サッカースタジアム予定地発掘遺構現地説明会
先週の土曜日の24日、「サッカースタジアム予定地発掘調査現地説明会」が、午前10時と午前11時に2回に分けて実施されました。広島県原水禁などが強く要望し、ようやく市民への説明会が実施されることになりました。
希望者は、事前にはがきで申し込みことになり、私も応募しましたが、抽選で外れ、「落選」のハガキが届き、あきらめていました。直前になって県原水禁常任理事の一人から「急用で参加できなくなり、広島市に『交代は可能か』問い合わせたところ、『人数を制限するための抽選でしたので、OKです』と返事でしたが、行かれませんか」と連絡があり、急きょ参加できることになりました。私が参加したのは、午前10時からです。募集人数は、1回30人でしたが、多数の希望があったということで、1回の人数を35人に増やしたとのことです。
午前10時前に現地に着くと、すでに多くの人の姿がありました。受付をすると全員に「遺構配置図」が手渡されました。「配置図」には、西側の「A区」と東側の「B区」の発掘現場の図面が、細かく書かれています。主な遺構には、発掘当時の写真が付けられています。
広島市から、「説明会に至る経緯」などの説明があった後、いよいよ策の中に入り説明会がスタートしました。今回、説明がある場所は、「B地区」の南側三分の二の広さです。
柵の外側からは何度か見ていましたが、すぐ近くで見ると外からはうかがうことのできない部分も見ることができました。
二つの遺構について、専門委員の人から説明がありました。
最初は、遺構の一番南側2か所出て来た「厠跡」です。荒川説明員の話し。「床から下しか残っていない。甕などから尿の成分が検出されたので、厠跡と判断しました。」「南側の厠は、割石で作られていますが、北側はコンクリートでますで作られており、土管が接続されていました」などなど。
配布された資料の写真と比べると現地で見る「厠跡」は、甕などは取り除かれるのなど発掘作業によって相当壊されていることがわかりました。
上の写真では、左隅に移っている四角なコンクリートの囲みが、下の写真では、解説員の右奥に見える四角なコンクリートです。周りにあった甕などは、すべて撤去されていました。
今度の説明は、少し北側に歩いたところに残る遺構です。「建物跡(推定:厩舎)」と「遺構配置図」には、記載されています。
野津調査員の説明です。これも二カ所ありますが、その一カ所の説明です。「周囲の溝は、12m×15m。東西に延びている。黒ぽっい部分が馬房。南北6m。中央から両サイドに傾斜が作られている。10cmの差。南北に馬の尿を流したと思われる。」
まだ解説は続きますが、ここでは省略します。しかし、いろいろなことがわかるものだなと感心しながら聞き入りました。
ここでの質問。「厩舎跡の真ん中に黒いアスファルトの部分があるが、あそこは被爆しているのではないですか?」。答えはこうです。「はっきりとした被爆の痕跡だと認めることができませんので」さらに「被爆の痕跡は全くないということではないですよね」と質すと「その通りです。あるともないとも言えないと思います」
ところが、配られた「遺構配置図」の「発掘状況について」には「昭和20年まで存在したとみられる遺構からは、原爆による被災はうかがえない状況にある」と明記されているのです。
この遺構に足を運んで何度も気になっていたことですが、広島市は「この遺構には原爆による被災の状況はない」と説明しますが、説明員の説明を聞く限り、「被災の状況はない」とは言い切れないということです。
広島市は「被爆遺構ではない」ことを強調したがっているように思えるのですが、そもそも「被爆の痕跡とは何か」ということです。被爆建物にはすべて、明確に被爆の痕跡がはっきりと残っているとは限りません。1945年8月6日午前8時15分にそれぞれの場所に存在し被爆したという事実によって被爆遺構として保存しているはずです。そう考えれば、この遺構も被爆遺構として考えるのは、自然のことではないでしょうか。
広島市には、あらためて慎重な対応を強く求めたいと思います。
いのちとうとし
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