ベトナムの歴史(その8-2)
今も語り継がれる「ハイ・バ・チュンの反乱」
北属期のベトナムと中国との関係は、中国の圧政に対する「反乱」につぐ「反乱」の歴史と言って良いと思います。中でも有名で、象徴的なのが、西暦40年、徴側(チュン・ソク)と徴弐(チュン・ニ)という姉妹が漢王朝から派遣された交阯太守・蘇定(ト・デン)の暴政に決起した「ハイ・バ・チュンの反乱」です。現在のハノイ市メリン県の有力な地域領主(土豪)の娘だった徴側(チュン・ソク)が、漢朝に奪われた徴税権を戻すように交渉に出かけた夫、詩索(テイ・サック)を蘇定に殺されたことに端を発し、妹の徴弐(チュン・ニ)とともに起こした反乱です。反乱は、苛烈な漢の徴税や賦役に対する緩和を求める65県にのぼる地域の土豪を糾合し、勢力を得たチュン・ソクはハノイ北西に宮廷を置き、2年間にわたって「税金を調整する」ことを宣言しました。
徴姉妹と蘇定を描いたドンホー版画(注2)
しかし42年、老将・馬援(バ・エン、注3)に率いられた漢の軍勢によって破れ、翌43年2月6日に徴姉妹は捕らえられ斬首されたと伝えられてます。小倉貞男著『物語ベトナムの歴史』(1997年、中公新書)では、「ベトナムの伝承では、二人は戦場で死んだ、馬援に斬られた、馬援に首をはねられた、病死した、雲の中に消えていったなどいろいろな最期が語られている。しかし、最も信じられているのは、追い詰められた徴(チュン)姉妹が手をたずさえて川に飛び込んだという説である。」と記しています。
(注2)ドンホー版画=ベトナム北部のバクニン省、トゥアンタイン県ドンホー村で製作されている伝統的な絵が描かれた版画です。ベトナムの生活、風物詩、風刺などが描かれ、ベトナム語で現在は使われない漢字の言葉が添えられることがあります。昔、貧しかった庶民が正月だけは華やかにしたい、また将来の幸福を願って作られたのがこのドンホー版画といわれ、現代ではめでたいもの、新年を祝賀する縁起物として旧正月(テト)の時期に家庭で飾られます。
(注3)馬援=「ハイ・バ・チュンの反乱」鎮圧を志願した60才を超える馬援将軍を心配して、後漢の光武帝は許可を出しません。そこで馬援は馬に跨がり、皇帝の前で雄姿を見せつけるポーズをとりました。光武帝は笑って、「矍鑠(かくしゃく)たるかな、此の翁や(元気なものだなあ、このじいさんは)」と言って、出陣を許可したということです。この「矍鑠(かくしゃく)」は、年を取っても元気がいい様子を指す方言だったそうで、以後、広く使われるようになったと伝えられています。また、馬援には「老いてますます盛んなり」という名言を「後漢書-馬援伝」に残しています。
「ハイ・バ・チュンの反乱」は、紀元前111年に始まった中国1000年支配の中で、最も早い時期に起きた「反乱」として、姉妹はベトナム史の民族的な英雄として語り継がれています。ちなみに、「ハイ(Hai)」は、ベトナムの数字で2を表します。「バ(Bà)」は女性の敬称、「チュン(Trưng)」は徴(チュン)という姓を表します。すなわち、「徴(チュン)さんという二人の女性(姉妹)の起こした反乱」という意味です
よい機会ですので、ベトナムの1~10までの数え方を紹介します。1=một(モッ)、2=hai(ハイ)、3=ba(バー)、4=bốn(ボン)、5=năm(ナム)、6=sáu(サウ)、7=bảy(バイ)、8=tám(タム)、9=chín(チイン)、10=mười(ムゥイ)です。
間もなく忘年会シーズンを迎えますが、ベトナムの「乾杯」音頭は、南部地域では「một(モッ) hai(ハイ) ba(バ) Vô!(ヨー)」、北部では「một hai ba zô(ゾー)」です。
2019年の「ハイ・バ・チュン祭り」線香を手向けるダン・テイ・ゴック・ティン国家副主席(当時)
「ハイ・バ・チュンの反乱」にもどします。首都ハノイには姉妹が祀られているハイ・バ・チュン寺があり、命日とされている2月6日には毎年、「ハイ・バン・チュン祭り」が開催されています。ハノイだけではなく中部の世界遺産のまちホイアンやホーチミン市をはじめ各地の通り(ストリート)や地区、ホテル、カフェなどにその名を残し、国民の記憶に留められています。
「ハイ・バ・チュンの反乱」以降も、中国各王朝の過酷な支配への抵抗と解放をめざす戦いは途切れることなく938年の「白藤江(バクダン川)の戦い」まで続きます。
次回から、中国1000年の支配を破った呉朝から李朝(リ朝)・陳朝(チャン朝)・黎朝(レ朝)・西山朝(タイソン朝)を経て、1802年の阮朝(グエン朝)によるベトナムを統一までの歴史に入りたいと思います。
(2021年10月22日、あかたつ)
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