浄国寺(中区土橋町)訪問記その2-被爆の痕跡を訪ねるのつづき
昨日書き忘れたのですが、実は訪問した最初の日は、お寺が不在で詳しいことを聞くことができませんでしたので、翌日再び訪れ、ようやく話を聞くことができました。丁寧な対応していただき、最後に「今日は法事がありますので、詳しいことはこれを読んで下さい」と新しくできたパンフレットを手渡されました。そのおかげで、この訪問記の内容も少し豊かにすることができたように思います。
そんな話の内容を含め、昨日のつづきです。
永代供養墓「あおそら」の並びの本堂側には、新しくペット用の合同墓が作られていました。
これも今の時代の反映でしょうか。紹介したいのは、「ともいきの碑」と刻まれた合同墓は、新しい御影石でつくられていますが、周囲の敷石や手水鉢など黄色ぽっく見える石は、本堂西側のかつてあった庭園で使われていた被爆石が使われていることです。
最初の日には、気づかなかったのですが、翌日のお寺さんの話しで知ることが出来た内容です。
業者からは、「被爆石を使うと工費が高くつきますよ」といわれたそうですが、「被爆石を大切に使いたいとの思いで、可能な限り被爆石を使ってください」とお願いされたため、多くの被爆石が使われ、今の姿になったようです。「被爆70年以上たっても被爆の事実を子どもたちに伝え続け、住民の祈りの場として貢献したい」と中国新聞記者に語られた思いが、よく理解できました。
もう一つお寺にとって大切なものがあります。2階の本堂入り口にかけられている寺号額です。
この額は、境内で被爆したイチョウの木で作られています。原爆によって一瞬のうちに堂宇が焼失し荒涼とした焼け跡を残すだけとなった浄国寺の境内で、ぽつんと立っていたのがこのイチョウの木でした。焼け野原となった広島市内、この大イチョウは、遠く広島駅からも一目でそれと分かったといわれていたほどの大木だったようです。この大イチョウが写った写真はないかと「明教寺と被爆し廃校となった光道国民学校-その2: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で使った写真の中を探したのですが、それと確認できるものを見つけることが出来ませんでした。この大イチョウは、被爆後生き残っていたのかを聞くこともできませんでした。
浄国寺のホームページには、この墓地に眠る「ゆかりの人々」が紹介されています。その一人として「宮島杓子」を創案した「僧・誓真」が紹介されていましたので、その墓を探すことにしました。「誓真の墓塔は頂部が尖った長宝珠型をしている」と書かれていましたので、お墓の頂上部が尖ったものを探して歩き、何とか見つけることができました。
「実誉至誠誓真大徳 寛政12年(1800年)8月6日歿」と刻まれていますので、間違いありません。大きなお墓ではありませんので、気を付けないと見逃がしそうです
お寺のパンフレットには、誓真についてこう紹介されています。「代々広島の大工町に住んで米屋を営んでいたが、25歳の頃、宮島光明院に投じて僧侶となりました。彫刻の才があり、木魚や仏具等を作っていましたが、島民の生活を救うため琵琶の形からヒントを得て飯杓子を発案し、島の名産になりました。また、島内の処々に井戸を掘り、石畳や石段を整備し、参拝者や島民を助けました。」
廿日市市の「宮島案内絵図」を見ると、光明院のすぐそばに「誓真大徳碑」があり、誓真が掘った井戸を示すと思われる「誓真釣井」(せいしんつるい)が、4カ所記されています。「飯杓子の発案」だけでなく宮島にとっては、絶対に忘れてはならない人のようです。
ところで、卵型をした「卵塔」といわれるお墓は、僧侶特有のものだそうです。
確かに、墓地の南東角にある浄国寺の歴代の住職のお墓も同じ形をして並んでいました。
もちろん、ここにあるお墓も誓真のお墓と同様に、すべて被爆しています。
最初の日、ほぼ目的のものを探し終え、お寺が不在でしたので、あきらめて帰ろうと思ったのですが、ちょうどお墓参りの来られていた男性がおられたので、お寺に聞けなかったことを「何か知っておられるのでは」と声をかけたところ、「この境内には、歌手ペギー葉山さんの先祖のお墓があり、広島で公演があった時には、よくお墓参りに来られたそうです」という私にとっては思いがけない話を教えていただきました。
帰宅しネットで調べると、ペギー葉山さんと原爆との意外な接点を知ることになりましたが、今日も長くなりましたので、その話は明日紹介します。
いのちとうとし
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