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2021年11月 4日 (木)

浄国寺(中区土橋)の大イチョウが写った写真

928日のブログ「浄国寺(中区土橋町)訪問記その2-被爆の痕跡を訪ねるのつづき: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で、「浄国寺のイチョウ」について、次のような紹介をしました。

「もう一つお寺にとって大切なものがあります。2階の本堂入り口にかけられている寺号額です。

この額は、境内で被爆したイチョウの木で作られています。原爆によって一瞬のうちに堂宇が焼失し荒涼とした焼け跡を残すだけとなった浄国寺の境内で、ぽつんと立っていたのがこのイチョウの木でした。焼け野原となった広島市内、この大イチョウは、遠く広島駅からも一目でそれと分かったといわれていたほどの大木だったようです。この大イチョウが写った写真はないかと探したのですが、それと確認できるものを見つけることが出来ませんでした。」

ずっと気になっていたのですが、ようやく「被爆後の浄国寺のイチョウ」が映った写真を見つけることができました。

昨日紹介した「創立百周年記念誌 てんま」を見るため、原爆資料館を訪れた時のことです。原爆資料館「資料情報室」の前の廊下の北側の壁面には、いつも写真を中心にした企画ものが展示されていますが、その向かい側の壁面には、被爆前、被爆後の市内のパノラマ写真が掲示されています。よく見ると、当然のことですが浄国寺附近も映っています。その部分だけを切り取ったのが下の写真です。

Ra133

 林重男撮影 広島平和記念資料館提供

 右端に相生橋が映り、その左側が慈仙寺鼻(今の平和公園)です。手前に元安川、奥に本川が映っています。よく見ると、本川の最下流ぎりぎりに「新大橋」(現在の「西平和大橋」)が映り、その手前に橋げたがなくなり橋脚だけとなった本川橋の跡が写っています。この二つの橋の真ん中あたりの右岸の中ほどに入って位置が、浄国寺です。しかし、この写真ではイチョウの木を見つけることはとてもできません。

そこで、原爆資料館の学芸課を訪ね、「『浄国寺のイチョウ』が写った写真はないでしょうか」と調査を依頼し「被爆資料等掲載・使用許可書」を提出して帰宅しました。

2日後に、4枚の写真がメールで届きました。その1枚が上記の写真です。

他の3枚には、「浄国寺のイチョウ」と思える樹木が、はっきりと映っています。

最初の1枚は、このブログでも紹介した猫屋町にあった光道学校から東南東方向に撮影したものです。

Kbma005

ハーバート・F・オースチンJr撮影、ブレッド・M・オースチン寄贈、広島平和記念資料館所蔵

左端に光道学校の一部が小さく映っていますので、焼け残った校舎の屋上から写したものと思えます。写真右端の真ん中ほどに見える大きな樹木が、浄国寺のイチョウの木です。

次の写真は、同じ光道学校からやや右より南東方向に撮影したものです。

Kbma006

ハーバート・F・オースチンJr撮影、ブレッド・M・オースチン寄贈、広島平和記念資料館所蔵

浄国寺のイチョウは、中央左側の大きな樹木です。光道学校から浄国寺までは、250mの距離ですから、はっきり見えています。

次の写真は、浄国寺付近から北方向に撮影したものです。「北方向」というのは、資料館からの情報です。きっと後ろに写る山の形で方向が、判断できると思います。

Kpc00758

マルコム・ルイス寄贈 広島平和記念資料館所蔵

写真ではイチョウの木の上部が切れていることからも、大きな樹木だったことが想像できます。このままでは見にくいのですが、写真を拡大してみるとイチョウの木の手前から左側に、墓石が並んでいる(倒壊したものもある)のがわかりますので、お寺の境内の一角にイチョウの木があったことが分かります。

浄国寺と広島駅までの距離は、約2.6キロもありますが、この3枚の写真を見ると、「この大イチョウは、遠く広島駅からも一目でそれと分かったといわれていたほどの大木だった」という言い伝えが、何となく納得できる気がします。

掲載した写真は、いずれも原爆資料館から提供されたものです。たくさん収蔵されている写真の中から見つけ出す作業をしていただいた原爆資料館のおかげで、また一つ疑問を解くことができました。

先日忙しい中お話を聞かせていただいた浄国寺さんに、プリントした写真を持参したところ「イチョウの木が映った写真は、初めて見ます」と大変喜んでいただきました。

いのちとうとし

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コメント

イチョウの木。その後、どうなったのですか。当時、生きていたのですか。焼失状態だったのですか。新芽が、出ましたか

匿名希望さま
コメントありがとうございます。
ブログにも書きましたが、今は、チョウの木を輪切りにし板状となったものが、本堂入り口の額となって残っています。
被爆後のイチョウの木の状態について、今浄国寺さんに問い合わせたのですが、住職が不在ということで、すぐには判明しませんでした。
改めて連絡することにしましたので、その結果を明日、コメントで書かせていただきます。

匿名希望さま
浄国寺のイチョウの木のその後がわかりました。
残念ですが、やはり翌年芽吹かなかったそうです。
その後、イチョウの木は切り倒され、一部は木材を求められていた人にお分けされ、残りの一部で、本堂の入り口に掲げられた額として残されてそうです。
先ほど浄国寺さんにお電話をし、教えていただきました。

どうもありがとうございました。

TMさん
24日の「「李実根会長追悼集」発刊記念会」の間違いの指摘ありがとうございます。
他からも指摘があり、修正しました。
大事なところでの間違い、今後気を付けます。

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