広島市水道資料館見学余話―水道橋の話し
広島市水道資料館を見学した帰り道、創設時2カ所に架設された水道橋の一つ神田橋水道橋を訪ねたのですが、見つけることができなかったことを紹介しました。
その数日後、「資料館見学その一」で紹介した石額の当時の写真を入手するための申請書を提出するため広島市水道局を訪ねました。その時担当者に「神田橋水道橋はどうなったのでしょうか」と訊ねたところ、「すでに撤去されましたが、神田橋のすぐ上流の牛田側の少し広くなったところに、説明版が設置されていますよ」と教えていただきました。
その帰り、現地を訪れてみました。先日は気づかなかったのですが、確かに当時の写真がはめ込まれた説明版がありました。
説明文の一部の引用です。「原子爆弾の被災にも耐え、当初口径500ミリメートルだったものが、1950年(昭和25年)に新たに口径900ミリメートルの水道管に架け替えられた」ことなどが説明され、「しかし、設置後66年が経過し、老朽化が進行してきたため、新たに京橋川の川底に送水ルートを確保したうえで、2016年(平成28年)8月にその役割を終えました。」
撤去されたのはわずか5年ほど前のことですから、私がごく最近に見た気がしていたのも不思議ではありません。周辺に何か痕跡は残っていないのかと探してみましたが、それらしいものを見つけることはできませんでした。それでもと思い対岸の白島側に移動し、ここでも痕跡を探してみました。ちょうどモニュメントの対岸に当たる川土手に、水道橋の土台といってもよいようなしっかりとした石組が見つかりました。
河岸の水面に近い部分は、石組になっていますが、土手の一番上部に石垣が組まれているのは、周辺を見回してもここだけです。広島市水道局の広報担当に「当時工事に携わった人に水道橋の跡ではないか」聞いてほしいとお願いしましたが、いまのところ回答がありません。
水道局で「現在水道橋が残っているのは、栄橋だけです」と教えていただきましたので、改めて栄橋水道橋を見に行きました。栄橋のすぐ上流に並行して立派な水道橋があります。左岸(JR山陽線側)からの写真です。
榮橋の上から写した土台部分です。
右岸(縮景園側)から写して写真です。
土台部分がしっかりとした石組でつくられているのがよくわかります。この石組を見ると、神田橋水道橋の跡ではないかと思っていた石組に?マークが付きます。
この栄橋水道橋のレンガ造りの立ち上がり部分のどこにも、いつ作られたものかが書かれていませんので、帰宅後、「広島市水道70年史」で調べてみました。
栄橋水道橋は、1917年(大正6年)から始まった第2期拡張事業の配水本管敷設工事として1922年(大正11年)から翌年にかけての工事で、布設されました。
ですから当然ですが、被爆建造物ということになります。しかし、「ヒロシマの被爆建造物は語る」では、取り上げられていません。神田川水道橋も同じです。
そこで、広島市水道博物館で、被爆建造物として紹介されている「猿猴橋水道橋」は、どう扱われているのか調べてみると、「ヒロシマの被爆建造物は語る」では猿猴橋と共に取り上げられています。どんな基準で被爆建造物とそうではないものと分けられたのか、ちょっと疑問に思います。
ここまで来ましたので、ついでにその猿猴橋水道橋があった場所にも行ってきました。右岸(的場町側)から見た景色です。撤去前に撮られた下の写真とほぼ同じ場所から写してみました。
「ヒロシマの被爆建造物は語る」(広島市発行)より
下の写真をよく見ると、当然のことですが、鉄管と接する橋脚部分が、水道資料館屋外に展示されているものと同じ丸型になっているのがわかります。
残念ながら、今では水道橋の痕跡を見つけることはできません。
ここにも、説明版が設置されていますが、説明文は、猿猴橋に関わる記載だけで、水道橋に関わるものは何も書かれていません。ただ、説明版に張り付けられた2枚の写真には、当時の水道橋の様子が映っています。私の興味を引いたのは、左側の写真です。
猿猴橋は、1925年(大正15年)に永久橋に架け替えられますが、この写真はそれ以前の様子を写したものです。水道橋は、猿猴橋の上流(写真では左側奥)に写っていますが、猿猴橋と比べるとかなり丈夫そうに見えます。やはり、軍用水道として作られたからでしょうか。
サッカースタジアム建設予定地発掘調査によって出て来た旧日本軍の軍事水道管から始まった水道管巡りの旅でしたが、長くなりましたのでここで一区切りとします。もし広島市水道局に依頼している写真の提供があった時は、改めて紹介したいと思います。
いのちとうとし
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