坪井直さんに哀悼の誠を捧げます
日本原爆被害者団体協議会代表委員で広島県原爆被害者団体協議会理事長の坪井直さんが、96年の生涯を終え、10月24日逝去されました。
ちょうど、今日のブログの別の原稿(石田明さんのこと)を書こうとしているところに、前田耕一郎県被団協事務局長から電話で、この訃報が届きました。
坪井さんは、20歳の時にあった原爆によって死の淵をさまよい、多くの人々の助けによって生きることができた自らの被爆体験をもとに、核兵器廃絶を内外に訴え、被爆者援護の推進など被爆者運動の先頭に立って全力を尽くしてこられました。
被爆者坪井直さんに心からの哀悼の誠を捧げます。
坪井さんには、いつも「金子君」「金子君」と声をかけていただき、親しくしていただきましたので、思い出すことは尽きません。
2011年谷本清平和賞受賞パーティー
中でも私にとって忘れることができないのは、最初の出会いです。
私が最初に坪井さんと出会ったのは、確か1991年(だったと思います)の5月、労働会館(現ワークピア)の3階です。当時空席となっていた広島県被団協の事務局次長に誰かふさわしい人はいないかと探していた近藤幸四郎さんに、坪井さんを紹介されたのが、被爆教師として一緒に運動をしてこられた被爆教職員の会会長の石田明さんでした。
何の会議だったのか今ははっきりとは覚えていません(私もその場にいたのですから広島県原水禁の常任理事会だったと思います)が、会議が終了する時刻に合わせるように労働会館の3階に坪井さんが来られ、3人の話し合いが始まりました。話し合いは難航したようで、3人が部屋から出てこられた時には、かなりの時間が経っていました。それでも3人がすがすがしい顔をしておられたことを覚えていますので、話はまとまったことが推察されました。と書きましたが、この話し合いが「坪井さんの県被団協事務局次長への就任」の話だったことを知ったのは、3人の会談が終わった後、近藤さんが、そのことを私に話してくれたからです。
それまで、私は坪井さんのことを全く知りませんでした(運動の中で姿を見ることはなかった)ので、当時「本当に大丈夫かね」と近藤さんに話したことを今も忘れることができません。
学校現場での被爆教師としての平和教育の経験はあったものの、被団協や原水禁運動とのかかわりが全くない中での県被団協事務局次長への専従としての就任でしたから、坪井さんの苦労も多かったと思います。しかし、その後のて坪井さんの活躍ぶりを見れば、「本当に大丈夫だろうか」などと生意気なことを感じてしまったことを恥じ入るばかりです。
坪井さんの願いであった核兵器廃絶は、命があるうちに実現できませんでしたが、それでも「核兵器禁止条約の発効」を実現させ、大きな一歩を進めることができたのは、坪井さんの力があったことは間違いありません。
「ネバーギブアップ」坪井さんの講演の最後は必ずこの言葉ありました。
坪井さん誓うことができるのは、坪井さんの遺志を引き継ぎ核兵器廃絶の実現のため、「ネバーギブアップ」の精神で、粘り強く運動を続けるということです。
坪井さんの残された足跡は、絶対に消えることはありません。
坪井さん長い間本当にありがとうございました。そしてご苦労様でした。
どうか安らかにお眠りください。
金子哲夫
【追記】坪井さんは、広島県原水禁の常任理事も長く務めていただきました。
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