ヒロシマとベトナム(その29-2の1)
前号(10月5日)で、ベトナム系フランス人女性チャン・ティ・トー・ガーさんがモンサント社などを相手に枯葉剤裁判を闘っていることについて報告しました。今号はベトナム戦争帰還兵とその家族が起こした訴訟から考えて見たいと思います。
15年に及ぶベトナム戦争でアメリカは延べ650万人、1969年のピーク時には54万3,400人もの若者を戦場に送り、5万6千人余りの戦死者を出しました。米軍戦闘部隊は1973年1月の「パリ和平協定」(*1)に基づき3月末までに撤退しますが、南ベトナム政府軍を支援する軍事顧問がサイゴン陥落まで残ります。そして、1975年4月30日、南ベトナム民族解放戦線と北ベトナム軍によりサイゴンが解放されベトナム戦争が終結します。
(10年間にわたり反復的に2万回以上の枯葉剤散布が行われた)
初めてのベトナム帰還兵と家族による裁判
戦場で枯葉剤を浴びたアメリカ帰還兵に70年代後半から頭痛やめまい、胸焼けなどの症状だけでなく、肺癌、前立腺癌、心臓疾患な健康障害が現れ、奇形や出産異常が頻発します。そうした中、1978年に参戦兵士と家族によるダウ・ケミカル、モンサントなどの枯葉剤製造会社を相手に初めての集団訴訟が起こされます。
6年続いた訴訟は1984年に突如、原告代表・弁護団から被告側が「被害者と家族に総額1億8,000万㌦を支払う」という和解合意が発表され、始まろうとしていた審理が閉じられてしまいます。枯葉剤被害に苦しむ帰還兵と家族は、枯葉剤被害が公にされることなく裁判が封じられたことに怒り、全国5都市で抗議の公聴会を開き、「合意無効」を訴えて訴訟を起こしました。しかし、連邦抗訴法院は「合意に至った過程は正当で公正だった」として原告側の要求を受け入れませんでした。
その後1989年にも集団訴訟を起こしますが、ここでも却下されます。
2004年にはベトナムの枯葉剤被害者が、同じくダウ・ケミカル、モンサントなどの製薬会社を相手に集団訴訟を起こしますが、2005年の一審で棄却、2007年の控訴審も棄却、2009年には大法院でも却下されました。これは、外国人がアメリカの裁判所に提訴できるのは、国際法や国際条約への違反や不法行為があった場合に限られているためです。前号で紹介したフランス在住のチャン・ティ・トー・ガーさんが、フランス・エブリー市の刑事法院に訴訟を起こしたのもこうしたことに因ります。
カネで封じ込めた事実
帰還兵と家族の訴訟に対しダウ・ケミカル、モンサントなど被告である製薬会社側は、製造責任どころか枯葉剤被害も認めないまま、障害の程度に応じ、1万2,000㌦~1万3,700㌦(当時300~342万円)を支払い、枯葉剤被害と製造者責任を封じました。それは、どういうことでしょうか。
下の表を見てください。アメリカのベトナム戦争参戦兵士の妻を対象とした調査結果です。枯葉剤を浴びた帰還兵A群(786人)と浴びなかったB群(418人)の比較です。先天性奇形では枯葉剤を浴びたA群が浴びなかったB群の実に15倍です。この表から、枯葉剤を直接浴びた兵士の子どもたちも、明らかに影響を受けていることが分かります。これは、枯葉剤、すなわちダイオキシンが精子に影響を与えているためです。
先天異常 |
A群(被曝) |
B群(無被曝) |
A/B |
先天性奇形 |
3.14% |
0.21% |
15.0倍 |
流産 |
14.42% |
9.04% |
1.6倍 |
早産 |
2.01% |
0.61% |
3.3倍 |
不妊 |
2.80% |
1.20% |
2.3倍 |
出典:滝沢行雄「トキシコロジーフォーラム」(1987.10)
(*1)1973年1月27日、パリでベトナム民主共和国(北ベトナム)、ベトナム共和国(南ベトナム)、南ベトナム共和国臨時革命政府、アメリカ合衆国の間で調印されたベトナム戦争終結を約した協定。正式名称はベトナムにおける戦争終結と平和回復に関する協定。
(2021年11月5日 あかたつ)
【編集者】届いた原稿が少し長めでしたので、あかたつさんの了解を得て、2回に分けて掲載することにしました。つづきは、7日に掲載します。
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