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2021年6月26日 (土)

池袋暴走事件 ――「記憶は簡単に変るし変えられる」、を前提に――

池袋暴走事件

――「記憶は簡単に変るし変えられる」、を前提に――

東池袋自動車暴走死傷事故は、2019年4月19日に、東池袋4丁目の交差点で起きた交通事故で、母子二人が亡くなり、加害者も含めると10人が負傷しました。

今年の6月21日には、被害者参加制度によって、被害者の夫であり父である松永拓也さんが、被告の飯塚幸三・元工業技術院院長に直接質問をしました。

その様子は広く報道されていますので繰り返しませんが、松永さんの気持が吐露された質問でしたので、涙なくしては聞けない部分もありました。でも今日、ここで取り上げたいのは、松永さんが、これまではあまり注目されてはいない、しかし事件の真実を理解する上で重要な側面に切り込んでいることなのです。

その側面についての松永さんと飯塚被告のやり取りを、「The Sankei News」のオンライン版から引用しておきます。

最初は、事故直後に飯塚被告が息子さんに話した内容、そして実況見分で警察に話した内容です。

 

松永さん「あなたが入院中、息子さんに『ブレーキとアクセルを踏み間違えた』と発言しませんでしたか」

飯塚被告「覚えていませんが」

松永さん「息子さんはそう話したと警察の供述調書にありますが」

飯塚被告「息子がそのような印象を最初に持っていたことは覚えています」

松永さん「最初の実況見分で、あなたが『踏み間違いをしたかもしれない』と言っている」

飯塚被告「はい、申しました」

 

「踏み違いをしたかもしれない」という可能性を認めています。次に、松永さんから質問を受けた時点、つまり6月21日には、その記憶がどう変っているのかという点です。

 

松永さん「どこで加速していたとしても、ブレーキを踏んだと100%確信があるんですか」

飯塚被告「はい。スピードが出ていれば(ブレーキを)踏んでいるので」

 

つまり、2年前の「踏み間違いをした可能性」は完全になくなって、今の時点での飯塚被告の記憶では、「ブレーキを踏んだと100%確信がある」のです。

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ここで描かれているのは、時間とともに記憶が変わって行くプロセスなのですが、たまたま私が読んでいたのが、この分野の世界的な権威であるエリザベス・ロフタス教授による「虚偽記憶」の研究についての解説でした。ロフタス教授は、カリフォルニア大学アーバイン校の教授を長く勤めましたが、20世紀に最も影響力のあった100人の心理学者の一人に選ばれています。「虚偽記憶」についての研究は、ワシントン州、シアトル市近くで起きたレイプ事件での専門家としての関わりが端緒になりました。

これは、「タイタス冤罪事件」として知られている事件です。後に冤罪であることが証明され、自由の身になったスティーブン・タイタスというビジネスマンが、1980年、レイプ事件直後に警察に逮捕されました。後にアリバイも認められましたし、現場に残されたタイヤ痕や被害者の証言の多くとの違いも認められたのですが、裁判で「有罪」の判決を受けたのには、被害者Aさんの証言が大きく影響しています。

逮捕後のタイタス氏と、その他の何人かの写真を見せられた被害者Aさんは、タイタス氏が「一番似ているかもしれない」と証言しています。事実、タイタス氏は、のちに逮捕され有罪刑を受けた真犯人に似ていますし、ひげを蓄えていた点も共通しています。

ところが、実際の裁判になると被害者Aさんはタイタス氏について、「絶対この人に間違いはありません」という証言をしたのです。陪審員は、この証言を重く見て有罪を言い渡すことになりました。

飯塚氏もAさんも、最初は自分の記憶が絶対的なものではなく、違っている可能性があることを認めています。しかし、その後、自分の記憶が「絶対的」に正しいという発言に変っているのです。

タイタス冤罪事件では、真犯人が見つかりましたので、被害者Aさんの記憶が誤っていたことが証明できました。このように、誤った証言等が元で「有罪」になった、つまり「冤罪」のケースは、アメリカでは、1990年から2015年までの25年間で1300件もあるそうなのですが、その半数以上が嘘の証言によるものだったという報告があります。

池袋暴走事件では、何が「真犯人」に相当するのかが焦点になります。それについては次回に回します。

ロフタス教授はタイタス冤罪事件の後、長期にわたって、記憶についての膨大な実験を行いました。その結果、ロフタス教授がたどり着いた結論を私流に要約すると、「いくら、雄弁に述べられていても、いかに詳細にわたる記述があっても、その記憶が真実を述べていることにはならない。記憶は、改竄され変えられる。それもほんのちょっとした操作によって、変えることが可能なのだ。つまり記憶は曲げ伸ばし自由なものなのだ」になります。

その操作は、外からの場合もありますし、本人の内側から生じることもあるのです。ロフタス教授研究の詳細と、池袋の暴走事件との関わりについては次回に。

 [2021/6/26 イライザ]

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コメント

アクセルとブレーキの踏み違いと、思います。本人の自覚が、あろうと、なかろうと。単純に、そのように、考えます。自分の例。追突事故。赤信号、停止中。後ろの停止中の車が、いきなり、動いて、追突。加害者は、車が、動いたので、ブレーキを、踏んでいた、と,主張します。だったら、罪?が、軽くなるのですか。裁判結果。こっちの弁護士、レベル、低い。裁判長も、同じです。相手側の、損保の弁護士が、上手でした。・・・・昔の交通事故紛争処理センターでは、100%勝ちましたが。・・・・追突事故、衝撃だけでなく、前方へと、車が、押され続けられています。後ろの車が、追突後に、ブレーキを、踏んでいたら、自車も、停止しています。車が、ジワリジワリと、前へ、動きます。ブレーキを、強く、踏んでいても。後ろの車は、ブレーキでなくて、ブレーキと、間違えて、アクセルを、思い切り、踏んでいたのでしょう。   東池袋・・・・。さっさと、結審すればいいのに、と、思っています。乗用車とはいえ,車2トン以上、それなりに、ブレーも、強力です。ブレーキを、踏んでいても、車が、押されて、前へ、前へと、動きます。アクセルを、踏み続けていたのでしょう。それを、認めても、何の不都合が、あるのですか。エイジンを再起動したら、装置は、正常に、動いたのだろうと。車が、異常だったのは、事故の時だけだったと、主張。屁理屈です。見た人?ブレーキランプは、点灯していなかった、と。理論、学説も、要りません、理論に対して、失礼です。思い込みといいますか、そのように、自分を、もっていって、います。だから、どうなのですか、と、言いたいです。車に、責任転嫁を、しないでください。運転技能適性力の、欠如。精神の未熟・・・。キツイ言い方に、なりますか。何の関係もない母子2名ですぞ。事故か事件か、極悪な事件と、言いたいです。

「60sp」様

コメント有り難う御座いました。

状況から見ると、アクセルとブレーキの踏み違いという可能性が高いと考えるのが普通です。そして加害者を非難するのも当然です。

しかし、法の世界や技術の世界では、主張の一つ一つが事実によってバックアップされていなくてはなりません。そのような「事実」の一つとして通常は取り扱われてきた「記憶」が、書き換えられているという、研究結果が出てきましたので、「記憶」以外の事実に頼って、真実に辿り着かなくてはならない時代になったのだと思います。

そのためには、「誰が」「どのような方法で」事実を確認しているのかがとても大切になります。そのヒントになるのは、御指摘のように、私たち一人一人の経験であり、自分とは違う経験の持ち主に対しても謙虚に心を開くことにあるのかも知れません。

3回目では、その辺りを考えてみたいと思います。

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