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2021年11月12日 (金)

緑の伝言プロジェクト「被爆樹木めぐり」その2

平和公園から移動して、白神社につきました。

広島市の被爆樹木リストには、白神社では3本のクスノキが登録されていますが、被爆樹木を示すプレートが付けられているのは、神社向かって左側の1本(手前から2本目)だけです。

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プレートの文字が一部消されています。何とか読むと「神社内には他にも被爆したクスノキがあります。」と書かれています。

20211108_103224

堀口さんによれば「他のクスノキは、神域にあるため、出来るだけ人が訪れないようにということで、1本だけの表示になったようです」とのことでした。

気になっていたものですから、被爆樹木めぐりが終了した後、一人で白神社に行ってきました。この日は日曜日ということもあったのでしょう七五三のお参りをする人も多く、拝殿に宮司さんがおられましたので、お聞きしました。

「プレートの架かった木の以外にも並んでいるクスノキは、全て被爆しています。」と教えていただきました。私が、「神社東側のお稲荷さんの後ろ側のクスノキも被爆樹木ですか」と訊ねたところ「そうです。あの木も被爆樹木ですが、生えているところは、神域ですので、勝手に上がることはできません。ですから、プレートも付けていないのですよ」との話でした。

本殿東側の2本の被爆クスノキを、許可を得て、下からと本社の拝殿の横のテラスから写真を撮らせていただきました。

20211107_131341

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下側の写真をよく見ると、岩に根が食い込んでいるがわかると思います。

神域を静かにしたいという白神社側の思いを受け止められたのでしょう、ここでの堀口さんの解説は、神社の外側からでした。印象に残ったのは、次の話です。

20211107_103855Img010_20211110190401

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左側の写真で、手にかざしている写真の、後ろ側の建物が日本銀行広島支店ですから、幹のみとなって焼け残っているのが、国泰寺のクスノキです。右側の写真は、被爆前の同じ場所の写真(広島市公文書館提供)ですが、当時道路に枝をはみ出す形で立っていたこのクスノキのため、路面電車のレールが少し湾曲して敷かれていたことがわかります。今では想像できませんが。このクスノキが翌年芽吹いた時の様子を浜井信三著「原爆市長」に次のように書かれていることを、堀口さんが紹介されました。

「新しい廃墟にも春はめぐってきた。そういうある日、爆心地に近い国泰寺の大楠木の根元に、黒山の人だかりがした。焼け残ったこの老樹は、一枚の葉もなく、枝も幹も黒焦げになって、かろうじて立っているようすであった。その根元から一メートルほどのところに、青い双葉の芽が一つ、ぽつんと出ている。『あッ!芽が出ている!』通りかかった一人が発見した声を上げた。そばを歩いていた人たちがかけよって、楠木の根方を取り囲んだ。『ほんと!ホラ、青い芽が・・・』中には、その薄茶色がかった青い一穂の芽を、なでさすらんばかりにして、涙ぐんでいる婦人もあった。(中略)この一穂の芽は、市民たちに安心感と希望をよみがえらせた。」

その後、区画整理事業で道路を拡張し真っすぐにするため、このクスノキは伐採され、残念ながら現存していません。かなりの大木だったようですので、ちょっと残念な気がします。

白神社に続き、愛宕池周辺の被爆樹木の解説がありましたが、これまでにもこの被爆樹木のことは紹介したことがありますので、今日は省略します。

次は、旧日銀広島支店の裏にある頼山陽史跡資料館です。ここには、クロガネモチの木がありますが、訪れるのは初めてです。

ここでも被爆後の写真を手にしての解説です。

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堀口さんが、左手人差し指で指しているのが、小さくてわかり難いのですが、クロガネモチの木です。写真を持っている人の上側の手の人差し指の先から斜め下に黒く伸びているのはマツの木ですが、針葉樹ですので枯れてしましました。

この写真の手前右側に写っているのが門の屋根ですので、被爆時クロガネモチは、門を入ってすぐの左手に植わっていたことが分かります。門は、現在も同じ位置に作られていますが、いま同じ位置にはクロガネモチの木はありません。

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その後庭園が整備されたとき、クロガネモチは、門を入って右側の植え込みの奥に移植されました。

植え込みの中ですが、近くまで寄れますので、近づいてよく見ると、根元に切り株の跡が残っています。このクロガネモチの木は、ひこばえが育ったものだということが分かります。

20211107_104928

庭園での出入りは自由のようですので、改めてゆっくり来たいと思います。

残りの広島城の被爆樹木の紹介は、明後日にします。

いのちとうとし

【編集者】前回の9日のブログで、案内者の名前を「坂口さん」としていましたが、「堀口さん」の間違いです。大変お世話になりながら、大切なお名前を間違えてしまいました。お詫びし、訂正(ブログは訂正済み)します。

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