全国で5番目に布設された広島市水道
昨日、広島市水道局玄関ロビーに展示されている「サッカースタジアム建設予定地から出土した水道管」のことを紹介しました。
今日は、広島市水道が給水を開始と陸軍のかかわりについて、「広島市水道70年史」をもとに考察します。広島市水道史は、100年史も発刊されています。私が所有する「70年史」は少し古くなりますが、給水開始時のことは、変りがないと思いますので、これをもとにします。
その前に、日本国内の初期の水道普及状況を紹介します。明治20年(1887年)10月17日、国内で初めて横浜市で給水が開始され、その後の給水開始状況は、「日本の近代水道の歴史」では、次のようになっています。
1 横浜市 明治20年10月17日
2 函館市 明治22年 9 月20日
3 長崎市 明治24年 5 月16日
4 大阪市 明治28年11月13日
5 東京都 明治31年12月 1 日
6 広島市 明治32年 1 月 1 日
7 神戸市 明治33年 4 月 1 日
ところが、広島市水道局のホームページを見ると「広島市の水道は、明治31年(1898年)8月25日に創設、翌32年(1899年)1月1日に給水を開始しました。」と記すとともに「牛田浄水場で通水式が行われた明治31年(1898年)8月25日が広島市水道創設の記念すべき日」とし、「全国5番目の近代水道創設となりました。」としています。私も、広島市水道局の説を採用し、全国5番目としました。
牛田浄水場にある広島市水道資料館
広島、東京どちらが先かの順番の問題は別にして、この順番を見て気づくことは、大都市よりも先に、外国の窓口となっていた港湾都市から給水が開始されていることです。それは海外から持ち込まれるコレラなど水を介して広がる伝染病が蔓延するのを防ぐことを目的としていたからです。次に大都市である大阪、東京に普及します。
つまり日本の近代水道は、まず貿易の拠点である5港(函館・横浜・新潟・神戸・長崎)や大都市である3 府(東京・大阪・京都)から、布設が進んだのです。
この条件に当てはまらない一地方都市に過ぎなかった広島市が全国で5番目に給水を開始したのには、ある特別の事情があったのです。
その特別の事情とは、陸軍の基地があり、大陸への出兵の基地となっていたからです。広島市には、1871年(明治6年)に第5鎮台が設置され、1886年(明治19年)には、広島鎮台が第5師団となり、この前後から陸軍部隊が一気に充実することになります。とりわけ廣島が重要な軍事拠点として位置付けられるのは、日清戦争(1894年、<明治27>から95年)の前線基地となり、朝鮮半島や中国大陸に侵攻する時、宇品港から多くの兵士が出兵することになったからです。そればかりではなく、日清戦争が始まると広島に最高戦争指導機関である大本営が広島城内の第5師団に置かれ、同年9月15日には、明治天皇が広島に到着し、さらに臨時帝国議会も開催されるなど、広島は臨時首都といってもよい状況になりました。
と同時に水と関わる深刻な事態が発生する事にもなりました。それは、戦争の影響で伝染病の流行が深刻化したことです。日清戦争では、戦傷者より伝染病に罹患して亡くなった兵士が多かったともいわれています。臨時検疫所を設けて、戦地から帰還する兵士が伝染病を持ち込まないようにする対策も急ぐとともに、似島に正規の陸軍検疫所が設定されました。
しかし、上水道が整備されていないため、川の水に頼った(井戸を掘っても塩分があり良質な水を得ることができなかった)飲み水では、汚染が避けられず、伝染病に流行の恐れがありました。恐ればかりではありませんでした。ある報告によれば「1895年(明治28年)3月から同年11月つまり戦争末期から終戦後兵士が凱旋して以降にかけて、広島県内で3,910人(死者2,957人)、うち市内1,308人のコレラ患者が発生した」のです。
広島に滞在していた明治天皇は、飲み水にはとりわけ気を使っており、伝染病が特定できるようにと天皇専用の井戸が作られました。その井戸は、いま「もひろしま美術館」(中区基町3-2)北側の歩道上に残っています。
伝染病による死者は、市民や兵士だけにとどまらず、1895年1月には、当時大本営参謀総長である有栖川宮が広島で腸チフスを発症し死亡しています。
きれいな飲料水を確保するのは、陸軍にとっても喫緊の課題となっていたのです。こうした背景の中で、広島市の水道布設計画が具体化することになりますが、その詳細は次回にします。
いのちとうとし
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