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2021年11月

2021年11月30日 (火)

2021.11月のブルーベリー農園その4

日がどんどん短くなるので農作業も半日が精いっぱい。東広島市豊栄町にあるブルーベリー園に安芸区から通うのだが、午後3時ころになるともう日差しが斜光(太陽の位置が、お昼に頭の上の垂直の位置とすると太陽の位置の角度が30度位にあるかと実感してしまう)になってブルーベリーの木の紅葉も一段と赤みを帯びてくる。冷気もやってきて、体を動かしながらの作業でないと、さぶい。農作業はブルーベリーの剪定と、枯れた木の植え替えを続けている。ところで自宅で育てている寒蘭が咲く時期だが、今年は花芽は出たのに2鉢とも夏場にしおれてしまったので…見れず。

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1123日(火)

早生のブルーベリーはもう落葉していた。

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1127日(土)

一番上の畑で、枯れた早生のブルーベリーを抜いて、21日に続いて代わりの木を植えた。

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その畑は道路がそばにある。その場所から風が強いので、道を挟んだ向こうの休耕田の畔のススキが強い風に吹かれて揺れる様が見える。作業服も防寒で一枚多く着て作業した。

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真っ赤なブルーベリーの木に囲まれて剪定が進む。上の方の剪定は短い脚立も使う。

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1128日(日)

防鳥ネットを張る場所を縮小したので不要になった単管の柱を4か所撤去することにした。

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元は田んぼなので左右前後に揺さぶってやわやわになったところで力任せに引っこ抜いた。ちょっと広々とした。晩生のブルーベリーも枯れた場所に12本植え替えた。1000本も育っているのに、空いた畑に懲りずに植えてしまう。これでこの畑の植え替えも終了。

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3段ある畑のブルーベリーの紅葉も赤みを増した。ほとんど風もなく暖かい。

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晩生のブルーベリーの葉がどんどん落ちてきている。

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帰り道。近くの畑も全部が全部作っているわけでなく、雑草の茂みもあって、立ち枯れたままで風にさらされるところがある。黄色い花はセイタカアワダチソウで秋に切った後でしぶとくまた伸びて花を咲かせている。

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荒起こしもすんで冬を迎えるだけの田んぼ。

20211130

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年11月29日 (月)

広島市「職員の服務に関する宣誓書」-その3

今回は、広島市の「職員の服務の宣誓に関する条例」を調べていて疑問に感じたことです。

疑問に感じたのは、同条例の第2条の(職員の服務の宣誓)の条文です。2条は次のようになっています。

第2条 新たに職員となつた者は、任命権者(人事委員会の委員の場合にあつては、市長とする。以下同じ。)又は任命権者の定める上級の公務員の面前において、任命権者が定める様式の宣誓書に署名してからでなければ、その職務を行つてはならない。」

この条例のどこに疑問を感じたかです。文字を強調した「任命権者が定める様式の宣誓書」の部分です。特に疑問を持つような文言ではないように感じられますが、「任命権者が定めた様式」が、この条例のどこにも例示されていないのです。

しかし、私が調べた他の自治体の「職員の服務の宣誓に関する条例」では、例えば福山市の条例では、「第2条 新たに職員となった者は、別記様式によるそれぞれの宣誓書を任命権者に提出してからでなければ、その職務を行ってはならない。」と、宣誓書の様式が別記として条例に明示されています。

政令都市の中で、広島市と同じように条文に「任命権者が定める様式」とし、様式が別記に明示されていない市が二つありました。しかし、仙台市は「規則」で、神戸市は「規定」で、きちんと様式を定め、明示していますので、ネット上の「例規集」から検索することができ、だれでも見ることができます。

しかし、広島市だけは、条例以外に「職員の服務の宣誓に関する」規則や規定がありませんから、その1で書いたように、市民が「宣誓書」の内容を知ることはできません。

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広島市の条例では、様式が例示されておらず「任命権者が定める様式」ということのみが決められていますので、任命権者(広島市では市長ということになる)が、その内容を自由に変更することが、可能になっているのです。

疑問を感じた私が、広島市に対し「任命権者が宣誓書の様式を自由に変更できることについて、どのように考えているか」と問い合わせたところ、以下のような陳腐な回答が返ってきました。

「お問い合わせの件について、職員の服務の宣誓に関する条例の規定上、問題はないものと考えています。

 なお、この条例は昭和54年に広島市議会の議決を経て施行されたものです。」

確かに、条例上に様式が定められていないのですから規定上は、問題がないかもしれません。しかし、何の手続きもないまま市長の一存で、宣誓書の内容を変えることができるという条例事態に問題があるという認識が全くないのですから、あきれるばかりです。

この回答では「昭和54年に広島市議会の議決を経て条例が施行された」とありますが、広島市の「職員の服務の宣誓に関する条例」が、最初に施行されたのは、昭和26年(1951年)3月30日です。広島市の回答にある「昭和54年(1979年)に施行」というのは、同年9月に条例の一部が改正された年のことです。この年どんな改正が行われたのかはわかりません。しかし、「宣誓書」の様式が改正されたのではないことは、9月の市議会総務委員会での広島市の答弁を聞けば、はっきりしています。繰り返すようですが、広島市は「本市独自のものとして昭和58年宣誓書を改めた」と説明しているのですから、宣誓書の内容が「昭和58年」に替えられたのは間違いないようですが、条例の中に「昭和58年」という記載は一切ありませんから、そのことを確認するすべはありません。

こうした経緯と「任命権者(ここでは資料)が定めた様式」としか定められていない条文を考えると「任命権者によって自由に変更できる」という私の疑問が起きるのは、当然のことです。

広島市の回答を受け、「①昭和54年の改正内容、②昭和58年の宣誓書の改正はどんな手続きをしたのか、市長の裁量のみで変更したのか③条例などに法的な形で『宣誓書の様式』が明示されていないことをどう考えるのか」など4点の再質問をしました。

さて、どんな回答が返ってくるのやら。

回答があれば、又紹介したいと思いますが、それにしても市民の指摘に真剣に向き会おうとしない広島市の市政にはあきれるばかりです。

いのちとうとし

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2021年11月28日 (日)

広島市「職員の服務に関する宣誓書」-その2

狩前回(19日)のつづきです。今回は広島市の答弁を検証します。

広島市は、宣誓書の内容を変更した時期と理由について、

「被爆の廃墟から復興し、昭和55年1980年に政令指定都市へと発展を遂げたことを機に、熟慮ののち昭和58年1983年に改め、以降40年近くわたり用いており、良い宣誓書との評論もあるところです。」(録音から筆者が起こしたので、完全ではありません)

この説明だけでは、廃墟から復興したこと、政令都市となったことが改正の契機となったことは分かりますが、新しい宣誓書では「なぜ日本国憲法に直接触れる文言を削除したのか」を理解することはできませんので、もう少し広島市の答弁を聞いてみたいと思います。

「宣誓書にある『国際平和文化都市』は、唯一本市だけが掲げるものであり、憲法や地方自治法の理念が流れ込んでいるものと考えています。」とし、上記の経緯を説明し「だから、宣誓書の内容を変更することは考えていません。」としています。

さらに委員の質問に対し、「99条は、職員になった時必然的に、憲法を擁護することになっておりまして、職員はその意識を持っていると考えている」「「そもそもですが、宣誓書に宣誓いただく前に、採用された職員には事前に『採用に当たって』の資料を配布している。その資料には当然、公務員の基本理念という『憲法を尊重する』旨記載しているので、事前の周知を図っている。」とし、さらに「『国際平和文化都市』まちづくりの最高目標を都市像として掲げている。そこには当然憲法の理念というものが込められているものと考えています。」「だから当然、職員はもちろん市民もその意識を持っているというのです。」との答弁。

さらに委員から「他都市や裁判所職員までもが、わざわざ憲法という言葉を持ち出して、服務の宣誓の中に書き込んでいるということをきちんと考えなければならない」と質しても、同じ答弁が繰り返され「本市として内容を変更することはない」とし、質疑は打ち切られました。

この請願は、「継続審査」扱いとなりましたが、今後、実質的な継続審査が行われることはないようです。

この広島市の説明を何度聞いても、「なぜ日本国憲法の尊重擁護」の文言が削除されたのか、理解することはできません。

広島市がいうように「国際平和文化都市」の構想の中に憲法の理念が盛り込まれているとしても、99条の「公務員の憲法尊重擁護の義務」も含まれていると解釈するのは、無理があります。

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他自治体で、広島市のように「日本憲法の尊重擁護」が明記されていない「「職員の服務に関する宣誓書」があるのか、調べてみました。

県内で調べたのは広島県と広島市を除く13市だけですが、全自治体で、若干の表現の違いはあるものの「私は、ここに主権が国民の存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、これを擁護することを厳かに誓います。」と憲法を尊重擁護することが明記されています。

広島市が「政令市になったのを機に」としていますので、全国19の政令都市(広島市を除く)の「職員の服務に関する宣誓書」も調べましたが、広島市のように「憲法尊重擁護」を宣誓しない自治体はありません。

国家公務員は、「職員の服務の宣誓に関する政令」に定められた「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。」を宣誓することになっています。

全自治体を調べたわけではありませんが、広島市の「職員の服務に関する宣誓書」がいかに異質なものかがわかると思います。

前回も紹介しましたが、公務員はこの宣誓をしなければ、服務につくことができないほど重要なものです。それは、公務員が、全体の奉仕者(憲法第15条)として行う服務が、常に憲法が保障する人権を侵害する恐れがあることから、人権保障を定める憲法を守るということ、さらに99条に定められた「憲法尊重擁護義務を負う」ことを宣誓するという重要な意義を持っているからです。

広島市がどうしても「宣誓書」の中に「国際平和文化都市」の文言を入れたいのであれば、改正前の宣誓書

「私は、ここに主権が国民の存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、これを擁護することを厳かに誓います。

 私は、地方自治体の本旨を体するとともに公務を民主的かつ効率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として、誠実かつ公正に服務することを固く誓います。

の後半下線部分のみを変えればよかったことです。

「職員の服務に関する宣誓」の最も重要な「憲法尊重擁護」の文言を削除した広島市の「宣誓書」は、憲法に違反したものだといわざるを得ません。

これを調べていて、広島市の「職員の服務の宣誓に関する条例」にもう一つの疑問が出てきました。これは次回(明日)紹介します。

いのちとうとし

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2021年11月27日 (土)

「衆院選大敗」に中学校教員として思うこと

「自民党大勝」……10月末の衆院選の結果は予想外のものとなってしまった。

緊急事態宣言下、多くの国民の反対を押し切ってのオリ・パラの強行開催。開催を機に新型コロナウイルスの感染爆発を招き、入院できず死亡する自宅療養者が相次ぐ医療崩壊を招いた。内閣支持率は菅内閣発足後最低の数字に落ち込み、8月末に行われた横浜市長選では、菅前首相が全面支持した候補が落選し、立憲民主党が推薦した候補が大勝。9月初め、このまま衆院選を迎えれば、与党・自民党の大敗は確実視されていた。

ところが、その後の自民党総裁選一色の報道により風が変わったのか、衆院選後間もなくの新聞報道等には、「自民党単独で過半数の議席確保の見込み」との文字が躍った。「ウソだろ~。新型コロナウイルス感染拡大で苦しんだこの1年半や、安倍・菅政権の9年間に政府・自民党がやってきたことをみんな忘れたのか」、そう思わずにはおれなかった。

結局、自民党が議席を減らしたとはいえ絶対安定多数を維持し、さらに、改憲に前向きな日本維新の会等を含めれば改憲勢力の2/3を上回る議席を確保した。「モリ・カケ・桜」等の問題に見られる政治の私物化や、政治の信用を失墜させるウソ・隠蔽・改ざん等のオンパレードに「政治とカネ」の問題、憲法を無視して臨時国会を開催していないこと、コロナ対策における失政の数々等、自公政権にNOを突きつける材料は枚挙にいとまがない。「国民はすぐに忘れる」……いつか自民党議員が言ったこの言葉を思い出した。

さらに、ショッキングだったのは、「無党派層で自民党に投票した有権者が一番多かった年代は20代・30代」との報道だ。愕然とした。コロナ禍で、多くの人々が日々の生活と政治が密接に繋がっていると実感したはずなのに、なぜそんなことになるのか。

ふと、自分の若かりし頃を思い返してみた。その報道はまんざら他人事ではないと感じた。というのも、私は職に就くまで社会のあり様や矛盾に疑問を持つことなく、「『偉い人』たちは自分たち(国民)を守ってくれている」的に「平和」に生きていた。批判的に社会を見るとか、実相に迫るとかまったく思ってもみなかった。その報道内容について自分自身の被教育体験や生育歴を下敷きに考えた時、学校教育のありようが大いに関わっているのではないかと思えてならない。

本来、学校は、市民社会の中で様々な人たちと共に生き、憲法の理念を実現するために、平和や人権を尊重する、一人ひとりが大切にされる社会を築く力を身につけていくための場だが、現実にはそうはなり得てはいない。多くの学校では、権利を教えずに義務を教える。また、個より集団を重んじる学校文化を基盤に、子ども一人ひとりの実態や思いを考慮することよりも、事細かにルールや約束事が決められ(校則のみならず無言掃除に無言給食、授業中の座る姿勢や挙手の際の手の挙げ方、個人用ロッカーの整理の仕方等)、いろいろな場面で「同調圧力」によってその「枠」に入ることが強要されている。部活動においても、「縦社会」の中で自分の思いを封印することを学ぶ。本来であれば、自分たちで決める民主主義の実践の場である児童会・生徒会活動も、教職員集団の「下請け」機関との感は否めない。その日々の積み重ねの結果、子どもたちは目の前の現実に疑問を持つどころか、ルールに従うことを良しとし、「思考停止」状態の中で何も言おうとしなくなる。

多くの若者がこのような学校生活を経て有権者になるのだから、体制に疑問を持つはずもなく、現状を「従順に」容認する結果、「自民党支持」を選んだとしても何ら不思議ではないのかもしれない。

まずは、教育現場に民主主義をとり戻すことから始めよう。主権者である国民が、権力者に全てを委ね、何も考えなくなってしまったら国民主権は成り立たなくなり、民主主義は実現しない。学校教育の責務は、賢明な主権者を育てることであるので、学校教育の場に、教職員や子どもたちが自分で考え、判断し、行動できる土壌をつくり直していくことが全ての出発点のように思う。また、そのことと併せて、民主主義のしくみはもちろん、主権者として判断し権利を行使することを見据え、人権教育や平和教育を通して現実の社会の問題について子どもたちと考えを深める機会をつくっていく必要がある。

「選挙に行っても何も変わらない」との若者の声を聞くたびに、教員として責任を痛感する。「憲法を守るのは権力側。権力側がきちんと憲法を守っているかをチェックし、守られていな時は『退場』してもらう。そして、憲法を守る政権を選ぶのが選挙の目的である。国民が権力側によってコントロールされるのではなく、選挙等の機会を通じて、国民が権力側をコントロールしていかなければならない。自分の頭で考える主権者の育成は学校の責務である」……10月に参加した楾大樹さん(弁護士)の憲法学習会でそう学んだ。

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≪楾大樹さん著書の挿絵より≫

ライオンは「国家権力」を、檻は「憲法」を表している。ライオンを檻の中に入れて、いつも監視しなければならない。

 

広教組憲法学習会「檻の中のライオン 檻を壊すライオン」2021.10.23

https://youtu.be/zJ0MWMpU8F8

学校教育の場において、このことが確実に子どもたちに理解されていけば、選挙をめぐる風景も変わっていくのだろう。また、そのことが憲法第12条で謳われている「憲法が国民に保障する自由及び権利は、不断の努力によって保持しなければならない」 につながっていくことにもなるはずだ。

政治の主人公は政治家ではなく、主権者である私たちなのだ。「自分で考え選択し、今や未来を自分自身で変えていくことができる」……子どもがそう希望を持てるよう、学校教育でできることにとりくんでいこう。今しっかり小さな種をまくことが、やがて真の民主主義の大きな花を咲かせることにつながると信じて。

<未来のそら>

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2021年11月26日 (金)

ブレーキとアクセルの踏み間違いが多い車はどれなのか? ――免許の返納だけでなく、信頼できる情報を公開して欲しい――

ブレーキとアクセルの踏み間違いが多い車はどれなのか?

――免許の返納だけでなく、信頼できる情報を公開して欲しい――

本ブログで、シリーズとして池袋の暴走事件を取り上げました。その中でも指摘しましたし、その後のニュースでも報じられていますが、ブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故がかなりあることは良く知られています。そして、これは偏見かも知れないのですが、その中でトヨタ車、特にプリウスが目立って多いような気がしています。

それが本当なら、私だけではなく多くの人が同じような感想を持っているのかもしれないと思い、YouTubeで検索してみました。たくさん見付かったのですが、その内の幾つかを見てみましょう。

一つ目は、「プリウスが交通事故を起こしやすい5つの理由」というエントリーです。その5つ目には、ブレーキとアクセルのレイアウトに問題があるという指摘がなされています。私はプリウスを所有したことはありませんが、何度か運転をしたことがあり、5項目の指摘には納得できました。

二つ目は、BMWのオーナーが、BMWのブレーキとアクセルのレイアウトと形とを比較してプリウスには問題があるのではないかと語っているものです。その中でのコメントで気になったのは、「クラウンハイブリッドやレクサスハイブリッドなどで急発進事故をあまり聞かないのは、明らかにアクセルペダルとブレーキペダルはプリウスの形式とは違ってます。」という点です。

三つめは「高齢者はプリウスは止めておけ」という結論を、プリウスの運転の特異性から導いているサイトです。ここでの指摘は、高齢者に限らず運転がし難いということですので、要注意です。

あるサイトによると、ブレーキとアクセルの踏み違いによる事故は年間5000件から6000件あるとのことですし、結果として死亡事故になった件数も多いようです。

そのデータが公表されているのなら、車種別に、どの車に乗っていてブレーキとアクセルの踏み違いが起きたのかの数字も公表して欲しいです。それが客観的かつ、意味のある整理をしてある数字なら、これから車を買ったり乗ったりするときに、その車を避けるという選択ができます。そのことで、一件でも死亡事故が減るのなら、公表する意味はあると思うのですが如何でしょうか。

 [21/11/26 イライザ]

 

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2021年11月25日 (木)

災害と公衆電話

災害が発生した時に重要な通信手段となる公衆電話、知っている人は多いと思いますが、普通の電話や携帯電話が使えなくなった時、優先的に接続できる手段として重要な物なのです。だから決められた範囲(たぶん500メートル)に1台は設置しなければならないとされています。

 先日、NTTの工事業者から「佐伯区役所前」電停横の公衆電話を撤去したいという連絡がありました。私に直接あったのではなく、その公衆電話近くに住んでいる方からの連絡で分かったのです。撤去したい理由は、この公衆電話の利用が少なく採算が取れないからということです。携帯電話の普及で、公衆電話の使用が少ないというのはよーく分かります。僕自身も公衆電話を利用するのは1年に1~2回でしょうか。使う理由?、それは相手側にこちらの電話番号を知らせたくない時、さりとて「非通知」にするというのも変だし、「公衆電話」と表示される方が良心的かなと思う気持ちからです。

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 今年も大雨による災害が発生しました。被災地の方が語るのは「こんなことは初めてだ!」という言葉です。7月1日~3日にかけて熱海市伊豆山地区での大雨による土砂災害、総雨量が400ミリを超えたということでした。こういう災害が日本だけでなく、世界中で発生していることがとても心配です。

 私の住んでいる広島市佐伯区内でも、1999年6月に大雨が降り死亡者も出るという大きな被害が発生しました。先日町内会の会合で、この時の記録の約1時間の映像を観る機会がありました。大雨はただ単に降った量だけでなく、その地域の地形やどういう降り方をしたかなどによって、被害の状況も変わるとのことですが、熱海市の時の雨量よりも佐伯区の方が相当に少なかったとのことでした。でも私も記憶に残っているような被害でした。

 私の住んでいるところには八幡川というのが流れていますが、その上流に魚切(うおきり)ダムというのがあります。町内会の会合である人が「魚切ダムに熱海市のような雨が降ったら、八幡川が氾濫してここら辺りは水浸しになる」と話しておられました。

 広島市内中心に通勤通学する人の多い住宅街ですが、リアルに大雨被害を考えることはありません。

木原省治

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2021年11月24日 (水)

「李実根会長追悼集」発刊記念会

19日の午後6時半から、広島留学生会館で「李実根会長追悼集」出版記念会が開催されました。

1975年8月2日の結成以来広島県朝鮮人被爆者協議会の会長を務め、昨年3月25日、享年90歳で永眠された李実根さん偲ぶため、朝鮮人被爆者協議会によって「追悼集」の発刊作業が進められてきました。その「追悼集」が、李さん夫婦の結婚70周年の節目の日である「11月18日」に発刊されました。ですから出版記念会も「18日に」ということで準備されましたが、会場の都合で19日の開催となりました。

人が集い楽しく語り合うことが好きだった李実根さんの「追悼集」出版記念会でしたが、コロナ過ということもあり、参加者も50人に限定せざるを得ませんでした。当日の来賓あいさつも秋葉忠利前広島市長、宗教者吉川徹忍さんの二人のみでした。来賓のあいさつの前に、この会のために大小田沙和子さんが作成したDVDの上映があり、元気だった李さんの姿を偲ぶことができました。

発刊された「李実根会長追悼集」の内容を少しだけ紹介します。

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巻頭には、李さんが原爆ドーム前に立つ写真とともに李さんの著書「PRIDE 共生への道~私とヒロシマ~」の一部が掲載されています。

「活動家は自分がいかなる環境にあっても毅然とした態度を取り続けることが肝心なのだ。どんな逆境にあっても動じることなく、その境遇を逆手にとって、自分に有利に働くように創意性を発揮した自らの待遇を変革させる運動を常に起こしていく主体性を持たねばならない。政治活動をする者にとっては、‟闘う姿勢“こそが生命線であり、それこそが自己やその集団を守る武器であるということが、その時に得た教訓であったのだ。」

短い文章ですが、私たちへの教訓となる一文です。

「発刊によせて」は、朝鮮総連広島県本部の呂世珍委員長、そして李実根さんの長男李英一さんの「根のある木には実りあれ」と題したお父さんへの思い溢れる文章が続きます。

「父がわが家に残したものは、3冊の本(「PRIDE」「白いチョゴリの被爆者」「アンニョンハシムニカ 李さん」)と、『価値ある生き方』という言葉です。」「「李実根―根ある木には実りありと付けられた父の名前。その根を枯らさぬように、代を継ぎ、遺志を守っていく覚悟であります。」

追悼集の中心は、生前李実根さんと様々な立場で関わってきた14人から寄せられた「在りし日の偲ぶ追悼文」です。5000回にも及んだといわれる被爆証言、講演のこと、旧高野町高暮ダムへの「朝鮮人強制労働犠牲者追悼碑」の建設、在朝被爆者問題、人間的な交わりなどなど、多様な内容となっていますので、様々な場で活躍された李さんの往時の姿を思い起こすことができます。私も「在朝被爆者と李実根さん」のタイトルで寄稿させていただきました。追悼文の後には、「広島から世界へ」「広島・日本と祖国をつなぐ」「家族の支えと共に」のタイトルごとに分類された写真の数々、「李実根会長の歩み」をたどる年表も付けられています。多くの人にぜひ一度手にしてほしいと思います。

この追悼集は、400部発行されましたが、うち200部を希望者に有料(1000円)で配布され、その売上金は、李さんの子どもたち孫たちが通った朝鮮学園に寄附されることになっています。

この出版記念会は、広島県朝鮮人被爆者協議会の総会も兼ねていましたので、李実根さんの跡を受ける新会長には、これまで理事長として李さんを支えてこられた金鎮湖さんが就任されることが決まりました。

いのちとうとし

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2021年11月23日 (火)

2021.11月のブルーベリー農園その3

晩秋の農園の里山の木立でヒヨドリの鳴き声がするし、遠くでキジも時折ケーンと鳴いている。耳から入る情報から夏の間いなくなったヒヨドリはどこかから帰ってきたようだし、キジは相変わらずこの地で健やかに暮らしているらしいことが分かる。目に入る農園の景色は落葉樹が紅葉と、落葉が並行して進む。ごそごそ動く農作業はブルーベリーの剪定、ピートモスなどの土の補充、枯れた木の植え替えなどを無言で続ける。この時期の作業はやはり気持ちがいい。県内の2号線で一番整備の遅れている安芸区に帰る道路の混雑を除けば。

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1117日(水)

とにかくいい天気でいい青空といい雲といいブルーベリーの紅葉が作業をはかどらせてくれる。

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まだ小さいブルーベリーの木が数10本ある。植えてからあまり手を加えていないので、株もとに強い酸性の性質を持つピートモスや硫黄の粉をまく作業を行った。

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1120日(土)

この日も17日と同じような手入れを行ったが、株もとがぼこっとくぼみができているところにはモミがらも敷いて平たんになるようにした。夏の大雨でくぼんだのだと思われる。

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作業中に見つけたスミレの花。晩秋だというのにまだ咲いている。ちょっと必死さを感じる。

 

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1121日(日)草を刈ったはしからヨメナも花を咲かせる。こっちは咲く季節なので切っても、切っても咲くたくましさを見せつけてくれる。

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3段あるブルーベリー畑の2段目のブルーベリーの軽い剪定を続ける。おもに夏に実をつけた枝をカットした。

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一番上のブルーベリー畑の一部は10年くらい前に拡張した場所となっている。ここにはブルーベリーを上ていろいろ試してもなかなか根付かず、大きくならなくて枯れて枯れての連続となっている。

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それでも何本かは育っているので、枯れたところに懲りずにまた小さい苗木を植える。

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里山のブルーベリー園の周辺の雑木の中のモミジ

①、黄色

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②、 赤

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年11月22日 (月)

11月の「19日行動」―三原、府中

10月の「19日行動」は、衆議院選挙の実施を受け中断を余儀なくされましたが、三原、府中から「再開した報告」が届きました。

府中地区―いつものように小川敏男さんが、写真と共に石岡真由海さんのフェイスブックの情報を届けてくださいました。

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今日はまちかどツアーの日。上下Aコープ前8人、府中天満屋前10人でスタンディング。

スピーチは、安保法制の違憲性、衆議院選挙での野党共闘の成果、府中市の財政、

現政権の環境や人権政策への怠慢、政府の民主主義無視と科学的検証の不在が地方にまで

蔓延していることなど、多くのことが代わる代わる語られた。

車窓から手を振ってくれる方、Vサインを送ってくれる方などにとても励まされる。

政治も教育もまちづくりも「即席」は無い。粘り強く歩き続ける。

 

三原地区―今回も藤本講治さんから、写真と原稿が届きました。

11月20日(土),13時30分から三原駅前に18人が参加して街宣活動を行いました。参加者は,10月末に行われた総選挙で改憲を推し進める勢力が「3分の2」を占めたことを受けて,危機感をもって街頭に立ちました。

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6人の弁士から,「今,戦争が起きたらいったいどのような社会になるのか。私たちは歴史にしっかり学び,過ちなき選択をしなければならない。日本国憲法の精神を理解し実践し生活を高め合っていく。これが私たちの憲法を守る基本的な考え方である」。

「安倍政権時に集団的自衛権行使の容認など戦争法が強行成立。しかし,私たち国民の運動によって憲法9条(戦争しない・武器を持たない)を変えさせなかった。岸田政権の下で自衛隊を国防軍にしたいという考えは変わっていない。先に亡くなられた被爆者坪井直さんの言葉『ネバーギブアップ』。私たちも諦めないで粘り強く戦争をさせない運動を行っていく」。

「先の通常国会で国民投票法が改正されたことに加えて,国民の憲法に対する課題の気薄さがある中での選挙結果である。今後,加速されるであろう憲法審査会の動向に注視しなければならない。平和憲法なくして,私たちが豊かに安心して暮らせる社会はこない。憲法を暮らしに活かす政治を求めて,地道な行動を積み上げていきましょう」など総選挙の結果を受け,ホットな政治状況や考え方,私たちが何をしなければならないのか声高に訴え,街頭行動を終了しました。

【編集後記】

選挙は、総がかり行動の思いが伝わる結果とはなりませんでしたが、「憲法改悪」を許さない次の闘いに向けて府中、三原地区では、決意新たに「19日行動」が再開されました。勇気がもらえる報告です。「ネバーギブアップ」の精神での活動の継続が求められています。

いのちとうとし

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2021年11月21日 (日)

天皇の憲法遵守義務 ――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その5――

天皇の憲法遵守義務

――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その5――

前回は、仮に天皇が憲法違反を犯したと仮定しての「思考実験」をしました。天皇の憲法違反は「国民の総意」に反することは御理解頂けると思いますし、それは「国民の総意」の否定でもあります。となると、論理的結論として、「国民の総意」にのみ根拠のある天皇という地位を否定することにもなりますので、天皇位に止まることはできません。

つまり、憲法遵守という義務は天皇という存在そのものと一体不可分の関係にあります。しかし、仮に天皇が憲法違反を犯したとしても、それを誰がどのような手段で認定し天皇という地位を剥奪するのかという、現実社会での行動のレベルに移して考えると、「国民の総意」が存在しないのですから、実行することは不可能です。あるいは、「超憲法的な」議論を持ち出さないと話が進まなくなってしまいます。

また、ポジティブな面、つまり天皇が「公務員」とは独立した形で憲法遵守を行おうとしても、具体的な行動としてはかなり限られることも既に考察しました。

しかし、「国民の総意」を全く別の視点から見直すことで、新たな展望が見えてきます。

 《「総意」に近付く「不断の努力」》

憲法制定時に「国民の総意」に実体のあったことは、時の天皇の宣告が保証していますし、明示的には第1条において天皇の存在の根拠になっていること、そして計測不可能であるその絶対的な重みについてはこれまで注目してきました。本章では、天皇がその絶対性を否定する可能性を考察したのですが、具体的にそのようなことが起きる可能性は低く、天皇と「国民の総意」という関係を考えるのであれば、より現実的な状況に注目すべきなのではないかと思います。それは、これまでも度々強調してきたような天皇による憲法遵守の言動を「国民の総意」という視点から捉え直すことです。

仮に天皇ではなく、大統領のような地位であれば、その根拠になるのは「国民の総意」ではなく、「過半数の国民の意思」とでもいった表現になると思います。選挙で選ばれた大統領の場合、マスコミも注目し本人も常に念頭に置いているのは、当選した時の支持率と比較して現在はどのくらいの人が支持しているのか、そして次の選挙ではどのくらいの支持が得られるのかということです。

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リンカーン大統領

Public Domain

「国民の総意」の場合にはこのような数値化ができません。しかし、憲法制定時点には100パーセントの人が象徴としての天皇の存在を認めたという想定はできます。でも、現時点で仮に国民投票が行われたとしても、それと同じ割合で象徴天皇制が認められているとは考えられません。では、「国民の総意」という表現は今の時点で現実的な意味を全く持たないのでしょうか。一つの可能性として「国民の総意」を、象徴天皇制を支える「理想形」として設定すること、つまり究極の目標といったような位置付けをすることが考えられます。

そのような、重い目標を設定するのは押し付けがましいのですが、憲法についての天皇・皇后の言動から判断すると、このような「理想」に近付くために、つまり、より多くの国民に象徴天皇の存在意義を認めて貰えるよう、天皇が意図的に努力をしているのかもしれないとさえ考えられるからです。

仮にそのような憶測が少しでも現実を反映しているとして、天皇がこのような努力をすること、あるいはそれに呼応して国民の側からもその努力を助けることは憲法に依っても他の権威によっても排除はされていません。それどころか、憲法第12条では、自由と権利については「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と義務付けられています。このシリーズでも確認したように、天皇が国民としての自覚を持ち、12条の「不断の努力」を自らにも課していると考えることは可能です。それは、「総意」の近似値である国民の考え方や感じ方を重く受け止めて、「総意」に近付くための「不断の努力」を続けていることになるのではないでしょうか。

《天皇の「公務」とは》

マスコミが良く使う言葉の中で、分った気になってはいてもいざその内容を手短には言い表せないものの一つに「公務」があります。公務員の場合には問題がないのですが、天皇の場合には、国事行為がその中に入ります。でもその他の天皇の仕事の内、何が「公務」なのかについては、宮内庁ではそれなりの決りがあるのでしょうが、私なりに納得のできた解釈は、ここに掲げた「理想」に近付く努力です。それを「公務」だと考えると、憲法とのつながり、そして主権者との関係で、ストンと胸に落ち着いたような気がしています。

その結果として、測定可能な「総意」が存在するとまでは永遠に言明できなくても、このように真摯な天皇の努力を認めその意味を考えると、主権者たる国民はこうした天皇の姿勢を歓迎しなくてはならないことになるのではないでしょうか。

最後にもう一度強調しておきたいのは、国民一人一人と直接対話を重ね、一人一人の人生に一人の人間として謙虚にそして真摯に関わろうとする努力を続けている天皇・皇后の姿です。それを憲法に人間的な実質を与えるべく懸命な努力、つまり「不断の努力」を「国民」として続けているのだと受け止めてもあながち的外れではないと思えるのですが――。

最後に付言しておきたいのは、「不断の努力」を義務付けられ、期待されているのは国民と天皇に限られているのではない点です。99条で憲法遵守義務を課せられている、大臣・国会議員・裁判官その他の「公務員」も、「不断の努力」をしなくてはならないのです。

そして、天皇が「国民の総意」という現実の社会には存在しない、しかし理想としては意味のある目標に向かって努力するのと並行して、公務員は憲法15条に規定されている「全体の奉仕者」という、現実には存在しない、しかし理想としては意味のある目標に向かって努力するという規定は、車の両輪として、憲法の美しささえ表現している規定だと考えて良いのでしないでしょうか。

以上、「国民の総意」という憲法なのかでは実体があっても、現実社会には存在しない概念をどう捉えれば、憲法の理念を現実の社会で実現する上での具体的指標になるのかを見てきました。久し振りの対面形式の講演で、力が入り過ぎた感はありますが、私の伝えたい事柄は曲りなりにも伝わったのではないかと自負しています。

 [21/11/21 イライザ]

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2021年11月20日 (土)

ベトナムの歴史(その9)

11世紀、ようやく始まる本格的な国づくり

今号から、いよいよ中国1000年支配(北属期)を脱した後の歴史に入って行きます。

938年にゴ・クエン(呉権)が「バクダン川(白藤江)の戦」いで南漢軍を破り、呉朝を建てたことは幾度も触れました。独立したとはいえ基盤の弱い呉朝は、呉権の死後、地域を治める12人の土豪が群雄割拠する「12使君」と呼ばれる時代に入ります。968年、この抗争を平定したディン・ボ・リン(丁部領)が丁朝を建て、国号を大瞿越(ダイ・コ・ヴェト)とします。この頃の中国は南漢、後周を経て宋(注1)の時代、日本は平安時代です。

ベトナム正史ではゴ・クエン(呉権)が中国軍を破って独立を成し遂げたとされていますが、実質的な面から見ると、統一し国家としての機構を造り上げベトナムの真の独立はこのディン・ボ・リンの丁朝の時代とする見方が大方のようです。

しかし、979年にディン・ボ・リンは後継問題の混乱で廷臣によって暗殺されてしまいます。この混乱に乗じ宋が攻め込んできますが、将軍レ・ホアン(黎桓)が奮戦し宋軍を退け、幼帝を廃し皇帝に就き丁朝は滅びます。この黎朝(注2)も後継争いがもとで僅か3代、29年で滅びます。

1009年、軍権を掌握した黎朝の将軍リ・コン・ウアン(李公薀)が黎朝を倒し、李朝を興します。この王朝は中国からの独立後の最初の長期政権として1225年まで215年間続きました。それまでの70年は独立したとはいえ中国の脅威と侵攻に晒され、内紛などでいずれも短命の王朝でした。その意味で、李朝はベトナムで本格的な国づくりを手がけた王朝と言えます。

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リ・タイ・ト公園のリ・タイ・ト像(出典:ウィキペディア)

国号を大越とし、都を現在のハノイにあたる地に移します。そして行政組織や税の整備、軍事力の編成、堤防建設、ベトナムで最初の大学の開校など、政治・経済・社会組織など、国家としての組織整備を進めます。この遷都には、〔1010年の秋頃、リ・コン・ウアン王は龍を模った雲が飛び立つのを見て、新しい都を現在のハノイに移し、その地をタンロン(昇龍)と命名した〕という言い伝えが残っています。

リ・コン・ウアンは現在もリ・タイ・ト(李太祖)と廟号で呼ばれ、ベトナムの人々に親しまれています。

ハノイには最古の大学、文廟(ヴァン・ミウ)が残っています。もともとは孔子を祀る廟堂として1070年に建てられ、その後1076年に大学が開設され18世紀まで続きます。境内に残る石碑には15~18世紀の科挙試験合格者の名前が刻まれています。観光スポットとして多くの人が訪れるだけではなく、子どもたちや若者の姿も多く見られ、さながら菅原道真を祀った太宰府の天満宮です。ベトナム訪問の際には是非、行ってみてください。

盛大に祝われた「遷都1000年記念」

李朝を樹立したリ・コン・ウアン(李公薀)が1010年に遷都してから1000年にあたる2010年10月10日、ハノイで大規模な記念行事が行われました。下の写真はその模様の一コマです。

この記念事業は周辺地域との合併で面積を3.6倍の3,345㎢に拡げ、人口を350万人から620万人へと1.8倍に拡大するという「ハノイ市拡大計画」とともに、国をあげて数年前から準備された一大国家事業でした。ちなみに、現在のハノイ市の人口は809万人です。(2019年9月ハノイ市統計局)

毎年ベトナムを訪問している筆者も、この一大記念イベントに合わせて訪問したかったのですが・・・残念。この年は10月末から11月初旬にかけての訪問になり、「ハノイ遷都1000年記念モザイク壁画」が描かれているイエン・プウ通りのアートはしっかりと見てきました。

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出典:AFP BB News ハノイ遷都1000年記念パレード(2010年10月10日、ハノイ)

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出典:WLAKIN HANOI 2018年5月23日カラフルなタイルでベトナムの歴史を描いた壁画(ハノイ、イエン・プウ通り)

(注1)宋=中国の王朝の一つ。960年~1279年、趙匡胤(チョウ・キョウイン)が建国。1126年、女真族(ジュシェン、満州族)により滅亡。1127年、一族の高宋(コウソウ)が江南に逃れ宋を再興。趙匡胤が建てた宋と区別し南宋と呼び、前者を北宋と呼ぶ。

南宋は1279年、元のクビライの侵攻により滅亡。

(注2)黎朝(前黎朝)=980年~1009年、レ・ホアン(黎桓)が建て、現在のベトナム北部を約30年支配した王朝。15世紀にレ・ロイ(黎利)が建てた後黎朝と区別して前黎朝と呼ばれる。

(注3)タンロン(昇龍)=ベトナム北部のホン川(紅河)流域の中心と都市で現在のハノイ。漢の武帝が交趾郡を置き、長く中国支配の拠点となる。唐時代は安南都護府が置かれ、阿倍仲麻呂が都護として赴任。李朝、リ・タイ・トの遷都でタンロン(昇龍)。その後、黎朝代ではトンキン(東京)、ベトナム最後の王朝、阮朝代の1831年からハノイ(河内)と呼ばれ今日に至る。

(2021年11月20日、あかたつ)

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2021年11月19日 (金)

広島市「職員の服務に関する宣誓書」-その1

9月27日に開催された広島市議会総務委員会で「サッカースタジアム予定地の遺構について、委員から質問が出された」と聞き、市議会ホームページの総務委員会の委員会録音(画像はない)を、聞くことにしました。聞いてみるとサッカースタジアム予定地の遺構に関する質疑以上に私の興味を引く事案が審議されていました。

それは、市民の一人から提出され「広島市職員の『宣誓書』に憲法尊重擁護を記載すること」を求めた請願でした。

請願がいう「広島市職員の『宣誓書』」とは、地方公務員法第31条に定められた「職員は、条例の定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。」の規定により、広島市が定めている「職員の服務の宣誓に関する条例」に記載されているものです。

この条例では、「新たな職員となった時、定められた宣誓書に署名してからでなければ、その職務を行ってはならない」ことを定めていますから、「宣誓書」が、重要なものであることがわかります。

国家公務員は、国家公務員法第97条及び附則13条に基づいて定められた「職員の服務の宣誓に関する政令」によって、定められた「宣誓書」を提出することになっています。

私も、公務員が新たに職員となる時、「日本国憲法を尊重、擁護する」という宣誓することは知っていましたが、「宣誓書」に何が書かれているかまで、調べてことはありませんでしたが、これを機会に調べてみることにしました。

総務委員会の質疑の内容をよりよく理解しようと思い、まず委員会で問題となっている「広島市の宣誓書」がどんな内容になっているか調べることにしました。

多くの自治体の条例では、その条例に「宣誓書」の様式が添付されていますので、条例を参照すれば「宣誓書」そのものを知ることができますが、広島市の「職員の服務の宣誓に関する条例」には、何故か添付されていませんので、ホームページから、その内容を知ることができません。

パソコンからは、検索することができませんので、直接広島市の人事課を訪れて、「広島市の宣誓書を見せてほしい。もし変更前(後に説明します)ものもあればそれも見せてください」とお願いしました。上司と相談の後、2種類の宣誓書を見せていただくことができました。

この後の話が分かりやすくなるように、まず2種類の宣誓書の文面を紹介します。

現在使われている宣誓書です。

「私は、国際平和文化都市をめざす広島市の職員として、その職務が広島市民全体から信託された公務であることを深く自覚し、市民のために、市民の立場に立ってその職務に積極的に取り組み、広島市職員としての誇りを持って市民福祉の向上に全力を尽くすことを誓います。」

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改正される以前の宣誓書です。こちらは、当然のことですが、広島市のホームページで検索することはできません。

「私は、ここに主権が国民の存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、これを擁護することを厳かに誓います。

 私は、地方自治体の本旨を体するとともに公務を民主的かつ効率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として、誠実かつ公正に服務することを固く誓います。」

後者は、今読むと何か堅ぐるしい言葉遣いになっていますが、二つの宣誓書で、決定的に違うのは、日本国憲法に関する記述があるのかないのかです。

ここから、請願が審査された法務委員会の録音に戻ります。

請願者は、「広島市職員の『宣誓書』に憲法尊重擁護を記載すること」ことを求める主な理由として

「①公務員は、憲法99条に定められた憲法尊重擁護義務がある②国家公務員・裁判所の職員・広島県の職員の皆様の宣誓書には憲法を遵守することを書かれている」の2点を挙げています。

ちなみに広島県の「宣誓書」は、広島市が改正前に使っていた宣誓書の文面と全く同じです。

委員会は、誓願者が提出理由の補足説明をしたあと、質疑が始まりました。質疑を行った委員は、一人だけでした。

そのやり取り、特に広島市の答弁の内容は、非常に興味深いものがありましたが、ここまででずいぶん長くなりましたので、、次回以降に広島市の説明を検証することにします。

いのちとうとし

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2021年11月18日 (木)

広島城下町歴史学習散策会(第1回)

14日に開催された「広島城下町案内衆・広島中央公民館主催」の「広島城下町歴史散策会」の第1回「『広島城下大絵図』の巻 基町編」に参加しました。

午前9時半に中央公民館に集合し、まず講師・案内人の郷土史家佐々木卓也さんの「広島城の成り立ち」や現在の調査状況などのお話を聞きました。佐々木さんのお話を聞くのは、久しぶりです。

「今年2021年は、毛利元就が安芸高田市の郡山城に入城してちょうど500年、2年前から築城が開始された広島城に孫の毛利輝元が入城した1591年(天正19年)から、430年の節目の年」などがまず紹介されました。

30分ほどの事前レクチャーを終えて、いよいよ外に出ての散策です。

参加者が手にするのは、当時の城下町の絵図と現在の地図が重ね合わせて描かれた「広島大城下町絵図」です。

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 「広島城下大絵図」は、広島市中区市民部地域おこし推進課が、広島市城下町案内衆、広島文化財団、中区の中央、竹屋、吉島、舟入の各公民館、広島県縮景園などの協力を得て、2007年(平成19年)に初版を発行し、その後2016年(平成28年)に改訂版が発行されています。広島城下町巡りには、欠かせない資料です。

中央公民館の玄関を出たところから、説明が始まります。現在の基町高校のあたりに北の丸があったのですが、その外側に「北堀」がありました。中央公民館は、「北堀」の跡に建っています。

中央公民館前の道を南下し、基町警察署の前で立ち止まります。ここから南に真っすぐ「中堀」が、現在のグリーンアリーナ(県立体育館)まで伸びていました。「中堀はそこから東に曲がります」と書いていくと、長くなりますので、いくつかの場所のみ紹介します。

中央公園には、西の出丸があったのですが、現在はサッカースタジアム建設工事のフェンスに囲まれていますので、簡単な説明を受け、すぐに広島城西側の内堀まで移動します。

ここでは、「なぜ内堀が大きくなったのか」の説明です。

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現在の広島城の本丸跡は、少しだけ小高くなっていますが、城づくりが始まった時には、全くの平地。そこに盛り土をするために、使われたのが堀を掘るために出た土が使われたため、どうしても内堀が大きくなったようです。

広島城の西側の石垣は、本丸に近い方が「野面積」(自然の石やほとんど加工し ない石を積み上げる方法)となっていますので、毛利の築城時代に築かれたものです。

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下の写真の右側の石垣は、「打込はぎ」(すき間を減らすため石をちょっと加工した積み方)で角は「算木積」となっており、福島正紀の時代に築かれたものです。上には、櫓があったそうです。

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広島城の石垣については、しろうや広島A4c01 (rijo-castle.jp)で詳しく知ることができます。

今日は基町地区巡りですので、広島城には入らず、中堀があった広島市民病院北側の中央庭球場(テニスコート)に移動します。この西南角には、テニスコート地下に駐車場をつくる時の発掘調査時に出て来た堀の様子をプレートにした説明版が、立っています。

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いつも通る道ですが、何気なく通っていました。かつての堀の上の道路(市民病院とテニスコートの間の道)を東進し、広島市水道局北側の中電のビルの前に移動します。

途中、広島市民病院の南側で東西に延びる道路が、かつて「乗馬の訓練などをした八丁馬場」との説明を受けます。この八丁馬場は、現在の、西はハノーバー庭園、東は京口門公園まで延びていたようです。その東の端の南北に延びていた八丁堀は、地名として今も残っていますが、八丁馬場の地名は、今は残っていません。

城下町の遺構ではありませんが、水道局の北側中電ビルの北角に立つ、臨時帝国議会堂跡の説明がありました。

その後、水道局の南側で電車通りの1本北側の小路に入り、県庁南館の前で、外堀の説明です。外堀は、相生通り上にある電車軌道の北端から南側歩道に架かるぐらいの幅で、現在の西は商工会議所が建っているあたりから東は福屋西の金座街入り口まで延びていたようです。外堀の幅は、シャレオの地下街を掘る時に、その遺構が出て来たことから確認できたようです。ただ、残念ながら現在は、その時発掘された遺構はどこにも保存されていませんので、目視で確認することはできません。参加者は、地下のシャレオの東西の通りをる木ながら、「ここがかつての外堀の位置だ」と説明を受け、想像するだけでした。

中郵便局前から地上に上がり、予定通りちょうど12時にそごう前で解散しました。天気に恵まれ楽しい「広島城下町散策」となりました。

次回は28日で、「白島編」をめぐることになっていますが、私は当日長崎で開催されている「全国被爆二世交流会」に参加することにしていますので、残念ながら参加できません。最終回(12月12日)の「幟町編」には、必ず参加する予定です。

いのちとうとし

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2021年11月17日 (水)

緑の伝言プロジェクト「被爆樹木めぐり」余話

これまで3回の「被爆樹木めぐり」で書けなかった堀口さんのお話を紹介します。

なぜユーカリの木が、軍事施設にあったのか

明治時代に、オーストラリアから1000本のユーカリの木が日本に贈られ、西日本を中心に配布され、その1本が、広島城の被爆ユーカリではないかと思われます。当時、ここには軍事施設があったので、ここに外来種であるユーカリが植えられることになったのは、力のある人がやったと想像されますが、そのことを記したものは残念ながら見つかっていないので、はっきりしたことは不明です。

ユーカリの木の二世づくりはできていない

ユーカリの種類は、1本の木に、丸い葉と細長い葉と両方あるという変わった性質を持っています。新しい葉丸く、古い葉は細長くなっています。

堀口さんは、これまで被爆ユーカリの2世を育てようと、種から、そして挿し木で何度か試されたようですが、残念ながらいずれも芽を吹くことはなかったそうです。その原因として考えられるのは、木の成分の一つであるキシログルカンが、被爆によって少なくなったことで繁殖能力が弱くなったことが考えられるとのことです。

また、キシログルカンは、30%くらい減少しており、そのためこのユーカリが、植物が重力に対し反対方向にまっすぐ伸びようとする重力姿勢を失い、枝がうねるように育ったのだろうと考えられるそうです。

被爆樹木は爆心地方向に傾いている

私が、初めて鶴見橋東詰めの被爆ヤナギを見に行った時、同行した先輩から「このヤナギが爆心地方向に曲がっているのは、原爆による強いゆりもどしの風によってだ」(この部分は、2007年に枯死)と教えられ、かなりの最近まで、そのことを信じてきました。

しかし、近年といっても2010年代に入って、筑波大学の鈴木雅和教授や堀口力樹木医などの調査研究によって、その原因が明らかになってきています。

これまでに紹介しましたが、一口に被爆樹木といっても、被爆時の幹がそのまま残っているもの、原爆によって地上部だけが焼失しその後ひこばえが芽吹き育ったもの、移植されたものがあります。鈴木先生たちが、2013年に発表された調査結果では、このうち被爆時の幹がそのまま残った木29本を選び調べた結果、79%に当たる23本が爆心地方向に傾いていました。原因は、「爆心地側の幹は、放射線や熱線を浴びたことなどで細胞が傷つき成長が鈍化し、影響の少なかった反対側の成長とのずれが累積し、徐々に曲がったと推測される」としています。その後、2015年からは3D映像による調査も進められています。

ただ、この調査は現象の外部的観察と計測にとどまっており、生物的・組織的原因解明は、まだ進んでいません。

ゆりもどし風のような一時的な原因であれば、重力姿勢を保とうとする樹木の性格から、ほとんどの場合もとに戻るようです。

新しくなった説明プレート

これまで何度か紹介しましたが、全ての被爆樹木には、被爆樹木であることを示すプレートが取り付けられています。

以前は、黄色いプレートでしたが、2005年に「緑の伝言プロジェクト」がスタートして以降、順次新しいプレートに取り換えられました。

広島城跡のマルバヤナギには、なぜだか理由は分かりませんが、両方のプレートが付いていました。多くの被爆樹木を訪ねていますが、黄色いプレートを見たのは初めての気がします。

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見比べると新しいプレートは、情報量が多くなっていることがわかります。

ここで紹介したいのは、左上のマークです。デザイン化された樹木の中に原爆ドームが描かれています。何となくこのマークを見ていたのですが、原爆ドームの背景となっている樹木は、天満小学校のプラタナスの木だということを、今回初めて知りました。天満小学校のプラタナスについては、このブログでも何度か書きましたので、今回の被爆樹木めぐりでもぜひ書いておきたいと思います。

このプレートをデザインしたのは、博報堂です。

今回の被爆樹木めぐりでも、いくつか新しいことを知ることができました。そのことに感謝しながら、緑の伝言プロジェクト「被爆樹木めぐり」の報告は、これで終わりです。

いのちとうとし

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2021年11月16日 (火)

天皇の憲法遵守義務 ――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その4――

天皇の憲法遵守義務

――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その4――

前回は、憲法99条の「憲法遵守義務」が、内閣・国会・裁判所等で仕事をする「公務員」と、天皇ならびに摂政(天皇と略)という対比で、天皇の義務は、公務員の義務とは独立していること、そしてその義務とは、「国民の総意」の表現である憲法を素直に読みその意味を考え、一人の生身の人間として憲法そのものを「体現する」存在になることだと解釈しました。「体現する」とは具体的にはどのようなことを表すのかについては、以下の論考が参考になるはずです。

天皇がその通りの行動を取っていることは、日常的に報道される天皇の言葉や、記者会見や園遊会等の場でのやり取りのような公的な場での発言から、明確に伝わってきます。しかしながら、「論理的」可能性として、天皇が憲法違反をしたときにはどのような結末が待っているのかを考えることも、「数学書として憲法を読む」上では避けて通れない「思考実験」です。

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三島由紀夫氏が自衛隊に呼び掛け

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mishima_Yukio_1970.jpg

ANP scans 8ANP 222), CC BY-SA 3.0 NL <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/nl/deed.en>, via Wikimedia Commons

たとえば天皇が、4条の1項に違反して、自衛隊を掌握して革命を起こすなどという、現実にはあり得ないことを、「思考実験」の前提にしましょう。(三島事件を参考にしました。)

このような憲法違反を天皇が起こしたとして、こうした憲法違反行為に対して憲法の中では、明示的にペナルティーを科す規定はありませんし、摂政を置くべき要件も満たしてはいません。従って、関連のある規定を基に論理的な推論によって考えることになります。

憲法で天皇の職務違反についての規定としての性格を持ち得るのは、存在そのものに言及している第1条だけです。2条は後継者の選び方ですので少しは関係がありますが、現職の天皇の職務違反とは直接関わりません。そして1条、2条以外の条項は、基本的には職務内容の説明です。となると、ペナルティーとしては、第1条に規定されている「象徴」としての地位を剥奪すること以外の可能性はありません。期限付きで地位の「執行停止」を科することや謹慎等も論理的可能性としては考えられますが、そのような規定は憲法の中にはありませんし、そもそも「憲法違反」はするかしないかの二者択一しかありません。そして、地位の剥奪という結果になるペナルティーを、何らかの理由で薄める理屈は憲法上見つかりません。

この点をもう少し丁寧に考えて見ましょう。仮に天皇が憲法違反を犯したとしましょう。仮定を基にした「思考実験」です。そんなことが起きたとすると、それは「象徴」という地位の存在価値を天皇自身が否定するということなのです。つまり、絶対的な存在である「国民の総意」が明示的に規定した「天皇」が、同じく「総意」が課している義務に違反するのですから、当然、その行為は憲法に付随している意味での「絶対性」を否定することになります。となると、その「絶対性」だけに依拠している「地位」も否定されることになります。

99条の憲法遵守義務が天皇に関しては「義務」である理由の一つがここにあります。「義務」違反をした場合には、天皇という地位を剥奪されるという結果になるからです。これを「罰則」と考えることは可能です。

これをまとめておくと、憲法99条で遵守義務を負わされている「天皇」そして「公務員」という二つのグループの内、仮に「公務員」が憲法違反を行った場合には、その「公務員」を罷免し、別の「公務員」を選定するメカニズムが備わっています。そのことで「原状回復」が可能になります。それは、憲法15条の規定で、「公務員」の選定と罷免の権限は国民が持っていることにも依拠していますし、その他の憲法の規定によって保障されています。

対して、「天皇」が憲法違反を犯した場合は、2条によって天皇の地位が世襲制であり、国民が天皇を選定したり罷免したりする権限を持っていませんので、同様の「原状回復」措置は取れませんが、ここまでの推論で見てきたように、論理だけを辿って行けば、それが国事行為の遂行違反ではない場合、天皇という地位の剥奪になり、同時に憲法が崩壊するという結果になってしまいます。

これを、憲法遵守義務の重さという点から解釈すると、「天皇」の憲法遵守義務は「公務員」のそれとは質的に違っていることになります。「天皇」に負わされている憲法遵守義務は、その地位を賭して守らなくてはならない重い義務なのです。「天皇」という地位は2条によって世襲制です。生前退位という可能性はあるものの、それは終身制に近い制度だと考えられます。その点も勘案すると、生身の人間の人生そのものにも等しい重みを持つ義務だということになります。

つまり、「日本国の象徴そして日本国民の統合の象徴」とは、生身の人間として憲法を守り抜く使命を持つ存在だということになるのではないでしょうか。「公務員」も含めて、このような使命を与えられている存在は、天皇以外には憲法には規定されていませんので、この意味を「abuse of language」によって、「象徴天皇」 = 「憲法の番人」という等式として表現したいと思います。

次回に取り上げる、天皇による「国民の総意」に近付く「不断の努力」をも視野に入れると、心情的には「天皇」 = 「憲法」と表現したい気持もありますが、そうすると、第三章と第四章で取り上げた「公共の福祉」との関連や、国民主権といった側面が反映されない表現になりますので、それでは「abuse of language」の範囲を超えることになってしまいそうです。

この点をさらに敷衍しておきましょう。ポツダム宣言を受諾するに当って当時のリーダーたちが護持したいと考えた「国体」とは通常天皇制のことだと考えられています。しかし、現在の天皇制とは、憲法の規定を通して、特に99条によって、「象徴」という存在を創り出した上で「国民の総意」が守ろうとしているものに他なりません。それは、憲法そのものです。となると、「国体」とは憲法そのものに他ならないと考えるのが一番自然なのではないでしょうか。

《違反を誰がどう認めるのか》

ここまで考えてきて、実は根本的な問題が残っていることにお気付きの方も多いと思います。それは、天皇の憲法違反行為を誰が認めるのか、そしてどのような根拠によってどのように違憲行為に対する措置を講ずるのかという点です。

部分的には答があります。一つには、上記の思考実験で仮定として取り上げた事件が内閣の助言や承認を得ているかどうかは内閣には分りますし、国政に対する「権能」に属する事柄か否かは、国政への影響が起きたかどうかを見ることで同様に分ります。

それが「国事行為」の範囲に入れば、内閣としては助言と承認をしなくてはならないのですから、天皇の言動について知ることは内閣の責任の一部だと考えられるからです。また同じ理由で、「国事行為」という範囲から逸脱していることの認定をする権限もあると考えられます。それは、「国事行為」の線引きの問題だからです。

その結果、天皇の行為が3条または4条違反だということが認定できたとしても、つまり、仮に天皇が内閣の意思を無視して、実質的に国政上の権能を手にした場合、それは当然、憲法遵守義務違反になりますし、既に確認したように天皇という地位は剥奪されなくてはならないのですが、それをどのような形で実現すべきなのかという規定は憲法内には存在しないのです。

憲法2条によって、世襲の範囲に認定される皇族が、「原状回復」のために新天皇になるという可能性があるのかもしれませんが、憲法や皇室典範の規定には該当する項目が見当たりません。

となると、天皇の義務違反についての対応は、「超憲法的」にならざるを得ません。

この点も、「数学書として読む」ことから生じる大きな矛盾ですが、どう解消すべきなのかは、機会を改めて論じられればと考えています。

今回も長くなってしまいました。次回に続きます。

 [21/11/16 イライザ]

 

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2021年11月15日 (月)

2021.11月のブルーベリー農園その2

ブルーベリー栽培を東広島市豊栄町で2000年から続けている。安芸区の自宅から週末に作業に通い続けているが、11月のブルーベリー畑や里山での作業は風もほとんどなく蛇も見ることはないので安心感と動いていると寒さはあまり感じないから紅葉と西日に輝く草木の景色に見とれながらの作業を続けている。

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1113日(土)

里山にあるブルーベリー園の西側のブルーベリーの木の根元に穴をあけて食い込んでくる虫(蛾の幼虫)の被害の点検を午後から夕方まで続ける。写真ん左の木の根元の木クズが目印。殺虫剤を注入して駆除する。

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細い枝から入った枝を切ってみると中にぽっかり穴が開いている。地面にはいつくばって探しても穴が見つからないところもある。ざっと20本以上虫が入っていたので時間がかかった。

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地面に座って見える景色。

①作業中に見える田んぼと西日に映えるブルーベリーの紅葉。

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②ススキの穂

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1114日(日)

農園に行くルートは2号線から八本松町を通り高屋町造賀に入り福富町を経て豊栄につくのだが、造賀に野菜の無人販売所があるのでいつも立ち寄り野菜を購入する。今日の晩御飯は鍋と決めて春菊、大根を買う。富有柿も2つ。どれも100円で、郵便受けの料金箱に入れる。

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農園の管理するため池の草刈りの後処理を行う。草刈りでは切れない太い竹を切って枝を切りはらったりした。3時過ぎると西日が射すようになり野焼きの煙や

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ススキの穂がきらきら輝いて見えて秋の深まりを実感させてくれる。

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畑のブルーベリーもすっかり紅葉したがこれからまだまだ赤くなる。

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平行してブルーベリー畑の剪定を続ける、3段ある畑のうち一番下の段がすんだので真ん中の畑に取りかかる。剪定は夏に実のついた枝を切る軽めの剪定をしている。

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夕方5時前の空の様子とブルーベリーの枝。このあとさあっと夕闇が来るのが晩秋。

20211115

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年11月14日 (日)

緑の伝言プロジェクト「被爆樹木めぐり」その3

最終目的地の広島城跡です。

広島城跡では、大菊花展が10月23日から開催されていましたが、7日は最終日でした。

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左手テントの後ろに大きく育った被爆ユーカリの木が、映っています。

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このユーカリの木は、被爆直後の写真が残っています。

Photo_20211111104601

この写真では、ユーカリは真っすぐ伸びています。写真の撮影者は佐々木雄一郎さんで、撮影時期は1945年末頃となっていますが、すでに葉をつけています。堀口さんによれば「ユーカリの原産地オーストラリアは山火事が多いのですが、ユーカリは火災に強い性質を持ち、葉が焼けてなくなっても、すぐに芽を出す木」だということですので、わずか4か月後に葉をつけていることが納得ができました。

現在は、くねくねと曲がったおり、とても同じ木とは思えませんが、1971年に台風で根本から2.5mのところで幹が折れるまでは、真っすぐに伸びていたようです。台風で折れた時には、「もうだめだ」と思われていましたが、しばらくすると北側の根元からひこばえが出てき、育ちました。その後も何度か台風で幹がおれたようですが、ひこばえからの新しい芽が育ち、今の大きさになっています。その後、元気に枝に支えを付けて保護されていますが、掘り側に延びた枝は、支えをすることができず、堀口さんの指導で、木全体を保護するため枝が切り落とされました。

ユーカリの木は、本来真っすぐに伸びる木で、国によっては、建材として使われていますが、被爆したこのユーカリは、曲がりくねっています。それは、放射能の影響と考えられます。

次は、すぐ近くのマルバヤナギです。

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この木には、堀口さんの養生によって、今に元気な姿をとどめています。説明に使われている写真は、養生前のマルバヤナギですが、その時一番に危惧されたのは、幹の中心に空洞ができ、左側に大きく伸びた枝の重みによって幹が、裂けることでした。

幹が裂けないようにするため、現在は、幹を棕櫚縄で何重にも巻いて、これ以上裂けめが広がらないようにしてあります。

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空洞となった幹の部分には、腐ることを防ぐためピートモスが入れられています。「こうすることで、幹から芽吹き沢山の枝が出ることで、木の命を続けることができます」と堀口さんは願いを込めて話されました。

この木の治療を始めるときもうひとつ危惧されたのは、根元周りが石などで固まっていたことです。作業中の写真です。

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この対策は、根元周りの土を掘り起こし、周囲にあった石をすべて撤去することで、根が伸びやすいように土を改良されました。こうした樹木医堀口さんの丁寧な養生があって、現在元気に葉を繁らせています。

最後は、広島城本丸跡にある大本営跡周辺の被爆クロガネモチです。ここには、3本の被爆クロガネモチの木があります。その内の2本は、旧大本営の車寄せの前庭築山にあります。

20211107_113949

クロガネモチは、オスの木とメスの木があります。どの木も赤い実をつけると思っていましたが、実をつけるのはメスの木だけだそうですから、この2本には、実がびっしりとついていますので、メスの木ということになります。

この木の幹をよく見ると、被爆樹木のいくつか特徴的なことを見ることができます。

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一つは、赤丸で囲ったところ、やや白く見えるこぶがあります。写真では見にくいのですが、他にもいくつかこぶができています。

もう一つは、これも見にくいかもしれませんが、木肌が荒れていることです。この木には、被爆樹木にしかない特徴がはっきりと表れています。

もう1本は、大本営跡の東側にあります。

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この木は、しっかりと枝がはっています。堀口さんによれば、「この木は、被爆直後の写真などから判断すると樹齢120年から130年ぐらい」ということです。

堀口さんが、説明に使われた写真は、被爆数年後に写されたものと思われますが、そこには、枝が切り落とされたと思われる跡が、はっきりと写っています。

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今もこの跡が残っています。

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プレートの左右が出っ張っているのがわかると思います。これからも、同じ木だということがわかります。この木には、もう一つ特徴があります。それは根の張り方です。爆心地側の根の張り方は少なく、反対側は、根が多く出て土も盛り上がっています。原因は、はっきりしていません。

広島城の本丸跡には、クロガネモチ以外にもケヤキの木など被爆樹木だと思われ木が何本かあるようですが、被爆したことを確認することができる資料がないため被爆樹木としては認定されていません。

この木が、今回巡る最後の被爆樹木でしたが、ここで堀口さんからは、まとめ的な話がありましたが、そのことは次回に紹介します。

いのちとうとし

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2021年11月13日 (土)

ビーガン続いています

選挙からしばらく経ちましたが、いつも以上に今回は!という気持ちだったので、未だにがっかり・憤怒している今日この頃です。選挙後のラインで友人から来た「自民党は安心感があるよね~」という言葉はトドメでしたが、腐らず種まきをやっていかないといけないなと思います。

今回の選挙、SNSでは若者層に関心の強い気候変動や動物の権利などの投稿が、以前よりも確実に多くなっていることを感じました。実際の投票に数字としてどの程度結びついたかは…微妙ですが、小さくても確実に変化が起きているのだと思いたいです。

生活と政治をどうしたら自分ごとになるのか…いつも同じことで立ち止まってしまいます…。憲法改悪に向けた動きに抗って、小出しにしながらですが、周りから変化を起こしていきたいと思います。

そして、少し増えたビーガンのレパートリーをさらに増やしていこうと思います。

休憩も挟みつつ、何事もあきらめず、生きたいです。

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大豆ミートのから揚げ(葉物を添えれば映えたかな…)

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豆のミートボールと豆のペンネ(お気に入り)

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豆からできたミルク(スウェーデンからやってきた!おしゃれさんで美味しい!嬉しいことに家族が購入してくれていました!)

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安佐南区にある素敵なビーガンスイーツのお店「コトノハ」(街中にもあれば嬉しいな…)

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ビーガンアイス(販売が安佐北区)

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ビーガン卵(豆腐です)

 

Jun

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2021年11月12日 (金)

緑の伝言プロジェクト「被爆樹木めぐり」その2

平和公園から移動して、白神社につきました。

広島市の被爆樹木リストには、白神社では3本のクスノキが登録されていますが、被爆樹木を示すプレートが付けられているのは、神社向かって左側の1本(手前から2本目)だけです。

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プレートの文字が一部消されています。何とか読むと「神社内には他にも被爆したクスノキがあります。」と書かれています。

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堀口さんによれば「他のクスノキは、神域にあるため、出来るだけ人が訪れないようにということで、1本だけの表示になったようです」とのことでした。

気になっていたものですから、被爆樹木めぐりが終了した後、一人で白神社に行ってきました。この日は日曜日ということもあったのでしょう七五三のお参りをする人も多く、拝殿に宮司さんがおられましたので、お聞きしました。

「プレートの架かった木の以外にも並んでいるクスノキは、全て被爆しています。」と教えていただきました。私が、「神社東側のお稲荷さんの後ろ側のクスノキも被爆樹木ですか」と訊ねたところ「そうです。あの木も被爆樹木ですが、生えているところは、神域ですので、勝手に上がることはできません。ですから、プレートも付けていないのですよ」との話でした。

本殿東側の2本の被爆クスノキを、許可を得て、下からと本社の拝殿の横のテラスから写真を撮らせていただきました。

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下側の写真をよく見ると、岩に根が食い込んでいるがわかると思います。

神域を静かにしたいという白神社側の思いを受け止められたのでしょう、ここでの堀口さんの解説は、神社の外側からでした。印象に残ったのは、次の話です。

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左側の写真で、手にかざしている写真の、後ろ側の建物が日本銀行広島支店ですから、幹のみとなって焼け残っているのが、国泰寺のクスノキです。右側の写真は、被爆前の同じ場所の写真(広島市公文書館提供)ですが、当時道路に枝をはみ出す形で立っていたこのクスノキのため、路面電車のレールが少し湾曲して敷かれていたことがわかります。今では想像できませんが。このクスノキが翌年芽吹いた時の様子を浜井信三著「原爆市長」に次のように書かれていることを、堀口さんが紹介されました。

「新しい廃墟にも春はめぐってきた。そういうある日、爆心地に近い国泰寺の大楠木の根元に、黒山の人だかりがした。焼け残ったこの老樹は、一枚の葉もなく、枝も幹も黒焦げになって、かろうじて立っているようすであった。その根元から一メートルほどのところに、青い双葉の芽が一つ、ぽつんと出ている。『あッ!芽が出ている!』通りかかった一人が発見した声を上げた。そばを歩いていた人たちがかけよって、楠木の根方を取り囲んだ。『ほんと!ホラ、青い芽が・・・』中には、その薄茶色がかった青い一穂の芽を、なでさすらんばかりにして、涙ぐんでいる婦人もあった。(中略)この一穂の芽は、市民たちに安心感と希望をよみがえらせた。」

その後、区画整理事業で道路を拡張し真っすぐにするため、このクスノキは伐採され、残念ながら現存していません。かなりの大木だったようですので、ちょっと残念な気がします。

白神社に続き、愛宕池周辺の被爆樹木の解説がありましたが、これまでにもこの被爆樹木のことは紹介したことがありますので、今日は省略します。

次は、旧日銀広島支店の裏にある頼山陽史跡資料館です。ここには、クロガネモチの木がありますが、訪れるのは初めてです。

ここでも被爆後の写真を手にしての解説です。

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堀口さんが、左手人差し指で指しているのが、小さくてわかり難いのですが、クロガネモチの木です。写真を持っている人の上側の手の人差し指の先から斜め下に黒く伸びているのはマツの木ですが、針葉樹ですので枯れてしましました。

この写真の手前右側に写っているのが門の屋根ですので、被爆時クロガネモチは、門を入ってすぐの左手に植わっていたことが分かります。門は、現在も同じ位置に作られていますが、いま同じ位置にはクロガネモチの木はありません。

20211108_124017

その後庭園が整備されたとき、クロガネモチは、門を入って右側の植え込みの奥に移植されました。

植え込みの中ですが、近くまで寄れますので、近づいてよく見ると、根元に切り株の跡が残っています。このクロガネモチの木は、ひこばえが育ったものだということが分かります。

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庭園での出入りは自由のようですので、改めてゆっくり来たいと思います。

残りの広島城の被爆樹木の紹介は、明後日にします。

いのちとうとし

【編集者】前回の9日のブログで、案内者の名前を「坂口さん」としていましたが、「堀口さん」の間違いです。大変お世話になりながら、大切なお名前を間違えてしまいました。お詫びし、訂正(ブログは訂正済み)します。

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2021年11月11日 (木)

天皇の憲法遵守義務 ――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その3――

天皇の憲法遵守義務

――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その3――

  前回は、憲法99条の「義務」が、文字通り法的義務以外の何物でもあり得ないし、あってはならない点を確認しました。

  今回は、その義務を明示的に負わされている天皇と憲法遵守義務との関係をもう少し詳しく見て行きましょう。最重要なのは、天皇の「憲法遵守義務」は、内閣・国会・裁判所等の公務員の「憲法遵種義務」とは独立した形での「義務」であるという点です。その根拠は、①内閣・国会・裁判所の正当性の根拠は「相対的多数」にあるのに対して、②天皇の地位の根拠は絶対性を持つ「国民の総意」であり、③「絶対的多数」が「相対的多数」の判断に縛られる必要はない、という三段論法にあります。

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  これを、99条の三つの系として表しておきましょう。

1  内閣が憲法違反を犯すとき、天皇はその内閣の助言に従わなくても良い。またその判断は内閣の承認を必要としない。

2  内閣、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員が、重大な憲法違反を犯しているとき、3条あるいは7条の規定があっても、天皇または摂政は、内閣の意に反して、憲法を尊重し擁護する義務を負う。

3  内閣、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員が、重大な憲法違反を犯していないときであっても、天皇または摂政が、内閣の助言と承認とは独立して憲法を遵守することは妨げられない。

  ここでは分り易く「内閣が憲法違反を犯すとき」あるいは「内閣、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員が、重大な憲法違反を犯しているとき」と記述していますが、これはあくまでも「国民の総意」が判断するという前提があります。現実の存在としての天皇が判断する立場にはないからです。

  つまり、天皇は「国民の総意」によってその地位を与えられているのですが、それは、「天皇」 = 「国民の総意」だという意味ではないのですから。事実、現実の憲法では、天皇は国政に関しての権能を持ちません (第4条)。より具体的には、天皇が「内閣、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員が、重大な憲法違反を犯している」という判断を行う「権能」は与えられていないのです。

  その「権能」がないのですから、この三つの系の内、現実の世界で効力のあるのは、系3だけだという結論になります。つまり、内閣・国会・裁判所という三権のどこかあるいは全てが憲法を遵守していても遵守していなくても、そのこととは独立して天皇そして摂政は憲法を遵守しなくてはならないのです。

  前述したように、仮に三権が違憲行為をしたとして、その事実認定を天皇が自ら行うという権限は与えられていません。仮にその認定が何らかの手段で行われたとしても、違反に対抗する形での「遵守」の具体的な内容の決定の方法が憲法上には規定されていないことから、実はこの系3が重要になります。その点を説明しましょう。

  仮に国会や内閣、裁判所等の公務員が憲法違反を犯したとしましょう。「憲法違反」であると天皇が認めるに当って、どのような基準で、さらにどのような手続きでその認定を行うのかは憲法内には規定がありません。それ以前の問題として、このような判断を天皇が行えるという「権能」は与えられていないのです。

  仮に、その認定が行えたとして、では「憲法違反」を目の前にして、天皇が何らかの警告を出すのか、不快感を表すのか、「制裁」を下すのか等の可能性を考えた場合、国政についての「権能」はないのですから、「制裁」はできませんし、「警告」も難しいでしょう。せめて「不快感」くらいですが、ではそれはどう表したら良いのでしょうか。もうそこで壁に突き当ってしまいます。

  これらの問題を解決できる唯一の存在は「国民の総意」なのですが、それは憲法内では実体があっても現実の社会の中の存在ではありません。

  しかし幸いなことに、「国民の総意」を文書として明確に表現しており、さらに憲法の遵守についてもきちんとした方針を示しているものがあります。憲法自体が正にそれなのです。従って、天皇が憲法そのものを読むだけではなく、憲法の理想を確認しその「ありのまま」の姿を描写し、憲法を遵守することの意味を表現することは許されていると考えられます。

  これこそ、この章でいくつかの疑問として提示してきた具体的な行動レベルについての未解決な手順についての解決策なのです。

  まず大切なのは、これは、内閣、その他の公務員が憲法違反を犯していても犯していなくてもできるということです。憲法遵守という目的から考えると、日常的なレベルでの「教育的」な意味の大きさも大切です。系2と系3に大きな意味があるのは、内閣等の行為が違憲であるかどうかの判断はしなくても、天皇が憲法遵守義務を履行できることを保障している点なのです。

  今回も長くなってしまいました。次回に続きます。

 [21/11/11 イライザ]

 

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2021年11月10日 (水)

落ち込む日々が続いていましたが!

この間、落ち込む日々が続いていました。大きな理由は相次ぐ知人・先輩の人たちの逝去です。様ざまなことを教えていただき、指導してくださった人たちが相次いで亡くなられたことです。

 10月22日には、68歳という若さで亡くなられた長谷川健一さん、福島県飯館村で酪農をされていた方で、福島原発事故で避難を強いられました。福島原発事故に対する元「飯館村民救済申立団」の団長をしておられました。亡くなられた原因は、甲状腺がんです。広島の原水禁大会にも参加され、話しもしていただきました。甲状腺がんと聞いて、原発事故の影響だと考えざるを得ません。とても気持ちの広い方で、解りやすく話しをされる方でした。

 翌23日には、大阪に住んでおられた稲岡(いなおか)宏蔵(こうぞう)さんです。このブログでも紹介されましたが、昨年12月31日に「核被害の歴史-ヒロシマからフクシマまで」という本を、緑風出版から出しておられました。稲岡さんは1941年に長崎市で生まれた方ですが、原爆の時は諫早市に疎開されていて被爆を免れました。戦後の平和運動の歴史にとっても詳しい方で、運動の歴史についてはまさに「生き字引」という方でした。稲岡さんが大阪で主催された集まりには、何度か呼んでいただきました。

 そして10月24日に亡くなられた坪井直さん、報道で知ったのは3日後の27日ですが、まさに立て続けという感じです。坪井さんにもたくさんの思い出があります。印象的なのは福島原発事故後、何かの会議の後に「修学旅行生に体験を話した時に、日本には原発がいくら在るのか聞かれるのだけど?」と訊ねられたことです。そして坪井さんといえば、「ネバー・ギブ・アップ」です。

 やはり落ち込む大きな理由は衆議院選挙です。やっと安倍・菅政権に「否」をくだすことが出来ると思っていたのですが、どうしてこういう結果になったのでしょうかね。

 そんな中、気分を晴らしてくれることがありました。それは九州電力の川内(せんだい)原発の在る鹿児島県いちき串木野市で、10月31日に実施された市議会議員選挙のことです。原発そのものは薩摩川内市に在るのですが、30キロ圏内にいちき串木野市はすっぽりと入ります。選挙は告示日直前まで、16名の定数に立候補者も同数とされ無投票が確実視されていました。

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 そこに高木しょうじさんという長年の反原発仲間が立候補したのです。彼は東京生まれの東京育ちの70歳、2014年からいちき串木野市に住んで、職業はイラストレーター。主に漫画を描いて、原発に反対するパンフの絵で観られた人もいると思います。

彼は告示5日前に無投票になることを知り、選管に行って書類をもらい考え始めたそうです。迷いに迷い告示日前日の夜9時に立候補を決め、選管での手続きは告示当日の午後3時に終えました。選挙ポスターもビラも自分で作成し自宅にあるリソグラフで印刷したそうです。

彼は「こちら(いちき串木野市)に7年住んでいるが、人見知りが強く付き合いが悪いので、そんなに知り合いは多くなかったが、市民は選挙が無投票になるのを嫌がったのだろうね」と話していました。

当選したとしても最下位だろうと思っていたらブービー、共産党の新人候補が涙を飲みました。

木原省治

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2021年11月 9日 (火)

緑の伝言プロジェクト「被爆樹木めぐり」

好天に恵まれた今月7日、中国四国博報堂が主催する「緑の伝言プロジェクト『被爆樹木めぐり』」に参加しました。「緑の伝言プロジェクト」は、被爆60周年の2005年に、広島市が進める被爆樹木保存活動を支援することを目的に、中国四国博報堂と中国新聞が共同して企画しスタートした事業です。その後、毎年「被爆樹木めぐり」を開催し、今年が16回目です。私がこの「被爆樹木めぐり」に参加するのは、今回が2度目です。

午前10時平和公園の被爆「アオギリ」前に集まった事前に応募した約20人参加者は、まず検温チェックを受けます。

主催者のあいさつ、共催する広島市平和推進課のあいさつの後、被爆樹木めぐりがスタートしました。

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今回も樹木医の堀口力さん(76歳)の案内で、平和公園の「被爆アオギリ」からスタートし、白神社、旧国泰寺の愛宕池、頼山陽史跡資料館、広島城の順に巡ります。

移動中に堀口さんにお聞きしたことなど、今回の「被爆樹木めぐり」は、出来るだけ新たに知ったこと、気付かされたことを中心に紹介したいと思います。

最初は、被爆アオギリです。

このアオギリが、爆心地から1.3km離れた東白島の広島逓信局で被爆し、1973年5月に中国郵政局の建物建て替えのため、現在の場所に植え替えられたことは、よく知られています。当時、中国郵政局は、この木を切り倒す予定だったようですが、日本で初めて樹木医を名乗った山野忠彦さんの「被爆した木で貴重なものだ」とのアドバイスがあり、平和公園に移植されることになったそうです。いわば、被爆樹木の原点ともいえる木です。

堀口さんは、27歳の時山野さんに出会い「被爆した木を見守ってやったらどうだ」とアドバイスされたことから、「被爆樹木は被爆者の生きる希望となり、平和のありがたさを今日に伝える存在。長生きできるよう、樹木の尊厳を守っていく」ことを決意され、被爆樹木を守る活動を続けておられます。

被爆アオギリに戻ります。1933年(昭和8年)にこの木は広島逓信局の中庭に4本植えられましたが、被爆によって1本が枯れ、奇跡的に3本が残りました。その3本が移植されたのですが、1996年にうち1本が枯れてしまいました。枯れ死は、当時は囲いも全くなく、時には修学旅行生が持参した折鶴を直接アオギリにかけるなど、木の周囲がふみ固まったことが原因だったようで、その後周囲に柵を設け保護されてきました。最近、この囲いも狭くなったということで1mずつ広げることになっているとのことです。

211192

このアオギリの前に立った時、原爆による傷跡が、爆心地の背を向ける形で立っていることに違和感を持たれたことはないですか。堀口さんによれば「当時は、被爆樹木の認識が弱く、庭師さんたちが見やすいようにとこの向きで植えられたと思います」とのことでした。移動の時「どのように植えるべきだったと思いますか」とお尋ねしたところ、「爆心地の北側の白島で被爆した木を、南側の平和公園に移したのですから、難しい問題はありますが、被爆樹木ですので、やはり被爆の傷跡が残る方を爆心地方向にするべきだったと思います。」との答えでした。私も少し納得です。

次は、白神社ですが、その前に堀口さんの話を一つ紹介します。

「爆心地からの2km以内の樹木は、半分が折れたようです。ですから、被爆樹木の中には、折れた木からひこばえ(切り株などの根元から生える新芽)が育ったものが多くあります。また、葉は全て焼け落ちたといわれています。針葉樹は、葉が全て落ちると枯れてしまいますので、被爆樹木は、針葉樹が少なくなっています。」

現在、被爆樹木リストに登録されている木は、爆心地から概ね2km以内ということになっています。

被爆アオギリの話しだけで、今日は終わってしまいました。つづきの白神社から後の被爆樹木は、12日以降に紹介します。

いのちとうとし

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2021年11月 8日 (月)

2021.11月のブルーベリー農園その1

東広島市豊栄町にあるブルーベリー園に週末通っているが、晩秋になり、草刈りもほとんど終わって、ブルーベリーの世話は実った枝の軽い剪定や、木の根元から穴をあけて虫が入って木を食う虫の被害の見回りと駆除を続けた。苦を食う虫の被害は今年は多いようだ。雨がほとんど降らない日が続いているので一雨ほしい。

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113日(水)

安芸区には造り酒屋が1軒となったが、その一つが住んでいる船越にある。住んでいる所から朝見えるのが煙突で、新米を炊いて酒造りが始まると湯気と煙突の煙を眺めることができる。

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午後、ブルーベリー農園に着いてすぐ畑にエンドウの種をまく。林の向こうに里山のブルーベリー園がある。

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16時の休憩中、縁側の向こうのサクラの木からヒッヒッという鳥の鳴き声が聞こえる。ジョウビタキがいた。(写真真ん中左あたり)

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115

小さい小菊が庭の花壇でこぼれるように咲いている。

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ブルーベリー畑(晩生のタイプ)では緑の中にだんだんと赤みを帯びた色合いになってきた。

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117日(日)

ブルーベリーを植えてる場所の草刈りが終わったのでブルーベリーの根元に木クズがあるところを見回り木の中に入っている虫を駆除して回る。今年は被害が多い。今日一日は終わらなかった。赤みを付けたヤブコウジがしがみついている。

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黒い実をつけたヤブランも他の木の根元に寄り添っている。

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里山の早生のタイプのブルーベリーの紅葉。晩生より紅葉は早い。

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農園が管理しているため池の堰堤の草刈りを1時間ばかり行う。人の背丈ほどになっっていた。だから草の茎も硬いのでバリバリと刈る。

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田んぼの草刈りは草を集めて夕方、野焼きをする農家が多い。

P1440400

晩秋らしい夕方の色合い。

 

2021118

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年11月 7日 (日)

ヒロシマとベトナム(その29-2の2)

事実が突き動かす

先日、長く原水爆禁止運動のリーダーとして活躍された坪井直さんが96才で亡くなられました。青年時代からご指導いただき、原水禁運動をご一緒させていただいたことを思い出しながら、追悼報道に見入っていました。坪井さんが繰り返し言われた「原爆が何をもたらしたか」という事実・実態にこだわり続けること。そして、決して諦めない「ネバー・ギブアップ」の精神を持ち続けることを、改めて胸に刻みました。

枯葉剤を製造した会社が裁判を封じ(和解)、非(罪)は認めないが障害(被害)に応じた支払い(補償)をしました。これは「人道支援」などではなく、「隠蔽」です。

1991年には枯葉剤暴露帰還兵に対する救済法が成立し、15の疾病に枯葉剤との関連が認められ、1993年にはアメリカ科学アカデミーが枯葉剤暴露とさまざまな健康障害の関係を調査した報告書しています。それには「ダイオキシンへの暴露は軟部組織腫瘍・非ホジキンリンパ腫・ホジキン病の3種類の癌を発症する可能性がある」と書かれています。

2018年8月10日、「サンフランシスコの裁判所がモンサントの除草剤の使用でがんを患ったとする男性の訴えを認め、28900USD(321億円)の賠償金を支払うよう命じました。」(*2)

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こうした「事実」を見ると、アメリカは、枯葉剤とそれによる被害を「認めている」ことになります。

この事実を公に認めさせ、謝罪と補償をさせる。そして、二度とこうした(化学兵器)による被害をくりかえさせないこと(未来への保障)。これが、ガーさんの「正義を求める」枯葉剤裁判です。それは私たちが求めている真の被爆者援護法ともつながる精神だと思います。

話しは少し遡りますが、1971年10月31日に10年に及ぶ「枯葉作戦」が中止されます。その2年前の1969年6月26日にサイゴンの新聞『ティン・サン』が「枯葉作戦で出産異常激増」という記事を連載しました。『ティン・サン』紙は南ベトナム政府(*3)により発禁処分を受けます。そして、同じ年の秋、アメリカ国立衛生研究所のコートニーらのネズミを使った実験で、米軍が「枯葉作戦」に使っている枯葉剤(2・45T)が催奇形性(*4)をもたらすことを報告しています。

こうした一連の事実が「枯葉作戦」を中止させたことは間違いありません。

引き続き、枯葉剤裁判について見て行きます。次回は、アメリカの裁判所が入口で閉ざす盾としている「国際法や国際条約への違反と違法行為」について考えて見ます。

 

(*2出典:『VIETJO』(2018年8月29日)、モンサント社の写真を含む。

(*3当時の南ベトナム(ベトナム共和国)の大統領は軍人のグエン・バン・チュウ。

(*4)ある物質が生物の発生段階において奇形を生じさせる性質や作用のこと。催奇性をもつ物質(Teratogen、テラトゲン) が人体に取り込まれた場合、胎児に奇形を生じる危険がある。サリドマイドやダイオキシンなど。(出典:ウィキペディア)

(2021年11月5日 あかたつ)

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2021年11月 6日 (土)

天皇の憲法遵守義務 ――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その3――

天皇の憲法遵守義務

――『数学書として憲法を読む』に沿っての講演・その3――

  まず、今回の選挙についてはまだまだ言いたいことがたくさん残っています。しかも、「いのちとうとし」さんが書かれているように、今回の選挙結果は様々な要素が絡み合っていますので、一言で何が起きたのかを言い表すのは不可能です。それでも何が起きているのかを知らなければ、これから何をすべきかについて考えることもできませんので、正確なデータをお持ちの方が鋭い分析をして下さることを期待しています。例えば、誰がどのような理由で誰に投票したのかが、大局的に分るようなデータが欲しいのですが、マスコミの関係者そして専門の学者の皆さんなら手に入るはずです。

  今回の選挙の特徴ではありませんが、政治そのものが劣化してきていることには、ほとんどの皆さんが気付いているだけではなく危機感を持っている、あるいは憤っていると言って良いような気がします。その理由の一つは、社会全体を把握する際に私たちの使う物差しが、いつの間にか曲がってしまっていて、そのことに気付かない人がどんどん増えているからなのではないかと思っています。別の言い方をすると、例えば善と悪との境界線とか、人間としてしてはいけないことと良いことの境界線、その他、様々な種類の境界線がぼやけてしまっているのではないでしょうか。にもかかわらず、それに気付かない人が増えていると言っても良いのかもしれません。

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《『数学書として憲法を読む』》

  この点については、またの機会に続けることにして、今回は、一年ぶりの対面講演の内容とそれを整理したものについて、第2回目です。

  前回のこのブログでは、「国民の総意」が「数学書として憲法を読む」という立場からは、憲法内では「実体」のあることを説明しました。しかし、「(国民の一人ひとりの意見を聞いた結果としての)全ての国民の一致した意思」という意味では、「国民の総意」は存在しません。するかも知れませんが、どのようなテーマであろうとも、全ての国民が同じ意見を持つことなど考えられないからです。

  しかしながら、抽象的かつ現実世界では実体のない「国民の総意」によって定義され存在している天皇は、現実の世界に生きている一人の人間です。その天皇が、「日本国民」であることは、前回「証明」しました。その天皇が公的にどのような義務を負い、どのような権利を享受できるのかについても憲法が規定しています。つまり、抽象的概念である「国民の総意」が現実世界に大きな影響を与えているのです。その関係をどう捉えるべきなのかを考える、というのが、講演の一つの目玉になったのです。

 

《天皇の権限と義務》

  ここで、この点についての憲法の規定をお浚いしておきましょう。どの条文でどの様なことが規定されているのかのリストです。

  • 3条--国事には、内閣の助言と承認が必要で、内閣が責任を負う。
  • 4条--国政に関する権能は持たない。
  • 6条--最高裁長官と総理大臣を任命する。
  • 7条--10項目の国事行為のリスト
  • 8条--皇室の財産管理は国会決議が必要。
  • 99条--唯一「明示的」に与えられているのは、「憲法遵守義務」

  この中で注目したいのは、例えば10項目の国事行為は、明示的には「義務」だとは書いてはいないのですが、職務規定ですので、普通の意味では「義務」だということになります。そんな中で、唯一、「明示的」に「義務」であると指定されている「憲法遵守」義務が特別な存在であることは言を俟ちません。

 

《憲法遵守義務は「義務」ではない?

  にもかかわらず、憲法についての通説・定説・裁判所の確定判決では、「憲法遵守義務」は「義務」ではないのです。それは、99条の解釈についての確定した判決があるからです。それを見て頂きたいのですが、まずは99条をお浚いしておきましょう。

憲法99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ 

  1977年2月17日に水戸地方裁判所が百里基地訴訟の第一審で下した判決では99条について「憲法遵守・擁護義務を明示しているが、これは、道義的な要請であり」と法的義務ではないことを明確に示しています。

  また、1981年7月7日には東京高等裁判所が控訴審の判決のなかで99条については「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」という解釈が示されています。その根拠として示されているのは次のような理屈です。「国家の公権力を行使する者が憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のものであつて」(高裁判決)

  こんな理屈が通るなら、「憲法遵守義務」の代りに「納税の義務」、「国家の公権力を行使する者」の代りに「国民」を使えば、30条の「納税の義務」は倫理的な性格のものになり、私たちは税金を納める必要がなくなってしまいます。

  「憲法遵守義務」が法的義務でなくてはならない理由として、以下の理由を挙げておけば十分でしょう

  • ルールを決めておいて、最後にそれは「道徳的要請」だとか「宣明」だとか宣言して、法的義務ではないことにすれば、それはルール、今の場合は憲法の存在や意味そのものを否定である。
  • 憲法の存在や意味そのものを否定
  • 裁判官は、99条によって「憲法遵守義務」を課せられている。その裁判官が、「自分が課せられているのは、法的義務ではない」と判断するのは、被告が判決を書くことと同じではないか。
  • 憲法中、天皇に対して明示的に「義務」を課している唯一の条文を無力にすることは、戦前への回帰につながる可能性があるから
  • 「国民の総意」によって、天皇に対して唯一の「明示的義務」として課されている99条を、「総意」には満たない存在が変えることはできない。
  • 憲法中に「義務」という言葉が使われている条項は4つある。その内の、二つ、教育を受けさせる義務(26条)と納税の義務(30条)は「義務」で、残りの二つ、勤労の義務(27条)と憲法遵守の義務(99条)が「義務」ではないのは、「義務」という同じ言葉を正反対の意味に使うことになり許されないはずであり、解釈が恣意的であることを意味する。

  以上、「憲法遵守義務」は「法的義務」以外の解釈はあり得ません。長くなりましたので、続きは次回に。

 [21/11/06 イライザ]

 

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2021年11月 5日 (金)

ヒロシマとベトナム(その29-2の1)

前号(10月5日)で、ベトナム系フランス人女性チャン・ティ・トー・ガーさんがモンサント社などを相手に枯葉剤裁判を闘っていることについて報告しました。今号はベトナム戦争帰還兵とその家族が起こした訴訟から考えて見たいと思います。

15年に及ぶベトナム戦争でアメリカは延べ650万人、1969年のピーク時には543,400人もの若者を戦場に送り、56千人余りの戦死者を出しました。米軍戦闘部隊は1973年1月の「パリ和平協定」(*1)に基づき3月末までに撤退しますが、南ベトナム政府軍を支援する軍事顧問がサイゴン陥落まで残ります。そして、1975年4月30日、南ベトナム民族解放戦線と北ベトナム軍によりサイゴンが解放されベトナム戦争が終結します。

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(10年間にわたり反復的に2万回以上の枯葉剤散布が行われた)

 

初めてのベトナム帰還兵と家族による裁判

戦場で枯葉剤を浴びたアメリカ帰還兵に70年代後半から頭痛やめまい、胸焼けなどの症状だけでなく、肺癌、前立腺癌、心臓疾患な健康障害が現れ、奇形や出産異常が頻発します。そうした中、1978年に参戦兵士と家族によるダウ・ケミカル、モンサントなどの枯葉剤製造会社を相手に初めての集団訴訟が起こされます。

6年続いた訴訟は1984年に突如、原告代表・弁護団から被告側が「被害者と家族に総額1億8,000万㌦を支払う」という和解合意が発表され、始まろうとしていた審理が閉じられてしまいます。枯葉剤被害に苦しむ帰還兵と家族は、枯葉剤被害が公にされることなく裁判が封じられたことに怒り、全国5都市で抗議の公聴会を開き、「合意無効」を訴えて訴訟を起こしました。しかし、連邦抗訴法院は「合意に至った過程は正当で公正だった」として原告側の要求を受け入れませんでした。

その後1989年にも集団訴訟を起こしますが、ここでも却下されます。

  2004年にはベトナムの枯葉剤被害者が、同じくダウ・ケミカル、モンサントなどの製薬会社を相手に集団訴訟を起こしますが、2005年の一審で棄却、2007年の控訴審も棄却、2009年には大法院でも却下されました。これは、外国人がアメリカの裁判所に提訴できるのは、国際法や国際条約への違反や不法行為があった場合に限られているためです。前号で紹介したフランス在住のチャン・ティ・トー・ガーさんが、フランス・エブリー市の刑事法院に訴訟を起こしたのもこうしたことに因ります。

 

カネで封じ込めた事実

帰還兵と家族の訴訟に対しダウ・ケミカル、モンサントなど被告である製薬会社側は、製造責任どころか枯葉剤被害も認めないまま、障害の程度に応じ、1万2,000㌦~1万3,700㌦(当時300~342万円)を支払い、枯葉剤被害と製造者責任を封じました。それは、どういうことでしょうか。

下の表を見てください。アメリカのベトナム戦争参戦兵士の妻を対象とした調査結果です。枯葉剤を浴びた帰還兵A群(786人)と浴びなかったB群(418人)の比較です。先天性奇形では枯葉剤を浴びたA群が浴びなかったB群の実に15倍です。この表から、枯葉剤を直接浴びた兵士の子どもたちも、明らかに影響を受けていることが分かります。これは、枯葉剤、すなわちダイオキシンが精子に影響を与えているためです。

 

先天異常

A群(被曝)

B群(無被曝)

A/B

先天性奇形

3.14%

0.21%

15.0倍

流産

14.42%

9.04%

1.6倍

早産

2.01%

0.61%

3.3倍

不妊

2.80%

1.20%

2.3倍

出典:滝沢行雄「トキシコロジーフォーラム」(1987.10)

(*1)197327パリベトナム民主共和国(北ベトナム)、ベトナム共和国(南ベトナム)、南ベトナム共和国臨時革命政府アメリカ合衆国の間で調印されたベトナム戦争終結を約した協定。正式名称はベトナムにおける戦争終結と平和回復に関する協定。

(2021年11月5日 あかたつ)

【編集者】届いた原稿が少し長めでしたので、あかたつさんの了解を得て、2回に分けて掲載することにしました。つづきは、7日に掲載します。

 

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2021年11月 4日 (木)

浄国寺(中区土橋)の大イチョウが写った写真

928日のブログ「浄国寺(中区土橋町)訪問記その2-被爆の痕跡を訪ねるのつづき: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で、「浄国寺のイチョウ」について、次のような紹介をしました。

「もう一つお寺にとって大切なものがあります。2階の本堂入り口にかけられている寺号額です。

この額は、境内で被爆したイチョウの木で作られています。原爆によって一瞬のうちに堂宇が焼失し荒涼とした焼け跡を残すだけとなった浄国寺の境内で、ぽつんと立っていたのがこのイチョウの木でした。焼け野原となった広島市内、この大イチョウは、遠く広島駅からも一目でそれと分かったといわれていたほどの大木だったようです。この大イチョウが写った写真はないかと探したのですが、それと確認できるものを見つけることが出来ませんでした。」

ずっと気になっていたのですが、ようやく「被爆後の浄国寺のイチョウ」が映った写真を見つけることができました。

昨日紹介した「創立百周年記念誌 てんま」を見るため、原爆資料館を訪れた時のことです。原爆資料館「資料情報室」の前の廊下の北側の壁面には、いつも写真を中心にした企画ものが展示されていますが、その向かい側の壁面には、被爆前、被爆後の市内のパノラマ写真が掲示されています。よく見ると、当然のことですが浄国寺附近も映っています。その部分だけを切り取ったのが下の写真です。

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 林重男撮影 広島平和記念資料館提供

 右端に相生橋が映り、その左側が慈仙寺鼻(今の平和公園)です。手前に元安川、奥に本川が映っています。よく見ると、本川の最下流ぎりぎりに「新大橋」(現在の「西平和大橋」)が映り、その手前に橋げたがなくなり橋脚だけとなった本川橋の跡が写っています。この二つの橋の真ん中あたりの右岸の中ほどに入って位置が、浄国寺です。しかし、この写真ではイチョウの木を見つけることはとてもできません。

そこで、原爆資料館の学芸課を訪ね、「『浄国寺のイチョウ』が写った写真はないでしょうか」と調査を依頼し「被爆資料等掲載・使用許可書」を提出して帰宅しました。

2日後に、4枚の写真がメールで届きました。その1枚が上記の写真です。

他の3枚には、「浄国寺のイチョウ」と思える樹木が、はっきりと映っています。

最初の1枚は、このブログでも紹介した猫屋町にあった光道学校から東南東方向に撮影したものです。

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ハーバート・F・オースチンJr撮影、ブレッド・M・オースチン寄贈、広島平和記念資料館所蔵

左端に光道学校の一部が小さく映っていますので、焼け残った校舎の屋上から写したものと思えます。写真右端の真ん中ほどに見える大きな樹木が、浄国寺のイチョウの木です。

次の写真は、同じ光道学校からやや右より南東方向に撮影したものです。

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ハーバート・F・オースチンJr撮影、ブレッド・M・オースチン寄贈、広島平和記念資料館所蔵

浄国寺のイチョウは、中央左側の大きな樹木です。光道学校から浄国寺までは、250mの距離ですから、はっきり見えています。

次の写真は、浄国寺付近から北方向に撮影したものです。「北方向」というのは、資料館からの情報です。きっと後ろに写る山の形で方向が、判断できると思います。

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マルコム・ルイス寄贈 広島平和記念資料館所蔵

写真ではイチョウの木の上部が切れていることからも、大きな樹木だったことが想像できます。このままでは見にくいのですが、写真を拡大してみるとイチョウの木の手前から左側に、墓石が並んでいる(倒壊したものもある)のがわかりますので、お寺の境内の一角にイチョウの木があったことが分かります。

浄国寺と広島駅までの距離は、約2.6キロもありますが、この3枚の写真を見ると、「この大イチョウは、遠く広島駅からも一目でそれと分かったといわれていたほどの大木だった」という言い伝えが、何となく納得できる気がします。

掲載した写真は、いずれも原爆資料館から提供されたものです。たくさん収蔵されている写真の中から見つけ出す作業をしていただいた原爆資料館のおかげで、また一つ疑問を解くことができました。

先日忙しい中お話を聞かせていただいた浄国寺さんに、プリントした写真を持参したところ「イチョウの木が映った写真は、初めて見ます」と大変喜んでいただきました。

いのちとうとし

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2021年11月 3日 (水)

天満小学校のプラタナスの歴史

先月25日に行った「古本まつり」で、気になりながらも購入しなかった本があったことを、29日のブログで紹介しましたが、その本は広島市立天満小学校の「創立百周年記念誌 てんま」でした。

その場でパラパラとページをめくると、昨年5月29日のブログ「平和と愛(友情)のシンボル プラタナスの碑」-天満小学校の原爆の絵第6号碑: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介したプラタナスが、「なぜ学校のシンボルとなったのか」などが詳しく記載されていました。

最初に目にしたのが次の文章です。

「プラタナス(PTAの新聞)の創刊号に、名づけ親の神崎竹千代さんはこう書いています。『私は学校に出入りするたびにいつも思う。戦前も常に子どもとともに明けくれ、夏にはいこいの日陰をあたえ、いく度か6年生を送り、1年生をむかえたプラタナスのことを。原爆により焼け出されてから私は、あのなつかしいプラタナスはもうだめだと思ったが、校舎の仮建築が終わり、本建築も一部出来上がり、昔の天満校に一歩一歩近づきつつある時、あのはだかになったプラタナスも自らの力で復活し、今は青々として子どもの作文に仲間入りし、画題となり、遊び場に日かげをつくって常に学校と共にある姿こそ今回出発したPTAのよきシンボルであり天満校と共にある唯一のものであろう。(以下略)』」

原爆資料館の「情報資料室」に、学校の「○○年誌」が収蔵されていることを思い出し、貴にはなったのですが、購入せずに後日情報資料室を訪れることにしました。

やはり情報資料室には、この本が収蔵されていました。

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ここからは、この版に記載されている天満小学校のプラタナスの歴史をたどります。

このプラタナスが天満小学校の校庭に植えたのは、昨年5月のブログにも書きましたが、1931年(昭和6年)度の卒業生です。「細くて子どもの背丈ぐらいしかない」10本余りの木が植えられました。

2年後の学校の見取り図では、左下の民家の上の方にプラタナスが描かれています。

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その後1942年(昭和17年)に、南西隅の民家が立ち退き、敷地が広がり、プラタナスは、運動場の真ん中に取り残されることになります。その様子が1945年(昭和20年)の見取り図に画かれています。

Photo_20211102114802

そして1945年8月6日、爆心地から1.2キロ離れていた天満小学校(当時は、国民学校)も校舎は全壊し、完全に消失したのですが、4-5本のプラタナスが焼け残ったのです。戦後の校舎建築でも焼け残ったプラタナスを大切に扱って設計されたことが、1955年(昭和30年)頃の見取り図からは読み取れます。

 Photo_20211102114803

こうした学校の変遷を見ると、いつもプラタナスが大切にされてきたことが分かります。

最後に1974年に発刊された「創立百周年記念誌 てんま」の「あとがき」の一部を紹介します。

「本校の象徴ともいえるプラタナスは、今は葉を落とした細い枝を、何本も空に向かって伸ばし、冬の日差しを少しでも吸いとろうとするかのようです。

わたしたちは、今までこのプラタナスについて何一つ知りませんでした。そればかりかプラタナスがあること自体、ごくあたりまえのことと気にもとめなかったのです。百年の歴史は多くのものをつみあげてくれたと同時に、逆に多くのものを無関心に彼方に追いやってしまいました。(以下略)」

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「平和と愛(友情)のシンボル」となって元気な姿を見せている天満小学校の3本のプラタナスの長い歴史を知ることができました。

「古本まつり」会場を最終日(31日)に再び訪れたのですが、この「創立百周年記念誌 てんま」は、棚から消えていました。

いのちとうとし

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2021年11月 2日 (火)

こんな選挙結果になるとは

総選挙の開票作業が全て終わり、結果が明らかとなりましたので、今日も選挙について書かなければいけないのですが、パソコンの前に座っても、なかなかキーを打つ手が進みません。それほど、予測もしなかった厳しい選挙結果です。自民党は過半数割れどころか、単独でも絶対安定数を獲得したのですから。

その反対の結果ということになりますが、選挙協力を進めた野党、とりわけ立憲民主党と共産党が議席を減らしたことに戸惑いというよりかなり強いショックを覚えています。なぜこんな結果になるの?

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Yahoo!ニュース」より

 この結果を受けて一番危惧されるのは「選挙協力が間違っていた」との声が強くなることです。でも本当にそうなのか、少し落ち着いて結果を分析することが必要だと思います。

立憲民主党は、全体で13議席の減となったのですが、小選挙区では議席が増えています。それは何よりも、選挙協力の成果だったといえます。大きく議席を減らしたのは、比例代表選挙ですので、ここをどう分析するのかによって、今後の野党共闘の行方を左右することになると思いますが、ゆ党(与党に対し常に対立的な姿勢を示すわけではなく、是々非々で臨む政党)言われてきた維新が大躍進しただけに、「立憲野党」の協力はより求められます。ですから、慎重に党内論議を進めてほしいと思います。

といいつつ、なぜ?と思うことがいくつかあります。

その一つが、維新の大躍進です。吉村大阪府知事が、コロナ対策でマスコミに出ずっぱりだったことが、多くの人が指摘しているように、近畿圏を中心的な勢力にしていた維新を全国区に引き上げたと思わざるを得ません。確かに吉村知事が、一生懸命にコロナ対策を行ったことは否定しませんが、なぜ大阪であんなにコロナ感染が拡大したのかの原因を指摘することは殆どありませんでした。感染拡大の大きな要因の一つが、維新が進めてきた改革によって、病院や保健所が減らされていたことは、はっきりしています。このことがもっと指摘されておれば、維新の改革が何をもたらすか、有権者にも理解が広がり、もう少し違った結果になったのではと、思ってしまいます。

同じことは、30日のブログにも書きましたが、安倍・菅政権の評価もそうです。それでも自民党?とつい言いたくなります。

もう一つは、政治とお金の問題です。広島出身の岸田さんが、総理になったことでこの問題は解決したというのでしょうか。わずか半年前の参議院広島選挙区再選挙では、あれほどの批判があったにもかかわらず、その熱気はどうして冷めてしまったのか、その原因を考えずにはいられません。自民党本部からの1億5千万円の交付金に対する説明責任は、果たされないままであったにもかかわらずです。一方で、甘利自民党幹事長が小選挙区で落選したのは、「政治とカネ」の問題があったからですから、余計にそう感じてしまいます。

これ以上書いても、愚痴だけになりそうですから終わりにしますが、最初に書いたように「落ち着いてしっかりと結果を分析する」ことが絶対に必要です。

そうでなければ、来年夏に必ず実施される参議院選挙の32の一人区で野党が勝利することは、さらに難しくなります。

ぜひ次の闘いを見据えた選挙の総括を進めてほしいと願っています。

いのちとうとし

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2021年11月 1日 (月)

総選挙と国民審査の結果 ――与党はやや後退、その分は維新に回った?――

総選挙と国民審査の結果

――与党はやや後退、その分は維新に回った?――

総選挙の結果について、やはり一言触れない訳には行きません。午後10時時点での情勢を元に書いていますので、その後、事によると少しは議席数が変るかもしれません。しかし、大勢はそれほど変らないはずです。

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自民・公明の議席が少なくなることは予想通りでした。例えば、東京8区の石原伸晃氏は早くから小選挙区での敗北が確実になっていましたし、神奈川13区の甘利明氏の苦戦も予想通りでした。しかし、全体としては漸減といった感じで「大敗」にはならなかったのが今回の選挙の特徴です。菅総理大臣に変って岸田総理になったために、マイナスのイメージがある程度改善されたのがその原因なのかもしれません。

もう一つの理由が、維新の大躍進です。議席は改選前の3倍になったのですが、支持票の中には自民・公明政権への批判票がかなりの割合であったのではないでしょうか。しかも維新は「野党」というよりは、自民党「右派」と位置付けた方が分り易い政策を掲げています。

仮に維新という選択肢がないと仮定して「思考実験」をしてみると、維新の獲得票の一部、特に自民・公明批判という点で維新に入れた人たちの中には、立憲、国民、共産、れいわ、社民等に、つまり「純粋野党」に入れたであろう人もあったと考えられます。その人たちの支持は選挙中にも「勢い」として各陣営には伝わりますし、世論調査にも反映されます。となると、全体として「純粋野党」の勢いと票数にかなりのプラス効果をもたらしたのではないかと考えられます。

また、野党共闘のために小選挙区でかなりの数の独自候補を引っ込めた共産党は、比例の票でもその影響を受けています。出口調査の結果が、そのことをはっきり示しているように読めたのですが、最終結果はどうなるのでしょうか。これが、今後の野党共闘に悪影響を与えないことを祈っています。

という風に見てくると、「純粋野党」が政権を取るためには、維新対策が優先事項の一つになります。安部・菅・岸田批判だけではなく、批判している人たちが「純粋野党」の支持者になるようなインセンティブを提供しなくてはなりません。次の目標の一つとして覚えておきましょう。

そして、今回の選挙で、現在の日本政治の大きな欠陥の一つが、改めて浮かび上がりました。それは、投票の秘密が守られていないことです。投票の秘密は憲法による要請です。

15条の4  すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

国際的にも、日本のように自書式で、簡単な仕切りがあるくらいでは投票の秘密は守られないという指摘がありましたが、今回の最高裁の裁判官の国民審査では、それ以上の問題がありました。

私は、全員に「×」を付けるべきだと主張してきましたので、私がどのような投票をしたのかは皆さんにはお分りです。しかし、11人もの対象者の全てに「×」を付けるのには時間が掛かります。その上、今回明らかになったのは、「×」をいくつ付けたのかまで、近くの人には筒抜けになるという点です。

記載場所の机の平らな部分は、アルミだろうと思われる金属製です。そして、鉛筆で「×」を書くと、その度に大きな音がするのです。

私の場合は、既に「×」を付けることを公表していますので、全く問題はないのですが、それでも、多くの立会人がいる中、そしてその中のかなりの人には私が誰であるのかが知られているという状況で、「×」を付ける度にそれが、これらの人たちに知られるという現実に直面して、「これってヤバくない?」と感じたのです。

仮に「勇気を出して」、今回初めて「×」を付けようと考えて投票所に行った人が、最初の「×」で、「ヤバい」と思って、そこで自分の意思表示を止めてしまう、つまり一つだけ「×」を付けただけで投票する可能性は大きいのでないかと思えました。

総選挙結果からの類推で国民投票結果を予測すれば、今回も罷免される裁判官は皆無でしょうし、「×」の付けられたパーセントも、これまでとそれほど差はないだろうと考えられます。そんな状況で、大海の中の一滴について、これほどこだわる必要はないという考え方もあるでしょう。しかし、小さい人権無視が毎日積み重なることで、「人権無視」についての感性が鈍化し、大きな人権無視にも気付かない社会ができてしまった結果が、今の日本だとすると、それを変えるためには、「神は細部に宿る」という格言も思い出しつつ、一人ひとりの人間の命と尊厳さの意味を確認することから始める必要があるのではないでしょうか。

 [21/11/01 イライザ]

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