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2021年8月29日 (日)

全国で5番目に布設された広島市水道-その2

全国的に水道布設の要望が強まる中で広島市は、日清戦争講和後、総工費95万円の水道布設案を市議会に提案しましたが、布設費用の6割以上は国庫補助をあてにするものでした。しかし、内務大臣からは却下される結果となり、この計画は挫折したかに思えました。

もともと、水道に関する国庫補助の前例(函館、長崎、東京、大阪)は、布設費の3分の1ですから、広島市の要望は前例を破る内容でした。

ところが、明治28年(1895年)11月9日、広島市軍用水道に関する勅令が公布され、全市水道布設に道が開かれたのです。勅令が公布されたということは、帝国議会の協賛を必要としませんので、一気に計画が進むことになりました。しかもこの軍用水道は、実質的に市民用水道と全く同体のものになるものですから、広島市の水道は、勅令によって出現することになったのです。

この広島軍用水道創設の特異性を臨時広島軍用水道布設部副部長高田善一は次のように述べています。少し長いのですが、「広島市水道70年史」から引用します。

「全国に於いて、軍用水道を布設するのは今回の広島軍用水道を初めとする。海軍においては、是までもすでに給水法を施設したるものなきにあらざれども、凡そ広島軍用水道の如き企画は、此の度を以て最初とする。

 さきに広島市が稟請した国庫補助の3分の2を得て、水道を布設せんとしたが、之を却下して、直ちに軍が直営を以て、広島及び宇品に、この軍用水道布設の急施を定めたのは、全く軍事的緊要事なりとの視点において、決定せるなり。

 此の目的を完全ならしめんが為、軍兵駐留の広島市内にも、水道を接続布設することも亦、決定認可されたものである。」

Photo_20210828174602

もともと軍用水道は、その地の住民の生活用水とは全く無関係に、軍が独自に計画施行し、もし完成後に余水があれば分与するというものでした。

軍用水道として全国で3番目に敷設された呉軍港水道の例です。

呉軍用水道は、明治22年(1889年)に布設されました。当然、軍専用です。その後明治36年(1903年)に呉海軍工廠が誕生したことにより、水需要が高まり軍用水道の拡充が行われましたが、呉市に余水付与の承諾が与えられたのは、ようやく大正2年(1913年)年3月のことです。

しかし、広島市水道の場合は、最初から全市民を給水対象に施行され、完成と同時に、その全施設と管理権も、軍用給水の確保を最優勢に配慮するという条件はあったものの無償で広島市に貸与委託され、水道施設全部を「広島市水道」と呼称することが指示されたのです。このような全市の水道布設を国が行うという異例なことが起こったのは、対大陸戦略を遂行するために陸軍そのものが、広島市の水道布設を強く望んでいたからです。

その一つは、昨日も紹介した検疫の問題です。似島に作った陸軍検疫所を運営するためには、水道施設が絶対に必要だったのです。もう一つは、兵員輸送とのかかわりです。日清戦争においては、朝鮮半島中国大陸に渡る全ての兵が、広島に集まり、宇品港から出兵しました。集合した兵は、全てが軍の施設に宿泊することはできません。当然、多くの兵は市内の宿泊施設を利用することになります。この兵士たちの伝染病対策は、喫緊の課題となっていたのです。ですから、軍の施設のみならず、市民水道も完備させることがどうしても必要なことだったのです。そのことは高田善一の「軍兵駐留の広島市内にも」の言葉で明らかです。こうした軍の強い要請があったからこそ、勅令が出てからわずか3年という異例の速さで広島市水道は完成したのです。このことからも、広島と軍の深い関わりが知ることできます。給水開始時の給水人口は、約4万5千人です。ちなみに当時の広島市の人口は、広島市統計書令和2年版によれば110,760人です。

ところで、一昨日の「サッカースタジアム建設予定地からの出土品の展示‐広島市水道局玄関ロビー: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介した、★マークのことです。私は当時布設されたすべての水道管に★マークが付いていると勝手に想像していたのですが、広島市水道局に問い合わせると「広島市において勅令により布設されたのは軍用水道のみで、そこから先に市民用水道が接続する形で布設されたと思われます。 したがって、軍用水道として布設されたものには★マーク、市民用水道として布設されたものには、広島市章が刻印されたことが推測できます。」との回答を得ることができました。水道資料館には、マークの違う2種類が、以前から展示されているようです。

もう一つ気になっている製造者の刻印については、まだ確認が取れていません。「広島市水道70年史」によれば、水道管は入札による外国製鉄管と大阪砲兵工廠に鋳造を依頼したものの2種類がると記されています。

現在、水道資料館は、コロナ対策で閉館中ですので、開館になったら訪れ、確認したいと思います。

もう一つ知ることができたのは、この水道敷設工事のために設定された「臨時広島軍用水道布設部廣島出張組跡」に現在の広島市水道局の庁舎が建っているということです。水道局庁舎の北側にある中国電力中広島変電所敷地に「臨時帝国議会議事堂跡」の看板があることを不思議に思っていたのですが、これでこの謎も解けた気がします。

いのちとうとし

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