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2021年9月21日 (火)

「法の人」を育てるために学校でできること ――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (5)――

「法の人」を育てるために学校でできること

――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (5)――

 

前回は、村瀬学著『いじめ――10歳からの「法の人」への旅立ち――』 (ミネルヴァ書房、2019年、以下、『いじめ』と略します) を紹介しました。村瀬によると、「いじめ」を理解する上で一番大切なのは、子どもたちが9歳か10歳になる頃、世の中には一定のルールがありそれに従う必要のあることに気付く、いわば「法の人」になるという事実でした。

しかし、その「法」には二面性があり、一つは、刑法その他の大人社会に通じる「公開」された法という面です。もう一つの側面は、しばしば、自分たちの仲間だけには通じても、仲間以外、例えばその他の友だちや先生には公開されない秘密の「法」あるいは「掟」だと言って良いでしょう。『いじめ』では、これを「仲間内の子ども法」と名付けた上で、この関係を次のように示しています。

Photo_20210920125801

そしてこの「法」は、教室内では、次のような三つの「ルール」という形で具体的に現れているというのが『いじめ』の主張です。

Photo_20210920125901

「法」、「ルール」、「掟」といろいろな言い方がありますが、要するに自分たちの行動を規制するという効果を持つ「言葉」が、直接的行使される「力」あるいは「暴力」を抑える状況を示しています。

問題は、その中に特定の仲間にしか共有されず、他の人たちには見えない「地下」空間が存在し、その中で「いじめ」が起きているという点です。

さらに、地下に潜った「掟 = 子ども法」の一部として、犯罪としか名付けられない直接暴力が大きな役割を果していることなのです。つまり「法」によって、と言うことは力によってではなく言葉によってという意味ですが、その「法」によって行動を支配することの重要性を理解し始めた子どもたちの中に、まだ力によって行動を強制することを容認する価値観が残っているのです。

そうした理解の下、「いじめ」の対策として村瀬が『いじめ』の中で薦めているのが、普通の「クラス会」とは別に「特別クラス会 (広場) 」を設けていじめの問題を話し合うことです。普通のクラス会が、「授業の場」あるいは「教育の場」に位置付けられているのに対して、「特別クラス会」は「法の場」として位置付けられます。その意味では、民主的な色が付きますので、「広場」という名称が相応しいと考えられます。

上の図で説明すると、「先生のルール」と「子どもの自由なルール」という公開された場で共有されているルール作りの場に、「掟 = 子ども法」という地下に潜ったルールを持ち出して話し合いをするということです。

そして、この「特別クラス会」が機能するために、「4月。新しい学年が始まるその初日に、先生は最初の重大な提案をします。それは生徒と取り交わす「六つの合意」の提案。何の合意かというと、いじめ対策に向けての合意です。」以下、「六つの合意」です。

六つの合意項目 (『いじめ』141ページ)

合意① 「アンケートの項目」をわたしはしない、させない。

合意② トラブルは「公開の場」へ持ち出して議論する。

合意③ 公にされたことでの「仕返し」を許さない。

合意④ 「仕返し」がわかれば、緊急クラス会を開く。

合意⑤ 「緊急クラス会」でも改善が見られないのなら、親に来てもらい、現状を話す。

合意⑥ 家族と先生と学校が話をしても、違法性の改善が見られないのなら警察に訴える。

合意①の「アンケートの項目」とは、「いじめ」のリストですが、長くなりますので省略します。

さて、ここで提案されている「広場」と、尾木ママが北欧で観察してきた「子どもパトロール」や、楠による「教育学」で強調されている「集団的自立」との共通点に注目して頂きたいのですが、北欧と日本とでのいじめ対応に共通点のあるということは、より広い国際的な広がりでこの問題について考えるとどうなるのか、という新たな問いにつながります。

スペースが限られていますので、さらに詳しい説明のできないことを申し訳なく思いますが、『いじめ』には実践例や過去のいじめの例を交えて詳しい説明がありますので、是非、読んでみて下さい。

これで、9歳から10歳頃に子どもの中に芽生える「法」という意識を元に「いじめ」を考える村瀬による『いじめ』の紹介を終りますが、「いじめ」についてずいぶんすっきりとした整理ができてきたように思います。

次回は、村瀬著の『いじめ』について、いくつかの疑問点を述べた上で、これまで何回か予告してきた「国際的」な広がりに目を向けます。

[21/9/21 イライザ]

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