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2021年10月

2021年10月31日 (日)

10月のブルーベリー農園その4

ブルーベリー農園は東広島市豊栄町にある。安芸区の船越から週末農業で通い続けているが今月の23日、24日に農作業をしてから間を5日開けて30日に農園に行く。ブルーベリーの収穫も終わったので農園に行く間隔も長くなる。月の後半は暖かく秋らしい気温で農作業もはかどった。

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1023日(土)

農園の近くの農事法人の保管しているもみ殻のハウスにもみ殻を頂きに行く。車に乗せるだけ乗せて農園の倉庫に入れた。ブルーベリーを追い植えする時に使うためだ。

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畑の富有柿をもいだ。全部で8個。その内カラスに突っつかれたのが1個。家に持って帰っておいしく食べた。

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帰る途中、安芸の郷が販売しているブルーベリーの苗木の売れぐあいを見に道の駅「湖畔の里福富」によった。そして遠くの山のきれいな夕焼け雲に出会えた。山の向こうは向原あたり。

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1024日(日)

里山のブルーベリー園(西側)の草刈りを続ける。この場所はやっと終了。

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草刈りを行ったときに地面にいがぐりがたくさん落ちている場所に出くわす。でも栗の実は見えない。園の周囲にワイヤーメッシュの柵をしているが地面を掘って侵入した形跡があるので動物が食べたのかもしれない。

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草刈りが終わってから畑のブルーベリー園の道路そばの溝を掃除。およそ70mある。上げた泥に足をとられてもんどりうったが柔らかい土が幸いして無事。でも腰にこたえる作業だ。

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1030日(土)

朝、船越の家の前のハナミズキの街路樹が一斉に紅葉。赤い実もたくさんついている。キンモクセイの花が咲いていい香りがしている。去年より2週間位遅い開花だ。

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午後農園に着いてから夏に実のついた枝を切る軽めの剪定を続ける。草刈りは里山ブルーベリー園の東側を刈る。ちょっとだけ残った。剪定するかちっという音と刈り払い機のブルーンブルンという音以外はないし、無風の一日。

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裏庭のツバキの初花。まん丸の形の蕾がたくさんついている。春に咲くのにいまとは・・・。

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毎年たくさん実をつけるナンテンは橙色になっている。赤い実になるのは12月頃だろうか。

 

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年10月30日 (土)

明日への政策も大事だが、問われるべきは政治への姿勢

19日に公示された衆議院議員総選挙も、最終日を迎え、明日は投・開票日です。有権者は、何を基準にどんな選択をするのでしょうか?

選挙が始まると(公示前から届くものもありますが)各候補者の元には、マスコミ各社や市民団体などからたくさんのアンケート用紙が送られてきます。アンケートの質問事項のほとんどは、これからの課題、つまり政策に対し、例えばコロナ対策、景気回復のための政策は等、候補者の考えを問うものです。

今回の総選挙で選ばれた議員は、これからの4年間(解散があれば、当然短くなるが)の国政に責任を持つことになるのですから、「これからどうするのか」が問われるのは当然のことではあります。

しかし、私は、今度の総選挙は、政策だけで選択されてもよいのだろうかと強く思います。何よりも問うべきは、この4年間というか2012年12月の総選挙以来の自・公による安倍・菅政権が進めてきた数の力による国民無視の政治のありようだと思っています。

とりわけこの4年間、大きな問題となった森友問題、公文書改竄、加計学園問題、桜を見る会、政治とお金、どれ一つ説明責任が果たれさたといえるものはありません。国会の審議でも、野党議員の質問に対し、きちんとした答弁が行われたとは思えない場面を私たちは何度も何度も繰り返し目にすることになりました。もちろんその中には、質問する議員にももっと「工夫があってもよいのでは」と思うこともしばしばありましたが。

質問に対し、真正面からの答弁がなければ、国会審議など成り立ちません。当たり前のことですが、国会での議員一人ひとりの質疑時間は、あらかじめ決まっていますから、自分に与えられて質問時間は貴重です。限られた質問時間であるにもかかわらず、無意味な答弁を繰り返す政府を正すべき委員会の委員長も、与党の議員がなっているのですから、政府の国会審議が進んでしまうのです。

安倍・菅政権の4年間は、まともに質問に答えない場面がどれほどあったのかを考えるだけで、怒りが湧いてきます。国会審議を軽視し形骸化させた安倍・菅政権の責任は極めて重大です。

私は、今回の選挙でまず問うべきは、この4年間安倍・菅政権によって進められた国会軽視、国会の民主主義を否定する政治のあり様だと考えています。

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県庁前の衆院選の啓もう物は幟だけでした。

 「野党は批判するだけだ」という声をよく聞きます。確かに、具体的に政策提言も大切な野党の役割だと思いますが、野党に求められる一番重要なことは、政府が提案する政策や法案、進めてきた施策に対し厳しいチェック機能を果たすことです。残念ながら、この役割が十分果たすような国会となっているとは言えない状況です。その要因は様々ありますが、「野党は批判するだけだ」というマスコミ挙げてのキャンペーンもその一つです。

9月の自民党総裁選挙の各候補は異口同音に「『国民のための政治』『国民の聞く』」と主張しましたが、この政治のイロハのイがここで登場することに、私はびっくりしました。そこまで言うのであれば、「なぜそういわなければならないのか」という説明が必要だったはずですが、それを説明した人は誰もいません。

こ自民党の総裁候補者までもが「国民のための政治」を言わなければならないほど、国民を無視した政治が続けられたということではないでしょうか。

この選挙では、この政治のあり様こそが問われなければならないと私は思います。

一人ひとりの有権者の政治意識が問われている総選挙だといえます。

政治の主役は、国民一人ひとりです。この選挙で、当たり前の政治を取り戻すためには、何としても与野党が伯仲する選挙結果を出すことだと思っています。

今日一日、その思いで頑張りたいと思います。

いのちとうとし

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2021年10月29日 (金)

被爆教師石田明さんが被爆時に乗っていた電車-古本まつり巡りから

紙屋町シャレオ中央広場で、第24回目となる「古本まつり」が、開催されています。今年2回目の開催で、県内外から9店舗が参加し、最終日は31日です。

初日の25日、会場に行って見ました。初日だったのでしょうか、私の予想以上に多くの人が、並べられた平台、棚で本を探していました。

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会場には、小説、文庫本、美術展覧会のカタログなど多様な書籍が出品されていますが、私の目当ては、郷土史、特に原爆関係の古い本ですので、それらが並ぶ棚を探します。2か所の棚にわかれています。一カ所は私が日ごろからよく行くアカディミー書店の棚ですので、とりあえずそこをパスしてもう一カ所の棚に急ぎました。

一冊一冊丁寧にみていきました。欲しいなと思う本もいくつかありましたが、結局購入したのは「原爆被爆前後 広島市内電車運転の推移」の1冊だけでした。

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この本を購入したのは、本の最初の方に「絵葉書に見る広島の市内電車」というタイトルで、戦前の電車が走る町の絵ハガキ6枚が掲載されていたからです。その最初の1枚には「本線の軌道が左官町~堺町~土橋を通っていたころの境町一丁目付近を進行する電車」の説明文がついています。この絵ハガキは、9月2日のブログ「明教寺(中区猫屋町)訪問記: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介した明教寺前を通っていた当時の電車道を写したもので、以前から探していた写真です。

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「原爆被爆前後 広島市内電車運転の推移」より

 ですので、すぐ購入することにしました。

この写真が目的で購入を決めた本でしたが、帰宅してページを繰ってみると貴重な資料が見つかりました。それは、1945年8月6日、原爆が投下された時の電車の運行状況が路線地図上で示されているからです。

この地図が気になったのは、八丁堀付近の電車の中で被爆された広島県原水禁代表委員だった石田明さんのことがすぐ頭に浮かんだからです。

被爆教師石田明さんの著書「ヒロシマの母の遺産」には、被爆当時のことが次のように記載されています。

「母のつくってくれたにぎりめしを持って、兄と私は七時前、狩留家駅を出発しました。七時四〇分ごろ広島駅につきました。そして己斐行きの市内電車に乗りました。真夏の太陽の高い日でした。満員電車で、そのまんなかに兄とわたしは入り、すしづめの中で身動きもできず、電車が揺れるにまかせていました。女子運転手の運転する電車です。的場町、稲荷町、山口町、流川、そして八丁堀。左手に“将軍”姿の仁丹の広告塔を、乗客の肩越しに見ました。八丁堀の停留所に停車する寸前、“ピカッ!”青い閃光が光りました。一瞬意識を失いました。」(原文のまま)

この石田さんの記述に当てはまる電車は、己斐方面(西)に向かい八丁堀付近で被爆した車両です。一両あります。400形式の車番421号の電車です。

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「原爆被爆前後 広島市内電車運転の推移」より

さらに同誌には、8月6日に被爆した電車の被害状況一覧もありますが、421号は、八丁堀で全焼したことが書かれています。八丁堀付近の己斐方面行きは、この一両しか走っていなかったようですから、石田明さんが乗車していた車両この421号だったことが分かりました。こんなことが分かるとは思ってもいませんでした。

400型の電車は、当時30両中、29両が被爆し、5両が全焼、8両が大破、無被災は1両だけでした。

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「原爆被爆前後 広島市内電車運転の推移」より

石田さんの被爆体験が、また少し身近になった気がします。それにしても、被爆当日の電車の運行状況をここまで解明された著者長船友則さんの努力には頭が下がります。

爆心地から約750メートルの近距離で電車の車中で被爆した石田明さんは、坪井直さんと同じように、お母さんの献身的な看護により、九死に一生を得、生涯を反核運動に捧げられました。

石田明さんが国を訴えた石田原爆訴訟は、昨年10月27日「石田原爆訴訟の「最終準備書面」を読む: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」28日「「ヒロシマ」を訴えた石田原爆訴訟: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」のブログで紹介しています。

それにしても、坪井直さんが亡くなられたことを知らされたその日に、石田明さんのことを調べていたことに何が不思議なものを感じます。

「古本まつり」では、もう一冊気になる本がありましたが、その本の紹介は、別の機会にします。

いのちとうとし

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2021年10月28日 (木)

坪井直さんに哀悼の誠を捧げます

日本原爆被害者団体協議会代表委員で広島県原爆被害者団体協議会理事長の坪井直さんが、96年の生涯を終え、10月24日逝去されました。

ちょうど、今日のブログの別の原稿(石田明さんのこと)を書こうとしているところに、前田耕一郎県被団協事務局長から電話で、この訃報が届きました。

坪井さんは、20歳の時にあった原爆によって死の淵をさまよい、多くの人々の助けによって生きることができた自らの被爆体験をもとに、核兵器廃絶を内外に訴え、被爆者援護の推進など被爆者運動の先頭に立って全力を尽くしてこられました。

被爆者坪井直さんに心からの哀悼の誠を捧げます。

坪井さんには、いつも「金子君」「金子君」と声をかけていただき、親しくしていただきましたので、思い出すことは尽きません。

 

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2011年谷本清平和賞受賞パーティー

中でも私にとって忘れることができないのは、最初の出会いです。

私が最初に坪井さんと出会ったのは、確か1991年(だったと思います)の5月、労働会館(現ワークピア)の3階です。当時空席となっていた広島県被団協の事務局次長に誰かふさわしい人はいないかと探していた近藤幸四郎さんに、坪井さんを紹介されたのが、被爆教師として一緒に運動をしてこられた被爆教職員の会会長の石田明さんでした。

何の会議だったのか今ははっきりとは覚えていません(私もその場にいたのですから広島県原水禁の常任理事会だったと思います)が、会議が終了する時刻に合わせるように労働会館の3階に坪井さんが来られ、3人の話し合いが始まりました。話し合いは難航したようで、3人が部屋から出てこられた時には、かなりの時間が経っていました。それでも3人がすがすがしい顔をしておられたことを覚えていますので、話はまとまったことが推察されました。と書きましたが、この話し合いが「坪井さんの県被団協事務局次長への就任」の話だったことを知ったのは、3人の会談が終わった後、近藤さんが、そのことを私に話してくれたからです。

それまで、私は坪井さんのことを全く知りませんでした(運動の中で姿を見ることはなかった)ので、当時「本当に大丈夫かね」と近藤さんに話したことを今も忘れることができません。

学校現場での被爆教師としての平和教育の経験はあったものの、被団協や原水禁運動とのかかわりが全くない中での県被団協事務局次長への専従としての就任でしたから、坪井さんの苦労も多かったと思います。しかし、その後のて坪井さんの活躍ぶりを見れば、「本当に大丈夫だろうか」などと生意気なことを感じてしまったことを恥じ入るばかりです。

坪井さんの願いであった核兵器廃絶は、命があるうちに実現できませんでしたが、それでも「核兵器禁止条約の発効」を実現させ、大きな一歩を進めることができたのは、坪井さんの力があったことは間違いありません。

「ネバーギブアップ」坪井さんの講演の最後は必ずこの言葉ありました。

坪井さん誓うことができるのは、坪井さんの遺志を引き継ぎ核兵器廃絶の実現のため、「ネバーギブアップ」の精神で、粘り強く運動を続けるということです。

坪井さんの残された足跡は、絶対に消えることはありません。

坪井さん長い間本当にありがとうございました。そしてご苦労様でした。

どうか安らかにお眠りください。

金子哲夫

【追記】坪井さんは、広島県原水禁の常任理事も長く務めていただきました。

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2021年10月27日 (水)

衆議院議員総選挙 期日前投票と選挙公報

昨日、衆議院議員総選挙の期日前投票に行ってきました。わが家は、投票日当日の投票所となっている「広島みらい創生高等学校」へは290m、期日前投票所の「中区役所」は150mの近距離ですので、どちらにも簡単に行けるのですが、今回は期日前投票を選びました。

今回の衆議院議員総選挙では、例えば広島県選挙管理委員会ホームページは、「期日前投票」の説明文に従来の「投票日前であっても,投票日に仕事や旅行,レジャーなどの予定がある人は,投票日と同じ方法で投票することができます(つまり,投票用紙を直接投票箱に入れることができます)。」に加えて「また,新型コロナウイルス感染症への感染が懸念される場合も,期日前投票を行うことができます。」を加えていますので、マスコミも、期日前投票の様子を伝えるニュースでは「新型コロナの感染対策として期日前投票を呼び掛けています」と報道していることも、期日前投票を行うことにした理由の一つです。

期日前投票に行くときには、郵送された「選挙のお知らせ」の裏面の「期日前投票宣誓書」に氏名などの必要事項を記入しなければなりません。その中に5項目の「事由」を記載する欄があります。

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「コロナの感染対策」はどの事由に○をすればよいのか、念のため事前に電話で中区選挙管理委員会に問い合わせました。答えは「5 天災又は悪天候により投票所に到達することが困難」です。コロナは、まさに天災ですね。

また「選挙のお知らせ」には、「期日前投票のご案内」と共に「不在者投票について」も記載されています。この「不在者投票について」の説明文には「期日前投票のご案内」には記載されていないコロナについての記載がありますが、ちょっと不思議な説明文です。

「体の不自由な方や新型コロナ感染症により療養している方は、在宅等で投票できる場合があります。早めにお手続きください。」

「在宅等で投票できる場合があります。」とはどういうことなのでしょうか。そのまま素直に(といっても、少し皮肉っぽく)読むとコロナで療養している人は「投票できなくても仕方ない」が、「場合によっては投票できる」とも読めるような記述です。どういうことなのでしょうか?が付きます。

いずれにしても、「コロナ禍の選挙」という、今までにない状況での選挙ということを表している今回の「選挙のお知らせ」です。が、広島県選挙管理委員会のホームページの「不在者投票」では、「新型コロナ感染症により療養している方」の記載は、全くありません。

さて、中区役所に行き、階段で投票所がある3階まで上がると、入り口に15人ほどの列ができていました。次々と人が訪れます。期日前投票をする人が、増えているのがわかります。

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ところで、期日前投票は、選挙の公示日(今回は19日)の翌日から、簡単に行使できるようになりましたので、選挙ごとに期日前投票を行う有権者が増えています。しかし改善しなければならない問題が出てきています。投票のために必要な「選挙のお知らせ」が届くのが遅くなることもその一つです。これは、このハガキがなくても指定された期日前投票所にいけば、投票できますので、どうしても改善しなければならない問題ではないように思います。

改善してほしいのは、「選挙公報」の配布です。マスコミ報道によれば、一昨日(25日)約100万枚の印刷が仕上がり、新聞折り込みをするため発送されたということですので、どんなに早くても、有権者に届くのは26日以降になります。実際、期日前投票を行った昨日は、公示日から一週間が過ぎていますが、届きませんでした。今朝は届くと思いますが。

「選挙公報」に掲載される各候補者の公約は、立候補の届け出(事前に間違いがないかチェックを受ける)と共に、決められた規格に基づいて作った版下(そのまま印刷できる)の状態で選挙管理員会に提出することになっています。にもかかわらず、なぜ一週間もかけないと印刷できないのか、ちょっと不思議です。

「選挙公報など読んだことがない」という声も聞きますが、「選挙公報」は、立候補者の政策を知る大切なツールです。ぜひしっかり読んで候補者を選択してほしいと思います。

問題は、期日前投票で投票する人が年々多くなっている今の選挙制度を考えると、「選挙公報」の配布時期が遅すぎるということです。

各候補者から提出された「選挙公約」はすぐに印刷できる状態になっているのですから、公示日から「選挙公報」が配布されるまで一週間もかかるのは遅すぎると思うのは、私一人でしょうか。テレビなど報道機関を使った政見放送と共に検討しなければならない、制度だと思います。

いのちとうとし

【追記】今朝(27日)、ようやく新聞折り込みで選挙公報が届きました。

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2021年10月26日 (火)

一年振りの対面講演会 ――『数学書として憲法を読む』について話しました――

一年振りの対面講演会

――『数学書として憲法を読む』について話しました――

   一年振りに上京して、少人数の集まりで「講演」をしました。対面での参加者とZoomでの参加者の二本立てでした。内容は、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』 (法政大学出版局) の紹介です。主なポイントについての解説をしたのですが、Zoomでの会議に慣れてきた結果、特に時間を守らなくてはならないという制約があったせいで、時間配分が上手くできました。質疑の時間を十分に取れたのが今回の成果の一つです。参加して下さった方々の中には法曹関係者も数人いらっしゃいましたので、専門家を前にして話をすることになり、ちょっと緊張しましたが、全体として伝えたいことは過不足なく伝わったような気がしています。

   『数学書として憲法を読む』では、憲法をいわば数学的な存在として、つまり現実との関係は二の次に置いて、抽象的な構造を問題にしました。とは言え、憲法そのものは我が国の法律体系の「最高法規」なのですから、現実との関係を完全に無視することはできません。 

   今回の講演会では、この点に焦点を合わせて話をしました。一つには、1条で象徴天皇という位置付けをしている主体としての「国民の総意」は本当に存在するのか、という問への答を示すことでした。答は、憲法内の存在としては「国民の総意」は存在します。これを「抽象的」国民の総意と呼びましょう。対して、現実の世界においての「国民が一人残さず同じ意見を持っている」という意味での「国民の総意」は存在しません。こちらを「現実としての」国民の総意と呼びましょう。

   憲法では、抽象的な存在としての「国民の総意」の力によって、天皇とはどのような存在なのかを規定しています。99条の憲法遵守義務も、その「抽象的」かつ絶対的な意味のある「国民の総意」という根拠がその力の源です。従って、「国民の総意」は単に「抽象的」な存在というだけでなく、現実の場にも影響を与えているのです。ですから、「抽象的」な存在としての「国民の総意」と、「現実としての」「国民の総意」の間の関係を整理しておかなくてはなりません。

   ここまでの説明を読んで、「十分に納得できた」と感じた方はおそらく少数だと思います。以下、もう少し丁寧に分り易く説明をして行きます。以下、その大筋です。

   まず、「国民の総意」という絶対的な意味を持つ力は、憲法内では「実体」のある存在です。それは、憲法の一番初めに掲げられている「上諭」が保障しています。その上諭とは次の文を指します。

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

御名御璽

昭和二十一年十一月三日

   つまり、明治憲法下では「絶対的存在」であった昭和天皇が、上諭の中で「国民の総意」があることを認めその「総意」に従って新しい憲法ができたと言っているのですから、昭和天皇の絶対性の帰結として「国民の総意」が存在するのです。

   この「国民の総意」が憲法第一条で、天皇という存在を規定しています。これはいわば職務規定なのですが、特別な存在として第一条でその仕事について規定されている、同時に人間として厳然たる姿で実在している天皇は「日本国民」であるかどうかも憲法によって決められなくてはなりません。

   答は、天皇は立派な日本国民です。それは、憲法10条に従って作られた国籍法によって保障されています。

第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

国籍法の第二条の規定は次の通りです。

子は、次の場合には、日本国民とする。

一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。

二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。

三  日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。

   次に、天皇が日本国民であることの証明です。

(1) 上皇・上皇后ともに国籍を持つか、二人とも持たないかのどちらかである。

(2) 持つ場合には第一項によって、そうでない場合は第三項によって、上皇は日本国民である。

(3) となると、第一項によって、現天皇は日本国民である。

 その結果、日本国民としての天皇は、国民に与えられている権利を享受し、また国民に課されている義務を果さなくてはなりません。義務の中でも、唯一、明示的に「義務」であることが強調されているのが99条の憲法遵守義務です。では天皇が憲法を遵守するとはどのような具体的事柄を指すのでしょうか。ちょっと難しくなりますので、次回で改めて考えたいと思います。

 東京でのホテルは飯田橋にあったのですが、ロビーにはハロウィーンの飾り付けが鎮座していました。その写真を御覧下さい。

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 [21/10/26 イライザ]

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2021年10月25日 (月)

エネルギー基本計画が閣議決定された

10月22日、第6次エネルギー基本計画が閣議決定されました。今月末から英国グラスゴーで開催される、国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)までには決定するとされていました。

まずこのエネルギー基本計画を議論した、経済産業省総合資源エネルギー調査会基本政策分科会について話さなければなりません。24名の委員で構成されていましたが、原発に批判的な人は2名?だけでした。各委員は数分の制限時間内に自らの主張を言うだけの意見表明の場で、議論を交わすこともなく、結論は事務局の経済産業省の官僚が原案を作成し、最終的には会長に修正を一任するという形でまとめられました。これが議論といえるのでしょうかね。「今さら」というように受け止められるかも知れませんが、まさに原発推進の大合唱という感じでした。

全文128ページというもので、まだ全文はじっくりとは読んではいませんが、ざっと目を通した直感のような思いは、新聞の見出しにもなっていますが「玉虫色」でした。僕なりに追加すると「優柔不断」、「責任回避」、「岸田文雄的」という感じです。そしてこの度も原発増設の意図がミエミエという内容ですが、強引にそれを打ち出せないという印象で、その大きな理由は「原発は要らない」という私たちの声だと思います。

エネルギー基本計画は2030年の計画だということを、基礎的な知識として捉えた上で皆さんに読んでいただきたいと思います。

温室効果ガスを減らすために、再生可能エネルギーの割合を発電量全体の「36~38%」に引き上げたこと、前回のエネルギー基本計画では22~24%でしたから新聞は「再エネ倍増」と書いています。しかしすでに現時点で水力発電を含めて再エネ比率は約20%ですから、36~38は決して驚くような数字ではありませんし、むしろ少ない数字です。再エネを増やすことを拒んでいる政策がこの国の姿勢だと思います。

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昨年10月、菅義偉首相は所信表明で「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする。すなわち2050年カーボンニュートラル脱炭素社会の実現を目指す」と表明しました。

50年カーボンニュートラルの目標を立てるのなら、30年の再エネ比率はせめて46%に、さらに50%を目指すことを求めるべきであると思っていました。だから36~38は少な過ぎるのです。石炭火力についても、現状の32%からたったの6%引いただけの26%、これではCOP26会議での世界からの疑問の声が出されるでしょう。

世界の平均気温上昇を抑えるには、温室効果ガスを13年比で30年に60%減、50年に100%減にするという世界的な約束を目指して、50年のエネルギーの枠組みを考え、そのために30年はどうするかということを決めることです。「二酸化炭素を出さない原発を」という主張は論外で、世界からの笑いものにされるだけです。

さて原発問題、この度も「可能な限り原発依存度を低減する」と書いています。しかし新増設については何もありません。一方で基本的な立ち位置として、原発比率を20~22%とするという表現を残し、「ベースロード電源」としたことは、市民の声を聞こうとしない態度であり、現状が6%という中で、実現が不可能な数値を言い続けるのは、まさにペテンです。そして福島原発事故の教訓から、「40年運転ルール」にしたのですが、これも実質的な骨抜きとなった感じです。

国際連携を活用して高速炉開発の着実な推進、小型モジュール原発、核融合の研究開発に取り組むとしていることも、まさに危険な動きといえます。

今回のエネルギー基本計画議論で良かったことをあえて言うなら、パブリックコメント(意見公募)が約6,400件あったということです。前回の2018年は1,700件でしたから、3.7倍増加したこと。その中身は明らかにされていませんし、もちろん原発推進の意見もあることでしょうが、関心の大きさを示していると思います。

※以下のページに掲載されています。

https://www.meti.go.jp/press/2021/10/20211022005/20211022005.html

 

木原省治

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2021年10月24日 (日)

「戦争と平和を考える子どもの本展inヒロシマ2021」

22日の中国新聞で紹介された「子どもの本・九条の会」が主催する「戦争と平和を考える子どもの本展inヒロシマ2021」に行ってきました。会場は旧日本銀行広島支店です。

主催者の「子どもの本・九条の会」、広島では初めて聞く名前です。そのはず、2008年に設立された会ですが、活動の拠点は東京だということです。この展覧会、東京では毎年開催されているのですが、以前から希望が実り、今年ようやく広島での初めての開催が実現したそうです。

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会場には、戦争と平和をテーマにした国内外の絵本・児童書が、「核兵器と原発に関する本」「戦争と平和に関する本」「各地の空襲、平和についてのお話絵本」などのテーマごとに約300点展示されています。何冊かは見たことがある本もありましたが、初めての本がほとんどです。

展示されているのは本だけではなく、「おこりじぞう」など5冊の本の原画も展示されています。

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メインの会場の最初の展示は、今年7月22日に亡くなられた児童文学作家那須正幹さんを追悼するコーナーです。

テーブルに並べられた那須さんの多くの本と共に絵本「絵で読む広島の原爆」の原画が展示されています。絵の作者は、西村繁男さんです。この本は、私の書棚にも1冊ありますが、見開き2ページを使って1枚の絵が描かれています。ですから、原画も横長のかなりの大きさです。

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一枚は拡大して紹介したいのですが、「写真撮影は全体としてはOKですが、原画単品での撮影はできません」とのことですので、上写真から横長の大きさを想像してください。

次に移動します。那須さんのコーナーの奥に、気になる原画展示がありました。

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今年1月に発刊された絵本「いぬのふるさと」の原画です。作者は、絵・文とも鈴木邦弘さんです。置かれていた本のチラシには「あの日から10年―遠い町で一人ぼっちになった犬は、ある日、故郷をめざした。」と書かれ、さらに「原発事故の被災地に何度も足を運び、取材を重ねた著者にしか画けなかった絵本」と紹介されています。福島原発事故による被災地の今を描いた作品です。

ここでも原画そのものは写真撮影できませんので、絵の雰囲気を知ってもらうため、会場の置かれていた絵の一枚が使われているチラシを紹介します。

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この絵は、「福島10年 見えない放射能を描く」と題して、昨年6月30日から7月11日まで東京新聞に掲載されたものです。

この「子どもの本展」では、本や原画の展示と共に23日、24日の二日間はトークイベントも開催されます。

最終日の今日のトークイベントは、午前11時からの「『チンチン電車と女学生』の笹口里子さんの被爆証言」、15時からは「絵で読む広島の原爆」の原画作者西村繁男さんの講演など4つの企画が予定されています。

今日が最終日ですが、時間があれば、立ち寄っていただきたい展示会です。

いのちとうとし

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2021年10月23日 (土)

2021.10月のブルーベリー農園その3

16日と17日に農園で草刈り、ブルーベリーの木の剪定、ジャーマンアイリスの植え付けなどの農作業を行う。午後から陽が暮れる少し前までの時間なので、気持ちゆっくりモードでこなしていける。17日は風がちょっと強かった。シャツだけでは寒いので上着を着て動くとちょうどよい。

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1016日(日)

畑に2回目のジャーマンアイリスを植えた。

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所どころの土の中からカエルがのっそりと飛び出してくる。土の中にもぐっていたところを掘り返されたためだ。寒くなったのでもう冬眠が始まったのだろう。

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トマトが赤くなっていたので収穫した。

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里山の農道にヨメナが咲いている。右側がブルーベリー園だが突然、突然パタパタという音が聞こえたかと思うとキジが飛び立つ。オスだった。

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作業はこの日も草刈り。その際、水路が少し詰まっているのを発見。来週は溝掃除が待っている。

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庭の花壇の菊の花。

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1017日(日)

16日で畑の草刈りが終わったので里山のブルーベリー園の草刈りを始める。ブルーベリーの木と木の間に蜘蛛が巣を張っている。体が大きくなった。

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杉林に近い辺りの地面は苔が地面を覆っている。木漏れ日が射すとビロードのような表情になる。

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草刈りと並行して、この日からブルーベリーの木の軽い剪定を始める。主に実のついた枝を切り落としていく。長いところは1m位切る。

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森の工房AMAの庭に咲くフジバカマの花にアサギマダラが来ている。羽が開くのを待って撮影できた。空を舞うときにはふさふさといった羽音がかすかに聞こえる

 

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年10月22日 (金)

ベトナムの歴史(その8-2)

今も語り継がれる「ハイチュンの反乱」

北属期のベトナムと中国との関係は、中国の圧政に対する「反乱」につぐ「反乱」の歴史と言って良いと思います。中でも有名で、象徴的なのが、西暦40年、徴側(チュン・ソク)と徴弐(チュン・ニ)という姉妹が漢王朝から派遣された交阯太守・蘇定(ト・デン)の暴政に決起した「ハイ・バ・チュンの反乱」です。現在のハノイ市メリン県の有力な地域領主(土豪)の娘だった徴側(チュン・ソク)が、漢朝に奪われた徴税権を戻すように交渉に出かけた夫、詩索(テイ・サック)を蘇定に殺されたことに端を発し、妹の徴弐(チュン・ニ)とともに起こした反乱です。反乱は、苛烈な漢の徴税や賦役に対する緩和を求める65県にのぼる地域の土豪を糾合し、勢力を得たチュン・ソクはハノイ北西に宮廷を置き、2年間にわたって「税金を調整する」ことを宣言しました。

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徴姉妹と蘇定を描いたドンホー版画(注2)

しかし42年、老将・馬援(バ・エン、注3)に率いられた漢の軍勢によって破れ、翌4326日に徴姉妹は捕らえられ斬首されたと伝えられてます。小倉貞男著『物語ベトナムの歴史』(1997年、中公新書)では、「ベトナムの伝承では、二人は戦場で死んだ、馬援に斬られた、馬援に首をはねられた、病死した、雲の中に消えていったなどいろいろな最期が語られている。しかし、最も信じられているのは、追い詰められた徴(チュン)姉妹が手をたずさえて川に飛び込んだという説である。」と記しています。

(注2)ドンホー版画=ベトナム北部のバクニン省、トゥアンタイン県ドンホー村で製作されている伝統的な絵が描かれた版画です。ベトナムの生活、風物詩、風刺などが描かれ、ベトナム語で現在は使われない漢字の言葉が添えられることがあります。昔、貧しかった庶民が正月だけは華やかにしたい、また将来の幸福を願って作られたのがこのドンホー版画といわれ、現代ではめでたいもの、新年を祝賀する縁起物として旧正月(テト)の時期に家庭で飾られます。

(注3馬援=「ハイ・バ・チュンの反乱」鎮圧を志願した60才を超える馬援将軍を心配して、後漢の光武帝は許可を出しません。そこで馬援は馬に跨がり、皇帝の前で雄姿を見せつけるポーズをとりました。光武帝は笑って、「矍鑠(かくしゃく)たるかな、此の翁や(元気なものだなあ、このじいさんは)」と言って、出陣を許可したということです。この「矍鑠(かくしゃく)」は、年を取っても元気がいい様子を指す方言だったそうで、以後、広く使われるようになったと伝えられています。また、馬援には「老いてますます盛んなり」という名言を「後漢書-馬援伝」に残しています。

 

「ハイ・バ・チュンの反乱」は、紀元前111年に始まった中国1000年支配の中で、最も早い時期に起きた「反乱」として、姉妹はベトナム史の民族的な英雄として語り継がれています。ちなみに、「ハイ(Hai)」は、ベトナムの数字で2を表します。「バ(Bà)」は女性の敬称、「チュン(Trưng)」は徴(チュン)という姓を表します。すなわち、「徴(チュン)さんという二人の女性(姉妹)の起こした反乱」という意味です

よい機会ですので、ベトナムの1~10までの数え方を紹介します。1=mt(モッ)、2=hai(ハイ)、3=ba(バー)、4=bn(ボン)、5=năm(ナム)、6=sáu(サウ)、7=by(バイ)、8=tám(タム)、9=chín(チイン)、10=mười(ムゥイ)です。

間もなく忘年会シーズンを迎えますが、ベトナムの「乾杯」音頭は、南部地域では「mt(モッ) hai(ハイ) ba(バ) Vô!(ヨー)」、北部では「mt hai ba zô(ゾー)」です。

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2019年の「ハイ・バ・チュン祭り」線香を手向けるダン・テイ・ゴック・ティン国家副主席(当時)

 

「ハイ・バ・チュンの反乱」にもどします。首都ハノイには姉妹が祀られているハイ・バ・チュン寺があり、命日とされている2月6日には毎年、「ハイ・バン・チュン祭り」が開催されています。ハノイだけではなく中部の世界遺産のまちホイアンやホーチミン市をはじめ各地の通り(ストリート)や地区、ホテル、カフェなどにその名を残し、国民の記憶に留められています。

「ハイ・バ・チュンの反乱」以降も、中国各王朝の過酷な支配への抵抗と解放をめざす戦いは途切れることなく938年の「白藤江(バクダン川)の戦い」まで続きます。

次回から、中国1000年の支配を破った呉朝から李朝(リ朝)・陳朝(チャン朝)・黎朝(レ朝)・西山朝(タイソン朝)を経て、1802年の阮朝(グエン朝)によるベトナムを統一までの歴史に入りたいと思います。

(2021年10月22日、あかたつ)

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2021年10月21日 (木)

最高裁裁判官の国民審査には全員[×]を ――[×××××××××××]――

最高裁裁判官の国民審査には全員[×]を

――[×××××××××××]――

前回は、異例ずくめの総選挙と同時に行われる最高裁判所の裁判官の国民審査 (以下、「国民審査」と略す) についての問題提起をしました。まず、対象となる裁判官の氏名を知るにも努力が必要であること、それだけではなく、一人一人の裁判官がどのような仕事をしてきたのかを、素人である、同時に主権者である私たちが容易に理解できるような情報提供さえしていない最高裁判所の怠慢さについて問題提起をしました。

それだけでも、国民審査で全員に「×」印を付けるのに十分な理由だと思いますが、18日と19日に報道された「最高裁判例集に119か所誤り」という中国新聞の記事を読むに至って、未来永劫 (にならないことを祈りつつ書いていますが) 国民審査で「×」を付け続けることで、最高裁判所の猛省を促さなくてはならないと決意を新たにしました。

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2021年10月19日付中国新聞の「誤りリスト」

1948年から1997年に言い渡された大法廷での判決12件の中で誤りのあった個所は119にも及びます。大法廷は最高裁判所の中でも重要な案件を扱いますので、その中の12件という国政上最大級に重要な問題の中からこれほどの数の誤りがあったということは、1947年から2020年までの間の8,000件以上の反例の中にはもっと多くの誤りがあることも意味しています。

かなりの数の誤りが、誤字脱字や句読点の誤りだそうですが、中には、判決の意味が正反対になってしまうものもありました。中国新聞の報道では、次のような重大な過ちなのです。

「国家が教育に介入することの違憲性が問われた76年の「旭川学力テスト事件」判決では「教育が『不当な支配』でゆがめられてはならない」との法解釈をした文章の中で「そのような支配と認められる鍵の、その主体のいかんは問うところではない」の部分が「そのような支配と認められない限り」と、逆の意味に捉えられかねない誤記をしていた。」

その他にも、重要な欠落もあります。再度中国新聞からです。

「死刑を合憲とした48年の判決は、公共の福祉に反する場合、生命に対する国民の権利も制限されるとの憲法解釈を示した文章の中から「公共の福祉に反しない限りという厳格な枠をはめているから、もし」という表現が欠落していた。」

最高裁判所の責任で選択され、編集・発行され市販もされている「判例集」に、これほど多くの誤りがあること自体、主権者たる国民に対しての侮辱です。例えば、偉い人たちだけが集まる会合で三権の長として最高裁判所の長官が挨拶する場合、こんな誤りが生ずることはあり得ないです。

このように「上下関係」には最大限の配慮をするだけでなく、「身内」には甘い官僚の判断基準が厳然と存在することに、私たち主権者が強く抗議することも必要です。併せて指摘しておくと、8月6日の菅総理大臣の「読み飛ばし」も「ヒロシマ」そして国民への侮辱であり、「人を馬鹿にするのも好い加減にしろ」と強く抗議すべきことだったのです。

国民審査で全員に「×」を付けるべき理由は、この二つだけではありません。もう二つだけ挙げておきましょう。一つは、「判例集」でも取り上げられ、重大な誤りが見付かった、1948年の「死刑合憲」判決です。

拙著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』 (法政大学出版局刊、2019年) では、三つの異なった視点から、この判決が間違っていること、そして憲法は積極的に死刑を禁止していることを「証明」しました。詳しくは拙著に譲りますが、誰が読んでも簡単明瞭に分る理屈で死刑が禁止されているにもかかわらず、最高裁判所は70年以上にわたって死刑が合憲であるとの主張をし続けてきたのです。また、必要条件と十分条件を敢えて混同することで、論理を超えた屁理屈で死刑を合憲だと言い張ってきたのです。これほど本質的な瑕疵に70年以上口を閉ざしてきた最高裁の全裁判官が罷免されてもおかしくない重大な過誤です。

『数学書として憲法を読む』からもう一つ挙げておきましょう。このブログをお読みの皆さんの耳にはタコができているかもしれませんが、憲法99条の解釈です。初めての方もいらっしゃるかもしれませんので、念のため、『法学セミナー』2020年9月号の62ページから69ページに掲載された拙稿「憲法を文字通り、素直に読んでみませんか」から引用しておきます。

まず条文を掲げる。

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

「尊重し擁護する義務を負ふ」のだから、これは「義務」以外の何物でもあり得ない。しかし、1977年2月17日に水戸地方裁判所が百里基地訴訟の第一審で下した判決では、99条について「憲法遵守・擁護義務を明示しているのであるが、この公務員に対する憲法への忠誠と護憲の要請は、道義的な要請であり、倫理的性格を有するにとどまる」と述べ、法的義務ではないことを明確に示している。(水戸地判昭52・2・17判時842-22頁)。また、1981年7月7日には東京高等裁判所が同訴訟の控訴審の判決で、99条は「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」との判断を述べた後、「本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のものであって、この義務に違反したからといって、直ちに本条により法的制裁が加えられたり、当該公務員のした個々の行為が無効になるわけのものではな」い、と倫理性を強調している。(東京高判昭56・7・7判時1004-3頁)

つまり、意味の上で、「義務」という字句を「道義的要請」という字句に置き換えており、これは「置換禁止律」違反である。

最高裁の判決は先例拘束性を持つと理解されているが、仮に上記の東京高裁の判決にはその力がないとしても、このような「先例」を参照しつつ、99条に依拠して公務員の憲法遵守義務違反の訴訟が受け付けられない状況があったとしてもおかしくはない。その意味でも、東京高裁判決の意味は大きい。

さらに、両判決では、条文の「義務」を「道徳的要請」に置き換えて読むべきだという十分な論理的根拠が示されていない点が問題である。

「根拠」として読めなくはない一節はある。東京高裁の判決の、「国家の公権力を行使するものが憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務はいわば、倫理的な性格のものであつて」という下りだ。仮に前半が「根拠」だとすると、論理的には理解不能になってしまう。

それは次のような理由からだ。常識では公務員には遵守義務がある、それゆえ、我が国の法律体系の「最高法規」である憲法では、「倫理的性格のもの」になる、という因果関係は、筆者には理解不可能だからだ。

加えて、もしこの理屈が正当であるのなら、主語は国民、動詞は納税する、に置き換えることで、「主権者たる国民が税金を納付すべきことは、当然の要請であるから、本条の定める国民の義務はいわば倫理的性格のものであって」となり、30条の納税の義務は、倫理的な性格のものになってしまう。

詳細な議論は、是非『数学書として憲法を読む』をお読み下さい。そうすれば、憲法の遵守義務を規定している99条が「法的義務」ではないことを認めている高等裁判所の確定判決をそのままにして、憲法の存在自体が否定されてしまっている事態に手を束ねている最高裁判所に存在価値があるのかを問い、同時にそんな事態を許してきた裁判官たちを罷免することは当然だという主張の根拠がお分り頂けます。

 それは同時に、国民審査で「全員に「×」を付けよう」という呼び掛けの正当性も示しているはずです。

以上が私の考え方ですが、参考になるサイトがいくつかありますので、そちらも御覧下さい。

一つは、日本民主法律家協会が、国民審査の対象となる裁判官についてのこれまでの仕事振りをまとめたものです。短くかつ分り易いので参考にして下さい。軍学共同反対連絡会の小寺隆幸氏に教えて頂きました。

もう一つは、その連絡会のメンバーの一人田中一郎氏のブログです。こちらも参考になりますし、鬱憤が晴れるかもしれません。

 [21/10/21 イライザ]

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2021年10月20日 (水)

ベトナムの歴史(その8-1)

北属期を脱した独立王朝時代

7月号で、938年に呉権(ゴ・クエン)が「白藤江(バクダン川)の戦い」で南漢軍を破り、紀元前111年から続いた1000年の中国支配から脱したことを紹介しました。その後の8月号、9月号で寄り道して、平群朝臣広成(へぐりのあそんひろなり)や阿倍仲麻呂など、北属期のベトナムと日本との関わりに触れました。

北属期を脱し1802年に阮(グエン)王朝が今日のベトナムにあたる全土を統一するまでの864年間の「独立王朝時代」に入らなければと思っているのですが、もう一度だけ寄り道をします。それは「北属期」のベトナムと中国との象徴的な関係についてです。

 

侵略・支配に対する抵抗と独立戦争の歴史

北属期までのベトナムの歴史を大まかにスケッチすると、原始時代:石器時代。ベトナム北部のタイホン省で旧石器時代の遺跡が発見されていることから、ベトナムの起源は3万年前の旧石器時代と推測されています。古代:建国の時代。石器時代から青銅文化時代に入り、紀元前8世紀から紀元後2世紀頃までベトナム北部の紅河(ホン川)流域でドンソン文化と呼ばれる文化が続きます。その間も侵攻してくる中国王朝に脅かされながら、その勢力下にありました。

その後、6月号で紹介しました文郎国(ヴァンラン国、紀元前8~7世紀)、甌雒国(アウラク国、紀元前257年~紀元前207年)、趙佗の南越国(紀元前207年~紀元前111年)などの国が建てられた「建国の時代」と呼ばれている時代に移ります。

そして、紀元前111年に南越国が漢に滅ぼされ「北属期」が始まります。漢は趙王朝の支配地だった南越を「交趾部」(後に交趾州)として、現在の広東を拠点に南海郡、蒼梧(そうご)郡、鬱林(うつりん)郡、合浦(ごうほ)郡、珠崖(しゅがい)郡、交趾(こうし)郡、九真(くしん)郡、日南(にちなん)郡の9郡に分けて支配します。

左下の地図がそれですが、現在のベトナムが交趾郡、九真郡、日南郡の3郡で北緯18度以北にあたります。それより南は、右の地図でbのチャンパ王国です。現在のホーチミンやメコンデルタなどの南部地域は現在のカンボジアの扶南王国でした。こうして始まった「北属期」は、漢・三国時代・晋・隋・唐を経て十六国・南北朝時代(注1)の南漢軍を破った938年まで続きました。

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 *地図は、クリックしていただくと拡大します。

(注1)十六国・南北朝時代=唐の滅亡から北宋の成立までの間に、黄河流域を中心とした華北・中原を統治した5つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代。

(2021年10月20日、あかたつ)

【編集者】あかたつさんから届いて原稿が少し長めでしたので分割し、つづきは22日に掲載します。

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2021年10月19日 (火)

「和解を導いた力―呂学文さんの闘いをふりかえる―」集会

昨日報告した「中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」開催の前日に、毎年運動を継承するための集会が開催されてきました。

今年も前日16日の午後2時から広島弁護士会館で「和解を導いた力―呂学文さんの闘いをふりかえる―」をテーマとした集会が開催されました。

呂学文さんは、1995年8月に安野に強制連行され強制労働を強いたれた人たちによって結成された「安野受難労工聯誼(れんぎ)会」の会長に選ばれ、西松建設との補償交渉の先頭に立つとともに、1998年1月広島地裁に対し「西松建設に謝罪と補償を求める」いわゆる西松建設訴訟の原告団長として大きな役割を果たした人です。呂学文さんがいなければ、この訴訟がここまで進展を見ることはできなかったのでは、というのが私の感想です。

集会は2部構成で開催されましたが、何といっても今年のメインは、第1部の呂さんの次女呂志英さんによる「遺族が語る呂学文さん」でした。コロナ禍で来日が難しくなり、中国山東省済南市と会場をZOOMで結んで証言となりました。集会を主催する「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」の川原洋子事務局長の質問に答えてのお話でしたが、その一つひとつ話は、非常に重いものがありましたが、特に印象に残ったことが二つあります。

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その一つは、「強制連行のことで覚えていることは」という質問への答えです。「父は、建国記念日の7月1日は、いつも二胡を引いて、苦しそうな顔をしていました。母に『なぜ』と聞いても、母は厳しい顔で聞くことを止めさせられました。1966年私が小学生の頃です。紅衛兵となって活発に活動していたのですが、壁新聞に父の名前がありました。戦時中スパイだったとして糾弾されています。呂学文の文字を見てがっくりしたことを覚えています。」

「93年広島の市民が訪れていたことを覚えていますか」の質問に「はっきりと覚えています。その場に家族も集まりました。父は、日本でのことを詳しく語りました。初めて聞く話です。その父の話を聞いて、かつての自分を恥じました。」

その年呂学文さんは、帰国後初めて広島を訪問しますが、帰国した時の様子を「広島から返って父は、雰囲気ががらっと変わりました。母が『50年間耐えた父の苦しみはようやく解放されたよ』といっていたことが忘れられません。」

もう一つは、広島高裁の裁判長に送る手紙を書いた時の様子です。「命を懸けて書いた手紙です。3時間かけてやっと書き終えた時には精根尽き果たしほっとした様子だったことが忘れられません。」

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当時、呂学文さんは、急に体調が悪くなり、歩くこともできず、ベッドからも起き上がれない状況でしたが、公正な判決を求めて書かれた手紙です。この手紙が、翌2004年7月の広島高裁での勝訴判決を導き出したといっても過言ではないと思います。

第2部は、4人による「呂学文さんを語る」です。私もその一人として登壇しました。私の話は、「被爆者としての呂学文さん」です。

中国人強制連行の受難者を初めて広島に招待したのは、1992年です。その時招待した団体名は「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」でした。この名が示すように、当初は被爆者問題として活動が始まったのです。93年5月には、張文彬さんが、強制連行の中国人被爆者として初来日しますが、張さんは安野の受難者ではありませんでした。安野の受難者の被爆者が初来日したのは、呂学文さんと孟昭恩さんです。二人は同じ年の7月、原水禁世界大会への参加と市民交流を目的として来日しました。呂さんは、被爆48周年原水禁世界大会の「アジア被爆者フォーラム」で証言しましたが、私が一番印象に残り今も忘れることができないのは、呂さんの次の言葉です。

「私にとって、広島で被爆したことも絶対に忘れられないことだが、どうしても回復してほしいことは強制労働によって人間としての尊厳を奪われたことです。」この呂さんの思いが、被爆者問題から強制連行被害の謝罪・補償要求へと発展し、いまに至ったということです。

この他にも、被爆者援護法が在外被爆者にも適用されることとなった時、呂さんは未払い分の手当てを受け、治療費の一部に使うことができたこと、しかしそのわずか半年後に亡くなられてことなどを話しました。

呂学文さんとの出会いは、私にもう一つの被爆問題を考える機会を与えることになりました。

集会には、60人の参加がありました。

いのととうとし

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2021年10月18日 (月)

第14回「中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」開催

昨日午後1時30分から、安芸太田町坪野の中国電力安野発電所内に建立された「安野中国人受難之碑」前で、14回目となる「中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」が開催されました。

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中国電力安野発電所

2009年10月23日に、安野の中国人受難者と西松建設と和解が成立し、西松安野友好基金が設立されました。その基金をもとに、様々な和解事業が行われてきましたが、その一つとして、中国人が強制労働に従事させられたこの地に「安野中国人受難之碑」が建立されることになり、和解1周年となる2010年10月23日に、中国から受難者や遺族を招き除幕式が開催されました。

その後、2013年10月までに、中国から6回に分かれて延べ199人の本人・遺族を招き、「安野中国人受難之碑」前で、西松安野友好基金運営委員会が主催する「中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」(以下「継承する会」)が開催し、和解の意義を確認してきました。しかし、2017年末に、西松安野友好基金は、役割を終えることになり解散しました。

しかし、この運動を継承するための組織として「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」(以下「継承する会」)が結成され、2018年以降も同会が主催する「集い」が開催されてきました。今年は、2009年の除幕式から数えて14回目となる「集い」となりました。

小雨が降り始めましたが、岡原美智子さんの司会で定刻通り集いはスタート。最初に主催者を代表して「継承する会」の足立修一世話人代表がこれまでの経過を紹介しながら「和解事業によって築かれた日中間の交流をさらに深め、被害者の追悼、歴史の継承を皆さま方とともに継承していく」という決意を込めてあいさつ。その後、安野中国人受難者・遺族から届いたメッセージの紹介、善福寺藤井慧心住職、広教組頼信直枝委員長が来賓のあいさつ。続いて、毎年追悼演奏していただく竹内ふみのさんの二胡による「海は故郷」が披露されました。その後、竹内ふみのさんの二胡の演奏が流れる中、参加者一人ひとりが用意された菊の花を献花、このころには雨も降りやみ、今年の「集い」は終了しました。

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この「集い」には、2018年以降も遺族の代表を招待し、開催されましたが、昨年、今年とコロナ禍の影響で中国からの遺族の参加はありませんでしたが、日中の友好、追悼、歴史の継承の意義は果たせたと思います。今年も地元安芸太田町の有志の方々が、テントなどの準備をしていただき、無事に終了しました。

今年もコロナ対策として、参加者の送迎マイクロバスの運行を中止するなど積極的な参加者募集は行われませんでしたが、38人の参加がありました。

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「安野中国人受難之碑」前での「集い」終了後、参加者は、例年のようにすぐ近くの善福寺に移動し、追悼法要が行われました。当時安野では強制労働中に29人の命が失われましたが、善福寺には、そのうちの5人の遺骨が納められていたというゆかりのお寺です。藤井慧心住職による「阿弥陀経」の読経が続くなか、参加者一人ひとりが中国の線香を手向け追悼しました。

その後、短時間でしたが、当時の様子を知る栗栖薫さんの話を聞き、善福寺での法要は終わりました。

なお、前日の16日には、広島弁護士会館で「和解を導いた力―呂学文さんの闘いを振り返る―」と題した講演会が開催されました。その様子は、前後しますが明日紹介します。

いのちとうとし

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2021年10月17日 (日)

リスペクト respect

「復興五輪」を声高に謳いながらも、政治はどこを見て動いているのかと情けなく思うことや、様々なゴタゴタや感染症対策が叫ばれる中で、「オリンピック」「パラリンピック」が開催されました。

終わった今、マスメディアで見かけることはあまりなくなりました。そんな時ある動画を見ました。

男性アナウンサーのオリンピック開会式直前の言葉(ごく一部を抜粋)。

「ただ、この大会に純粋な思いを、努力を注ぎ込んできた人がいます。その人たちへのリスペクト(respect)だけは忘れたくありません。」

ふと開会式で長時間続く各国入場行進の間、ずっと笑顔で大きく手を振り続けていた人たちを思いました。そして「うごくピクトグラム」を見ながら心躍ったことも。表舞台で活躍する人だけでなく、見えないところで支えている多くの人がいました。

テニスをしている我が子は、車いすテニス大会へスタッフとして参加したことがあります。せっかくの休みに、朝早くから遠方への移動もあり疲れるだろうと心配していました。帰宅した子に声をかけると、予想とは違う反応。

「車いすテニスの講習会があり参加した」こと、「座ったままサーブを打つ」こと、「ボールに追いつく」こと、「打ち返す」ことが、どれだけすごいことなのかを熱心に話します。

そして、スタッフとして球拾いをしている時、「ボールを渡すたび、試合中にもかかわらず丁寧にありがとうと言われた」こと、たくさんの試合に参加してきたが、そんなことは「今までなかった」こと。おまけで、「体験会で手首を捻挫した」こと。

「いやー、まじすごかったわー。」と、たのしそうに繰り返しながら湿布を貼る後姿に、「ちょっと自分が恥ずかしくなり反省した」こと。

リスペクトという言葉はよく聞かれますが、respect には、「尊敬する、敬意を表す」の意味と「存在そのものを価値のあるものと認め、大切にすること。」という意味もあります。「傷つけたり、軽んじたり、ぞんざいに扱われるべきではない」ということではないでしょうか。

発想や価値観はお互いに違って当然であり、大切なものとして認められるべき。人と違うことを理由に、ないがしろにしたり認めなかったりせず、お互いにrespectすることを心の根底に据えていれば、もっと住みやすい世の中になると思います。

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テニスに話を戻すと、公式種目ではありませんが、車いすの選手と障がいのない選手がペアを組む「ニューミックス」という形式があります。世界の第一線で活躍する選手たちがエキシビションマッチを披露するなど、その活動は広がりつつあるようです。

スポーツの秋、食欲の秋、そろそろ外に出て活動したいです。

はたや

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2021年10月16日 (土)

10月31日には最高裁裁判官の国民審査もあります ――信じられないくらい不公平な投票方法です――

10月31日には最高裁裁判官の国民審査もあります

――信じられないくらい不公平な投票方法です――

異例ずくめの総選挙は1月31日に行われることになりましたが、同時に最高裁判所の裁判官の国民審査も行われます。憲法の79条の規定によるものですが、前回、2017年の国民審査については、2017年10月19日の「ヒロシマの心を世界に」で取り上げました。こちらも是非御覧下さい。

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日本国最高裁判所裁判官国民審査 投票用紙 記入例(×だけを書くことができる。○などを書くとすべて無効票になる

(Hisi21, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons)

4年前、正確には2017年10月22日の国民審査の対象になったのは、小池裕、戸倉三郎、山口厚、菅野博之、大谷直人、木沢克之、林景一の7氏でしたが、林氏は憲法の規定「任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際」に該当し、その他の6名は、「その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際」に該当していました。

今回の国民審査では、11名が対象になります。深山卓也、三浦守、草野耕一、宇賀克也、林道晴、岡村和美、長嶺安政、安浪亮介、渡邉恵理子、岡正晶、堺徹の皆さんですが、全員、「任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際」に該当します。

これからが、今回の問題提起になりますが、まず、今回対象になる11人の裁判官が誰なのかを調べるのに手間が掛かりました。グーグルの検索ですぐ出てはこないのです。ウイキペディアでもようやく数行の記事があり、そのなかでこの11人が対象になることを「断定」はしていないのです。

前回、4年前には、私は選挙の候補者だったのですが、それでもネットの情報を参照しつつ、国民審査についての問題提起ができました。江川紹子さんはじめ、問題意識を共有していた人たちのサイトが沢山あって、元気が出ました。特に江川さんの解説と問題提起はとても役に立ちました。今回もまずそのサイトを御覧頂きたいと思います。投票日すぐ前の10月17日付のYahoo!ニュースJapanに載っています。中でも感心したのが、対象となっている裁判官一人ひとりについてのそれまでの仕事振りを短くしかも分り易く解説してくれていたことです。その他にも、結論は少し違っていましたが、対象となる裁判官たちの評価をするサイトが複数ありましたので、比較しながらの「俄か勉強」も可能でした。

今回は、これからこのような情報が出てくるのかもしれませんが、対象となる裁判官についての情報さえ探すのが難しいくらいですから、個々の裁判官についての評価を公表しているサイトは、10月15日時点では見付けられませんでした。それ以上に問題なのは、最高裁判所のホームページにも、「国民審査」についての説明や対象となる裁判官のリストも掲載されていないことです。この点については、江川さんも4年前に問題提起をしていますので、その点も注目して下さい。

でも、それが背景にあったとしても、今回、Webから国民審査についての積極的発言が消えてしまったのは何故かという答にはなりません。そのヒントは、江川さんが、前回の国民審査の「結果」について分り易く分析してくれている10月24日の記事にありました。

前回対象となった7名の内、誰が一番罰点を多く貰ったのか、そして誰が一番少なかったのかを見ることで、国民の意思を大雑把であっても推測できるのではないかという問題提起をしているからです。そして「罷免すべき」という意思表示をした人の率、つまり「✖」を付けた人の率が一番少なかったのは、林景一さんだったのです。

その理由として江川さんは次のように述べています。

「彼は、審査対象の裁判官の中で唯1人、昨年の参院選「一票の格差」を合憲とすることに疑問を呈し、「投票価値の平等…の追求は、民主主義の国際標準であり、国際的潮流である」とする意見を書いている。これをプラスに評価して、他の裁判官には×をつけたが、林裁判官には意識的に×をつけなかった(=信任した)という人たちが、一定数いたと考えるのが自然だろう。彼は今年4月に任命されたばかりで判断材料は少なく、ほかには林裁判官のみを「信任」する材料が見当たらない。」

以下は私の推測ですが、この結果に、「国民審査」の価値をほとんど認めてこなかった安倍政権も最高裁判所も危機感を持ったのではないでしょうか。森・加計・桜という腐敗を隠ぺい、改竄・証拠の隠滅、マスコミ操作、警察への介入等々の手段で、闇に葬ってきた権力が、「国民審査」をそれまでと同じように、「国民のほとんどは関心を持たない」状態に保っておくことには大きな意味があるではありません。そうすれば、善意に解釈すると、圧倒的多数の国民は、投票所でも「✖」を画くだけの知識がないままに「空白」にし続けることになります。それが圧倒的多数の国民からの「信任」だと「捏造的」に解釈されてきた状態を保つことで、「形式的」には憲法を守ることにもなっているのですから。

江川さんは、そんな圧力には屈しないでしょうから、これから彼女の解説記事がどこかに載るのかもしれません。しかし、彼女も多忙ですし、それ以上に個人の善意や献身だけに依存していたのでは民主主義を守ることなど不可能です。少なくとも最高裁判所が、国民審査の対象となる裁判官の仕事振りについて分り易いリストを作るくらいの努力をするのは国民への義務だと考えよと、私たち主権者が声を挙げて行きましょう。

 [21/10/16 イライザ]

 

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2021年10月15日 (金)

10月のブルーベリー農園その2

秋真っ只中。だが日中は30度くらい気温で暑いし、秋の空の筋状のほっそりした雲は現れず、夏の空のような、入道雲のような大きな塊の雲がぼこんぼこんと広がっている。農作業はブルーベリー畑の草刈りに集中。この作業は腰の鈍痛をもたらす。草刈りが終わらないと痛みは消えそうにない。

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108日(金)

とても10月の秋とは思えない空と雲。気温も30度くらいで暑い。

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ちょっと細身だがアキノキリンソウがぽつんと咲いていた。(里山のブルーベリー園あたりで)

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109日(土)

農園に着いて庭を見るとサザンカが数輪咲いている。

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昼ご飯を食べてから農作業開始。ひたすらブルーベリー畑の草刈りに励む。この日は親戚の男性も手伝って頂いたので3台の刈り払い機のブンブンする音がブルーベリー畑に広がる。

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草を刈る時は移動しながら続けるのだが、ぽっかりと野の花の群生によく出会う。そのたびにズボンのポケトからカメラを取り出してちょこっと撮影する。

①.ヨメナの群生。この後全部刈った、

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②.そして山の方にやると水路の法面にススキとセイタカアワダチソウが競うように茂っている。夕ぐれ前の赤みを帯びた光に映える。

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③.イヌタデの群生(1010日)。この花も撮影の後刈った。

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1010日(日)

里山にある西側のブルーベリー園。稲刈りのトラクターの音が響く。田んぼの外側から四角に刈り取っていくのだが刈るスピードがとても速いのに見とれた。

ブルーベリー畑の草刈りは来週も続く。

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1013日(水)

好奇心から。農園の里山にあるサンショウの実を摘み取り殻だけ集めてすりこ木で340分こする。小さじ2杯くらいのサンショの粉が取れた。白い部分は殻の中の薄皮で、小さくならない。1片かじってみる。すぐに舌がしびれた。タッパに入れて薬味で賞味するつもり。

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1014日(木)

安芸の郷の建物の森の工房AMAの庭にブジバカマが満開。

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その花に今朝から昼頃にかけて蝶々のアサギマダラが2~4羽が蜜を吸いにやってきた。フジバカマの花が咲くとこの蝶々がやってくるから植えてみてと、ボランティアグループのフレンドベリーから頂いて植えて3年目で、株が大きくなり花も多く咲いたので来てくれたようだ。東南アジアと日本を行ったり来たりする蝶々らしい。これから寒くなるので海を越えて移動するのだろうか。

 

20211015

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年10月14日 (木)

広島市水道局から届いた写真

昨日のブログを更新したすぐ後に、広島市水道局にお願いしていた写真が、使用許可書と共に届きました。

使用許可申請書には、使用目的として「ブログ『新・ヒロシマの心に』に使用する」と書いていましたので、届いた写真を紹介します。

最初に紹介するのは、水道資料館の入り口の右側に展示されている児玉源次郎中将(当時)が揮毫した「「不舎晝夜」の石額です。もとは、太田川の水を取り入れる牛田取水門中央上部に掲げられていたものです。

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次に紹介する1枚もそうですが、原版は無いようで「古く小さなプリントをデジタルカメラで撮ったもの」との注書きが添えられて届きました。

水の取り入れ口は、二つありますが、よく見るとその上に石額が取り付けられているのがわかります。写真の手前に太田川の水面が映っています。創設時は、太田川から直接水を取り入れていたといわれていますが、その様子がよくわかります。

大正時代になると太田川の水位が低下したり、市街地の膨張、さらに宇品軍用船舶の増大などによって、給水不足が起こるようになったため、1921年(大正10年)から始まった第2期拡張事業では、この取水口の36m下流に、堤肩から18mほどの川の中ほどにレンガ造りの取水塔が設置され、取水能力を上げることになります。この取水口がいつまで使われたのかは、調べきれていませんが、

2枚目の写真は、資料館入口左側に展示されていた伊藤博文が揮毫した「深仁厚澤」の石額です。創設時には、ポンプ室正面に掲げられていました。

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この写真だけでは、どこの建物かわかりません。ポンプ室全体が写った写真を広島市公文書館に借用しました。

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右側の高い建物が、ポンプ室です。1898年前(明治31年)8月25日の「軍用水道通水式」は、このポンプ室の前で行われていますから、この建物が水源地の中心だったことがわかります。この建物の壁面の一番上部に★マークが取り付けられています。通水時には、この噴水から水が吹き上がったようです。

送っていただいた2枚の写真を見れば、二つの石額が水源地の重要な場所に取り付けられていたことが、よくわかります。

「石額」に書かれた文字の意味は、10月7日の「広島市水道資料館見学記その1: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」に詳しく書いています。

ところで、写真が添付されたメールには、大切な情報が書かれていました。昨日のブログで紹介した「神田橋水道橋右岸(白島側)の石垣」のことです。

「問い合わせてみたところ、神田橋水管橋の残骸ではないということでした。神田橋水管橋の基礎は撤去時にすべて撤去し、芝生で復旧したそうです。」

確かに栄橋水道橋の下部の頑丈な石組と比べると、私が見つけた石垣は、構造が全く違うなということが分かりますので、この回答をいただき「やはり、早とちりだったな」と反省しています。

これで、ようやく広島市水道資料館見学記が終了しました。

いのちとうとし

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2021年10月13日 (水)

広島市水道資料館見学余話―水道橋の話し

広島市水道資料館を見学した帰り道、創設時2カ所に架設された水道橋の一つ神田橋水道橋を訪ねたのですが、見つけることができなかったことを紹介しました。

その数日後、「資料館見学その一」で紹介した石額の当時の写真を入手するための申請書を提出するため広島市水道局を訪ねました。その時担当者に「神田橋水道橋はどうなったのでしょうか」と訊ねたところ、「すでに撤去されましたが、神田橋のすぐ上流の牛田側の少し広くなったところに、説明版が設置されていますよ」と教えていただきました。

その帰り、現地を訪れてみました。先日は気づかなかったのですが、確かに当時の写真がはめ込まれた説明版がありました。

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説明文の一部の引用です。「原子爆弾の被災にも耐え、当初口径500ミリメートルだったものが、1950年(昭和25年)に新たに口径900ミリメートルの水道管に架け替えられた」ことなどが説明され、「しかし、設置後66年が経過し、老朽化が進行してきたため、新たに京橋川の川底に送水ルートを確保したうえで、2016年(平成28年)8月にその役割を終えました。」

撤去されたのはわずか5年ほど前のことですから、私がごく最近に見た気がしていたのも不思議ではありません。周辺に何か痕跡は残っていないのかと探してみましたが、それらしいものを見つけることはできませんでした。それでもと思い対岸の白島側に移動し、ここでも痕跡を探してみました。ちょうどモニュメントの対岸に当たる川土手に、水道橋の土台といってもよいようなしっかりとした石組が見つかりました。

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河岸の水面に近い部分は、石組になっていますが、土手の一番上部に石垣が組まれているのは、周辺を見回してもここだけです。広島市水道局の広報担当に「当時工事に携わった人に水道橋の跡ではないか」聞いてほしいとお願いしましたが、いまのところ回答がありません。

水道局で「現在水道橋が残っているのは、栄橋だけです」と教えていただきましたので、改めて栄橋水道橋を見に行きました。栄橋のすぐ上流に並行して立派な水道橋があります。左岸(JR山陽線側)からの写真です。

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榮橋の上から写した土台部分です。

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右岸(縮景園側)から写して写真です。

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土台部分がしっかりとした石組でつくられているのがよくわかります。この石組を見ると、神田橋水道橋の跡ではないかと思っていた石組に?マークが付きます。

この栄橋水道橋のレンガ造りの立ち上がり部分のどこにも、いつ作られたものかが書かれていませんので、帰宅後、「広島市水道70年史」で調べてみました。

栄橋水道橋は、1917年(大正6年)から始まった第2期拡張事業の配水本管敷設工事として1922年(大正11年)から翌年にかけての工事で、布設されました。

ですから当然ですが、被爆建造物ということになります。しかし、「ヒロシマの被爆建造物は語る」では、取り上げられていません。神田川水道橋も同じです。

そこで、広島市水道博物館で、被爆建造物として紹介されている「猿猴橋水道橋」は、どう扱われているのか調べてみると、「ヒロシマの被爆建造物は語る」では猿猴橋と共に取り上げられています。どんな基準で被爆建造物とそうではないものと分けられたのか、ちょっと疑問に思います。

ここまで来ましたので、ついでにその猿猴橋水道橋があった場所にも行ってきました。右岸(的場町側)から見た景色です。撤去前に撮られた下の写真とほぼ同じ場所から写してみました。

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「ヒロシマの被爆建造物は語る」(広島市発行)より

下の写真をよく見ると、当然のことですが、鉄管と接する橋脚部分が、水道資料館屋外に展示されているものと同じ丸型になっているのがわかります。

残念ながら、今では水道橋の痕跡を見つけることはできません。

ここにも、説明版が設置されていますが、説明文は、猿猴橋に関わる記載だけで、水道橋に関わるものは何も書かれていません。ただ、説明版に張り付けられた2枚の写真には、当時の水道橋の様子が映っています。私の興味を引いたのは、左側の写真です。

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猿猴橋は、1925年(大正15年)に永久橋に架け替えられますが、この写真はそれ以前の様子を写したものです。水道橋は、猿猴橋の上流(写真では左側奥)に写っていますが、猿猴橋と比べるとかなり丈夫そうに見えます。やはり、軍用水道として作られたからでしょうか。

サッカースタジアム建設予定地発掘調査によって出て来た旧日本軍の軍事水道管から始まった水道管巡りの旅でしたが、長くなりましたのでここで一区切りとします。もし広島市水道局に依頼している写真の提供があった時は、改めて紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2021年10月12日 (火)

広島市水道資料館見学記その3

2階フロアの「広島市水道の歴史」を見終えましたので、1階に降りました。屋外展示に移動する前に1階の「広島市水道と私たちのくらし」の展示を短い時間でしたが見学しました。

外から入口を入って右側には、広島市水道の水源である「太田川の恵み」についてパネル展示されています。いつか訪れてみたいと思っている太田川の源流も写真入りで説明されています。

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左側は、太田川の水がどうやって私たちの家庭に届いているかなど、現在の水道に関わる展示です。

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「災害への備え」のパネルもありますが、一番印象に残るのは、真ん中に展示されている「家庭の水道」です。「家庭で一人が一日に使う水道の量は、平均216リットルです。みんなの目の前にあるペットボトル(2リットル)だと、108本の量です。」と書かれ、そのパネルの前にはペットボトル108本が並べられていています。

一人でこんなに使っているのかな?と思ったのですが、帰宅後水道水を使うたびに、想像してみると「なるほど、それぐらい使っているなー」と実感しました。

いよいよ屋外展示の見学です。屋外には、資料館の館内に収容できない大きなもの、牛田水源地に設置されていたポンプなどが展示されています。

その一つに被爆建造物でもある猿猴橋水道管があります。水道創設時に猿猴橋上流に架設された水道橋の一部が、切り取り保存されています。

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横の説明版には、次のように書かれています。

「牛田浄水場から宇品港へ水道水を送るため、明治30年(1897年)7月に完成し、明治31年(1898年)8月から主要送水管として使われてきました。昭和20年(1945年)8月6日の原子爆弾の爆風にも耐えて、焼け野原となった市内に水を送り届けました。(中略)100年以上にわたり活躍した水道橋ですが、平成19年(2007年)に老朽化のためその役割を終え、被爆建造物として歴史を後世に伝えるため、その一部をモニュメントとして広島市水道資料館に保存しています。」

この水道管をよく見ると左側に、白い文字が見えます。近づいて写した写真です。

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2階の展示室では、読み取ることが難しかった記号や文字が、この展示では白く塗られ見やすくなっています。疑問が解消しました。

MEIJI.30.」と刻印された文字。説明版に完成年と記載されている「明治30年」を表していることは間違いありません。これで「MEIJI」の刻印があるものは、国内で製造されたものだということがはっきりしました。明治30年に製造されたことを示しています。下側の×印の意味は、製造者を表していると思いますが、いろいろ調べてみたのですが、いまのところ解明できていません。

上部には、★印が刻印されていますので、軍用であったことが分かりますが、館内の展示と違い、ここでは説明されていません。広島市が全国で5番目という早い時期に水道が布設されたのは、軍事的理由からですので、広島城周辺にあった軍事施設への給水と共に重要視されたのが、大陸への出兵基地となった宇品港への給水でした。宇品港の軍用桟橋を経由して船舶に給水されました。

ここに展示されている「猿猴橋水道橋」は、宇品港へ送水するために絶対に必要だったのです。ですから、ここで使われた水道管に★印があるのは、当然のことです。

布設当初、水道橋は、猿猴、神田の2橋でした。神田は、神田橋のすぐ上流に、猿猴は、猿猴橋の上流に架設されました。神田橋水道橋については、改めて紹介します。

水道橋は、石組の橋脚の上に展示されています。この橋脚部分も、水道管と一緒に一部を切り取り移設されたものだと思いますが、「広島市水道70年史」にば、「橋脚は、鋳鉄製だった」と記載されていますので、布設当初のものではなかったように思われます。

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「ヒロシマの被爆建造物は語る」(広島市発刊)より

 「広島市水道70年史」に、布設当時の経緯と共に掲載されている写真と同じものです。水道資料館に展示されているような石積みの橋脚は映っていませんので、展示物は後に作られた橋脚のようです。

その他にも、昭和の初めに建築された量水室が、学習ルームとして使用される別館として使用されていますが、使用時だけ開けられるようで私が訪れた時には鍵がかかっていました。

広島市水道資料館の見学を終え、帰宅の途につくと、新牛田公園との境界に、もう一つ貴重な建造物が保存されているのが目に入ります。

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現在1棟だけ残っている1924年頃つくられた旧濾過調整機上屋です。ここから南側、現在の新牛田公園には、大きな濾過池がありました。布設時には、4面でしたが、その後の水需要の増大に伴い順次増設され、1957年頃の上空からの写真では、8面になっているのがわかります。

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「ヒロシマの被爆建造物は語る」(広島市発刊)より

 そして、それぞれ池ごとに濾過調整機上屋があった様子がわかります。このレンガ造りも、もちろん被爆建物です。

この後、神田橋上流の水道橋を見て帰ろうと回り道をし、神田橋付近をうろうろしたのですが、それらしきものを見つけることができません。しかたなく帰宅したのですが、後に見つからない事情を知ることができましたが、明日報告します。

いのちとうとし

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2021年10月11日 (月)

ボストンの平和団体「CPDCS」主催のWebinarに参加しました ――「2040ビジョン」や核の先制不使用等について提案しました――

ボストンの平和団体「CPDCS」主催のWebinarに参加しました

――「2040ビジョン」や核の先制不使用等について提案しました――

「CPDCS」は「Campaign for Peace, Disarmament and Common Security」の略です。意訳すると、「平和、軍縮と共通の安全保障実現のための運動」ですが、その名の通りこれらの問題について論陣を張り、若者たちを教育し、志を同じくする政治家たちとも力を合わせてアメリカそして世界の政治を変えようとしています。そのリーダーたちの中には、昔からの友人たちも多く大変心強く感じています。

その「CPDCS」がアメリカ東部時間、EDTの10月6日、午後7時から活動のための資金援助も含めた支援を呼び掛けるためのWebinarを開きました。多くの人に参加して貰うために、「CPDCS」の活動を応援してきた著名人何人かで、問題提起をすることになったのですが、様々な理由で最終的には「An Evening with Mayor Tadatoshi Akiba」ということになり、「CPDCS」の理事会の代表であるGretchen Altherさんと私の対談になました。        

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今回はその報告をしたいのですが、このイベントの記録が「CPDCS」のホームページに掲載されていますので、それを御覧頂ければと思います。ただし、全て英語ですので、ここでどの様なトピックを取り上げたのかを簡単に要約しておきたいと思います。それらはこれまで、このブログで何度も取り上げてきていますので、どこを参照すれば良いのか、URLも紹介しておきます。

  • 「Mayors for Peace」(平和市長会議、現在は平和首長会議と呼ばれている) が2003年に提唱し、2010年には播基文国連事務総長が「完璧なビジョン」だと評価した「2020ビジョン」の紹介と、それに続く「2040ビジョン」の提案

念のため、「2040ビジョン」とは、2040年までの核兵器の完全廃絶を主目標とし、2030年までに日本政府による核兵器禁止条約の批准を中間目標として掲げる行動提起です。

  • 被爆者が果してきた役割と、「ヒバクシャ」が国際語になった事実が示す、被爆者メッセージの国際化。
  • そこに至る一里塚として、核保有国による「核の先制不使用」合意が合理的選択肢であること。中国は既に「核の先制不使用」を宣言していますし、その他の核保有国も南半球が既に合意している「非核地帯条約」の一環として、部分的には「核の先制不使用」を認めていますので、次のステップに移行することは比較的容易だと考えられます。
  • 被爆者の高齢化に伴い、被爆体験とその結果として生まれてメッセージを直接伝えることがますます困難になってきている。その困難さを克服するために、世界の大学レベルで「ヒロシマ・ナガサキ講座」を開講すること、そして平和教育に力を入れることが重要である。
  • 「ヒロシマの心」実現のために、広島選出の外務大臣時代の岸田総理大臣が何をしたのか。
  • 一つの国の全ての自治体が「非核自治体宣言」を採択することで、その国全体が「非核国宣言」をしたことになる。2014年に独立するかどうかの住民投票を行ったスコットランドでは、全ての自治体が「非核」宣言をしていた。
  • 憲法9条改正と、憲法遵守義務を規定した99条の意味。このブログでも、最近は、『法学セミナー』の論文の紹介を二回にわたってしています。第一回目。そして第二回目を御覧下さい。

より詳しくは、今年の1月23日に開かれた日米間シンポジウムを活かすための資料として、「核兵器廃絶に至るこれからの道」と題しての一時間程のビデオがありますので、こちらも御覧頂ければ幸いです。

 [21/10/11 イライザ]

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2021年10月10日 (日)

岸田政権の原発政策を考える

誰に似たのか政治の話題が好きな小学校6年生のわが孫、「じいちゃん、総理大臣は岸田なんというのかいねえー」と聞いてきました。若干、認知が入りかけたのか僕は「岸田しんぞうだろう」と言ってしまいました。なんとしたことか大恥でした。言い訳をすれば、岸田さんの印象、とても優柔不断で軽いという感じが拭えません。

8日の所信表明演説、テレビの映像では観られなかったので9日の新聞で読みました。当然、1面トップ記事だと思っていましたが、朝日新聞のトップは強権的な政権への批判を続けノーベル平和賞を受賞したフィリピンとロシアのジャーナリストの記事で、正解だと感じました。さすがに地元の中国新聞は所信表明の記事が1面トップでした。

思い出すのは、昨年10月26日の菅義偉首相の所信表明演説です。菅さんは「2050年にカーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)を目指す」として、良きも悪しきも大きな話題を出しました。この時の演説がキッカケで「発電段階で二酸化炭素を出さない原発」というのが、経済界や電力業界からデカイ態度で宣伝されるようになったものです。

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官邸ホームページより

さて8日の岸田首相の所信表明演説、全文に目を通しましたが、「カーボンニュートラル」「クリーンエネルギー」「温暖化対策」に触れた部分は、句読点も入れて63字、「原子力発電」という言葉はありませんでした。

岸田政権が発足して閣僚や側近といわれる顔ぶれを見ると、どうしても原発推進の動きを感じざるを得ないのです。福島原発事故後からの自公政権の二人の首相、原発に対して表向きは消極的なポーズを取っていたようには思うのです。再来週には始まる衆議院選挙、そして来年の参議院選挙、選挙を意識して「原発推進」をあえて避けるとしか思えない自民党のやり方には、「選挙に勝てば堂々と原発を進める」としか思えないのです。

10月8日付けの朝日新聞は、原発に慎重だった河野太郎さん、小泉進次郎さんを大臣から外し、原発推進の山口壮(やまぐち つよし)さんを環境大臣に、エネルギー行政の要である経済産業大臣に萩生田光一さんを、自民党の幹事長に甘利明さん、政調会長に高市早苗さんを、また当初国会対策委員長に内定していた高木毅さん、この人の父親は福井県敦賀市長をしていた人で、究極の原発推進論者でした。

そして官邸入りし岸田首相の懐刀になった嶋田隆政務秘書官、旧経済産業省出身で「原発推進」の急先鋒といわれています。安倍元首相が送り込んだというのがもっぱらの話しのようです。

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安倍首相が誕生した時、山口県内の駅の売店では「晋ちゃんまんじゅう」が、菅首相の時は「スガちゃんまんじゅう」が販売され、この度の岸田首相では「祝・第100代内閣総理大臣 広島から世界へ」と書かれ、岸田さんの似顔を包装紙にデザインされた弁当が、地元のむすび会社から販売されました。1個1,500円、昼弁当にしてはちょっと高額ですね。

木原省治

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2021年10月 9日 (土)

広島市水道資料館見学記その2

見学記その1で書きましたが、2階フロアは、「広島市の水道の歴史」を紹介する展示物が並んでいます。2階に上がると、左側の壁面に画かれた「広島市水道の歴史」が目に入ります。水道管を埋設する作業の様子を写した初期から現代までの写真5が並んでします。

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その右には、「昔の広島の水事情」のコーナーがあり、水道布設以前に使われていた釣瓶や木管が並んでいます。

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その右隣りから、広島市の水道の始まりからの貴重な資料が並びます。私が見たいと思っていた展示物は、ここから始まります。ここからは、順不同で水道管などに刻まれた★マークや広島市のマークを中心に紹介します。

実は、私が見たいと思っていた水道管の一つは、「広島市水道の歴史」が描かれた壁面のすぐ奥に並べて置かれています。最初の写真の右端に小さく映っています。

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水道局の玄関で見た「サッカースタジアム遺構発掘現場」で見つかった水道管と同じように、★のマークと製造会社の記号が刻まれています。

残念ながら、この水道管も製造年は裏側になっていますので、直接確認することはできませんが、水道管の上部に腹付けられて説明文にはきちんと触れられています。

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この説明文によって創設工事が始まった1896年製造のものであることが分かります。★印についても「旧日本軍の刻印」だという説明をするため、写真の一番下に楕円形の説明文で、★印の位置を丁寧に教えています。

私が見たかったのは、広島市の市章

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が刻印された水道管は、次の「広島市水道の始まり」と壁面に書かれた展示スペースで見つけることができました。

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丁寧に「広島市章の刻印はここです」と書かれた丸い説明文が付けてありますので、すぐにわかりました。製造者の記号「D.Y.S&C」の刻印がありますから、これまで見て来た★印のついた「軍用水道用の水道管」と同じ、イギリスの会社製であることが分かります。

これからわかることは、当たり前のことですが、広島市の水道布設は、勅令によって国の事業として行われたのですが、使用する鉄管は、軍用水道部分と接続する市街地部分をきちんと計算し、それぞれ区分して製造するように発注がなされていたということです。

「広島市水道70年史」によれば、直鉄管など多くは、公入札によって三井物産合資会社が落札し、その製造所は、英国グラスゴー府、ディ・ウィ・スチュワート商会に依頼することになります。水道管に刻まれた「D.Y.S&C」の刻印は、この会社のマークで、1896年は製造年です。三菱物産が請け負ったこの外国製鉄管は、発注された年(明治29年)に製造され、その年の12月15日に英国汽船に搭載されて宇品港に入荷しました。

5回にわたって納入されますが、到着時に破損管があったりしたため不足が生じましたが、不足分は国制鉄管で補充する契約となっていたため、大阪砲兵工廠(最後は大阪陸軍造兵廠)鋳造の鉄管も納入されました。大阪砲兵工廠は、直管のほかにも異形管などの鋳鉄管類を製造しています。

展示会場を進むと、大阪砲兵工廠で製造されたと思われる水道管が見つかります。

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なぜ、大阪砲兵工廠製造と解るかといえば、★印の下に少し見にくいのですが、製造年を示すと思わせる文字が、西暦ではなく「MEIJI」と刻まれているからです。その下に「×」記号が、かすかに見えます。この記号は、大阪砲兵工廠を表していると思われますが、確認が取れていません。

ところで、展示された水道管の上部に貼られた説明文には、「大正時代の鋳鉄管」と書かれています。

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★印の下に刻まれた文字は、「MEIJI・・」となっていますので、説明文と違って明治時代に製造された鉄管だと思うのですが?

この鉄管では、「MEIJI」の後に刻まれた二文字を読み取ることができませんでしたが、後で館外の展示物を見た時、そこには製造された年が刻まれていることが分かったのですが、それについては、次回に館外の展示物を紹介する時、改めて報告します。

鉄管は、そのほとんどがイギリス製で、残りが大阪兵器工廠で製造されたのですが、接続水道布設用の異形管の一部には、広島市内広瀬町の瀬良鋳物工場が製造したものが使われています。

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上の写真は、創設時の仕切弁と説明されていますが、右側に延びた水道管には広島市章が刻まれていますので、市民用水道に接続するために使われたものだということが分かります。

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同じ創設時の仕切弁でも、隣に展示されていた物には、★印の下に「1896」の文字が刻まれていますが、上の写真の仕切弁には、製造年が刻印されていません。説明文に記載されていませんので想像するしかないのですが、こうした違いから瀬良鋳物工場が作ったものではないかと思われます。

この仕切弁が瀬良鋳物工場製でなかったとしても、当時すでに、鋳鉄管やこんな複雑な仕切弁を製造することができた会社が、市内にあったことを示す貴重な資料だと思います。

原爆からの復興の様子も展示されていますが、今回は省略します。2階を見終えた後、1階の展示を少しだけ見学して外に出たのですが、その様子は次回12日に報告します。

いのちとうとし

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2021年10月 8日 (金)

10月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

稲刈りもほとんどの田んぼで終わり静かになった。雨もほとんど降らないので農作業には支障がない。今年は少し早くブルーベリーの剪定をしたいので草刈りやジャーマンアイリスの植え替えなどの作業を早く済ませたいが、週末農業ではままならない。

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10月2日(土)。

3段あるブルーベリー畑の一番下の畑に草刈りに行くと雌のキジが4羽飛び立った。畑の法面にいったん飛び降りてあたりをきょろきょろ見ている1羽はどうやら母親らしい。

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農園のサクラの木は葉が半分以上落ちている。例年よりちょっと早い。連日の暑さで水分がなくなったためだろうか。

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キジが飛び立った畑の法面の下の水気の多いところに群生しているミゾソバ。花は小さい。

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カメラでクローズアップすると花姿が見えてくる。

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何倍も大きいのはヒャクニチソウ。(農園の近くの畑と花壇が混在した場所で)

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10月3日(日)

農園にはちょっと小高い所に畑がある。随分昔から耕作され続けた土で耕すとぽろぽろした団粒になる。畝を立ててまずはジャーマンアイリスを株分けして植える。来週も植える予定。他にはソラマメなどを植えるつもり。

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里山のブルーベリー園の周辺にサンショの木があり青い実から赤色に変わり皮が割れて黒っぽい実が顔を出したので摘み取る。まだ割れていない実もあるのでためておいて皮だけをすりつぶして薬味にしてみたい。

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ブルーベリー畑の草刈りが続く。一番下がすんで2段目に着手。

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安芸の郷のブルーベリーの苗木の見本。午後安芸津町の方が田んぼにブルーベリーを植えたいので打ち合わせに来園。色々と説明して11月に数百本植える相談を行った。

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ブルーベリー畑に1本あるムラサキシキブの実。

 

2021年10月8日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2021年10月 7日 (木)

広島市水道資料館見学記その1

コロナ対策の緊急事態宣言が解除され、懸隔が再開された牛田の浄水場内にある広島市水道資料館の見学に行ってきました。

8月27日から29日にかけこのブログで、基町にある広島市水道局の玄関に展示されているサッカースタジアム建設予定の発掘現場から出土した★印のある出た水道管や全国で5番目に敷設された広島市の水道の歴史を紹介した時、「製造者の刻印を確認するため、開館したら訪れたい」と書きましたが、それがようやく実現しました。

わが家から自転車で約20分。「水道資料館は、浄水場の南側にあります。資料館は南側から入ります。」とあらかじめ水道局の方向担当から聞いていたのですが、現場に行くと意外と導入路を見つけるのが大変でした。アストラムライン沿いに北上しましたが、牛田駅東口付近には、「水道資料館入口」を示す看板が見つけることが出来ませんでしたので、浄水場の南側のフェンス沿いに道があるのではと思い、北側に進みましたが、入り口らしき道が全くありません。引き返し、牛田駅東口から新牛田公園への緩い坂道を下ることにしました。写真の右端です。

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坂道を下ると、「水道資料館」の方角を示す小さな表示板を目にすることが出来き、ようやくたどり着くことが出来ました。建物の入り口付近には、2台の自転車が止められていますので、先客があるようです。

広島市水道資料館は、1924年(大正13年)に建設された送水ポンプ室を改修したレンガ造りの2階建ての建物で、被爆建物として登録されるとともに近代化産業遺構にも選ばれています。

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資料館入口の外側左右に水道創設時に設置された石額が屋外展示されています。右側の石額には「不舎晝夜」(ちゅうやをおかず)と書かれています。

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言葉の意味は、「水道の水は、昼夜をおかず供給される」という意味かと思いましたが、帰宅して広島市水道博物館のホームページで調べると「昼も夜も休みなく流れ続ける“母なる川 太田川”の恩恵を思い、当時、臨時広島軍用水道布設部長であった児玉源太郎陸軍中将が中国の故事にならって筆をふるったものです。」と書かれていました。この石額は、水道創設当時は、太田川の水を取り入れる牛田取水門中央上部に掲げられていたようですから、「太田川を讃える」言葉だという説明に納得がいきます。

左側の石額には「深仁厚澤」(しんじんこうたく)と書かれています。

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この解説は、ホームページの内容より興味あることが書かれていますので「広島市水道70年史」から引用します。

「伊藤博文の書。深仁は、中国南陽公の古言に『此地独何力、我公布深仁』とあり、深恵、広大な仁徳ということで、明治天皇の深恵により創設された水道という意味と解される。厚澤は、厚沢潤凋枯、沢潤生民など無辺な水徳のことである。この四文字は、明治天皇の仁徳と大自然の水徳を巧みに表現したものといえる。

この石額は、明治28年広島大本営で『国家有事之日出而済之博文号涙』の伊藤博文が、第3次伊藤内閣(明治31年1月~同年6月)のころ書いたもので、かつては旧ポンプ室正面に、金ぱくを塗付し、さんぜんと輝くこの石額を仰いで、水源地参観者がおさい銭を供え拝んだという逸話が残されている。」(原文のまま)

「金ぱくが塗付された石額におさい銭を供える」、水道布設に対する当時の市民の強い感謝の思いが伝わってくるようです。

「広島市水道70年史」には、二つの石額を説明する前段に「軍用水道と市民用水道布設決定によって、軍および広島市はともかく宿年の懸案を達成したのであるが、その勅令公布を実現せしめた立役者は、首相伊藤博文と陸軍次官児玉源太郎である。」とし、最後に「伊藤博文が本市水道の父ならば、児玉源太郎は母である。」としています。

異例ともいえる勅令によって「水道布設」が実現したことを示すこの2枚の石額のことも気になっていた一つでしたので、少し長い解説になってしまいました。

ようやく館内に入ることが出来ます。

真正面にある受付に行くと、リーフレットと広島市水道局が販売する「飲んでみんさい!ヒロシマの水」とラベルが貼られたペットボトルが手渡されました。

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ありがたく頂戴し、いよいよ館内の見学です。

1階は、「広島市水道と私たちのくらし」を学べるフロアにですが、私が見たいのは広島市水道の歴史ですので、まず2階の「広島市の水道の歴史を学びながら平和について考える」フロアへと上がりましたが、今回の訪問記も1回で終わりそうにありませんので、このつづきは、9日に掲載することにします。

いのちとうとし

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2021年10月 6日 (水)

「いじめ」に対応する「第三者機関」 ――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (9)――

「いじめ」に対応する「第三者機関」

――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (9)――

  ずいぶん長いシリーズになってしまいましたが、小山田圭吾事件が契機となって、遅まきながら私も「いじめ」についての俄か勉強を始めました。マスコミの報道はもちろん、何冊かの本や論文を読みながら、学んだ内容を整理してこのブログで報告してきたのですが、心許ない右往左往にお付き合い下さり、有難う御座いました。

  俄か勉強をする前から、北欧の「いじめ」対策に一日の長があるらしいことには気付いていましたが、勉強するにつれて「集団的自立」や「教師集団」を強調する考え方こそこの問題の本質を突いているのではないかと感じて、我が国における研究と実践にも注目しました。さらに、コールバーグの発達段階説という枠組みからも刺激を受けて、「第三者機関」の必要性についての提案をする準備ができました。

《フィンランドの「KiVa」プログラム》

  そのために、この2か月弱の間に学んだことを改めて最初から整理するうちに、最初の北欧に戻ることになりました。フィンランドの「KiVa」というプログラムが、その全てを包摂する実践的な内容を持ち、かつ実証実験においてその効果が証明されている優れたものであることに気付いたからです。さらに、ヨーロッパの数か国、そしてニュージーランド等では、国単位でこのプログラムを採用し、効果を挙げているという報告もショッキングでした。

  しかし、我が国ではウイキペディアに「KiVa」の項目はありませんでした。解説している論文やマスコミ報道も少なく、その中で北川裕子氏他による「学校におけるいじめ対策教育―フィンランドのKiVa に注目して―」(不安障害研究,5(1), 31–38, 2013) が手短に「KiVa」を分り易く紹介しています。PDF版は、ダウンロードできます。

  また東京都議会議員の風間ゆたか氏は、御自分のブログで「KiVa」の考え方を元にして世田谷区が2018年度にいじめ防止プログラムを導入したことを紹介しています。

  となると、今回から「KiVa」の紹介をするのが理に適っているのですが、もう少し勉強が必要です。まずはこのシリーズのそもそもの目的に戻って、「いじめ」の被害者を守るための「第三者機関」についての提案をしておきたいと考えています。

  そのために、9月21日の第五回で紹介した、村瀬学著『いじめ――10歳からの「法の人」への旅立ち――』 (ミネルヴァ書房、2019年、以下、『いじめ』と略します) で提案されている「特別クラス会」と、毎年最初の時間に先生が子どもたちに提案する「六つの合意」を枠組みとして使います。それは、「KiVa」の考え方にも沿っていますので、方向性としては問題ありません。大きな違いは、これからの提案は「いじめ」そのものの防止という大きな観点ではなく、「いじめ」が起きた時にどう対応するのかに焦点を絞って考えていることです。

  何度もお読み頂くことになりますが、大切なリストですので、再度「六つの合意項目」を掲げます。

六つの合意項目 (『いじめ』141ページ)

合意① 「アンケートの項目」をわたしはしない、させない。

合意② トラブルは「公開の場」へ持ち出して議論する。

合意③ 公にされたことでの「仕返し」を許さない。

合意④ 「仕返し」がわかれば、緊急クラス会を開く。

合意⑤ 「緊急クラス会」でも改善が見られないのなら、親に来てもらい、現状を話す。

合意⑥ 家族と先生と学校が話をしても、違法性の改善が見られないのなら警察に訴える。

  これまで大きく報道されてきた「いじめ」事件は、被害者が自殺する、あるいは殺されるといった最悪の事態が生じてからのものが多いのですが、事後的にその真実を究明するための、我が子を失った親による大変困難な努力が目立ちます。これらの事件では、被害者は必ず何らかの訴えをしているのですが、それを学校側が受け止められなかったことから悲惨な結果につながっています。

  となると、上記の合意の②「トラブルは「公開の場」へ持ち出して議論する」を実現するために、誰が主役になれば良いのかが問われなくてはなりません。ほとんどの場合、先生や親にも「いじめ」を受けている事実が十分に伝わらなかったことを考えると、被害者本人が自ら「いじめ」を「公開の場」に持ち出すことは至難の業なのではないでしょうか。

  さらに、六つの合意の内、③と④、そして⑤まで入れても良いと思いますが、それらはトラブルを公にした場合の「仕返し」対策です。「チクる」という言葉が実態を良く表現していますが、被害者が「いじめ」を受けていることを誰かに話すこと自体の難しさの中でも「仕返し」をされるだけではなく、「いじめ」が一層酷くなるのが通例であることを示しています。

《被害者の側に立つ「駆け込み部屋」》

  これら、二つの点に焦点を合わせての「第三者機関」が必要です。それをどのようなものにすべきなのかを記述する前に、学校を巡る大切な条件を整えておくべきだと思います。

  最大の条件は、「いじめ」についてどのような対応を行うにしても、先生方への負担が増す結果になってはいけないということです。今までにないことをしなくてはならないのですから、そのために必要な時間に相当する分のこれまでの仕事を減らさなくてはなりません。もっと大掛かりな改革ができるのなら、学校制度そのものの見直しをして、子どもたちが学校そのものの運営により主体的に関与できるシステムを創ることも考えるべきだと思います。

  しかし、それほど大掛かりではなくても、これまでの学校教育で決定的に欠けてきた「少人数学級」を実現することくらいはして貰わなくてはなりません。これが「いじめ」問題解決のためには大きな力になることも御理解頂けると思います。それも、中途半端な「35人」学級ではなく、「20人」学級にすることです。子どもたち一人ひとりとの意味ある関わりが先生の側の犠牲的な献身によって実現されるのではなく、余裕のある創造的環境の中で継続されるためには、これが前提条件です。

  その上で、学年の最初には先生と生徒との間での「六項目合意」を結ぶという順序です。また、被害者が被害を比較的容易に訴えられる仕組みとして、子どもたちによる「いじめパトロール」を組織します。数人のグループで、休み時間や放課後に「いじめられてはいませんか?」という問い掛けをして、「いじめ」を受けている子どもからの発信があれば、子ども同士の問題として「特別クラス会」を開いて議題にする役割も果します。さらに、「第三者機関」への報告はオプションとしてできることにしておきましょう。

  その「第三者機関」の名前も付けておきましょう。イメージとしては、江戸時代の駆け込み寺のように、被害者が加害者から隔離され、駆け込んでからは身の安全が保障されるという機能が大切ですので、「駆け込み部屋」にしておきましょう。「Hot Line」という側面もありますのでそれでも良いのですが、電話だけというイメージが強くなりますので、「駆け込み部屋」にしてみました。

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  「駆け込み部屋」は各学校に一室を持ち、担当の専門職とスタッフが常駐します。官僚組織としての学校には所属せず、例えば民間の公益財団法人のような立場で学校や子どもたちと関わります。先生方、子どもたちとの信頼関係の存在することが大前提になりますので、そのためにどのような位置付けにするのかは、法的な枠組みの整備も含めて、これからの課題としておきます。

  仮にある子どもが「いじめ」に遭ったとして、「いじめパトロール」にも言えない場合、「駆け込み部屋」に物理的に駆け込むか、SNSなどを通して被害を受けていることを発信し、それを受け取るのが「駆け込み部屋」の第一の役割です。

  「駆け込み部屋」は「第三者機関」ではあるのですが、とは言っても、徹底的に被害者の立場に立ちます。「仕返し」の可能性がありますし、それ以前にその時点で続いている「いじめ」から被害者を守らなくてはなりません。被害者が加害者と顔を合わせなくて済むように一時的、あるいはそれ以上の期間被害者を保護することが第二の役割です。場合によっては転校等の対応も視野に入れる必要があります。

  そして、先生方にこの「いじめ」についての調査を迅速に行うよう要請し、調査に立ち会い、調査の補助を行えるようにします。その際、保護者との連絡等を学校が行うのか「駆け込み部屋」が行うのかについては、今後の課題としておきましょう。

  さらに、この「いじめ」が犯罪としての要件を満たしている場合には、学校と連携して、警察の関与を求めます。

  日夜、学校現場で努力を続けられている皆さんには「机上の空論」としか見えないのでないかと思いが強いのですが、それなりのイメージは伝わったでしょうか。とにかく子どもたちが元気で安心して通える学校を実現するためには、私たち大人が当事者意識を持って関わらなくては何事も始まらないという点だけでも共有できたとしたら有り難い限りです。

 [21/10/6 イライザ]

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2021年10月 5日 (火)

ヒロシマとベトナム(その29-1)謝罪も補償も放置されている戦争犯罪

今号から幾度か、8月10日に開催した「グエン・ドクさんと坂田雅子監督のトーク&シンポジウム」で課題になった枯葉剤裁判と補償問題について考えて見たいと思います。

枯葉剤裁判は米軍などのベトナム戦争参戦兵士が製造元を訴えたもの、韓国軍参戦兵士とその家族によるもの、そしてベトナムの枯葉剤被害者によるものが主です。いずれもモンサント社やダウ・ケミカル社など、枯葉剤を製造・販売した会社を相手にしたものです。訴訟はアメリカの裁判所、または自国の裁判所に起こされています。

この間の裁判では、訴訟取り下げ(和解)による米軍兵士への補償金支払いの例がありますが、米軍による枯葉剤作戦の最も深刻な被害の当事者であるベトナムの枯葉剤被害者の訴訟は、すべて棄却・却下(注1)されています。

ベトナム戦争終結後46年間、化学兵器である枯葉剤の製造責任と使用責任は問われず、被害者に対する謝罪も補償もされていないのが現状です。

(注1)棄却=原告の訴え・被告の反訴の全部または一部を、理由がないとして訴えを排斥すること。すなわち、当事者の主張の内容について判断し、提訴を否定することをいう。 却下=当事者の主張について審理するなど、請求の内容に立ち入ることなく訴訟を終結させること。

  ~訴訟から8年、ようやく始まった“ガーさんの裁判”~

直近の裁判は、今年(2021年)5月11日、フランス・エブリー市の刑事法院が却下したベトナム系フランス人女性チャン・ティ・トー・ガーさんの訴訟です。却下理由は、「米国政府の戦時中の行動に関わる訴訟を裁く権限を持たない」というものでした。

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世界核国で多くの人の応援と支持を受けるチャン・トー・ガーさん

ガーさんは1942年生まれの79才、ハノイ総合大学卒業後、ベトナム戦争時には解放通信社の戦場特派員でした。枯葉剤が最も多量に撒かれた1967~1968年の時期、南部最大の激戦地クチに暮らし、常に枯葉剤が散布されていたホーチミンルート最南端の地域で取材に携わっていました。3人の子どものうち一番目の娘は心臓の奇形のため17ヶ月で亡くなり、二番目の娘は血液の病気にかかり、三番目の娘は多くの皮膚病を抱えています。ガーさん自身も、2型糖尿病にかかり、血管のいたるところ、肺と心臓には小さな粒ができ、その多くの粒がカルシウム化するという病気を抱えています。

ガーさんが枯葉剤を製造したアメリカのモンサント社やダウ・ケミカル社など26社を告訴したのは2013年でした。翌年の2014年に19社に対する訴訟手続きが開始され、7年余の準備期間を経てようやく正式な裁判が始まったのは今年、2021年1月のことでした。

ところが、エブリー刑事法院は実質的な審理を行うことなく、5月11日、「管轄権がない」とガーさんの訴訟を却下しました。もちろん、ガーさんは現在、控訴を準備しています。

~被害者の正義を求めるガーさんの戦い~

枯葉剤被害者であることを証明する科学的な基礎であり、裁判を進める前提条件となる体中のダイオキシン含有量を確定するための血液検査をドイツで行うなど、ガーさんは訴訟を進めるための法律的・科学的根拠の準備に7年余り費やしました。

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(出典:『Vietnam Plus』、2015年4月16日)

検査結果であるダイオキシン濃度の数字を見たとき、ガーさんは「誰でも自分が体内にオレンジ剤の毒素をもっていると知れば心配になるのに、私は喜びました。なぜならこれから自分は、戦争の終結から40年が経つのにオレンジ剤の苦しみに日々直面しなければならない400万人の被害者の正義を求める戦いを進めるための証拠を得られたのだからです。裁判はベトナムの国や枯葉剤被害者に対する私の人生で最後のご奉公となるでしょう」(『Vietnam Plus』2015年4月16日)と語りました。

アメリカ軍が初めてベトナム中部コントゥム省に枯葉剤を散布して丸60年を迎えた今年(2021年)の8月10日、『ベトナムの声放送(VOV5)』は、「私は多くの病気にかかっています。これらの病気は枯葉剤を浴びた人の代表的な病気です。緊張したときに発症することが多かったですが、諦めずに最後までやります。」と、不屈の闘志を燃やすガーさんの肉声を伝えました。

~「枯葉剤裁判」は、私たちの課題~

ガーさんの戦いは「ベトナムの枯葉剤被害者全員の戦い」であり、1998年に広島県内で初めて「“枯葉剤被害児救援”のためのベトナム民族アンサンブル・チャリティーコンサート」開演以降、継続している枯葉剤被害児支援を取り組む私たち一般社団法人広島ベトナム平和友好協会(HVPF)の課題でもあります。

そして、それは“核も化学兵器がなく、戦争もない平和で豊かな世界”を希求するヒロシマの課題でもあると思います。

(2021年10月5日、あかたつ)

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2021年10月 4日 (月)

今月の「3の日行動」は・・・

「戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、岸田政権が発足する前日となった昨日3日の午後0時15分から45分間、広電本通電停前で「3の日行動」の街宣行動を行いました。緊急事態宣言が解除されて初めての日曜日、本通は以前のにぎわいが戻ったような人通りがありました。今回の私の任務は、最後のまとめの演説でしたので、次のようなことを訴えました。

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ほぼ一月にわたって繰り広げられた自民党の総裁選挙。確かに今の国会のシステムでは、自民党の総裁に選ばれた人が、次の首相になるのですから、報道量が多くなるのは仕方のないことかもしれません。だとしても、次々の候補者それぞれの政策が無批判のうちに垂れ流されていたのを、異常だと思うのは私だけだったでしょうか。

私が唖然としたのは、各候補の立候補表明の時、口をそろえるように出て来た言葉が「国民のための政治」だったとことです。「政治が国民のために行われるのは当然のこと。国民のために行わない政治ってあるの?」と皮肉のひとつも言いたくなりましたが、そのことは、約9年続いた安倍・菅政権が進めてきた政治が、国民からかい離したものだったことを自らが認めていることになることに気付いていないことを示しています。

ですから「安倍・菅政権の誤り」を指摘した人は、誰もいません。岸田さんも「国民の中に分断が広がった」「格差が拡大した」とは言っても、「なぜそうなったのか」の原因については、何も語っていません。岸田さんが指摘された「国民の分断」「格差の拡大」の現実は、私もその通りだと同感します。問題は、なぜそんな事態になっているかです。その本質を説明しなければ、次への展開はありません。

「経済発展のためには、消費を拡大させなければならない」とは言っても、消費が拡大しない主要な要因である低所得者の増大を生み出している「非正規雇用者」の拡大の問題点などの分析しなければ、大胆な政策転換などできるはずがないのです。

確かに候補者が4人になったことで、幅広い政策の主張が展開されましたが、議員票獲得のためでしょう、自らの主張がトーンダウンしたり、いま起きている様々な問題の根源である安倍・菅政権を真正面から批判するが出来ず、とりわけアベノミクスに無批判であるようでは、「国民の願う」政治へ転換させることはできません。

「政治とお金」の問題も同じです。岸田さんが、自民党幹事長に選んだのは、自らの政治とお金の問題について一度もきちんと説明できない甘利さん。政治資金規正法違反があったと指摘されながら国民にきちんと説明しないままに大臣を辞任した小渕優子さんも党の重要な役職に就任。この人たちを選んだ岸田さんが、本気で「政治とお金」の問題の向き合えるとは、とても思えません。河井夫妻に渡った1億5千万円の問題への岸田さんの発言もトーンダウンしっぱなしです。

核兵器禁止条約に対する政府の方針も同じです。「広島選出の岸田さんだから」と期待する人も多いと思いますが、総裁選後の発言を聞くかぎり、広島市民が望む政策への転換はここでも期待が持てません。

自民党総裁選挙は、事実上の首相を選ぶ選挙ですが、一票を投ずることが出来るのは、党員・党友と国会議員だけです。

私たちにできることは、11月には絶対に実施される総選挙で、自らの意思をきちんと示すことです。わずか10日余りの臨時国会では、岸田政権の実績を問うことはできません。結局は、この4年間の安倍・菅政政権の実績を評価すしかありません。

衆議院選挙では、今度は有権者一人ひとりの一票が力になります。選挙の結果によってそ安倍政治に象徴される「国民不在」の政治に終止符を打つことが出来ます。

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藤元康之世話人の司会で始まった街頭演説の弁士は、夫婦別姓訴訟を闘った恩地いずみさんなど5人、その半数を超える3人が女性弁士でした。最後に私がまとめの演説を行い予定通り午後1時に、10月とは言えない厳しい暑さの中での街頭行動を終了しました。

行動への参加者は、40人でした。

来月の「3の日行動」は、衆議院選挙がありますので注視し、それぞれの立場で選挙闘争に全力をあげることにしています。

いのちとうとし

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2021年10月 3日 (日)

選ぶべき道

見ましたか、総裁選。国民のことを考えているのか、それとも安倍や麻生などのためにしているのか、わからない発言が多かったように思います。しかし、日本のこれからの道を示す一つのターニングポイントであったことは、いなめません。

一方、アフガニスタンに目を向けると、国としての大きなターニングポイントが来ているように感じます。

アメリカは、アフガニスタンに対して、民主国家をというお題目のもと、様々な攻撃を繰り返し多くの罪無き人の命を奪いました。イラク戦争の空爆では劣化ウラン弾などが使用され、今も健康被害で苦しんでいる人たちがたくさんいます。日本のアフガニスタン支援は、民間レベルでは、中村哲さんのように、アフガニスタンの国民のことを考えた行動が、支援であったように思われます。しかし、アメリカの支援という名のもとに行った、日本政府のアフガニスタンへの支援はどうだったでしょうか。アメリカの戦艦へ給油することが、アフガニスタンの人のためになったでしょうか。

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米軍撤退の方針が示されたらすぐ、タリバンが復権しました。世界的な報道では、タリバンの非人道的な部分が取り上げられていますが、アフガニスタンの民衆は、アメリカよりもまだタリバンの方がましではないかと受け入れたから、タリバンが奪還したのではないでしょうか。

何が正義で何が悪かは、年月が経たないと分からないことです。アフガニスタンには、アフガニスタン独自の文化や歴史があります。アフガニスタンの中から生まれる力で新しい国を作っていかなければ、国として成熟していくことは難しいのではないかと思われます。アメリカは、これまでも他国に対して、同じようなことを繰り返してきました。正義を、民主国家を、というお題目を掲げていますが、本音はアメリカの利益のためです。朝鮮戦争しかり、ベトナム戦争しかりです。他国に対してアメリカは、手助けはしても強制してはいけません。手助けにしてはあまりに多くの犠牲者を出しました。手助けして良いことと悪いことがあります。

バイデン大統領がアフガニスタンから撤退したのは、このままではアメリカも傷つき、アフガニスタンの国民も傷つけることになるのだと気づき、時間はかかっても撤退することが、両国にとって今選ぶべき最良の道だと思ってくれたのだと願いたいです。

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2021年10月 2日 (土)

のり付着はなかった菅首相のあいさつ文

8月6日の平和記念式典での菅首相のあいさつ文読み飛ばしの問題は、8月16日のこのブログ「読み飛ばしは避けられた ――総理一人の問題ではない―― : 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」でイライザさんが、その問題点を詳しく指摘されていますが、今日は、8月6日の夕方からマスコミを通じて流れた「読み飛ばしは、挨拶文が糊がついて剥がれなかったから」という報道の問題点について報告します。

もともとこのニュースを聞いた時から「挨拶文を用意した事務方がそんなミスをするはずがない」「事前に一度は目を通しているはずだから、絶対にそんなことはない」と思っていましたが、それ以上の追及をするつもりはありませんでした。

ところが、元市職員だったHさんは、怒りが収まらず「どうもおかし、現物を広島市が保管しているはずだから調べてみよう」と数人の名前で広島市に対し「挨拶文」の開示請求をしました。

数日後広島市から、この請求に対し「現物を開示します」との回答があり、広島市公文書館で、現物を見ることになりました。

読み飛ばされた部分です。

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私たちの目の前に出された「挨拶文」は、スムーズに開きます。複数の人間で、手に取り何度も見たのですが、該当する部分に糊付けがはがされたと思われる痕跡は全くありません。綺麗な状態です。

挨拶文は、A4サイズの和紙のような薄紙を横に7枚並べて作られていますので、継ぎ目は、6カ所あります。もし私につなぎ合わせる作業を任されたら、前か後ろの紙の一部に糊付けをし、重ね合わせて継いだはずです。しかし、目の前にある挨拶文は、表にはつなぎの痕跡は全くなく、裏打ちのように裏側に同材質の幅約2センチの紙を貼ってつなげてありました。もちろん紙の両脇や下側にのりがはみ出したような痕跡は見当たりません。素人目ですが、非常に丁寧な仕事がされているなと思いました。

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こんな丁寧の仕事をする人ですから、仮にのりがはみ出したとしても、それを放置したままで、折りたたんであいさつ文を作ることなど絶対にありえませんし、作業後にはきちんと開くことを何度も確認したはずです。

さらに首相官邸のホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0806hiroshima.html)で、平和記念式典の菅首相のあいさつの様子が、最初から最後まで全て映像で見ることが出来ますので、何度も繰り返し見て確認しました。先頭から2分20秒のところです。読み飛ばしの該当部分が、首相の右手に移った後、よく見ていると明らかに開いているのが見て取れます。ひっついている様子は全くうかがえません。

ここでも、菅首相のあいさつ文読み飛ばしが、「のり付け」が原因でないことははっきり確認できました。

ところが、その日の夕方には、「原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたため」「完全な事務方のミス」との報道が流れました。菅首相の読み飛ばしの原因が、このあいさつ文を作った人の作業にあったというのです。これだけ丁寧な仕事をした人は、この報道をどんな思いで、聞き、読まれただろうかと、同情の気持ちが湧きます。

問題は、なぜこのデマ情報が、マスコミを通じて、まことしやかに流れたのかということです。あいさつ文を見た時、担当の広島市の職員に、当日の状況を確認しました。

菅首相は、あいさつが終わるとあいさつ文を包み紙とともに、縁台上に残して自席に戻ります。これは、ホームページの映像でも確認できます。その後式典が終了するまで、縁台上に残ったままです。式典がすべて終了した後市の職員が、演台上にあった首相のあいさつ文も他の資料などと一緒に段ボール箱に入れ、市役所に持ち帰ったそうです。今年は、翌7日が土曜日、さらに8日は山の日、9日は振替休日と休みが続きましたので、持ち帰った段ボール箱を整理し始めたのは、火曜日の10日です。この間一度も手を触れることはなかったということですから、のり付けがあったなど確認することも全くなかったのです。

さらに、式典終了後、あいさつ文の現物について「のりが付着していて剥がれない」状態だったかどうかについて、政府による現物確認はもちろん、確認のための問い合わせの電話も全くなかったそうです。

明らかに政府の誰かによる意図的に流された情報です。情報操作といってよいでしょう。このデマ情報が流れた一番の責任は、政府にありますから、その責任が厳しく問われます。と同時に、「ちょっと考えればおかしいな」ということが容易に想像できるこの情報をうのみにして流したマスコミの責任も同じように問われなければならないと思います。

私も当初は、読み飛ばしのことだけを問題だと思っていましたが、「のり付け」問題の経緯を調べていくうちに、もっと重要な問題があることを知ることになりました。

それは、だれがどう考えてもおかしいと疑問を感ずる情報「のりが付いていたため、読み飛ばしが生じた」という「政府の説明」を何の疑いもなく、もちろん検証もせずにそのまま流してしまったマスコミの姿勢です。

マスコミ報道の現状を改めて思い知らされることになりました。

いのちとうとし

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2021年10月 1日 (金)

2021年9月17日に公表された、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明 ――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (8)――

2021年9月17日に公表された、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明

――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (8)――

 

  今回は、「いじめ」の被害者を守るための「第三者機関」についての提案をする積りでしたが、その前に考えておくべきことが起きました。

  ウイキペディアによると、「2021年9月17日、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明 (以下「説明」と略します) がCorneliusのHP、及び本人のInstagramに掲載された」そうですので、できればその全文をお読み下さい。

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  元々このシリーズの発端になった、1994年発行の『ロッキング・オン・ジャパン(1994年1月号)』 (以下『ロック』と略します) と、翌年の『クイック・ジャパン(95年vol.3)』 (以下、『クイック』と略します) に掲載されたインタビュー記事については、第一回で取り上げました。

  その際、三つの問題点を指摘しました。一つは、小山田が学校行った「いじめ」そのものです。二つ目は、それを12年も経ってから「武勇伝」として公にしていることです。そして三つめは、被害者からの年賀状を公開し、被害者ならびに被害者の母親を嘲っていることです。

  今回の「説明」では、一つ目は『ロック』に掲載された「いじめ」のいくつかについては自分では手を下していない、つまり実体がなかったという言い訳をしています。その上で、だから二つ目も二次被害を与えたかもしれないが、自分が話した内容よりはセンセーショナルに書かれてしまっているという趣旨の説明になっています。三つ目については言及がありません。

  私も当初、二つ目の問題については、「二次被害」という側面を強調しました。でも今回の「説明」を読んでの違和感はそれだけでは表現できません。「一次」的な面に着目する必要があるからです。

  一つには、学生時代に酷い「いじめ」をした、それも相手が特定できる個人を対象にしたものであることを、全国的に流通している雑誌で公開すること自体が酷い「いじめ」であるという点です。被害者の視点からは「二次被害」ではなく、「一次被害」として捉えるべきだという点です。

  次に、物理的に相手に排泄物を食べさせたり、マットレス巻きにしたり、ひもで縛って自慰行為をさせたりということを仮にしていないにしても、「そういう行為を誰々にした」と公の場で自慢すること自体が「いじめ」なのです。それも「一次被害」ですす。

  この点について、伝わりにくい感じもしますので、極端な例を挙げることでその酷さを強調しておきましょう。「説明」の中では、次のような意図で、実際はしていない「いじめ」にもかかわらずそれが自分の行為であることにしてしまったと述べています。「露悪的なキャラクターを演じることで世間からの見られ方を変えようとしていました。過剰で自虐的なリップサービスを必要以上に行うこと」にした、というのです。

  つまり、「二次被害」を与えてしまった「動機」があり、その点は理解して欲しいということなのだと思います。その気持は分りますが、動機としてイタリックで表記した部分は、極めて自己中心的です。それも問題なのですが、自己中心的な動機があったことで、被害者が受けた心の傷や人間としての尊厳の無視などが許されるはずもなく、全く別次元で考えなくてはならないことなのです。

  その点を明確にするために「思考実験」をしてみたいと思います。前提として、ある人Aが、自分に対する世間の見方を変えるために過剰で自虐的なリップサービスを必要以上にしたい、という「自己中心的」な目的があったとします。そして「思考実験」として、「自己中心的」な目的達成のために、次のような「嘘」を全国的な雑誌の中で公開したとしましょう。

「自分は、自分の家族 (あるいは親しい友人に) に、排せつ物を食べさせ、マットレス巻きにし、自慰行為を強制した」

  仮に、こんな言葉が雑誌に乗り多くの人の目に触れたとしたら、当該家族あるいは友人は、まずAが何故そんな「嘘」をつかなくてはならないのか、それを公刊されている雑誌に何故載せなくてはならないのかを不思議に思うでしょう。Aに精神鑑定を受けさせても不思議ではありませんし、「勘当」とか「親子の縁を切る」、永遠に「絶交」する等の結果になったとしても仕方のない行為だと考えられます。

  このことだけからも明らかなように、「嘘」であっても、家族や友人に対して自分がこの種類の「いじめ」をしたと広言することはあり得ないのです。ですから、小山田事件の実際の被害者を「友人」だと規定している「説明」の文章とは大きな矛盾があることになります。そして、仮に被害者が抗議をしたとしてもそれがAにとってはどうでも良いというくらいの弱い立場にある人間を標的にしていることもハッキリしてきます。

  さらに問題なのは、仮に、このような行為に実体がない、つまり嘘をAが出任せに言っていたとしても、これが単に「いじめ」に止まらず、Aの家族あるいは友人に対しての許しがたい、人間の尊厳を無視している侮辱であり、言葉による暴力、人権侵害であることは一目瞭然なのではないでしょうか。あなたの親しい友人から、あなたがこのような被害を受けていたという「嘘」を、雑誌でもネットでも良いですが、広められたとしたらどう感じるのかを想像してみて下さい。

  言うまでもないことですが、ネットを介しての「いじめ」の多くは、これと同種類の「言葉」による「いじめ」ですし、多くの場合この種の「いじめ」には実体のないことも良く知られています。

  繰り返しますが、「説明」の中ではこの新たな「人権侵害」、「人間性の否定」は、単なる「二次被害」というレベルで捉えられています。「二次」ではなく新たな「一次」レベルの「いじめ」、それも人権侵害、人間としての尊厳を侵す深刻な行為であるという認識のないことが問題です。

  オリンピックで重要な役割を任されるような、知名度もあり広い交友関係もある人なのですから、周囲にこのような本質的な点について、きちんと説明し諭してあげられる人はいるはずです。もう一度、自分の行為についての自覚をした上での反省ができるように、その内の何方かが骨を折って下さらないものかと祈っています。

 [21/10/1 イライザ]

 

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