「広島ブログ」

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2021年7月

2021年7月31日 (土)

7月のブルーベリー農園その4(東広島市豊栄町)

今年の7月のカレンダーは2020オリンピックで22日から25日まで4連休。だからブルーベリー農園の作業も4日間行き続けた。天気は猛暑で晴天続き。炎天下の作業は1時間程度で一休みするようにしてしのぐ。26日から安芸の郷の事業所からブルーベリーの摘み取り研修がこの農園で始まるし、援農で訪れるボランティアのみなさんの摘み取りの活動が本格化するので草刈り、防草シートの再整備、テントタープの設置などで体制を整える。どお・・にか・・間に合った。

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7月23日(金)。農園にある小さな畑にはえている赤チシャを摘み取る。家に帰ってシソジュースを作るため。ちょっと多め。

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7月24日(土)。ブルーベリー園の草刈りがまだ残っている。この日は一人農園に泊まって作業時間を稼ぐことにした。家族は先に帰った後の夕方、里山のブルーベリー園東側の草を西日の射す頃まで刈って明日に持ち越し。翌朝も草刈りしてこの場所は終わった。

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7月25日(日)。農園に泊まった朝6時過ぎ、遠くで刈り払い機のエンジン音が聞こえる。 稲田の法面の草刈りが始まっている。朝露が回転する刈り払い機で霧状に舞い上がっている。

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午後から農園の家の前にテントタープ、組み立て式のテーブルを設置。26日から始まる安芸の郷のブルーベリー摘み取りに備える。

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この日は午後4時過ぎに息子のワクチン接種あるので早じまい。帰り道の途中、青々と伸びる稲田の緑に植物のたくましさをもらう。

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7月30日(金)。安芸の郷の事業所の森の工房みみずくの利用者、職員によるブルーベリーの摘み取りが26日から始まっている。

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ドイツの独日平和フォーラムから派遣された若者、アンディさんもこの日は参加。背が高いので、高いところのブルーベリーをしっかり積んでもらった。

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摘み終わったら計量。一つのコンテナに4キロのブルーベリーを入れて運ぶ。きっちり量るので実を取ったり入れたりして4キロに合わせる。9月初めまでこの摘み取り研修は続く。

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里山ブルーベリー園の巡回中にエゴノキの中で羽音が聞こえる。近づいたら小鳥が逃げた。そのあと木の中を見ているとカタツムリがぶら下がっていた。大きい。

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さらに木の奥を見るとセミの抜け殻があった。しかしちょっと様子が違うので目を凝らしてみると脱皮前のセミだった。どこもかしこも生き物の動きは止まらない。コロナウイルスも、立ち向かう人の動きも同じなのだろう。

2021年7月31日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年7月30日 (金)

サッカースタジアム予定地発掘遺構現地説明会

先週の土曜日の24日、「サッカースタジアム予定地発掘調査現地説明会」が、午前10時と午前11時に2回に分けて実施されました。広島県原水禁などが強く要望し、ようやく市民への説明会が実施されることになりました。

希望者は、事前にはがきで申し込みことになり、私も応募しましたが、抽選で外れ、「落選」のハガキが届き、あきらめていました。直前になって県原水禁常任理事の一人から「急用で参加できなくなり、広島市に『交代は可能か』問い合わせたところ、『人数を制限するための抽選でしたので、OKです』と返事でしたが、行かれませんか」と連絡があり、急きょ参加できることになりました。私が参加したのは、午前10時からです。募集人数は、1回30人でしたが、多数の希望があったということで、1回の人数を35人に増やしたとのことです。

午前10時前に現地に着くと、すでに多くの人の姿がありました。受付をすると全員に「遺構配置図」が手渡されました。「配置図」には、西側の「A区」と東側の「B区」の発掘現場の図面が、細かく書かれています。主な遺構には、発掘当時の写真が付けられています。

広島市から、「説明会に至る経緯」などの説明があった後、いよいよ策の中に入り説明会がスタートしました。今回、説明がある場所は、「B地区」の南側三分の二の広さです。

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柵の外側からは何度か見ていましたが、すぐ近くで見ると外からはうかがうことのできない部分も見ることができました。

二つの遺構について、専門委員の人から説明がありました。

最初は、遺構の一番南側2か所出て来た「厠跡」です。荒川説明員の話し。「床から下しか残っていない。甕などから尿の成分が検出されたので、厠跡と判断しました。」「南側の厠は、割石で作られていますが、北側はコンクリートでますで作られており、土管が接続されていました」などなど。

配布された資料の写真と比べると現地で見る「厠跡」は、甕などは取り除かれるのなど発掘作業によって相当壊されていることがわかりました。

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上の写真では、左隅に移っている四角なコンクリートの囲みが、下の写真では、解説員の右奥に見える四角なコンクリートです。周りにあった甕などは、すべて撤去されていました。

今度の説明は、少し北側に歩いたところに残る遺構です。「建物跡(推定:厩舎)」と「遺構配置図」には、記載されています。

野津調査員の説明です。これも二カ所ありますが、その一カ所の説明です。「周囲の溝は、12m×15m。東西に延びている。黒ぽっい部分が馬房。南北6m。中央から両サイドに傾斜が作られている。10cmの差。南北に馬の尿を流したと思われる。」

まだ解説は続きますが、ここでは省略します。しかし、いろいろなことがわかるものだなと感心しながら聞き入りました。

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ここでの質問。「厩舎跡の真ん中に黒いアスファルトの部分があるが、あそこは被爆しているのではないですか?」。答えはこうです。「はっきりとした被爆の痕跡だと認めることができませんので」さらに「被爆の痕跡は全くないということではないですよね」と質すと「その通りです。あるともないとも言えないと思います」

ところが、配られた「遺構配置図」の「発掘状況について」には「昭和20年まで存在したとみられる遺構からは、原爆による被災はうかがえない状況にある」と明記されているのです。

この遺構に足を運んで何度も気になっていたことですが、広島市は「この遺構には原爆による被災の状況はない」と説明しますが、説明員の説明を聞く限り、「被災の状況はない」とは言い切れないということです。

広島市は「被爆遺構ではない」ことを強調したがっているように思えるのですが、そもそも「被爆の痕跡とは何か」ということです。被爆建物にはすべて、明確に被爆の痕跡がはっきりと残っているとは限りません。1945年8月6日午前8時15分にそれぞれの場所に存在し被爆したという事実によって被爆遺構として保存しているはずです。そう考えれば、この遺構も被爆遺構として考えるのは、自然のことではないでしょうか。

広島市には、あらためて慎重な対応を強く求めたいと思います。

いのちとうとし

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2021年7月29日 (木)

コロナ感染拡大で「被爆76周年原水禁世界大会広島大会」オンライン集会に変更

昨日、広島県原水禁常任理事会、被爆76周年原水禁世界大会広島県実行委員会が開催されました。この二つの会議を経て、世界大会中央実行委員会とも協議を重ね、6月23日の会議で確認した「被爆76周年原水禁世界大会広島大会」の持ち方を大きく変更することになりました。

当初案では、広島大会の大会日程は、8月5日6日の二日間に短縮したうえで、全国からの参加者も大幅に少なくして開催することになっていました。しかしコロナの感染が急速に拡大していることを考え、広島大会の日程は、「変更はしないが、すべて観客を入れず、完全オンラインで開催する」ことになりました。

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その理由は、コロナの感染が急速に拡大し、感染防止対策が急がれており、特に湯崎英彦広島県知事は、コロナ感染拡大防止のために「可能な限り、他県との往来は避けてほしい」と繰り返し、県民に呼びかけているからです。

原水爆禁止世界大会は、例年マスコミ報道を通じて、広く県民に周知されてきました。県知事が、「他県との往来の避ける」よう呼びかけている状況の中で、全国から参加者を集めて大会を開催することは、この呼びかけを無視することになると考えました。仮に感染拡大が進むことがあれば、直接的に原水禁大会が原因とならなかったとしても、大会そのものの意義が問われることになると判断し、苦渋の選択ですが、「広島大会は全てオンライン集会として開催する」ことにしました。広島大会の日程は、下記のとおりです。

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「オンライン集会なら広島で開催しなくてもできるのではないか」という意見もあります。それでも全日程を広島で開催するのは、もちろん「広島大会」ということもありますが、短期間で変更に対処するためには、この方法が最も適当であると考えたからです。

これまで広島大会成功のため、準備、ご協力いただいた皆さんにお詫びを申し上げます。ただ、全ての行事を広島で実施することになりますので、現地実行委員会としての役割は担わなければなりません。会場係など引き続きご協力をお願いします。

「分科会」を除くすべての行事は、原水禁チャンネル - YouTubeでライブ配信します。「分科会」は、当日は録画のみを行い8月8日以降、原水禁ホームページ原水禁|核と人類は共存できない (peace-forum.com)にアップされる予定です。

少数になったとはいえ、中央実行委員会、事務局、分科会講師・報告者など県外から広島に来ることになります。当然のことですが、この人たちには全員、広島県が実施するPCR検査を受けるよう要請しました。

「広島大会」は、全国及び県内からの参加者を集めないことにしましたが、「福島大会」(7月31日)「長崎大会」(8月8日9日)は、現在のところ従来通りの方法で開催することになっています。

ただ、今後の感染状況次第では、広島大会を含めさらなる変更があることも確認しました。

いのちとうとし

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2021年7月28日 (水)

「8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を!」 広島県原水禁、IOCバッハ会長に要請書送付

昨日、広島県原水禁は、IOCバッハ会長に対し「8月6日の午前8時15分」大会関係者及び世界に「黙祷」を呼びかけるよう、要請書を送りました。

この行動は、6月23日に開催した広島県原水禁常任理事会で秋葉忠利代表委員から問題提起があり、取り組むことを検討してきました。

その後、コロナ感染の拡大などによりオリンピックの中止を求める声もありましたが、7月16日IOCバッハ会長が、広島を訪問し「広島への思いを共有した」と表明し、さらに「オリンピック東京大会が実施されたこと」を受け、改めて協議し、昨日要請書を送ることになりました。

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県原水禁の行動を強く後押ししたのは、このブログでも何度も呼びかけがあった秋葉忠利前広島市長が個人の活動として始められた「8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を!」オンライン署名の取り組みです。このキャンペーンには、27日午後10時現在、15,381人の署名が集まっています。に、1万5千人を超える人たち(本日午前8時現在)が賛同されています。キャンペーン · 8月6日8時15分に、オリンピック会場で全員黙とうを! · Change.orgは、現在も続いていますので、改めて一人でも多く参加していただくことを呼びかけます。

県原水禁、平和運動センターも加盟組織に対し協力の呼びかけをしました。

以下に広島県原水禁がバッハ会長に送って要請文を掲載します。

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IOC会長 トーマス・バッハ様

 

東京オリンピック期間中である8月6日は、広島に背開催者尾の原爆が投下されて76周年を迎えます。

この日広島では、原爆で犠牲となった多くの人々を追悼し、平和への誓いを新たにするため、原爆投下時刻である午前8時15分に黙とうをささげます。

平和の祭典であるオリンピック開会中に迎える今年の8月6日は、特別の意味を持つものと考えています。

貴職は、去る7月16日コロナ禍にもかかわらず、被爆地広島を訪れ、原爆被害の実相に触れるとともに、広島への強い思いを表明されました。

ぜひ、8月6日の午前8時15分に、広島だけでなく、3日後の長崎の原爆犠牲者、そして多くの戦争犠牲者への慰霊の思いを込め、IOCの呼びかけによって、全ての会場、全ての関係者のみなさんが、同時刻に黙とうをささげていただくよう強く要請いたします。

それは、オリンピック憲章の平和の精神を具体的に表すものだと確信します。

多忙の中、広島を訪れ、広島への強い思いを共有された貴職の指導力によって、この黙祷が実現することを心からお願い申し上げます。

2021年7月27日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

原水爆禁止日本国民会議(原水禁)も広島県原水禁の要請を受け、同趣旨のIOCバッハ会長あて要望書を送付することになっています。

また、広島県被団協は、一昨日同趣旨の要請文をIOCバッハ会長に送付するとともに、広島市松井一実市長、日本組織委員会橋本聖子会長に、IOCバッハ会長への働きかけを求める要請書を送付しています。

いのちとうとし

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2021年7月27日 (火)

政府「黒い雨訴訟」上告を断念

政府は、今月14日に「原告全員勝訴」を認めた「黒い雨訴訟」広島高裁判決を受け入れ、上告を断念すると決めました。

広島高裁判決が出て以来、原告はもちろん、広島県・市をはじめ多くの人たちが「上告断念」を求めて、様々な活動を続けてきましたので、この政府の決定を素直に喜びたいと思います。

マスコミは、菅首相は「判決について私自身、熟慮してきた。その結果として84人の原告の皆さんについては、被爆者援護法の理念に立ち返る中で救済すべきだと考え、上告はしないこととした。多くの方が高齢で、病気の方もいる。速やかに救済すべきだと考えた」と説明したと報道しています。さらに「同じような立場の被害者の救済についても『検討していきたい』と語った。」とも伝えています。

今回の政治決着について、その背景として様々なことが言われていますが、ここで一番に考えるべきことは、高齢化した原告にとってこれ以上裁判が続くことは、耐えられないことですので、本当によかったということです。そして、次に求められるのは、この決断を受け、84人全員に被爆者健康手帳が交付する手続きを担当する広島県・広島市が一日も早く原告全員に手帳を交付することです。

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もっと重要な課題が残っています。今月18日のブログ「国、広島市、広島県は上告断念を―黒い雨訴訟: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」にも書きましたが、今回の高裁判決は、原告のみならず「内部被曝による健康被害を受ける可能性があるものであったこと、すなわち原爆の放射能による健康被害が生ずることを否定することができないものであった人は、被爆者として認めるべきだ」と、黒い雨を浴びた人すべてに「被爆者健康手帳の発行」を求めています。菅首相の言う「検討していきたい」も時間との勝負です。広島地裁判決を受けて厚生労働省が設けた「『黒い雨』検討会」におけるこれまでの検討状況は、広島地裁はもちろん広島高裁の判決とはかけはなられた内容であったり、広島地裁判決を否定する意見まで出されています。

広島高裁判決を受け入れたのですから、この検討会議(有識者会議)の役割は終わりました。菅首相の言う「検討」は、もし検討会議をつくるとしても別によって構成されるべきです。その中には、これまで原告の立場に立って意見を述べてきた人たちに参加を求めるべきです。この作業も急がれます。

この広島高裁判決確定を、ある意味では原告以上に喜んでいるのは、長崎の「被爆体験者」ではないかと思います。これまで、敗訴に敗訴を重ねてきましたが、今回の黒い雨訴訟の判決確定は、原水禁が長く支援してきた長崎の「被爆体験者」を被爆者として認めさせる道に必ずつながると確信しています。

いのちとうとし

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2021年7月26日 (月)

8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を! 第3回 ――寄付なしでも、署名はカウントされます――

8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を! 第3回

――寄付なしでも、署名はカウントされます――

今回で、change.orgを通しての署名運動について、3回目になります。

一回目の記事はこちら、二回目はこちらを御覧下さい。

テーマは、「8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を!」です。

オリンピックの会期中の8月6日8時15分に、オリンピック会場で選手はじめ参加者全員で黙とうを奉げるよう、主催者であるIOCや組織委員会等が呼び掛けて欲しいという趣旨です。IOCのバッハ会長が特別待遇を受け、また多くの反対意見のある中の広島訪問でしたので、公的な立場で、しかも公的な場で広島を訪問した責任を果す必要があるからです。

ここ数年で、日本社会を変革するために大きな役割を果し始めている「change.org」のサービスを使っての署名運動ですが、7月20日の午後10時現在で、2,000人近くの方から賛同して頂きました。嬉しいことに、7月25日の昼過ぎ、署名数は14,000を超えました。御賛同下さった皆様、有難う御座います。また、シェアして下さった方々、そして広告のための寄付をして下さった方々、心より感謝致します。

また、共同通信を始め、このキャンペーンを取り上げて下さったマスコミの方々にも御礼申し上げます。

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7月25日午後6時過ぎのchange.orgのキャンペーン管理ページから

今日は、一見矛盾する二つの点に触れさせて頂きます。一つ目は、「賛同」しようとすると現れる「広告や寄付のお願い」です。これは無視して下さっても、署名はカウントされます。すでに御賛同頂いた方は経験済みですのでお分り頂けているだろうと思います。そしてその方たちにも、「広告」や「寄付」のお願いが頻繁に現れますが、手続きに従って、「賛同」して頂くだけで、「一票」になりますので、この点はまだこれからの方にもお伝え頂けると、心理的な助けになるかもしれません。

二つ目は、これまで、二度にわたって、数時間の内に賛同数が約10倍に急増するという現象がありました。理由が良く分らないのですが、以下私の推測です。

仮に、複数の方が「広告」のための寄付をして下さったとして、何人かの方の寄付の総額が一定額になったときに、それに比例してchange.orgから出される、このキャンペーンについての通知のメール数が多くなる、と仮定すると疑問が解けるのです。その通知メールを見た、これまでchange.orgでほかの署名運動にも参加した人たちが、賛同のクリックをしてくれた、と考えられるからです。

これはあくまで、私の推測ですので、本当かどうかは分りません。とにかく今までと同じように、私はe-mailでできるだけ多くの人に働き掛けたいと考えています。

そして、御賛同頂いた皆様のお名前を組織委員会とIOCに届けるためにはどうすることが一番効果的なのか、検討中です。

今後とも、御協力宜しくお願いします。キャンペーンのサイトのURLを貼り付けます。

そして、改めて、change.orgに掲げた趣意書をここに再掲します。

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8月6日の8時15分に、オリンピック会場で全員黙とうを!

《「平和の祭典」を日本で開く意味》

皆さんご存知のように、オリンピックは「平和の祭典」という看板を掲げてきました。古代オリンピックでは、「オリンピック休戦」が行われていたこともよく知られています。そして日本で開かれるオリンピックに意味があるのは、「広島・長崎」の被爆体験そして被爆者のメッセージが、世界的にも平和の象徴になっているからです。

コロナの感染が広がる中、また多くの反対を押し切ってまでバッハ会長がIOC会長としての立場で広島を訪れたのは、この事実をIOCも会長自身も理解しているからなのだと信じています。そうであれば、「平和の祭典」であるオリンピックという場を通して、ヒロシマ・ナガサキのメッセージを世界に広める重要性についても、異論はないはずです。

《8月6日8時15分に黙祷を!

しかし、平和を実現するためには、スピーチだけではなく行動が必要です。それも多くの人が参加できるものであれば、その影響力はさらに大きくなります。

被爆76年目の8月6日がオリンピックの会期中、最終日の前日であることは偶然ではなく、主催者や関係者たちの心の願いの反映なのかもしれません。それを行動に変えて、8月6日の午前8時15分、全選手そして関係者が、被爆者のみならずすべての戦争犠牲者の慰霊と、核兵器の廃絶を柱にした世界平和実現への決意を表明する黙とうをしたらどうでしょうか。会場の外では、私たちも参加できますし、世界に呼び掛けて同時刻に世界中の人々が黙とうしてくれることも期待できます。

《オリンピック主催者から呼び掛けを!

残念なことに、広島でのバッハ会長のスピーチにも、これまでのオリンピックの主催者側からや広島市や県からもこのような考えは示されていません。しかし、せっかくの機会です。IOC、組織委員会、東京都、その他の関係者の皆さん、世界が注目するオリンピック大会の最終日前日の黙とうを呼び掛けて下さい。参加全選手やその場にいる関係者、さらには会場の外の日本ならびに世界の人々が、8月6日8時15分に、一緒に黙とうを奉げることで、「平和の祭典」であるオリンピックが日本で開かれた意味が明確に浮かび上がります。

8月6日の黙とうを、後世は必ずや、オリンピックからの積極的平和発信の記念すべき一里塚として記憶することになるはずです。

前広島市長  秋葉忠利

注  8月9日には会期は終わっています。8月6日を、長崎を含めての黙とうの日にしたいと思います。

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今後とも、御協力宜しくお願いします。キャンペーンのサイトのURLを貼り付けます。

[21/7/26 イライザ]

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2021年7月25日 (日)

論理に一貫性の無いエネルギー基本計画素案

7月21日、経済産業省が第6次エネルギー基本計画の素案を公表しました。この問題については、関連したことも含めブログに何度か書いていますので、「エネルギー基本計画とは何ぞや」ということには触れませんが、昨年から始まった経産省内の議論は、原発復活の大合唱という感じでした。

「新増設、リプレース(建て替え)を明記しろ」「原発40年運転ルールなどは廃止して、20年でも30年でも延長を認めろ」、「地球温暖化防止のために原発を!」の発言は、凄まじいものでした。

基本的に経産省は「原発ヤレヤレ」の姿勢ですから、だからこそというべきか、この度の基本計画に関するマスコミ報道を視る限り、論理に一貫性がなく、まさに訳が分からなくなります。

菅内閣の支持率が大きく下がり、任期も人気も少なくなった今、原発反対の声が強い状況では、エネルギー基本計画で原発復活を掲げれば選挙に負けるという判断をしたのでしょうか。本音の気持ちと表現がアンバランスな、まさに病気としかいえません。

福島原発事故の反省から「可能な限り原発依存度を低減する」との従来の方針を維持しながらも、原発を低コストで安定供給が可能な「重要なベースロード電源」との位置付けを前提に「必要な規模を持続的に活用する」としているのです。

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「新増設」は書かないにも関わらず、2030年原発比率20~22%を言い、再生可能エネルギーと原発をひとまとめにして「脱炭素電源」だとしたことも、まさにペテン師のやることです。

知り合いの中国電力の人も、「(エネルギー基本計画が)新増設はやらないと明言してくれたら、スッキリするのにね」と話していました。

地球温暖化は世界的に凄まじく深刻です。今、大事なことはエネルギー消費を減らすことだと思います。人口は急速に減少していますし、省エネ技術は、これからの発展が期待される産業分野です。

 マスコミは、「新増設」という言葉は使いますが、具体的な新設の場所は上関原発計画ですし、増設は島根3号です。増設は他にも在りますが、一番進んでいるのは、島根3号なのです。

中国電力社長の清水希茂(しみず まれしげ)さん、次のエネルギー基本計画の改訂は3年後です。貴方が3年後にも社長の座におられるとは思えません。そうであるなら、今ここで「上関原発計画は白紙撤回する」と決断ができませんか。清水社長は私より3歳年下ですが、同年代を生きてきた者として、それが言えませんか。言えないとしたら、その理由は何ですか。教えていただきたいと思います。

木原省治

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2021年7月24日 (土)

いざという時のために…

観測史上2番目の早さで梅雨入りした中国地方ですが、7月13日に梅雨明けしたとみられると気象庁から発表がありました。よく梅雨の終わりには大雨が降ることが多いと言われていますが、先日の豪雨により、県内では「緊急安全確保」(警戒レベル5)や「避難指示」(警戒レベル4)が出された市町もあり、土砂災害や河川の氾濫、道路の冠水など多くの被害が出ています。被災されたすべてのみなさんに、心からお見舞い申し上げます。

ニュースや気象情報を見ていると、「50年に一度の記録的な大雨」という表現を使われる場合があります。しかも年に何回も「50年に一度」と言われると、若干違和感がありますが、これは「その地域では50年に一度しか経験しないような雨」という意味のようです。「50年に一度の記録的な大雨」という表現を見聞きしたときには、土砂災害等の発生につながる記録的な大雨が降っていることを意味しているので、各市町が発表する避難情報などを確認して、速やかに適切な行動をとるようにしたいものです。

今から49年前、私が住む三次市では3日間の総雨量が400ミリを超え、土砂崩れや市内を流れる江の川や馬洗川等の氾濫等により、甚大な災害が発生しました。私が生まれる1年前のことで、当時のことは正直よく分かりません。しかしながら、災害を経験していない子どもたちや市民にも分かるように、「2.2m 1972年7月12日 洪水水位」といった表示が市内中心部である十日市地域の各所に設置されています。

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また、これには「日頃から、緊急避難場所・避難所を確認しておきましょう」と表示され、最寄りの避難場所も記されています。

この表示には、かつて豪雨災害があったことを決して風化させることなく、今後災害が発生したときに適切な避難行動をとってほしいという願いが込められているように感じます。今一度私が住んでいる地域のハザードマップを確認するなどして、防災への意識を高めていきたいと思いました。

(まるちゃん)

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2021年7月23日 (金)

7月のブルーベリー農園その3(東広島市豊栄町)

梅雨明けは13日と早かったがぐずぐずとしゃっきりしない雨まじりの天気が続き摘み取る早生のブルーベリーも水っぽい味と陽光不足で甘味が少ない様相だった。19日からようやく晴天続きと猛暑でブルーベリーのおいしさも増してきたし、農作業も熱中症を警戒しながら進めることができるようになった。農業はなんにしても天気次第。

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7月17日(土)。農園の家の風呂場の水の出具合が悪いので地元の電気屋さんに見てもらう。その途中で井戸のポンプが動かなくなった。やむなく取り換え。その作業に付き合うことになり農作業は停滞。翌日、翌々日と点検が続き無事水が出るようになった。摘み取りシーズンを前にひやっとした。

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7月18日(日)。農園に行く前の朝→安芸区の自宅のベランダから見えるクマゼミ。やかましく鳴く。

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農園に着いたが雨雨雨。草を刈りたいがやむなく早じまい。

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7月19日(月)。前日の雨から一転いい天気になった。6人の友人知人が摘み取り援農。午前中は里山の早生のブルーベリーの摘み取り。

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午後は場所を畑に替えて晩生のブルーベリーの摘み取り。お陰で安芸の郷にたくさんのブルーベリーを納品できた。安芸の郷ではいよいよ26日から1キロ単位の生食のブルーベリーの販売受付が始まる。

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午後の休憩で摘み取った新鮮な実でブルーベリージュースをみんなでゴクリゴクリする。

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摘み取りと並行して畑の草刈りを続ける。全部は無理で22日からの4連休で刈り終える予定。

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梅雨明けの盛夏らしくなった青空にトンボを写しこむ。(名前知らず)

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7月22日(木)庭のオニユリが開花。

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午後からとにかく暑いので2時過ぎまでは雑用をする。蔵からブルーベリーを入れるコンテナや摘み取り用の籠を運び出したり、縁側にベンチを設置したりして摘み取りシーズン本番に備える。

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その後に草刈りをしたが、先週から背負い式の刈り払い機から肩にかけるタイプのものに替えた。肩にかけるバンドも両肩のタイプにしている。腰の負担が軽くなった。馴れねばもっと楽になるはず・・・。

 

2021年7月23日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年7月22日 (木)

第40回反核平和の火リレー到着式

今月14日に出発した「第40回反核平和の火リレー」の到着式が、昨日午後6時前から出発時と同じ平和公園慰霊碑前で行われました。

県内23全市町52.8km、50区間を約110人のランナーで走りつがれた「反核平和の火」は、新田博康県実行委員長や広島朝鮮学校の生徒2名など10名の最終ランナーの手に掲げられて、予定の午後5時45分を少し遅れましたが、無事慰霊碑前に到着しました。

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黙祷から始まった到着式は、最初に新田実行委員長による「リレー走破報告」です。「今年も多くの皆さんの協力で、無事に走り終えることができました。各市町の庁舎前集会では、リレーに対する期待や核兵絶と平和に対する行動の重要性が述べられる一方、76年目を迎え『被爆体験』の風化に対する懸念が訴えられました。各市町の集会では、声援や拍手、一生懸命に追っていただいた折鶴や飲み物の差し入れなどの激励を受けました。改めて、『核と人類は共存できない』の理念を広げ、核も戦争もない社会の実現をめざし、広島に住む青年女性の役割が果たせるよう努力しなければならないと決意しました。」

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その後、広島県被爆者団体協議会箕牧智之理事長、広島県原水禁金子哲夫代表委員からねぎらいの言葉や松井一美広島市長のメッセージの紹介、そして新田委員長が走りついできた「平和の火」のトーチを消化、広島県音楽サークル協議会尾上耕三さんの指揮で、全員が「原爆を許すまじ」を合唱して、到着式は終了しました。

多くの皆さんの協力で、今年も無事「反核平和の火」が全市町を巡ることが来たことに改めて感謝します。

到着式に先立つ午後5時過ぎには、23市町要請の最後の自治体となった広島市への要請行動が、広島市役所玄関前の広場で行われました。

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市役所前に「反核平和の火」が到着すると玄関前広場北側にある広島市役所の慰霊碑に向かい黙とうをささげた後、松井一美広島市長、山田春男市議会議長、市民連合市議団5名を代表して山内正晃市議、福井利明ネットワークひろしま委員長が激励の挨拶。

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その後広島県平和友好祭実行委員会の代表が、「核兵器禁止条約批准に向けた日本政府への働きかけ」など11項目にわたる要請書を提出して、市役所前集会は終了し、最終区間がスタートしました。

ところで、今年は特別の出来事がありました。到着式が終わった後、安田女子高等学校の放送部のメンバーのインタビューを受けることになりました。実は、3日前の17日夕方、古い友人(電電公社時代一緒の職場で働いていた)から「うちの孫が、安田女子高校の放送部にいるんだけど、毎年の放送コンクールの応募作品で『反核平和の火リレー』を題材にすることにしたので、誰か詳しい人に話を聞きたいといっているけど、取材を受けてもらえないだろうか」という電話がありました。嬉しい要請でしたので、当然「OK」の返事をしました。

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実は、この友人の孫・岸田とわさんは、小学校と中学生の時、3回このリレーに応募し、最終ランナーとして走った経験があるのです。その思いがあって、学校で提案したところ、採用になったとのことでした。「反核平和の火」が、若い人に受け継がれ、参加したことが今でも印象に残っていることを知り、ちょっと感激です。岸田とわさんは、今年も最終ランナーの一人として走りました。到着式の写真の前列右端です。

放送部のメンバーは7人だそうですが、昨日はうち6人が、広島市役所前から任務分担をして取材を続けていました。慰霊碑前での私への質問は、「いつ、どんなことからこのリレーは始まったのですか。」「一番印象に残っていることは?」「これからのリレーに何を期待しますか」などでした。ぜひ良い番組に仕上がって、高校生たちに「反核平和の火リレー」が広がってくれればと思います。

いのちとうとし

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2021年7月21日 (水)

8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を! ――change.orgでの署名運動経過報告――

8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を!

――change.orgでの署名運動経過報告――

IOCのバッハ会長の広島訪問を契機に、「8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を!」という署名運動を始めました。オリンピックの会期中の8月6日8時15分に、オリンピック会場で選手はじめ参加者全員で黙とうを奉げるよう、主催者であるIOCや組織委員会等が呼び掛けて欲しいという趣旨です。

この数年で、日本社会を変革するために大きな役割を果し始めている「change.org」のサービスを使っての署名運動ですが、7月20日の午後11時半現在で、2,100人を超える方から賛同して頂いています。有難う御座います。心から感謝しています。

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7月20日午後11時半過ぎのchange.orgのキャンペーンサイトから

趣旨については、change.orgにアップした趣意書を下に貼り付けましたのでお読み頂きたいのですが、キャンペーンを立ち上げてから少しの間、私からのメールに応えて賛同のし、趣旨を拡散して下さった多くの皆さんにお礼を申し上げます。また、最初に取材して下さった共同通信、そして共同の配信を掲載して下さった、信濃毎日、愛媛新聞、山陽新聞、中日新聞、東京新聞等にも深甚な感謝の意を表します。

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東京新聞7月19日の記事

そしてchange.orgのスタッフの皆さんからのアドバイスも大変貴重です。これからもまだまだ多くの方々に署名して頂く上で、さらに、海外版でも署名の要請をする積りですので、宜しくお願いします。

異常な形で開かれるオリンピックですが、私が期待しているのは、コロナ蔓延の中開かれるオリンピックの冒頭で、関係者全員がコロナで亡くなられた方々への慰霊の黙とうをすること。そして8月6日には、すべての戦争で亡くなられた方々への慰霊と、核のない平和な世界を創るための決意の黙とうを、選手はじめ全ての関係者が奉げてくれることを。

その結果として、「オリンピック」が「平和の祭典」であること「平和の推進」に真剣に取り組む決意であることが世界に発信されますし、会場の外から私たちも、世界中で一緒になって同じ決意を誓う機会になるからです。

Change.orgのキャンペーンサイトです。どうかお読みください。そして賛同して頂ければ幸いです。

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8月6日の8時15分に、オリンピック会場で全員黙とうを!

皆さんご存知のように、オリンピックは「平和の祭典」という看板を掲げてきました。古代オリンピックでは、「オリンピック休戦」が行われていたこともよく知られています。そして日本で開かれるオリンピックに意味があるのは、「広島・長崎」の被爆体験そして被爆者のメッセージが、世界的にも平和の象徴になっているからです。

コロナの感染が広がる中、また多くの反対を押し切ってまでバッハ会長がIOC会長としての立場で広島を訪れたのは、この事実をIOCも会長自身も理解しているからなのだと信じています。そうであれば、「平和の祭典」であるオリンピックという場を通して、ヒロシマ・ナガサキのメッセージを世界に広める重要性についても、異論はないはずです。

しかし、平和を実現するためには、スピーチだけではなく行動が必要です。それも多くの人が参加できるものであれば、その影響力はさらに大きくなります。

被爆76年目の8月6日がオリンピックの会期中、最終日の前日であることは偶然ではなく、主催者や関係者たちの心の願いの反映なのかもしれません。それを行動に変えて、8月6日の午前8時15分、全選手そして関係者が、被爆者のみならずすべての戦争犠牲者の慰霊と、核兵器の廃絶を柱にした世界平和実現への決意を表明する黙とうをしたらどうでしょうか。会場の外では、私たちも参加できますし、世界に呼び掛けて同時刻に世界中の人々が黙とうしてくれることも期待できます。

残念なことに、広島でのバッハ会長のスピーチにも、これまでのオリンピックの主催者側からや広島市や県からもこのような考えは示されていません。

しかし、せっかくの機会です。IOC、組織委員会、東京都、その他の関係者の皆さん、世界が注目するオリンピック大会の最終日前日の黙とうを呼び掛けて下さい。参加全選手やその場にいる関係者、さらには会場の外の日本ならびに世界の人々が、8月6日8時15分に、一緒に黙とうを奉げることで、「平和の祭典」であるオリンピックが日本で開かれた意味が明確に浮かび上がります。

8月6日の黙とうを、後世は必ずや、オリンピックからの積極的平和発信の記念すべき一里塚として記憶することになるはずです。

前広島市長  秋葉忠利

注  8月9日には会期は終わっています。8月6日を、長崎を含めての黙とうの日にしたいと思います。

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[21/7/21 イライザ]

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2021年7月20日 (火)

ベトナムの歴史(その5)

 「北属期」 紀元前111年~938年

前回のおさらいを少しだけして始めます。紀元前4世紀末に雄王(フン・ボン)の建てたベトナム最初の国家と言われている文郎(ヴァンラン)国に続き、紀元前258年に安陽王(アン・ズオン)がハノイ北部の古螺(コーロア)に甌雒(アウラク)王国を建国します。一方、中国を統一した秦の始皇帝は紀元前219年に中国南部からベトナム北部地方(嶺南地方)の攻略に着手し、広東に軍事長官の趙佗(チョウ・ダ)を派遣します。その後、趙佗は秦王朝に反逆し、紀元前203年に中国南部からベトナム北部にかけた地方に南越国(Nam Việt)を建てます。

ここまで、前回、お話ししました。

甌雒王国は趙佗の侵攻に晒され、ついに紀元前179年に南越国に併合されます。しかし、その南越国も紀元前206年に秦を滅ぼした漢によって滅亡します。趙佗による建国から5代93年、紀元前111年のことです。以降、漢王朝を皮切りに中国王朝よる直接統治が始まります。

中国によるベトナム支配は漢・晋・三国時代・隋・梁・唐を経て、938年の「白藤江の戦い(バクダン川の戦い)」で呉権(ゴ・クエン)が南漢軍を破り、939年にベトナム北部で初めての統一王朝である呉朝を建てるまでの1000年の長きにわたりました。

ベトナムの人たち誰もが知っている大切な歴史認識、この時期のことを「北属期」と呼んでいます。

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(中国広東省福原駅前に建つ趙佗像)

ところで、なぜ、ベトナムの人たちは「北属期」の始まりを、趙佗が建てた南越国が、ベトナム人の甌雒王国を併合支配した紀元前179年ではなく、紀元前111年にしたのでしょうか。とても、不思議です。趙佗は黄河の北に位置し黄海に面する河北省出身の漢人、元々は秦の官吏で歴とした中国人です。しかも、中国にある本拠地・番禺(バングウ、広東省広州市)からベトナムを支配していたのですから、「北属期」は甌雒王国滅亡、すなわち趙佗の支配が始まった時とみるべきでしょう。

しかし、ベトナム史には趙佗支配の南越国時期を含むことが多いようです。趙佗が漢に反抗した「好漢」だったからなのか・・・・。それとも、「ベトナムの歴史」その2(4月20日)で、ベトナム全土を初めて統一した阮(グエン)王朝が、中国の清王朝に「南越国」という国名を拒否されたことを紹介しましたが、ベトナムの人たち共通のアイデンティティとして、「中国への反逆の象徴」としての越南国=趙佗へのシンパシーなのか・・・・。

「中国1000年の軛(くびき)」を断ち切った 「白藤江(バクダン川)の戦い」

小倉貞男著『物語ベトナムの歴史』(1997年、中公新書)では、1000年にわたる「北属期」を、第1次(紀元前111年~紀元39年)、第2次(紀元44~544年)、第3次(548~939年)に分けて詳しく紹介されています。関心のある方は、是非、そちらをお読みいただくとして、ここでは、「中国1000年の軛(くびき)」を断ち切った938年の「白藤江(バクダン川)の戦い」を「ベトナム中学校の歴史教科書」をもとに紹介します。

「ベトナム中学校の歴史教科書」には、下の絵とともに、次の様に記述されています。

938

「呉権は、兵士と人民に森で数千本の長い木を切らせ、その先端を削って鉄で覆わせ、白藤江の河口近くの要所に打ち込み、杭が水中に沈んだ陣地を作らせ、両岸に軍を待ち伏せさせた。938年末、劉弘操指揮下の南漢水軍はわが国の海域に入ってきた。呉権は、満潮時に、小舟の一団を使って白藤江の河口に南漢軍をおびき寄せた。劉弘操はわれを忘れて軍に追撃させ、杭を沈められている地点を越えたことに気づかなかった。そして潮が引き始めた。呉権は反撃するよう全軍に命令を下した。南漢軍は対抗することができず海へ逃げるしかなかった。その時干潮となり杭が次第に水面から突き出てきた。わが軍は上流から強力な攻撃を仕掛け、待ち伏せしていた両岸の軍も側面から攻撃を行った。南漢軍は混乱に陥り、船は杭にぶつかり粉砕した。残りの船は大きく重かったため、杭のある地点から脱出することができなかった。わが軍は、小舟でもって軽やかに通り抜け突進し、壮烈な白兵戦を展開した。敵軍は船を捨てて川に飛び込み、殺された者もあれば、溺死した者もあり、兵士の半数以上を失った。劉弘操もこの戦いで命を落とした。」

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(「白籐江の戦い」の杭、ハノイ歴史博物館)

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新たな歴史の始まり

  「白藤江(バクダン川)の戦い」の勝利によって独立したベトナムは、新たな歴史を刻み始めました。それは決して平坦ではなく険しく厳しい道程ですが、そのスタートの「白藤江の戦い」はベトナムの人たちにとって何よりも学び継承しなければならない歴史的な偉業なのです。

その後、1887年にフランスによって植民地にされるまでの約950年間、ベトナムは独立を保ちます。しかし、その間も10回以上の侵略を中国から受けました。

次回からは幾度かに分けて、新たな歴史を刻み始めた10世紀からフランスの植民地支配が始まる19世紀までを紹介したいと思います。中国からの脅威に晒されながらも初めてのベトナムの統一国家、阮(グエン)朝ができるまでの歴史、日本とも関わりの深い歴史です。

(2021年7月20日、あかたつ)

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2021年7月19日 (月)

「ひろしま朝市」が再開されました。

昨朝、並木通りに用事があり、平和大通りを自転車で通ると、地蔵通り東側平和大通りにテントが並んでいるのが目に入りました。

5月16日からコロナ感染拡大のため休市となっていた日曜日早朝恒例の「ひろしま朝市」が、昨日(18日)久しぶりの再開されていました。朝市がスタートするのは、毎回8時15分ですので、私が訪れたのは、そのすぐ後でした。

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小さな雨粒が落ちるあいにくの天気でしたが、再開を待ち望んでいた常連客と思われる人たちが沢山訪れていました。

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昨日の出店者は、15店。ほとんどが野菜や花を並べていますが、2店だけ魚を売る店があります。出店者にとっても待ち望んだ再開になったようです。

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買い物を終えて帰宅途中の女性の方に声をかけました。キャリーカートには、野菜があふれています。「5000円ほど買い物をしました。新鮮ですからね。ここで買う野菜はスーパーなどで売られているものに比べてグーンと新鮮ですからね。何時も大量に買うのですよ。再開されて本当によかったです。」

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そしてわざわざカートの中まで見せてくださいました。「今年初めてのスイカです。『もし中が熟れていなかったら、来週言ってください。』とお店の人に言っていただきました。」顔なじみになった朝市ならではの光景のようです。

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私は、朝市の様子をとりあえずスマホで撮影し、用事を済ませるためいったん移動し、9時前に再び訪れました。まだ各お店には、たくさんの商品が並んでします。

私も昨年まで、何度もこの「ひろしま朝市」には訪れていました。しかし、8時15分前から、各店で取り置きをするなじみ客がだんだんと多くなり、開店とともに商品がほとんど「予約済み」の状態となってしまいました。品物の値段を比べながらお店を回る楽しみがなくなったため、最近は殆ど訪れることもなくなっていました。

久しぶりの「朝市」での買い物でしたので、お客さんの一人に最近の様子を聞いていました。「今は、8時15分以前には、中に入ることができなくしてあり、取り置きのような予約ができなくなりました。ゆっくりと品物を選ぶことができるようになりましたよ。」「どうしても予約したいときには、前の週にお願いすることになっています。」とのことでした。

以前だったら、9時ころにはほとんど商品がなくなったというお店もかなりあったのですが、昨日は小雨模様ということもあったのかもしれませんが、「取り置き」ということもなくなり、私もゆっくり各店の品質と値段を見比べながら、購入することができました。

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私が購入したのは、甘トウガラシ、キュウリ4本入り、空芯菜の3点です。いずれも新鮮で、100円でした。もともとは「万願寺トウガラシ」を探していたのですが、自分が思い描いているものは見つかりませんでしたが、お店の人に「甘トウガラシも同じですよ」と教えられ、購入しました。

私が最初の訪れた時には、少雨にもかかわらず50人を超える人たちが、来場していました。天気が良ければもっと多かったはずです。

広島市が現在進めようとしている「平和大通りのにぎわいづくり」構想では、平和大通りにカフェなどの建物を建てる案が基本になっています。この「ひろしま朝市」への市民の参加状況などをきちんと検証して、「建物ありき」ではない「にぎわいづくり」を進めるべきだと改めて感じました。

いのちとうとし

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2021年7月18日 (日)

国、広島市、広島県は上告断念を―黒い雨訴訟

原爆投下後の黒い雨にあった被爆者が、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下「被爆者援護法」)に基づいて「被爆者健康手帳の交付」を求めたいわゆる「黒い雨」訴訟に対し、今月14日広島高裁は「原告全面勝利」の判決を言い渡しました。

私は、地裁での公判も何度か傍聴してきましたが、高裁での2回の控訴審はすべて傍聴してきました。高裁判決も、出来れば言い渡しを直接聞きたいと傍聴を希望しましたが、コロナ禍で傍聴席が制限されたことやマスコミの傍聴も多かったりで、一般傍聴はわずか10席しかなく、抽選の結果、傍聴することはできず、裁判所正門前で判決結果を待つことになりました。

午後3時から始まった判決言い渡し。数分後に裁判所正門前に弁護団の一人が判決の趣旨を書いた幕を掲げました。「全面勝訴」です。法廷に入れなかった多くの支援者から大きな拍手がわきます。

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その後の報告会や原告の声や判決の概要は、マスコミに詳しく報道されていますので、ここでは判決の中でも最も特徴的だと思うことだけ触れたいと思います。

それは、一審判決では、「すべての原告が、健康被害があるから手帳を交付すべき」としていたのに加え「内部被曝による健康被害を受ける可能性があるものであったこと、すなわち原爆の放射能による健康被害が生ずることを否定することができないものであった」人は、被爆者として認めるべきだということです。

本来、被爆者健康手帳の交付要件には、「健康被害があること」は求められていませんから、この判決は、いわば当たり前の被爆者援護法の解釈を改めて確認したものだといえます。

私は、常々「原爆被害に遭った人」は、まずその事実を認め、被爆者として認められるべきだといってきました。それは、被害者が被害者として認められるという、当たり前のことです。まず被害者として認めたうえで、その被害の状況によってどれだけ援護をするのかを決めていくべきなのです。

「黒い雨」による被爆者が、被爆者として認められ、援護されるべきだというのが今回の判決の趣旨だと私は理解しています。

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問題は、この判決に対する国や広島県・市の対応です。

判決直後の報道によれば、広島市や広島県は、上告(最高裁への訴え)を断念したいという姿勢をとっています。16日には、広島市長と広島県副知事が上京し、厚労大臣に要望したと報道されていますが、国の姿勢ははっきりしません。

求められるのは、広島市、広島県の毅然とした態度です。私は、この判決を聞いて「県・市が上告する理由はない」と思っています。もともと、県も市も「黒い雨地域の拡大」と国に要望してきました。今回の判決は、この要望に正当性があるというお墨付きを裁判所が与えてくれたのですから、ここでは高裁判決を受け入れ上告しないという判断を下すのが、「黒雨地域の拡大」を国に求めてきた県・市として取るべき対応のはずです。

あえて云えば、そうすることによってのみ、国の姿勢を転換させ、「黒い雨」問題を早期に解決する道になるということです。これぐらいの強い姿勢でなければ、国の政策を変えさせることはできないということです。

被爆者にとって残された時間は、多くありません。原告は、76歳から最高齢者は97歳です。提訴から6年、84名の原告中14名が、この高裁判決を聞くことなく命を失っています。昨年7月からの控訴審中だけでも2名の原告が、亡くなられました。

もうこれ以上、被爆者を苦しめることは許されません。

国、広島市、広島県は、当たり前のこととして、控訴を断念し、黒い雨地域の被爆者にも「援護法」を適用し、救済すべきです。

いのちとうとし

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2021年7月17日 (土)

8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を! ――change.orgで署名運動を始めます――

8月6日には、オリンピックの会場で全員黙祷を!

――change.orgで署名運動を始めます――

IOCのバッハ会長が、広島にやってきました。私はこれまで、世界中の人々に、「一度は広島に来て下さい」と呼び掛け続けてきましたので、バッハ氏個人が広島を訪問することは大歓迎です。

しかし、バッハ会長の広島訪問に反対している人たちの気持も良く分ります。特に、東京オリンピックについての最近の彼の発言や立場には、真っ向から反対です。

しかし、現実的に考えると、オリンピックは開催されるでしょうし、その結果多くの好ましくない結果が生まれるでしょう。同時に、多くのスポーツファンにとっては、「待っていた」興奮のひと時になるのでしょう。

私は、その会期の中、最終日の前日である8月6日の8時15分に、オリンピック会場でも黙とうを奉げて欲しいと考えてきました。

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前回、リオのオリンピックの時には、8月6日の午前8時15分は、リオでは、夜の開会式の最中でした。ブラジルの被爆者の会や、平和活動家等の協力で、ブラジルの大統領やIOCに、日本の8月6日8時15分に合わせて、開会式の全参加者が黙祷するようにと要請しましたが、残念なことに実現しませんでした。

しかし、今回は日本での開催です。オリンピックが「平和の祭典」であり、それを日本で開くことに意味があるとすれば、「ヒロシマ・ナガサキ」抜きには話にもなりません。

残念ながら、広島市や県も、IOCや組織委員会等の主催者も、これまで8月6日には触れてきませんでした。となると、私たち市民の声で、主催者たちに「8月6日には、全員で黙とうを!」と呼び掛けなくてはなりません。

Change.orgというネット上で署名運動を始められるサイトがあります。これまでも、有意義なテーマの署名運動がこのサイトから始まり、大きな成果を挙げてきました。現在このサイトで署名運動を始めています。以下、運動の趣意書です。皆さんにも御協力頂ければ幸いです。

 

change.orgのキャンペーンページはこちらです。クリックして、「賛同」して頂ければ幸いです。

 

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8月6日の8時15分に、オリンピック会場で全員黙とうを!

皆さんご存知のように、オリンピックは「平和の祭典」という看板を掲げてきました。古代オリンピックでは、「オリンピック休戦」が行われていたこともよく知られています。そして日本で開かれるオリンピックに意味があるのは、「広島・長崎」の被爆体験そして被爆者のメッセージが、世界的にも平和の象徴になっているからです。

コロナの感染が広がる中、また多くの反対を押し切ってまでバッハ会長がIOC会長としての立場で広島を訪れたのは、この事実をIOCも会長自身も理解しているからなのだと信じています。そうであれば、「平和の祭典」であるオリンピックという場を通して、ヒロシマ・ナガサキのメッセージを世界に広める重要性についても、異論はないはずです。

しかし、平和を実現するためには、スピーチだけではなく行動が必要です。それも多くの人が参加できるものであれば、その影響力はさらに大きくなります。

被爆76年目の8月6日がオリンピックの会期中、最終日の前日であることは偶然ではなく、主催者や関係者たちの心の願いの反映なのかもしれません。それを行動に変えて、8月6日の午前8時15分、全選手そして関係者が、被爆者のみならずすべての戦争犠牲者の慰霊と、核兵器の廃絶を柱にした世界平和実現への決意を表明する黙とうをしたらどうでしょうか。会場の外では、私たちも参加できますし、世界に呼び掛けて同時刻に世界中の人々が黙とうしてくれることも期待できます。

残念なことに、広島でのバッハ会長のスピーチにも、これまでのオリンピックの主催者側からや広島市や県からもこのような考えは示されていません。

しかし、せっかくの機会です。IOC、組織委員会、東京都、その他の関係者の皆さん、世界が注目するオリンピック大会の最終日前日の黙とうを呼び掛けて下さい。参加全選手やその場にいる関係者、さらには会場の外の日本ならびに世界の人々が、8月6日8時15分に、一緒に黙とうを奉げることで、「平和の祭典」であるオリンピックが日本で開かれた意味が明確に浮かび上がります。

8月6日の黙とうを、後世は必ずや、オリンピックからの積極的平和発信の記念すべき一里塚として記憶することになるはずです。

前広島市長  秋葉忠利

注  8月9日には会期は終わっています。8月6日を、長崎を含めての黙とうの日にしたいと思います。

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2021年7月16日 (金)

池袋暴走事件 (5) ――「電子制御装置には欠陥がない」への反論と問題提起――

池袋暴走事件 (5)

――「電子制御装置には欠陥がない」への反論と問題提起――

15日、飯塚被告に禁固7年が求刑されました。続いて裁判の行方を見守りたいと思います。このブログでは、事件の真相を理解するために、あくまでも事実に基づき論理に徹した分析を行っています。さて、今回で一応の問題提起は終ります。

前回は、命題 (B) に焦点を合わせることにしました。改めて、それは

 (B) ブレーキペダルを踏むと、実際にブレーキが利いているか否かにかかわらず、一つの例外もなく、必ずブレーキライトは点灯する。(ブレーキライトの電球が切れていないとして)

ここで、飯塚被告の主張が正しいかどうかは、命題(B)の内、(ブレーキペダルを踏んでいてもブレーキが利かない状態で)、なおブレーキライトは必ず点灯するのか、という一点に絞られます。(ここで改めて、事故車の後ろから事故を目撃した三人の証言は真実を述べていると仮定してします。つまりブレーキライトは点いていなかったと仮定しています。)

さらに、家庭で電気が点かない場合、電球が切れている可能性と、電球は切れていなくてもスイッチや分電盤の不具合で電気が点かないという二つの可能性に分けて考えることにしました。そして車の場合は、スイッチや分電盤に相当するのが電子制御装置だという喩で、大筋を理解できるのではないかと提案しました。

さらに、アメリカでのトヨタ車の急発進や加速が元になって起きた訴訟では、「2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局(英語版) (NHTSA)・NASAによる最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された。」という結果になったことまで、言及しました。

今回はその後、何が起きたのかを報告します。まず、「電子制御装置には欠陥がない」とは真っ向から対立する検証結果があるのです。

それは、オクラホマ州で、2013年に起きたトヨタ車カムリの急加速死亡事故について、カムリの電子制御装置についての検証を行った、専門家マイケル・バー氏による結論です。この検証結果について、分り易いものの、かなり技術的な記事が、「トヨタの急加速事故は欠陥だらけのファームウェアが原因?――原告側調査の詳細」というタイトルで、EE Times Japan の2013年11月11日号に掲載されています。

訴訟の概要は次の通りです。

 2013年10月24日、トヨタ自動車の乗用車の急加速による死亡事故をめぐる米国オクラホマ州での訴訟において、陪審団は同社に対し賠償を命じる評決を下した。なお、本訴訟は、10月25日に和解が成立している。

 この事故は、2007年にオクラホマ州で、2005年モデルの「カムリ」が急加速し、運転者と同乗者の2名が死傷したというもの。運転者ら原告側は、運転者の意図しない急加速(UA:Unintended Acceleration)があったと主張し、訴訟では、エンジン制御モジュール(ECM)のファームウェアの欠陥をめぐる論争が繰り広げられた。

原告側の証人として、検証を行ったバー氏による結論は、

〇 トヨタのETCS(電子制御スロットルシステム)のソースコード品質には不備がある

〇 トヨタのソースコードには欠陥があり、バグも含まれているため、UAを引き起こす可能性がある

〇 コード品質測定法に基づいた調査の結果、他にもバグが含まれている可能性が明らかになった

〇 問題となった自動車の安全装備には欠陥があり、品質に不備がある(「不安定なセーフティアーキテクチャ」であると説明)

 Barr氏は、これらの結果を基に、「ETCSに欠陥があったことが原因となり、UAが発生した」という結論を出した。

記事を読んで頂けると分りますが、トヨタのETCS、あるいはECMには、「ファームウェア」と呼ばれる、トヨタがほとんど手を触れていない他社製の半固定されたソフトも使われ、それにも問題のあることが指摘されています。

この訴訟では車種として「カムリ」だけ取り上げられていますが、問題のプリウスは第二世代ですので、時期的には重なりますし、ファームウェアの欠陥や、ETCSやECM、またそれ以外の電子制御装置にもバグがあったり、その他の問題のある可能性は否定できません。

こうした点についても、分り易い形で第三者の視点による検証が必要だと思います。トヨタは、被害者の御家族が被告に直接質問をした6月21日に、「被告は車両に技術的な欠陥があると主張しているが、調査の結果、車両に異常や技術的な問題は認められなかった」とするコメントを発表しています。

さて、この点について、ジャーナリストの柳原三佳さんは、Yahooニュースの6月23日版で、「池袋暴走事故・被告が車の欠陥を主張「EDR」で何がわかるのか、トヨタに聞いてみた」と題する記事中、大切な問題提起をしています。微妙な点ですので、引用させて頂きます。

柳原さんの問題意識では、まず、トヨタの反応を取り上げています。

「本件の被告人が、裁判の中で、本件の車両に技術的な欠陥があると主張されていますが、当局要請に基づく調査協力の結果、車両に異常や技術的な問題は認められませんでした」

それについての柳原さんのコメントです。

トヨタとしては、自社の車の安全性や調査結果を全面否定されたことが看過できなかったのでしょう。

しかし、私のもとには、自動車に詳しい複数の技術者から、交通事故捜査における現在の車両調査について、以下のような意見が寄せられているのも事実です。

「当局(捜査機関)の要請とはいえ、問題となっている事故車両をつくったメーカー自身が、当該車両の欠陥の有無を調査するというのは、あまりにも公平性を欠くのではないでしょうか。万一、車両に不具合があった場合、メーカーも『事件の当事者』ということになるのですから……」

大変重要な指摘です。

この問題については、改めて別の機会に掘り下げる予定です。

この言葉通りに、柳原さんが改めて、掘り下げて下さることを期待しています。その結果にも依りますが、今回の事故、そしてそれが事件と呼ばれてもよいような可能性も出てきているのですが、そこで追及されるべきは自動車メーカーであり、亡くなられた方々の御遺族も運転をしていた被告も、力を合わせて自動車メーカーの責任を追及することが最も合理的な選択肢なのかもしれません。

技術的な問題について、メーカーが理解するまでにも時間が掛かり、被害者に対する対応にはもっと時間のかかることを私は直に体験しています。

それは、捜査当局が何回も繰り返し言及していることの一つである「再現実験」と関わりがあります。事故当時と同じ条件で (と実験者が想定している条件ということです。本当に同じかどうかは、別の判定が必要です。) 車を走らせて異常がないことを確認する実験です。

これに関して私には忘れられない体験があります。もう30年以上も前になりますが、当時、私は大学に近い、ボストン郊外のアーリントンという町住んでいました。大学にはVW社製のラビットという車で通っていました。とても気に入っていたのですが、買ってから少し経って冬になると飛んでもないことが起り始めたのです。夜遅く、あるいは朝早く車のエンジンを掛けようとしてもウンともスンとも言わないのです。つまりエンジンが掛からないのです。

Bromfieldpearson_building__tufts_univers

教鞭を執っていたTufts大学

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bromfield-Pearson_Building_-_Tufts_University_-_IMG_0912.JPG

Daderot, Public domain, via Wikimedia Commons

仕方なく、友人に家まで送って貰ったり、妻に迎えに来て貰ったりして急場を凌いだのですが、その内に、ある規則性に気付きました。外気が零下7度以下になった時、そこに一時間くらい置いておくとエンジンが掛からないのです。低温ではエンジンが掛からないのですから、イグニッションを制御する電子部品に欠陥があるはずだと思い、販売店に何度か車を持ち込んで「再現実験」をしてくるよう頼みました。

しかし、零下7度以下の日にだけ車を持ち込むことも難しく、結局は二三日して「問題はありません」という返事とともに、寒くなるとエンジンの掛からない車が戻ってきたのです。

そんな我慢を続けること2年。ようやく、ディーラーから連絡があり、「イグニッションを司る電子装置の欠陥が分ったので、無償で交換する」ことになりました。

気温をコントロールするのは比較的簡単です。しかし、こんなに簡単な原因によって引き起こされる「欠陥」を見付けるのに2年も掛かるのですから、もっと複雑なブレーキシステムやスロットルシステムについての欠陥は、それ以上に見付けるのが難しいと考えてもおかしくありません。

第三回で御紹介した、百武さんや、熊本県のタクシー運転手Oさん、アメリカのセーラー氏の場合、明らかに車は異常な動き方をしていました。電子制御装置に (バグを含めて) 欠陥があったとすると、それは合理的な説明になります。

このように、車の欠陥が原因で事故が起きている可能性があるのなら、まずは、製造者が自己責任で事故の原因を調査することはもちろんなのですが、消費者、つまり車を買いそれを使う側の立場にも立てる第三者委員会によって、根本的な検証が行われるべきだと思います。

そのような客観性のある検証結果、製造者側に責任のあるという結果になれば、当然、その車の製造者には然るべき責任を取ってもらうことになるでしょう。つまり、柳原三佳さんが提案しているように第三者による検証制度を設けることが、今回の事件から得られる大切な教訓の一つになるのではないでしょうか。

私たちも、予見に捉われた「常識」だけに依存するのではなく、製造者の責任についても客観的・冷静な判断をする心構えを持つことも大切なのかもしれません。

[21/7/16 イライザ]

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2021年7月15日 (木)

7月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町)

10日と11日は農園に作業に行ったがコロナワクチン接種もあって滞在時間はあまり長く取れなかった。早生のブルーベリーがよく熟れてきたので摘み取りを優先させる時間配分で作業をする。草がどんどん伸びてきていて親戚の方の手も借りながらしのいでいる。7月に入ってもまだブルーベリーの剪定をしているセオリー外れな栽培を続けているが木が枯れる様子もないのでこれで良しとしても、摘み取りシーズンに向け気がせく。雨の被害もなく13日に梅雨が明けた。

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7月10日(土)。

ブルーベリーは早生と中生と晩生の系列があり早生は農園では7月に入ってから最盛期を迎える。午前と午後に摘み取りを行う。

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4粒実っているのは片手で一度にごぼっともぎ取る。熟れていると簡単に取れる。収穫した実は安芸区矢野東の安芸の郷に納品した。

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里山のブルーベリー園に行く途中にあるウワミズザクラ(上溝桜)の木を見あげるとオレンジがかった黄色い実がついている。

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中には赤黒い実もついている。食べられるそうだが眺めるだけにしている。

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庭のヤブランの花穂。

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生き物の気配。

①.赤とんぼがクモにつかまっている。(7月10日)

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②.ブルーベリーの木の中のハチの巣。摘み取りの最中だったが刺されなかった。撮影後駆除する。(7月11日)

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③.里山の地面に卵が数個割られていた。この辺りには亀が来ることがある。今が産卵期なので多分カメの卵と思われる。(7月11日)。

里山のブルーベリー園に入るといきなりメスのキジがあたふたと走って逃げ飛び立ったとたん、オスのキジがどうしたといわんばかりに少し離れたところから追っかけて飛び立っていった。元気らしい。

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7月11日(日)。

ブルーベリーの剪定を続ける。最後のエリアは里山の西側に下側の端っこ。あと数本残った。次週に持ち越しだが、剪定完了のめどが立った。

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そろそろ梅雨明けかと思わせる青空。しかし14日の日中は雷、激しい雨で今一つ不安定な天気だった。

2021年7月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年7月14日 (水)

第40回反核平和の火リレーがスタート

「語りつごう 走りつごう ヒロシマの心を」をスローガンに広島県青年女性平和友好祭実行委員会が主催する「反核平和の火リレー」が、今日午前8時15分、平和公園慰霊碑前を出発しました。

1982年3月21日に平和公園など6会場で開催された「3.21反核20万人集会」の成果を継ぎ広げようと、その年の夏に始まった「反核平和の火リレー」は、今年でちょうど40回目の節目を迎えました。

各自治体に「非核自治体宣言の実施、国家補償の被爆者援護法制定」などを訴え始まった反核平和の火リレーは、確か4年目から全自治体を結ぶリレーとして発展し、8月に開催される原水爆禁止世界大会の前段行動として定着してきました。80年代には、県内に86の自治体がありましたが、橋の架かっていない島嶼部の町や村もあり、時間を調整するのに苦労したことを思い出します。

午前7時50分から原爆慰霊碑前で沖田大実行委員会事務局長の司会で出発式が始まりました。最初はいつものように献花と全員で黙祷。続いて平和公園の「平和の灯」を採火。川平考高(かわひらよしたか)自治労広島県本部青年部長の手で採火された火が、第一奏者新田康博(にったやすひろ)実行委員長のトーチに移され出発式が始まりました。

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最初に、激励に駆け付けていただいた皆さんからの激励のあいさつ。平和運動センター佐古正明議長、県原水禁金子哲夫代表委員、広島県被団協前田耕一郎事務局長。そして政党代表の紹介です。

松井一美広島市長のメッセージが紹介された後、第1走者を代表して新田実行委員長が、「1月に被爆者の長年の願いであった核兵器禁止条約が成立しました。この思いを受け継ぎ、平和に向けて訴えていきたい。そして核兵器とは何か、戦争の惨禍とは何かを訴えていきたい」と決意表明。そして第1走者は、新田康博さん、川平考高さん、川成英三さん、青野啓介さん、新谷龍一さん、中村陽士さんの6名が、元気にスタートしました。

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40回目となった今年の反核平和の火リレーは、昨年と同じようにコロナ過ということで、各自治体の役場を中心とした短縮バージョン(50区間、2.8km)で行われることになりましたが、これまで継続させてきた様々な人たちの思いを、今年も引き継いで実施されると思います。短縮バージョンとなったころもあり、例年の6月スタートを繰り下げ、今日のスタートとなりました。時期が遅れたこともあり、雨の中での出発式となることも多かったのですが、今年は前日に梅雨明け宣言が出たばかりで、好天に恵まれてスタートすることが出来ました。

平和行進も中止せざるを得なくなった今年の原水禁大会ですが、この反核平和の灯リレーによって、今年発効した「核兵器禁止条約」の意義を訴え、県内の全自治体に「反核平和の火」を届けてくれると確信しています。

県内を走りついだ反核平和の火リレーは、今月20日の夕方、平和公園慰霊碑に帰ってくることになっています。

梅雨明けと共に厳しい暑さが続くと思いますが、安全に配慮し、無事に帰着することを祈っています。

いのちとうとし

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2021年7月13日 (火)

専門家による検討?

先週の金曜日(9日)、被爆者団体6団体は、広島市に対し、サッカースタジアム建設予定地から発掘された「旧陸軍輸送部隊の被爆遺構を保存・活用を求める」4項目の要望書を広島市に提出しました。中でも最も強く求めた要望は、「多角的な観点から遺構の全容を評価し、保存・活用の方向付けをする。被爆者など幅広い人々から意見を聞き、方向付けに反映させる」ことでした。しかし、新聞報道によれば、これに対する杉山市民局長の回答は、次のようなものでした。

「2015年から17年まで原爆資料館本館下で行われた発掘調査にも関わった専門職員が、今回の発掘も担っている。この職員は、『市では被爆遺構にだれよりも詳しい。その意見を踏まえて粛々と進める」とし、外部の専門家の意見を聴くつもりはないとしています。

県原水禁が6月24日に提出した「緊急要望書」でも「2、発掘された旧陸軍施設の被爆遺構について、早急に専門家の検討会を実施すること。その結論によって、保存を含めた継承方法を検討すること」と被爆者団体と同じ要望を提出したいますので、広島市の回答は、無回答と言ってよい中味です。

そんな広島市の消極的な姿勢に怒りを覚えます。

そこで紹介したいのが、「広島市国民保護計画」を策定する時に設置された「核兵器攻撃被害想定専門部会委員」です。全員で8人です。報告書に掲載された委員の名簿を紹介します。50音順になっています。

 安 斎 育 郎 立命館大学国際平和ミュー ジアム館長 原子力工学

 梅 林 宏 道 NPO法人ピースデポ代表核兵器問題

 片 岡 勝 子 核戦争防止国際医師会議副会長・日本支部事務総長 医学

 鎌 田 七 男 ㈶広島原爆被爆者援護事業団理事長 医学

 坪 井 直 広島県原爆被害者団体協議会理事長 被爆体験

 葉佐井 博 巳 広島大学名誉教授物理学 部会長

 最 上 敏 樹 国際基督教大学教授同大学平和研究所長国際法 平和学

 吉 岡 斉 九州大学大学院比較社会 文化研究院教授 科学史 科学政

座長は、被爆者でもあり、原爆放射線量の推定方式の確立に努力され、証言・継承活動を続けられた葉佐井博己先生です。余談ですが、葉佐井先生には、ドイツの「ポツダムヒロシマ・ナガサキ広場」に広島の被爆石を送る時に、大変お世話になりました。

この専門部会に託された課題は「核攻撃被害想定」です。委員には、幅広い分野からそれぞれを代表する人たちが選ばれています。当然のことですが、被爆者の代表はもちろん市民運動団体の代表も加わっています。そして、この報告書をまとめるため4回の専門部会、4回のワーキング会議が開催されたことが、報告書に書かれています。非常に重要なテーマですから、慎重に検討されたことがうかがえます。

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「核兵器攻撃被害想定専門部」のことを紹介したのは、最近の広島市の行政のあり様との違いが、顕著だからです。

今回のサッカースタジアム建設予定地の遺構保存だけではありません。例えば、このブログでも何度かにわたって紹介した「平和大通りのにぎわいづくり」の問題もそうです。

市民など外部意見を聴いて、より良いものをつくろうという姿勢が、今の広島市政には感じられないのです。

9日の被爆者団体の申し入れに対し、杉山局長は「戦後は生活の場となったため状態が良くなく、歴史的価値は低い。被爆の痕跡が明らかなら現物保存を考えるが、現時点ではそういうものはない」と見解を表明したと報道されています。

この見解を信用できるでしょうか。私には、出来ません。私たちや市民団体が申し入れるまで「現地の説明会」すら拒否し、保存の準備を全くせずに調査を行ってきたのですから。そういう広島市の姿勢が変わらない限り、広島の説明に納得する人は、ほとんどいないと思います。

しかも30分の面談時間のほとんどが、市側の話しだったと聞いていますから、市民の声に耳を傾ける姿勢にも問題があるように思います。

もちろん、広島市が言う「部内の専門家」の存在を否定するつもりはありません。しかし、広島市が「サッカースタジアムの建設ありき」の姿勢でいる限り、内部で進める限り、きちんとした検討がなされないのではという危惧は尽きません。

今やるべきことは、「サッカースタジアム建設」に拘束されない外部の専門家の意見を聴き、きちん評価し、それに基づいて「遺構をどうするのか」を決めるべきです。

もちろん、今回の件で、「核攻撃被害想定」という重要なテーマを検討した「核兵器攻撃被害想定専門部」と同じようなメンバーを選ぶことを求めているのではありませんが、当時の広島市の姿勢をもっと学ぶべきです。

「一度壊したら後戻りできない」被爆遺構だけに、少し時間はかかったとしても、市民の多くが納得できるように幅広く外部意見を聴いて判断するというのは、最低やるべきことです。今、広島市に求められているのは、もっと市民の声を聴こうとする姿勢です。

いのちとうとし

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2021年7月12日 (月)

広島市国民保護計画

最近、「核兵器禁止条約」に関わる原稿を依頼され、何年かぶりに「広島市国民保護計画」を読み直しました。この「広島市国民保護計画」(以下「保護計画」)は、秋葉忠利市長時代の2008年(平成20年)3月17日に作成されたものです。その後組織改正や地域防災計画の見直しなどに伴い何度か修正されていますが、基本的な計画の変更はなされていません。

私がもう一度読み直したかったことは、「保護計画」の「第1編 総論」の「第1章 計画策定の基本姿勢」の2番目に書かれた「2 核兵器攻撃による被害想定の実施及びそれに基づく基本認識」の項です。その結論の部分を紹介します。

「国の基本指針に書かれている、爆心地周辺から直ちに離れる、避難に当たっては風下を避けるなどといったことでは対応できないと考えています。(略)この計画の策定に当たっては、本市独自に核兵器攻撃による被害の甚大さを明らかにする必要があると考え、広島市国民保護協議会(以下「市協議会」 という。)に核兵器攻撃被害想定専門部会(以下「専門部会」という。)を設置し、被爆体験や科学的知見に基づく被害想定を行いました。その結果、核兵器攻撃によってもたらされる被害を回避することは不可能であり、行政が最善の対処措置を講じることができたとしても、被害をわずかに軽減する程度の効果しか発揮し得ないことが示されました。このため、核兵器攻撃に関しては、それに対する有効な対処手段はなく、核兵器攻撃による被害を避けるためには唯一、核兵器の廃絶しかないという認識の下、この計画を策定します。」

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「保護計画」の冒頭の「総論」のしかも「基本姿勢」の中に書かれているのですから、当時の広島市がどれだけ「核兵器の問題」を重要視していたかがわかると思います。

この「保護計画」は、国が、2004年6月に制定された「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置 に関する法律」(以下「国民保護法」という。)に基づき、「2005年度末までに、国の行政機関及び全国の都道府県に、国民保護計画を策定する」ことを求めたことを受けて作成されたものです。

当時国は、日本が攻撃を受けた場合をいろいろと想定し、対処のための基本指針を示しているのですが、その想定の中に「核兵器による攻撃」も含まれていました。その指針としては「『爆心地周辺から直ちに離れる』『避難に当たっては、風下を避ける』」など、当然なことが述べられているだけでした。「どの程度可能なのかについては何も示されていない。さらに、核兵器攻撃を受けた時、一瞬のうちに溶け、あるいは炭になって死んでいく人たちのことについては一言も書かれていない」ことに疑問を持った広島市が独自に検証して得たのが、上記の「核兵器攻撃による被害を避けるためには唯一、核兵器の廃絶しかない」という結論でした。

このことを紹介したのは、「核兵器禁止条約を批准しない」とする日本政府に対する各自治体の動きを考えるからです。政府に、各自治体が「批准」を求めることは当然のことですが、各自治体の「国民保護計画」では、核攻撃についてどう扱われているからです。広島市のように「核兵器の廃絶しかない」と、言い切っている自治体はどれだけあるでしょうか。そのような自治体があることを、残念ながら、今のところ私は知りません。

自治体のほとんどが、政府が示した対処方針に基づいて、何の(というのは言い過ぎかもしれませんが)疑問も感ずることなく、ほぼそのまま引用して作成されているのではないかと想像します。そうなる原因の一つが、広島市の保護計画の中でも指摘している(「現実問題として、核兵器の恐しさを想像できない人たちが増えています」)ように、「広島や長崎の体験をきちんと理解していない、十分に知っていない」ということにあるような気がしてなりません。

「核兵器禁止条約の批准」を求めるとき、自らの自治体の「国民保護計画」をもう一度見直し、広島市と同じように「核兵器の廃絶しかない」という当たり前の計画に変えた時に、より力を持つことになると私は考えています。

ところで、「広島市国民保護計画」を読み直す中で、策定の大きな力となった「核兵器攻撃被害想定専門部会」のことで改めて気づかされたことがあります。サッカースタジアム建設予定地で発掘された「遺構の保存」を巡る動きとの大きな違いです。明日は、このことを検証したいと思います。

いのちとうとし

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2021年7月11日 (日)

池袋暴走事件 (4) ――「電子制御装置には欠陥がない」への反論もあるのです――

「池袋暴走事件 (4)

――「電子制御装置には欠陥がない」への反論もあるのです――

前回は、池袋事件の真相を論理的に見極めるためには、二つの命題を検証す必要のあることを確認し、その内の一つについては、100%の確実さで正しいとは言えないことを示す事例をネットから引用しました。

まず、二つの命題の復習です。

 

(A) ブレーキペダルを踏むと、どのような例外もなく必ずブレーキが掛かる。

(B) ブレーキペダルを踏むと、実際にブレーキが利いているか否かにかかわらず、一つの例外もなく、必ずブレーキライトは点灯する。(ブレーキライトの電球が切れていないとして)

 

前回、報告したとおり、(A)については、ブレーキを踏んでもブレーキが利かなかったという事例がありますので、池袋でもそれと同じことが起ったという可能性は否定できません。つまり、ブレーキを踏んでいても減速しなかったり、逆に加速する可能性があることになります。

ですから、飯塚被告の主張が正しいかどうかは、命題(B)の内、(ブレーキペダルを踏んでいてもブレーキが利かない状態で)、なおブレーキライトは必ず点灯するのか、という一点に絞られます。(ここで改めて、仮定として認めているのは、事故車の後ろから事故を目撃した三人の証言は真実を述べているということです。つまりブレーキライトは点いていなかったと仮定しています。)

「常識」としては、こんなに当たり前のことを検証しなくてはならないのか、という思いが生じるはずです。でも、私たちは日常的に、前の車が減速していてもブレーキライトが点かないケースを見ているはずです。それは、ブレーキライトの電球切れがほとんどだという経験も皆さんお持ちでしょう。この経験を絶対視すれば、「ブレーキは踏んでいなかった」、という結論になります。

でも、もう少し幅を広げて考えてみましょう。車ではなく、家で電気が点かなくなった経験も多くの方はお持ちだと思います。ほとんどの場合、「電球が切れた」からなのですが、停電だったり、スイッチが壊れた経験をした方もいらっしゃるのではないでしょうか。特に昔は、そんなケースもかなりありました。アメリカに住んでいる頃、古い家だったので、スイッチが壊れて電気が点かなくなることもありました。

もっと多いのは、昔ならフューズが飛んだ、今なら分電盤(カタカナでは、ブレーキと同じ語源のブレーカーです)かもしれません。この中にも簡単な電子装置が入っていますが、家にある電灯のスイッチと電気の分電盤が、車で言えば電子制御装置です。単なるスイッチや分電盤とは比べ物にならないくらい複雑ですが、イメージとしてはお分り頂けたのではないかと思います。

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家の中で、電球に問題はなくても、スイッチや分電盤が原因で、電気が点かなくなるのと同じように、車でもブレーキライトそのものには問題がなくても、ブレーキライトが点灯しない可能性のあることはお分り頂けたと思います。

となると、問題は車を制御している電子制御装置に問題はなかったのか、ということになります。

それが、このシリーズの第二回で取り上げた、アメリカにおける訴訟の主なテーマだったのですが、ウイキペディアの結論部分を再度引用しておきましょう。ウイキの解説も是非お読み下さい。

「アメリカ合衆国でトヨタ車を運転中に発生した急加速事故について、事故の原因がトヨタ車にあると主張された。これらの事故と原因に関する主張などについて米国で大々的に報道された。この騒動を受けて、トヨタは大規模リコールを実施した。

トヨタはビラー弁護士の訴訟をはじめ、138件の集団訴訟、事故の遺族など96件の民事訴訟の他に、カリフォルニア州オレンジ郡検事局からも起訴され、トヨタ社は米国議会での公聴会での情報提供を要請された。事故の原因調査はアメリカ合衆国運輸省が主導した。このような一連の騒動は、「トヨタ・バッシング」、「トヨタ戦争」とも呼ばれた。

2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局(英語版) (NHTSA)・NASAによる最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された。」

さらに、電子制御装置には全く問題がなかったという報告書が出されたこともウイキには記載されています。

米運輸省・NHTSA・NASAによる最終報告

2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省はトヨタ車の電子制御装置に欠陥はなかったとの調査結果を発表[102]。ラフード米運輸長官の発表では米高速道路交通安全局 (NHTSA) と米航空宇宙局(NASA)による10ヶ月の調査結果で、電子制御装置ではいかなる問題点も見つからなかったとし、NASAエンジニアによれば急発進が発生した自動車9台について電子制御装置に異常現象は見られず、NHTSAの調査でも加速ペダルと運転席フロアマットの欠陥による問題は確認されたものの、急発進事故の殆どが運転手のミスと確認された[103]。

しかしながら、この結論には異論があるのです。

長くなりますので、今回はここまでにします。次回は、異論とその根拠そして、問題提起をする積りです。

[21/7/11 イライザ]

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2021年7月10日 (土)

「国策」と一体になる会社

NTT(日本電信電話)の株主総会招集通知を見て驚きました。これからどんな事業を実施していくかというところに、「核融合エネルギーの実証に向けて光関連研究開発で連携し…」、「核融合や太陽光発電など次世代エネルギー技術と…」と書いてあるのです。

NTTの前身は電電公社、現在の社長は澤田純さん。総務省への接待問題で国会から追及された人物です。接待された総務省の前審議官は、停職3カ月の懲戒処分を受け、その後退職しました。相手は退職せざるを得ないくらい厳しい処分を受けているにもかかわらず、澤田純社長は3カ月間の4割の報酬減額という、大甘処分を自らに課しましたが、もちろん退職していません。

もう一つの顔が澤田社長にはあります。それは経済産業省、総合資源エネルギー調査会基本政策分科会の委員という顔です。改めて書くまでもないと思いますが、「第6次エネルギー基本計画」の議論を行っている委員会です。多くの委員から「原発復活」の大合唱が行われています。総務省への接待で反省している?であろう人物が、経済産業省関連委員会の委員として活動しているのも、それを許しているのも納得できないのです。

 

もう一つの株に関する話しは東芝です。わが家で初めて購入した「白物家電」は、炊飯器でした。電気釜と言ったと思いますが、それまでご飯は、「かまど」で炊いていました。

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東芝は2006年、米国の原発メーカーのウエスチングハウス(WH)社を約6千億円で買収し、政府の成長戦略の大きな柱だった「原発輸出」政策に加担することになりました。しかし2011年の福島原発事故、その後ウエスチングハウスは経営破綻、東芝自身の長年にわたる不正経営問題も2015年に発覚しました。

普通ならこんな潰れそうな会社と思う人も多いでしょうが、僕はこの時に東芝の株を1000株購入しました。当時は東芝の株は1000株が1単位(購入できる最低の単位)で、記録を見ると1株あたり199円で購入したことになっています。「物言う株主」のはしくれになろうと思った訳ではありませんが、株主に送られてくる資料を読むのが楽しみでした。

経営破綻の影響で株価は急速に下がり、100円を割りました。東京証券取引所の1部に上場されていたと思いますが、いわゆるヤバイ会社が入る特別な枠(スポット)に入れさせられました。

証券会社の担当者から、電話がありました。「もう損を覚悟で、売った方がよいですよ」という内容でした。僕は「東芝は絶対に倒産しないし、株価も元に戻るからこのままにしておいてください」と丁寧に答えました。

兵器や原発を作っている東芝が、潰れることは無いという確信があったからです。その後、株価が350円程度になった時点で売却し、約15万円を儲けることができました。「驕ってくれー」という声が聞こえてくる感じですが、東京電力の株の今の価格は、福島原発事故後300円台です。福島原発事故前は一桁上の値段だったのです。

倒産が必然でしょうが、国策でそうさせないだけでも、株主にとっては「良」としなければならないのでしょう。今、東京電力への株主代表訴訟の原告となっているので、損を覚悟でも売るわけにもいきません。

大きく報道されている昨年の東芝株主総会での経済産業省の関与介入事件、まさに総会屋顔負けです。兵器と原発を担っていると、絶対に潰さないということが明らかになった事件です。現在、東芝株は1000株単位から100株となりましたが、1株当たり約4700円の値段がついています。内紛、不正が頻発している東芝ですが、まさに「親方日の丸」のシンボルだと思うのです。

まだ株を持ち続けていたら、もっと儲かったのでしょうけどね。 

木原省治

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2021年7月 9日 (金)

順調に進む「第2代平和の鐘」の鐘楼の工事

5月29日の「第2代平和の鐘」の鐘楼の工事: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)のつづきです。

この原稿を書こうと思っていたら、昨日の中国新聞の25面に「『平和の鐘』設計図発見」の記事が目に入りました。それにしても、「第2代平和の鐘」にまつわる話が次々と出てくるものだなと感心して読みました。何か不思議な気がします。

サッカースタジアム建設予定地の発掘現場で「旧軍隊の被爆遺構」が出て来たことをニュースで知ってから、何度か現地を訪れました。先月の終わりです。発掘現場を訪れるためいつものように自転車で旧広島市民球場跡を通っている時、工事用幕でおおわれた「第2代平和の鐘」で作業をされている姿が目に入りました。

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近づいて撮った作業中の様子です。

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写真の左部分にちょっと見にくいのですが、鐘楼の周りに付けられた足場で作業しておられる二人の作業員姿が映っています。「何をされているんですか」と声をかけると、丁寧な答えが返ってきました。「今、一番下の錆止めの塗装をしています。元のような状態になるようにこれからさらに後3回、計4回塗装をします。柱にハトが取り付けられると聞いていますので、それまでには終了するように作業をしています」。いまは、塗装作業が始まったばかりでしたが、8月6日に、高東さんたちがこの平和の鐘がつかれる時には、きれいな姿になっていると思います。

移動するため、青少年センター前に行くと、以前紹介した「長崎から贈られたアジサイ」が綺麗に咲いていました。

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この塗装作業を見て思い出したのは、5月29日にも紹介した「新たに鋳造される鳩の型の原型となる広島市公文書館に保管されている鋳型」のことです。当時、緊急事態宣言で広島公文書館も閉鎖になっていましたので見に行くことが出来なかったのですが、宣言解除で閲覧が可能となりましたので、早速同館を訪れました。

収蔵庫に保管されているようでしたが、事前に電話を入れましたので、行くとすぐに見ることが出来ました。

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大きさは、横24cm縦12cmです。重さは、1.4Kg。写真を撮るため、下に紙を敷いても時、持たせていただいたのですが、鋳物ですから大きさの割にはちょっと手ごたえを感じる重さです。教えていただいて分かったのですが、よく見ると、鳩の口の先端がちょっと欠けています。

この鳩の鋳物が、復元される「鳩の鋳物」の原型となりますから、鋳物作業では当然この部分を修正して復元されたと思います。「取り付け作業の日が決ったら連絡していただきたい」とお願いしていますので、その時はぜひ立ち会いたいと思っています。

私が、広島公文書館を訪れた時は、復元作業での使用が終わり、返ってきたばかりのところでしたので、5月の終わりには、閉館中でなくても見ることはできなかったようです。

関連してもう一つ、中国新聞の記事です。国際司法裁判所に日本政府が送った「鐘」のことを紹介した7月4日の「天風録」の最後の部分に「広島とオランダの鐘はどちらも鋳込んだのは富山県の釣り鐘メーカーである」と書かれていました。毎年の8月6日の平和祈念式典で撞き鳴らされている「第5代平和の鐘」は、富山県で鋳造された鐘のようですから、被爆の焼け跡から見つけた金属を集めて広島の鋳造組合が作った「第2代平和の鐘」は、本当に貴重なものだということになります。復興のスタートを象徴する意味もありますから、もっと大切にされてもよいと思います。

いのちとうとし

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2021年7月 8日 (木)

7月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

7月に入った。晴れ間を選んで農作業→草刈り、ブルーベリーの摘み取りと剪定を行っている。安芸の郷へのブルーベリーの納品も始まった。農園の7月はとにかくブルーベリーの青葉と周囲の田んぼの濃い緑のじゅうたんが広がる。安芸の郷のブルーベリーまつりはコロナ禍で今年も中止になった。でもブルーベリーの実りはやってくる。ほぼ昨年並みの収穫となりそうなので多くの人にブルーベリーを楽しんでいただければと思う。

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7月2日(金)。

①.農園の畑の法面のネムノキ。

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②.葉っぱの上にせり出して花を咲かせる。

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③.友人3人が援農。里山の早生のブルーベリー園に行って、

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④.防鳥ネットの中で摘み取りをする。いつものように午後の休憩でブルーベリージュースをごくりする。

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⑤.摘み取りのある場所の晩生のブルーベリーの剪定を続ける。大きな枝を切ると白い木肌が現れる。

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⑥.庭の景色。ヤマアジサイと青空。

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⑦.池の中のイモリはだんだんと大きくなっていて動くときはひとかきひとかきしては動きを止めて前に進む。草の枝先にはイトトンボがじぃーとしている。

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7月4日(日)。

①.早生のブルーベリーを摘み取り安芸の郷に納品した。ブドウのように実るものもある。

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②.農園周辺の田んぼ。稲は伸び、濃い緑色を帯び里山の木々は青さを増す。

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7月7日(水)。

ナンキンハゼの花穂。安芸の郷の建物の森の工房AMAの屋上からまじかに見れる。たくさんのミツバチがしがみついて蜜を吸う。

 

2021年7月8日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2021年7月 7日 (水)

「ヒロシマの空白 被爆75年」発刊

中国新聞が、2019年11月28日付で開始し20年3月まで連載した「ヒロシマの空白 被爆75年」が、再構成され1冊の本となって出版されました。

「『空白』を埋めていく」と題された前書きには、こう書かれています。「米軍が投下した広島原爆の犠牲者は「14万人±1万人』と言われているものの推計値に過ぎず、いまだに把握されていない死者が大勢いる。平和記念公園内の供養塔にに引き取り手がないまま安置された遺骨の人数や身元、被爆者を苦しめてきた放射線の健康被害―。原爆被害について分かっていないことは、あまりに多い。」

この連載が始まる前、担当記者の一人と同じことを話したことを思い出します。連載中から期待していましたので、毎回の記事を切り抜き、大切に保存してきました。埋もれていた広島の事実が掘り起こされた記事の連載に、興味が尽きることはありませんでした。

ですから、この連載がまとめられて本になればよいのにと期待していましたが、そのニュースを耳にすることはありませんでした。

ところが、この連載企画が、2020年の新聞協会賞を受賞したことが契機となり、今回再構成して出版することになったようです。

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写真グラフから始まる本書の内容については、大きな目次だけ紹介します。

 第1部「埋もれた名前」

 第2部「帰らぬ遺骨」

 第3部「さまよう資料」

 第4部「国の責任を問う」

 第5部「朝鮮半島の原爆被害者」

 第6部「つなぐ責務」

 第7部「75年後の夏」

 連載中によせられた写真を中心とした「街並み再現」

本は、A4版の少し大きめのサイズです。本文には、写真の映りが良くなるような紙が使われています。発行元のザメディアジョンに電話で、使われている紙を問うと「上はマットコートです。古い写真も多くあるので、出来るだけクリアに見えるようにとこの紙を使うことにしました」とのことです。ですから、新聞紙上とは違う写真を目にすることが出来ます。

奥付を見ると発行日は、6月23日となっていますが、初版の1500部は、すでに完売。8月6日も近いということで、増刷されることになっているようです。ひょっとするとすぐに入手できないかもしれませんが、ぜひ手にしてほしい本です。

私もこのブログを書くのに、何度かこの本には、お世話になりそうです。

いのちとうとし

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2021年7月 6日 (火)

池袋暴走事件 (3) ――「電子制御装置には欠陥がない」では説明の付かない事例報告――

池袋暴走事件 (3)

――「電子制御装置には欠陥がない」では説明の付かない事例報告――

 

これまでは、私たちの「記憶」は余りあてにならない、従って「記憶」だけに頼るのではなく「事実」を元にした検証が大切であることを確認しました。

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マスコミ報道やネット上の様々な考察を簡単にまとめると、次のようになります。

 

① ブレーキライトが点いていなかったことは3人の目撃者の証言で明らかである。

② ブレーキを掛けたときに道路に付くはずのタイヤ痕もなかった。

③ ブレーキが掛かれば車は減速するはずなのに、減速していなかった。

④ 電子的制御装置に不具合があったとしても、油圧式のブレーキが代替するようになっているので、ブレーキは掛かる。

⑤ だから、「ブレーキを踏んだ」という飯塚被告の記憶は間違っている。

 

論理的な厳密さも犠牲にしないで、飯塚被告がブレーキを踏んでいなかったことを証明するためにこれらの命題を整理すると、次の二つのことを「事実」として確認する必要があります。

 

(A) ブレーキペダルを踏むと、どのような例外もなく必ずブレーキが掛かる。

(B) ブレーキペダルを踏むと、実際にブレーキが利いているか否かにかかわらず、一つの例外もなく、必ずブレーキライトは点灯する。(ブレーキライトの電球が切れていないとして)

 

ここでは、車が加速したかどうかは問題にしていません。それは、(踏み違いの場合も含めて)、何らかの不具合があった結果だからです。加速があってもなくても、ブレーキを踏んだかどうかという一点こそ、飯塚被告の行動の真実の反映だからです。

つまり、論理的には、①の三人の証言は真実を述べていると仮定して考えることにしますし、④については、(A)という形に厳密化しましたが、これが第一に検証しなくてはならない点です。そして、ブレーキを踏んでも、実際にはブレーキが掛からなかったという報告が複数あることが分ったのです。つまり、命題(A)には、例外が存在したのです。

まず、プリウスに乗っていて、突然ブレーキが利かなくなったという体験を百武太一郎さんという方が、YouTubeにアップしています。周りには車がそれほど多くなく、側道に坂のあることを思い出して、上り坂の途中で車を止めることができたそうです。

 

百武さんの体験が事実そのものだという前提を置くと、命題(A)は、成り立ちません。これか立派な「例外」だからです。

ブレーキが利かなくなった事例は他にもあります。Yahoo!ニュースJapan

の2020年10月16日の記事として、作家・ジャーナリストの柳原三佳さんが、「アクセルの踏み間違い、それとも車の異常? 池袋暴走事故裁判から、筆者が思い返す24年前のある死傷事故」と題する報告を寄稿しています。

1996年5月9日午後9時35分頃、熊本県菊池郡のT字路で発生した事故で、タクシーの運転手だったOさんが、T字路の赤信号で止まろうとしたところ、ブレーキが利かず、一人が亡くなりOさんの他に二人が怪我を負うことになりました。事故の様子をOさんは次のように言っています。

「私は下り坂に差し掛かったとき、いつものようにセカンドギアに入れ、エンジンブレーキとフットブレーキを使いながら停止線で止まるつもりでした。ところがそのとき、一瞬、ブレーキペダルから足を滑らせてしまいました。私はすぐにブレーキペダルを2度、力いっぱい踏みました。しかし、瞬時にスーッと抵抗力がなくなり、下りで加速したまま交差点内に進入してしまったのです。その直後、『ドドーン』『バッシャーン』『ガッシャーン』と3度のショックを受け、首に激痛が走りました」

柳原さんのコメントは、

タクシー常務歴16年。長年、無事故で安全運転を続けてきたOさんにとっては、信じられない出来事でした。

ぜひこの記事を読んで頂きたいのですが、柳原さんの許には、アメリカで起きたブレーキの不具合についての情報も届いていました。34年間ロスアンゼルスに住んでいたJun Jim Tsuzukiさん(63)からのメールです。こちらの記事はYahoo!ニュースですが、タイトルは「アメリカで起きたレクサス暴走死亡事故 緊迫の通話記録と「制御不能」の恐怖」です。こちらの記事も、分り易くいくつもの重要な指摘をしていますので、是非お読み下さい。

ここでは、ほんの一部を抜粋しておきます。まず、アメリカでの状況が良く分るTsuzukiさんの言葉です。

「実は、米国では約20年前に、SUA(Sudden Unintended Acceleration=突然の予想外の加速)という単語が作られたほど、速度制御不能による事故が続いていました。特に1999年から2010年までの10年間でみると、トヨタ車だけで815事例、341重軽症、19死亡が報告されています。ドライバーの年齢層は30~40代がもっとも多く、『アイドル状態からの急加速』『ブレーキを踏んでいるのに加速が始まった』『高速道路を通常の運転中に加速した』など、さまざまな事故が発生していたのです」

特に衝撃的なのは、2009年8月に、ハイウエイ・パトロール方面本部副部長だったセーラー氏が、妻と娘、そして義弟を乗せて運転していたトヨタ・レクサスES350が、突然制御不能になり、加速し続け190kmにまで達して、一般道路と交差した地点で道路を飛び越えて転倒炎上し全員が亡くなったという痛ましい事件です。

この事故では、制御不能になってすぐ、義弟が警察に電話を入れ、事故の様子が52秒間にわたって公的に記録されていました。

その他にも、制御不能になった車から警察に入った緊急電話の模様や、社内の様子を撮影した動画等が公開されてるとのことでした。

以上の事例からはっきりしたのは、命題(A)は、偽命題だということです。つまりこの主張を行うことは、論理的にはできないのです。

そして、ブレーキが利かなくなる原因、さらに命題(B)のブレーキライトの点灯に関連のあるのが、電子制御装置の問題です。

これについては、柳原さんの問題提起が的を射ていますので、最後に引用させて頂きます。

また、多くの方が、車に搭載された電子制御システムについて「バグ/ Bug」(英語で「虫」の意味=コンピュータプログラムの誤りや欠陥、瑕疵)という言葉を使い、この事故に限らず「バグで制御不能になった場合、事故後に事故車を調査しても正確な結果が残らないことがある」ということを指摘されていたのが印象的でした。

 ときとして発生する、不可解な自動車事故。

 アメリカで起こった数々の事実、そしてその記録に目を向けるとき、事故直後から即、「ドライバーの不法行為が原因だ」と決めつけて捜査したり、報道したりすることが、いかに危ういことかを痛感します。

 事故の真実を明らかにするためには、車の側にも何か不具合は発生していなかったか? 第三者を交え、さらなる慎重な捜査、調査が必要でしょう。

次回は、電子制御装置のバグについて、取り上げます。

 [2021/7/6 イライザ]

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2021年7月 5日 (月)

ヒロシマとベトナム(その26)

「枯葉剤60年」

1961年8月10日、ベトナム中部高原のコントゥム省で初めて枯葉剤が撒かれました。20年後の1981年、そのコントゥム省で、大量に撒布された「枯葉剤に汚染された井戸水を母親が飲んだことが原因」と言われている結合性双生児、“ベトちゃんドクちゃん”が生まれます。

兄のベトさんは14年前、26歳の若さで亡くなり、40歳を迎えたドクさんはツヅー病院で働きながら枯葉剤被害者や障がい者、生活困窮者の支援活動、平和活動を続けています。ドクさんとの出会いは1998年の2度目の訪越時、体調の悪かった“ベトちゃん”の様子は今も記憶にあります。

講演やイベントでたびたび来日しているドクさんは、45回目の訪日になった2016年、私たち広島ベトナム平和友好協会の招きで初めてヒロシマを訪れ、原爆資料館の芳名録に平和メッセージを記しました。その後、呉市と東広島市にキャンパスを置く広島国際大学の客員教授に就任、私たちとの交流は一段と深まっています。

「核兵器禁止条約」が発効して初めて迎える8月6日。「朝日新聞」が平和公園を訪れた海外の著名人のインタビュー特集を企画しています。ドクさんもその一人です。

“ノーモア ウォー、ノーモア ヒロシマ・ナガサキ、ノーモア エージェント・オレンジ”

ドクさんと私たちの共通の強い意志です。

 

8月10日、「枯葉剤60年~改めて問う!エージェント・オレンジ~」

ベトナム政府は2004年に枯葉剤を忘れないように”、繰り返されないように”、枯葉剤被害者に支援を”と、8月10日を「枯葉剤被害者の日(エージェント・オレンジDay)」に制定しました。

https://camp-fire.jp/projects/view/436758

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今年の8月10日、グエン・ドクさんを迎え(Web)てイベントを開きます。「枯葉剤60年~改めて問う!エージェント・オレンジ~」です。内容は、坂田雅子監督の「花はどこへいった」というベトナム戦争と枯葉剤のドキュメンタル映画の上映、グエン・ドクさんと坂田雅子監督のトーク&シンポジウム。翌日から16日まで「パネル展」も開きます。

◇「花はどこへいった」

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 坂田雅子監督作。最愛の夫、フォト・ジャーナリストだったグレッグ・デイビスが肝臓がんで亡くなったのは、彼が入院してわずか2週間後のことでした。妻の坂田雅子監督は喪失感とともに、「なぜこんなにも突然に亡くならなければならなかったのか」という疑問が沸きます。米軍兵士としてベトナム戦争に送られた過去をもつ夫・グレッグの死について、友人から「当時浴びた枯葉剤が原因ではないか」と聞かされた彼女は、夫への追憶と枯葉剤への疑問からベトナムへ行くことを決意します。そうして生まれたドキュメンタリー映画です。

是非、ご覧ください。(お申し込みいただければWeb鑑賞できます)

グエン・ドクさんと坂田雅子監督のトーク&シンポジウム

映画上映に続いて、坂田監督とドクさんのトークです。ドクさんはホーチミンからWeb参加です。お二人のトークを受け、9年前の私たちのベトナム訪問に同行取材し、特集記事「ベトナム枯葉剤半世紀」を連載した中国新聞の教蓮孝臣記者を交えてシンポジウムです。

 

「パネル展」(8月11日、12日、16日)

「エージェント・オレンジDay」の翌日から「パネル展」も開催します。11日(水)、12日(木)とお盆休み(休館)を挟んで16日(月)の3日間です。展示内容は、①「枯葉剤60年」(枯葉剤の年表)、②「エージェント・オレンジ」(枯葉剤の誕生と毒性)、③「枯葉剤の被害」(ベトナム、韓国、米国、日本)、④「グエン・ドクさんコーナー」(生いたちから現在まで)、⑤「ヒロシマとベトナム」、⑥「ベトナムNow」(今日のベトナム)のブースを予定しています。入館料は無料です。

 

イベント開催とドクさん支援にあなたのお力をお貸しください

 7月1日からこのイベント(映画上映、トーク&シンポジウム、パネル展)を取り組むための資金を募るクラウドファンディングを行っています。こちらから https://camp-fire.jp/projects/view/436758

電話、メールでのお申し込みも行っています。

8月6日に続く8月10日を平和について考えるDayとするために来年以降も継続したいと考えています。そのスタートとなる「枯葉剤60年」の今年のイベント開催に、是非とも、お力をお貸しください。

 ご支援戴いた方には、グエン・ドクさんからのメッセージカード、金額に応じてグエン・ドクさん監修の絵本『ぼくのお父さんはドクちゃん』をお届けします。

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映画、トーク&シンポジウム Web配信します。

コロナ感染予防に努め開催しますので、是非ともご来場ください。当日、来場できない方は、映画もトーク&シンポジウムもWeb配信しますのでお申し込みください。クラウドファンディングに応じてくださった方でご希望の方にも配信します。

詳しくは一般社団法人広島ベトナム平和友好協会(HVPF)までお問い合わせください。

TEL)082-423-7235  (E-Mailakatatu@d4.dion.ne.jp (携帯)09010100472

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(2021年7月5日、あかたつ)

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2021年7月 4日 (日)

「コロナ禍の東京五輪は中止せよ」―久しぶりの3の日行動

戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会」の「3の日行動」が、コロナの影響で中止を余儀なくされ、3カ月ぶりに昨日午後5時半から本通電停前で実施されました。午後3時過ぎから降り始めた雨が心配されましたが、幸いスタートとなる午後5時半には雨が上がり、無事予定通り6時半に終了しました。

今月の行動のメインテーマは、「コロナ禍の東京五輪は中止せよ」です。

藤元康之世話人の司会で始まった街頭からの訴え、川后和幸共同代表の開会あいさつでスタートしました。

最初の訴えは、河井夫妻の買収問題を告発してきた「河井疑惑をただす会」の山根岩男事務局長。河井夫妻には有罪判決が出されていますが、自民党が公布した1億5千万円の使途の説明は、未だ果たされていません。また、買収を受けた議員の責任は追及されないままです。「政治とカネ」の問題は、有権者の政治への信頼を失わせることになりますから、総選挙に向けて手を緩めず、引き続き追及していくことが必要です。

続いて、依然として厳しい状況が続く医療現場の実態を鍵浦清子さんが訴えます。

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先の国会で強行成立した重要施設や国境近くの離島などの土地建物の利用を規制する「土地利用規制法」の問題点を大月純子世話人が訴えます。法律に明記されている重要施設は、自衛隊や米軍の基地、海上保安庁の施設で、他にどんな施設が含まれるのか、何を調査するのかは政令などに委ねられることになっていますから、どこが対象となり、何をしたら罰せられるのか。あいまいなまま進むことに、各地で不安の声があがっているのは当然のことです。この法律が成立して最も影響を受けるのは、沖縄です。沖縄平和運動センターの試算では、嘉手納基地なら1キロの範囲内に約9万人、普天間基地なら約10万人が住んでいます。お隣岩国も同様です。基地被害を受ける住民が、救済を受けるどころか監視の対象とされるという危険があり、「思想・良心の自由や財産権などを侵害するおそれがきわめて大きい」法律です。今後は、危険なこの法律の廃止を求めていかなければなりません。

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私に与えられたテーマは「コロナ禍の五輪」。私は次のように訴えました。自らの政権延命のため、コロナ対策を置き去りにし、五輪開催に突き進む菅首相。政治利用以外の何物でもありません。確か昨年、五輪の一年延期を決めた安倍前首相の説明は、「1年間でコロナ対策を進め、コロナが終息した証としての五輪にしたい」だったはずです。今の状況は、とてもコロナは終息したなどとは言えない実態にあることは、誰もが承知しています。これまでのコロナ対策の失敗でも、全く責任を取らない菅首相の無責任ぶりを目の当たりにしているだけに、コロナ禍の五輪中止を求めるのは当然のことです。さすがに首都圏を中心としたコロナの再拡大によって、観客の上限を見直すといい始めていますが、「安全安心」の言葉が空しく聞こえるのは私だけではないと思います。今求められていることは、五輪の開催ではなく、コロナの感染拡大を防止するための具体的な対策を明示することです。

そしてバッハの広島訪問についても一言。「人の命を奪うコロナより五輪開催を主張するバッハさんに広島を訪れる資格があるのか。どうしても広島に来るのなら、パフォーマンスの為ではなく、命の尊さ、尊厳を学びに来てほしい」と。

最後のまとめはいつものように総がかり実行委員会事務局長の石口俊一弁護士。

天気が心配される中でしたが、40名が参加し、横断幕やプラカードを掲げ、市民に訴えました。

いのちとうとし

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2021年7月 3日 (土)

輜重隊ゆかりの馬碑

遅くなりましたが、先月19日の「サッカースタジアム建設予定地の被爆遺構見学記: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で約束した「旧陸軍の輜重隊ゆかりの場所」を紹介します。

中央公園のサッカースタジアム建設予定地南側の横断歩道をファミリープール側に渡り、空鞘橋東詰めに行くと、その木立の中に、本体の高さ152cm、台座の高さ32cmの「馬碑」が建っています。

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本体前の石碑には、「輜重兵第五聯隊 隊跡馬碑」と刻まれていますから、今回発掘された「輜重隊」跡ゆかりの碑であることが分かります。

裏側に廻ると「昭和三年秋十一月建立」と刻まれています。

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馬碑の裏側に立つと、ちょうどその向こう側に発掘現場の一部が目に入りますので、隊舎に向き合う方向に立てられていたような気がします。「馬碑」が、輜重隊ゆかりの遺構だということを教えているような気がします。

馬碑に向かって左側には、「馬碑の由来」を書いた解説板(平成一八年〈二〇〇六年〉設置)が建っています。

その一行目には「昭和三年、馬碑は輜重兵第五聯隊の兵営/西南太田川沿いに建立された。」と書かれていますので、碑は建立当時からここにあったとは思えませんが、ほぼこの近くにあったことが想像できます。

次の行を読むと「昭和二十年八月六日朝、米軍機の原爆/投下により、輜重兵は壊滅、多くの兵士/が犠牲になった。その中で、馬碑は熱風を受けながらも/唯一残った。」と書かれています。

今回の発掘調査で明らかになったように、輜重隊の兵営は原爆によって壊滅しましたが、その中で、唯一この「馬碑」だけが残ったのです。現在、馬碑が建っている場所は、爆心地から約六五〇mの近距離ですが、馬碑を見る限り壊れたり折れたりした後は、確認できません。被爆直後の様子がどうだったのかは解説板には書かれていませんので、爆風にも耐え立っていたのではないかと想像するしかありませんが、被爆した碑であることは間違いありません。

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さらに「馬碑の由来」を読み進むと「昭和五十七年、廣輜会(原爆の戦友会)/により、隊跡馬碑と表示、復元された。」と記されていますので、被爆後二七年目に復元されたことがわかります。しかし、それまでどこでどうなっていたのかはっきりしません。できればその経緯を知りたいと思います。

「馬碑の由来」には、「軍隊がどんなものであったか」が書かれていますので、その部分を全文紹介します。


自動車が発達していない昔、物の運搬は主として馬匹によりなされていた。

軍馬は日本各地より徴発(強制買い上げ)され、隊で調教、乗、輓、駄馬

として、兵器、弾薬、糧秣の輸送に任じた。

戦場に於いて、四肢の蹄に鉄を付けて保護され、車を輓き、また鞍上に

百キロ余りの荷を背負わされ、人に寄与した動物は馬だけであった。

蹄鉄は「馬の命」、行動中落鉄した時は、兵の沓下を重ねて蹄を保護し、

 次の休止時に予備鉄を装着した。

戦場では晴雨昼夜の別なく行軍の為、鞍傷した馬背を兵は寝ずに水で冷

やし看病し続けた。兵にとっては馬は正に戦友であった。

数次の作戦参加と米軍機の銃撃により、半数は戦死、終戦時は武装解除

と共に、中国側に引き渡し、悲しくも馬は復員出来なかった。

初年兵時代、「馬は三百円、お前等は一銭五厘で幟をたててやって来る!」

と、古年兵に叱られ乍ら鍛えられ、然も、馬が先輩であり、初年兵の肩章

にある星の数で見分けるのか、当初は思うように動いて貰えなかった。

尚、馬は「活兵器」として大事に扱われた。

輜重隊の遺構を見た後、「馬碑」の前に立つと、今までとは違う思いを抱きます。木立の中にひっそりと建つ、「馬碑」を一度訪ねてみてください。

いのちとうとし

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2021年7月 2日 (金)

広島市、被爆遺構の現地説明会を実施へ―戦跡も貴重な文化財

サッカースタジアム予定地での埋蔵文化財調査で発掘された旧軍隊の遺構、被爆遺構については、このブログでも6月18日、19日そして27日と3回にわたって紹介してきました。

27日の24日の行動―座込みと緊急要望書の提出: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した広島市への緊急要望について、昨日「現地説明会を24日の午前中に2回に分けて実施します」と電話回答がありました。

27日のブログを見ていただければわかりますが、24日の広島県原水禁の緊急要望は、「1、市民への現地説明会を早急に実施すること。2、発掘された旧陸軍施設の被爆遺構について、早急に専門家の検討会を実施すること。その結論によって、保存を含めた継承方法を検討すること。3、その評価が確定するまで、現状を保存すること。」の3項目でした。

広島市への申し入れでは、主に1の市民への現地説明会の開催について強く要望してきましたので、実施が確定したことを喜びたいと思います。

広島市への申し入れの際、もう一つ強調したのは2の「専門家による検討」です。

私たちが、専門家による検討を求めるのは大きな理由があります。それは、1996年12月7日に実現した原爆ドーム世界遺産登録への過程の中での体験があるからです。原爆ドームを世界遺産登録させることの大きな壁となっていたのは、昭和26年(1951年)に定められた「文化財史跡指定基準」でした。当時は「概ね100年を経過したものでないと文化財指定はしない」と言われていましたので、被爆から50年に満たない原爆ドームを文化財登録することは、この基準がある限り、ほぼ不可能でした。それは世界遺産登録を実現させるには、ユネスコ世界遺産条約が求める「国内法による保護」が必要だったからです。

詳しい経過は省略しますが、「国内法による保護」という大きな壁を壊したのは、「原爆ドームの世界遺産登録」を求める165万の署名でした。集まった署名の力が政治を動かし、「文化財史跡指定基準」の2項に「戦跡その他政治に関する遺跡」を追加させ、その年1995年5月、原爆ドームが史跡指定され、世界遺産登録への道が開かれたのです。

私が、ここで指摘したいのは、「文化財史跡指定基準」の変更によって、戦争遺跡、原爆遺構も重要な文化財として扱われることになったということです。

ですから、今回の発掘で明らかになった被爆遺構は、「文化財史跡指定基準」の「戦跡」にあたるのですから、きちんとその価値を評価することが、絶対に必要なことなのです。そして貴重なものであれば、文化財として史跡指定しなければならないのです。

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しかし、広島市の対応を見ると、発掘業者(奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」によれば、この事業団が行った発掘調査のほとんどは、城郭に関わるものや古代遺跡に関わるもので、戦争遺構は見当たりません)の選択一つをとってみても、江戸期の遺構に重点が置かれ「戦跡の評価」がおろそかにされているとしか思えません。

さらに広島市は、6月25日に開催したマスコミへの現地説明会の中で「重要なものは切り取りも含め保存も検討します」と言っていましたが、本当にそうであれば、現状の中で、「どの部分が一番大切か」をきちんと評価する作業が絶対に必要なはずです。だからこそ、専門家による評価を求めているのです。

広島市が、「戦跡」について関心がないと思わされたことは、もう一つあります。6月15日に最初に現地を見た時感じたことです。

仮に、さらに下の城下町時代の遺構の調査に進もうとすれば、被爆遺構の部分を取り除くしかありません。問題は、その時の対応です。当然、後から復元すること考えておれば、石などの遺構を動かす時には、番号を付けるなどして元に戻すことが可能なようにするのは、絶対にやっておかなければならない手順のはずです。しかし、私が、現場で作業をしている二人に訊ねた限りでは、異口同音に人に「広島市からそんな指示はありません」との答えでした。

この経過を見ると、広島市の対応の中には、「軍事遺構」「被爆遺構」も文化財としての価値を評価しなければならないという姿勢は、当初なかったとか思えないのです。昨日の電話では「切り取り保存するにしても検討しなければならないので、作業を一時中断することにしました」と説明がありましたので、ようやく私たちの思いが受け止められて、真剣に検討することになったようです。

広島市には、市民の意見をしっかりと受け止め、悔いが残ることのないような対応が改めて求められています。

いのちとうとし

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2021年7月 1日 (木)

池袋暴走事件 (2) ――記憶の検証は、事実に基づいて!――

池袋暴走事件 (2)

――記憶の検証は、事実に基づいて!――

 

前回は、私たちの「記憶」が余りあてにならないものであること、しかもほんのちょっとした操作でその内容を変えることが可能であるという研究をしたエリザベス・ロフタス教授を紹介しました。

彼女の研究の概要は、TEDトークのビデオとして観ることができます。日本語の字幕付きです。

800pxelizabeth_loftustam_9july_2011

エリザベス・ロフタス教授

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Elizabeth_Loftus-TAM_9-July_2011.JPG

BDEngler, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

その他に、彼女の研究内容紹介だけでなく、解説まで付いた分り易い記事が、President Onlineに掲載されています。タイトルは『なぜ人は都合よく"記憶"を書き換えるのか』で、著者は神戸大学大学院の増本康平准教授です。

ここでは、増本准教授の記事を引用して、ロフタス教授の主張が良く分る実験を見てみたいと思います。

「アメリカ海軍の訓練で戦争捕虜となることを経験するものがあります。30分の間、尋問者から一人で尋問を受けるのですが、訓練の一環とはいえ、尋問者の質問に答えなかったり、要求に従っているように見えない場合は、顔面を叩かれたり、腹部にパンチを受けたり、無理な体勢を強いられたりと身体的懲罰をも伴います。

尋問の間は尋問者の目をみることが求められ、尋問される側は確実に尋問者の顔を眺めることになります。尋問が終わった後、独房に隔離され、顔写真を渡され写真を見るように指示を受けます。写真をみている間に、「尋問者があなたに食べ物を与えましたか?」など尋問に関する質問を行います。渡された写真は尋問者とは違う人物のものです。

その後、尋問者の写真を選択するよう求められると、9割の人は後でみせられた偽物の写真を選びました。偽の情報や特定の行動へと誘導するプロパガンダに対して抵抗できるよう、訓練を受けた兵士でさえも、虚偽の情報に晒されることで誤った記憶を簡単に作り出すのです。」

極端な形で整理すると、「私の記憶は100パーセント正しい」と自分自身では「確信」していても、その記憶自体が書き換えられている可能性がある、ということです。前回、取り上げた松永さんの質問は、まさにこの点を問題視していたのです。

記憶自体の信憑性を問題にしなくてはならないとすると、現場で飯塚被告の車に追い抜かれたときに「ブレーキライトは点いていなかった」ことをその場で見ていた3人の証人の「記憶」も、論理的には同様の検証が必要になります。常識では、この3人の記憶を疑う余地はないのですが、より客観的な判断をするためには、やはり記憶の専門家に登場して貰うのが筋でしょう。裁判のどこかの段階でこのような手続きが取られると良いのですが――。

そしてロフタス教授も言っているように、真実を知るためには記憶に頼るのではなく、事実に語らしめるというのが鉄則です。

しかし法律を元にした裁判という場で、「事実に語らしめる」ことは必ずしも簡単には行きません。例えばコンビニ強盗が、包丁を手にして店員を脅し現金を持って逃げるビデオが残っていれば問題はありません。現実には、何かの事件があっても、それだけの情報が残っているとは限らないからです。

裁判制度の基本的な考え方は、人を「有罪」であると判定するためには、被告が「犯人」であるという完璧な証拠が必要だということです。「推定無罪」という言葉が示しているのは、「そのような完璧な証拠が揃わない限り被告は無罪になる」、という原則です。この点は、憲法38条の3項が保証しています。

第38条

3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

日本語としては、「有罪とされない」と書くべきでしょうが、文意から、自白だけでは「有罪にはならない」のです。

加えて被告人本人が「自分は無罪だ」と主張している場合には、完璧な証拠を揃える以外、「有罪」という結論にはならないのです。

それほど厳しい基準を満たす形で事実を積み重ねることで、飯塚被告の有罪を証明できるのか、が問題なのですが、そこで頭に浮かぶのが、2009年から2010年にかけて大きく報道されたトヨタ車の大規模リコールと、一連の裁判です。詳しくは、ウイキペディアの記事をお読み頂きたいのですが、その結論部分をウイキから引用しておきましょう。

「アメリカ合衆国でトヨタ車を運転中に発生した急加速事故について、事故の原因がトヨタ車にあると主張された。これらの事故と原因に関する主張などについて米国で大々的に報道された。この騒動を受けて、トヨタは大規模リコールを実施した。

トヨタはビラー弁護士の訴訟をはじめ、138件の集団訴訟、事故の遺族など96件の民事訴訟の他に、カリフォルニア州オレンジ郡検事局からも起訴され、トヨタ社は米国議会での公聴会での情報提供を要請された。事故の原因調査はアメリカ合衆国運輸省が主導した。このような一連の騒動は、「トヨタ・バッシング」、「トヨタ戦争」とも呼ばれた。

2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局(英語版) (NHTSA)・NASAによる最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された。」

もちろん、トヨタとしては電子制御装置に欠陥のないことを主張していました。それは、池袋の暴走事故と同じなのですが、トヨタだけではなく、米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局 (NHTSA)とNASAの調査で、欠陥のないことが保証されたのですから、これは「事実」の認定として重みをもっています。

池袋の場合も、同じような「第三者」による評価で同様の結果が出れば、飯塚被告の踏み間違い、という結論になるはずです。しかも、池袋の場合はブレーキやアクセルには機械的問題はないという点まで確認されているのですから、「被告は有罪」という結論からは逃れられそうもありません。

しかし、アメリカのNHTSAとNASAの調査結果では説明の付かない事例がその後も多く報告されていますし、電子制御装置には欠陥があったという報告さえあるのです。次回は、いくつかの事例を取り上げたいと思います。

 [2021/7/1 イライザ]

 

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