広島市水道資料館見学記その1
コロナ対策の緊急事態宣言が解除され、懸隔が再開された牛田の浄水場内にある広島市水道資料館の見学に行ってきました。
8月27日から29日にかけこのブログで、基町にある広島市水道局の玄関に展示されているサッカースタジアム建設予定の発掘現場から出土した★印のある出た水道管や全国で5番目に敷設された広島市の水道の歴史を紹介した時、「製造者の刻印を確認するため、開館したら訪れたい」と書きましたが、それがようやく実現しました。
わが家から自転車で約20分。「水道資料館は、浄水場の南側にあります。資料館は南側から入ります。」とあらかじめ水道局の方向担当から聞いていたのですが、現場に行くと意外と導入路を見つけるのが大変でした。アストラムライン沿いに北上しましたが、牛田駅東口付近には、「水道資料館入口」を示す看板が見つけることが出来ませんでしたので、浄水場の南側のフェンス沿いに道があるのではと思い、北側に進みましたが、入り口らしき道が全くありません。引き返し、牛田駅東口から新牛田公園への緩い坂道を下ることにしました。写真の右端です。
坂道を下ると、「水道資料館」の方角を示す小さな表示板を目にすることが出来き、ようやくたどり着くことが出来ました。建物の入り口付近には、2台の自転車が止められていますので、先客があるようです。
広島市水道資料館は、1924年(大正13年)に建設された送水ポンプ室を改修したレンガ造りの2階建ての建物で、被爆建物として登録されるとともに近代化産業遺構にも選ばれています。
資料館入口の外側左右に水道創設時に設置された石額が屋外展示されています。右側の石額には「不舎晝夜」(ちゅうやをおかず)と書かれています。
言葉の意味は、「水道の水は、昼夜をおかず供給される」という意味かと思いましたが、帰宅して広島市水道博物館のホームページで調べると「昼も夜も休みなく流れ続ける“母なる川 太田川”の恩恵を思い、当時、臨時広島軍用水道布設部長であった児玉源太郎陸軍中将が中国の故事にならって筆をふるったものです。」と書かれていました。この石額は、水道創設当時は、太田川の水を取り入れる牛田取水門中央上部に掲げられていたようですから、「太田川を讃える」言葉だという説明に納得がいきます。
左側の石額には「深仁厚澤」(しんじんこうたく)と書かれています。
この解説は、ホームページの内容より興味あることが書かれていますので「広島市水道70年史」から引用します。
「伊藤博文の書。深仁は、中国南陽公の古言に『此地独何力、我公布深仁』とあり、深恵、広大な仁徳ということで、明治天皇の深恵により創設された水道という意味と解される。厚澤は、厚沢潤凋枯、沢潤生民など無辺な水徳のことである。この四文字は、明治天皇の仁徳と大自然の水徳を巧みに表現したものといえる。
この石額は、明治28年広島大本営で『国家有事之日出而済之博文号涙』の伊藤博文が、第3次伊藤内閣(明治31年1月~同年6月)のころ書いたもので、かつては旧ポンプ室正面に、金ぱくを塗付し、さんぜんと輝くこの石額を仰いで、水源地参観者がおさい銭を供え拝んだという逸話が残されている。」(原文のまま)
「金ぱくが塗付された石額におさい銭を供える」、水道布設に対する当時の市民の強い感謝の思いが伝わってくるようです。
「広島市水道70年史」には、二つの石額を説明する前段に「軍用水道と市民用水道布設決定によって、軍および広島市はともかく宿年の懸案を達成したのであるが、その勅令公布を実現せしめた立役者は、首相伊藤博文と陸軍次官児玉源太郎である。」とし、最後に「伊藤博文が本市水道の父ならば、児玉源太郎は母である。」としています。
異例ともいえる勅令によって「水道布設」が実現したことを示すこの2枚の石額のことも気になっていた一つでしたので、少し長い解説になってしまいました。
ようやく館内に入ることが出来ます。
真正面にある受付に行くと、リーフレットと広島市水道局が販売する「飲んでみんさい!ヒロシマの水」とラベルが貼られたペットボトルが手渡されました。
ありがたく頂戴し、いよいよ館内の見学です。
1階は、「広島市水道と私たちのくらし」を学べるフロアにですが、私が見たいのは広島市水道の歴史ですので、まず2階の「広島市の水道の歴史を学びながら平和について考える」フロアへと上がりましたが、今回の訪問記も1回で終わりそうにありませんので、このつづきは、9日に掲載することにします。
いのちとうとし
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