天皇の憲法遵守義務 ――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その3――
天皇の憲法遵守義務
――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その3――
まず、今回の選挙についてはまだまだ言いたいことがたくさん残っています。しかも、「いのちとうとし」さんが書かれているように、今回の選挙結果は様々な要素が絡み合っていますので、一言で何が起きたのかを言い表すのは不可能です。それでも何が起きているのかを知らなければ、これから何をすべきかについて考えることもできませんので、正確なデータをお持ちの方が鋭い分析をして下さることを期待しています。例えば、誰がどのような理由で誰に投票したのかが、大局的に分るようなデータが欲しいのですが、マスコミの関係者そして専門の学者の皆さんなら手に入るはずです。
今回の選挙の特徴ではありませんが、政治そのものが劣化してきていることには、ほとんどの皆さんが気付いているだけではなく危機感を持っている、あるいは憤っていると言って良いような気がします。その理由の一つは、社会全体を把握する際に私たちの使う物差しが、いつの間にか曲がってしまっていて、そのことに気付かない人がどんどん増えているからなのではないかと思っています。別の言い方をすると、例えば善と悪との境界線とか、人間としてしてはいけないことと良いことの境界線、その他、様々な種類の境界線がぼやけてしまっているのではないでしょうか。にもかかわらず、それに気付かない人が増えていると言っても良いのかもしれません。
《『数学書として憲法を読む』》
この点については、またの機会に続けることにして、今回は、一年ぶりの対面講演の内容とそれを整理したものについて、第2回目です。
前回のこのブログでは、「国民の総意」が「数学書として憲法を読む」という立場からは、憲法内では「実体」のあることを説明しました。しかし、「(国民の一人ひとりの意見を聞いた結果としての)全ての国民の一致した意思」という意味では、「国民の総意」は存在しません。するかも知れませんが、どのようなテーマであろうとも、全ての国民が同じ意見を持つことなど考えられないからです。
しかしながら、抽象的かつ現実世界では実体のない「国民の総意」によって定義され存在している天皇は、現実の世界に生きている一人の人間です。その天皇が、「日本国民」であることは、前回「証明」しました。その天皇が公的にどのような義務を負い、どのような権利を享受できるのかについても憲法が規定しています。つまり、抽象的概念である「国民の総意」が現実世界に大きな影響を与えているのです。その関係をどう捉えるべきなのかを考える、というのが、講演の一つの目玉になったのです。
《天皇の権限と義務》
ここで、この点についての憲法の規定をお浚いしておきましょう。どの条文でどの様なことが規定されているのかのリストです。
- 3条--国事には、内閣の助言と承認が必要で、内閣が責任を負う。
- 4条--国政に関する権能は持たない。
- 6条--最高裁長官と総理大臣を任命する。
- 7条--10項目の国事行為のリスト
- 8条--皇室の財産管理は国会決議が必要。
- 99条--唯一「明示的」に与えられているのは、「憲法遵守義務」
この中で注目したいのは、例えば10項目の国事行為は、明示的には「義務」だとは書いてはいないのですが、職務規定ですので、普通の意味では「義務」だということになります。そんな中で、唯一、「明示的」に「義務」であると指定されている「憲法遵守」義務が特別な存在であることは言を俟ちません。
《憲法遵守義務は「義務」ではない?》
にもかかわらず、憲法についての通説・定説・裁判所の確定判決では、「憲法遵守義務」は「義務」ではないのです。それは、99条の解釈についての確定した判決があるからです。それを見て頂きたいのですが、まずは99条をお浚いしておきましょう。
憲法99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ
1977年2月17日に水戸地方裁判所が百里基地訴訟の第一審で下した判決では99条について「憲法遵守・擁護義務を明示しているが、これは、道義的な要請であり」と法的義務ではないことを明確に示しています。
また、1981年7月7日には東京高等裁判所が控訴審の判決のなかで99条については「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」という解釈が示されています。その根拠として示されているのは次のような理屈です。「国家の公権力を行使する者が憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のものであつて」(高裁判決)
こんな理屈が通るなら、「憲法遵守義務」の代りに「納税の義務」、「国家の公権力を行使する者」の代りに「国民」を使えば、30条の「納税の義務」は倫理的な性格のものになり、私たちは税金を納める必要がなくなってしまいます。
「憲法遵守義務」が法的義務でなくてはならない理由として、以下の理由を挙げておけば十分でしょう
- ルールを決めておいて、最後にそれは「道徳的要請」だとか「宣明」だとか宣言して、法的義務ではないことにすれば、それはルール、今の場合は憲法の存在や意味そのものを否定である。
- 憲法の存在や意味そのものを否定
- 裁判官は、99条によって「憲法遵守義務」を課せられている。その裁判官が、「自分が課せられているのは、法的義務ではない」と判断するのは、被告が判決を書くことと同じではないか。
- 憲法中、天皇に対して明示的に「義務」を課している唯一の条文を無力にすることは、戦前への回帰につながる可能性があるから
- 「国民の総意」によって、天皇に対して唯一の「明示的義務」として課されている99条を、「総意」には満たない存在が変えることはできない。
- 憲法中に「義務」という言葉が使われている条項は4つある。その内の、二つ、教育を受けさせる義務(26条)と納税の義務(30条)は「義務」で、残りの二つ、勤労の義務(27条)と憲法遵守の義務(99条)が「義務」ではないのは、「義務」という同じ言葉を正反対の意味に使うことになり許されないはずであり、解釈が恣意的であることを意味する。
以上、「憲法遵守義務」は「法的義務」以外の解釈はあり得ません。長くなりましたので、続きは次回に。
[21/11/06 イライザ]
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