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2021年7月 3日 (土)

輜重隊ゆかりの馬碑

遅くなりましたが、先月19日の「サッカースタジアム建設予定地の被爆遺構見学記: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で約束した「旧陸軍の輜重隊ゆかりの場所」を紹介します。

中央公園のサッカースタジアム建設予定地南側の横断歩道をファミリープール側に渡り、空鞘橋東詰めに行くと、その木立の中に、本体の高さ152cm、台座の高さ32cmの「馬碑」が建っています。

20210617_115905

本体前の石碑には、「輜重兵第五聯隊 隊跡馬碑」と刻まれていますから、今回発掘された「輜重隊」跡ゆかりの碑であることが分かります。

裏側に廻ると「昭和三年秋十一月建立」と刻まれています。

20210617_120040

馬碑の裏側に立つと、ちょうどその向こう側に発掘現場の一部が目に入りますので、隊舎に向き合う方向に立てられていたような気がします。「馬碑」が、輜重隊ゆかりの遺構だということを教えているような気がします。

馬碑に向かって左側には、「馬碑の由来」を書いた解説板(平成一八年〈二〇〇六年〉設置)が建っています。

その一行目には「昭和三年、馬碑は輜重兵第五聯隊の兵営/西南太田川沿いに建立された。」と書かれていますので、碑は建立当時からここにあったとは思えませんが、ほぼこの近くにあったことが想像できます。

次の行を読むと「昭和二十年八月六日朝、米軍機の原爆/投下により、輜重兵は壊滅、多くの兵士/が犠牲になった。その中で、馬碑は熱風を受けながらも/唯一残った。」と書かれています。

今回の発掘調査で明らかになったように、輜重隊の兵営は原爆によって壊滅しましたが、その中で、唯一この「馬碑」だけが残ったのです。現在、馬碑が建っている場所は、爆心地から約六五〇mの近距離ですが、馬碑を見る限り壊れたり折れたりした後は、確認できません。被爆直後の様子がどうだったのかは解説板には書かれていませんので、爆風にも耐え立っていたのではないかと想像するしかありませんが、被爆した碑であることは間違いありません。

20210617_115944

さらに「馬碑の由来」を読み進むと「昭和五十七年、廣輜会(原爆の戦友会)/により、隊跡馬碑と表示、復元された。」と記されていますので、被爆後二七年目に復元されたことがわかります。しかし、それまでどこでどうなっていたのかはっきりしません。できればその経緯を知りたいと思います。

「馬碑の由来」には、「軍隊がどんなものであったか」が書かれていますので、その部分を全文紹介します。


自動車が発達していない昔、物の運搬は主として馬匹によりなされていた。

軍馬は日本各地より徴発(強制買い上げ)され、隊で調教、乗、輓、駄馬

として、兵器、弾薬、糧秣の輸送に任じた。

戦場に於いて、四肢の蹄に鉄を付けて保護され、車を輓き、また鞍上に

百キロ余りの荷を背負わされ、人に寄与した動物は馬だけであった。

蹄鉄は「馬の命」、行動中落鉄した時は、兵の沓下を重ねて蹄を保護し、

 次の休止時に予備鉄を装着した。

戦場では晴雨昼夜の別なく行軍の為、鞍傷した馬背を兵は寝ずに水で冷

やし看病し続けた。兵にとっては馬は正に戦友であった。

数次の作戦参加と米軍機の銃撃により、半数は戦死、終戦時は武装解除

と共に、中国側に引き渡し、悲しくも馬は復員出来なかった。

初年兵時代、「馬は三百円、お前等は一銭五厘で幟をたててやって来る!」

と、古年兵に叱られ乍ら鍛えられ、然も、馬が先輩であり、初年兵の肩章

にある星の数で見分けるのか、当初は思うように動いて貰えなかった。

尚、馬は「活兵器」として大事に扱われた。

輜重隊の遺構を見た後、「馬碑」の前に立つと、今までとは違う思いを抱きます。木立の中にひっそりと建つ、「馬碑」を一度訪ねてみてください。

いのちとうとし

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