ベトナムの歴史(その8-1)
北属期を脱した独立王朝時代
7月号で、938年に呉権(ゴ・クエン)が「白藤江(バクダン川)の戦い」で南漢軍を破り、紀元前111年から続いた1000年の中国支配から脱したことを紹介しました。その後の8月号、9月号で寄り道して、平群朝臣広成(へぐりのあそんひろなり)や阿倍仲麻呂など、北属期のベトナムと日本との関わりに触れました。
北属期を脱し1802年に阮(グエン)王朝が今日のベトナムにあたる全土を統一するまでの864年間の「独立王朝時代」に入らなければと思っているのですが、もう一度だけ寄り道をします。それは「北属期」のベトナムと中国との象徴的な関係についてです。
侵略・支配に対する抵抗と独立戦争の歴史
北属期までのベトナムの歴史を大まかにスケッチすると、原始時代:石器時代。ベトナム北部のタイホン省で旧石器時代の遺跡が発見されていることから、ベトナムの起源は3万年前の旧石器時代と推測されています。古代:建国の時代。石器時代から青銅文化時代に入り、紀元前8世紀から紀元後2世紀頃までベトナム北部の紅河(ホン川)流域でドンソン文化と呼ばれる文化が続きます。その間も侵攻してくる中国王朝に脅かされながら、その勢力下にありました。
その後、6月号で紹介しました文郎国(ヴァンラン国、紀元前8~7世紀)、甌雒国(アウラク国、紀元前257年~紀元前207年)、趙佗の南越国(紀元前207年~紀元前111年)などの国が建てられた「建国の時代」と呼ばれている時代に移ります。
そして、紀元前111年に南越国が漢に滅ぼされ「北属期」が始まります。漢は趙王朝の支配地だった南越を「交趾部」(後に交趾州)として、現在の広東を拠点に南海郡、蒼梧(そうご)郡、鬱林(うつりん)郡、合浦(ごうほ)郡、珠崖(しゅがい)郡、交趾(こうし)郡、九真(くしん)郡、日南(にちなん)郡の9郡に分けて支配します。
左下の地図がそれですが、現在のベトナムが交趾郡、九真郡、日南郡の3郡で北緯18度以北にあたります。それより南は、右の地図でbのチャンパ王国です。現在のホーチミンやメコンデルタなどの南部地域は現在のカンボジアの扶南王国でした。こうして始まった「北属期」は、漢・三国時代・晋・隋・唐を経て十六国・南北朝時代(注1)の南漢軍を破った938年まで続きました。
*地図は、クリックしていただくと拡大します。
(注1)十六国・南北朝時代=唐の滅亡から北宋の成立までの間に、黄河流域を中心とした華北・中原を統治した5つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代。
(2021年10月20日、あかたつ)
【編集者】あかたつさんから届いて原稿が少し長めでしたので分割し、つづきは22日に掲載します。
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