ベトナムの歴史(その6-1)
初めてベトナムの地を踏んだ日本人
前号で、938年に「白藤江の戦い」で呉権(ゴ・クエン)が、南漢(中国)軍を破り、紀元前111年から1000年続いた「北属期(中国による直接支配時代)」を脱した話をしました。そして、今号から幾度かに分けて10世紀からフランスの植民地支配が始まる19世紀までを紹介すると約束しました。
その前に、日本人として初めてベトナムの地を踏んだ人物について紹介します。
私は、この「ベトナムの歴史」シリーズを書き進めるまで、ベトナムの地を日本人として最初に踏んだのは阿倍仲麻呂とばかり思っていました。しかし、今回、改めていろいろ調べているうちにそれが誤りだったことを知りました。実は阿倍仲麻呂よりも20年ほど前に同じような事情からベトナムの地を踏んだ日本人がいたことを福永英夫著『日本人とヴェトナム―その歴史的かかわり』1995年、近代文藝社)で知りました。その人は、平群朝臣広成(へぐりのあそんひろなり)です。
少しややこしく、阿倍仲麻呂の方が馴染み深いので、先ず阿倍仲麻呂から話を進めます。時代は奈良時代、ベトナムは唐の支配を受けていた「北属期」です。阿倍仲麻呂は大和国(現在の奈良県)に生まれます。16歳のとき、私の故郷(岡山県吉備中央町)近くの備中国下道郡(びっちゅうのくにしもつみちのこおり、現在の倉敷市真備地区辺り)に生まれた吉備真備(きびのまきび)や、仲麻呂と同郷の僧侶・玄昉などと伴に、717年の第9次遣唐使に同行した留学生です。
吉備真備や玄昉は17年後の734年10月に帰国の途に就きますが、阿倍仲麻呂は帰国せず唐の官吏の道に入ります。日本をめざす4隻の遣唐使船は嵐に遭い、吉備真備の第1船は海上を漂流すること1ヶ月で多禰嶋(種子島)に漂着します。この船には、ベトナム人で初めて日本の地を踏んだチャンパ王国(現在のフエ)出身の僧、仏哲も乗船していました。
第2船は舵が壊れ漂流を続け、再び唐領土まで戻されます。
第3船にベトナムの地を初めて踏んだ日本人となった遣唐副使・平群朝臣広成が乗船していました。この船も舵を失い渦巻く波に翻弄され、インドシナ半島全般を指す崑崙(こんろん)国に漂着します。上陸した115名の乗組員は現地人の襲撃で殺され、囚われた者も熱病で相次ぎ亡くなります。広成ら生き残った4名は翌年、牢獄を脱出することができ唐に戻ります。第4船は消息不明、おそらく遭難し100余名の乗組員とともに沈没したものと考えられています。
平群朝臣広成は4年後の738年、唐から渤海国(現在の中国東北部から朝鮮半島北部、ロシアの沿岸地方)に渡り、渤海国遣日使船(大使:胥要徳)に乗船して日本をめざします。ところが再び時化に遭遇し、大使ら40人は波に呑まれましたが、広成は嵐と戦いながら幸運にも出羽国に辿り着き、739年に平城京に帰ることができました。
この平群朝臣広成が、初めてベトナムの地を踏んだ日本人です。
阿倍仲麻呂、初めてベトナムの歴史に登場した日本人
再び、阿倍仲麻呂に話を戻します。
(阿倍仲麻呂、出典フリー百科事典「ウィキペディア」)
仲麻呂は唐に留まること36年、54歳を迎えた753年11月16日、蘇州から益久島(現在の屋久島)に向かう4隻のうちの第1船で帰国の途に就きました。右の絵に描かれた歌は仲麻呂が帰国に際しての送別の宴で歌ったものとされ、百人一首にも選ばれているものですが、唄った地について諸説あるようです。
この季節の東シナ海は激しいモンスーンの季節風が吹き荒れる時期で、4隻は互いの消息を絶ち四散してしまいます。第2船は多禰嶋(種子島)から益久島(屋久島)に入り、薩摩の秋妻屋浦(鹿児島県坊津付近)に辿り着いています。阿倍仲麻呂の乗った第1船は嵐に翻弄され、以前、平群朝臣広成らが流されたのとほぼ同じような経路で漂流を続け、唐の驩州(かんしゅう)に漂着します。この驩州がベトナム中北部、現在のゲアン省のヴィン(vinh)当たりだったのです。
これらの記録は平安時代に菅野真道(すがののまみち)によって編纂された奈良時代の基本資料である『続日本記』に記され、冒頭に紹介した『日本とヴェトナム-その歴史的かかわり』の第1章「漂流」に解説されています。
(2021年8月19日、あかたつ)
【編集者】あかたつさんの「ベトナムの歴史」は、毎月20日に掲載してきましたが、文量が多くなりましたので、筆者の了解を得て、今日と明日の2回に分けて掲載することになりました。今日は、その第1回です。
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