池袋暴走事件 (5)
――「電子制御装置には欠陥がない」への反論と問題提起――
15日、飯塚被告に禁固7年が求刑されました。続いて裁判の行方を見守りたいと思います。このブログでは、事件の真相を理解するために、あくまでも事実に基づき論理に徹した分析を行っています。さて、今回で一応の問題提起は終ります。
前回は、命題 (B) に焦点を合わせることにしました。改めて、それは
(B) ブレーキペダルを踏むと、実際にブレーキが利いているか否かにかかわらず、一つの例外もなく、必ずブレーキライトは点灯する。(ブレーキライトの電球が切れていないとして)
ここで、飯塚被告の主張が正しいかどうかは、命題(B)の内、(ブレーキペダルを踏んでいてもブレーキが利かない状態で)、なおブレーキライトは必ず点灯するのか、という一点に絞られます。(ここで改めて、事故車の後ろから事故を目撃した三人の証言は真実を述べていると仮定してします。つまりブレーキライトは点いていなかったと仮定しています。)
さらに、家庭で電気が点かない場合、電球が切れている可能性と、電球は切れていなくてもスイッチや分電盤の不具合で電気が点かないという二つの可能性に分けて考えることにしました。そして車の場合は、スイッチや分電盤に相当するのが電子制御装置だという喩で、大筋を理解できるのではないかと提案しました。
さらに、アメリカでのトヨタ車の急発進や加速が元になって起きた訴訟では、「2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局(英語版) (NHTSA)・NASAによる最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された。」という結果になったことまで、言及しました。
今回はその後、何が起きたのかを報告します。まず、「電子制御装置には欠陥がない」とは真っ向から対立する検証結果があるのです。
それは、オクラホマ州で、2013年に起きたトヨタ車カムリの急加速死亡事故について、カムリの電子制御装置についての検証を行った、専門家マイケル・バー氏による結論です。この検証結果について、分り易いものの、かなり技術的な記事が、「トヨタの急加速事故は欠陥だらけのファームウェアが原因?――原告側調査の詳細」というタイトルで、EE Times Japan の2013年11月11日号に掲載されています。
訴訟の概要は次の通りです。
2013年10月24日、トヨタ自動車の乗用車の急加速による死亡事故をめぐる米国オクラホマ州での訴訟において、陪審団は同社に対し賠償を命じる評決を下した。なお、本訴訟は、10月25日に和解が成立している。
この事故は、2007年にオクラホマ州で、2005年モデルの「カムリ」が急加速し、運転者と同乗者の2名が死傷したというもの。運転者ら原告側は、運転者の意図しない急加速(UA:Unintended Acceleration)があったと主張し、訴訟では、エンジン制御モジュール(ECM)のファームウェアの欠陥をめぐる論争が繰り広げられた。
原告側の証人として、検証を行ったバー氏による結論は、
〇 トヨタのETCS(電子制御スロットルシステム)のソースコード品質には不備がある
〇 トヨタのソースコードには欠陥があり、バグも含まれているため、UAを引き起こす可能性がある
〇 コード品質測定法に基づいた調査の結果、他にもバグが含まれている可能性が明らかになった
〇 問題となった自動車の安全装備には欠陥があり、品質に不備がある(「不安定なセーフティアーキテクチャ」であると説明)
Barr氏は、これらの結果を基に、「ETCSに欠陥があったことが原因となり、UAが発生した」という結論を出した。
記事を読んで頂けると分りますが、トヨタのETCS、あるいはECMには、「ファームウェア」と呼ばれる、トヨタがほとんど手を触れていない他社製の半固定されたソフトも使われ、それにも問題のあることが指摘されています。
この訴訟では車種として「カムリ」だけ取り上げられていますが、問題のプリウスは第二世代ですので、時期的には重なりますし、ファームウェアの欠陥や、ETCSやECM、またそれ以外の電子制御装置にもバグがあったり、その他の問題のある可能性は否定できません。
こうした点についても、分り易い形で第三者の視点による検証が必要だと思います。トヨタは、被害者の御家族が被告に直接質問をした6月21日に、「被告は車両に技術的な欠陥があると主張しているが、調査の結果、車両に異常や技術的な問題は認められなかった」とするコメントを発表しています。
さて、この点について、ジャーナリストの柳原三佳さんは、Yahooニュースの6月23日版で、「池袋暴走事故・被告が車の欠陥を主張「EDR」で何がわかるのか、トヨタに聞いてみた」と題する記事中、大切な問題提起をしています。微妙な点ですので、引用させて頂きます。
柳原さんの問題意識では、まず、トヨタの反応を取り上げています。
「本件の被告人が、裁判の中で、本件の車両に技術的な欠陥があると主張されていますが、当局要請に基づく調査協力の結果、車両に異常や技術的な問題は認められませんでした」
それについての柳原さんのコメントです。
トヨタとしては、自社の車の安全性や調査結果を全面否定されたことが看過できなかったのでしょう。
しかし、私のもとには、自動車に詳しい複数の技術者から、交通事故捜査における現在の車両調査について、以下のような意見が寄せられているのも事実です。
「当局(捜査機関)の要請とはいえ、問題となっている事故車両をつくったメーカー自身が、当該車両の欠陥の有無を調査するというのは、あまりにも公平性を欠くのではないでしょうか。万一、車両に不具合があった場合、メーカーも『事件の当事者』ということになるのですから……」
大変重要な指摘です。
この問題については、改めて別の機会に掘り下げる予定です。
この言葉通りに、柳原さんが改めて、掘り下げて下さることを期待しています。その結果にも依りますが、今回の事故、そしてそれが事件と呼ばれてもよいような可能性も出てきているのですが、そこで追及されるべきは自動車メーカーであり、亡くなられた方々の御遺族も運転をしていた被告も、力を合わせて自動車メーカーの責任を追及することが最も合理的な選択肢なのかもしれません。
技術的な問題について、メーカーが理解するまでにも時間が掛かり、被害者に対する対応にはもっと時間のかかることを私は直に体験しています。
それは、捜査当局が何回も繰り返し言及していることの一つである「再現実験」と関わりがあります。事故当時と同じ条件で (と実験者が想定している条件ということです。本当に同じかどうかは、別の判定が必要です。) 車を走らせて異常がないことを確認する実験です。
これに関して私には忘れられない体験があります。もう30年以上も前になりますが、当時、私は大学に近い、ボストン郊外のアーリントンという町住んでいました。大学にはVW社製のラビットという車で通っていました。とても気に入っていたのですが、買ってから少し経って冬になると飛んでもないことが起り始めたのです。夜遅く、あるいは朝早く車のエンジンを掛けようとしてもウンともスンとも言わないのです。つまりエンジンが掛からないのです。

教鞭を執っていたTufts大学
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bromfield-Pearson_Building_-_Tufts_University_-_IMG_0912.JPG
Daderot, Public domain, via Wikimedia Commons
仕方なく、友人に家まで送って貰ったり、妻に迎えに来て貰ったりして急場を凌いだのですが、その内に、ある規則性に気付きました。外気が零下7度以下になった時、そこに一時間くらい置いておくとエンジンが掛からないのです。低温ではエンジンが掛からないのですから、イグニッションを制御する電子部品に欠陥があるはずだと思い、販売店に何度か車を持ち込んで「再現実験」をしてくるよう頼みました。
しかし、零下7度以下の日にだけ車を持ち込むことも難しく、結局は二三日して「問題はありません」という返事とともに、寒くなるとエンジンの掛からない車が戻ってきたのです。
そんな我慢を続けること2年。ようやく、ディーラーから連絡があり、「イグニッションを司る電子装置の欠陥が分ったので、無償で交換する」ことになりました。
気温をコントロールするのは比較的簡単です。しかし、こんなに簡単な原因によって引き起こされる「欠陥」を見付けるのに2年も掛かるのですから、もっと複雑なブレーキシステムやスロットルシステムについての欠陥は、それ以上に見付けるのが難しいと考えてもおかしくありません。
第三回で御紹介した、百武さんや、熊本県のタクシー運転手Oさん、アメリカのセーラー氏の場合、明らかに車は異常な動き方をしていました。電子制御装置に (バグを含めて) 欠陥があったとすると、それは合理的な説明になります。
このように、車の欠陥が原因で事故が起きている可能性があるのなら、まずは、製造者が自己責任で事故の原因を調査することはもちろんなのですが、消費者、つまり車を買いそれを使う側の立場にも立てる第三者委員会によって、根本的な検証が行われるべきだと思います。
そのような客観性のある検証結果、製造者側に責任のあるという結果になれば、当然、その車の製造者には然るべき責任を取ってもらうことになるでしょう。つまり、柳原三佳さんが提案しているように第三者による検証制度を設けることが、今回の事件から得られる大切な教訓の一つになるのではないでしょうか。
私たちも、予見に捉われた「常識」だけに依存するのではなく、製造者の責任についても客観的・冷静な判断をする心構えを持つことも大切なのかもしれません。
[21/7/16 イライザ]
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