する状況となり、大会一週間前になってから急きょ完全オンラインでの開催とならざるを得ませんでした。

昨日の実行委員会では、まずその経過を高橋事務局長から提起がされ、その後大会全体として確認できる評価面が提起されました。

広島大会は、完全無観客の大会となりましたが、当初予定していた開会行事、分科会、閉会行事は、予定通り実施し、すべてオンライン配信されました。

昨日の件実行委員会では、広島、長崎大会の分科会の中で、高校生から30代の若い人たちが、報告者として起用されたことが、今年の大会の特徴だったことが確認されました。

若い報告者とこれまでもずっと登壇し、原水禁大会を支えてきたいただいた講師陣とが、連携し分科会を進める姿は、今後の継承しなければならに前進面だと思います。

こうした若い発言者が多く登壇した大会の運営は、メディアからも大きく注目されました。

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中国新聞 2021.8.6より

実行委員会でも、第2分科会「気象変動と脱原発、自然エネルギーの今とこれから」に参加した県原水禁常任理事の一人から「ベテランと若い人が同じ場所で、意見を述べて立姿を見て感動した。これからもこんな分科会が増えればよい」と感想が述べられていました。

実は、私も同じような体験をしました。第3分科会の「在外被爆者と日本の戦争責任、その歴史認識問題について」の発表テーマの一つに「在ブラジル被爆者に関する報告 報告者:相原由奈」とあるのを見つけたのですが、相原さんという名前は、在外被爆者問題でも初めて聞く名前でしたが、資料集の講師プロフィールには、第15代高校生平和大使(2012年)と記されていましたので、すぐに連絡を取りました。会って話しを聞くと、相原由奈さんは、高校生平和大使の時、ブラジル在住被爆者の森田隆さんとであり、それがきっかけとなり2017年と2018年の2度にわたりブラジルを訪問し、聞き取りを実施し、現在もブラジル在住被爆者のみなさんと交流を続け、研究を続けているということでした。

これも一つの例ですが、若い講師陣の中には、高校生平和大使の経験者が多くいたことは、今年の大会を象徴する良い成果だったといえます。

こうした成果を全体で確認できた昨日の第3回広島県実行委員会でした。県実行委員会は、大会ごとに結成していますので、一応の総括を終えた昨日の会議で、今年の実行委員会は解散となりました。

なお被爆76周年原水禁世界大会の様子は、原水禁チャンネル - YouTubeで視聴できますので、参考になることも多い内容となっていますので、沢山の人に見ていただきたいと思います。

いのちとうとし

【編集者】急きょ執筆者が変更となりましたので、定例のイライザさんの原稿は明日アップします。

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