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2021年8月30日 (月)

情報公開で明らかになったことーサッカースタジアム建設予定地発掘調査

8月4日に広島市の情報公開条例に基づき開示請求を行っていた「サッカースタジアム建設予定地発掘調査」に関わる資料が、8月25日に部分開示されました。

もともと、文化財審議会を担当する文化財担当課に情報の開示を求めたのですが、同審議会が非公開で実施されていたため、「開示できない」と回答があったため、情報公開請求を行ったものです。不開示の通知が来るかもしれないと思っていましたが、あんに相違し、何故か私が求めていた情報はすべて開示されました。「なぜ最初から開示しなかったのか」という問題が残りますが、今日は開示された情報を検証して湧いた疑問を紹介します。

「サッカースタジアム建設予定地発掘調査」が議題となった広島市文化財審議会は、2020年3月2日と7月14日の2回開催されていますが、広島市がこれまで繰り返し主張してきた「記録保存が決定されています」という会議は、3月2日の会議です。この日の「報告事項」として「①サッカースタジアム建設予定地での試掘調査の結果について②サッカースタジアム建設予定地での発掘調査について」の二つのテーマが上がっています。

最初の疑問は、当日配布された資料として公開された「試掘調査概要」とそれに付された「試掘調査トレンチ設定個所」の図面です。

20210830_080251

見難いのですが、この図面によれば、T4は3カ所ですので計12カ所で試掘されています。ところが、公園東側部分の図面上「西の出丸」と書かれている周辺に試掘場所が集中し、何故か今回の発掘場所となる西側では、4カ所しか実施されていません。今回の「発掘調査」のための試掘としては不十分ではないかと思われます。どうもこの試掘は、サッカースタジアムを東側に建設するとしていた時期に実施されたもののように思われます。その試掘結果として、「調査の概要」には、「T4における軍の倉庫跡のものと思われる床面のほかは、各トレンチにおいて被爆整地層や被爆麺と判断できる被爆の痕跡は確認できなかった」と記されています。

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ところが、添付された発掘時の写真によれば、今回の発掘調査が行われている公園西側のT8では「敷石状構造物」が出土し、軍施設の遺構の可能性があると思われるにもかかわらず、このことについては、全く触れられていませんし、議事録の中にもこれに関する説明は見当たりません。

②の「サッカースタジアム建設予定地での発掘調査について」では、調査体制や財政問題に意見が多く出されていますが、この中で注目すべき発言があります。「記録保存のための発掘調査は、破壊することを前提に発掘するのですが、特に重要な遺構が出土した場合ですと、その出土した遺構が破壊されないように、サッカースタジアム建設計画の一部を修正すべきなのです。(略)既に決めてしまって壊すんだと。そういう一点張りになりかねないので、これは教育委員会で中止していただきたいんですけれども、重要な遺構が出て来た時は、設計変更せよと。」

この委員の重要な遺構は、「江戸期の遺構」を想定して発言されているようですが、「発掘調査」ということからいえば、どの時代の遺構であろうと同じように考えるのが当然のことです。ですから今回出土した軍隊遺構も同様に考えるべきであり、現在の広島市の対応は、この委員の意見を全く無視しています。広島市は「記録保存が決まっている」と繰り返しますが、その会議の中で、こうした指摘があったことを重く受け止めるべきです。

もう一つ重要なことが明らかになっています。広島市は、「発掘調査」に関わる説明文の中の「調査体制」の項で「(4)広島県教育委員会、有識者による指導助言」として「調査の実施に当たっては、広島県教育委員会の埋蔵文化財専門職員や市文化財審議会の埋蔵文化財分野の委員である野島委員等に、適宜指導・助言を受けることとする。」と書いています。名指しされている野島委員とは、市文化財審議会の10名の委員のうち、唯一の埋蔵文化財専門の委員なのです。この「野島委員に適宜指導・助言を受ける」ことは、7月14日の会議でも広島市が提出した資料にも明記されています。しかし、この間広島市が、野島委員の指導や助言を仰いだことはないといわれています。野島委員は「この遺構は非常に貴重なものだ」といわれていると聞いています。絶対におかしいと思います。

さらに不思議なことは、公開された3月2日の会議資料の中に「発掘調査場所」が、文字でも図面でも示されていないことです。これって、絶対に必要な資料だと思うのですが。疑問を感じられて委員はおられなかったのですかね。文化財審議会に初めて調査対象範囲図が提示されたのは、4か月後の7月14日に開催された審議会です。

いずれにしても情報公開請求をしなければ、これらの事実を私たちが知ることができず、市側に都合の良い説明だけを聞かされることになってしまいます。

「サッカースタジアム建設予定地発掘遺構」問題を前進させるためには、きちんと情報を公開し、市民の理解を得ることが絶対に必要なことです。広島市には、今からでもその道を選んでほしいと強く思います。

いのちとうとし

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