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2021年11月16日 (火)

天皇の憲法遵守義務 ――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その4――

天皇の憲法遵守義務

――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その4――

前回は、憲法99条の「憲法遵守義務」が、内閣・国会・裁判所等で仕事をする「公務員」と、天皇ならびに摂政(天皇と略)という対比で、天皇の義務は、公務員の義務とは独立していること、そしてその義務とは、「国民の総意」の表現である憲法を素直に読みその意味を考え、一人の生身の人間として憲法そのものを「体現する」存在になることだと解釈しました。「体現する」とは具体的にはどのようなことを表すのかについては、以下の論考が参考になるはずです。

天皇がその通りの行動を取っていることは、日常的に報道される天皇の言葉や、記者会見や園遊会等の場でのやり取りのような公的な場での発言から、明確に伝わってきます。しかしながら、「論理的」可能性として、天皇が憲法違反をしたときにはどのような結末が待っているのかを考えることも、「数学書として憲法を読む」上では避けて通れない「思考実験」です。

1024pxmishima_yukio_1970

三島由紀夫氏が自衛隊に呼び掛け

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mishima_Yukio_1970.jpg

ANP scans 8ANP 222), CC BY-SA 3.0 NL <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/nl/deed.en>, via Wikimedia Commons

たとえば天皇が、4条の1項に違反して、自衛隊を掌握して革命を起こすなどという、現実にはあり得ないことを、「思考実験」の前提にしましょう。(三島事件を参考にしました。)

このような憲法違反を天皇が起こしたとして、こうした憲法違反行為に対して憲法の中では、明示的にペナルティーを科す規定はありませんし、摂政を置くべき要件も満たしてはいません。従って、関連のある規定を基に論理的な推論によって考えることになります。

憲法で天皇の職務違反についての規定としての性格を持ち得るのは、存在そのものに言及している第1条だけです。2条は後継者の選び方ですので少しは関係がありますが、現職の天皇の職務違反とは直接関わりません。そして1条、2条以外の条項は、基本的には職務内容の説明です。となると、ペナルティーとしては、第1条に規定されている「象徴」としての地位を剥奪すること以外の可能性はありません。期限付きで地位の「執行停止」を科することや謹慎等も論理的可能性としては考えられますが、そのような規定は憲法の中にはありませんし、そもそも「憲法違反」はするかしないかの二者択一しかありません。そして、地位の剥奪という結果になるペナルティーを、何らかの理由で薄める理屈は憲法上見つかりません。

この点をもう少し丁寧に考えて見ましょう。仮に天皇が憲法違反を犯したとしましょう。仮定を基にした「思考実験」です。そんなことが起きたとすると、それは「象徴」という地位の存在価値を天皇自身が否定するということなのです。つまり、絶対的な存在である「国民の総意」が明示的に規定した「天皇」が、同じく「総意」が課している義務に違反するのですから、当然、その行為は憲法に付随している意味での「絶対性」を否定することになります。となると、その「絶対性」だけに依拠している「地位」も否定されることになります。

99条の憲法遵守義務が天皇に関しては「義務」である理由の一つがここにあります。「義務」違反をした場合には、天皇という地位を剥奪されるという結果になるからです。これを「罰則」と考えることは可能です。

これをまとめておくと、憲法99条で遵守義務を負わされている「天皇」そして「公務員」という二つのグループの内、仮に「公務員」が憲法違反を行った場合には、その「公務員」を罷免し、別の「公務員」を選定するメカニズムが備わっています。そのことで「原状回復」が可能になります。それは、憲法15条の規定で、「公務員」の選定と罷免の権限は国民が持っていることにも依拠していますし、その他の憲法の規定によって保障されています。

対して、「天皇」が憲法違反を犯した場合は、2条によって天皇の地位が世襲制であり、国民が天皇を選定したり罷免したりする権限を持っていませんので、同様の「原状回復」措置は取れませんが、ここまでの推論で見てきたように、論理だけを辿って行けば、それが国事行為の遂行違反ではない場合、天皇という地位の剥奪になり、同時に憲法が崩壊するという結果になってしまいます。

これを、憲法遵守義務の重さという点から解釈すると、「天皇」の憲法遵守義務は「公務員」のそれとは質的に違っていることになります。「天皇」に負わされている憲法遵守義務は、その地位を賭して守らなくてはならない重い義務なのです。「天皇」という地位は2条によって世襲制です。生前退位という可能性はあるものの、それは終身制に近い制度だと考えられます。その点も勘案すると、生身の人間の人生そのものにも等しい重みを持つ義務だということになります。

つまり、「日本国の象徴そして日本国民の統合の象徴」とは、生身の人間として憲法を守り抜く使命を持つ存在だということになるのではないでしょうか。「公務員」も含めて、このような使命を与えられている存在は、天皇以外には憲法には規定されていませんので、この意味を「abuse of language」によって、「象徴天皇」 = 「憲法の番人」という等式として表現したいと思います。

次回に取り上げる、天皇による「国民の総意」に近付く「不断の努力」をも視野に入れると、心情的には「天皇」 = 「憲法」と表現したい気持もありますが、そうすると、第三章と第四章で取り上げた「公共の福祉」との関連や、国民主権といった側面が反映されない表現になりますので、それでは「abuse of language」の範囲を超えることになってしまいそうです。

この点をさらに敷衍しておきましょう。ポツダム宣言を受諾するに当って当時のリーダーたちが護持したいと考えた「国体」とは通常天皇制のことだと考えられています。しかし、現在の天皇制とは、憲法の規定を通して、特に99条によって、「象徴」という存在を創り出した上で「国民の総意」が守ろうとしているものに他なりません。それは、憲法そのものです。となると、「国体」とは憲法そのものに他ならないと考えるのが一番自然なのではないでしょうか。

《違反を誰がどう認めるのか》

ここまで考えてきて、実は根本的な問題が残っていることにお気付きの方も多いと思います。それは、天皇の憲法違反行為を誰が認めるのか、そしてどのような根拠によってどのように違憲行為に対する措置を講ずるのかという点です。

部分的には答があります。一つには、上記の思考実験で仮定として取り上げた事件が内閣の助言や承認を得ているかどうかは内閣には分りますし、国政に対する「権能」に属する事柄か否かは、国政への影響が起きたかどうかを見ることで同様に分ります。

それが「国事行為」の範囲に入れば、内閣としては助言と承認をしなくてはならないのですから、天皇の言動について知ることは内閣の責任の一部だと考えられるからです。また同じ理由で、「国事行為」という範囲から逸脱していることの認定をする権限もあると考えられます。それは、「国事行為」の線引きの問題だからです。

その結果、天皇の行為が3条または4条違反だということが認定できたとしても、つまり、仮に天皇が内閣の意思を無視して、実質的に国政上の権能を手にした場合、それは当然、憲法遵守義務違反になりますし、既に確認したように天皇という地位は剥奪されなくてはならないのですが、それをどのような形で実現すべきなのかという規定は憲法内には存在しないのです。

憲法2条によって、世襲の範囲に認定される皇族が、「原状回復」のために新天皇になるという可能性があるのかもしれませんが、憲法や皇室典範の規定には該当する項目が見当たりません。

となると、天皇の義務違反についての対応は、「超憲法的」にならざるを得ません。

この点も、「数学書として読む」ことから生じる大きな矛盾ですが、どう解消すべきなのかは、機会を改めて論じられればと考えています。

今回も長くなってしまいました。次回に続きます。

 [21/11/16 イライザ]

 

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