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2021年11月17日 (水)

緑の伝言プロジェクト「被爆樹木めぐり」余話

これまで3回の「被爆樹木めぐり」で書けなかった堀口さんのお話を紹介します。

なぜユーカリの木が、軍事施設にあったのか

明治時代に、オーストラリアから1000本のユーカリの木が日本に贈られ、西日本を中心に配布され、その1本が、広島城の被爆ユーカリではないかと思われます。当時、ここには軍事施設があったので、ここに外来種であるユーカリが植えられることになったのは、力のある人がやったと想像されますが、そのことを記したものは残念ながら見つかっていないので、はっきりしたことは不明です。

ユーカリの木の二世づくりはできていない

ユーカリの種類は、1本の木に、丸い葉と細長い葉と両方あるという変わった性質を持っています。新しい葉丸く、古い葉は細長くなっています。

堀口さんは、これまで被爆ユーカリの2世を育てようと、種から、そして挿し木で何度か試されたようですが、残念ながらいずれも芽を吹くことはなかったそうです。その原因として考えられるのは、木の成分の一つであるキシログルカンが、被爆によって少なくなったことで繁殖能力が弱くなったことが考えられるとのことです。

また、キシログルカンは、30%くらい減少しており、そのためこのユーカリが、植物が重力に対し反対方向にまっすぐ伸びようとする重力姿勢を失い、枝がうねるように育ったのだろうと考えられるそうです。

被爆樹木は爆心地方向に傾いている

私が、初めて鶴見橋東詰めの被爆ヤナギを見に行った時、同行した先輩から「このヤナギが爆心地方向に曲がっているのは、原爆による強いゆりもどしの風によってだ」(この部分は、2007年に枯死)と教えられ、かなりの最近まで、そのことを信じてきました。

しかし、近年といっても2010年代に入って、筑波大学の鈴木雅和教授や堀口力樹木医などの調査研究によって、その原因が明らかになってきています。

これまでに紹介しましたが、一口に被爆樹木といっても、被爆時の幹がそのまま残っているもの、原爆によって地上部だけが焼失しその後ひこばえが芽吹き育ったもの、移植されたものがあります。鈴木先生たちが、2013年に発表された調査結果では、このうち被爆時の幹がそのまま残った木29本を選び調べた結果、79%に当たる23本が爆心地方向に傾いていました。原因は、「爆心地側の幹は、放射線や熱線を浴びたことなどで細胞が傷つき成長が鈍化し、影響の少なかった反対側の成長とのずれが累積し、徐々に曲がったと推測される」としています。その後、2015年からは3D映像による調査も進められています。

ただ、この調査は現象の外部的観察と計測にとどまっており、生物的・組織的原因解明は、まだ進んでいません。

ゆりもどし風のような一時的な原因であれば、重力姿勢を保とうとする樹木の性格から、ほとんどの場合もとに戻るようです。

新しくなった説明プレート

これまで何度か紹介しましたが、全ての被爆樹木には、被爆樹木であることを示すプレートが取り付けられています。

以前は、黄色いプレートでしたが、2005年に「緑の伝言プロジェクト」がスタートして以降、順次新しいプレートに取り換えられました。

広島城跡のマルバヤナギには、なぜだか理由は分かりませんが、両方のプレートが付いていました。多くの被爆樹木を訪ねていますが、黄色いプレートを見たのは初めての気がします。

20211107_113634 20211107_113655

見比べると新しいプレートは、情報量が多くなっていることがわかります。

ここで紹介したいのは、左上のマークです。デザイン化された樹木の中に原爆ドームが描かれています。何となくこのマークを見ていたのですが、原爆ドームの背景となっている樹木は、天満小学校のプラタナスの木だということを、今回初めて知りました。天満小学校のプラタナスについては、このブログでも何度か書きましたので、今回の被爆樹木めぐりでもぜひ書いておきたいと思います。

このプレートをデザインしたのは、博報堂です。

今回の被爆樹木めぐりでも、いくつか新しいことを知ることができました。そのことに感謝しながら、緑の伝言プロジェクト「被爆樹木めぐり」の報告は、これで終わりです。

いのちとうとし

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コメント

すでにご承知のことかもしれませんが、井伏鱒二の「鶏肋集」(昭和11)という自伝のなかに、鱒二の祖父が広島に遊学して故郷の村にユーカリの苗を持ち帰ったという話が出ています。鱒二はそれを80年前のことと書いているので、それが本当なら江戸時代のことです。もしかして広島には江戸時代からユーカリがあったのかも。

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