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2021年6月 4日 (金)

第4代平和の鐘―観音寺訪問記の2

今日は、本題の南区元宇品にある観音寺にある「第4代平和の鐘」にまつわる話です。

わが家から観音寺までは、直線で4.4kmの距離です。好天に恵まれ、自転車で出かけました。約25分で、到着。観音寺は、標高約40mの高台にありますので、下に自転車を置いて、急な石段93段を一気にのぼります。

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少し息を切らして境内につくと、東側に宇品の港が見渡せます。

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本堂に目を移すと、玄関左横の軒下に吊るされた「「第4代平和の鐘」が、すぐ目に入ります。

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平和の鐘の右下、「51番霊場」と書かれた銘板の下に、この鐘が「第4代平和の鐘」であることを記した銘鈑が取り付けられています。

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この銘板は、「響け!平和の鐘実行委員会」の高東さんたちが、取り付けられたものです。その銘鈑の横には、だれでも持ち帰ることのできる簡単な説明文が置かれています。これも高東さんたちが準備されたそうです。

前日に電話で連絡をしていましたので、前ご住職の奥さん木村信子さんが、資料を用意していろいろとお話を聞かせてくださいました。

私が一番知りたかったのは、「この鐘がなぜ『平和の鐘』に選ばれたのか」でしたので、一番にそのことをお訊ねしました。「はっきりとした理由はわかりませんが、こういう資料があります」と示していただいたのが、2011年に発行された広島市広報誌「ひろしま市民と市政」です(切り抜かれていたため、何月の発行かは不明)。そこには、息子の明裕さん(現住職)の話として「祖父は平和への祈りの気持ちで貸したのでしょう」ということだけしか記載されていませんので、選ばれた理由ははっきりさせることはできませんでした。

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ここ元宇品の観音寺は、爆心地からの距離は5,kmです。原爆によって屋根の一部が壊れたようですが、大きな被害はなったようです。「平和の鐘」を調べていて分かったことですが、歴代5代の平和の鐘の中で、唯一直接被爆を体験し、被爆の惨状を目の当たりにしたのは、観音寺の鐘だけのようです。というのも、初代は海軍からの払い下げ、2代は焼け跡に残った金属で鋳造されてはいますが新しく鋳造、3代は戦争が終わり住職が軍隊から復員後建立されたお寺の鐘、そして現在使われている5代は1967年に鋳造されているからです。

観音寺でも、他のお寺と同じように梵鐘は戦時中金属拠出されましたが、この半鐘は金属拠出を免れ、ずっとお寺に吊り下げられていましたので、原爆投下を体験することになったのです。その意味で貴重な「平和の鐘」ということが出来ます。そうしたこともこの鐘が「平和の鐘」に選ばれた理由の一つかなと勝手な想像しています。

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話を聞いている時、「平和の鐘」の後の建物内に木槌がぶら下げられているのが目に入りましたので、「この鐘は、いつも鳴らしておられるのですか?」と訊ねました。「いいえ、この鐘は特別の時しか鳴らすことはありません。同宗派(臨済宗妙心寺派)のご住職方に参加していただき、お寺としての行事(開山○○周年とかある住職の何回忌など)を執行する時、一番偉い導師が会場に入られることを参列者に知らせるための合図の鐘として鳴らすだけです。ですから私も一度ぐらいしか鐘の音を聞いた覚えがありません。どんな音だったかよく覚えていないのです」とのことです。

「第4代平和の鐘」のこの半鐘は、今も現役として活躍してはいるのですが、実際に鳴らされることは、今のところ予定がないようです。

平和記念式典での2回の打鍾の音は、貴重なものと言えます。当時のニュース映像の中に、「平和の鐘」を撞く場面が残っておれば、貴重な鐘の音ということになります。どこかのテレビ局に映像が残っておれば、ぜひ一度聞いてみたいと思います。でもやはり無理ですよね。

この後さらに、木村信子さんから「第4代平和の鐘」以外の観音寺にまつわるお話を沢山聞くことが出来ましたので、つづきは7日のブログで紹介します。

いのちとうとし

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