2021年9月17日に公表された、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明 ――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (8)――
2021年9月17日に公表された、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明
――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (8)――
今回は、「いじめ」の被害者を守るための「第三者機関」についての提案をする積りでしたが、その前に考えておくべきことが起きました。
ウイキペディアによると、「2021年9月17日、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明 (以下「説明」と略します) がCorneliusのHP、及び本人のInstagramに掲載された」そうですので、できればその全文をお読み下さい。
元々このシリーズの発端になった、1994年発行の『ロッキング・オン・ジャパン(1994年1月号)』 (以下『ロック』と略します) と、翌年の『クイック・ジャパン(95年vol.3)』 (以下、『クイック』と略します) に掲載されたインタビュー記事については、第一回で取り上げました。
その際、三つの問題点を指摘しました。一つは、小山田が学校行った「いじめ」そのものです。二つ目は、それを12年も経ってから「武勇伝」として公にしていることです。そして三つめは、被害者からの年賀状を公開し、被害者ならびに被害者の母親を嘲っていることです。
今回の「説明」では、一つ目は『ロック』に掲載された「いじめ」のいくつかについては自分では手を下していない、つまり実体がなかったという言い訳をしています。その上で、だから二つ目も二次被害を与えたかもしれないが、自分が話した内容よりはセンセーショナルに書かれてしまっているという趣旨の説明になっています。三つ目については言及がありません。
私も当初、二つ目の問題については、「二次被害」という側面を強調しました。でも今回の「説明」を読んでの違和感はそれだけでは表現できません。「一次」的な面に着目する必要があるからです。
一つには、学生時代に酷い「いじめ」をした、それも相手が特定できる個人を対象にしたものであることを、全国的に流通している雑誌で公開すること自体が酷い「いじめ」であるという点です。被害者の視点からは「二次被害」ではなく、「一次被害」として捉えるべきだという点です。
次に、物理的に相手に排泄物を食べさせたり、マットレス巻きにしたり、ひもで縛って自慰行為をさせたりということを仮にしていないにしても、「そういう行為を誰々にした」と公の場で自慢すること自体が「いじめ」なのです。それも「一次被害」ですす。
この点について、伝わりにくい感じもしますので、極端な例を挙げることでその酷さを強調しておきましょう。「説明」の中では、次のような意図で、実際はしていない「いじめ」にもかかわらずそれが自分の行為であることにしてしまったと述べています。「露悪的なキャラクターを演じることで世間からの見られ方を変えようとしていました。過剰で自虐的なリップサービスを必要以上に行うこと」にした、というのです。
つまり、「二次被害」を与えてしまった「動機」があり、その点は理解して欲しいということなのだと思います。その気持は分りますが、動機としてイタリックで表記した部分は、極めて自己中心的です。それも問題なのですが、自己中心的な動機があったことで、被害者が受けた心の傷や人間としての尊厳の無視などが許されるはずもなく、全く別次元で考えなくてはならないことなのです。
その点を明確にするために「思考実験」をしてみたいと思います。前提として、ある人Aが、自分に対する世間の見方を変えるために過剰で自虐的なリップサービスを必要以上にしたい、という「自己中心的」な目的があったとします。そして「思考実験」として、「自己中心的」な目的達成のために、次のような「嘘」を全国的な雑誌の中で公開したとしましょう。
「自分は、自分の家族 (あるいは親しい友人に) に、排せつ物を食べさせ、マットレス巻きにし、自慰行為を強制した」
仮に、こんな言葉が雑誌に乗り多くの人の目に触れたとしたら、当該家族あるいは友人は、まずAが何故そんな「嘘」をつかなくてはならないのか、それを公刊されている雑誌に何故載せなくてはならないのかを不思議に思うでしょう。Aに精神鑑定を受けさせても不思議ではありませんし、「勘当」とか「親子の縁を切る」、永遠に「絶交」する等の結果になったとしても仕方のない行為だと考えられます。
このことだけからも明らかなように、「嘘」であっても、家族や友人に対して自分がこの種類の「いじめ」をしたと広言することはあり得ないのです。ですから、小山田事件の実際の被害者を「友人」だと規定している「説明」の文章とは大きな矛盾があることになります。そして、仮に被害者が抗議をしたとしてもそれがAにとってはどうでも良いというくらいの弱い立場にある人間を標的にしていることもハッキリしてきます。
さらに問題なのは、仮に、このような行為に実体がない、つまり嘘をAが出任せに言っていたとしても、これが単に「いじめ」に止まらず、Aの家族あるいは友人に対しての許しがたい、人間の尊厳を無視している侮辱であり、言葉による暴力、人権侵害であることは一目瞭然なのではないでしょうか。あなたの親しい友人から、あなたがこのような被害を受けていたという「嘘」を、雑誌でもネットでも良いですが、広められたとしたらどう感じるのかを想像してみて下さい。
言うまでもないことですが、ネットを介しての「いじめ」の多くは、これと同種類の「言葉」による「いじめ」ですし、多くの場合この種の「いじめ」には実体のないことも良く知られています。
繰り返しますが、「説明」の中ではこの新たな「人権侵害」、「人間性の否定」は、単なる「二次被害」というレベルで捉えられています。「二次」ではなく新たな「一次」レベルの「いじめ」、それも人権侵害、人間としての尊厳を侵す深刻な行為であるという認識のないことが問題です。
オリンピックで重要な役割を任されるような、知名度もあり広い交友関係もある人なのですから、周囲にこのような本質的な点について、きちんと説明し諭してあげられる人はいるはずです。もう一度、自分の行為についての自覚をした上での反省ができるように、その内の何方かが骨を折って下さらないものかと祈っています。
[21/10/1 イライザ]
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