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2021年9月20日 (月)

ベトナムの歴史(その7)

日本人が初めて踏んだ地は、ベトナムの何処

前号で、第9次遣唐使半官の平群朝臣広成(へぐりのあそんひろなり)が、734年に日本への帰途、嵐で現在のベトナムにあたる崑崙(こんろん)国に漂着したのが、「史実に残るベトナムの地を初めて踏んだ日本人」と紹介しました。

 ところで、平群朝臣広成が漂着した崑崙国は一体、ベトナムの何処だったのでしょうか。また、同じ帰国船団で日本をめざした仏哲はチャンパ国出身の僧侶ですが、チャンパ国は何処にあったのでしょう。当時のベトナムの歴史を理解する上で、少しこの辺りを見てみたいと思います。

当時は言うまでもなく「北属期」で唐の時代です。8世紀頃の崑崙国は中国では別名・林邑(りんゆう)国と呼ばれ、下の地図の赤丸で囲んだ緑部分でベトナム中南部一帯を治めていました。右下の地図は松本信広著の『ベトナム民族小史』(1969年、岩波新書)に収録されている「古代中国勢力下のベトナム」で、少し詳細な地域が分かります。

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(出典:Y-History教材工房「世界史の窓」チャンパー)

チャンパ(林邑)はもともと、漢帝国(紀元前202年~220年)の南端であるベトナム中部に設置した日南象林県という中国の行政区域でしたが、192年頃に現地官吏の子によって独立国になります。チャンパ国はインド文化を採用し、フエやダナン、ホイアンなど中継貿易を担う港市国家として栄えました。605年には隋によって一時、都のフエを占領されますが、その後復興します。2世紀から7世紀までは林邑国、7世紀から14世紀までは占城(せんじょう)国と国名を変えながら続いたチャンパ国は、北隣のグエン(阮)王朝や西隣のカンボジアのクメール王国との争いが絶えず、10世紀後半しばしばその支配を受け、15世紀後半には南下するグエン王朝の圧力で支配下に入り1832年に滅亡しました。

この間、チャンパ国より北に位置する中国支配を受けていた地域はどうなっていたでしょうか。720日の「ベトナムの歴史」(その5)で紹介しましたが、938年に呉権が「白藤江(バクダン川)の戦い」で南漢軍を打ち破り、中国諸王朝による紀元前111年から1000年にわたる支配の鎖を断ち切り、呉朝を建てます。その後、李朝、陳朝、黎朝などを経ながら、1802年に阮朝が初めてベトナムに統一国家を建てるまで約900年、独立王朝時代が続きます。

 

チャンパ国と仏哲、一弦琴・クニィ

再びチャンパ国に話を戻します。チャンパ国を建てたのはインドネシア人などと同じくオーストロネシア語族のチャム人です。2世紀~14世紀までチャム族が主要民族のチャンパ王国(占城国)は、クメール王朝やグエン(阮)王朝の圧力により次第に衰え滅亡します。

ベトナムは86.2%を占めるベト族(キン族)の他、53の少数民族でなる多民族国家ですが、チャム族もその一つとしてベトナム南部に暮らしています。カンボジアやタイ、マレーシアなどでも数千から数十万人が暮らしています。チャム族の文化としては舞踊と音楽、特に一弦琴クニィが知られ、産業では織物業や窯業が盛んで、レンガ造りの壮麗なヒンズー建築をサンスクリット碑文とともに各地に残しています。ダナンとホイアンの間にあるミーソン遺跡は特に有名で、私も訪れたことがあります。

一弦琴クニィは、私たちが枯葉剤被害児救援のためにベトナム民族アンサンブルを招聘し定期的に開催しているチャリティーコンサートで必ず登場する楽器です。立てた竿に弦を一本張っただけの簡単な楽器です。二胡や馬頭琴のように弓で弾きますが、ユニークなのは弦の端から糸が伸びていて、その先によく振動する小さな板=マウスピースが付いていることです。マウスピースを口の中に含んで糸電話のように糸をぴんと張って、弓を弾くと弦の振動がマウスピースに伝わり口の中で共鳴します。つまりクニィは口琴と同様、ヒトの口を共鳴胴に使う楽器なのです。ただ、口琴のように倍音で音程を作りだすことまではできません。指で弦を押さえて音程を変え、この辺は普通の弦楽器と同じです。

弦の先を口にくわえ、楽曲だけでなく猫の鳴き声や小鳥のさえずりなどを自由自在に表現する妙技は絶賛です。「こんな音」と、お伝えできないのが残念ですが、近いうちにコンサートを企画しますので楽しみにしていてください。

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(一弦琴クニィ)

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          (20081018日、第3回チャリティーコンサート)

734年に遣唐使半官の平群朝臣広成の帰国船団の第2船に、南インドのバラモン僧・菩提僲邦(ぼだいせんほう)と弟子でチャンパ国出身の仏哲が乗船していました。おそらくベトナム人(チャンパ人)で初めて日本の地を踏んだのは、この仏哲だと思われます。

その後、仏哲は752年の東大寺大仏開眼法要で抜頭(ばとう)や林邑楽(りんゆうがく)などの舞楽を奉納したことが伝えられています。おそらく仏哲の奉納した舞楽が、日本人が初めて触れたベトナム(チャンパ国)の文化だったのではないでしょうか。

(2021年9月20日、あかたつ)

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