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2021年11月27日 (土)

「衆院選大敗」に中学校教員として思うこと

「自民党大勝」……10月末の衆院選の結果は予想外のものとなってしまった。

緊急事態宣言下、多くの国民の反対を押し切ってのオリ・パラの強行開催。開催を機に新型コロナウイルスの感染爆発を招き、入院できず死亡する自宅療養者が相次ぐ医療崩壊を招いた。内閣支持率は菅内閣発足後最低の数字に落ち込み、8月末に行われた横浜市長選では、菅前首相が全面支持した候補が落選し、立憲民主党が推薦した候補が大勝。9月初め、このまま衆院選を迎えれば、与党・自民党の大敗は確実視されていた。

ところが、その後の自民党総裁選一色の報道により風が変わったのか、衆院選後間もなくの新聞報道等には、「自民党単独で過半数の議席確保の見込み」との文字が躍った。「ウソだろ~。新型コロナウイルス感染拡大で苦しんだこの1年半や、安倍・菅政権の9年間に政府・自民党がやってきたことをみんな忘れたのか」、そう思わずにはおれなかった。

結局、自民党が議席を減らしたとはいえ絶対安定多数を維持し、さらに、改憲に前向きな日本維新の会等を含めれば改憲勢力の2/3を上回る議席を確保した。「モリ・カケ・桜」等の問題に見られる政治の私物化や、政治の信用を失墜させるウソ・隠蔽・改ざん等のオンパレードに「政治とカネ」の問題、憲法を無視して臨時国会を開催していないこと、コロナ対策における失政の数々等、自公政権にNOを突きつける材料は枚挙にいとまがない。「国民はすぐに忘れる」……いつか自民党議員が言ったこの言葉を思い出した。

さらに、ショッキングだったのは、「無党派層で自民党に投票した有権者が一番多かった年代は20代・30代」との報道だ。愕然とした。コロナ禍で、多くの人々が日々の生活と政治が密接に繋がっていると実感したはずなのに、なぜそんなことになるのか。

ふと、自分の若かりし頃を思い返してみた。その報道はまんざら他人事ではないと感じた。というのも、私は職に就くまで社会のあり様や矛盾に疑問を持つことなく、「『偉い人』たちは自分たち(国民)を守ってくれている」的に「平和」に生きていた。批判的に社会を見るとか、実相に迫るとかまったく思ってもみなかった。その報道内容について自分自身の被教育体験や生育歴を下敷きに考えた時、学校教育のありようが大いに関わっているのではないかと思えてならない。

本来、学校は、市民社会の中で様々な人たちと共に生き、憲法の理念を実現するために、平和や人権を尊重する、一人ひとりが大切にされる社会を築く力を身につけていくための場だが、現実にはそうはなり得てはいない。多くの学校では、権利を教えずに義務を教える。また、個より集団を重んじる学校文化を基盤に、子ども一人ひとりの実態や思いを考慮することよりも、事細かにルールや約束事が決められ(校則のみならず無言掃除に無言給食、授業中の座る姿勢や挙手の際の手の挙げ方、個人用ロッカーの整理の仕方等)、いろいろな場面で「同調圧力」によってその「枠」に入ることが強要されている。部活動においても、「縦社会」の中で自分の思いを封印することを学ぶ。本来であれば、自分たちで決める民主主義の実践の場である児童会・生徒会活動も、教職員集団の「下請け」機関との感は否めない。その日々の積み重ねの結果、子どもたちは目の前の現実に疑問を持つどころか、ルールに従うことを良しとし、「思考停止」状態の中で何も言おうとしなくなる。

多くの若者がこのような学校生活を経て有権者になるのだから、体制に疑問を持つはずもなく、現状を「従順に」容認する結果、「自民党支持」を選んだとしても何ら不思議ではないのかもしれない。

まずは、教育現場に民主主義をとり戻すことから始めよう。主権者である国民が、権力者に全てを委ね、何も考えなくなってしまったら国民主権は成り立たなくなり、民主主義は実現しない。学校教育の責務は、賢明な主権者を育てることであるので、学校教育の場に、教職員や子どもたちが自分で考え、判断し、行動できる土壌をつくり直していくことが全ての出発点のように思う。また、そのことと併せて、民主主義のしくみはもちろん、主権者として判断し権利を行使することを見据え、人権教育や平和教育を通して現実の社会の問題について子どもたちと考えを深める機会をつくっていく必要がある。

「選挙に行っても何も変わらない」との若者の声を聞くたびに、教員として責任を痛感する。「憲法を守るのは権力側。権力側がきちんと憲法を守っているかをチェックし、守られていな時は『退場』してもらう。そして、憲法を守る政権を選ぶのが選挙の目的である。国民が権力側によってコントロールされるのではなく、選挙等の機会を通じて、国民が権力側をコントロールしていかなければならない。自分の頭で考える主権者の育成は学校の責務である」……10月に参加した楾大樹さん(弁護士)の憲法学習会でそう学んだ。

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≪楾大樹さん著書の挿絵より≫

ライオンは「国家権力」を、檻は「憲法」を表している。ライオンを檻の中に入れて、いつも監視しなければならない。

 

広教組憲法学習会「檻の中のライオン 檻を壊すライオン」2021.10.23

https://youtu.be/zJ0MWMpU8F8

学校教育の場において、このことが確実に子どもたちに理解されていけば、選挙をめぐる風景も変わっていくのだろう。また、そのことが憲法第12条で謳われている「憲法が国民に保障する自由及び権利は、不断の努力によって保持しなければならない」 につながっていくことにもなるはずだ。

政治の主人公は政治家ではなく、主権者である私たちなのだ。「自分で考え選択し、今や未来を自分自身で変えていくことができる」……子どもがそう希望を持てるよう、学校教育でできることにとりくんでいこう。今しっかり小さな種をまくことが、やがて真の民主主義の大きな花を咲かせることにつながると信じて。

<未来のそら>

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コメント

普段何となく感じていることを、教育の現場からの視点で、また御自分の若き時代も振り返りながら、「その通り」と膝を打つような形でまとめて下さり、有難う御座います。元気が出てきました。日本の政治と社会を良くするため、一緒に頑張りましょう。

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